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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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これも私の別ブログから転載。全19回だったと思う。まあ、暇つぶしにどうぞ。


「ワイルド・マジック」 前置き 2016/04/21 (Thu)


Tamora Pierceという作家のWild Magic (The Immortals Book 1)というのを、いい加減に、辞書もろくろく引かないで訳してみる。つまり、分からない単語や文は、適当に自分で創作するわけである。それなら、著作権にも抵触しないだろう。
タモラ・ピアースは、おそらく英国の児童文学者かと思うが、日本ではあまり知られていないのではないか。さきほどネットで少し調べたが、「女騎士アランナ」というのが知られているようだ。
実は、少し前に英国旅行をしたとき、そこのホステルの本棚に、破れて後半の無いこの本があったので、それを勝手に貰って帰ったのである。私は英語は喋れず、読めないのだが、少しだけ理解できる部分だけを読む限りでは、何だか面白そうだし、後半部分が破れていて読めない、というのも気に入った。
最初に地図があり、「トータール」という国が舞台らしい。海に面した国で、首都あるいは話の中心らしい町はコルス、海岸の町だ。その西にエメラルド・オーシャンという海が広がり、トータールから少し離れた西南にコパー諸島というのがある。
まあ、舞台説明は、小説自身の中でも行われるだろう。それでは、次回から始める。


(4.22追記)ウィキペディアから、この作品の表紙の解説を転載しておく。私が持っている断片には表紙は無かった。なかなか面白そうな表紙である。弓を引いているのは少年ではなく、少女。主人公である。作中ではズボンではなく、レギンスの上からスカートをはいている。レギンスとは何かは私は知らない。馬も、この絵だと普通の馬だが、作中では小型馬、ポニーである。作者は英国ではなく米国の人らしい。まだ最初の3ページしか訳していないが、これから城や竜がでてくるようなら楽しみだ。後ろの海がエメラルド・オーシャンだろうか。


The Immortals - Wild Magic.jpg
Original Simon & Schuster/Atheneum U.S. hardcover of the book featuring the title character






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私の別ブログに載せてある小説をこちらにも載せておくことにする。1回に2章くらいで7回くらいになるかと思う。完結しているものではないが、完結させる必要性も無い。書いた部分が面白ければいいのである。
次回から、小学校高学年あたりを一応の対象とした「哲学小説」を掲載する。
つまり、この世界とはどういうものか、という「世界認識」、俗に言えば「世間知」をRPG的に世界を廻ることで考えさせようという話だ。舞台は「軍神マルス」と同じ世界である。同作品の人物も出てくる。つまり、「少年マルス」「軍神マルス」「天国の鍵」で三部作である。
哲学が好きな人なら、大人が読んでもある程度面白いかと思う。

先に言っておけば、世界は善人と悪人で構成されているわけではない、という話だ。
「騙す人」「騙される人」「騙しも騙されもしない人」の3種類である。
「騙される人」がいて、悪事は機能するのだから、騙される人もまた世界を悪化させる要素、害悪の元なのである。「騙しも騙されもしない人」になることやその思考作業を「哲学」という。

世界が善人と悪人の2種類だという認識が、世界の恒常的不幸の根本原因である。
現実世界では善人も時々悪行をするし、悪人も善行をするのであるから、善人・悪人という認識はかえって世界を混乱させるわけだ。悪一方の人間も善一方の人間もいない。すると、世界の秩序を作るには或る種のルールを合意するしかない。それが法律であり、道徳である。前者は拘束力があるが、後者には無い。しかし、世界の秩序を作るのは、むしろ道徳、つまり「自制心」なのである。ある種の人間には法律すら歯止めにはならない。人が自分で自分を制するのが道徳の機能だ。

というような話だが、ここまで面倒なことは小説の中には書いていない。小学生でもわかる話として書いてある。
私は起きるのが早くて、午前0時に起きることも多い。まあ、そのぶん、寝るのも早いのだが。
で、今朝は起きて2時間後くらいに便意を感じて、無事に初大便をした。昨日はやっていないので、なかなか立派な糞で、爽快であった。
で、先ほど考えたのだが、高浜虚子(だったと思う)の

去年今年貫く棒のごときもの

の、意味不明の「棒のごときもの」とは正月の初糞ではないだろうか。
なぜなら、その糞は去年作られたものが今年になって外に出たのだから、まさに「去年今年」を貫いて発生し、生まれたわけだ。(注:「去年今年」の読みは「こぞことし」である)

元朝や餅で押し出す去年糞

という馬鹿俳句もあったと思うが「去年糞」の語調が悪いので、私の記憶違いかもしれない。

まあ、とりあえず

めでたさも中くらいなりおらが春 (一茶)

ではあるが、新年おめでとう。

「少年マルス」完結、ということで、明日からは「軍神マルス」(「少年マルス」は、その第一部、あるいは前日談)を始めることにする。たぶん、来年初頭まで継続するかと思うが、内容は「少年小説」ではなく、少し大人向け、あるいは青年向けのところがある。まあ、今時の青少年にはエロとも言えないような微エロだが、そういう部分も少しあるわけだ。

まったく関係ない話だが、昨日は「ドラクエ11」で、ドゥーランダ試練場で最後の試練をクリアし、「エンパイアブレード」その他のレシピを初めて入手した。まあ、試練の第一段階(第一メンバー)だけ「命令する」で戦ったが、第二段階以降はうっかりして「ガンガンいこう」だったか、キャラが勝手に戦う破目になったので、偶然の勝利だが、絶対にクリアできないと思っていたので嬉しかった。ちなみに、全員レベル99だったので、今更スキルの種10個をもらっても、あまり意味はないのであった。(11ではレベルアップ自体は非常に楽だ、というのは前に書いた。)
どうでもいいが、ドラクエ11で、「勇者の剣」の打撃力の低さは何とかならなかったのか。長刀で、それを上回る打撃力のものがゴマンと、はいい過ぎでもいくつもあるので、「勇者の剣」の有難さがまったく無いのである。まあ、盾が使えるので防御力が少し高まるというメリットがあるだけだ。エンパイアブレードは、たぶん「勇者の剣」の2倍か3倍の打撃力である。
ちなみに、いくらレベルアップをしても、「防御力」はあまり高くならないシステムだと思う。つまり、敵の攻撃で思いがけない一撃を受け、大ダメージを負うので、レベル99でも楽勝とはいかない、油断できないシステムのようだ。ある意味、装備で防御力強化はできても肉体自体は簡単に防御力は高くできないという、リアルなシステムだ、と思う。この部分を褒めたコメントはあまり無いのではないか。

昨日から始まった、ネットへの接続困難とパソコンの動作不良が今日は一段と激しかったので、たまたま接続できたこの機会に、「一応のお別れの挨拶」を書いておく。
場合によっては、これがネット世界との永遠の別れになるかもしれないので、(或いは明日には何でもない顔でまたブログを書き始めるかもしれないが)私の幾つかのブログが長い間更新されなくても、私自身が死亡したわけでは(たぶん)無いとご了解いただきたい。
まあ、何年ものブログ継続で、一応、言いたいことはだいたい言ったとは思う。

では、アデュー、さらば、さようなら。そして、さよならだけが人生だ。
このブログの名前である「アンファニズム」は私の造語だが、フランス語の「アンファン(子供)」に「~主義」の「イズム」を付けたものである。つまり、「子供主義」。
これは、大昔に、当時一番親しかった友人に、「お前は子供だ」という趣旨の批判をされて、カチンときたのが元になっている。まあ、その時に、べつに「よし、それなら俺は一生子供でいてやる」と思ったわけではないが、精神的には今も昔も子供のままのようだ。
で、先ほど読んでいた文庫本の中に、SF作家、ブライアン・・オールディスの言葉があって、「これこそ『アンファニズム』のための言葉だなあ」、と思ったので、引用する。

「子供らしさが死んだとき、その死体を大人と呼ぶ。」

ついでに、同じ本の中に、「孤独」な人間の慰めになる言葉もあるので、それも紹介する。
こちらは、スーザン・ゴードンという人の言葉らしいが、どういう人物かは知らない。

「孤独だということは、人と違う人間だということ。人と違っていると孤独になる。」

2文目は同義反復のようだが、必要な反復であり。同じ内容を逆側から言うことで、孤独の意味が明らかになる。特に孤独に悩む青少年には、「君は他人と違う、特別な人間なのだ」と言っておきたい。ただし、良い意味で特別か、悪い意味で特別かは個々それぞれであるwww







「時間の問題」を中断しているが、なぜか書く意欲が起こらないのである。で、先ほどたまたまこのブログの過去記事を見ていて、カート・ヴォネガットの創作法メモというのを読むと、その理由が分かった。赤字にした部分は、私の創作が完全に反しているものだ。私自身が「欲しいものがほとんど無い」人間なので、何かを欲しがっている人物(私の嫌いなタイプの人間)を考えるのが面倒くさいのである。つまり、キャラたちに、行動させる根拠がない。事件の起こりようがない。「思考速度の速さ」というのは悪くないアイデアだと思うが、それもウェルズあたりにあったような気がする。

今、トーマス・マンの「魔の山」を途切れ途切れに読んでいるが、ほとんど事件の起こらない小説で、作者は何が楽しくてこういう作品を書いたのか、首をひねるのだが、ありふれた日常生活を描くこと自体が楽しいのだろう。つまり、日本の私小説的世界を膨大な長編にしたわけだ。で、何も起こらないが、作中人物が「何か(たとえば健康)を欲しがっている」ようではある。だから、読者を先へ引っ張っていく「小説エンジン」はあるのだろう。そして、死が常に身近にある。つまり、「冒険」が見えない姿で隣にいる。

欲しがる対象というのは非常に大事(ヒッチコックも同じことを言っている。)で、たとえば騎士物語の「聖杯探求」が、それである。それがあれば、その障害もあり、つまり話を作れるわけだ。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だと、「未来に帰る」ことが目標であり、つまり映画タイトルがそのままそれである。「ロビンソン・クルーソー」だと、故国に帰ることが主人公の目標で、それが明確だから、毎日の生活の危険がそのまま冒険物語になる。

チート主人公の異世界物(異世界転生物)がだいたいつまらないのは、チート能力そのものにある。読者は「どうせチート能力で切り抜けて終わりでしょ」と思うから、ハラハラもドキドキもしない。つまり、どんな冒険も冒険にならないわけだ。私の「時間の問題」は最初からその過ちを犯している。

(以下引用)ゴキブリは紙をかじるか? 

■おまけ・ヴォネガット創作講座
最後に、序文でのヴォネガットによる《創作講座初級篇》をちょっと抜粋しておこう。創作に興味のある方には参考になるのではないだろうか。


《創作講座初級篇》
1.赤の他人に時間を使わせた上で、その時間は無駄でなかったと思わせること。
2.男女いずれの読者も応援できるキャラクターを、少なくとも一人は登場させること。
3.例えコップ一杯の水でもいいから、どのキャラクターにも何かを欲しがらせること。
4.どのセンテンスにも二つの役目のどちらかをさせること…登場人物を説明するか、アクションを前に進めるか。
5.なるべく結末近くから話を始めること。
6.サディストになること。どれほど自作の主人公が善良な人物であっても、その身の上に恐ろしい出来事を降り掛からせる――自分が何からできているかを読者に悟らせる為に。
7.ただ一人の読者を喜ばせるように書くこと。つまり、窓を開け放って世界を愛したりすれば、あなたの物語は肺炎に罹ってしまう。
8.なるべく早く、なるべく多くの情報を読者に与えること。サスペンスなぞくそくらえ。何が起きているか、なぜ、どこで起きているかについて、読者が完全に理解を持つ必要がある。たとえゴキブリに最後の何ページかをかじられてしまっても、自分でその物語を締めくくれるように。

ブログを再開します。実は今、沖縄に住んでいるのですが、プロ野球キャンプ地も新コロ問題で一般人立ち入り禁止がほとんどになるらしいので、まあ、例によって(実見談ではなく)妄想記事中心のブログになるでしょう。
私の別ブログである「徽宗皇帝のブログ」(ほかに「酔生夢人ブログ」「独楽帳」「四月の雨」というブログもある。)にも書いたが、とある事情でネットから離れるので、これからかなり長期間ブログへの書き込みが不可能になり、プロバイダーからブログが停止され、読めなくなる(事実上、この世からこのブログが消滅する)可能性が高いので、お知らせしておく。
馬鹿なことばかり書いているブログだが、我ながらなかなか賢いことを言っている気がする記事もあり、暇つぶしには悪くないブログだと思うので、他のブログ同様、過去記事をご覧になることをお勧めする。どうせタダなのだから、あまり高望みをしてはいけないwww
保存、拡散など、ご自由にどうぞ。

では、さようなら、できれば、また逢いましょう。

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