ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
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「ライブドアニュース」から転載。
1940年代から1960年代(細かく言えば50年代)までがアメリカ野球の黄金期だったと私は思っている。その頃の大リーグを象徴する三大打者が、ジョー・デイマジオ、スタン・ミュージアル、テッド・ウィリアムズの三人である。
その一人が死去した。(他の二人はもう既に亡くなっているかと思う。)
こうして歴史がまた過ぎていく。
なお、この頃の選手の成績には全盛期に第二次大戦で従軍した時期が2年ほどあるので、本来ならそれぞれ安打数で300本~400本、本塁打数で60本~90本ほど追加されていたはずである。
しかも、それは「ステロイド注射」無しの成績だ。
(以下引用)
3630安打、スタン・ミュージアル氏死去
読売新聞
2013年01月20日18時02分
.
【カルガリー(カナダ)=西村海】1940年代から60年代にかけて米大リーグ、カージナルスで、メジャー歴代4位となる通算3630安打を放ったスタン・ミュージアル氏が19日、ミズーリ州の自宅で死去した。92歳だった。
ミュージアル氏は41年に大リーグデビューし、63年に引退するまでカージナルス一筋で主に外野手として活躍。48年に打率3割7分6厘をマークするなど7度の首位打者に加えて、2度の打点王、3度のリーグMVPにも輝いた。大リーグ通算3026試合に出場し、475本塁打、1951打点で、通算打率3割3分1厘の好成績を残した。
カージナルスの背番号「6」は永久欠番となっており、69年に野球殿堂入りした。人格者として知られており、「スタン・ザ・マン」の愛称で親しまれた。
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