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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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先に、ここで問題とするコメントを赤字にして引用する。

■もう「リベラル」自体が蔑称化してるから別の呼び方を考えるべき
『人権派義士』とかどうだろう?


最初に、「リベラル」自体が蔑称化している、というのはほぼ事実だろうと思う。少なくとも若い世代では、それが過半数の意識だと思う。
しかし、それは米国民主党的な「LGBT」や「BLM」などの運動を「リベラル」と結びつけた、ある意味「リベラル」という言葉の誤認である。
おそらく、リベラルが軽蔑されたのは、もともと革新的立場というのは時の権力や権威に逆らう立場であり、権力者側の立場に立ちたい人間は若くてもそういう「反体制的」な連中を嫌悪するからである。それは、悪く言えば「自分も甘い汁を吸う側になりたい」ということだが、当人たちはその自覚はあまり無く、単に「あいつらは、ワーワー騒いでうるさい、しかも偽善的な連中だ」という皮膚感覚から「リベラル側の人間」や「リベラル思想」と自分が漠然と思っているものに悪口を言うわけだ。そしてリベラルが蔑称となる。
説明が後になったが、リベラルとは「自由主義」のことで、べつに「反体制」とイコールではないが、体制というのは人間を縛る「法律、道徳、規則」が大前提なので、リベラル人間の中からは必ず「アウトロー(犯罪者)、不道徳者(特に性的無軌道)、社会常識を守らない者」がかなり出て来るのがある意味必然的であり、「秩序を好む人間」は、リベラル、つまり自由主義に反感を持つのである。昔から芸術家は自由主義であり、反体制的行動が多く、政治的には左派が多いのも、当然の話で、芸術は過去の規範を脱することが創造につながるのである。
その反面、テクノクラート、つまり技術者は「公式、規則、アルゴリズム」が仕事の柱だから、体制順応的になる。体制に従わないと給料が出ないのである。これがIT関係者の多い「はてな匿名ダイアリー」がネトウヨの巣窟になる理由だ。

ちなみに、最初のコメントにあるような「人権」活動とリベラル人種は結びつきやすいが、リベラルとは「自由主義思想者」であって、「人権問題」はその活動の一部でしかない。

なお、アメリカで民主党(リベラル)が政権政党になった結果、アメリカ社会が滅茶苦茶になったのは「自由主義」の必然である。その破壊の一端に「一部の人間の権利拡大のために社会全体を犠牲にする」人権活動があったわけだ。

なお、日本共産党はリベラリズムとは対極にある政党で、党員の隅々まで党議拘束されている。他党も似たり寄ったりで、まあ、日本ではリベラリズムの政党は存在しない、と言える。リベラリズムとは本来「俺の自由のために世界はあるべきだ」というジャイアン主義であり、アメリカ人の体質なのである。日本のような「社会秩序、周囲の和が何より大事」という国民性とは真逆である。









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