山田が絶不調、バレンティンが怪我離脱という状態では、打ち勝つことは難しい。投手陣も弱いヤクルトでは、守り勝つことも難しいのは当然だが、中日の例を見れば分かるように、守り勝つのは野球の基本である。投手陣も、埋もれた人材が発掘されれば整備されてくるが、その時に必要なのは、いかにして必要な点を取るかだ。それができないから巨人やヤクルトは連敗をするのである。打線が最低限の点を取れれば勝てる試合も何度かあったのだ。
そこで、荒木だが、彼が面白いのは、これまで内野を中心に守って、その際に毎年2割5分前後の打率を安定的に残していることだ。つまり、外野転向したら、それが2分くらい上がる可能性がある、と想像できる。しかも、数少ない外野守備(66試合のみ)で捕殺が5回もある。これは外野手としてはかなり強肩なのではないか。要するに、彼は完全に外野転向したら、成績がこれからもっと上がる可能性が高い、と彼の記録を見て私は想像する。ただ、内野手が不足なので、しばらくは3塁で使うしかないだろう。
なお、昨年私が推奨した西浦は、西田ともども今年は「経験値リセット」をしてしまったようなので、1軍で我慢して使うには及ばないと思う。他の若手にチャンスを与えるべきだろう。
二軍では外野手の山崎、比屋根がいずれも15盗塁以上という快足ぶりを見せているが、打率が伴わない。これは、「ゴロを打つ」「内野安打を増やす」という指導をしていないせいではないか。人それぞれ、役割に合った打撃がある。それを二軍でちゃんと指導しているのか。いずれにしても、ヤクルトは内野の人材不足である。田中浩康でもいれば、助かったのではないか。
まあ、野手に関しては、川端、畠山が毎年のように離脱している状態では、それを当てにするわけにはいかないから、新外国人で三塁一塁のできる強打の選手を獲得するしかヤクルトを再建する道は無いだろう。ドラフトでは、履正社の安田と早実の清宮のどちらかを獲ることだ。
あるいは、守備に目をつぶって、西武から山川を獲る、というのも一手段である。とにかく、今のヤクルトは投打ともに壊滅的であり、ロッテよりひどい状態である。
投手では寺島が3年後くらいに出てくると期待しているが、まだ先の話だ。
なお、即効薬として、「若返り路線でベテラン野手が総失業状態」の阪神から西岡、新井良太を獲得するという手がある。その見返りは、バレンティンでどうか。外人をトレードのタマにするというのは聞いたことが無いが、不可能なのかどうか。大砲の欲しい阪神なら、このトレードを了承するかもしれない。私は西岡と新井良は嫌いなのだが、ヤクルト打線強化には十分に役立つだろう。あるいは畠山、川端とトレードしてもいい。いても働かない選手なら、放出しても痛くも何ともない。お互い、チームを替えることで選手が生き返る可能性もある。
荒木貴裕
東京ヤクルトスワローズ #10 | |
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2011年10月15日、横浜スタジアムにて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 富山県小矢部市 |
生年月日 | 1987年7月26日(29歳) |
身長 体重 | 180 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手、遊撃手、一塁手、三塁手 |
プロ入り | 2009年 ドラフト3位 |
初出場 | 2010年3月26日 |
年俸 | 1,900万円(2017年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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荒木 貴裕(あらき たかひろ、1987年7月26日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(外野手、内野手)。
目次
[非表示]来歴[編集]
アマチュア時代[編集]
津沢小学校のスポーツ少年団で、2年生の時に遊撃手兼投手として野球を始める[2][3]。津沢中学校時代は高岡シニアに所属し、全国大会に出場した[2]。
帝京第三高校では、1年秋から遊撃手のレギュラーとして活躍し、甲子園出場はならなかったものの、3年の2005年夏には県大会で4強の成績を残している[2]。3年夏の大会前に、近畿大学の練習に参加した際に監督・榎本保の目に止まり、入学することになる[2]。
近大進学後の関西学生リーグでは、1年春からベンチ入り[2]、2年春から遊撃手のレギュラーを務めた[4]。同期には、後に阪神タイガースに入団する藤川俊介がいた[4]。3年時には大学日本代表に選出され、ハーレム国際と世界選手権に出場し、後者では外野もこなしながら銀メダルを獲得している[2][5]。4年時は骨折で春季リーグの前半を棒にふったものの、復帰後にチームが6連勝をマークするなど存在感を発揮[4]。日米大学選手権では、大学日本代表の主将も務めている[4][5]。リーグ通算64試合出場、231打数66安打、打率.286、0本塁打、29打点[2]。遠投115メートル、50メートル6秒1の身体能力が評価されていた[3]。
2009年のドラフトで東京ヤクルトスワローズから3位指名を受け、11月24日に契約金7,000万円、年俸1,200万円(金額は推定)で仮契約[6]。12月9日に行われた入団会見では、宮本慎也を目標としてあげている[7]。小・中・大・大学日本代表と四度にわたって主将経験がある点から、キャプテンシーが評価されており、その点からも「宮本二世」の呼び声がかかっている[8][9]。
プロ入り後[編集]
2010年1月6日に戸田の球団寮に入寮、荒木自身が5歳の時に亡くなった「姉の分も頑張りたい」とコメントしている[10]。自主トレでは青木宣親から「柔らかくていいスイングをしている」と評価された[11]。春季キャンプは一軍スタート[12]。開幕一軍に入り、ヤクルト球団としては1970年の中村国昭以来となる開幕スタメン(7番・遊撃手)に入った。
地元富山で開催された2011年のフレッシュオールスターゲームでは2安打1打点、守備ではファインプレーと攻守に渡って活躍し、MVPとなった[13]。
2013年、守備に難点があるため、一塁、三塁にコンバートされる。シーズン中盤、一軍へ昇格。 6月9日、対北海道日本ハムファイターズ戦において、三塁手としてリーグワーストタイとなる1試合3失策を記録してしまった[14]。相変わらず守備に課題がある一方、2013年は打撃が向上し、二軍で首位打者(打率.337)を獲得。
2014年、オープン戦は外野手として出場したが、シーズンに入り遊撃手のレギュラー候補3人が相次ぎ怪我で欠場。二軍で正規の遊撃手がいない状態になり、外野手構想から遊撃手に復帰。4月26日遊撃手として一軍へ昇格。昇格後は遊撃手のレギュラーとして活躍したが、森岡良介の復帰とともに失速し、7月26日に二軍へ降格。9月27日、再び一軍登録、外野手で試合出場した。この年は打撃、守備とも前年より成長した姿を見せた。 また、この年の秋季キャンプ終了後、次期監督の真中満から徳山武陽、古野正人、西浦直亨らと共に、1番成長が感じられた選手の1人として挙げられている[15]。
2015年は、前半戦は主に1番レフトとして出場。その後もリハビリ中のバレンティンや離脱したミレッジの代わりとしてスタメンで好成績を残す。しかし、シーズン途中に骨折で離脱。復帰後は主に代打、代走として出場し、5盗塁含む自己最多の73試合に出場した。クライマックスシリーズ、日本シリーズでは打撃機会こそはなかったものも代走として3試合に出場し、シーズン後の契約更改では450万円増の2000万円(推定)でサインした[16]。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
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2010 | ヤクルト | 18 | 21 | 20 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | .100 | .100 | .100 | .200 |
2011 | 3 | 8 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | .125 | .125 | .125 | .250 | |
2012 | 6 | 5 | 5 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .200 | .200 | .200 | .400 | |
2013 | 12 | 44 | 43 | 6 | 11 | 1 | 0 | 1 | 15 | 3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .256 | .256 | .349 | .605 | |
2014 | 55 | 168 | 149 | 23 | 41 | 3 | 1 | 2 | 52 | 12 | 1 | 2 | 2 | 0 | 16 | 0 | 1 | 25 | 2 | .275 | .349 | .349 | .698 | |
2015 | 73 | 196 | 170 | 21 | 43 | 8 | 0 | 2 | 57 | 12 | 5 | 3 | 8 | 1 | 16 | 0 | 1 | 30 | 3 | .253 | .319 | .335 | .654 | |
2016 | 61 | 131 | 111 | 14 | 27 | 5 | 1 | 1 | 37 | 9 | 2 | 1 | 9 | 0 | 9 | 0 | 2 | 20 | 5 | .243 | .311 | .333 | .645 | |
NPB:7年 | 228 | 573 | 506 | 66 | 126 | 17 | 2 | 6 | 165 | 36 | 8 | 7 | 21 | 1 | 41 | 0 | 4 | 91 | 11 | .249 | .310 | .326 | .636 |
- 2016年度シーズン終了時
年度別守備成績[編集]
年 度 | 遊撃 | 三塁 | 一塁 | 外野 | ||||||||||||||||||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2010 | 11 | 9 | 14 | 2 | 2 | .920 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | ||||||||||
2011 | 1 | 3 | 3 | 1 | 3 | .857 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | ||||||||||
2012 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | ||||||||||
2013 | - | 5 | 2 | 11 | 3 | 1 | .813 | 7 | 60 | 5 | 0 | 6 | 1.000 | - | ||||||||||
2014 | 29 | 31 | 90 | 4 | 25 | .968 | - | 9 | 36 | 2 | 2 | 2 | .950 | 11 | 9 | 0 | 1 | 0 | .900 | |||||
2015 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 6 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 50 | 67 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
2016 | - | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 48 | 239 | 12 | 0 | 17 | 1.000 | 5 | 5 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
通算 | 43 | 43 | 109 | 7 | 30 | .956 | 17 | 2 | 15 | 3 | 1 | .850 | 70 | 342 | 19 | 2 | 25 | .995 | 66 | 81 | 5 | 1 | 0 | .989 |
- 2016年度シーズン終了時