「感動を与える」という表現は、スポーツ界から根絶すべきだ-。フィギュアスケートの元五輪選手で、現在は国学院大助教としてスポーツを研究している町田樹さんが、北京五輪を前に雑誌の最新号で書いていた。思い切った意見だ。
理由として(1)スポーツを観(み)て応援してくれる人に失礼(2)感動するかどうかは受け手次第であり、送り手が意図して創造できるものではない-と説く。なるほど。ただし、一つ付け加えたい。
選手が言う「感動」とは、多くは好結果を前提としている。だが観戦する側からすれば、必ずしもそうではない。
ソチ五輪フィギュア、失意のショートプログラムから立ち直った浅田真央さんのフリーの演技。5回の五輪でメダルに届かなかったモーグルの上村愛子さん。2人を巡る記憶は金メダルより美しい。
町田さんは続ける。感動なんて気遣いは無用、アスリートは自分の理想のパフォーマンスを追求すれば十分だと。同感だ。北京五輪は東京に続きコロナ禍での困難な「追求」の場になるだろう。お仕着せではない感動の種がきっとある。