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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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私は最初の数話しか見ていないのだが、「パリピ孔明」のラスト近くの話で、渋谷の路上でゲリラコンサートをやる話に批判がかなりあったようで、「フィクションにリアリティを求めるな」というコメントが多かったのだが、それに対して下のコメントは実に的を射ていると思う。つまり、「フィクションのリアリティとは、その世界でのリアリティのことであり、基本設定をきちんと守ることである」ということだ。フィクションだから何でもOKという作り方は、粗製乱造にしかならない。
ちなみに、私が見なくなったのは、リアリティ云々ではなく、英子の歌に魅力があるという基本設定がまったく私には納得できなかったからである。これは、作品の根幹にかかわる問題で、視聴者の主観にも左右されはするが、彼女の歌にある程度の説得力が無いと通用しないだろう。

(以下引用)

そもそもパリピ孔明って「孔明が現代に転生する」ってファンタジー以外は地に足ついた現実寄りの作風だし、孔明の根回しや奇策が見せ所の作品で「渋谷を封鎖したゲリラライブなんてどうやって開催できるのか」って大事な過程がすっ飛ばされちゃうのをフィクションだからなんでもいいじゃん、なんて言ったら孔明がチート魔法で10万イイねを発動しましたでもなんでも良くなっちゃうからなあ
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