ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
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某ブログからの転載だが、今のテレビなどまったく見る気もしない私だが、『今夜は最高!』のような番組があれば、深夜でも我慢して起きて見るだろう。
特に、下記記事にある「オペラ昭和任侠伝」は、テレビバラエティショー歴史上の最高傑作として、もう一度見たい回なのだが、ユー・チューブを探しても見当たらない。
二度と見られないと思っていたビング・クロスビーとデビッド・ボウイのクリスマスソング二重唱さえ外国では残っているのに、日本のテレビ会社は、これほどの「文化遺産」を保存してもいなかったのだろうか。
私は和田アキ子が大嫌いなのだが、この傑作の「ヒロイン」であっただけでも、その存在価値は認めるのである。
ぜひ正月特番ででも、このフィルムを発掘紹介してくれないだろうか。もちろん、それ以外の回も含めて、「正月特番 今夜は最高!」とするのである。
(以下引用)
『今夜は最高!』は、1981年4月~1989年10月まで続いたパイオニア一社提供による30分のバラエティショー。ステレオ放送が珍しい時代でもあり、いかにもオーディオビジュアルメーカーがスポンサーらしい番組であった。
内容はタモリが番組ホストとなって、女性ゲストと男性ゲストが毎週一人ずつ呼ばれ、コント、トーク、ミュージカル、歌などを織りまぜた豪華なバラエティショーだった(1回の収録に3日もかけていたという)。この番組のために、大学時代からしばらく遠ざかっていたトランペットを吹くことになる。
昭和60年度民間放送連盟のテレビ娯楽番組部門最優秀賞を受賞した「オペラ昭和任侠伝」の回はいまでも語りぐさになっている(下の写真はフィナーレ部分だ)。和田アキ子と斎藤晴彦がゲストで、コント、トーク、芝居、歌とすべてがバチッと決まったスゴイ回だった。これがきっかけとなって、アングラ俳優の斎藤晴彦はKDDのCMが決まったほど。
特に、下記記事にある「オペラ昭和任侠伝」は、テレビバラエティショー歴史上の最高傑作として、もう一度見たい回なのだが、ユー・チューブを探しても見当たらない。
二度と見られないと思っていたビング・クロスビーとデビッド・ボウイのクリスマスソング二重唱さえ外国では残っているのに、日本のテレビ会社は、これほどの「文化遺産」を保存してもいなかったのだろうか。
私は和田アキ子が大嫌いなのだが、この傑作の「ヒロイン」であっただけでも、その存在価値は認めるのである。
ぜひ正月特番ででも、このフィルムを発掘紹介してくれないだろうか。もちろん、それ以外の回も含めて、「正月特番 今夜は最高!」とするのである。
(以下引用)
『今夜は最高!』は、1981年4月~1989年10月まで続いたパイオニア一社提供による30分のバラエティショー。ステレオ放送が珍しい時代でもあり、いかにもオーディオビジュアルメーカーがスポンサーらしい番組であった。
内容はタモリが番組ホストとなって、女性ゲストと男性ゲストが毎週一人ずつ呼ばれ、コント、トーク、ミュージカル、歌などを織りまぜた豪華なバラエティショーだった(1回の収録に3日もかけていたという)。この番組のために、大学時代からしばらく遠ざかっていたトランペットを吹くことになる。
昭和60年度民間放送連盟のテレビ娯楽番組部門最優秀賞を受賞した「オペラ昭和任侠伝」の回はいまでも語りぐさになっている(下の写真はフィナーレ部分だ)。和田アキ子と斎藤晴彦がゲストで、コント、トーク、芝居、歌とすべてがバチッと決まったスゴイ回だった。これがきっかけとなって、アングラ俳優の斎藤晴彦はKDDのCMが決まったほど。
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