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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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ちょっと面白い対比的思想なので、備忘的に保存しておく。
私はもちろんスタニスラフスキーシステムの支持者である。あれほどの成功を収めてきた方法に対し、反対側は平田オリザという、一部にしか評価者のいない演劇者では、勝負にならない。
しかし、平田オリザの考え方は演出者としては珍しくないものである。確か小津安二郎の演出も基本はそうだったと聞いた気がする。あるいは、有名な例だと、「カサブランカ」のイングリッド・バーグマンが、完成した映画を見て、自分がどういう役をやっていたのか、初めて分かった、と語ったのは、平田式の「役者は何も分からなくていい。演出者の言う通りの動きをするだけでいい」という演出方式であったことを示している。
後者の最大の欠陥は、そういう奴隷扱いに耐えきれる役者は少ない、ということである。『影武者』でのカツシンと黒澤の衝突、カツシンの降板も、そこに原因があったらしい。
もっとも、実際には、このどちらも純粋形で行われることはなく、折衷的に行われるのが普通だろうと想像はできる。権力的な演出家ほど後者の思想を振りかざすのだろうが、その演出家を神のごとく「信仰」している役者以外にはその演出を受けたいという役者はいないだろう。



(以下「内田樹の研究室」から引用)


想田監督のこの映画を見て、「平田オリザの笑顔」の深みが少し分ったような気になった。
それは平田さんがスタニスラフスキー・システムをきびしい口調で批判するときの、抑制の外れ方が私のセンサーに「ヒット」したからである。この映画の中で、平田さんがこれほど否定的感情を剥き出しにした場面は他にない。
スタニスラフスキー・システムはいわゆる「新劇的」演技の基本をなす演劇理論である。自分が演じる役柄について徹底的なリサーチを行い、その役柄を俳優が生身に引き受け、舞台上では、その人物がその劇的状況に投じられた場合に、どのようにふるまうか、それを擬似的に再現しようとするのである。「役になりきる」演技術である。古くはマーロン・ブランド、ジェームス・ディーン、ポール・ニューマン、近くはロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノら、ハリウッドきっての「名優」たちがこのメソッドの信奉者だった。
平田さんはそのメソッドをあっさりと退ける。俳優の内側に「自然にわき上がる感情」などはとりあえずどうでもよろしい。俳優に要求されるのは、演出家の指示通り、目線を何センチずらす、ある単語と次の単語の間をコンマ何秒縮めるといった純粋に技術的なことに限定される。俳優は演出家の意のままに口を開き、閉じ、手を上げ下ろしする「ロボット」でいい。現に、その平田さんの過激なアイディアは「ロボット演劇」というかたちで実現してしまう。

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