ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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これから僕が話すのは、まさに「時間の問題」だから、この話の題名も「時間の問題」にしたわけだ。「何かが起こるのはもはや時間の問題だ」、という慣用句のあれではない。
時間感覚がひとによって違うというのを知らない人が多いと思う。素晴らしいスポーツ選手で、瞬間のうちに素晴らしい判断をし、素晴らしい身のこなしでファインプレーをする選手がいるだろう。実は、あれは時間感覚が普通の人と違うのだ。で、身体の運動速度が速く見えるのは、実はその時間感覚に身体がついていくだけなのである。これは修練でもある程度は身に付くが、たいていは生まれつきである。
僕の場合は、身体運動速度は普通である。だから、スポーツは不得意ではないが、まあ普通だ。
違うのは、思考速度である。おそらく普通の人間の10倍から100倍くらいの思考速度があると思う。他の人の思考速度は知ることができないから、正確にどれくらい違うとは言えない。
まあ、「東京大学物語」という漫画で思考速度のことを描いていたが、思考速度が速いから頭がいいというわけではない。ただ、思考時間がほぼ無限に使えるので、テストなどではかなり有利なことは有利だ。しかし、「知識の中に無いものは、いくら考えても出て来ない」のである。だから、勉強しない限り、それをテストには生かせないという、あまり華やかさのない能力である。
だが、テストなどでは時間がほとんど無限に使えるから、知っていることに関しては100%答えられるし、数十回考え確認してから答えを書くのでそれが間違いである可能性もゼロに近い。国語などでたまに教師と「見解の相違」があって×を貰うことがあるだけだ。
で、仮に人生が頭の中だけだったとすると、僕は不老不死の人間に近いのだが、あいにく人生は頭の中だけでは何一つ解決しない。外界との関係ですべて決まるのである。
念のために言っておくと、僕の思考速度は操作可能で、思考速度を速くしたいと思った時に速くなるのである。そうでないと、他人との会話の反応速度の違いから、僕の異常な才能がバレてしまうだろう。それは避けたい。というのは、僕は思考速度以外の点では天才でも何でもなく、「努力しないと知識を拡大できない」普通人であるからだ。つまり、僕が思考の速度を操作するのは基本的に勉強の時とテストの時だけなのである。まあ、何か途方もない事件が起こって、思考速度を最大限に速くする必要がでてきたら、それも面白いかもしれないが、それは「危険が迫った場合」なのだろうから、あまりそういう羽目に陥りたくもないのである。
時間感覚がひとによって違うというのを知らない人が多いと思う。素晴らしいスポーツ選手で、瞬間のうちに素晴らしい判断をし、素晴らしい身のこなしでファインプレーをする選手がいるだろう。実は、あれは時間感覚が普通の人と違うのだ。で、身体の運動速度が速く見えるのは、実はその時間感覚に身体がついていくだけなのである。これは修練でもある程度は身に付くが、たいていは生まれつきである。
僕の場合は、身体運動速度は普通である。だから、スポーツは不得意ではないが、まあ普通だ。
違うのは、思考速度である。おそらく普通の人間の10倍から100倍くらいの思考速度があると思う。他の人の思考速度は知ることができないから、正確にどれくらい違うとは言えない。
まあ、「東京大学物語」という漫画で思考速度のことを描いていたが、思考速度が速いから頭がいいというわけではない。ただ、思考時間がほぼ無限に使えるので、テストなどではかなり有利なことは有利だ。しかし、「知識の中に無いものは、いくら考えても出て来ない」のである。だから、勉強しない限り、それをテストには生かせないという、あまり華やかさのない能力である。
だが、テストなどでは時間がほとんど無限に使えるから、知っていることに関しては100%答えられるし、数十回考え確認してから答えを書くのでそれが間違いである可能性もゼロに近い。国語などでたまに教師と「見解の相違」があって×を貰うことがあるだけだ。
で、仮に人生が頭の中だけだったとすると、僕は不老不死の人間に近いのだが、あいにく人生は頭の中だけでは何一つ解決しない。外界との関係ですべて決まるのである。
念のために言っておくと、僕の思考速度は操作可能で、思考速度を速くしたいと思った時に速くなるのである。そうでないと、他人との会話の反応速度の違いから、僕の異常な才能がバレてしまうだろう。それは避けたい。というのは、僕は思考速度以外の点では天才でも何でもなく、「努力しないと知識を拡大できない」普通人であるからだ。つまり、僕が思考の速度を操作するのは基本的に勉強の時とテストの時だけなのである。まあ、何か途方もない事件が起こって、思考速度を最大限に速くする必要がでてきたら、それも面白いかもしれないが、それは「危険が迫った場合」なのだろうから、あまりそういう羽目に陥りたくもないのである。
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