(以下引用)
宮崎駿が影響を受けた作品
白蛇伝
世界を肯定したくてたまらない自分がいるのをもう否定できなくなった。
(あらすじ)中国の四大民間説話のひとつ『白蛇伝』を題材にした、日本最初のカラー長編アニメ。西湖のほとりに住む許仙の元に美しい娘・白娘が現れる。一目で恋に落ちる許仙。しかし、白娘の正体は許仙が昔かわいがっていた蛇、白蛇の精だったのだ。高僧・法海は法力で彼女の正体を知り、許仙を妖怪から救おうと白蛇と法術で対決する。
「白蛇伝」は、宮崎駿が、アニメーションを志したきっかけとなった作品である。「白蛇伝」公開当時、高校3年の受験生であった宮崎駿は不覚にもヒロインに恋をしてしまったのだという(笑)
宮崎:彼女たちのひたむきさに較べ、自分のぶざまな有様が情けなくて、ひと晩炬燵にうずくまって涙を流した。受験期の鬱屈した心理とか、発育不全の思春期とか、安っぽい三文メロドラマとか・・・。分析するのも片付けるのも簡単なのだが、未熟なそのときのぼくには、「白蛇伝」との出会いは強烈な衝撃を残していった。(出発点 1979~1996)
宮崎:マンガ家を志望して、流行の不条理劇でも描こうとしていた自分の愚かさを思い知らされたのだった。口をつく不信の言葉と裏腹に本心は、あの三文メロドラマの安っぽくても、ひたむきで純粋な世界に憧れている自分に気づかされてしまった。世界を肯定したくてたまらない自分がいるのをもう否定できなくなっていた。(出発点 1979~1996)
雪の女王
アニメーションは他のジャンルの最高の作品たちに少しも負けずに、人の心を打つのだと証明していた
(あらすじ)北の国に暮らす幼なじみのゲルダとカイ.。しかし、冬をつかさどる「雪の女王」がカイを連れて行ってしまう。大人たちは「カイは死んだ」と言うが、ゲルダはカイをさがして、ひとり旅立つ。しかし、その行く手には、数々の出会いと試練が待ちかまえていた。
当時、東映動画にアニメーターとして就職した宮崎。制作する作品の企画に納得ができないまま仕事をし、アニメへのモチベーションはいつの日か、薄れてしまっていたのだという。そんな宮崎がもう一度、アニメーションの力を信じられるようになったのが、この「雪の女王」である。
宮崎:「雪の女王」は、絵を動かす作業にどれほど愛惜の念が込められるか、絵の動きがどれほど演技に消化し得るかを立証していた。ひたむきに純粋に、素朴に強く、貫く想いを描くとき、アニメーションは他のジャンルの最高の作品たちに少しも負けずに、人の心を打つのだと証明していた。(出発点 1979~1996)
この作品と出会い、宮崎は、自身がアニメーターであることに再度感謝し、モチベーションを取り戻したのだという。
黒澤明「七人の侍」・「生きる」
(あらすじ)数多くの傑出した黒澤監督作品の中でも、特に観客のみならず世界中の映画人に多大な影響を与えた代表作。これ以降「荒野の七人」「宇宙の七人」など、この映画を手本とした作品が多く作られたのは周知の事実。時は戦国時代のとある貧しい農村。農民たちは野盗と化した野武士たちの襲撃を恐れ、おののいていた。そこで村を守るために用心棒を雇うことを決意、食うに窮する七人の侍を探し出し、彼らとともに野武士に対抗すべく立ち上がる……。複数のカメラワークによる迫力ある立ち回りのシーンは見事。(映画.comより)
黒澤明の映画に非常に大きな影響を受けた宮崎駿は、「七人の侍」についてこう賞賛している。
宮崎駿:僕はとてもいい映画だと思ってるんですよ。好きな映画なんです。(「風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡」より)
「生きる」について、宮崎はこう絶賛している。
宮崎:書類の山の前で、主人公の市民課の課長が書類をくり、判を押している。書類をくり、判を押し、処理済の書類に重ねる。次の書類を取り上げ、チラッと目を走らせるが、読むほどの必要がない事は先刻わかっている。また判をとりあげ押す。その男の背後に積み上げられた厖大な書類の山。陰影の濃い画面、悲しい仕事を正確に律儀にくり返す男の所作。胸を衝く美しい緊張感と存在感溢れる映像である。これは正座して観なければならない映画だと、その瞬間に思った。ひとりの映画監督が生涯に何本とつくれないフィルムに、今出会っているのだと実感したのだった。(出発点 1979~1996)
宮崎:「生きる」には名場面といわれるシーンがいくつもある。けれども、自分にとっての「生きる」は、書類の山と判を押す男の、このショットに凝縮されている。本当に、なんて美しい映像だろう。なんという映像を、かつて日本の映画を持っていたのだろう。くり返し思い出す。何度も自問してみる。どうして、そんなに感動したのか。あのショットの力の秘密は何処にあるのだろうかと。(出発点 1979~1996)
↓「七人の侍」は、こちらから視聴できます。
宮崎駿と黒澤明の対談はこちらから↓
fc0373.hatenablog.com
ファンタスティック・プラネット
(あらすじ)アニメーション作品として史上初めてカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞したSFアニメ。フランスのSF作家ステファン・ウルの原作をもとに、漫画家・イラストレーターのローラン・トポールが4年の歳月をかけて描いた幻想的な原画を、ルネ・ラルー監督が切り絵アニメーションという手法で完成させた。地球ではないどこかの惑星。その星には真っ青な肌に赤い目をした巨人ドラーグ族と、彼らから虫けらのように虐げられている人類オム族が住んでいた。(映画.comより)
宮崎駿は本作を観て、自身の作品の「美術の不在」について、いろいろと考えさせられたという。
あの映画自体については、おもしろい作品だが好きな作品ではありません。技術的水準に感嘆しましたが、共鳴は出来なかった・・・・観てとてもよかったが、二度観る気はおこりません。とても良く出来ているが、粗雑な物語だと思いました。まずトポールの世界があって、それを展開させるに適当な原作を探したのではないのでしょうか。あのフィルムで主題が成功しているとはおもえない。ただトポールの世界はまぎれもなくフィルムの中に創り出されていました。(出発点 1979~1996)
タルコフスキー「ストーカー」
これは、野球ファンであるとはどういうことか、ということをユーモアたっぷりに描いた名作である。ほかに、「くたばれヤンキース」という名作もあるが、なかなか見られない。
まあ、「三流映画監督たち」という煽り文句に釣られて読んでしまったwww
しかし、まともな映画人はマーベル映画を嫌悪しているのはよく分かった。
この前、「機動戦艦ナデシコ」の第一話だけ、アマゾンプライムで見たが、あちこちに「エヴァンゲリオン」を連想させる描写があって、この作品の庵野への影響の大きさを感じたが、大衆向けの作品でも、志次第では名作になる、あるいは優れた影響をジャンルに及ぼすというのは映画に限らない。しかし、マーベル映画にそのような志があるだろうか。その志とは「自分が本当に作りたいものを作る」ということだ。娯楽作品は当然受ける側(一般大衆)の反応を顧慮するべきだが、それだけでは志の低い作品にしかならないのである。
(以下引用)
三流映画監督達「マーベル映画は映画じゃない」
2023年03月21日
エンタメ
1: 名無しさん 2023/03/16(木) 16:31:09.43 ID:aWaXcolK0
スピルバーグ「マーベル映画は西部劇と同じでいずれ飽きられる」
フィンチャー「スパンデックス着たおっさんが出る映画を撮るような監督にだけはなりたくない」
イーストウッド「マーベル映画は理解できない」
ケンローチ「マーベル映画はハンバーガー」
スコセッシ「マーベル映画は映画じゃない」
コッポラ「マーベル映画は卑劣」
エメリッヒ「無駄にスケールでかいだけの三流エンタメ作品」
リドリー・スコット「ヒーロー映画はゴミ潰したい」
タランティーノ「マーベル俳優は本当の意味での映画スターではない」
引用元: ・https://eagle.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1678951869/
2: 名無しさん 2023/03/16(木) 16:31:30.18 ID:zhwlA9170
名前聞いたことも無いような無名監督がほざいても無駄よq
3: 名無しさん 2023/03/16(木) 16:31:36.78 ID:f2QyojIGa
老害やん正論やけど
6: 名無しさん 2023/03/16(木) 16:32:12.06 ID:vKS7Dux6a
エメリッヒ、お前だけは言えんやろ
10: 名無しさん 2023/03/16(木) 16:33:45.83 ID:5xn3HzSOF
ヒーローモノってよく見たら全身タイツ着てるヤバい不審者やん
11: 名無しさん 2023/03/16(木) 16:33:47.72 ID:6adLFEKLd
まあ食べ物でいうならマクドナルドみたいな存在やろ
消費者がそれを求めてるんだからそれを否定する必要もないけど
12: 名無しさん 2023/03/16(木) 16:34:01.50 ID:5W12ih+Sa
スピルバーグだけは正論やろ
もうそろそろ飽きられるのは間違いない
フェーズ4ゴミやったしフェーズ5もエンドゲームは到底越えられない
13: 名無しさん 2023/03/16(木) 16:34:29.01 ID:skX1cGrF0
実際理解できんわ
全部見てるやつとか狂気や
14: 名無しさん 2023/03/16(木) 16:35:01.15 ID:f2QyojIGa
超一流の巨匠だらけで草
16: 名無しさん 2023/03/16(木) 16:35:22.16 ID:4cyL4KRq0
CG技術の1mmでも仮面ライダーに分けてほしい
18: 名無しさん 2023/03/16(木) 16:36:08.20 ID:isE4fcDU0
エメリッヒ「無駄にスケールでかいだけの三流エンタメ作品」
おまえじゃい
(町山智弘ツィッターから転載)
現在発売中の季刊『KOTOBA』カズオ・イシグロ特集で、彼が選んだ映画10本(生きる、晩春、老兵は死なず、パンズ・ラビリンス、上海特急、バルカン超特急、或る夜の出来事、シェルブールの雨傘、仁義、博士の異常な愛情)と彼の小説との関連を論じています。
(以下引用)
評論は「値踏み」と不即不離の関係であり、映画評論家としての目は小林信彦は町山の数段上である。町山は映画の雑学知識を並べ立てて相手を圧倒しているつもりの小ズルい小人物だ。
ついでに言えば「安っぽいグラマー」は映画の役どころであり、それが演じられるのは女優には武器である。馬鹿には馬鹿の演技はできない。下手な役者にはコメディ演技はできない。愛される女優のほとんどはコメディエンヌであり、「安っぽいグラマー」はそのひとつ。
(以下引用)
昔のスピルバーグなら、最初の10分で話に引き込んでいただろう。(私はスピルバーグは好きではないが、手腕は高く評価している。)40分かかって、話の端緒にやっと到着するという馬鹿なやり方はしなかったはずだ。ちなみに、この映画を全部見たら2時間40分かかるらしい。
主役の少女の顔があまり可愛くないのは仕方ないにしても、その表情(当然、監督が指示している)があまりにも醜い。顔のアップが続くのだが、それが相手(視聴者)を睨みつける、嫌悪感を掻き立てる表情なのである。まるで、グレタ・トンベリ(サンバーグ)である。あの顔を3分見続けて平気な人間がいるだろうか。
原作では、マチルダは天才だが、運動能力が高いとは書いていない。しかし、この映画では前転やら逆立ちやら、いろいろと体技を誇示する。原作を変えるなら、その原作を使う意味はない。つまり、原作への冒涜である。
ミュージカル化自体は、悪いとは思わないが、あまりに演出が下手すぎる。
ロアルド・ダール
ロアルド・ダール Roald Dahl | |
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ロアルド・ダール、38歳の写真(1954年) | |
誕生 | 1916年9月13日 イギリス ウェールズ カーディフ |
死没 | 1990年11月23日(74歳没) イギリス イングランド オックスフォードシャー州オックスフォード |
職業 | 小説家 脚本家 詩人 |
国籍 | イギリス |
ジャンル | 短編小説 冒険小説 ファンタジー小説 児童文学 |
代表作 | 『チャーリーとチョコレート工場』 |
ウィキポータル 文学 |
ロアルド・ダール(Roald Dahl [ˈroʊəld ˈdɑːl]、ノルウェー語: [ˈruːɑl ˈdɑːl]、1916年9月13日 - 1990年11月23日)は、イギリスの小説家・脚本家。
略歴[編集]
パイロット[編集]
カーディフのランダフ地区にてノルウェー移民の両親のもとに生まれる。シェル石油で働き、タンザニアやカナダにも行ったが、第二次世界大戦が始まってからはイギリス空軍の戦闘機パイロットとして従軍、5機撃墜を公認されエース・パイロットとなっている。1940年9月19日、搭乗していたグロースター・グラディエーター複葉戦闘機がエジプトのマルサ・マトルーフ近郊の砂漠で機位を喪失し不時着、重傷を負うも生還した。しかし、この際に脊髄を負傷した事による後遺症に生涯苦しめられた。後にこの事故はダールが発進前に受けた、誤った飛行ルート指示によるものと判明した。
作家[編集]
その後、アフリカでバカ話やパイロット時代の経験を元に小説を書くようになった。作家セシル・スコット・フォレスターが、取材のためにダールの飛行体験についてメモを書くよう依頼したが、ダールは話すより書く方が早いと思ってメモを作った。そのメモ(デビュー作の中の「簡単な任務」)の素晴らしさにそのままダール名義で出版されたことがきっかけでデビュー。1942年にはすでにグレムリンの話を書いていた(これをディズニーが映画化しようとしたが頓挫)。風刺やブラックユーモアに満ちた短編小説や、児童文学で有名。
特に、「奇妙な味」と評されるダールの短編小説は、作家・評論家・翻訳家らへのアンケート結果によるミステリ・マガジン2007年3月号で、ミステリ小説オールタイム・ベストの短編部門第1位に輝いた『南から来た男』の他、『味』、『大人しい兇器』などで、日常的な風景や会話の中に人間の心の奥底に潜む狂気をうかがわせ、高い評価を得た。
007シリーズで有名なイギリス人作家のイアン・フレミングの友人であり、映画『007は二度死ぬ』と『チキ・チキ・バン・バン』の脚本も手がけた。
家族[編集]
1953年に女優のパトリシア・ニールと結婚した。ダールとの結婚前、彼女はゲイリー・クーパーと3年間不倫関係にあり、彼の子を妊娠したが、クーパーの妻はカトリック教徒であったため離婚に応じず、中絶せざるをえなかった。ニールはマスコミから袋叩きにあい、仕事も来なくなった。そんな時に彼女を可愛がっていた劇作家リリアン・ヘルマンの紹介によりダールと出会い結婚した。結婚後も女優を続け、アカデミー主演女優賞を受賞した。5人の子供に恵まれたが、妊娠中に脳卒中に襲われ、ダールの献身的な看護とリハビリのおかげで無事に出産し回復した。しかし、度重なる浮気を理由に、1983年に離婚した。後にニールは自伝の結びに「自分の愛した男性はゲイリー・クーパーただ一人だった」と書いている。[1]
その後ダールは同郷の女性フェリシティー・クロスランドと再婚する。2人の間に子供はいなかったが、連れ子の長女オリヴィアが7歳の時に脳炎で亡くなり、息子セオは4ヶ月の時に交通事故で脳に障害を負った。ダールの死後、妻によってロアルド・ダール基金が設立された。ちなみにニールとの間に設けた子供たちは全員父になついていたため、その後もクロスランドのもとに集まったという。
エピソード[編集]
主演の岡田准一の演技力はたいしたもので、体もよく鍛えられている。ハリウッドの俳優にも匹敵する存在だろう。柳楽優弥が悪役をしていて、「青い炎」ばりのオーバーアクトだが、そのほうが劇画の実写化に合っているようだ。最後に配役を見るまで、これが本当に柳楽優弥か、確信が持てないほどの「真からの下種」の悪臭を出していたのは見事だとも言える。
山本美月もヒロインとして最適の演技である。
特筆したいのは、主人公が描く小学生レベルの絵の愛嬌で、この絵を描いた人は凄いと思う。
監督は江口カンという人で、この名前は初耳である。
ちなみに、「ファブル」の意味は神話であり、神話的殺し屋である主人公のこと。ただし、岡田准一の演技は、まったく凄んだところや気取ったところはない。子供がそのまま大人になったような変人を実に見事に演じている。
その後でアニメの「リベンジャー」を見たが、背景や美術にところどころいいところがあるのに、監督のセンスが悪くてすべて台無しになっている。時代劇なのに、連発拳銃が出て来るのも興覚めだし、侍が月代を剃らず長髪で前髪を垂らしているのは愚の骨頂である。目にまで垂れかかる前髪をしていて斬り合いができるか。また、耳ピアスとか眼鏡をかけた侍とか、確かに「サムライチャンプルー」のように時代考証は最初から無視すると宣言しているアニメもあるが、それで面白くなるかどうかは脚本と監督の腕とセンス次第だ。脚本が虚淵玄と誰かの共同脚本のようだから、ダメな部分の責任の大半は監督にあると思う。