「ときどき休みます」というブログから。私も些細な物事を分析するのが趣味なので、こういう見事な分析を読むと嬉しくなる。文章も面白いし。
(以下引用)
昨日の日記のとりかかりに夢の話を書いた。よく「他人の夢の話ほどつまらないものはない」ということが落語の枕のように囁かれるが、ふと、これ誰が言いだしっぺなのかなあと気になって実はあのあと調べたけれど、とうとうわからずじまいだった(これについてご存知の方がいればご教示下さい)。そしてもうひとつの疑問は、本当に他人の夢の話はつまらないのか、ということである。これは個人差があるから実際のところ検証のしようがありません。僕自身も確かに、誰かがゆうべ見た夢の話をいかにも面白おかしそうに話しはじめると途端に警戒するし、辟易してしまうことがある。それはいったい何故なのか。思いつくままを少しばかり箇条書きにしてみた。
これらの要素は独立して成り立つ場合もあれば、複合的に夢話の退屈さに手を貸す場合もあるだろう。またこの他にも考えられる理由はたくさんあるかもしれない。軽い気持ちで目を通してみて下さい。
- 荒唐無稽すぎる
- ときに作り話っぽいから
- だいたいオチがない、というか結局、出だしから夢オチ
- だいたい長くなることが多い
- 知らない人がたくさん出てくる
- しょせん語り手が主人公の話で、それこそ夢中で語るから
- 話し方が下手、まとめ方が下手
- 聞いたからといって返事のしようがない
- 夢占いなどを求められているようでイヤ
- 聞くより自分が見た夢の話をしたい
- 自分は夢など見ないか忘れているので嫉妬する
- その場から逃れられない状況できりだされることが多い
- そもそも、その人にそれほど興味がない
こんなふうに自分で並べておいてそれを否定するのもどうかと思うが、映画『男はつらいよ』の夢オープニングはいちいち面白かったし、黒澤明の『夢』も漱石の『夢十夜』も、まあ目の前で直に当人の話を聞かされるのとは違うが、決してつまらなくはない。小説だって映画だって荒唐無稽の話や作り話などたくさんある。
そうやって考えると「話し方が下手」というのも大きな理由かもしれないなあと思う。でも、僕は子どもたちがまだ小さかったころ、彼らが「怖い夢見たんだよ」と言い寄ってくるそのたどたどしい夢の話を聞くのが大好きだった。だったら13番目あたりの「そもそも、その人にそれほど興味がない」というのに案外止めを刺すのか。カミさんの夢の話を聞かされるのはどうだろう? あっ、これは正直つまらない。するとカミさんにそもそも興味がない? いえいえ。ただし、結婚前つきあってるときからカミさんに家族の話(母親がどうしたとか妹がなんだとか)を聞かされるのだけは、今思い返すとずいぶん我慢して聞いていたけど、退屈だったなあ。もちろん僕も退屈な話をいっぱいしただろうからそれはおあいこなんだけどね。おっと夢の話じゃなくなっちゃった。