モデル・押切もえの小説第2作『永遠とは違う1日』(新潮社)がノミネートされたことで一躍注目が集まった第29回「山本周五郎賞」(新潮文芸振興会主催)。結局、押切は "僅差"で落選し、受賞作は人気作家・湊かなえの『ユートピア』(集英社)となった。
ところが、発表から1カ月。その受賞者である湊かなえが、押切もえや彼女を推した選考委員を激しく批判して話題になっている。
それは「小説新潮」(新潮社)7月号に掲載された、まさに山本周五郎賞の受賞エッセイでのことだ。湊は、小説家を航海に出た船にたとえ、〈私にとって文学賞は次のステージへの動力と成る燃料補給〉と喜びを表したのだが、その後、嬉しかったのは受賞の連絡を受けたそのとき限りだったとして、こんなことを綴り始める。
〈文芸の外の人が2作目なのに上手に書けているという、イロモノ扱いのままで審査された作品と僅差だった。そのような結果が動力になる小説家がいるのでしょうか?〉
〈怒りや悔しさは力に変えることができるけれど、なんだそりゃ、とあきれる思いを力に変えることは、私にできません。燃料を補給されることになったので喜んで寄港したら、ハンマーで船底に穴をあけられたような気分です〉
実は、5月16日の山本周五郎賞発表の際、選考委員の会見で佐々木譲が、湊の受賞を発表した後、こんなことを語っていた。
「湊さんのほかにもう1人、有力な方がいました。押切もえさんです」
「文芸の世界ではないところの人なのにうまい」「2作目なのにうまい」
「W受賞でもいいのではないか、という意見もありました」
湊の批判は明らかにこの佐々木の会見を受けてのものだろう。名前こそ出していないものの、押切のような"文芸の外の人""イロモノ"と同列に並べられ、僅差になったのが許せない、と言明したのだ。しかも、湊はこの後、さらに踏み込んでこんなことまで書いている。
〈それでも、私は山本周五郎賞を受賞した、と胸を張って自慢します。(略)だから、今現在、そして、5年先、10年先、この海での航海を牽引することができる才能と実力を備えた船たちを、この海で勝負するのだという覚悟をもった船たちを、二番煎じの愚策に巻き込むのは、どうか今年限りにしてください〉
湊は怒りのあまり、昨年、芥川賞を受賞した又吉直樹のことまでもち出し、押切のノミネートをその又吉の「二番煎じの愚策」と切って捨てたのだ。これは選考委員だけでなく、主催の新潮社への痛烈な批判である。
作家が文学賞や選考委員、受賞者に対して批判を口にすることはたまにあるが、今回の湊は受賞者である。賞の受賞者がその受賞エッセイで、賞の選考過程にここまで怒りを表明したのは前代未聞だろう。
しかし、湊の怒りはもっともな部分もある。なぜなら、押切もえのノミネートは、彼女の言うように、明らかに新潮社が又吉の「二番煎じ」を狙って仕掛けたものだったからだ。当の新潮社関係者が語る。
「正直言って、押切さんの作品はタレントにしてはうまいけれどそれだけ。押切さんじゃないと書けないという突出したものはなにもないし、仮にゴーストライターが書いた、あるいは編集者が大幅に手を入れていたとしても不思議はないようなシロモノです。それが、権威ある山本周五郎賞にノミネートされ、次点にまでなったのは、新潮社の出版局と小説新潮が強引にプッシュし、選考委員に根回ししたからです。もともと押切さんの小説を仕掛けたのは、芸能界とパイプがあって、芸能人に文芸作品をいろいろやらせてきた出版局のやり手編集者K氏。一方、押切の所属プロダクションであるケイダッシュは、いま、自社のタレントの出版への進出をすごく熱心にやっている。そんなところから、最初からK氏とケイダッシュと組んで仕掛けたんじゃないか、とも言われています。いずれにしても、又吉の二番煎じを狙ったのは間違いないでしょう。選考前、ある幹部は真顔で『これは第二の又吉になる』といきり立ってましたからね」
もっとも、押切はもともと本好きで文化系女子に人気だった又吉とは違って、固定の読者がおらず、これまでの小説もたいして売れていない。二番煎じとしてもかなり的外れで、湊に「愚策」と言われてもしようがないだろう。
実際、押切のことを揶揄していたのは、湊だけではなかった。小説界の重鎮である筒井康隆がブログ「偽文士日碌」で、湊の怒りについてこう書いているのだ。
〈湊かなえが突然マスコミを非難しはじめた。同じ候補だった「女又吉」のことでいやな目に遭わされたらしいが、同感しつつも、文壇とマスコミは夫婦関係に似ているなど思う〉
一応、湊の怒りをなだめる姿勢をとってはいるが、押切を「女又吉」と表現しているのは、明らかに筒井流の皮肉。小説が売れない時代、出版社が話題づくりをするのは当然だが、今回の新潮社のあまりにプライドのないみっともない仕掛けには、ふだん付き合いのある作家たちまでがかなりあきれ果てていたということだろう。
とくに当事者である湊の怒りは激しく、ちょっとやそっとのことではおさまらないだろうと言われていた。湊はもともと、エキセントリックな性格で知られており、2010年に「女性セブン」(小学館)が湊の素顔を取材・記事化した際には、称賛記事であったにもかかわらず、プライバシー侵害に激怒。"小説家をやめる"と言い始めて、出版業界が大騒ぎになったこともあった。もしかしたら「新潮社からの版権引き上げ」なんてことも起きるのではないか、と囁かれていた。
興味津々で見守っていたところ、しかし、事態はなんとも肩すかしの結末に終わった。
問題の受賞エッセイが載った「小説新潮」が発売された2日後の、6月24日に山本周五郎賞の受賞パーティがあり、湊がどんな挨拶をするのか注目されていたのだが、このなかで、湊はいきなり押切の小説をほめはじめ、他の分野で活躍している人たちが小説を書くのはいいことだと言明。むしろ、押切のことを「イロモノ扱い」したマスコミを批判したのだという。
「湊さんは文壇内に睨みをきかそうとしたところ、ネットニュースで取り上げられ、押切批判だと大きな話題になったため、怖くなって慌てて火消しに走ったというところでしょう。だいたい、湊さんも売れっ子ではありますが、文芸の世界では評価しない人も多い。昔だったら、湊さんのような人は山周賞を獲れなかった、人のことは言えないだろう、という声もありましたし」(文芸評論家)
作家の権威を全面に出した"イヤミスの女王"と、小説を売るためにプライドを完全に捨て去った老舗文芸出版社の戦いは、なんとなく"どっちもどっち"という結果に終わったということらしい。
(林グンマ)