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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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蓮見重彦という、独善の極致のような人間が知識人面、映画評論家面していることのほうが大問題だろう。

瞬間的な決着性
目にもとまらぬ呆気なさ

が、

映画にはなくてはならぬもの

だとか、世界中の映画監督の中で同意する者はほとんどゼロだろう。そもそも、「殺し屋ネルソン」など、聞いたことも無い映画である。もちろん、B級映画への偏愛は各自の勝手であるが、それが映画の粋であるかのような言い方は独善の極みでしかない。

(以下引用)


1: 2023/05/30(火) 23:02:23.34 ID:FWO7K241a
蓮實 重彥

https://gendai.media/articles/-/110785?page=3

もちろん、『殺し屋ネルソン』が映画の王道だとは思いません。けれども、そこにはやはり映画にはなくてはならぬものがある。瞬間的な決着性といいますか、目にもとまらぬ呆気なさがあるのです。
美男美女が出ていなくても、そこには映画が絶対に触れなければいけない何か、惹きつけながらも拒否するような力学が働いている。


みんなと一緒に拍手していればいいというような連中は、醜い民主主義者でしかない。興奮している未知の仲間と共感しあうことが、真の映画的な体験なのではありません。
何も意図して孤独を求めても意味はありませんが、ふと孤立している自分に目覚めたことのないひとたちは、映画に接近すべきでない。

その醜い民主主義者たちが、『シン・ゴジラ』を見て、映画は集団的な体験だというかのようにみんなで手を叩いている。

『君の名は。』も評判がよいようですが、わたくしは、アニメは原則として映画の範疇に加えていません。
あれは映画によく似た何ものかではあると思いますが、よく似ているという点で、映画とは本質的に異なる何ものかなのです。
ですから、『君の名は。』は見ていませんし、見る気もありません。
アニメに興味を惹かれたことはありますが、真の意味で感動したことは一度もない。それは、いま、生きた被写体を撮っていることの緊張感というものが、アニメの画面に欠けているからです。

3: 2023/05/30(火) 23:04:21.03 ID:FWO7K241a
書いた奴の経歴

蓮實 重彥
第26代東京大学総長
読売文学賞
芸術文化勲章
文部大臣賞
川喜多賞
三島由紀夫賞
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