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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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アマゾンプライムで「そして誰もいなくなった」の新作(テレビ版か?)を見て、まずまずの出来だとは思ったが、80点くらいかな、という感じで、比較のためにルネ・クレールの映画を見て確認したが、おそらくこちらは最後の解決を原作改変していると思う。ラストの前まではテレビ版(?)より推理小説の格調があって良かったが、途中から殺人と童謡の歌詞との一致がはっきりしなくなる欠点もあり、監督が推理小説などお遊びだとしか思っていない雰囲気もある。
私は原作を読んでいないのだが、仮に10人とも死んでいるなら、その犯人として心理的蓋然性が一番高いのは誰かで犯人は当てやすいと思う。お互いが初対面なのだから、他の人間には殺人の動機が無い。つまり殺人の動機はお互いへの怨恨や金銭的利益ではなく、「哲学的」あるいは「倫理的」なものだということだ。そうなると、誰が一番そういう動機を持つかは最初から分かるのではないか。つまり、「途中で死ぬ人間は犯人ではない」という思い込みが利用されたトリックであるわけだろう。
それにしても、ルネ・クレール版でも最新作でも、島の10人の中で、「アフリカ人を21人殺した」人間が一番男主人公的な役割であるところに、欧州人(欧米人)の「黒人(非白人)の命など無に等しい」という独特の倫理観が見られる。だからBLMが今でも問題になるのだろう。
たぶん、ネタ晴らしになると思うので、「犯人」がどういう人物かをずっと下の方に書いておく。もちろん、原作ではどうかは知らない。



















「犯人」は、悪が法律で完全に裁けないことにずっと苛立ちを覚えていた人間である。そして、法で裁けなかった幾つかの「事件」(その事件の犯人が法の網を潜り抜けた事件)の詳細を知り得る立場だった人間である。




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