1: 名無しさん 2016/11/26(土)00:12:09 ID:2od

あくまで個人的な感想として書く。
関西で生まれ育ちながら、なぜこんなに阪神のニュースにいらいらするのか、要するに、阪神と、その周辺が醸し出す「おらおら」が気に入らないのだ。

「おらおら」とは、相手を恫喝し、その勢いで従わせようとするさまを表現している。
「おらおら」という掛け声一つでいろいろ面倒なことをねじ伏せ、好きなことをやるような感じだ。

代表的なのが、橋下徹の政治姿勢。「悪いのはこいつ」とターゲットを定め、それを叩くことで、周囲の支援を束ねていく。
役人や教育委員会、古典芸能など、あまり旗色がはっきりしない相手に対し、徹底的に痛めつける。
残念なことに、関西人は「声の大きい方」に加勢する性質がある。
橋下府政、市政は付和雷同的な市民の後押しで、強引な政治をすすめたのだ。
「おらおら」は、同調圧でもあり、有無を言わせない空気も醸成するのだ。
詳細な事実関係ではなく、勢いがあるもの、胸がスカッとするものに、いとも簡単に共鳴する。その軽率さが嫌なのだ。

阪神は、そういう関西のある部分を象徴している。
「関西言うたら阪神や」「阪神ファンにあらずして関西を語るな」というような、空気が、関西に色濃く漂っている。
私は南海ファンだったが、それ以前に阪神が嫌いだった。そういう「おらおら」感をずっとぎらつかせていたし、同調圧をかけてきたからだ。

私とて三代遡れば徳島の片田舎の出ではある。関西人としての根は浅いが、本当の関西、上方はこういうものではない、ということを知っている。
大阪は町人学者をたくさん生んだが、彼らは徹底したリアリストであり、世の中を斜めに見ながら冷静な分析をしていた。
山片蟠桃や木村蒹葭堂なんかの知性はすごいと思う。
私が師事した木津川計(この人も高知の出だ)も、大阪は「含羞都市だ」と言った。要するに「恥を知る」人々の街だったのだ。



引用元: http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1480086729/


2: 名無しさん 2016/11/26(土)00:12:16 ID:2od

しかし、阪神タイガースが大きな顔をしだしてから、大阪は「おらおら都市」になった。
「俺ら阪神ファンは、東京もんが大嫌いやねん」
「大阪で阪神の悪口言うたら、しばきまわすで」
そういう言葉がなまっていたりする。関西弁の微妙なニュアンスが聞き分けられないような人が、「阪神ファンの関西人」を自認しているのだ。
またメディアもその尻馬に乗る。面白がって関西人におかしなソースをかけまくる。

真弓明信、和田豊という二代の阪神監督は、それほど「おらおら感」を前面に出さなかった。
どちらかと言えば調整型で、変わりゆく戦力を何とかしてまとめていこうとしていた。中間管理職の悲哀のようなものもあった。

しかし金本知憲は、明らかに「おらおら」だ。自身の持つ人間的迫力、平たく言えばがらの悪さで周囲を恫喝し、自分の意のままに物事を進めようとする。
それに易々とのるファンやメディアが何とも嫌なのだ。
最近は、ユニフォームの背中に「阪神一筋でいきていく、これが男の生きる道」みたいなくっさい言葉を縫いつっけたのを着た連中をよく見る。
暴やんみたいな格好して、声援を送っている。人それぞれではあるが、これが都会人、野球ファンであってたまるか、と思う。

糸井嘉男のような天然素材が「おらおら」にあおられてどうなるのかが心配だ。
「俺の言う通り投げんかい」とつぶされた藤浪晋太郎のようになりはしないか、と思う。

繰り返すが、大阪はもともとリアリストの街である。阪神はもっと理知的なチームになってほしいと思う。
http://baseballstats2011.jp/archives/50083512.html