忍者ブログ
ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
11
23
24 25 26 27 28 29 30
フリーエリア
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
o-zone
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
[5849]  [5848]  [5847]  [5846]  [5845]  [5844]  [5843]  [5842]  [5841]  [5840]  [5839
もっと単純に「ドラクエ、あるいはゲームの映画化としてはラストが最悪だが、アニメとしてはかなりハイレベルで美点が多い」と言うべきだろう。
記事筆者はほとんどゲーマー視点でしか語っていない。偉そうに「この部分は許そう」みたいな上から目線での言葉が多い。ゲームのアニメ化というのがいかに難事か、ほとんど同情が無いのである。「レベル上げ」云々はまさにゲーマー視点での問題であるし、主人公がしゃべりすぎる、愛嬌が無いの発言に至っては、馬鹿としか言いようが無い。主人公を喋らさないでアニメが成立するわけがあるか。アニメの主人公として不快な人間が出る作品を幾つも見てきた人間としては、この作品での主人公造形はかなり見事だと思う。特に、「愛嬌」がその最大の特徴ではないか。
まあ、私自身ゲーム好きな人間だが、なるほど、ゲーム中毒の人間は幼児である。「大人になれ」と言われても仕方が無さそうだwww

(以下引用)



 
 
 

写真はイメージです Photo:PIXTA© ダイヤモンド・オンライン 提供 写真はイメージです Photo:PIXTA

2019年に公開され、大きな物議を醸した映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』がネットフリックスで配信された。そして、非難の第2波が起こり始めている。あなたはもう見たか。それともこれから見るだろうか。これを機に視聴したライターが思うところをつづる。(フリーライター 武藤弘樹)



問題作として注目されていた


映画版ドラクエがネトフリに上陸


 映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』が動画配信サービス・Netflix(ネットフリックス、以下ネトフリ)にコンテンツとして追加された。


 この作品は国民的RPG『ドラゴンクエスト』シリーズの5作目『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(以下『ドラクエ5』)をベースにしたCGアニメ映画である。


 同作は公開された2019年8月当時、賛否両論を巻き起こした。というか、かなり非難されて話題になっていた。映画.com(映画関連情報サイト)上での評価は現時点(2021年2月25日)で全1092件、星平均が2.2点(5点満点)で、なかなか厳しいものとなっている。


 ここ数日ネトフリ効果で新たに見た人たちが各所で感想を投稿していて、非難の第2波が訪れている。少年時代に『ドラクエ5』で遊んだ身としても気になる映画であり、ネトフリで見られるというのだからもはや未視聴のままでいる道理はない。どんな作品か、そして酷評を受けている理由は何なのかを探るべく、ついにこの問題作の視聴に至った。


 これから視聴する人もいると思うので、本稿では極力ネタバレは避けるつもりであるが、内容・展開に触れている部分もあるので、その点ご注意いただきたい。

メジャーが豪腕を振るう商業的A級映画

 まず、映像はキレイだ。お金がかけられていることが伝わる、A級映画と称して差し支えないゴージャスな見栄えであった。モンスターの質感、および魔法にはグッと来たが、欲を言えばベギラゴンとメラゾーマ(ともに最強クラスの強い呪文)がゲームプレイ時のイメージよりこぢんまりしていたので、もっとすさまじさを持たせてほしかった。アクションシーン全般は非常に良かった。


 音楽は素晴らしかった。劇中歌はほぼ全てがドラクエシリーズから使われていて、筆者はそれの「信者」である。ちなみに「音楽が良くなかった」とする世評では、その理由として「ドラクエ“5”以外からの曲も使われている」「場面に応じて流れる曲や効果音が適切でない」などを挙げているようである。ファンこそドラクエ音楽への思い入れが強いので、原作を逸脱しての選曲は反感を買ったらしい。


 声優には主に売れっ子役者陣が起用されていて、筆者は「アニメ系の作品ならよほど巧みな役者でない限り、本職声優の演技に勝るものはない」という考えの持ち主だが、役者陣のがんばりが伝わってくる点には好感を持った。しかし、それでかなり商業的なにおいふんぷんたる作品であることがわかった。「メジャーの力で、ゴリ押しして売りまっせ!」という意気込みが伝わってきたのだ。



冗舌・三枚目な主人公


感情移入する余地を探す


 残念に思えた点を挙げていきたい。ただし、原作ファンの立場からである。


 まず、主人公の名前だ。ゲームだと自分で名付ける主人公の名前は、この作品だと「リュカ」となっている。なんとなく今ふうの、ちょっとキラめきを感じさせるネーミングであり、これに抵抗を覚えたファンは多かったのではあるまいか。ドラクエシリーズの人物や魔法のネーミングには年代を超えた独特の雰囲気があって、「リュカ」という現代風に聞こえる名前はあまりそぐわないように感じられるのである。ちなみに、筆者は昔からドラクエを含むゲームの主人公に「パンティ」といった名付けをして本気で楽しんできたから、抵抗は一層強かった。


 しかし、そこは大人なので、おそらくほか多くの視聴者と同様、「リュカ」に対する抵抗や違和感はいったんのみ込んだ。だが、さらに大きなハードルがあった。リュカがよくしゃべるのである。


 ゲームの方のドラクエシリーズの主人公の大きな特徴として、「一言もしゃべらない」がある。周りの人との会話で主人公が何と発言したかが察せられるような描写はあるが、主人公自身が言葉を発する描写はない。


 これがプレイヤーの感情移入を促し、およびドラクエならではのどこかしんとした雰囲気を作っていた。しかし映画版ドラクエは、リュカが三枚目風でよく喋るうえ、主人公としての魅力がアピールされるところがない。「強い」「努力家」「愛嬌がある」などのキャラクターとしての際立った特徴がないため、ますます感情移入できない。


 だがそれも、ゲームと映画の違いとして仕方のないものである。原則的にゲームは主観で関わるもので、映画は客観である。ゲームと同様のものを映画に求めるスタンスがそもそもずれていると考えるべきだ…と、視聴中作品を擁護すべく自問自答を行ったりしていた。

レベル上げは必要な作業だったと思い知る

 とはいえ、制作サイドもドラクエ5の映画化は難しかったよなあ…と、これも視聴中、あれこれ思索が止まらない。視聴者に上映時間中そのようなことを考えさせる作品はどうなのかと思うがそれはさておき、映画版は原作の物語を限られた短い時間の中で追おうとしているので、話が随所ではしょられまくる。若干冒険のワクワク感はあったが、話が「前回のあらすじ」的にビュンビュン進んでいくので気持ちをどこに定めていいかわからず、ついていくだけでやっと、というあんばいになってくる。


 「しかしそれも仕方なし!」と何度も自分に言い聞かせて見ていたが、強敵と目された因縁深きモンスターが戦いのどさくさの一太刀であっけなく倒されたときは、「さすがにこれ以上擁護するのは難しいかもしれぬ」と感じた。制作サイドに極めて難しい制約や諸条件があったにしてもあれはけいただけなかった。要するに、脚本がいまいちで、普通に映画として未熟な点が認められるのである。


 当然ながら、ゲームのドラクエではすべてのプレイヤーに課せられていた「レベル上げ」といった描写も本作中ではほぼ出てこない。強敵に打ち勝つために自分を強くする「レベル上げ」は単調な作業であり、苦行だが、プレイヤーにとっての冒険を得難いものにする重要な要素であったのだと、映画版ドラクエを見て気づいた。レベル上げをしないリュカは強いか弱いかもよくわからず、冒険を「がんばっている」感も伝わってこず、肝心な何かが足りないような感覚がずっと付きまとう。



ファンをあおった制作サイドの無分別さ


「ドラクエ」ではないと思えば…





 さて、この作品が酷評を受ける理由はざっくり言って「制作サイドの無分別」であり、ファンにとってはそれが「原作への冒涜(ぼうとく)」と受け取れる。各所に見受けられるこの「制作サイドの無分別」は物語のラストで特大級のものがぶち上げられる(と感じている人が非常に多い)のだが、その次に大きいものが「結婚相手の選択」である。


 原作ではヒロインが2人出てきて、どちらと結婚するかをプレイヤーが選択するくだりがある。「どちらと結婚したか」という話題はファンの間でだけ共有できる挨拶のようなもので、これがドラクエ5では非常に印象深いイベントとなっていた。


 映画版ドラクエも2人出てきて、リュカが一方のヒロインにバシッと決めてしまう。「これはあくまで映画版ですから」と制作者の暗黙の弁明も伝わってくるのだが、いまいちその姿勢を支持しきれない。リュカの葛藤が浅く、袖にしたもう一方のヒロインに対して異性としての筋を通しておらず、恋愛ものとして見たときに至らないストーリー展開なので、説得力が伴わなかったのかもしれない。


 そして、「サブタイトルの『ユア・ストーリー』とはなんなのだろう」と思っていたが、これはラストの10分でしっかり回収された。この作品への悪評のほぼ全てがここに集約されるといっても過言ではない衝撃的展開のラストであり、「世界観を完全に崩壊させる地獄の10分」「自分映画史上最悪の体験」といった声が聞かれるくらい、それはもう壮絶である。もちろん「これはこれで全然アリ。ファンは原作にこだわりすぎ」といった声もあった。


 そのラストは原作未プレイの監督が「思いついてしまった」ものらしく、監督もそこに至るまで相当葛藤したようであるが、少なくとも長年のファンを擁するドラクエを素材とした映画では、やるのは賢明でなかったかもしれない。


 ラストで発せられていた視聴者へのメッセージは予定調和的であり、監督のゲームに対する認識も垣間見えて「ケンカを売っている」などの声も聞かれたが、筆者は単純なので、そこまで深くないとはいえ感動した。ここも賛否が分かれている箇所である。


 以上が本作への感想、および悪評の理由の分析である。ファンとして不満な点を書き連ねたが個人的には星3、概ねポジティブな印象であった。制作者にいじり倒されることになった素材だが腐ってもドラクエであり、「またドラクエやりたいな」くらいには心を動かされたからである。


 これから視聴する人にしかと伝えておきたいのは「映画版ドラクエはドラクエではない」ということである。ドラクエが素材なのでファンにとってうれしい箇所は散見されるが、ドラクエだと思って見ると苦い思いをすることになる。


 「ドラクエ」ではないただの映画としてなら、楽しめる可能性もある。









PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
忍者ブログ [PR]