オーバー・ハンド・ストロークとは、泳法のクロール。一般的には「自由形」と呼ぶ。最も速く泳げる泳法だが、日本に伝わったのは遅かった。1920年のアントワープ五輪、日本は初めて水泳選手を派遣。内田正練、斎藤兼吉の両選手が自由形に出場。完敗だった。「抜き手」で泳いだのだから勝負にならず。
クロールは、古代エジプトで誕生した。ナイル川の両岸に町ができ、往来は船でする。ところが、数百キロ上流で豪雨があると、突然、下流は数時間後には川は暴れ川、船は転覆。さあ大変、ナイル川には巨大なナイル鰐(ワニ)がすんでいるのだ。
国立のエジプト博物館は、今春、日本政府の援助でリニューアルしたが、館内に10メートルを超すワニのミイラがある。あのワニにかかれば、大人でもひとのみにされてしまう。で、エジプト人は、速く泳ぐ泳法を考案する必要性にかられた。それがクロールだ。
私は専大助教授時代、「古代エジプトの身体文化研究」のために短期留学、3カ月間カイロに滞在した。権力者たちの墳墓から出土した品々の中に素焼き製の箱庭がある。権力者の住んだ住宅の見取り図。よく見るとプールのあることが分かる。日光浴のためではない、水泳の練習をした痕跡である。
速く泳げないことには、ナイル川の往来は危険だった。1960年、ソ連の援助を得て氾濫を防ぐため、農業灌漑(かんがい)用水のために400キロ上流にアスワンダムを建設。その際、下流のワニもダムに移され、ナイルは安全な川となる。「エジプトはナイルのたまもの」と表現されるとおり、この大河がエジプト文明を支えた。
チグリス・ユーフラテス川のメソポタミアでは、浮袋の発明があった。ワニのいない川を渡るのに浮袋を用いたのだ。戦争にも用いたらしい。羊を殺し、肉、内臓、骨を抜き取り、皮の中に空気を入れて浮袋にした。この浮袋、今は水売りの容器として使われている。
あの地域では、古代と近代の文化が今も混在していておもしろい。