ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
最新記事
(11/23)
(11/23)
(11/23)
(11/22)
(11/22)
(11/21)
(11/21)
(11/21)
(11/20)
(11/20)
最新TB
プロフィール
HN:
o-zone
性別:
非公開
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
P R
カウンター
頭のいい人間は感情よりも理性を優先させるから、こういう災害時には受けが悪い。同情で本能的に動く人間をマスコミなども好意的に取り上げ、その行動が本当に有意義かどうかは問わない。
以下の文章は精神科医、というよりは受験指南者として有名な和田秀樹のブログ記事だが、阪神大震災でのボランティアが被災地の住民には不評判だったということ、本当に大事なのは事件が一段落ついて、人々の関心が薄れた後だという指摘は非常に鋭い。
(以下引用)
昨日のブログに対して、さっそくのお叱りのメッセージを受けた
今回は大変な大災害で誰かを責めたりしてるより、
何か一つでも被災地の方のためになることができないか、また
被災地以外の人たちに協力でいるころはないか、について
精神面からも含めて論じて欲しかったです。
エンジン01の活動も素晴らしいと思ってますが、そのお仲間の茂木さんは
英語でのつぶやきで情報を送り続けていますし、勝間さんは現地に向かわれるとのことです。
影響力のある和田先生にも、ぜひ、こういったパニック状態の時の心の持ち方等、
お伝えいただきたいです。
(以上、引用)
まったくその通りである
例の勝谷氏も、被災者のためにできることは何でもやろうと呼びかけている。
ただ、私が1995年の阪神淡路大震災の際に心のケアのボランティアをやったときの話を書いておきたい。
もともと神戸に母校があったこともあって何かやりたいと思っていたのだが、当時、亡くなった土居健郎先生のところに精神分析に通っていて、その土居先生が神戸大学の当時の精神科の教授の中井久夫先生と親しくしていたことがあって、まず中井先生のところに訪ねるようにサジェスチョンと受けた。
結果的に中井先生の紹介で、神戸のとあるクリニックで、1年間にわたって週に1回ボランティアで(患者負担は無料ということで、そのクリニックもタダで診察室を貸してくれたことになる)グループ治療を行うことになった。
中井先生を訪ねたのは、被災してから1週間目かそこらだったが、全国からさまざまな形でボランティアがきていたようだが、地元の人たちは、必ずしも快く思っていなかったようだ。
いちばんむかついていたのは写真を撮ることのようで、「見世物じゃない」という張り紙がいっぱいしてあった。
確かにバブル崩壊後で景気もよくなかったが、もともとお金がないわけでない人たちには、ほどこしのように思われるものについても、不快なものがあったようだ。
もちろん、身内を急に失ったり、家を失ったりして、抑うつ的になる人もいた。神戸大をはじめとする地元の精神科はよくフォローしていた。
水がないとかいうことははっきりしていたし、救援物資はありがたいだろうが、それ以外の善意のおしつけのようなことを、少なくともプロでもない人間がするのはどうかと思った。たとえば、救助などはプロに任せたほうが安全だし、技術レベルも高い。
もちろん、私もワイフに叱られたこともあって、節電などには努めている。困っているときに少しずつ分かち合うというのは重要なことだろう。
ただ、私が言いたいのは、日本人というのは、地震が起きた当初は大騒ぎをするが、本当に復興が必要になったり、心のケアが必要になったころには、もう忘れているということだ。
阪神淡路大震災は、忘れもしない95年1月17日の出来事だが、その2ヵ月後の3月20日に地下鉄サリン事件が起こる。
それまでは、東京のメディアでも様々な形で地震にまつわる報道が続いていたが、それで、ぱったりとオウムの問題しか報じなくなってしまった。
PTSDというのは、定義上、外相的事件がおこって1カ月以上たたないと診断されない。
心のケアが本当に必要かどうかがはっきりしてくるのは、1、2か月経ってからの話になることが多い。
また、これまでは同情一色だったメディアも、今後、どう復興していくのか、あるいは震災からの教訓をこれからの防災にどう活かしていくのかなどをやっと報じる準備が整って(サリン事件後の関西ローカルの番組では、それをきちんと論じたものだ)、これからというときに、別の大きな事件が起こるとそれしか報じないのが東京のメディアだった。
当時、神戸に毎週通い続けていた私は、それに対する地元の失望、関西のマスコミの人たちの失望をよく覚えている。
起きたばかりのときは、私のような人間が不謹慎に映るのだろうし、被災者の側はある種のパニックに陥るだろうし、そうでない人は同情モード一色になるのだろう。
でも、肝心なのはおきてから何ヶ月かしてからだ。
お金の問題、一人暮らしの問題、メンタルケアの問題。とくに95年当時と比べ物にならないくらい病院が、高齢者に対してでも長期入院を許してくれなくなっているなどという厚生行政の問題もある。
復興費用だって兆単位で必要だろう。
赤字国債でそれを行うのか、時限立法で消費税をたとえば1%増税するのか?
被災者のためにできることといえば、数多くの人が腹をいためることになるが、のど元過ぎればで、おそらくそんなにすんなりとコンセンサスは得られないだろう。(それにしても須藤正彦という最高裁の裁判長が法の網をくぐって脱税をしたとしか思えない武富士の息子に2000億円も国に返せという判決を出さなければ、そのお金がある程度は、この被害者を救う原資になっていたのに残念でならない。須藤氏は国民審査はやはり通るのだろうか?少なくとも2審では国税の言い分を認めていたのだから、法律家どうしで判断の分かれる事案で、法の網をくぐれば脱税をしてもいいという判決をだすのが須藤氏の法感覚である。そういう感覚の持ち主のほうが裁判官をやめてからも弁護士として成功するのだろうが)
大きなお世話だが、民主党が事業仕分けで、「災害対策予備費」、「学校耐震化予算」、「地震再保険特別会計」を削ったことが今頃問題視されている。ここで削った金は4000億円。この半分の金が須藤という裁判官の判断で大金持ちの法の網をみつけて、それを2審が許さなかった男の懐に国庫から行く。二つの裁判で判決が分かれているということは、法の判断なのである(そして最高裁が判例を出すと、今後も、この手の悪質男を許せというシグナルをすべての裁判所に出すことになる。須藤氏の判断のおかげでどれだけ納税モラルが崩れ、どれだけの金を国が損するかわからない)。一般人の感覚を裁判に反映させるということで、裁判員制度は最高裁判所の名前でPRしていた。裁判員が必要なのは、この手の事件のほうなのではないか?
アメリカ型の巨額裁判が今後増えていく可能性だってある。最高裁の国民審査の制度をきちんと使わないと、国の金が細り、最終的に被害を受けるのは、たとえばこの手の災害があったときなのだ。
今だけいい人になるのも、まったくいい人にならないよりはずっといいだろう。
しかし、もっと大切なのは、それからある程度時間が経ってからだということは知ってほしい。あるいは、須藤氏がかかる国民審査のときにも思えていてほしい。
以下の文章は精神科医、というよりは受験指南者として有名な和田秀樹のブログ記事だが、阪神大震災でのボランティアが被災地の住民には不評判だったということ、本当に大事なのは事件が一段落ついて、人々の関心が薄れた後だという指摘は非常に鋭い。
(以下引用)
昨日のブログに対して、さっそくのお叱りのメッセージを受けた
今回は大変な大災害で誰かを責めたりしてるより、
何か一つでも被災地の方のためになることができないか、また
被災地以外の人たちに協力でいるころはないか、について
精神面からも含めて論じて欲しかったです。
エンジン01の活動も素晴らしいと思ってますが、そのお仲間の茂木さんは
英語でのつぶやきで情報を送り続けていますし、勝間さんは現地に向かわれるとのことです。
影響力のある和田先生にも、ぜひ、こういったパニック状態の時の心の持ち方等、
お伝えいただきたいです。
(以上、引用)
まったくその通りである
例の勝谷氏も、被災者のためにできることは何でもやろうと呼びかけている。
ただ、私が1995年の阪神淡路大震災の際に心のケアのボランティアをやったときの話を書いておきたい。
もともと神戸に母校があったこともあって何かやりたいと思っていたのだが、当時、亡くなった土居健郎先生のところに精神分析に通っていて、その土居先生が神戸大学の当時の精神科の教授の中井久夫先生と親しくしていたことがあって、まず中井先生のところに訪ねるようにサジェスチョンと受けた。
結果的に中井先生の紹介で、神戸のとあるクリニックで、1年間にわたって週に1回ボランティアで(患者負担は無料ということで、そのクリニックもタダで診察室を貸してくれたことになる)グループ治療を行うことになった。
中井先生を訪ねたのは、被災してから1週間目かそこらだったが、全国からさまざまな形でボランティアがきていたようだが、地元の人たちは、必ずしも快く思っていなかったようだ。
いちばんむかついていたのは写真を撮ることのようで、「見世物じゃない」という張り紙がいっぱいしてあった。
確かにバブル崩壊後で景気もよくなかったが、もともとお金がないわけでない人たちには、ほどこしのように思われるものについても、不快なものがあったようだ。
もちろん、身内を急に失ったり、家を失ったりして、抑うつ的になる人もいた。神戸大をはじめとする地元の精神科はよくフォローしていた。
水がないとかいうことははっきりしていたし、救援物資はありがたいだろうが、それ以外の善意のおしつけのようなことを、少なくともプロでもない人間がするのはどうかと思った。たとえば、救助などはプロに任せたほうが安全だし、技術レベルも高い。
もちろん、私もワイフに叱られたこともあって、節電などには努めている。困っているときに少しずつ分かち合うというのは重要なことだろう。
ただ、私が言いたいのは、日本人というのは、地震が起きた当初は大騒ぎをするが、本当に復興が必要になったり、心のケアが必要になったころには、もう忘れているということだ。
阪神淡路大震災は、忘れもしない95年1月17日の出来事だが、その2ヵ月後の3月20日に地下鉄サリン事件が起こる。
それまでは、東京のメディアでも様々な形で地震にまつわる報道が続いていたが、それで、ぱったりとオウムの問題しか報じなくなってしまった。
PTSDというのは、定義上、外相的事件がおこって1カ月以上たたないと診断されない。
心のケアが本当に必要かどうかがはっきりしてくるのは、1、2か月経ってからの話になることが多い。
また、これまでは同情一色だったメディアも、今後、どう復興していくのか、あるいは震災からの教訓をこれからの防災にどう活かしていくのかなどをやっと報じる準備が整って(サリン事件後の関西ローカルの番組では、それをきちんと論じたものだ)、これからというときに、別の大きな事件が起こるとそれしか報じないのが東京のメディアだった。
当時、神戸に毎週通い続けていた私は、それに対する地元の失望、関西のマスコミの人たちの失望をよく覚えている。
起きたばかりのときは、私のような人間が不謹慎に映るのだろうし、被災者の側はある種のパニックに陥るだろうし、そうでない人は同情モード一色になるのだろう。
でも、肝心なのはおきてから何ヶ月かしてからだ。
お金の問題、一人暮らしの問題、メンタルケアの問題。とくに95年当時と比べ物にならないくらい病院が、高齢者に対してでも長期入院を許してくれなくなっているなどという厚生行政の問題もある。
復興費用だって兆単位で必要だろう。
赤字国債でそれを行うのか、時限立法で消費税をたとえば1%増税するのか?
被災者のためにできることといえば、数多くの人が腹をいためることになるが、のど元過ぎればで、おそらくそんなにすんなりとコンセンサスは得られないだろう。(それにしても須藤正彦という最高裁の裁判長が法の網をくぐって脱税をしたとしか思えない武富士の息子に2000億円も国に返せという判決を出さなければ、そのお金がある程度は、この被害者を救う原資になっていたのに残念でならない。須藤氏は国民審査はやはり通るのだろうか?少なくとも2審では国税の言い分を認めていたのだから、法律家どうしで判断の分かれる事案で、法の網をくぐれば脱税をしてもいいという判決をだすのが須藤氏の法感覚である。そういう感覚の持ち主のほうが裁判官をやめてからも弁護士として成功するのだろうが)
大きなお世話だが、民主党が事業仕分けで、「災害対策予備費」、「学校耐震化予算」、「地震再保険特別会計」を削ったことが今頃問題視されている。ここで削った金は4000億円。この半分の金が須藤という裁判官の判断で大金持ちの法の網をみつけて、それを2審が許さなかった男の懐に国庫から行く。二つの裁判で判決が分かれているということは、法の判断なのである(そして最高裁が判例を出すと、今後も、この手の悪質男を許せというシグナルをすべての裁判所に出すことになる。須藤氏の判断のおかげでどれだけ納税モラルが崩れ、どれだけの金を国が損するかわからない)。一般人の感覚を裁判に反映させるということで、裁判員制度は最高裁判所の名前でPRしていた。裁判員が必要なのは、この手の事件のほうなのではないか?
アメリカ型の巨額裁判が今後増えていく可能性だってある。最高裁の国民審査の制度をきちんと使わないと、国の金が細り、最終的に被害を受けるのは、たとえばこの手の災害があったときなのだ。
今だけいい人になるのも、まったくいい人にならないよりはずっといいだろう。
しかし、もっと大切なのは、それからある程度時間が経ってからだということは知ってほしい。あるいは、須藤氏がかかる国民審査のときにも思えていてほしい。
PR
この記事にコメントする