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アンファニズム
ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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マルキシズムという「空想的社会主義」
単なるメモであり、議論が煩瑣で真面目に読む気が起こらないが、マルキシズムは「空想的社会主義」である、という立論は珍しく、私と同意見なので、メモした。ただし、私は社会主義者であり、資本主義(実は「経済的自由主義」で、現在はそれが「新自由主義」という地獄になっている。)の害悪を是正するのは「マルキシズム以外の社会主義」である、と思っている。それは、現在のイギリス労働党の基盤であるらしいフェビアン主義(漸進的社会主義・議会と選挙を通じて実現される社会主義)だ。
ちなみに、「経済的自由主義」で自由を持ちうるのは「経済的強者」つまり大資本家だけで、その他の国民は奴隷化する。それを是正するのが労働三法と福祉制度である。これらはフェビアン主義のイギリス国家への浸透から生じた、と私は見ている。


(以下引用)

マルクスの“空想的”社会主義―“科学”という名の陥穽

牧野 紀之
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日本から

アミールアクゼル
5つ星のうち4.0 大胆な命題を論証する時間をかけた取り組み
2020年8月24日に日本でレビュー済み
著者は、この本の目的を「マルクスとエンゲルスの社会主義思想は空想的社会主義思想の一種でしかなかった」ということを証明することと言います。さらに、科学的社会主義の「科学」とは、マルクス・エンゲルスがヘーゲルから受け継いだ「科学」、つまり、「事柄の生成の必然性の証明」であると主張します。つまり、「マルクスとエンゲルスの社会主義思想は空想的社会主義思想の一種でしかなかった」とは、マルクス・エンゲルスは、社会主義社会さらには共産主義社会の到来の必然を証明できなかったという意味でしょう。

ここで著者は「空想から科学へ」の本文から、彼らの社会主義思想が「科学」になったという根拠として「唯物史観の発見と剰余価値の発見の二つ」を挙げ、その両方をマルクスの功績としている文章を見つけます。

そこで「唯物史観」を再検討するために「経済学批判の序言」を、「剰余価値の発見」を再検討するために「資本論」を検討します。原文の翻訳と細かい注釈作業を通して検証が進むのですが、著者の主張を大ざっぱに言えば、「唯物史観」における「生産力が生産諸関係を規定する」という命題や、土台と上部構造の関係は、いずれも一義的な決定ではないということでしょう。だから、「剰余価値の発見」を端緒として資本主義の運動を解明できても、それが社会主義という特定の社会形態の「到来の必然性」に直結しないということのようです。(社会主義が到来しないことの必然の証明ではありません)。

 著者の本に親しんできた者として残念なのは、これほど大胆な命題の証明が、一冊中に収められた翻訳や小論や、注釈の中に分散していることです。また、ぜいたくを言えば、「マルクスとエンゲルスの一番大きな見落としは、フランスの社会主義思想が性善説に立ち、ドイツ観念論が性悪説に立つものであることの矛盾に気がつかず、無意識のうちに単純に両者を結合したことです」などのくだりも詳しい展開を読みたいと感じました。
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2022/02/12 (Sat) 政治・社会 Comment(0)
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