【柏英樹の勝負球】
プロ野球が開幕し、第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で侍ジャパンの4番として活躍した筒香嘉智内野手(25)も、横浜DeNAの主砲としての戦いの場に戻った。豪打でチームを牽引したが、準決勝・米国戦で無念の敗退。その8回に放った右翼への一撃は、日本列島の誰もが「逆転3ランだ!」と身を乗り出したが、失速し右飛。なぜスタンドに届かなかったのか。米大リーグから一躍「松井秀喜氏以来の日本人スラッガー」と注目される存在となった男を、スポーツライターの柏英樹氏が直撃した。
--WBCでは全7試合で4番を務め、打率・320、3本塁打。日本中に存在をアピールした
「個人成績より、とにかくチームの勝利に貢献することだけを頭に置いてやりました。うまくいった試合もありましたが、結果的に準決勝で敗れ、世界一になれなかったことが悔しいし、責任を感じています」
--その準決勝・米国戦。メジャーの一流投手に侍打線は4安打1得点と沈黙した。速くて重くて微妙に変化する球は、対応が難しかったか
「僕なりの感覚では打てると思ったんですが…」
--1点を追う8回2死一、二塁で放った右飛は、打った瞬間、テレビの前で応援していた日本のファンが一斉に「行った!」と叫んだほど、とらえたようにみえた
「いや、とらえていてあの当たりではショックです。詰まってたんでね。完璧にとらえていればスタンドまでいったはずです。とにかくコースに逆らわずに打つことが大切だと思います」
--確かに、日本国内では“引っ張り専門”だったあの松井秀喜氏(元巨人、ヤンキースなど)はメジャー移籍当初、凡打の山で“ゴロキング”と揶揄された。それから反対方向にも打つようになって開花した
「僕の場合は昔からコースに逆らわない打撃を心がけていました。特にプロ2年目に米国で自主トレをしたとき、マイナーの選手のほとんどが外角球は左へ(左打者の場合)打っているのを見て感心しました」
《筒香は20歳だった2011年オフ、米ロサンゼルス郊外で自主トレを敢行。多くのメジャーリーガーも利用する、全米最大級のトレーニング施設で見聞を広めた。15年オフにはドミニカ共和国のウインターリーグに参加するなどワールドワイドな思考の持ち主だ》
--松井氏はメジャー移籍後、打撃フォームも変えた。バックスイングをゆっくり取っていたのを、速い球に対応するため最初からバットを後ろに引いて構えるようになった
「その点でも、僕は最初からバットを後ろに引いて待ってますね」
--松井氏がメジャー移籍後に変えたことをすでにやっているというワケだ
「いや意識してやってるのではなく、昔から徐々につくり上げたもので…」
--打撃で一番気をつけている点は
「体の重心(軸)ですね。重心が前に出たり、フワッと浮いたりしないように、日頃から意識しています」
--だからどっしりとした構えに見える。重心を常に意識するために、メキシコ先住民が使っているサンダル(「ワラーチ」と呼ばれる)をはいて砂浜を走ったり、長い特製バットを振ったり、いろいろ工夫している
「まあ、そうです」
--2年前の春季キャンプで松井氏に直接指導を受け、休日には一緒にゴルフを楽しんだ。そのときのアドバイスは
「『今やっていることは間違ってないから。それを続けて磨くように』と。やってきたことが間違いではないと言われたことがうれしかったです」
--さてペナントレース。昨年は44本塁打、110打点で2冠に輝いた。今季は3冠王の期待もかかっている
「いや、昨年の成績には何の感情もないです。今年の個人的な数字の目標もありません。とにかくチームが勝つこと、勝たせること。それだけしか考えていません」
松井氏が巨人を日本一にして(2002年)から海を渡ったように、日本の4番はいつの日か世界の舞台へと飛び立っていくのだろうか。
■筒香嘉智(つつごう・よしとも) 1991年11月26日、和歌山県生まれ。横浜高をへて2009年ドラフト1位で横浜(現横浜DeNA)入団。15年から主将。16年に本塁打、打点でセ・リーグ2冠王。右投左打。今季年俸3億円(推定)。独身
■柏英樹(かしわ・ひでき) 1942年東京都生まれ。青学大時代はラグビー部主将。報知新聞社に入社し、巨人担当などを務めた。ONとは41年間親交がある。99年1月からフリー