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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「感動ポルノ」という言葉は秀逸な言葉だと思うし、私もしばしば使うが、何が「感動ポルノ」に当たるのかという定義は見たことがないので、私が定義する。
それは「視聴者や読者を感動させる狙い」が最初からあざとく見え透いているドラマである。「JIN」の演出、具体的には背景となる風景の使い方や「感動シーン」での音楽の使い方にそれは明白だろう。俳優の大袈裟な表情、演技は言うまでもない。

一方、「感動的な作品」、あるいは「心から感動するドラマ」には、そういう「あざとさ」や「いやらしさ」が無いし、そもそもで言えば、作り手や書き手自身がそのドラマに感動しているからそれを作り、書いた、という作品だ。
「ハンター×ハンター」のキメラアントの王の死と、それを看取るコムギのシーンは、作者の富樫自身が感動して泣きながら描いたと思う。そうでないなら、彼は「芸術の悪魔」だ。

もちろん、その中間の作品も無数にあり、「感動ポルノ」と「感動作」を分類するのは容易ではなく、見る人の感性次第である。

ついでに言えば、私は「芸術の悪魔」を否定しているわけではない。芸術の天才はしばしば芸術の悪魔でもある。悪魔とは科学者的な冷徹さの謂である。人間を「高みから見下ろしている」わけだ。また、天才でなくても、映画やテレビドラマのような総合芸術だと、集まった才能の化合で傑作が生まれることもある。映画「第三の男」などがそれである。
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