ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
最新記事
(01/18)
(01/18)
(01/17)
(01/17)
(01/17)
(01/17)
(01/16)
(01/16)
(01/15)
(01/14)
最新TB
プロフィール
HN:
o-zone
性別:
非公開
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
P R
カウンター
第二十章 宝物室
マチルダは、向こう側とこちら側の鉄輪に結び付けられたロープに手を掛け、横壁の石組みの僅かな出っ張りに足先を載せた。穴の上に一歩を踏み出すと、ロープはマチルダの体重が掛かって、大きく撓んだ。
「きゃああっ」
マチルダは悲鳴を上げた。
マチルダの体は反り返り、ほとんど穴の上に落ちかかっている。
「大丈夫か?」
マルスが声を掛ける。
「だ、大丈夫よ」
そう答えたものの、声はほとんど裏返っている。
しかし、勇気を奮い起こして、マチルダは一歩ずつ向こう側ににじり寄っていった。
ようやく、反対側の床まで、あと五十センチというところまで来た時には、一同安堵の吐息をついたものである。
その時、ロープを結び付けていた矢が、音を立てて折れた。
「きゃっ!」
マチルダは落ちながら咄嗟に手を伸ばして、反対側の床を掴んだ。
床にぶら下がったマチルダが、何とか自力で上に上ったのを見て、真っ青になっていたマルスは胸を撫で下ろした。
手元に手繰り寄せたロープを二重にして補強した後、重石をつけて、もう一度マチルダのところに投げて輪に結びつけ、残りの連中も渡り終える。
「こんな苦労をして、何の収穫も無かったなんて言ったら、承知しないわよ。大体、こんな所に入ろうなんて言ったのはあんたなんですからね」
先ほど命を失いかけた憤懣を、マチルダはピエールにぶつけている。
「大丈夫だって。なにせ王の墓だぜ」
ピエールの頭はもはや目の前の宝の事で一杯である。
穴を越えた所には、深い暗がりが広がっていた。
黴臭い匂いと、妙な薬の匂いが混ざり、冷気が漂っている。
「まだ先があるのかな?」
ピエールは首を捻った。
その時、闇の中から無気味な声が響いてきた。
人間の言葉だが、聞いた事の無い言葉である。それは明らかに何かを警告していた。
こんな墓の中で人の声がした事に、一同は震え上がった。
闇の中に一つの姿が現れた。
燐光に包まれたその姿は、体中を白布でぐるぐる巻いた、ミイラの姿であった。
両手を上に上げ、ゆっくりとした足取りで、それはマルスたちのところに近づいてくる。
あの奇妙な薬の匂いが一層強くなった。
ミイラが両手をさらに上に振り上げた時、それが彼らを襲う意思を持っている事がはっきりした。
ピエールは後ろに飛びすさって、ミイラの手の一撃を避けた。
ゆっくりとした動作に見えるが、思ったより威力のありそうな一撃である。
マルスは、腰の剣を抜いてミイラに切りかかった。闇の中でもなお青く輝くガーディアンは、ミイラの体を斜めに断ち切った。
床に崩れ落ちたミイラは、体を巻いた布以外は、ほとんど灰のような物質に変わった。
「見かけは凄いが、案外弱い奴だな」
ピエールが言った。
「魔法の剣、ガーディアンの威力じゃよ」
剣の作成者、ロレンゾが自慢気に注釈する。
広間の先には、石壁にはめ込まれた一つの鉄の扉があった。
扉には鍵がかかっていたが、ピエールが、持っていた太い針金で少し探ると、簡単に開いた。
扉を開けると、そこが宝物室だった。
頭上には小さな明り取りの穴があるらしく、ぼんやりとした光が差し込んでいる。その光の中に、眩いばかりの黄金の装飾品が所狭しと並べられ、中央の台座には王のものらしい黄金の棺が安置されていた。
「やった、やった。お宝だぜ!」
ピエールが歓声を上げた。
「これだけあれば、一つの国を買い取ることだってできるぜ」
はしゃぐピエールをロレンゾがたしなめた。
「いくら金があっても、この世が悪魔に支配されたら、使い道はないぞ」
「なあに、悪魔だって金で買収してやるさ。地獄の沙汰も金次第ってな。はは」
しかし、たった五人で持ち出せる金には限度があるので、五人はそれぞれかさばらないが高価そうな装飾品を二、三個ずつだけ持って、外に出ることにした。
「魔法の書や道具などはなさそうじゃな」
ロレンゾは残念そうに言った。
「これはどうですか」
マルスが差し出したのは、一本の金属の杖だった。黄金の握りがついていることと、奇妙な文字が掘り込まれていることが、目に付いたのである。
「ほう、よく見つけたな」
ロレンゾは言って、その杖を調べ、首を捻って言った。
「よく分からんが、只の杖ではなさそうだ。持って行こう」
PR
第十九章 マチルダの試練
上から投げ落とされた松明を、ピエールは空中で掴んだ。足元に殺到するサソリの群れに、松明を近づけると、サソリたちはその熱に驚いて、退くが、少し隙を見せると、また近づく。
その間に、マルスは自分のターバンとロレンゾのターバンを結びつけて長いロープを作り、それを下に下ろした。
ピエールはそのロープにしがみついて、足元のサソリを蹴飛ばしながら引き上げられた。
「ひええっ。死ぬかと思ったぜ。俺は虫が大嫌いなんだ」
真っ青になって言っているところを見ると、本気らしい。
「でも、この穴はどうして越えるの? だって、通路一杯に広がっていて、先に行けないわよ」
ピエールには大して同情もせず、マチルダが疑問を呈した。
「走ってジャンプするには距離がありすぎるな」
マルスも考え込む。
「ここは、やはり元泥棒のピエールに働いて貰うしかないな」
ロレンゾが言った。
「お主ならどうして向こうに渡る?」
「簡単な話さ。ほら、見てみろ、ここに鉄の輪がある。ここからは暗くてよく見えんが、穴の向こう側の同じ位置にも同じような輪があるはずだ」
ピエールの言葉に、マルスは目を凝らして向こう側を見た。
「ピエールの言う通りだ。向こう側にも同じ物がある」
「つまり、こういうことだ。もともと、向こう側の輪とこちら側の輪の間には、ロープが掛かっていたんだ。それが長い間に腐って無くなり、輪っかだけが残ったということさ」
「じゃあ、ロープ伝いに穴を越えたのね」
マチルダが感心して言ったが、すぐにこう続けた。
「でも、それなら、向こう側の輪とこちら側の輪に、どんなにして新しくロープを掛けたらいいの? ロープを掛けるためには、向こう側まで行かなきゃあならないじゃない」
マチルダの言葉に、ピエールは言葉に詰まった。
「ううむ、それは問題だな……」
「じゃあ、何にも解決してないじゃない」
「いや、この輪を使えばいいというだけでも、大きな手掛かりだ」
マルスは、幸い、ピエールが穴に落とさずにいた六尺棒を手に取って、それを半分に切った。さらに、それを縦に二つに割り、その一方をさらに細く割った。そして、半分に割った方を撓めて弾力を確かめた後、それを削り出した。
「何をやってるんだ?」
ピエールの言葉に、マルスは答えた。
「弓を作ってるのさ」
成る程、と一同は感心した。
程よい太さに弓を削ると、今度は腰の袋から革紐を取り出し、その弓に弦を張る。
あっという間に、即席の弓の出来上がりである。
今度は、細めの木材をきれいに削って、矢を作る。矢羽には、もったいないが「光輝の書」の一ページを破りとって、その羊皮紙を使う。
「このページには何の魔法が書いてあるの?」
マチルダがロレンゾに聞く。
「夫に浮気をされない秘法じゃったかな」
「まあ、もったいない。何で、そんな大事なページを破るのよ」
「こういう魔法は、世の中から消滅してもよいのじゃよ」
そうする間に、矢は即席の矢尻も付けられて、見事に出来上がった。
先ほどピエールを救い上げたターバンの布をさらに細かく裂いて、細めのロープにし、それを矢に結びつける。
マルスは、ロープの結び付けられた矢を、向こう側の輪に目掛けて射た。僅か五メートルほどの距離だが、ロープの重みを計算に入れて射るのは簡単ではない。しかし、一度目こそ失敗したが、二度目には、矢は見事に輪を通り抜けた。
ロープを引っ張ると、輪の向こう側で、矢が輪に掛かって、ロープを留める支えとなる。
「さあ、いよいよあんたの活躍する番だな」
ピエールがマチルダに言った。
「何の事よ」
「ロープが細いから、このままでは危険すぎる。誰かが向こう側に渡って、ロープを手繰り寄せて、もっと太い物に変えるんだ」
「何で私がそれをやるのよ。あんた、こういうこと得意なんでしょう?」
「この中で、一番体重が軽いのは、残念ながらあんたなんだよ」
見かねて、マルスが、自分が行くと言ったが、マチルダはそれを断った。
「いいわ、私だって、たまには役に立つってとこをみせるわ。マルス、私が穴に落ちたらすぐに助けてね」
マルスはうなずいた。
マチルダは、もう一度サソリの穴を覗き込んで、ぶるっと身震いしたが、心を決めて細いロープにしがみついた。
「ねえ、向こう側の矢は折れたりしないでしょうね」
マチルダはマルスに言った。
「多分……」
嘘のつけない性分のマルスの返事は頼りない。
第十八章 闇の妖虫
「なんだかいやな予感がするな。運命の別れ路という訳だ。まさか、このどれかを選んだら二度と地上に戻れなくなるんじゃないだろうな」
先頭のピエールが、心細い声を出した。
「そうかも知れんな」
後ろからロレンゾが脅す。
「おい、魔法使い。あんたの魔法で正しい道を教えろよ」
「残念ながら、この中は魔法が利かん。結界じゃ」
「頼りない魔法使いだぜ、まったく」
ぼやきながらピエールは、勘で左の道を選んで、しぶしぶ先に進む。
勘は正しかったようである。道は狭くなってきたが、行き止まりにもならず、地下へと下っていった。
とうとう明り取りの小穴も無くなり、一同は松明に火をともして進んでいった。
「いやに埃臭くなってきたな」
「埃の匂いだけじゃないわ。何かの香料の匂いがする。油臭い匂いね」
マチルダが匂いに敏感なところを見せた。
「待て、俺たち、もしかしたらさっきから同じところを何度も通っているかもしれんぞ」
マルスが立ち止まって声を上げた。
「この匂いはさっきも嗅いだ。そして、しばらく匂いが消えて、また同じ匂いを嗅いだんだ」
「そう言えば、そうだわ」
マチルダがマルスに賛成した。
「くそっ、道に迷ったか! さっきの分かれ路で間違えたんだ」
ピエールが叫んだ。
ロレンゾは足を止めて、考え込んだ。
「いや、間違えてはおらん。宝物室、いや、王の遺骸を安置した部屋への入り口が閉ざされているのじゃ。おそらく、この匂いは王の遺骸を腐らぬように処理した薬の匂いじゃろう。つまり、真の入り口が近くにあるはずじゃ。壁を探ってみよう」
一同は分かれて近くの壁を丁寧に調べて見たが、千年以上もの歳月の後では、壁の継ぎ目など容易に見つかるものではない。
「この辺りが、匂いが一番強いわ」
マチルダの言葉で、一つの壁を細かく調べていたマルスが、天井に松明を近づけると、その火がかすかに揺らぐのに気付いて声を上げた。
「ここだ! やはり、この向こうに部屋がある」
天井にさらに松明を近づけて見てみると、壁と天井の間には、僅かにナイフの刃が通る程度の隙間があった。普通に下から見ては、絶対に気付かれない隙間である。
ナイフを差し込んで動かしてみると、その隙間の周囲の石は動かせることが分かった。
壁の石は、およそ五十センチ四方の石であり、それを動かすのは大変だったが、最上段の鍵になる石を一つ外すと、他の石はすべて動かせるようになったのである。
およそ一時間ほどの作業で、壁にはやっと人が一人通れるほどの穴が開いた。これが宝物室への真の入り口なのだろう。
穴の中に入ると、そこにはまた通路があった。
「まだ先があるのかよ」
ピエールがうんざりしたような声を出した。
「いや、もうすぐだ。先ほどの匂いからして、宝物室はすぐ近くのはずだ」
マルスが言う。
あせって注意がおろそかになったのか、ピエールは足元を確かめずに歩き、あっと言う間に、下に開いていた穴の中に転落した。
「ピエール!」
ヤクシーが悲鳴を上げた。
一同は穴の側に急ぎ寄って、下を覗きこんだ。
「ピエール、大丈夫か」
上からの松明でぼんやり見えるところでは、穴の深さは五メートル程度らしい。
「大丈夫だ。少し頭を打ったが、怪我はしてない」
下からピエールの声が戻ってきたので、一同は安心した。
穴の中に落ちたピエールは、打った頭を振って意識をはっきりさせ、周囲を見た。といっても、真っ暗闇で、何も見えはしなかったのだが。
まあ、この程度の高さなら、自力で出るのは無理にしても、幸い上に仲間がいるのだから、何とか助けてくれるだろう。
ピエールは気楽にそう考えたが、その時、彼の耳にいやな物音が聞こえてきた。
カサカサとしたかすかな物音が、すぐにザワザワと多くの群れが立てる物音に変わる。その群れは穴に落ちた獲物を知って、彼に近づいてくるのである。
「うわーっ!」
穴の下から聞こえてきた悲鳴に、ピエール救助の支度をしていた上の者たちは驚いた。
「どうした!」
「さ、サソリだ! 何百匹もいる!」
ピエールは、壁に僅かにある突起に手を掛けて、壁に攀じ登ろうとした。しかし、壁にもまた何匹ものサソリがいる。
ヤクシーが、ピエールに声を掛けた。
「ピエール、これを!」
と同時に、自分の手にしていた松明をピエールに向かって投げた。
第十七章 ピラミッド
ダンガルからパーリに向かったマルスたちは、数日の旅の後、砂漠の前方に不思議な物体を見た。
それはマルスたちがこれまで見たことのない建造物で、石造りの巨大な四角錘だった。岩山の前にある、その四角錘を守るように、二体の石像があり、その石像もライオンの体に人間の顔を持った奇妙なものだった。
「あれは?」
マルスの質問に、ロレンゾが答える。
「ピラミッドとスフィンクスじゃよ。ピラミッドは王の墓、スフィンクスはそれを守る神像じゃ」
「王の墓だって? なら中には宝が納められているんじゃないか?」
ピエールが聞いた。
「砂漠にもお前のような泥棒は無数にいるさ。宝があれば、とうの昔に盗まれているに決まってる」
ロレンゾはにべも無く言ったが、ピエールはあくまでピラミッドの中に入ってみると言ってきかない。
ちょうど夕暮れになっていたので、一行はピラミッドの側で夜営することにした。
「ピラミッドの中には、確かに王家の宝が納められている。その中には昔の魔法の道具や書物がある可能性もあるから、ピエールの言う通り、ピラミッドの中に入ってみるのもいいかもしれん。だが、ピラミッドは、宝物を盗掘から護るために、様々な仕掛けや呪文が施されているという。危険を冒す意味があるかどうかが問題じゃな」
食事を作る為の焚き火の火を眺めながら、ロレンゾが言った。
「入ってみなきゃあ、何があるか分からんだろうが。どうせ、悪魔との戦いなんていう、雲を掴むような話なんだから、少しくらい寄り道したっていいだろう」
「まあな。悪魔がなぜ我々を襲ってこないのか、わしにもよく分からん。あのアプサラスだけで終わりだとは思えないのだが……」
マルスとマチルダは慣れない片言のグリセリード語やボワロン語でヤクシーと話している。
「パーリはまだボワロンに占領されているんでしょう? あなたがそこに帰ったら、危険なんじゃないの?」
マチルダが言うと、ヤクシーは笑って言った。
「私には失うものは一つも無いわ。だから、何も恐れるものは無いの。命だって惜しくない。パーリの中には、ボワロンの支配に反抗する気力のある人間も沢山いるはず。そうした人々を集めてボワロンを倒すのが、これからの私の生き甲斐よ。でも、あなたたちには恩があるから、もし私の力が必要なら、ずっと一緒にいるわ」
「そいつは助かる。これからはパーリ語が出来る人間が必要だからな」
側で聞いていたピエールが言った。
「しかし、復讐なんてのはあまり感心しないな。言っちゃあ悪いが、庶民にとっては誰が支配者になろうが同じ事なんだ。どちらの側について戦おうが、死ねば犬死にさ」
「私の父は国民の為に力を尽くして、国民を幸せにしてきた。国民もみな私の父を敬愛していたはずだ」
ヤクシーは、きっとピエールを睨んで言った。ピエールは首を横に振って言う。
「それは支配者の自己満足さ。為政者に不満を持ってない国民はいない。だが、不満を口に出せば殺されるから、表面では王の善政を褒め称えているだけだ」
ヤクシーは黙り込んだ。
「あんたが、ボワロンを倒すために自分の命を賭けるのは勝手だが、そのために他の人間を無駄死にさせちゃあいけないぜ」
「分かった。考えて見る」
ヤクシーは案外素直に言ったので、ピエールは少し意外な気持ちだった。
「まあ、俺のような泥棒がお姫様に説教なんてするのも変だがな」
「『元お姫様』よ。今は只の逃亡奴隷の女よ」
「はは、身分が何であれ、あんたが絶世の美人で、素晴らしい女だってことは変わらんよ」
「あんたも、泥棒にしてはいい男よ」
グリセリード語で話す二人の会話は、ロレンゾ以外はほとんど分からなかったが、どうやら二人が意気投合していることだけは理解できた。
翌日、朝食が済むと、五人はピラミッドの中に入ることにした。
ピラミッドの入り口には別に戸があるわけでもなく、大きな穴が口を開けているだけであったが、下はちゃんと石の敷かれたスロープになっており、穴の広さは五人が横に並んで通れるほどで、高さも頭上一メートル程度の余裕があった。
念のために松明を二十本ほど用意してあるが、中は真っ暗である。だが、ところどころに薄明かりが見えるのは、小さな明り取りもしくは空気穴が通路の上にあいているからである。
先頭を行くピエールは、マルスが常に持ち歩いている六尺棒を借りて、それで通路を叩きながら歩いている。
「おっと、ここには穴が開いている」
立ち止まったピエールが示した所には、確かに通路の幅の五分の四ほどを占める大きな穴が開いており、闇の中を足元を確かめずに歩いた者は中に落ちるようになっている。
マルスが覗き込むと、穴はかなり深く、底にはここに落ちた者の白骨らしきものが積もっている。おそらく、壁の勾配は、登ることが不可能な角度で作られているのだろう。
壁に張り付くように通路の横をにじりながら進み、穴を過ぎて一同はほっと一息ついた。
そこからさらに進むと、通路は三つに分かれていた。
第十六章 春から夏へ
マルスの持ってきた書物を見ていたロレンゾは、やがて顔を上げて残念そうに言った。
「どうやら、これが賢者の書のようじゃ。だが、残念ながら、わしにはこれは読めん。大昔の言葉で書かれているのじゃ」
がっかりした四人の顔を見て、ヤクシーが不思議そうに聞いた。
「その本には何の意味があるの?」
ピエールが答えた。
「悪魔が世界を狙っているそうだ。この本には、悪魔から世界を救う秘法が書いてあるらしい」
ヤクシーは、横からロレンゾの手にした本を覗き込んだ。
「これは古代パーリ語よ。昔、宮殿の学者がこの文字の研究をしていたわ」
四人は驚いてヤクシーを見た。
「その学者は、生きているのか?」
ロレンゾが聞くと、ヤクシーは首を捻った。
「さあね。ボワロンの軍隊に攻め滅ぼされて、国民の半分くらいは殺されたから、分からないわ」
「パーリはここからどのくらいだ?」
ピエールが聞いた。
「そうね、徒歩なら十五日ほど、駱駝なら五日くらいかな」
「よし、ならばパーリに行こう」
マルスの言葉で、一同は立ち上がった。
その頃、レント宮廷のアンドレは、故郷の町スオミラがガイウスの軍勢によって攻め滅ぼされ、オーエンもイザークも死んだ事を知った。
彼にその知らせをもたらした者は、滅亡したスオミラから辛うじて脱出した一人の男であったが、スオミラは千人もの軍勢に囲まれ、城内の食物も尽きかかって、飢餓に耐え切れず外に出て決戦を挑み、大軍勢の前に簡単に滅んだということであった。
もはやアルカード全体がグリセリードの手中に落ちた事を知って、アンドレはグリセリードへの復讐を心に誓うのであった。
アンドレはレント宮廷の者の中で、グリセリードに詳しく、グリセリード人に風貌が似ている者を数人選んでグリセリードに潜入させた。
季節は初夏に向かっていた。
グリセリードでは、大船団がほぼ完成し、アスカルファン攻撃に備えて、日々、軍勢の教練が行なわれていた。
その中でも一際目を引くのは、鬼姫ヴァルミラの姿である。
馬の操作にかけてはグリセリードでも並ぶ者がなく、馬上での戦いでも、ヴァルミラにかなう者は、マルシアスとデロスを除いてほとんどいなかった。
「あの強さの上に、あの美貌、まさに戦の女神だな」
そう言ったのは、教練を眺めていたエスカミーリオで、話し掛けられたのは、彼の副官のジャンゴである。
「ヴァルミラ様は、男より馬がお好きだとか。勿体無い事でございますな」
「なあに、あのようなじゃじゃ馬こそ、調教次第で、男の言うなりになるものよ。いかに武術の達人でも寝室の中では男の思い通りさ」
エスカミーリオは普段の優雅な物腰にも似合わぬ好色な言葉を吐いた。
ジャンゴは代代エスカミーリオの家に仕えてきた家の者で、今は彼の手足となって働いており、ジャンゴにだけは彼は本音で話すのが常だった。
「しかし、ヴァルミラ様には心の恋人がいなさるとか」
ジャンゴが、無骨な顔に似合わぬ言葉を言った。
「何者だ?」
「マルシアス殿でございますよ。デロス家の小姓から聞いたところでは、ヴァルミラ様は、他の男と話す時と、マルシアス殿に話す時では、顔がまるで違うとか。マルシアス殿と話す時は、それこそとろけそうなお顔になるそうです。その男は、自分も一度でいいから、女にあんな顔をされてみたい、と言ってました」
「マルシアスもヴァルミラに惚れてるのか?」
「それが、よく分からないそうで。どちらかというと、自分の妹か娘のような気持ちで可愛がっているのではないかと、その男は言ってました」
「ふふん、愚か者め。目の前の餌にも気付かない朴念仁には、どうせ女は物にできぬさ」
面白くなさそうに言い捨てて、エスカミーリオは歩み去った。
アスカルファンでは、この春から、すべての郡で年貢や税が前年より二割から三割上がり、国民の間で怨嗟の声が上がっていた。去年のグリセリードとの戦いで消耗した戦費を補うためであったが、それによって国民の生活はひどく切り詰められたものになっていた。
その一方で、王宮や諸侯の宮殿での贅沢な暮らしは何も変わらず、貧しい農民より、宮廷の犬の方が腹一杯に肉を食っている有様だった。
アンドレはアスカルファン国王に親書を送って、グリセリードのアスカルファンへの侵攻が再びある可能性を言ったが、それに対する返書は無かった。
「レント国王からならともかく、一介の廷臣ごときが国王に手紙を送る事すら無礼というものですよ。返事などいりません。グリセリードだって、前の敗戦で懲りてるでしょう」
宰相のカンタスの言葉に、優柔不断なシャルル国王が従ったためであった。
第十五章 魔法の剣
ザイードの宮殿を脱出したマルスたちは、ロレンゾの登った山に自分たちも向かうことにした。それはロレンゾの言った七日間の期限が今日で終わるからであり、もう一つには、マルスたちを追う追っ手を避けるためである。
マルスたちが山に登り始めた時、町の方からこちらに向かってくる軍勢が見えた。
「こっちが町を出た事が分かったらしいな」
はるか彼方の砂埃を見ながら、ピエールが言った。
「あと二、三時間でこっちに来るな」
マルスも言った。
「弓は?」
ピエールの言葉に、マルスは首を振った。
「弓は持っているが、矢が二十四本しかない」
「追っ手の数がどのくらいかが問題だな」
「あれは百人以上いる」
例によって、マルスがその驚異的な視力で彼方を見て言う。
「早く山に登って、こちらに有利な場所を探そう」
駱駝は山の中腹に繋ぎ、グレイだけを引っ張って、山頂を目指すうちに、道は馬では登れない地形になってきた。人目につかない場所にグレイも隠し、さらに登る。
「いったいぜんたい、ロレンゾの奴はどこにいるのかな」
ピエールがぶつぶつ言っていると、マルスが手を上げて指差した。
「あそこだ」
マルスの指した所は、山頂であった。そこに祭壇を築き、何かを燃やしながらロレンゾはその前に身を屈めて、何かを祈っている。
ピエールやその他の者がロレンゾのその姿を認めた丁度その時、青空に雷鳴が轟き、雲一つ無い天の一角に一筋の稲妻が走り、その稲妻はロレンゾのいる山頂の祭壇に落ちてきた。
その稲妻にロレンゾが跳ね飛ばされたのを見て、マルスとピエールはその側に駆け寄った。
「大丈夫ですか」
マルスはロレンゾを助け起こした。
「おお、マルスか、丁度いい時に来たな。見ろ、大天使ミカエルの力が今、この剣に下りてきたのだ」
ロレンゾは祭壇を指した。
石で作った祭壇は稲妻で黒焦げになっていたが、その上には青く輝く一振りの剣があった。それがガーディアンであることは分かったが、剣の輝きはこれまでとは全然違う。
「この剣を持てば、まず大抵の妖魔には勝てるだろう」
マルスは剣を天にかざして感動している。
「人間にはどうだ」
あまり感動もしていないピエールの言葉に、ロレンゾは首を捻った。
「それは分からん。これは妖魔と戦うための剣であり、人間相手のものではない。まあ、普通の剣と同じだろう」
「何だ。今の俺たちには、人間相手の武器の方が必要みたいだぜ」
「興ざめな奴だ。わしの折角の労作だのに、もう少し感心せんか。人間相手とはどういう事だ?」
「俺たちは百人の軍勢に追われているって事さ」
「百人か。大した事は無い。だが、軍勢に追われているという事は、宮殿に潜入したという事じゃな。で、賢者の書は?」
「取ってきたみたいだぜ」
「ほう、それはよくやった。後でゆっくり見せて貰おう。どれ、百人の軍勢などわしが追っ払ってやるわい」
マルスたちを追ってきた軍勢は、今や山頂から二百メートルの地点に迫っていた。もちろん、馬では来られないから、皆徒歩で登ってきている。
「あれがその軍勢だな。よし、わしがあれを半分くらいに減らしてやろう」
ロレンゾは胸の前で手を組んで印を結び、何やら呪文を唱えて精神を統一した。
敵兵はマルスたちを前方に発見し、気勢を上げて前進しようとしていたが、その時、奇妙な事が起こった。
兵士たちの前で数個の小石がふわふわと浮き上がったのである。
その小石は、呆然としている兵士たちの前を生き物のように漂っていたが、やがてスピードを上げて、兵士たちの顔や体に叩き付けられた。
「うわっ」
兵士たちは顔面を手で覆って、小石を避けようとするが、小石は次々と飛来する。
やがて、兵士たちは、上方から無気味な物音がしてくるのに気付いた。その物音はやがて地鳴りとなり、上から地響きを立てて大小様々な岩石が雪崩れ落ちてきたのであった。
兵士たちは半分以上がこの地崩れの下敷きになり、あるいは岩石に跳ね飛ばされて死に、あるいは重傷を負い、残りはこの不思議な現象に恐れをなして、そのまま我先に逃げ去ってしまったのであった。
「やるねえ、爺さん、あんたが魔法使いだってのは本当だったんだ」
ピエールが感心して声を上げた。
「あまりこういう事はやりたくないんじゃ。疲れるのでの」
ロレンゾは息を切らし、額に脂汗を滲ませて言った。そして、こう続けた。
「なにはともあれ、これでここでの仕事は終わりじゃ」
第十四章 脱出
「お腹が一杯になったら、ライオンも人間は襲わないわ」
ヤクシーが言った。
「分かるもんか。ちょうどいい食後の運動だといって我々を襲うかもしれんぞ」
「そうかもね。でも、このままここにいる訳にもいかないでしょう」
先ほど出て行った女が、あと数人の女と一緒に戻ってきた。それぞれ大きな盆に生肉をどっさり載せている。
「ライオンは三頭らしいから、もっと持ってきて」
ヤクシーはそう命じて、自分は窓から生肉をどんどん下に投げ落とした。
ピエールが下を覗いてみると、成る程、落ちた生肉に三頭の茶色い生き物が寄ってきている。
ピエールは覚悟を決めて、ロープを下に下ろし始めた。
最初の餌になる覚悟で、まず、ピエールが下りる。
恐る恐る足を地面につけたが、ヤクシーの言った通り、ライオンたちはすっかり満腹したのか、彼を見て威嚇するような唸り声は上げたが、のんびりと寝そべっている。
続いてマチルダ、ヤクシーが下りる。
「ところで、外にはどうして出るの? 堀の向こうにまだ外壁があるわよ」
マチルダが聞いた。ピエールは虚を突かれた顔をした。
「そう言えば、そうだな」
「考えてなかったの?」
「上から見たら、すぐに外に出られそうに見えたんだ」
「この大きな猫さんたちと一生ここで暮らすの?」
「……」
ヤクシーが、上の窓に向かって手を振って、何か指示した。
ヤクシーの侍女だったという女がうなずいて、窓のロープの結び目を解いて下に落とした。
「これで、なんとか越えられない?」
「やってみよう」
ヤクシーに答えて、ピエールはロープの先に、その辺に落ちていた短い木の枝を結びつけて、それを外壁の上に投げ上げた。
即席の投げ縄は、外壁の向こうの木に引っかかったようである。
「よし、これで大丈夫」
ピエールは先にマチルダに上るように促したが、マチルダはむっつりした顔をしている。
「どうした、俺が先に上ろうか?」
「私、行かないわよ。マルスはどうしたのよ。まさか、死んだんじゃないでしょうね。だったら、私もここでこのままライオンの餌になるわ」
「頼むから、早くしてくれ。マルスは大丈夫だったら!」
後ろの後宮の窓から、とうとう後宮の中に押し入った衛兵たちが顔を出した。
「見ろよ、もうすぐここに来るぜ。よし、分かった。ならあんたはここでライオンと暮らせ。ヤクシー、行こう」
ピエールは言ったが、ヤクシーもアスカルファン語で言い合う二人の只ならぬ様子に、上るのをためらっている。
その時、外壁の上から人の顔が覗いた。
マルスであった。
「おい、何をぐずぐずしているんだよ。早くしないと兵隊が来るぜ」
「マルス!」
マチルダは歓喜の声を上げた。
外壁の上に上ったマチルダは、マルスと力一杯抱き合った。
「無事だったのね。賢者の書は?」
「それらしいのは取って来たが、これがそうかどうかは分からない。とにかく、早くここを離れよう」
宮殿の外にマルスが準備してあったらしい馬と駱駝に乗り、四人は宮殿から逃走した。
町を離れた後で四人はやっと再会を祝し合った。
「どうして、俺たちがあそこから逃げると分かったんだ?」
ピエールが不思議そうにマルスに聞いた。
「宮殿のザイードの書斎から丁度、後宮の窓が見えたんだ。ピエールがロープを垂らしたんで、ここから逃げるんだなと思って、先に宮殿の別の窓から下りて、馬と駱駝を準備して待っていたのさ。しかし、あそこにライオンがいたのは知らなかった」
「逃げられたのは、ヤクシーの御蔭さ」
と言いながら、ピエールはヤクシーの方を向いた。
「ところで、ザイードが倒れたってのは偶然かい、それともあんたがやったのかい?」
「もちろん、私が殺したのよ。あいつが私の上にのしかかってきた時に、あいつの睾丸を握り潰して気絶させ、その後で首を締めて完全に息の根を止めてやったわ」
「おっそろしい女だな。一族の敵討ちか?」
「そうよ。私の一族だけではなく、国民全部の敵討ちよ。あんたたちにはいい機会を作ってくれたと感謝しているわ」
ヤクシーは静かに言った。
「ううむ、元お姫様とも思えぬ凄腕だな。女には惜しいぜ」
「いざという時の武芸や人の殺し方はパーリの王家の娘のたしなみよ。時には最初から夫を暗殺する目的で政略結婚することだってあるんですからね」
ヤクシーの言葉の迫力に、他の者は思わず気圧されるのであった。
第十三章 後宮
地上まではおよそ三十メートル。落ちたらまず命は無い。ここから後宮の建物までおよそ二十メートルの距離を、指の力だけで体全体の重さを運んでいくのである。
壁を攀じ登ることは、商売柄お手の物だが、さすがにこれだけの距離を指の力だけで移動したことはない。半分ほど行くと、体を吊り下げている手がこわばってきた。
一休みして息を入れ、気力を充実させ、再び体をゆっくりと揺らして移動していく。
あと数メートルというところでほとんど手の感覚は無くなってきたが、なんとか堪えてやっと最後の端まで来た。そこから僅かな出っ張りに足を掛け、一休みした後、ほとんどつかまる物も無い壁に張り付くようにして、窓までにじり寄る。
窓に手が掛かった。そこから体を懸垂の要領で吊り上げ、窓から中に上半身を入れた時には、ピエールはほとほと疲れきっていた。
「キャーッ! 男よ、おとこ!」
中にいた女が窓から入ってきたピエールを見て悲鳴を上げた。
「えっ、男ですって? まあ、ほんと、嬉しい。殿様以外の男を見るなんて五年振りだわ」
嬉しげな歓声を上げる女もいる。
「ま、待て。あんたたちに危害は加えない。そこを通してくれ」
「あら、固い事言わないで、ゆっくりしていきなさいよ。あんた、ちょっといい男じゃない」
しがみつく女を振りほどいて、ピエールは次の部屋に向かった。
三つ目の部屋でピエールはマチルダとヤクシーを見つけた。何人かの女官の前で、可哀想に、二人とも縄で縛られ、座っている。二人はピエールを見てぱっと顔を明るくした。
「その二人は俺が貰うぞ。邪魔をしなければ、あんたたちには何もしない。邪魔をしたら危ないぞ。黙ってその二人を渡しな」
女官のリーダーらしい中年女が金切り声を上げた。
「誰か、衛兵を呼んで来なさい。曲者です!」
「おっと、ここから出て行ったら殺すぜ」
ピエールの脅しに、他の若い女官たちは足を止めた。
「何をぐずぐずしてるのです、この男は武器は持ってません。はやくこの男を捕まえなさい!」
こいつが邪魔だな、と思ったピエールは、手近のベッドの天蓋から垂れているカーテンを引き抜いてリーダーの女官に近づいた。
女は金切り声の悲鳴を上げたが、ピエールは構わずに女をカーテンで縛り上げ、余った端を猿轡にした。
「あんたたちの中で、ここから逃げたいのがいたら、連れて逃げてやるぜ」
隠し持っていたナイフでマチルダとヤクシーの縄を切りながら、ピエールは呆然と彼らを見ている他の女官たちに言った。
「大丈夫かい。間に合ったかな」
ピエールの質問に、マチルダが聞き返した。
「間に合ったって?」
「……つまり、ザイードに手篭めにされなかったかって事さ」
マチルダは顔を赤らめた。
「それは……私は大丈夫だったけど、ヤクシーが先にベッドに連れて行かれて、その時にザイードが倒れて騒ぎになったんで、ヤクシーの方がどうだったのか……」
「ヤクシーはいいさ。あんたの貞操さえ無事なら、マルスに申し訳はできる」
「ヤクシーはいいなんて、ひどいわね!」
「そんな事言ってる場合じゃない。ここから逃げ出すぜ」
「マルスは?」
「あいつは大丈夫さ。我々さえ無事だと分かれば、一人でも逃げ出せるだろう」
ピエールは窓のカーテンを引き裂いてロープにしながら言った。
「まさか、ここから下りるんじゃないでしょうね」
「そのまさかさ。それとも、表でひしめいている兵士たちの前に出て、すみません、怪しい者ですが、ちょっと通してくださいとでも言うか?」
女官の一人がボワロン語で何か言ったが、ピエールにはその言葉が分からなかった。ヤクシーがその言葉をグリセリード語に通訳して、ピエールに言った。
「この下には何頭ものライオンが放し飼いされているそうよ」
「げっ」
ピエールは頭を抱えた。
「後宮から女が逃げるのを防ぐために、下の空堀には腹を減らしたライオンを放しているらしいわ」
「ライオンって?」
マチルダが聞いた。アスカルファンにはいない生き物である。
「預言者ダニエルがお友達になった生き物さ。猫のでっかい奴だ」
「まあ、猫なら大好きよ」
「ううむ、マタタビか何かが通用するならいいんだが……」
ヤクシーが、この部屋に集まってきていた後宮の他の女たちに向かって何か言った。
女の一人がうなずいて、急ぎ足で部屋を出て行く。ピエールはヤクシーに尋ねた。
「何て言ったんだ?」
「食堂から、生肉を沢山持ってきてくれるように頼んだの。あの子は昔の私の召使よ。こんなところで遭うとはね」
「生肉をどうするんだよ。ライオンが我々を食う前の前菜か?」
第十二章 ザイード
計画実行の日、マルスとピエールがマチルダを連れてザイードの宮殿に向かおうとすると、ヤクシーが、自分も連れて行けと言い出したので、二人は目を見交わした。
「あなたはここに残っていていいのよ、ヤクシー」
マチルダが言ったが、ヤクシーは、どうしても自分も行くと言ってきかない。
「まあ、美女が二人の方が、ザイードは喜ぶだろうし、いざという時、二人で助け合えるだろう」
ピエールの言葉で、四人全員でザイードの宮殿に向かう事になり、マルスとピエールは商人の服装をし、マチルダとヤクシーは女奴隷らしい身なりをして出発した。
ザイードの宮殿では思った通り、衛兵に誰何されたが、ザイードへ女奴隷を献上するという事をグリセリード語で喋り、身に武器を有していない事を示すと、しばらく待たされた後、宮殿に入る事を許された。
四人は宮殿の大広間に通された。
ザイードは七十近い老人だが、眉毛の黒々とした矍鑠とした男であった。
「わしに美女を献上しようというのはお前らか。ははは、わしはこの通りの老人じゃのに、わしを余程好色な男と思っておるようじゃな」
「滅相も無い。ザイード様の宮廷には多くの美女がおられ、屋上屋を架すようなものではありますが、この女奴隷は美貌といい、また高貴な血筋といい、卑しい庶民の手に置くよりもザイード様の側室のお一人に加えて貰う方が、ふさわしいかと思いまして、献上いたすのでございます」
慣れぬボワロン語ではなく、グリセリード語で流暢にピエールが言った。若い頃グリセリードを旅したこともあるピエールは、グリセリード語はお手の物である。
「ほう、高貴な血筋とな」
「はい、パーリの王族の者です」
ピエールがヤクシーを指して言った。
ザイードは側近の一人に何かを言った。
その側近は、マルスたちには分からぬ言葉でヤクシーに話し掛けた。
「この者の申した事は事実です。パーリの皇女、ヤクシーという者だそうです」
「パーリか。ならば、ついこの前わしの軍勢が滅ぼした国ではないか。こんな美女がいたとは聞いてないぞ」
側近は再びヤクシーに聞いた。
「宮殿から逃亡した後、人買いの者の手に捕らえられ、ここに売られてきたそうです」
「なら、もはや生娘ではないな。それは残念じゃ。その、もう一人の方は?」
「こちらは、アスカルファンの生まれだそうですが、詳しい素性はよく分かりません」
ピエールがマチルダに代わって答える。
「どちらも、滅多にいない美女じゃ。お前らへの褒美は、追って渡す事にする。しばらく控えの間で待っておるがよい」
マチルダとヤクシーはザイードの後宮に連れていかれ、ピエールとマルスは控えの間に案内された。
マルスとピエールは、この機会に賢者の書を探したかったが、部屋には衛兵がいて、彼らを見張っており、自由に動けない。
その間にも、マチルダが早くもザイードの毒牙に掛かっているのではないかとマルスは気が気でない。
やがて、ザイードからの褒美を持った役人が二人の前に現れた。
「お前らはもう下がってよいぞ」
ピエールはその役人に聞いてみた。
「あの二人の女奴隷はどうなりましたでしょうか」
「ああ、殿様はたいそうお気に入りじゃ。まだ昼間なのに、早速味を試してみる気か、先ほど後宮に行かれたぞ、はっはっ」
マルスとピエールは顔を見合わせた。もう一刻の猶予もできない。二人はこの役人や衛兵を倒して、マチルダとヤクシーの救出に向かうことにした。
その時、宮殿の奥でなにやら騒がしい物音が聞こえ、人々が走り回る気配がした。
こちらに走り寄ってきた役人の一人に、先ほどマルスたちに褒美を渡した役人が聞いた。
「何事だ。騒がしいぞ」
「ザイード様が倒れられた! もしかしたら、暗殺かもしれん。その者たちを外に出すな」
驚いて二人を振り返った役人の首に、マルスは手刀を叩き込んだ。
ピエールがもう一人の役人を殴り倒し、慌てて剣を抜いて掛かってきた衛兵の一撃をかわしてハイキックでその側頭部を蹴った。
二人は、衛兵の武器を奪い、後宮のあるらしい方向に向かって走り出した。
「待て、マチルダとヤクシーは俺が救う。お前は賢者の書を探せ」
ピエールの言葉で、マルスは一瞬躊躇したが、すぐにうなずいてザイードの書斎と思われる部屋に飛び込んだ。
ピエールは後宮に向かったが、後宮が目に見えた所で足を止めた。役人や衛兵が、入り口近くに固まって騒いでいる。どうやら、後宮に入れろ、入れないで後宮の女官と役人や衛兵たちが押し問答しているらしい。ピエールはにやりと笑った。領主以外の男は後宮には入れないという規則を守ろうとする女官の官僚主義が、思わぬ助けになりそうだ。
ピエールは後宮に向かう中庭の側面の壁に攀じ登った。
壁の上から外を覗くと、壁は切り立っており、足場は無い。だが、後宮の側まで行けば、窓の近くに僅かに手を掛けられる出っ張りがある。危険だが、やるしかない。
ピエールは壁の外側にぶら下がった。
第十一章 ヤクシー
「ヨゼフの爺さん、また妾を買う気か。もう五人もいるくせに」
マルスの後ろで忍び笑いをする声がした。マルスには、その言葉は分からなかったが、笑い声の感じで、それが老人の好色を笑う声だと見当がついた。
マルスは千ドラクマの値をつけた。
老人は怒ったような声を上げた。
「奴隷一人に千ドラクマなんてべらぼうだ」とでも言っているのだろう。
結局、その女奴隷は千ドラクマでマルスの手に落ちた。
周囲の好奇の目にさらされながら、マルスたちは奴隷の競り市を離れた。
女奴隷は大人しくマルスたちの後を付いて来る。どうせ自分の前には大した運命は待っていないと諦めきった顔である。
マルスたちが女奴隷を連れて帰ると、ロレンゾはさすがに驚いた顔をしたが、女の顔を興味深げに眺めて、言った。
「この女は高貴な生まれじゃな。かなり不幸な目にあったようだが、死なずにいてよかった。この女には他人には無い強い運命があるようだ」
ロレンゾが女に名前を聞くと、女は、ヤクシーと名乗った。
「ヤクシーじゃと?」
ロレンゾは驚いて問い直した。
マルスが、その名がどうしたのか、と聞くと、ロレンゾは答えた。
「ヤクシーは、古代の神の一人じゃ。まあ、偶然にその名をつけたのかもしれんがな」
「どんな神様だい?」
ピエールが聞いた。
「……魔神じゃよ。争闘と復讐の神じゃ。もっとも、母性の神でもあるがな。矛盾した心を持った神じゃな」
「女ってのはみんなそうさ。虫も殺さねえ顔して、結構残酷な事をするもんさ」
「なかなかうがった事を言うの。よほど女にひどい目にあったと見える」
「みんなひどい事言うのね。この人はそんな人じゃないわ。顔を見れば分かるでしょう」
マチルダが怒って言った。
ヤクシーは、自分が召使にされるわけでも、誰かの妾にされるわけでもない事に戸惑っているようだった。
「ところで、お主らが取ってきた、あの光輝の書だがな、あの中になかなか面白い事が書いてあったぞ。普通の剣を魔法の剣に作り変える秘法じゃ」
「魔法の剣ですって?」
「うむ、別名、大天使ミカエルの剣じゃ。ミカエルは、昔から、悪魔と戦う者の象徴となっている。この剣を以てすれば、あるいはダイモンの指輪無しでも、悪魔と戦うことが出来るかもしれん」
「それは簡単に作れるのですか?」
「簡単ではないよ。剣に呪文を彫り、七日間の清めの儀式をしなければならん。そのためには、太陽の香料も手に入れねばならん」
「太陽の香料とは?」
「それを作るにもまた、秘法があるのさ。まあ、それはわしに任せておけ。お主らは、何とかして宮殿に忍び込んで、賢者の書を探してみるのだ。賢者の書があれば、悪魔と戦うには一番確実だからな」
ロレンゾは、翌日、魔法の剣を作るために、近くの山の山頂に行ってしまったので、マルスたちはその間に宮殿に忍び込む計画を立てた。
「宮殿に入るのに一番いいのは、正面から行くことだな」
ピエールが言った。
「どんな風にして?」
マルスが尋ねると、ピエールが言いにくそうに言った。
「ヤクシーを領主のザイードに献上する、という名目で宮殿に入るんだ」
「それは駄目よ。ヤクシーが危いわ」
マチルダが言った。
「なんなら、あんたでもいいんだが……」
ピエールがマルスの顔色を窺いながら続けた。
「なんて事をいうんだ。マチルダにそんな事がさせられるもんか」
マルスは大声で言った。マチルダはそれを押し止めて、言う。
「私でいいならやるわ。私だってヤクシーほどじゃないけど、美人でしょう?」
「あんたなら、ザイードは涎を流して欲しがるよ。だが、危険だぜ」
「大丈夫よ。マルスも一緒なんだもん。私が危なくなったら助けてくれるんでしょう?」
マルスは考え込んだ。マチルダを女奴隷として献上するというのは危険すぎるが、しかし自分たちの目の届かない所に女二人だけで残すのも不安である。かえって、近くにいるだけこの案の方がいいのかもしれない。
「よし、それで行くことにしよう。しかし、危なくなったら、僕たちには構わず逃げるんだよ」
「馬鹿ね。女だけで逃げられるわけないじゃない。もしも、貞操を奪われそうになったら、死ぬわ。どう、こんなに思われて嬉しいでしょう、マルス」
マルスは、マチルダの冗談にも何と答えていいか分からなかったが、目頭が熱くなるのを感じるのであった。
ヤクシーはマチルダに説明されて、事情を理解したようだが、どの程度分かっているのか、にっこり笑ってうなずくだけであった。