同郷人として、偉大な記録を彼が残したことを喜びたい。
(比嘉大吾についての記事は下の通りで、才能云々は言っていないが、試合ぶりを褒めている。)
村田は、前半でダウンを奪ったことで自分が圧倒的に優位だと思って、後は「前進することで、試合を支配していることを印象付ける」だけの作戦だったように見える。エンダムはカウンターパンチャーのようだから、後退することが多く、見かけ上は村田がエンダムを追い回しているように見えるわけである。観客が、確実に村田が勝っている、と思ったのはそのためだろう。しかし、ボクシングで確実な勝ちはノックアウトしかない。村田も所詮はアマチュアボクシング根性だ、ということだ。
なお、同日に行われた比嘉大吾の試合は見事だった。顔に似合わず、ボクシング自体はクールで、常に冷静さを失わないで試合を進め、最終的にはKOに結び付けた。常にガードを固めながら的確なパンチを出すから、危なげなく試合を支配できる。手数も十分に出していたから、KOできたのである。
(以下引用)
これで連続KO記録は15まで伸び、比嘉が尊敬する沖縄の大先輩、元WBC世界スーパー・ライト級王者の浜田剛史氏らが持つ日本記録に並んだ。リングサイドでテレビ解説を務めた浜田氏は、後輩の15連続KO勝利を絶賛した。
「これは作られた記録じゃないですから。比嘉は強い相手と打ち合って勝ってきた。本物です。これからのボクシング界を引っ張っていきますね。沖縄からこういう選手が出てきたのはうれしい限りです」
実は連続KO勝利という記録は、浜田氏が指摘するように「作ることができる」記録だ。世界のレコードブックをひも解くと、ラマー・クラークという米国のヘビー級選手が1958年から'60年にかけて作った44連続KO勝利が“世界記録”ということになっている。
しかし、この選手は最大で一晩に6人もの選手と試合をするなど、たぶんにエキシビション的な試合が多く含まれていると推測せざるを得ない。クラークの狙いが記録だったのかは分からないが、少なくともまっとうな記録にカウントすべきものではないだろう。
反対に、世界的に有名なプエルトリコの3階級制覇王者、ウィルフレド・ゴメスの32連続KOは14度の世界戦を含むものであり、中身は格別に濃い。クラークの44とは大違いなのである。
比嘉の15戦も、敵地タイでのWBCユース王座戦に始まり、東洋太平洋タイトルマッチが2試合、世界タイトルマッチが3試合だから、浜田氏でなくとも高い評価を与えるだろう。そもそも日本人の連続KO記録の上位選手の中で、世界戦が含まれているのは比嘉だけ。いかに今回の記録に価値があるか、分かってもらえるのではないだろうか。
試合翌日の記者会見で、比嘉は今後について「(減量の限界に近づいていて)フライ級は長くないと思うので、できればすぐにでも統一戦がやりたい。できなければ上に行ってやりたい」と統一戦か、2階級制覇か、という希望を示した。
2月24日に米カリフォルニア州で行われるWBAとIBFのフライ級タイトルマッチを視察に行くことも明らかにされた。22歳の若きチャンピオンが飛躍のときを迎えようとしている。
今後たとえどんな試合が組まれようとも、比嘉はKOにこだわり続ける。
「全部倒しにいきます」
その舞台が大きければ大きいほど、記録の価値はさらに高まるだろう。
(「ボクシング拳坤一擲」渋谷淳 = 文)