私はマン振りはしなかったです。ボールの芯とバットの芯を結べば、ボールは勝手に飛んでいくと考えていました。スタンドを見て打つのではなく、インパクトの瞬間を非常に大切にしていました。
というのは、普通のホームランバッターとは異なる考え方だろう。しかし、それが世界的なホームランバッターを作った打撃論なのである。
日本刀による練習の意味が、上記の「インパクトの瞬間」の間を読む練習だったというのも面白い。
-日本刀を使った練習もしましたよね。
あれ(天井からぶら下げた短冊状の紙片)は、つるすだけではなくて、回すんですよ。ぐーっと回ってきたものを、こういうふうにいけば斬れる。うまくいかないと、こうだったり、ひどくなるとちぎれたようになる。
タイミングを計るというか、紙がこの辺に来たときに決断をするという意味ではいい練習、いい勉強になりました。振り出す瞬間、実際はボールなんですが、それがどこに来たときに振り出すのか、その決断力を養うんです。
(以下引用)
-荒川博さんなくして、王さんはなかったですか。
はい、ありません。私にとって幸いだったのは、荒川さんにはお子さんがいらっしゃらなかった。私と荒川さんは年齢が10歳違うんですが、私には本当に全ての情熱を注入してくれた。
ご自身も毎日大映オリオンズでプレーされて、果たせなかった自分の夢を私に託そうとした。まあ、それは強烈な練習でした。キャンプに行くと朝起きて食事をして、グラウンドに出掛ける前の時間で素振りでひと汗かく。練習から帰ってきたら、またそこで汗が噴き出すぐらいバットを振って…。
夜ミーティング後に練習をした。もう一回風呂に入らないといけないぐらい素振りをした。荒川さんが納得するか満足すれば終わり。私は関係ないんですよ。私はなぜやめるのか、なぜやるのか分からないまま、ただただ振っていました。
-体に変化はありましたか。
ええ、私一人だったら絶対にできません。残念ながら亡くなってしまいましたけれど、あれだけ情熱のある指導者、荒川さん的な人に、今の若い人を教えていただきたいなと。体で表現することは繰り返し、繰り返しやらないと駄目なんですよ。
私も最初は何も考えなくてやりました。だんだん分かってくると練習が苦じゃなくなるんです。そこを超えるまで指導してくれる人、今はそこまでやる人はいないですよね。もう一回やれと言われてもできません。体は大きい方ではなかったのにあれだけホームランを打てた、40歳まで現役でやれたというのは、荒川さんの素振りの指導が大きかったですね。
荒川さんはホームラン王というより、三冠王を取らせることを頭に置いていたようで。最初は「おまえは三冠王になれるから」とよく言われました。ものすごい、とんでもないことを目標にして「だからこれだけやるんだ」と体に覚え込ませてね。
-日本刀を使った練習もしましたよね。
あれ(天井からぶら下げた短冊状の紙片)は、つるすだけではなくて、回すんですよ。ぐーっと回ってきたものを、こういうふうにいけば斬れる。うまくいかないと、こうだったり、ひどくなるとちぎれたようになる。
タイミングを計るというか、紙がこの辺に来たときに決断をするという意味ではいい練習、いい勉強になりました。振り出す瞬間、実際はボールなんですが、それがどこに来たときに振り出すのか、その決断力を養うんです。荒川さんのご自宅で夜中の2時、3時ぐらいまで振っていたときもあります。
-例えばソフトバンクの柳田悠岐選手みたいに「マン振り」をしていましたか。
私はマン振りはしなかったです。ボールの芯とバットの芯を結べば、ボールは勝手に飛んでいくと考えていました。スタンドを見て打つのではなく、インパクトの瞬間を非常に大切にしていました。たしかに人よりも遠くに飛ばす力は小学校、中学校のときから仲間たちよりはあった。甲子園でもホームランを2本打っていますし。理屈は分かりませんが、打ち方としては長打が出るような体を両親から受け継いでいたのだと思いますね。