「傑作は運命を捻じ曲げて生まれる」という話。
最初は短編漫画中心で、それが好評なら中編や長編にまで拡大したらいい。
さらに思うのは、「子供向け漫画」が消滅の危機にある現在、昭和の頃のように子供を対象とした過去の漫画だけを集めた雑誌を作ることである。手塚治虫や藤子不二雄、あるいは死去したりしてその存在すら忘れられた過去の漫画を再掲載するわけだ。もちろん、原稿料は遺族に払うのである。この「子供漫画誌」は子供の頭脳世界や心の世界(感情世界)を大きく広げることになるだろう。
もちろん、青年漫画でも同様の「再掲載枠」があるといいわけで、私などは宮谷一彦の漫画などが現在の青年誌に掲載されたら、買ってしまうかもしれない。(そこで大事になるのが編集者の漫画鑑識眼である。私自身がその「再掲載枠」のラインアップを決めたいほどだ。)
ちなみに、過去作品ではなく、大御所の新作が掲載されたために掲載誌が馬鹿売れした例が萩尾望都の「ポーの一族」である。これが示すのは「読者は本物の価値を求めている」ということだ。
(以下引用)
テレビに再放送枠があるように、雑誌に再掲載枠があってもいいように思う。>RT
ブラッディチャイナタウンを描き始めたきっかけ
noteで私が漫画を連載しはじめた経緯について書いておきます。まずファンタジウムの連載が終わって、とある青年漫画誌を紹介していただき、編集さんがお仕事を前提に会いに来ました。しかしその時言われたのが「どんな漫画家でも連載3回分のネームを出してもらってネーム審査をして掲載するか決める」というものでした。読み切りではだめですかと聞くと、赤字なので単行本を出したいから連載しかさせないとのお話で、その時点で編集さんも「ひどいですよね3回分切らせて没なら1円も出さないなんて」とおっしゃっていました。とりあえず私は2度ネームを3回分を切って提出しましたが続けて没になりました。計200枚くらい没になったと思いますが、もちろん1円のお金も出ません。その後、再び青年誌にネームを出して没になり、知っている編集さんのいる青年漫画誌に仕事の話をするとそこでも「連載したいなら3回分のネームを出してください」と言われました。そこは三か月おきに40人ほどの編集がネームを読んで投票の結果を見るのですが、最初の投票で私は2位、しかしその時1位になった人もどういうわけか掲載されないとの事。この時点でいやな予感はしていたのですが、その後2度ネームを直して再度ネーム審査に投稿しても、編集長が掲載しないという一言で半年ぐらい抱えていた私のネームは全没になりました。これに半年以上費やしてしまい、その次に青年漫画誌に仕事の話を持って行った時、やはりネーム3回分を提出してほしいと言われて、なにか暗黙の業界の掟でもあるのかと驚きました。そこの編集部は35人の編集がやはり読んで投票結果で連載させるとの事、もう仕方ないのでネームを切ったのですが、担当編集さんがとにかく忙しくて私のネームを読んでくれないのです。こちらとしてはすぐに合否を知りたくてメールをしたのですが、返事のメールに「どんなに良いネームを切っても私の言うことを聞かないと掲載しません、杉本さんのネームは私が預かっている中で、目を通す優先順位は一番下です」と書かれていました。なにかこの時点で、腕が動かなくなってしまい、私はそのままネームについてのやりとりをやめてしまいました。私自身が、編集さんの望むほどの力がなかったという事でしょうが、本来こんな苦しい思いばかりを味わうために漫画を描き始めたのだろうかと考え込んで、泣きたいのですが涙が出ないという毎日を送っていました。そして、そもそも出版社に仕事としてお金をもらうために描かせていただく漫画として考えると、やはりおもしろくなくなるという気がしてきました。編集さんや雑誌の好みに合わせないで、私が読みたいもの、描きたいものを描く。とはいえ不安もあったのですが、お友達の漫画家、高瀬理恵先生が「杉本さんはジュネの頃からひとりで漫画を描いていたんだから、編集さんがいなくてもできるはず」旨、言ってくれたことが大きかったです。とりあえず「描こう!」という気持ちだけで描き始めたのが「ブラッディチャイナタウン」で、子供の時から好きだったヒッチコックやホラー映画のテイストで、思い出のある不思議な中華街と、森川久美先生、久掛彦見先生の、闇を抱えた耽美な漫画に捧げる私なりのオマージュが描けたら、と思っています。おそらくこれはゴア描写等でどこの雑誌にも掲載できない作品ですが、私自身は楽しんで描いています。今後どうなるのかわかりませんが、おもしろいと言って読んでいただければ私は幸せです。
つまり、入学早々からアニメ作りをし、それは「納期」が常に問題視されているが、その間、高校生活自体での時間の流れがどうなっているのか、という問題だ。
確か、原作では三つくらいアニメを作り、それぞれ二か月から三か月くらいかかっていると思う。とすると、高校行事としてはそろそろ高1が終わる時期に差し掛かっていると思われるが、そういう気配は無い。その「二つの時間」の整合性が、気になる人には気になるわけだ。
まあ、2050年の日本は昔の「旧制高校」が復活しているというのも面白い。つまり、高校がそのまま大学と同じであるわけだ。
まあ、「ワンピース」の場合は、私はあの絵が生理的にダメなわけで、話の内容自体は面白いのかもしれないが、第一話しか読んでいないので何とも判断できない。
確か、「紙屋研究所」氏も「王様ランキング」を高く評価していた記憶がある。私は紙屋氏の知性や判断力を優れていると考えているので、私には理解できない何かが「王様ランキング」にあるのかもしれない。
(以下引用)
──そう言われると、たしかに絵本っぽさはありますね。でもマンガ自体は「王様同士がランク付けされている」という、少年マンガ的なコンセプトになっている。
「王様ランキング」というタイトルは後付けなんです。絵本をやめて、マンガでやってみようと思ったときに、一番売れているマンガを読んでみようと思ったんですね。つまり「ワンピース」なんですが。マンガ家になるのを1回挫折していて、それからマンガをずっと読んでいなかったんです。それでそのとき初めて「ワンピース」を読んだんですが……。
──どうでした?
もうめちゃくちゃ面白い! 「これは一体なんなんだ!?」と思って。
──読んだのは会社を辞めてからだから、けっこう最近のことですよね?
去年の1月くらいです。
──もともとマンガ家を目指していて、でも長いことマンガから離れていて、そこで初めて「ワンピース」読んだら、染み込み方がすごそうですね。
あれを真似するなんてことは僕には無理なんですが、でも子供が喜ぶのってランキングだし、少年マンガでもいろんな形でランキングが使われてますよね。言ってみれば、そういう安易な考えで「王様ランキング」と付けたんです。あと、主人公に目的を持たせたかったんですね。絵本のキャラクターってあまり目的を持っていないけど、マンガの場合は目的があったほうが燃えるなと。それで「立派な王様を目指す」みたいな目的をつけたんです。それも後付けなんですけど。
まあ、最初の絵がエロ目的ならそれでいいのであり、「素人には専門家の技術は分からない」と強弁するのも何だかなあ、と思う。私はプリーツスカートは履いたことはないが、姉がいたので実物を見て実体を把握しており、あの事例のように鼠径部がスカートの上からパンツ状に見えることはありえないと、断言していいだろう。
なお、まきり氏は麻生太郎のファンだというからネトウヨである可能性が高く、私と政治的には敵であるかと思う。政治的な敵でも、発言が正しければ発言自体は認めるわけだ。
あと「もしあのポーズを書いたら」と言うけど足の位置わざわざ変えてるよね、それでもそこに皺は入らないと思うけど
スカート履いてみなよ
なお、「ルーピ」はカンガルーを祖先とする人類型生物で、尻尾があり、腹には袋もあるらしい。
で、実際、数名の「超人」が敵と戦う話で、「超能力者」の「戦隊もの」という点では確かに「サイボーグ009」に似ている。私は009も断片的にしか読んでいないので、優劣比較はできないが、「月がなぜ荒廃したか」という大きなテーマを持っているところは、「火の鳥」的な壮大さもある。
ただし、「銃身が湾曲していれば、弾道も曲がる」という、ありえない設定もあり、科学的な正確さを重んじた手塚治虫にしては珍しいところだ。量産時代で、「まあ、子供向けのフィクションならこの程度は許容範囲か」と思っていたのかもしれない。
なお、「マグマ大使」は、手塚漫画としてはかなりレベルが低く感じる。主人公側の人物に欠点が多く、敵役のゴアに「美を理解する」「子供好き」などの美点を与えているので、どちらが勝つべきかが曖昧になり、物語の爽快感が無くなっていると思う。途中から「ガロン」を出してきたのも、かなり「やっつけ仕事」に見える。
北崎 拓@月に溺れるかぐや姫、ますらお 連載中!
@takukitazaki
·
18時間
『手塚版サイボーグ009』と評される事は聞いたことがあったけどなー。
思えば色々それらしい共通描写はあるのだけど「当時にありがちなSF描写」と勝手に解釈してたなー。
ルーピ可愛いよルーピ…
「じょしこうせいが あらわれた!」
というタイトルであった。これは、言うまでもなく、昔のテレビゲーム(ドラクエ以外にこの表現が使われたかどうかは知らない。)でのモンスターの登場場面の説明セリフだ。つまり、「じょしこうせい」がモンスター扱いであるwww だが、嬉しい遭遇でもあるわけで、そのモヤモヤ感とワクワク感が素晴らしい。ただし、先に書いたように、作品自体は未見である。
なお、その新都社の人気ランキング一位の「侠」は、三か月ほど更新が止まっている。私が見ている、わたモテ以外では唯一のウェブ漫画で、紙の雑誌に掲載されている漫画のほとんどより面白いのではないかと思っている。
なお、「わたモテ」評論で定評のある「場末の。」氏の更新もずっと途絶えていて、心配である。彼の評論は、漫画評論の最高峰だと私は思っている。
(追記)念のために「じょしこうせいが あらわれた!」を見てみたら、本当にモンスターで、かつ女子高生であったww
一話だけ転載してみる。どうせ、そのうち削除されるだろうが、絵は可愛いし、話も嫌味が無く、けっこう好きである。もっとも、私の主観だ。まあ、「くっころ」の話題が出てくること自体がエロだとするなら、一応は成人向けか。なお、新都社ランキング的にはかなり下であるので、ここで載せるのも作品の宣伝になると寛大に見てほしい。
この漫画を読むと、まるで、「名作、あるいは傑作漫画は編集者の頭脳から生まれ、漫画家はその道具でしかない」と言われているような気になる。
もちろん、漫画家に素晴らしいヒントを与える編集者も多いだろうが、それを作品化するのはあくまで漫画家であり、漫画家の頭脳と腕からしか漫画は生まれないのである。ヒントなど、編集者だけでなく過去の名作漫画や映画や実生活などどこからでも得られるはずで、編集者はその「手助け」をすればいいだけだ。「傑作は運命を捻じ曲げて生まれる」という言い方も気持ち悪い。まるで、「漫画家=(理不尽な)運命」で、編集者がその運命を捻じ曲げないと傑作は生まれない、と言っているようだ。
絵自体は達者な(と言うか、描きなれている)人だろうし、構図なども、ツィッターに載った部分だけからでもかなり工夫しているとは思うが、全体に平板で、強調点が目立たない絵だと思う。あっさり言えば、絵自体に魅力が無い。あるいは、私は魅力を感じない。
ついでに言えば、「夜のロボット」という作品タイトルも魅力が無い。なぜ、「夜の」なのか。夜という特定の時刻とロボットに何の関係があるのか。そもそも、「ロボット」という言葉自体にアナクロ感があるのだが、それは「狙って」のものなのか。まあ、そういう「スケベ心」(これは、エロ方面を意味するものではない。)を感じさせるタイトルであると思う。そういう「スケベ心」は読者に察知され、敬遠されるものである。いや、「読者受けを狙って、読者に敬遠される」のはおかしいだろう、と言われるかもしれないし、すべて商業作家は読者受けを狙うものだが、なぜか、許容されるものと拒否されるものがあるのである。
ちなみに、「電脳マヴォ」所載の作品には幅広い人気を得た作品もかなりあるが、「夜のロボット」はそういう作品ではないと思う。まあ、一部の人間には受容されているかもしれない。
この一文は、私自身の心理分析のネタとして「夜のロボット」という作品を取り上げたものだが、漫画創作全体に通じる部分はあると思う。つまり、「読む前から拒絶反応を起こす」作品というのは、内容が良ければ、非常に不幸なことであるわけで、こうした批評も無意味ではないだろう、というわけだ。
随分遅くなってしまいましたが、夜のロボットの最新話(その3廿四話目「その日・朝」)を更新しました。
ニコニコ漫画 http://nico.ms/mg450163
マンガボックスhttps://www.mangabox.me/redirect_to/indies.viewer/?manga_id=8230&content_id=149533 …
ハックとサイトはのちほど。
電脳マヴォさまは1/14水曜の予定とのことです。