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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「映像研」の第三話は、原作者の大童澄瞳が「神回」だと自分のツィッターで言っていたので、期待値が高くなりすぎたのか、「? 薄いな」と思ったのだが、実際に「話としては薄い」回だったようで、つまり「表現を味わい、楽しむ」回だったのだろう。言い換えれば、「マニアックなアニメファンにとっての神回」というわけだ。実際、作中のアニメ(アニメ内アニメ)の表現はかなり高度に思われ、ある漫画家がツィッターで「高校生の作るアニメじゃない」と言っていたのは当然だろう。ただ、これは「2050年の未来の高校生」がアニメを作るのであり、あと30年後には高校生はそこまで進歩しているかもしれない。

なお、前出の漫画家氏は、「キャラの顔が毎回違う」とも言っていたが、これも実作者らしい鋭い指摘である。ただし、それが悪いというのではなく、「アニメーター(あるいは原画マン)」によって顔が少しづつ違うということも、鑑賞のポイントと見るべきアニメだと思う。

浅草氏が延々と同じ麺を啜り込んでいる場面も、それを「アニメ制作における省略の技法をメタ表現している」と書いてあるファンのツィートもあり、多面的に見ることが可能なアニメのようだ。


ちなみに、その漫画家のツィートは下のようなもので、これは批判の言葉ではないと思う。また、「毎回キャラが違う」を私はキャラの顔が違うと捉えたが、個性の変化があるという意味にもとれる。特に水崎氏が浅草氏に感化されたような言動を前半でしていたのは、原作漫画には無い表現だったと思う。(それはそれで面白いわけだが。)
映像研ファンが、こうした発言を「悪意のもの」と受け取らないように願いたい。こうした指摘は、むしろ鑑賞の良い参考になるのである。


  1. 素人の描くアニメーションじゃない(笑) 



  2. 映像研は回によってキャラの描き方が違うねー(*´д`*)








さんがリツイート

3話は実はストーリーラインが他話数よりも薄いので、純粋に演出だけで作品を表現しないといけない話数だったから、反響が多くて嬉しい。。がんばりました・・・。














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