まあ、スポーツというものは常にルール破りの不正行為が付き物ではあるが、不正行為を正当化する言行は、スポーツ自体を成り立たなくさせるものだろう。私がサッカーというスポーツが大嫌いなのは、あのスポーツでは不正行為スレスレのプレーが許容され、いや、不正行為そのものが(マリーシアと言ったか?)むしろ奨励すらされているという点にある。
(以下引用)
西岡シリーズ守備妨害「意図的だった」
東スポWeb 11月1日(土)11時5
やっぱり故意だった――。阪神・西岡剛内野手(30)が31日、日本シリーズ第5戦(30日、ヤフオクドーム)の幕切れとなった守備妨害について、自身のフェイスブックで釈明した。
「打った瞬間、僕はゲッツーを確信しました。ルールで内側に入って送球が当たれば守備妨害は百も承知です! ルールを知った上で打った瞬間ゲッツーになると思ったので、少しの可能性にかけて内側から外側に走って行くものを、ライン上スレスレを走って体に当たれと思いながら走ってました! 僕は送球が当たるときに足が外側にあればいいと思って走ったので、僕なりにルール上ギリギリのプレーはしたつもりでした!」
問題のシーンは1点を追う9回一死満塁。西岡はカウント3―1から打って出て一ゴロとなった。一塁・明石は本塁に送球して封殺で二死。捕手・細川の一塁送球は西岡の左手に当たり、ボールは転々とした。だが西岡の走路がラインの内側にあったと走塁妨害が宣告され、阪神は終戦。試合後、西岡は「故意でできるわけがない」と弁明していたが、意図的な走塁だったことを明かした。
このプレーで西岡は戦犯扱いされているが「いろんな意見ありますが全て受け止める覚悟です! ただ、走塁どうこうより、あの場面で打たない僕が悪いのです! なんか阪神ファンを喜ばせたい一心でしたが間逆になりました! ほんとに残念な思いにさせてしまって申し訳ありませんでした!」と素直に非を認め、謝罪した。
(引用2)
ウルグアイ人指揮官が“ズル”の必要性を語る「勝つための行為なら問題ではない」
4年前の南アフリカ大会準々決勝のガーナ戦、ウルグアイ代表のルイス・スアレスはゴールライン上のボールを手で止め、レッドカードを提示された。この事件がきっかけで、スアレスの名前は国際舞台で一躍有名になったが、母国ウルグアイでは、ガーナ代表の決定機を防いだスアレスが「悪者」として非難されることはなく、むしろ、自らを犠牲にしてチームを準決勝に導いた「ヒーロー」として称賛された。
ポジェ監督は、ウルグアイの代表選手たちの試合に対する考え方に触れ、「たとえルール違反であっても、勝利を得るために行うことを問題だとは考えていない」と説明。スアレスがブラジル大会で再びハンドをしてゴールを防ぐことになっても、「彼は良心のとがめを感じないはずだ」と話した。
「ゴールラインでボールを手で止めることが、ヨーロッパでは“ズル”だと見なされることは理解している。しかし、我々にとってはそうじゃない。フットボールという試合の一部なんだ。つまり、自分が最後の選手だったら、対戦相手のユニフォームを引っ張る。それで相手が倒れたら、レッドカードで退場だ。それを“ズル”と呼ぶのか? 違うだろう。『自分の後ろにはゴールキーパーしかいなかったから、ファウルで止めて退場になった』。それで良いと言われるはずだ」
「イングランドでは大きな過ちと捉えられるだろう。それは分かる。しかし、我々にとっては、そういう反応こそ驚きだ。誰も見ていないところで、相手の選手を殴ったりすることの方が悪い。しかし、『ゴールライン上でのハンド』は、『ゴールライン上でのハンド』でしかない」
「スアレスとそのチームメートは、イングランド戦で勝つためなら何でもするだろう。どういう状況でも、対戦相手を止めて、試合に勝つ。我々はそうしてきたし、それを誇りに思っている。勝つためには必要なことだ」
また、同監督は今や世界有数のストライカーと見なされているスアレスについて「スアレスがルールの範囲内でプレーをしたとしても、イングランドは彼を抑え込むのに苦しむだろう」とコメント。「スアレスはワールドカップでスター選手になることを何より望んでいる」と続け、同選手の活躍に太鼓判を押した。
(引用3)これはサッカーファンが書いた記事らしく、マリーシアの説明と言うより「マリーシア擁護論」になっている。しかし、「マリーシアはルールの裏をかく行為ではない」と言いながら、「日本人は社会生活ではルールの裏をかく行為が得意なのに、スポーツでは『マリーシア』が不足している」、と言うのは矛盾撞着の議論だろう。
マリーシア
マリーシア(ポルトガル語: malicia)とは、ポルトガル語で「ずる賢さ」を意味するブラジル発祥の言葉である。サッカーの試合時におけるさまざまな駆け引きを指す言葉でもあるが、国によってその解釈は異なっている。イタリア語では「マリッツィア(Malizia)」と呼ばれる[1]。
概要[編集]
ブラジルにおいて「マリーシア」の思想は社会全体に行き渡っている[2]。男女関係における駆け引き[3]や、スピード違反の取り締まりにあった際に賄賂を贈って見逃してもらおうとする行為[2]などが、それに該当する。
サッカーにおいても用いられるが、これはブラジル南部のリオグランデ・ド・スル州に限定されているとも言われる[3]。サッカーにおける「マリーシア」には「機転が気く[4]」「知性[4]」という意味がある。本来、「駆引きを行い試合を優位に運ぶ」行為を指し、「ルールの裏をかく」といった反スポーツ的な意味合いはない[4]。相手の心理状態を読んで奇襲をかけたり、相手の油断や混乱に乗じて意外性のあるプレーを行う、日本語に直訳すると「したたかさ」に近い意味合いを持ち、「マリーシアが足りない」という言葉は選手の未熟さや経験不足を指す言葉として用いられている[3]。 ちなみに日本人は税金関係になるとマリーシアを極端に発揮し、儲かっているのに儲かってないように見せかけたり、なんでも経費で落とそうとしたり、逆に株価を吊り上げるために粉飾決算をしたりとお手者である。架空会社との架空取引を作ったり、顧問税理士を税務署出身者でそろえたり、脱税団体といわれるような民間団体を組織したり、宗教法人を装ったりと大得意である。ところがスポーツに限ってはそれがなぜか根付かず、不得意である。
ブラジルでは、こうした知性や知恵といった範疇を超えて相手を意図的に傷つけるような汚いプレーを「マランダラージ」(ポルトガル語: Malandragem)と呼んでいる[5]。また、相手に対する露骨な時間稼ぎなどの行為については更に細分化し、「カチンバ」[4]や「セラ」と呼んでいる[5]。