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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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先ほどまで、ネットフリックスで「ロマンチックキラー」を何度目かの再視聴をしていたが、その中でヒロインとイケメン同級生が台風で家に閉じ込められ、「人生ゲーム」とか何とかいうボードゲームをするシーンがあったのだが、それでイケメン君が「道端に落ちていた骨董品を届け、(謝礼に)50万円貰う」というコマに進んで、ヒロインが心の中で「道端に落とすなよ」とつぶやくのだが、それを聞いて初めて私は「道端に」骨董品が落ちていることが異常であることに気づいたのだが、そこで私自身のある精神症状に気づいたのである。
それを「フィクション不感症」と言っておく。あまりに多くのフィクションに接した結果、その中で何が起こっても意外性を感じないわけだ。それは、「ギャグが理解できない」ことにつながるのだが、なぜかというとギャグというのは「不自然な事態」をネタにするからである。不自然を不自然と感じないのは、精神的欠陥であり、ある意味、精神的疾患だとも言える。これは間違いではないと思う。気取った言い方をすれば、昔よくインテリが愛用したヴァレリーの「(あらゆる)書は読まれたり。肉(体)は悲し」も同じことだろう。
ちなみに、この文章の中で私は「ロマキラ」作中人物の名前を書いていない。アニメなどを見ると、その次の瞬間には細部を忘れているから書けないのである。これは認知症ではなく、「フィクション不感症」だと私は断定する。過去に記憶した知識がジャングルのようになっていて、新しい知識を覚える余地が無くなるのであって、「忘却する」のではない。もちろん、新しい知識のために古い知識が消去されることを忘却と言ってもいい。「日常に使わない記憶や知識は脳の奥に埋もれ。消えたに等しくなる」ということだ。
この状態が悪化すると、読書すら困難になる。なぜなら、小説を読むことは「前に出た事柄の記憶の上に、その先の出来事が理解される」システムであるからだ。実際、特に推理小説などだと、私は人名や出来事をどんどん忘却するので、しばしば前の部分を確認しながら読まないと理解できない始末である。
これを敷衍すると、有名作家の創作活動が人生の前半にほぼ限定される理由も分かる。おそらく、創作中に自分が前に書いた部分を忘れるので、創作が難儀になり、やる気を失うからだろう。

バルザックが死に際に「ビアンション(彼の「人間喜劇」シリーズの登場人物で名医)を呼べ」と言ったのは、それだけ彼が自分の創作世界に没頭していたからであり、彼には現実生活より自分の作り出したフィクション内世界のほうがリアルだったのである。
で、この「ビアンション」という名前が自分の記憶から出て来たこと自体が、今の私には驚異である。



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