
初バッティングセンターが楽しかった息子。マンガみたいなポーズで打ってるw。しかし我が家にはアドバイスできる大人がいないな
宝塚歌劇団の娘役からおっとりした母親、上品なおばあさんまで…。“日本の理想の女性”と呼ばれ、24日に88歳で亡くなった女優、八千草薫さんは、いくつになっても可憐(かれん)でかわいらしい笑顔が印象に残る名優だった。今年に入って転移した肝臓がんが見つかり、治療に専念。「帰ってまいります」と誓っていたが、その希望はかなわなかった。
昭和6年、大阪に生まれた。女学校在学中に終戦を迎え、戦後初めての宝塚音楽学校の募集に応募。22年に宝塚歌劇団に入団する。
美貌の娘役として「虞美人(ぐびじん)」「源氏物語」などの舞台で評判を取るかたわら、26年に「宝塚夫人」で映画初出演。29年には稲垣浩監督「宮本武蔵」に三船敏郎演じる武蔵に思いを寄せるお通役として出演し、その清楚(せいそ)なたたずまいから人気を博す。
その後も同年のイタリアで撮影された日伊合作「蝶々(ちょうちょう)夫人」など、次々と話題作に起用された。
32年に宝塚歌劇団を退団すると、映画だけでなくテレビドラマや舞台にも引っ張りだこの存在となり、夫を支える楚々(そそ)とした「理想の妻」「理想の母」を演じることが多くなる。そんな中、崩壊する家族の姿を描いた52年の「岸辺のアルバム」(TBS)では浮気する主婦を演じ、新境地を開拓、衝撃を与えた。
その後も母親役、おばあちゃん役として映画、ドラマには欠かせない存在だった。
平成25年には「くじけないで」(深川栄洋監督)、27年に「ゆずり葉の頃」(中みね子監督)と、80歳を超えて立て続けに映画に主演する。産経新聞1面の「朝の詩」の投稿で話題となった100歳の詩人、柴田トヨさんを演じた「くじけないで」では、「90歳過ぎの役は難しかった」と打ち明けながらも、「私の場合、その役が好きになって何となく自分の中に溶け合ってくる」と役作りの極意を口にしていた。
私生活では昭和32年、映画「乱菊物語」(31年)に出演して出会った19歳年上の映画監督、谷口千吉氏と結婚。一緒に山登りを楽しむなどおしどり夫婦として知られ、環境庁自然環境保全審議会委員を務めたこともある。平成19年、結婚50年目に死別。「主人になってからは本当に楽しくて、いつも笑っていました」と、後に思い出を語っていた。
29年暮れには膵臓(すいぞう)がんが発覚し、翌年1月に手術を受ける。術後の経過は順調で、舞台「黄昏(たそがれ)」の主演などをこなしたが、31年に入って肝臓にもがんが見つかり、4月からのドラマ「やすらぎの刻~道」(テレビ朝日)の主演を降板。治療に専念し、「より一層楽しんでいただける作品に参加できるよう帰ってまいります」とコメントを出していた。
「まさか50年も漫画家をやれるとは思ってもいませんでした。仕事がなくなってしまう自分をいつも想定して身構えて描いていましたから。これまでは自分の思い通り、やりたい通りに漫画を描いてきたので、編集さん泣かせでした(笑)」
『日出処(ひいづるところ)の天子』や『アラベスク』など数々の少女漫画の傑作を世に送り出してきた山岸凉子さん。画業50周年を記念した『山岸凉子原画集 奏(かなでる)』には、初期の作品から現在「モーニング」で連載中の『レベレーション(啓示)』まで、自ら選んだカラー作品20点が収められている。高精度の複製原画はあえて製本せず、「帙(ちつ)」という布張りの豪華なケースに収められ、書店での販売はしない完全受注生産。直筆のサイン入りだ。このような豪華な画集が出版されるのは漫画家では極めて稀である。
「こうした画集に入れる絵はだいたい決まっています。描いている間に『これは成功、これは失敗』と、わかっていますから。いちばん好きな絵はやはり『日出処の天子』。この絵はいまは、もう描けないかもしれませんね。根気と集中力が昔のようにはないですから、この時期に描いておいてよかったです。当時は一色塗るたびにベッドに倒れ込んで、気力を充実させてまた起き上がって描く、というのを繰り返していました。それが苦痛ではなかった。今はバタッと倒れたらそれきり起き上がれませんから(笑)」
エピソードには事欠かない山岸さん。漫画界に与えた影響は計り知れない。50年の間に印刷技術の精度は上がり、山岸さんの思い描く通りの色彩に近づいた。
「『日出処の天子』を連載しているときは、都内の24時間営業の喫茶店をはしごして“降りてくる”のを待っていました。最初に思いつくアイデアはあるのですが、どこかで『違う』という声が聞こえる。その『違う』を具体化させようとずっと考えます。それで突然『来たーっ!』となってやっと描くのです。ですから締め切りはめちゃくちゃ遅れてばかりで、ひどかったのです。この画集は綴じられていないので飾ることもできますから、ときどき箱から出して眺めたり、タンスの肥やしにしてほしいです(笑)」
山岸作品といえば『日出処の天子』を代表とする史実をもとにした歴史ものや『アラベスク』『テレプシコーラ/舞姫』などのバレエの世界を舞台にした長編作品が真っ先に思い浮かぶ。しかし『汐(しお)の声』『わたしの人形は良い人形』などのホラー、「天人唐草」「月読(つくよみ)」など、人間が抱える差別意識や家族関係から生じたトラウマを描いた短編にもファンは多い。少女漫画としては重く深遠なテーマに、常に第一線で取り組んできた。読者の心をえぐるストーリーテリングと、豊かな色彩を駆使した美しく繊細な画力はどうやって生み出されたのだろうか。
「これを描こう、こういう色で描こうというのを見つけられるまでに時間はかかりますが、苦労とは思わないのです。気に入った構図、気に入った色で描けると思うと嬉しくなりますから。ただ、新人の頃は『原色を塗れ』と教えられました。自分の好きな色彩ではないので、嫌で嫌で倒れそうになりながら最初はサクラクレパスで塗ったりしていました。あるとき、微妙な色が出なくてもいいと思って印刷に出したら色がきれいに出たのです。同業の大和和紀(やまとわき)さんなんかは、『山岸さんの絵が出せるなら、私のも出せるはず!』と印刷所に抗議したそうです。お役に立って良かった(笑)」
INFORMATION
『山岸凉子原画集 奏』
WEBにて2020年1月31日まで申し込み受付中。
講談社オンラインストア
https://kodanshaonlinestore.jp/products/detail.php?product_id=320