1: 風吹けば名無し 2022/01/04(火) 11:32:08.27 ID:avLLvmPh0
このアニメは美少女ばかりでもいいんだよ
顔可愛いのにデブとかご褒美やん
そもそも、顔とか違うやん。美少女ってだけ。じゃあチー牛でてない全てのアニメは差別やな。男も陽キャばっかやん。
ブサイクがたくさん活躍して観に行く奴がそんなにおるんかって
支えてる層の需要を満たしてるんだわ
ポリコレに呑まれるなよ...
一人で間違った価値観を持ち続けろ
いつまでも同人のノリがキツい
確かに、今回も彼のツイートを支持している人は実際にSHIROBAKOを見ていない人がほとんどだったね……。
このように、一見もっともらしいが、有名な固有名詞をいくつか配置しただけで、さしたる分析もおこなわず、情報の参照元も示さずに、そもそも情報にきちんと当たらないまま、ボンヤリと全体を俯瞰したようなふりをするというのが、小野寺系の典型的な手口なのである。言葉を変えれば、これは「博識な俺」を演出する以上の意味を読み取る必要のない文章である。
『バットマン』のときもそうだったが、ひょっとすると、小野寺系の知識は1990年代以降ろくに更新されておらず、ここ10年くらいのジャッキー・チェンの国際的な活動について、何も把握していないのかもしれない。まあ、知識がないだけなら、恥ではあっても罪ではない。問題は以下のような、差別意識丸出しの文章をあっけらかんと書いてしまうことだ。
要するに、小野寺系という人は――彼個人には何ら興味も関心もないので、あくまで文章上からうかがえる姿であるが――「知ったかぶり」の典型であり、聞きかじっただけの知識を適当により合わせて、そこに凡庸な感想を付け足すだけの、適当極まりない文章を、ひたすら量産しているだけの存在だといえる。
(中略)
彼の頭の中では、アニメ史も、現代アート史も、アジア映画史も、アメコミ史も、全ては、ほんの一部の著名な固有名詞が、ポツポツと置かれているのに過ぎない。そういう空虚な人間が、何か気の利いたことをひねり出そうと悪戦苦闘した挙げ句に、東洋は古くて西洋は新しいといった名誉白人的な差別的言辞が飛び出したりする
小野寺系という人は、映画から意味を読み取るということが不得手な人なのだろう。結果として、他人の作った映画をダシに自分の言いたいことをただ叫んでいるだけというオチで締める雑文が珍しくない。
小野寺系はなぜ映画評論家と呼ぶに値しないのか――アメコミ、アート、アニメ、そして映画 - skyfall 映画の記録 cinemania.hatenadiary.jp/entry/2020/02/… 日本の映画評論家はウィキペディアが読めれば務まる仕事だったの?
引用元:
上の言葉も山本直樹自身のものだが、私も最初に下のツィートを読んだ時、「?」と思ったのだが、小室直樹風に「補助線」を入れることで、これはかなり重要な指摘だ、と理解できた。
つまり、「手塚治虫=完全なフィクションとして作品を作る」「つげ義春=自分の生活や私的妄想自体が作品の核になる」という補助線である。としたら、吾妻ひでおは、まさしくその両者を結ぶ存在になる。私的妄想がフィクションと見事に融合しているのが吾妻ひでお作品の特徴だからだ。
なお、私は「森山塔」時代の山本直樹のエロ漫画を高く評価している。或る種の高い知性と融合したエロである。つまり、何がなぜエロになるのか、の哲学的考察が底流にある作品だったと思う。もちろん、ネットに溢れるエロ絵・エロ漫画などでも単独でもエロなのだが、「知的に面白い」とは普通はならないわけだ。まあ、山本(森山)の場合はキャラ絵の魅力自体がエロ性を高めていたとも言える。儚く、美しいもの、高貴なものを凌辱するサディズムは、エロの大きな要素だろう。その一方で、健康的でたくましい巨乳やでかい尻にエロを感じる「土方的」エロもある。山本(森山)は巨乳を書いたことは一度も無いのではないか。
(以下引用)
ボクシング・デー(英語: Boxing Day)は、イギリス・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・ケニア・南アフリカ共和国・香港・トリニダード・トバゴ・ナミビア・ベリーズなどの英連邦でよく見られる、キリスト教に由来した休日。日付は12月26日。アイルランド、ドイツ、北欧などでは、聖ステファノの日(英語では聖スティーヴンの日、イエス・キリストが神の子であると述べ伝えたために、ユダヤ教の教義に反するとして同じユダヤ人によって石打の刑に処された殉教者ステファノを偲ぶ)。
クリスマスの翌日で、元々は、教会が貧しい人たちのために寄付を募り、箱に入れられた(boxing)クリスマスプレゼントを贈る日であったことから"Boxing Day"と呼ばれる。なお、スペルは同じだが、スポーツのボクシングとは無関係である。