ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「映画のブログ」という、味も素っ気もないタイトルのブログだが、ゲームに対する造詣と愛情が深い筆者だと思われる。前にも「ドラゴンクエストユアストーリー」批判の文章で引用したかもしれない。
私は「光のお父さん」は、映画は見ていないがテレビ版で一話だけ見た。悪くないと思ったが、続けて見ようとまでは思わなかったのは、一番地味なあたりだったからだろう。今後、ネット配信で見る機会があれば見てみたい。
(以下引用)
なぜなら、映画よりもゲームのほうがずっと面白く、強烈な体験だからだ。
アクションゲームやアドベンチャーゲームに比べれば、映画のほうが物語性の豊かさや、人情の機微の描き方において勝り、ゲームファンをも楽しませる作品になるかもしれない。
けれどもロールプレイングゲーム(RPG)が相手ともなると、映画が優位に立つのは難しそうだ。なにしろ、映画というメディアは劇中人物の行動を傍観することを基本としており、受け手は観客の立場に留まり続けるのに対し、ゲームは受け手がみずから考え、行動するものだから、(他者が作ったシナリオをなぞりながらも)当事者として幾多の試練を経験できるのだ。他人の行動を傍から見ているよりも、みずから行動し経験するほうが緊張も感動も大きいのは間違いなかろう。
だから、ゲームを扱った映画を観ていても、私なんぞは映画を楽しむより先にゲームをやりたくなることがしばしばだ。気もそぞろというか、ロールプレイングゲームを行わずにロールプレイングゲームっぽい映画を観ているこの時間は何なのだろうと思ってしまう。
和製ロールプレイングゲームの代表格であるドラゴンクエストシリーズを作った 氏は、シリーズ作品が立て続けに発売された1980年代を振り返り、「当時、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(1988年)を映画化しようという話があったのですが、お断りしたんです。ゲームは体験してこそ面白さがわかるもの。それを映画にして客観的に観ても、面白くないでしょう? と」と語っている。
映画監督の山崎貴氏も「ゲームと映画は相性が良くない」とゲームの映画化は断ったという。「ゲームは人によっては何十時間もやるメディアですから感情移入の幅が半端ない。それを映画という技法で対抗するのは難しいなと」「ゲームは体感時間が長くてインタラクティブだけど、映画は一方通行だし尺が限られている。ゲームの映画化でうまくいった試しがないでしょう、と言いました」[*1][*2]
ポール・W・S・アンダーソン監督の『バイオハザード』(2002年)などなかなかの成功作だと思うから、「ゲームの映画化でうまくいった試しがない」とまでは云えないかもしれないが、誰もが同じように考えているのは確かだろう。
ところが、『 』はロールプレイングゲームを題材にして、ずっとゲームの話ばかりしている映画なのに、その素晴らしさは圧倒的だ。映画を観ている114分のあいだ、私は笑いをこらえきれなかったり、滂沱の涙を流したりした。本作は思ってもみないほどの感動大作だった。
劇中で何度も言及される「 」がキーワードであろう。シズル感とは、食べ物の映像が映れば食べたくなり、飲み物が映れば飲みたくなるような、五感に訴えかける感じのことである。
広告代理店に勤める主人公は、クライアントから「もっと広告にシズル感を」と何度も求められる。仮想現実の世界を描いた『 』(2018年)で、スティーヴン・スピルバーグ監督は美味い食事にありつけるのは現実の世界だけだと主張した。そう、ゲーム内の仮想世界にはシズル感がないのだ。
『劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』が巧いのは、現実世界のドラマが、ゲームの世界にないものの補完になっていることだ。
現実の職業人生、家族との軋轢や悲しみ、異性との素敵な出会い、そういった諸々が、まず等身大のドラマとして観客を映画に引き込む。
そこへきて、映画の山場は異世界エオルゼアでのモンスターとの戦いだ。これまで中高年の男性を描いた邦画の山場といえば、 とか 等が描かれたものだった。しかし本作では、人間を含む様々な種族の仲間たちと協力しての、武術や魔法を駆使した壮絶な戦いが繰り広げられる。こんなにスケールの大きなクライマックスを迎える実写日本映画にはなかなかお目にかかれない。現実世界のドラマに没入したその先にとてつもないクライマックスが待っているから、観客の感情は尋常ではない激しさで揺れ動く。
異世界エオルゼアでの物語に軸足を置いてみれば、ゲームの世界観を理解し、感情移入するプロセスを、現実世界での退職したお父さんと息子のエピソードに置き換えることでショートカットした映画ともいえる。
何十時間もインタラクティブなプレイを行うことでようやくゲームに感情移入できるところを、誰もがとっつきやすく理解しやすい親子の関係や職場での出来事に代替させることで、たった114分のあいだに観客を決戦に向かう仲間たちに感情移入させる。敵を倒した感動を分かち合える状態に持っていく。
長時間プレイして得られる喜びを、観客も疑似体験することができるのだ。
しかも、舞台となるエオルゼアは、一般的な邦画の制作費と製作期間をはるかに上回るコストを投じて開発されたファイナルファンタジーXIVの世界。緻密に作り込まれた仮想世界の美しさ、雄大さといったらない。映画のために一から作ったのでは、こうはいくまい。
面白いのは、映画用に作られたCGIではなく、ゲームの運営元であるスクエア・エニックスが提供したサーバー上に名プレイヤーが集結し、腕を振るってキャラクターを動かすことでエオルゼアでのドラマが進行していることだ。
スポーツを観戦するように、名プレイヤーのゲーム実況を見て楽しむことが普及した昨今、ファイナルファンタジーXIVに精通したプレイヤーたちの妙技を見るのも楽しかろう。野球映画に例えれば、映画のために本物の一流野球選手に集まってもらい、公式戦とは別に試合を開催して、それを劇中のドラマとして上映するようなものだ。
しかもしかも、誰もが本名や素顔を明かすことなく知り合えるオンラインゲームのマスカレード的な面白ささえも、本作は取り込んでいる。
ゲームの世界で、息子であることを隠しながらお父さんに接していることは、主人公と観客が共有する秘密だ。どのタイミングで、どうやってお父さんに秘密を明かすのか。真実を知ったお父さんはどんな反応をするのか。観客の興味は尽きない。
正体を知ったらさぞや驚くだろうという期待は、しょぼくれた隠居爺さんが実は先の副将軍であるという水戸黄門や、見ず知らずの大富豪モンテ・クリスト伯が実は旧知の船乗りエドモン・ダンテスであるというような楽しさをもたらし、この上なくワクワクさせてくれる。
そして、現実世界での家族の心配のピークと、異世界エオルゼアでの決戦と、主人公が正体を明かす瞬間のすべてが一点に集約して、映画は最高のクライマックスを迎える。なんという構成の妙だ。うまい、うますぎる。[*3]
『レディ・プレイヤー1』は、ゲーム内の世界を魅力たっぷりに描きながらも、真の人生は現実世界にこそあると説いた。
本作は、ゲームもまた人生の一部なのだと訴える。本作の主人公のモデルであり、本作のキャラクターの操作も担当した 氏は、次のように述べている。
---
なので知ってほしいのです。僕らがモニターに映る「何を見ているのか」、一生懸命「何をしているのか」。この映画に出てくるモニターの向こう側の世界は、僕の実際の体験に基づくオンラインゲームのとても「リアル」な世界であり、「真実の姿」です。
それはずっとすれ違ってきた親子の仲を修復する事ができましたし、映画になるほどおもしろい物語でもあるのです。そんな力がオンラインゲームにはあるのだという事を多くの人に知ってほしい。
---
面と向かっては話しにくい相手でもゲームの中なら対話できる。遠く離れた相手でも、ゲームの中なら一緒にいられる。
電話やチャットで連絡するのとはまた違う。仮想世界とはいえ、同じ場所に集い、一緒に冒険して苦楽を共にできるのだ。
その楽しさ素晴らしさを、本作はたっぷり味わわせてくれる。
[*1]
[*2]
[*3] 映画『翔んで埼玉』で知った方も多いだろう。埼玉銘菓 の惹句。
『 』 [か行]
監督/野口照夫、山本清史(エオルゼアパート)
脚本/吹原幸太
出演/坂口健太郎 吉田鋼太郎 佐久間由衣 山本舞香 佐藤隆太 財前直見 南條愛乃 寿美菜子 悠木碧
日本公開/2019年6月21日
ジャンル/[ドラマ]
ゲームを原作とする映画や、ゲームを扱った映画は少なくない。それらの中には面白い映画、優れた映画もあるのだが、総じて私はゲームを扱ったり原作にすることに肯定的になれなかった。
私は「光のお父さん」は、映画は見ていないがテレビ版で一話だけ見た。悪くないと思ったが、続けて見ようとまでは思わなかったのは、一番地味なあたりだったからだろう。今後、ネット配信で見る機会があれば見てみたい。
(以下引用)
『劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』 退職したらゲームをしよう
なぜなら、映画よりもゲームのほうがずっと面白く、強烈な体験だからだ。
アクションゲームやアドベンチャーゲームに比べれば、映画のほうが物語性の豊かさや、人情の機微の描き方において勝り、ゲームファンをも楽しませる作品になるかもしれない。
けれどもロールプレイングゲーム(RPG)が相手ともなると、映画が優位に立つのは難しそうだ。なにしろ、映画というメディアは劇中人物の行動を傍観することを基本としており、受け手は観客の立場に留まり続けるのに対し、ゲームは受け手がみずから考え、行動するものだから、(他者が作ったシナリオをなぞりながらも)当事者として幾多の試練を経験できるのだ。他人の行動を傍から見ているよりも、みずから行動し経験するほうが緊張も感動も大きいのは間違いなかろう。
だから、ゲームを扱った映画を観ていても、私なんぞは映画を楽しむより先にゲームをやりたくなることがしばしばだ。気もそぞろというか、ロールプレイングゲームを行わずにロールプレイングゲームっぽい映画を観ているこの時間は何なのだろうと思ってしまう。
和製ロールプレイングゲームの代表格であるドラゴンクエストシリーズを作った 氏は、シリーズ作品が立て続けに発売された1980年代を振り返り、「当時、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(1988年)を映画化しようという話があったのですが、お断りしたんです。ゲームは体験してこそ面白さがわかるもの。それを映画にして客観的に観ても、面白くないでしょう? と」と語っている。
映画監督の山崎貴氏も「ゲームと映画は相性が良くない」とゲームの映画化は断ったという。「ゲームは人によっては何十時間もやるメディアですから感情移入の幅が半端ない。それを映画という技法で対抗するのは難しいなと」「ゲームは体感時間が長くてインタラクティブだけど、映画は一方通行だし尺が限られている。ゲームの映画化でうまくいった試しがないでしょう、と言いました」[*1][*2]
ポール・W・S・アンダーソン監督の『バイオハザード』(2002年)などなかなかの成功作だと思うから、「ゲームの映画化でうまくいった試しがない」とまでは云えないかもしれないが、誰もが同じように考えているのは確かだろう。
ところが、『 』はロールプレイングゲームを題材にして、ずっとゲームの話ばかりしている映画なのに、その素晴らしさは圧倒的だ。映画を観ている114分のあいだ、私は笑いをこらえきれなかったり、滂沱の涙を流したりした。本作は思ってもみないほどの感動大作だった。
劇中で何度も言及される「 」がキーワードであろう。シズル感とは、食べ物の映像が映れば食べたくなり、飲み物が映れば飲みたくなるような、五感に訴えかける感じのことである。
広告代理店に勤める主人公は、クライアントから「もっと広告にシズル感を」と何度も求められる。仮想現実の世界を描いた『 』(2018年)で、スティーヴン・スピルバーグ監督は美味い食事にありつけるのは現実の世界だけだと主張した。そう、ゲーム内の仮想世界にはシズル感がないのだ。
『劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』が巧いのは、現実世界のドラマが、ゲームの世界にないものの補完になっていることだ。
現実の職業人生、家族との軋轢や悲しみ、異性との素敵な出会い、そういった諸々が、まず等身大のドラマとして観客を映画に引き込む。
そこへきて、映画の山場は異世界エオルゼアでのモンスターとの戦いだ。これまで中高年の男性を描いた邦画の山場といえば、 とか 等が描かれたものだった。しかし本作では、人間を含む様々な種族の仲間たちと協力しての、武術や魔法を駆使した壮絶な戦いが繰り広げられる。こんなにスケールの大きなクライマックスを迎える実写日本映画にはなかなかお目にかかれない。現実世界のドラマに没入したその先にとてつもないクライマックスが待っているから、観客の感情は尋常ではない激しさで揺れ動く。
異世界エオルゼアでの物語に軸足を置いてみれば、ゲームの世界観を理解し、感情移入するプロセスを、現実世界での退職したお父さんと息子のエピソードに置き換えることでショートカットした映画ともいえる。
何十時間もインタラクティブなプレイを行うことでようやくゲームに感情移入できるところを、誰もがとっつきやすく理解しやすい親子の関係や職場での出来事に代替させることで、たった114分のあいだに観客を決戦に向かう仲間たちに感情移入させる。敵を倒した感動を分かち合える状態に持っていく。
長時間プレイして得られる喜びを、観客も疑似体験することができるのだ。
しかも、舞台となるエオルゼアは、一般的な邦画の制作費と製作期間をはるかに上回るコストを投じて開発されたファイナルファンタジーXIVの世界。緻密に作り込まれた仮想世界の美しさ、雄大さといったらない。映画のために一から作ったのでは、こうはいくまい。
面白いのは、映画用に作られたCGIではなく、ゲームの運営元であるスクエア・エニックスが提供したサーバー上に名プレイヤーが集結し、腕を振るってキャラクターを動かすことでエオルゼアでのドラマが進行していることだ。
スポーツを観戦するように、名プレイヤーのゲーム実況を見て楽しむことが普及した昨今、ファイナルファンタジーXIVに精通したプレイヤーたちの妙技を見るのも楽しかろう。野球映画に例えれば、映画のために本物の一流野球選手に集まってもらい、公式戦とは別に試合を開催して、それを劇中のドラマとして上映するようなものだ。
しかもしかも、誰もが本名や素顔を明かすことなく知り合えるオンラインゲームのマスカレード的な面白ささえも、本作は取り込んでいる。
ゲームの世界で、息子であることを隠しながらお父さんに接していることは、主人公と観客が共有する秘密だ。どのタイミングで、どうやってお父さんに秘密を明かすのか。真実を知ったお父さんはどんな反応をするのか。観客の興味は尽きない。
正体を知ったらさぞや驚くだろうという期待は、しょぼくれた隠居爺さんが実は先の副将軍であるという水戸黄門や、見ず知らずの大富豪モンテ・クリスト伯が実は旧知の船乗りエドモン・ダンテスであるというような楽しさをもたらし、この上なくワクワクさせてくれる。
そして、現実世界での家族の心配のピークと、異世界エオルゼアでの決戦と、主人公が正体を明かす瞬間のすべてが一点に集約して、映画は最高のクライマックスを迎える。なんという構成の妙だ。うまい、うますぎる。[*3]
『レディ・プレイヤー1』は、ゲーム内の世界を魅力たっぷりに描きながらも、真の人生は現実世界にこそあると説いた。
本作は、ゲームもまた人生の一部なのだと訴える。本作の主人公のモデルであり、本作のキャラクターの操作も担当した 氏は、次のように述べている。
---
なので知ってほしいのです。僕らがモニターに映る「何を見ているのか」、一生懸命「何をしているのか」。この映画に出てくるモニターの向こう側の世界は、僕の実際の体験に基づくオンラインゲームのとても「リアル」な世界であり、「真実の姿」です。
それはずっとすれ違ってきた親子の仲を修復する事ができましたし、映画になるほどおもしろい物語でもあるのです。そんな力がオンラインゲームにはあるのだという事を多くの人に知ってほしい。
---
面と向かっては話しにくい相手でもゲームの中なら対話できる。遠く離れた相手でも、ゲームの中なら一緒にいられる。
電話やチャットで連絡するのとはまた違う。仮想世界とはいえ、同じ場所に集い、一緒に冒険して苦楽を共にできるのだ。
その楽しさ素晴らしさを、本作はたっぷり味わわせてくれる。
[*1]
[*2]
[*3] 映画『翔んで埼玉』で知った方も多いだろう。埼玉銘菓 の惹句。
『 』 [か行]
監督/野口照夫、山本清史(エオルゼアパート)
脚本/吹原幸太
出演/坂口健太郎 吉田鋼太郎 佐久間由衣 山本舞香 佐藤隆太 財前直見 南條愛乃 寿美菜子 悠木碧
日本公開/2019年6月21日
ジャンル/[ドラマ]
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