ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「In deep」というサイトから転載。
このサイトで映画の話が出るのは珍しいと思うが、この記事の後半、「フルメタル・ジャケット」(完全徹甲弾とでも訳すか。)の話は素晴らしく面白い。
(以下引用)
でも、今回の記事の話はわかりやすい話です。
アポロ11号の月面着陸の話です。
ちなみに、私は「アポロは月には行っていない」というような、いわゆるアポロ陰謀論とかに関しては「どちらでもいい」という人ですので、そういう話とは違う単純に「面白い話」です。
過去記事でも月面着陸に関しては何度かふれたことがあります。
2年くらい前には、
・キューブリックの亡霊: 2001年宇宙の旅とアポロ11号の月面着陸
2010年12月05日
という記事で、2002年にいわゆる「アポロ計画陰謀論」の先駆けとなったフランスのテレビ番組のことをご紹介したことがあります。
内容は記事を読んでいただくとおわかりかと思いますが、そのフランスのテレビ番組の中では、映画監督のスタンリー・キューブリックの 1968年の映画『2001年 宇宙の旅』についてふれられています。
この映画は、アポロ8号が初めて月の裏側を回って写真を撮影する前に作られた映画で、つまり、「まだ人類が誰も月から見た地球の光景を知らなかった時」の映画でした。まして、アポロ11号が実際に月面に着陸して、月の上の様子が実際にわかったのは映画の翌年の1969年でした。
その「誰もまだ月から地球を見たことがない時」に映画で描かれたその様子が下のシーンでした。
その後、アポロ8号が撮影した月面から入りこんだ地球の光景の写真は、まさに上の映画のシーンとそっくりだったのです。
しかし、それが、どうして「陰謀論」と結びつくのか私には不思議でした。
私はこれは人間の想像力とむしろ関係あると考えます。
スタンリー・キューブリックの想像力と科学検証ワークなら、この程度のことは十分になし得るだろうことは、他のキューブリックの映画を見ていればわかります。
たとえば、同じキューブリック監督の戦争映画「フルメタル・ジャケット」では、月面の様子どころではない「想像力の結実」が見られます。
架空の完全スナイパーを作り出した想像力
1980年代の映画「フルメタル・ジャケット」のラストのほうでは「ベトナム人少女のスナイパー」が出てきます。彼女は廃墟の物陰から米兵をひとりずつおびき出して正確に射殺していき、主人公の所属する小隊を混乱と恐怖に陥れます。
つまり、この映画の山場の戦闘シーンは「米兵の小隊の十数人 vs ひとりの女の子」という戦いなのでした。普通はこんな戦いはリアリティを持って描くことは難しいです。
しかし、その M16自動小銃を構えて米兵のボディを丁寧に撃ち抜いていくベトナム人少女の姿に、当時の銃器の専門家たちは驚嘆したものです。
「なるほど! こうやればいいのか」と。
当時は(基本的には今でも)実際の戦場で重い自動小銃を携行して撃つのは「男性の軍人」でした。しかも、米軍の彼らは、自動小銃を「オート」(連射のような感じ)でババババッと撃つので、あまり狙う必要がないんです。しかも、体格もあり、腕力もあるので、銃の扱いも簡単です。
ところが、当時のベトナム軍には銃弾は貴重なもので、無駄には撃てない。なので、普通の銃のように「一発ずつ単発で撃つ」ということが求められて、そして、当然、「一発ずつ撃って相手に当てるには高い技術」が必要です。それにはある程度の体格と腕力と、そして射撃力が求められる・・・と考えるのが普通です。
ところが、フルメタル・ジャケットに出てくる少女は、日本でいえば中学生くらいの体重でいえば30キロ代くらいの細い女の子で、その子がほぼノーミスで米兵を次々と倒していく。
「過去記事(この記事の中の張桃芳とシモ・ヘイヘというセクション)」のフィンランドの伝説の射撃手であるシモ・ヘイヘみたいな超人ならともかく、「腕力のない普通の少女」が次々と相手を遠距離から単発射撃で撃つことは大変に難しい(シモ・ヘイヘも極めて背の低い人でしたが)。
しかし、映画では、
・そういう状況での狙撃はどうしたらいいのだろう。
ということが完全に再現されていたのです。
つまり、専門家が見ても、「これならできる」と太鼓判を押した架空の世界が再現されています。
多分、そういう状況(子どもの狙撃兵が単発射撃で正確に相手に当てていく)は、誰も経験したことがないし、方法論もなかったと思います。もちろん、「ひとりずつおびき出して撃つ」というのは、第一次世界大戦から現在まで続く、どんな戦場にでもある普通の戦闘スタイルですが、「中学生くらいの少女」というところがポイント。
いつだったか忘れましたが、米国の射撃協会だったか研究会だったか、どこだかの団体が、「歴代の映画の中で最もリアルな射撃シーン」というのを選んだことがあって、その第1位に選ばれたのが、この「フルメタル・ジャケット」でベトナム人のスナイパー少女を演じた女の子の射撃でした。女優さんの名前は知りません。
▲ 映画「フルメタル・ジャケット」より。左に見えるのが銃を構えるベトナム人少女スナイパーの手と銃。これは、廃墟の適度の高さの窓枠を用いた方法と左手での自動小銃の押さえ方で、銃の揺れを最大限まで抑制し、「射撃のミスを少なくするため」の最善の方法のようです。
専門家によれば、この少女の演技の自動小銃の持ち方、構え方、狙い方、すべてが「この状況の中では驚くほど完ぺき」だったとのことです。つまり、おかしな話、アメリカでおびただしく作られた「戦争映画」の中で、「最もきちんと兵士の姿を再現した」のは、たくましきハリウッド役者ではなく、ベトナム人役の少女だったということになります。
▲ 主人公の米兵に発見された瞬間のスナイパーの少女。でも、対面では適うわけもなく、主人公に拳銃で射殺される。
そして、この「架空ともいえる光景」を作り出したのは、スタンリー・キューブリックと彼の軍事指導スタッフだったわけで、すべては「実際には経験したことのないことを再現した」という意味では、2001年宇宙の旅の月面の光景と同じでした。
そんなわけで、もし仮に、ホントーにもし仮に、キューブリックが「月面着陸の映像を作ってくれ」と米国政府から頼まれたとしたら、それをできる想像力と検証力がキューブリックにはあったと思いますけれど、でもそんなことがあったとしても、それは「バイト感覚」でやったんじゃないでしょうかねえ。
1960年代の独立系の映画監督はお金がいつも必要だったはずなんですよ。
どんなに有名に見えても。
このサイトで映画の話が出るのは珍しいと思うが、この記事の後半、「フルメタル・ジャケット」(完全徹甲弾とでも訳すか。)の話は素晴らしく面白い。
(以下引用)
でも、今回の記事の話はわかりやすい話です。
アポロ11号の月面着陸の話です。
ちなみに、私は「アポロは月には行っていない」というような、いわゆるアポロ陰謀論とかに関しては「どちらでもいい」という人ですので、そういう話とは違う単純に「面白い話」です。
過去記事でも月面着陸に関しては何度かふれたことがあります。
2年くらい前には、
・キューブリックの亡霊: 2001年宇宙の旅とアポロ11号の月面着陸
2010年12月05日
という記事で、2002年にいわゆる「アポロ計画陰謀論」の先駆けとなったフランスのテレビ番組のことをご紹介したことがあります。
内容は記事を読んでいただくとおわかりかと思いますが、そのフランスのテレビ番組の中では、映画監督のスタンリー・キューブリックの 1968年の映画『2001年 宇宙の旅』についてふれられています。
この映画は、アポロ8号が初めて月の裏側を回って写真を撮影する前に作られた映画で、つまり、「まだ人類が誰も月から見た地球の光景を知らなかった時」の映画でした。まして、アポロ11号が実際に月面に着陸して、月の上の様子が実際にわかったのは映画の翌年の1969年でした。
その「誰もまだ月から地球を見たことがない時」に映画で描かれたその様子が下のシーンでした。
その後、アポロ8号が撮影した月面から入りこんだ地球の光景の写真は、まさに上の映画のシーンとそっくりだったのです。
しかし、それが、どうして「陰謀論」と結びつくのか私には不思議でした。
私はこれは人間の想像力とむしろ関係あると考えます。
スタンリー・キューブリックの想像力と科学検証ワークなら、この程度のことは十分になし得るだろうことは、他のキューブリックの映画を見ていればわかります。
たとえば、同じキューブリック監督の戦争映画「フルメタル・ジャケット」では、月面の様子どころではない「想像力の結実」が見られます。
架空の完全スナイパーを作り出した想像力
1980年代の映画「フルメタル・ジャケット」のラストのほうでは「ベトナム人少女のスナイパー」が出てきます。彼女は廃墟の物陰から米兵をひとりずつおびき出して正確に射殺していき、主人公の所属する小隊を混乱と恐怖に陥れます。
つまり、この映画の山場の戦闘シーンは「米兵の小隊の十数人 vs ひとりの女の子」という戦いなのでした。普通はこんな戦いはリアリティを持って描くことは難しいです。
しかし、その M16自動小銃を構えて米兵のボディを丁寧に撃ち抜いていくベトナム人少女の姿に、当時の銃器の専門家たちは驚嘆したものです。
「なるほど! こうやればいいのか」と。
当時は(基本的には今でも)実際の戦場で重い自動小銃を携行して撃つのは「男性の軍人」でした。しかも、米軍の彼らは、自動小銃を「オート」(連射のような感じ)でババババッと撃つので、あまり狙う必要がないんです。しかも、体格もあり、腕力もあるので、銃の扱いも簡単です。
ところが、当時のベトナム軍には銃弾は貴重なもので、無駄には撃てない。なので、普通の銃のように「一発ずつ単発で撃つ」ということが求められて、そして、当然、「一発ずつ撃って相手に当てるには高い技術」が必要です。それにはある程度の体格と腕力と、そして射撃力が求められる・・・と考えるのが普通です。
ところが、フルメタル・ジャケットに出てくる少女は、日本でいえば中学生くらいの体重でいえば30キロ代くらいの細い女の子で、その子がほぼノーミスで米兵を次々と倒していく。
「過去記事(この記事の中の張桃芳とシモ・ヘイヘというセクション)」のフィンランドの伝説の射撃手であるシモ・ヘイヘみたいな超人ならともかく、「腕力のない普通の少女」が次々と相手を遠距離から単発射撃で撃つことは大変に難しい(シモ・ヘイヘも極めて背の低い人でしたが)。
しかし、映画では、
・そういう状況での狙撃はどうしたらいいのだろう。
ということが完全に再現されていたのです。
つまり、専門家が見ても、「これならできる」と太鼓判を押した架空の世界が再現されています。
多分、そういう状況(子どもの狙撃兵が単発射撃で正確に相手に当てていく)は、誰も経験したことがないし、方法論もなかったと思います。もちろん、「ひとりずつおびき出して撃つ」というのは、第一次世界大戦から現在まで続く、どんな戦場にでもある普通の戦闘スタイルですが、「中学生くらいの少女」というところがポイント。
いつだったか忘れましたが、米国の射撃協会だったか研究会だったか、どこだかの団体が、「歴代の映画の中で最もリアルな射撃シーン」というのを選んだことがあって、その第1位に選ばれたのが、この「フルメタル・ジャケット」でベトナム人のスナイパー少女を演じた女の子の射撃でした。女優さんの名前は知りません。
▲ 映画「フルメタル・ジャケット」より。左に見えるのが銃を構えるベトナム人少女スナイパーの手と銃。これは、廃墟の適度の高さの窓枠を用いた方法と左手での自動小銃の押さえ方で、銃の揺れを最大限まで抑制し、「射撃のミスを少なくするため」の最善の方法のようです。
専門家によれば、この少女の演技の自動小銃の持ち方、構え方、狙い方、すべてが「この状況の中では驚くほど完ぺき」だったとのことです。つまり、おかしな話、アメリカでおびただしく作られた「戦争映画」の中で、「最もきちんと兵士の姿を再現した」のは、たくましきハリウッド役者ではなく、ベトナム人役の少女だったということになります。
▲ 主人公の米兵に発見された瞬間のスナイパーの少女。でも、対面では適うわけもなく、主人公に拳銃で射殺される。
そして、この「架空ともいえる光景」を作り出したのは、スタンリー・キューブリックと彼の軍事指導スタッフだったわけで、すべては「実際には経験したことのないことを再現した」という意味では、2001年宇宙の旅の月面の光景と同じでした。
そんなわけで、もし仮に、ホントーにもし仮に、キューブリックが「月面着陸の映像を作ってくれ」と米国政府から頼まれたとしたら、それをできる想像力と検証力がキューブリックにはあったと思いますけれど、でもそんなことがあったとしても、それは「バイト感覚」でやったんじゃないでしょうかねえ。
1960年代の独立系の映画監督はお金がいつも必要だったはずなんですよ。
どんなに有名に見えても。
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