ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
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坂口安吾が小林秀雄との対談で、万葉集を引き合いに出して、「芸術は時代的に(その時代の正道に従うことで)完成することで、他の時代にも通用する価値を持つ」ということを言っていて、卓見だな、と思う。なるほど、それが古典がいつの時代にも高い価値があるという秘密か、という気づきである。その反対の例が「梅原龍三郎」で、坂口は彼の絵を邪道だと言っているが、実際、今ではもはや梅原龍三郎の絵に高い芸術的価値があると思うのは田舎の時代遅れの成金だけだろう。
つまり、「ゴッホの物まねで富士山を描く」というお手軽な話題性を作り、一世を風靡したが、あっと言う間に価値を失ったわけだ。これは梅原龍三郎がもてはやされていた頃の対談だけに、坂口の目は小林秀雄(「梅原は天才だ」と擁護発言をしている)よりはるかに透徹している。小林は文学鑑識眼はあっても、美術の鑑識眼は貧弱だったようだ。彼が骨董に凝って集めた骨董品のほとんどが偽物だったという話がある。
ただし、現代のように「何でもあり」の時代だと、「芸術の正道」は無く、「時代的完成」は存在しない、とも言えそうである。つまり、現代の芸術品は「永遠の古典」にはならないわけだ。
つまり、「ゴッホの物まねで富士山を描く」というお手軽な話題性を作り、一世を風靡したが、あっと言う間に価値を失ったわけだ。これは梅原龍三郎がもてはやされていた頃の対談だけに、坂口の目は小林秀雄(「梅原は天才だ」と擁護発言をしている)よりはるかに透徹している。小林は文学鑑識眼はあっても、美術の鑑識眼は貧弱だったようだ。彼が骨董に凝って集めた骨董品のほとんどが偽物だったという話がある。
ただし、現代のように「何でもあり」の時代だと、「芸術の正道」は無く、「時代的完成」は存在しない、とも言えそうである。つまり、現代の芸術品は「永遠の古典」にはならないわけだ。
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