ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
最新記事
(05/18)
(05/18)
(05/18)
(05/17)
(05/17)
(05/16)
(05/15)
(05/14)
(05/14)
(05/13)
最新TB
プロフィール
HN:
o-zone
性別:
非公開
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
P R
カウンター
お遊びで、自分の球団を作ってみる。プロ野球の1軍半や2軍選手の中から、有望選手を探して、自分のチームを作ってみるわけだ。ただし、その選手は、各球団で重用されておらず、球団を変えて1軍で起用されれば力を伸ばせる可能性の高い選手にする。つまり、あまりに若手で、その球団が放出する可能性の少ない選手はこのチームには入れないことにする。たとえば、横浜の北篤内野手などはシュアな打撃に長打力もほどほどあり、足もあって、欲しい選手だが、おそらく来年には1軍起用が多くなるはずだから、このリストには入れない。ロッテの細谷圭外野手なども、まだプロでの年数が少ないから、放出する可能性は少ないだろう。巨人の橋本到外野手、太田泰示三塁手なども同様である。
各チームの選手の中で、狙い目は捕手である。というのは、捕手というポジションは正捕手が決まると、その他の選手が使われる可能性ががくんと落ちるため、いわば飼殺しに近い状態になっていることが多いからである。それに、捕手というポジションは激務だから、捕手の打撃成績は2割増しで評価してよい。
私自身はファームの試合を見る機会は無いので、選手選択の基準は、すべて公式発表の成績の数字からの判断である。
下記の選手の守備ポジションは、コンバートによるものもある。たとえば、阪神の狩野恵輔は、その脚力から言って、長い間には足が駄目になる可能性の高い捕手よりも、外野を守るべきである。この狩野と、巨人の矢野は、チームが放出する可能性は低いが、やはり1軍クリーンアップレベルの選手が二人は欲しいので、このリストに入れることにする。さて、下に書いたものが、私のチームである。打順によって並べてある。
1 野原政志(阪神・三塁)
2 横川史学(楽天・外野)
3 矢野謙次(巨人・外野)
4 狩野恵輔(阪神・指名打者)
5 小斉祐輔(ソフトバンク・外野)
6 森岡良介(中日・二塁)
7 荒木貴裕(ヤクルト・遊撃)
8 岡崎太一(阪神・一塁)
9 伊志嶺忠(楽天・捕手)
二塁控え 今成亮太(日ハム捕手をコンバート)
遊撃控え 坂克彦(阪神)
捕手控え 金澤岳(ロッテ)、横山徹也(オリックス)
内野ユーティリティ 明石健志(ソフトバンク)、森本学(ソフトバンク)
外野控え 庄田隆弘(阪神)、黒瀬春樹(西武)
投手 ロメロ(巨人)、陽耀勲(ソフトバンク)、高橋秀聡(ソフトバンク)、桟原将司(阪神)、小野寺力(西武)
久本祐一(中日)、小林正人(中日)、上園啓史(阪神)、長峰昌司(中日)
こうして見ると、阪神の二軍に有望選手が多いようだ。これは、スカウトの眼力のせいか、二軍首脳陣の力量か、いずれにしても、こういう有望選手たちが一軍で活躍できないままに現役を終わることが無いように祈りたい。
で、このチームを育成する指導者陣には、たとえば次のような面々はどうだろう。
1軍監督 豊田泰光
1軍投手コーチ 北別府学
1軍打撃コーチ 若松勉
1軍バッテリーコーチ 矢野テルアキ(元阪神で、今年引退したばかりの矢野である)
2軍監督 元PL監督の中村氏
2軍投手コーチ 江夏豊
2軍打撃コーチ 興南高校の我喜屋氏
2軍バッテリーコーチ 横浜高校の現監督(名前は知らないが、松坂や涌井を育てた名伯楽だ。)
各チームの選手の中で、狙い目は捕手である。というのは、捕手というポジションは正捕手が決まると、その他の選手が使われる可能性ががくんと落ちるため、いわば飼殺しに近い状態になっていることが多いからである。それに、捕手というポジションは激務だから、捕手の打撃成績は2割増しで評価してよい。
私自身はファームの試合を見る機会は無いので、選手選択の基準は、すべて公式発表の成績の数字からの判断である。
下記の選手の守備ポジションは、コンバートによるものもある。たとえば、阪神の狩野恵輔は、その脚力から言って、長い間には足が駄目になる可能性の高い捕手よりも、外野を守るべきである。この狩野と、巨人の矢野は、チームが放出する可能性は低いが、やはり1軍クリーンアップレベルの選手が二人は欲しいので、このリストに入れることにする。さて、下に書いたものが、私のチームである。打順によって並べてある。
1 野原政志(阪神・三塁)
2 横川史学(楽天・外野)
3 矢野謙次(巨人・外野)
4 狩野恵輔(阪神・指名打者)
5 小斉祐輔(ソフトバンク・外野)
6 森岡良介(中日・二塁)
7 荒木貴裕(ヤクルト・遊撃)
8 岡崎太一(阪神・一塁)
9 伊志嶺忠(楽天・捕手)
二塁控え 今成亮太(日ハム捕手をコンバート)
遊撃控え 坂克彦(阪神)
捕手控え 金澤岳(ロッテ)、横山徹也(オリックス)
内野ユーティリティ 明石健志(ソフトバンク)、森本学(ソフトバンク)
外野控え 庄田隆弘(阪神)、黒瀬春樹(西武)
投手 ロメロ(巨人)、陽耀勲(ソフトバンク)、高橋秀聡(ソフトバンク)、桟原将司(阪神)、小野寺力(西武)
久本祐一(中日)、小林正人(中日)、上園啓史(阪神)、長峰昌司(中日)
こうして見ると、阪神の二軍に有望選手が多いようだ。これは、スカウトの眼力のせいか、二軍首脳陣の力量か、いずれにしても、こういう有望選手たちが一軍で活躍できないままに現役を終わることが無いように祈りたい。
で、このチームを育成する指導者陣には、たとえば次のような面々はどうだろう。
1軍監督 豊田泰光
1軍投手コーチ 北別府学
1軍打撃コーチ 若松勉
1軍バッテリーコーチ 矢野テルアキ(元阪神で、今年引退したばかりの矢野である)
2軍監督 元PL監督の中村氏
2軍投手コーチ 江夏豊
2軍打撃コーチ 興南高校の我喜屋氏
2軍バッテリーコーチ 横浜高校の現監督(名前は知らないが、松坂や涌井を育てた名伯楽だ。)
PR
野球の面白さは、騎士物語の面白さに似ている。名のある騎士の一騎打ちや、戦場での戦いが、野球における投手と打者の戦いやチームとしての戦いに相当するのである。サッカーなどにはそういうイメージは無い。したがって、サッカー選手に対するイメージは豪勇の武士や騎士ではなく、ある種の職人集団というイメージである。しいて言えば、忍者集団くらいか。しかし、剣と楯に相当するバットとグラブを持ち、相手と切り結ぶ野球の人気が落ちてきたのと、騎士物語やチャンバラ映画が衰退してきたのは、無関係ではないだろう。
その一方で、野球漫画で野球の持つ戦略的面がクローズアップされてきたのは、人間の思考自体が戦略的になってきた現代という時代を反映しているかもしれない。今どき、努力と根性で勝利を勝ち取るというスポーツ漫画など見たいという人間は多くはないだろう。
昔のスポーツ漫画は、才能に秀でた人間が主人公であるというのが当然の前提であり、だからこそ、凡人たちを主人公にしたちば・あきおの「キャプテン」などが新鮮だったのである。それ以前の「ストップ!兄ちゃん」などは、中学生のくせにプロのナンバーワン投手(金田がモデル)の球を平気でホームランするような怪物であり、ちば・てつやの「ハリスの旋風」の主人公にしてもおっちょこちょいな性格だがスポーツは万能であった。かなり時代は下るが、あだち充の「タッチ」その他の主人公たちにしても、実は才能に恵まれた者たちであって、スポーツ漫画の主人公が運動の才能に恵まれていることは当たり前の話であったのだ。
であるから、「おおきく振りかぶって」という漫画が、いかに革命的な漫画であったかがわかるのである。100キロそこそこのボールしか投げられない投手が、コントロールだけを頼りに、いかにして勝つか、というこの前提だけで、野球好きな人間なら、胸をわくわくさせるはずである。この漫画が成功したのは当然であった。
その一方で、野球漫画で野球の持つ戦略的面がクローズアップされてきたのは、人間の思考自体が戦略的になってきた現代という時代を反映しているかもしれない。今どき、努力と根性で勝利を勝ち取るというスポーツ漫画など見たいという人間は多くはないだろう。
昔のスポーツ漫画は、才能に秀でた人間が主人公であるというのが当然の前提であり、だからこそ、凡人たちを主人公にしたちば・あきおの「キャプテン」などが新鮮だったのである。それ以前の「ストップ!兄ちゃん」などは、中学生のくせにプロのナンバーワン投手(金田がモデル)の球を平気でホームランするような怪物であり、ちば・てつやの「ハリスの旋風」の主人公にしてもおっちょこちょいな性格だがスポーツは万能であった。かなり時代は下るが、あだち充の「タッチ」その他の主人公たちにしても、実は才能に恵まれた者たちであって、スポーツ漫画の主人公が運動の才能に恵まれていることは当たり前の話であったのだ。
であるから、「おおきく振りかぶって」という漫画が、いかに革命的な漫画であったかがわかるのである。100キロそこそこのボールしか投げられない投手が、コントロールだけを頼りに、いかにして勝つか、というこの前提だけで、野球好きな人間なら、胸をわくわくさせるはずである。この漫画が成功したのは当然であった。
落合野球についていろいろ書いているが、仕事がら、プロ野球を見る機会は少なく、落合の采配について私はそれほどは知らない。知っている範囲、気がついた範囲で論じているだけである。しかし、それだけでも、彼が非常に合理的な思考の持ち主であること、少しのことでは動揺しない精神力の持ち主であることは推測できる。
監督としての彼は、試合中はほとんど動かないのではないだろうか。つまり、監督の仕事は試合前でほとんど終わっていると彼は考えている気がする。これも、現役選手の頃からの彼の考えが、「試合は選手がするものだ。監督はせいぜい投手交代の見極めをするだけだ」というものだからではないだろうか。現役選手の頃は監督を無視していた人間が、監督になると監督の権威をふりかざして馬鹿な采配を取る例を、彼は無数に見てきたのだろう。もちろん、監督はすべての責任を取る立場である以上、勝利を得るのに必要な手段はすべて講じる。しかし、落合の特徴は、「無駄なことはしない」ということだ。
では、「必要なこと」とは何か。それは、「無駄な失点を避け、なるべく点を取る」という当たり前のことである。落合野球が守備優先の野球であったことに、最初の頃意外な思いを抱いた人が多かったと思うが、これは合理的野球の当然の帰結だと言える。つまり、失点には限度が無いが、得点能力には限度があるのだ。得点できるかどうかは、相手投手次第であり、試合ごとに状況は変わる。ところが、へぼな投手やへぼな野手のいるチームの失点は無限に膨れ上がるのである。合理的思考をする人間なら、まず投手力と守備を優先したチーム作りをするのが当然なのである。
監督としての彼は、試合中はほとんど動かないのではないだろうか。つまり、監督の仕事は試合前でほとんど終わっていると彼は考えている気がする。これも、現役選手の頃からの彼の考えが、「試合は選手がするものだ。監督はせいぜい投手交代の見極めをするだけだ」というものだからではないだろうか。現役選手の頃は監督を無視していた人間が、監督になると監督の権威をふりかざして馬鹿な采配を取る例を、彼は無数に見てきたのだろう。もちろん、監督はすべての責任を取る立場である以上、勝利を得るのに必要な手段はすべて講じる。しかし、落合の特徴は、「無駄なことはしない」ということだ。
では、「必要なこと」とは何か。それは、「無駄な失点を避け、なるべく点を取る」という当たり前のことである。落合野球が守備優先の野球であったことに、最初の頃意外な思いを抱いた人が多かったと思うが、これは合理的野球の当然の帰結だと言える。つまり、失点には限度が無いが、得点能力には限度があるのだ。得点できるかどうかは、相手投手次第であり、試合ごとに状況は変わる。ところが、へぼな投手やへぼな野手のいるチームの失点は無限に膨れ上がるのである。合理的思考をする人間なら、まず投手力と守備を優先したチーム作りをするのが当然なのである。
落合野球とは何か。それは、合理主義である、と前回に書いたが、それをもう少し具体的に考えてみよう。合理主義とは、計算である。与えられた材料から、妥当な結果を予測して行動するのが合理主義である。ところが、現実人生では虚飾や虚偽や願望などのために正しい計算や予測ができなくなる人間が多い。そのために、落合のような冷徹な合理主義者が成功し、それが目立つのである。
まず、落合は、チームを引き受けた時、現有勢力だけで戦うと言った。これは与えられた材料をよく吟味もせずに大金をはたいて補強に走る、これまでの監督たちへの批判であり、無名選手として入団し、その才能を開花させることなく終わる可能性のあった野球選手としての、選手から監督たちへの批判である。つまり、「お前たちは選手の能力や努力をちゃんと見ているか」という批判だ。さらに言えば、プロに入るほどの選手ならば、皆、一軍で働ける可能性はあるはずだ、という考えだろう。
落合は、一軍選手も二軍選手も同じスタートラインから始めると言った。つまり、秋季練習や春季練習の中から頭角を現した人間だけを使うと言ったのである。
スタートラインの平等。これは民主主義の理想でありながら、現実にはどこにも存在していないものである。落合は、それを実行したのである。だから、その競争に敗れた人間たちから不満の声は出なかった。もしも不満を言えば、それは自分の敗北を、よりみじめにするだけだっただろう。
こうして、落合監督は、まず「平等な競争」というスタートラインを作ったのである。これがその後のペナントレースの中で、これまでならしばしば出ていた内部からの不満を生じさせにくくする土台となったのだ。
まず、落合は、チームを引き受けた時、現有勢力だけで戦うと言った。これは与えられた材料をよく吟味もせずに大金をはたいて補強に走る、これまでの監督たちへの批判であり、無名選手として入団し、その才能を開花させることなく終わる可能性のあった野球選手としての、選手から監督たちへの批判である。つまり、「お前たちは選手の能力や努力をちゃんと見ているか」という批判だ。さらに言えば、プロに入るほどの選手ならば、皆、一軍で働ける可能性はあるはずだ、という考えだろう。
落合は、一軍選手も二軍選手も同じスタートラインから始めると言った。つまり、秋季練習や春季練習の中から頭角を現した人間だけを使うと言ったのである。
スタートラインの平等。これは民主主義の理想でありながら、現実にはどこにも存在していないものである。落合は、それを実行したのである。だから、その競争に敗れた人間たちから不満の声は出なかった。もしも不満を言えば、それは自分の敗北を、よりみじめにするだけだっただろう。
こうして、落合監督は、まず「平等な競争」というスタートラインを作ったのである。これがその後のペナントレースの中で、これまでならしばしば出ていた内部からの不満を生じさせにくくする土台となったのだ。
谷啓追悼記事。なんとなく面白いので転載する。記事元はボーガスニュースのコメント欄。
bogusnews大好きっ娘 さん
その昔勤め先で普段から真面目で仕事のミスなんかしなさそうな物静か(ぶっちゃけ地味)な女の子がありえないミスをした。その時彼女は小さな声で
「ガチョ~ン」
とつぶやいた。おまけに胸のあたりで小さく手まで動かして。なんでも彼女のお父さんが昔からよくやっていてそれがうつってしまったらしい。
同僚女性社員は皆
「なにそれ」
「ふるすぎー」
「ウエキ?ウエキ?」
などとピントのはずれたことを口々に言っていたが、男性社員は全員一斉に目を輝かせたのは言うまでもない。
その後彼女は同じビル内の別の企業のオフィスの結構なイケメンと結婚-->寿退社となった。女性社員は一様に「なんで?なんであんな地味な子が??」といぶかったが、男性社員は「あのイケメン、ただのやさ男かと思ったら見る目は確かなようだ」とささやきあった。
噂では結婚後出産を経ても彼女の体系は崩れず、地味だった容貌も年齢を重ねるごとに美しさを増し、同期の女性の間で「ミラクル」と呼ばれているという。
ガチョ~ンの効用をあなどってはならないという事例である。
(・∀・)マジデ実話

「ガチョ~ン」
とつぶやいた。おまけに胸のあたりで小さく手まで動かして。なんでも彼女のお父さんが昔からよくやっていてそれがうつってしまったらしい。
同僚女性社員は皆
「なにそれ」
「ふるすぎー」
「ウエキ?ウエキ?」
などとピントのはずれたことを口々に言っていたが、男性社員は全員一斉に目を輝かせたのは言うまでもない。
その後彼女は同じビル内の別の企業のオフィスの結構なイケメンと結婚-->寿退社となった。女性社員は一様に「なんで?なんであんな地味な子が??」といぶかったが、男性社員は「あのイケメン、ただのやさ男かと思ったら見る目は確かなようだ」とささやきあった。
噂では結婚後出産を経ても彼女の体系は崩れず、地味だった容貌も年齢を重ねるごとに美しさを増し、同期の女性の間で「ミラクル」と呼ばれているという。
ガチョ~ンの効用をあなどってはならないという事例である。
(・∀・)マジデ実話
落合野球の考察 1
中日の落合監督は、現役時代から「俺流野球」、つまり野球界の常識などまったく無視した練習方法と打撃術で知られた人間だが、監督になってもやはり「俺流野球」を貫いている。その基本となる考えは、実はまったくの合理主義である。他の監督よりも野球における計算が合理的なために、高い勝率を残してきたのである。
その野球のスタイルは、彼の選手時代と何も変わってはいないのだ。
彼の言葉の中で印象的な言葉がある。「狙い球と違う球が来たら、『御免なさい』と三振してくればいい」という意味の言葉だ。これは、年間のトータルで数字を残せばいい、という考えであり、優勝のかかる大事な打席で必ずヒットを打たねばならないという強豪チームの4番打者の言葉ではない。不人気リーグのパリーグの、その中の弱小球団の4番打者としては、自分の数字さえ残せばそれでよかったのである。
現役時代の落合が、その圧倒的な記録にもかかわらず、あまり人気がなかったのは、そういう「自分の記録とその報酬」にしか興味のない姿勢が嫌われていたのだと思う。私は、それはそれでプロの一つの在り方だと思って、評価していたのだが。
監督となってからの彼のやり方も独特なものだった。彼は、まず「高い金を払って外国人選手を呼ぶ必要はない。他チームの主力選手をトレードで手に入れる必要もない。現有戦力だけで十分だ」と言ったのである。これは、阪神の監督に就任した時に、チームの主力選手を総入れ替えした星野監督とまったく正反対のやりかたである。落合は、成績が低迷しているチームの人員をまったく変えずに、優勝争いのできるチームに変えることができる、と言ったわけである。
そして彼はそれを実現した。その後中日ドラゴンズは、毎年のように優勝争いをしている。12球団の4番打者を金でかき集めた巨人を倒して優勝したこともある。
では、彼の監督術とは何か。それは次回のテーマとしよう。
中日の落合監督は、現役時代から「俺流野球」、つまり野球界の常識などまったく無視した練習方法と打撃術で知られた人間だが、監督になってもやはり「俺流野球」を貫いている。その基本となる考えは、実はまったくの合理主義である。他の監督よりも野球における計算が合理的なために、高い勝率を残してきたのである。
その野球のスタイルは、彼の選手時代と何も変わってはいないのだ。
彼の言葉の中で印象的な言葉がある。「狙い球と違う球が来たら、『御免なさい』と三振してくればいい」という意味の言葉だ。これは、年間のトータルで数字を残せばいい、という考えであり、優勝のかかる大事な打席で必ずヒットを打たねばならないという強豪チームの4番打者の言葉ではない。不人気リーグのパリーグの、その中の弱小球団の4番打者としては、自分の数字さえ残せばそれでよかったのである。
現役時代の落合が、その圧倒的な記録にもかかわらず、あまり人気がなかったのは、そういう「自分の記録とその報酬」にしか興味のない姿勢が嫌われていたのだと思う。私は、それはそれでプロの一つの在り方だと思って、評価していたのだが。
監督となってからの彼のやり方も独特なものだった。彼は、まず「高い金を払って外国人選手を呼ぶ必要はない。他チームの主力選手をトレードで手に入れる必要もない。現有戦力だけで十分だ」と言ったのである。これは、阪神の監督に就任した時に、チームの主力選手を総入れ替えした星野監督とまったく正反対のやりかたである。落合は、成績が低迷しているチームの人員をまったく変えずに、優勝争いのできるチームに変えることができる、と言ったわけである。
そして彼はそれを実現した。その後中日ドラゴンズは、毎年のように優勝争いをしている。12球団の4番打者を金でかき集めた巨人を倒して優勝したこともある。
では、彼の監督術とは何か。それは次回のテーマとしよう。
# 248 ゲームの自由度
テレビゲームの中で私が特に好んでやるのがロールプレイングゲームの「剣と魔法」物だということは前に書いたが、そうしたゲームの特徴は「旅と戦いと報酬」である。つまり、ゲーム世界を旅しながら敵や怪物と戦い、戦いに勝って報酬を得る、というのが基本だ。その中でもストーリー性が強いものと弱いものがあり、私が好むのはストーリー性は弱く、そのゲームの中をただふらふらとさまよっているのが楽しいというゲームだ。そうしたゲームは一般的には「自由度が高い」という。ドラゴンクエストなどは比較的自由度は高い方だが、それでもストーリーはわりと明確である。ファイナルファンタジーあたりになると、私から見れば、向こうが勝手に決めたストーリーラインに沿って、ただゲーム機を操作しているだけのような気がして、あまり好みではない。つまり、非常に自由度が低いのである。そうした日本の作品に大きな影響を与えた本場のRPGが「ウルティマ」であるが、その「ウルティマ」ほど自由度の高いゲームも滅多にないだろう。私は「Ⅵ」しかやっていないし、しかもそれを10年近くやってまだクリアしてもいない。それどころか、このゲーム世界のどこに何があるのか、まださっぱりわからないのである。攻略本でも見れば分かるかもしれないが、このゲームは別に攻略するためのゲームではない。私はただその中を旅するのが楽しいし、ふとした機会に何かの発見をするのが楽しいのである。スーファミだからデータセーブも1つで、同じデータで延々とやるか、白紙に戻してやるしかないという厳しさだが、それもいいだろう。それこそ、人生と同じく一回性のものではないか。こんな名作が、日本ではほとんどやる人がいないというのは寂しいことである。
最近、高橋留美子の「めぞん一刻」を全巻読み直したのだが、大昔に週刊誌で読んでいた時には気づかなかったことが多い。主人公の五代のダメ人間ぶりは、同様に全巻を見直ししたアニメで、よく分かっていたが、ヒロインの響子さん(管理人さん)が、案外と人間的な弱点の多い人間であることは、雑誌掲載当時は、まるで気づかなかった。おそらく、それは五代と自分を同化して見ていたからだろう。惚れてしまえばあばたもえくぼというわけだ。しかし、もう一つの発見は、すぐれたキャラクターにおける欠点は欠点ではない、ということだ。音無響子が完全無欠な人間だったら、これほどの魅力は持ち得なかったはずである。察しの悪さ、視野の狭さ、決断力の無さ、短気さ、嫉妬心の強さなどがあるからこその響子さんなのである。それらの些細な欠点は、彼女の純粋さ(実は、その純粋さも、結婚を前にすると幾らかの計算がどうしても入ってくるところに、作者の冷徹な視線があるが)、愛情の深さ、優しさ、まっすぐな正義感など、さまざまな長所の前では、むしろ香辛料になるわけである。
ついでながら、「めぞん一刻」に出てくる中で一番の大人はアケミさんだと私は思っている。なかなか深みのある人間で、最後のあたりで、「あんたみたいな面倒くさい女から男を奪うほど、あたしは暇じゃないよ」とか何とか、子供っぽい強情を張る響子さんに毒づくセリフは最高だった。もちろん、毎回下着姿で登場するというサービスぶりも素晴らしいのだが。
高橋留美子氏には、ぜひ、もう一度、このような大人向けのロマンチック・コメディを描いてほしいものである。
高校野球選抜チームが、今、アメリカでアメリカチームと試合を行っているが、昨日の試合で興南高校の4番打者の真栄平一塁手がホームランを2本打った。ところが、テレビでは先発の一二三投手が好投した、というニュースばかりである。普通、4回1失点の投手と、ホームラン2本の選手では、後者がニュースだろう。確かに一二三もなかなかの好投ではあるが、あちらの広い球場で2本もホームランを打った選手とは比較にならない。マスコミが勝手にスターを作り、そのスター選手中心にニュース作りをしていくという姿勢は昔からあるが、こういうことばかりやっているから、マスコミは視聴者に見放されるのである。
ともあれ、真栄平選手は、その才能が開花しつつあるようである。真っ向勝負のアメリカ人相手の方が、彼には向いているのではないか。そのまま、あちらに残って大リーグ入りでも目指したらどうだろうか。何なら、ステロイドでも使って肉体改造をするという手もあるし。(これは冗談だが、最近の大リーグの記録の大半は、ステロイドによる肉体改造をした選手たちによる記録である。バリー・ボンズの年間73本という、あきれたホームラン記録がその代表だ。マクグワイア、サミー・ソーサなど、すべてそうである。投手でいえば、ロジャー・クレメンスなどがそうらしい。)
ともあれ、真栄平選手は、その才能が開花しつつあるようである。真っ向勝負のアメリカ人相手の方が、彼には向いているのではないか。そのまま、あちらに残って大リーグ入りでも目指したらどうだろうか。何なら、ステロイドでも使って肉体改造をするという手もあるし。(これは冗談だが、最近の大リーグの記録の大半は、ステロイドによる肉体改造をした選手たちによる記録である。バリー・ボンズの年間73本という、あきれたホームラン記録がその代表だ。マクグワイア、サミー・ソーサなど、すべてそうである。投手でいえば、ロジャー・クレメンスなどがそうらしい。)
アンファニズムとは、フランス語の「子供=アンファン」に「主義=イズム」をくっつけた私の造語である。つまり、「子供主義」だ。子供主義とは何かというと、大人の正体は子供である、ということ、あるいは大人か子供かは年齢とは無関係だ、ということである。子供の中にも大人はいるし、大人の中にも子供はいる。それを肯定的にとらえて、もっと自由に気楽に生きよう、と世の中の「大人」たちに呼びかけるのがアンファニズムである。
昔、私がまだ二十代はじめの頃に、友人の知人の家に遊びに行ったことがある。その男の人は多分40代くらいだったと思うが、その人の部屋にはモデルガンがたくさん、壁に掛けられていた。それを見て、私は、「この人は偉い!」と思った。当時の私は大人と子供ははっきりと違うし、いつまでも子供っぽい嗜好を持っているのは恥ずかしいことだという既成概念に囚われていたのである。この男の人のように、自分の子供っぽい嗜好を堂々と他人の前に見せているのは立派だ、と私は考えたわけだ。
この時の経験が私の「アンファニズム」の土台にある。
社会的な関わりの中では、人間は大人的な体面を守り、大人として行動することを要求される。それは当然である。しかし、趣味・嗜好の世界では、これはダメとか、これは恥ずかしいという既成概念に囚われる必要などまったく無い。これが私の言うアンファニズムだ。別の面から見れば、大人というパラダイムを捨てることで、精神を自由にしよう、ということでもあるが、まあ、理屈はどうであれ精神(内面生活)の中でまで自分が大人であることに縛られる必要などない、ということである。