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アマビエ自体は水木しげるの漫画にかなり前に既に出ていたが、まったく注目されなかったと思う。キャラも可愛くなかったし。
というスレッドがあって、結局「シーン」という「沈黙の音」が一番だ、というありきたりの意見への賛同が多かったのだが、擬音というのは慣用されているものにだいたい優れたものが多く、今の漫画家などが独自の擬音を作っても、さほど拡散しない。
たとえば、ウグイスの「ホーホケキョ」など、それに代わる擬音を考えても、まず落第である。実のところ、ウグイスの鳴き声はまったく「ホーホケキョ」とは聞こえないのだが、それ以外に表現が不可能なのである。あるいは、驚いた時の擬態語「ドキッ」なども代替不可能だろう。まあ、「ビクッ」でもいいかと思うが、ニュアンスは違う。「よつばと!」で「ビクッ」が使われるのは「小さな驚き」の場合で、そこで「ドキッ」を使わないのは流石だと思う。つまり、「ビクッ」は心理的と言うより、条件反射的な、身体反応(としての驚き)なのである。
文学者では宮沢賢治と萩原朔太郎がオノマトペの名人だが、漫画の中のほうが擬音語や擬態語は多い。山松ゆうきちが大雨の降る様を表した「ザカザン、ザカザン」など見事である。
なお、「シーン」を最初に使った(作った)のは誰か、おそらく検証されていると思うが、その起源は「森閑とした」の「森閑」から来ているのではないか、と私は想像している。あるいは、人を黙らせる時に言う「シーッ」からかもしれない。
(追記)「シーン」を発明したのは自分だ、と手塚治虫が「漫画の描きかた」みたいな本の中で言っているらしい。(と言うか、私自身、読んだ記憶がうっすらある。)だが、その言葉がどこから来たのかは言っていないようだ。
(追記)ウグイスと並んで、鳴き声が文学で言及されるホトトギスだが、その擬声語を私は知らないので、ネット動画で聞いてみると「ピッピッピョピピピョ」あるいは「チッチッチョチチチョ」という感じである。文学などでホトトギスの擬声語がどう表現されているか調べてみたい。(母音の音の高さがア段から次第に下がってオ段に至ると仮定したら、「ピッピッピパピピョ」となる。)
(追記)探してみると、小説ではなく野鳥の会みたいなホームページにこうあった。私の耳もそう悪くはないようだ。ただ、「鳴いて血を吐くほととぎす」という文句から想像したような悲痛感は無く、ひよこみたいだな、というのが最初の印象だった。
キョッキョッキョキョキョキョという鋭い声(雄)。
それはともかく、この人が描く漫画は、キャラの描きかたが某漫画家のパクリである。名前は忘れたが、「Golden Lucky」とか何とかいうナンセンス漫画などを描いていた人(今思い出した。榎本俊二である。)で、ウンコの大好きな人だ。こちら(つしま)の漫画では猫はリアルに描いて、人物は極端に単純化したフォルムで描いているようだが、その人物のフォルムの描きかたが完全にパクリなのである。まあ、この「つしま」の漫画を見れば一目瞭然だが、残念ながらコピーできないので、指摘だけしておく。あらいけいいちの「日常」のキャラの描き方やギャグがあづまひでひこの模倣に近いという程度のものではない。
漫画家に特有の個性的なキャラは、著作権の対象だろう。つまり、そのパクリは犯罪行為である。まあ、最近は堂々とその犯罪行為をやる三流漫画家が増えているし、私は著作権法そのものには批判的だが、先達が苦心して作ったキャラを盗用する精神は最低である。
(以下引用)
や、どうも。つしまです。2019年5月27日に『俺、つしま』2巻がしょんがっかんから出ることになりましたよ。俺の特設サイトはこちらです。
まあ、実は私は、その狙い自体が気持ち悪かったので、最終回しか見ていないのだが、「弱い存在を救って自分が身代わりに死ぬ」という、いかにもな「感動ポルノ」であった。
もっとも、その前の99回分をひとつも見ていないので、この評論が的外れである可能性は大いにある。しかし、多くの人が、100ワニの商業的失敗をザマア見ろ、と思っているらしいツィートが多いので、あながち私だけが異常者というわけではないと思う。感動はしたいが、「騙され」たくはないのが普通の人情なのである。その境目を上手く超えるのが上手い作り手、プロである。所詮は、タダだからついつい見ていた、というレベルのアマチュア漫画だろう。
同じアマチュア作品でも、高度で深い作品が「電脳マヴォ」などにはいくらでも載っている。
(以下「ネットゲリラ」から100ワニカフェの顛末を転載)
志村けんの死が無ければ、絶対にワイドショーに「今話題の~」つってぶっ込んでたよ。
志村けんが亡くなったので尺が無くなったのと、死ぬワニ商売は不謹慎すぎて流せなくなった。
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このコンテンツは作者ツイッターのフォロワー数減少を観察するのが今一番楽しい。
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いいかね?
入れ替え制の店内に東京メインディッシュの記者は店内に客は自分一人しかいなかったと書いた。
そして、ニコ動の記者も同じく自分の回には客は自分だけだったと書いている。
つまり開店当日、客は最低2名いたんだ。
最低でも客は2名いたんだよ。
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自粛期間中にオープンとか
ステマやった罰があたって本当におめでとうございます!
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ワニとか死ぬとか縁起悪すぎて電通のヤラセでなくても行かねーよ
馬鹿じゃなかろうか?w
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いいアイデアで100日もかけてワニ君に感情移入させたのに
お客の心情をまったく考慮しないで死後すぐにお祭り騒ぎ
今後儲け話失敗のお手本みたいな教材になるな
六月二十六日:「露天風呂の日」(6.26の「.」を読むのがミソ)
四月二十六日:「良い風呂の日」
十月十日:「銭湯の日」(「1010」で「千十」)
この日には伊波(「いは」ではなく「いなみ」)さんという貧乳女子が他の女性群と風呂に入って悲しむことになっている。なお、登場キャラの中で性格は一番いいと思われる。ただし、男性恐怖症で、男が近づくと反射的に殴る習性がある。
なお、「BLEACH」は本当にあの家庭用漂白剤で知られる「ブリーチ」の「漂白、脱色」の意味であるらしい。「ワンピース」は「ひとつながりの財宝」の意味だとか。「ひとつながり」であることに何か意味があるのか。そもそも、あれは財宝探しの漫画になっているか。行く先々で小ボスや中ボスと戦うだけのRPGで、しかもその戦いが話のメインなのではないのか。
ワンピースの意味
最初は短編漫画中心で、それが好評なら中編や長編にまで拡大したらいい。
さらに思うのは、「子供向け漫画」が消滅の危機にある現在、昭和の頃のように子供を対象とした過去の漫画だけを集めた雑誌を作ることである。手塚治虫や藤子不二雄、あるいは死去したりしてその存在すら忘れられた過去の漫画を再掲載するわけだ。もちろん、原稿料は遺族に払うのである。この「子供漫画誌」は子供の頭脳世界や心の世界(感情世界)を大きく広げることになるだろう。
もちろん、青年漫画でも同様の「再掲載枠」があるといいわけで、私などは宮谷一彦の漫画などが現在の青年誌に掲載されたら、買ってしまうかもしれない。(そこで大事になるのが編集者の漫画鑑識眼である。私自身がその「再掲載枠」のラインアップを決めたいほどだ。)
ちなみに、過去作品ではなく、大御所の新作が掲載されたために掲載誌が馬鹿売れした例が萩尾望都の「ポーの一族」である。これが示すのは「読者は本物の価値を求めている」ということだ。
(以下引用)
テレビに再放送枠があるように、雑誌に再掲載枠があってもいいように思う。>RT

ブラッディチャイナタウンを描き始めたきっかけ
noteで私が漫画を連載しはじめた経緯について書いておきます。まずファンタジウムの連載が終わって、とある青年漫画誌を紹介していただき、編集さんがお仕事を前提に会いに来ました。しかしその時言われたのが「どんな漫画家でも連載3回分のネームを出してもらってネーム審査をして掲載するか決める」というものでした。読み切りではだめですかと聞くと、赤字なので単行本を出したいから連載しかさせないとのお話で、その時点で編集さんも「ひどいですよね3回分切らせて没なら1円も出さないなんて」とおっしゃっていました。とりあえず私は2度ネームを3回分を切って提出しましたが続けて没になりました。計200枚くらい没になったと思いますが、もちろん1円のお金も出ません。その後、再び青年誌にネームを出して没になり、知っている編集さんのいる青年漫画誌に仕事の話をするとそこでも「連載したいなら3回分のネームを出してください」と言われました。そこは三か月おきに40人ほどの編集がネームを読んで投票の結果を見るのですが、最初の投票で私は2位、しかしその時1位になった人もどういうわけか掲載されないとの事。この時点でいやな予感はしていたのですが、その後2度ネームを直して再度ネーム審査に投稿しても、編集長が掲載しないという一言で半年ぐらい抱えていた私のネームは全没になりました。これに半年以上費やしてしまい、その次に青年漫画誌に仕事の話を持って行った時、やはりネーム3回分を提出してほしいと言われて、なにか暗黙の業界の掟でもあるのかと驚きました。そこの編集部は35人の編集がやはり読んで投票結果で連載させるとの事、もう仕方ないのでネームを切ったのですが、担当編集さんがとにかく忙しくて私のネームを読んでくれないのです。こちらとしてはすぐに合否を知りたくてメールをしたのですが、返事のメールに「どんなに良いネームを切っても私の言うことを聞かないと掲載しません、杉本さんのネームは私が預かっている中で、目を通す優先順位は一番下です」と書かれていました。なにかこの時点で、腕が動かなくなってしまい、私はそのままネームについてのやりとりをやめてしまいました。私自身が、編集さんの望むほどの力がなかったという事でしょうが、本来こんな苦しい思いばかりを味わうために漫画を描き始めたのだろうかと考え込んで、泣きたいのですが涙が出ないという毎日を送っていました。そして、そもそも出版社に仕事としてお金をもらうために描かせていただく漫画として考えると、やはりおもしろくなくなるという気がしてきました。編集さんや雑誌の好みに合わせないで、私が読みたいもの、描きたいものを描く。とはいえ不安もあったのですが、お友達の漫画家、高瀬理恵先生が「杉本さんはジュネの頃からひとりで漫画を描いていたんだから、編集さんがいなくてもできるはず」旨、言ってくれたことが大きかったです。とりあえず「描こう!」という気持ちだけで描き始めたのが「ブラッディチャイナタウン」で、子供の時から好きだったヒッチコックやホラー映画のテイストで、思い出のある不思議な中華街と、森川久美先生、久掛彦見先生の、闇を抱えた耽美な漫画に捧げる私なりのオマージュが描けたら、と思っています。おそらくこれはゴア描写等でどこの雑誌にも掲載できない作品ですが、私自身は楽しんで描いています。今後どうなるのかわかりませんが、おもしろいと言って読んでいただければ私は幸せです。
つまり、入学早々からアニメ作りをし、それは「納期」が常に問題視されているが、その間、高校生活自体での時間の流れがどうなっているのか、という問題だ。
確か、原作では三つくらいアニメを作り、それぞれ二か月から三か月くらいかかっていると思う。とすると、高校行事としてはそろそろ高1が終わる時期に差し掛かっていると思われるが、そういう気配は無い。その「二つの時間」の整合性が、気になる人には気になるわけだ。
まあ、2050年の日本は昔の「旧制高校」が復活しているというのも面白い。つまり、高校がそのまま大学と同じであるわけだ。
まあ、「ワンピース」の場合は、私はあの絵が生理的にダメなわけで、話の内容自体は面白いのかもしれないが、第一話しか読んでいないので何とも判断できない。
確か、「紙屋研究所」氏も「王様ランキング」を高く評価していた記憶がある。私は紙屋氏の知性や判断力を優れていると考えているので、私には理解できない何かが「王様ランキング」にあるのかもしれない。
(以下引用)
──そう言われると、たしかに絵本っぽさはありますね。でもマンガ自体は「王様同士がランク付けされている」という、少年マンガ的なコンセプトになっている。
「王様ランキング」というタイトルは後付けなんです。絵本をやめて、マンガでやってみようと思ったときに、一番売れているマンガを読んでみようと思ったんですね。つまり「ワンピース」なんですが。マンガ家になるのを1回挫折していて、それからマンガをずっと読んでいなかったんです。それでそのとき初めて「ワンピース」を読んだんですが……。
──どうでした?
もうめちゃくちゃ面白い! 「これは一体なんなんだ!?」と思って。
──読んだのは会社を辞めてからだから、けっこう最近のことですよね?
去年の1月くらいです。
──もともとマンガ家を目指していて、でも長いことマンガから離れていて、そこで初めて「ワンピース」読んだら、染み込み方がすごそうですね。
あれを真似するなんてことは僕には無理なんですが、でも子供が喜ぶのってランキングだし、少年マンガでもいろんな形でランキングが使われてますよね。言ってみれば、そういう安易な考えで「王様ランキング」と付けたんです。あと、主人公に目的を持たせたかったんですね。絵本のキャラクターってあまり目的を持っていないけど、マンガの場合は目的があったほうが燃えるなと。それで「立派な王様を目指す」みたいな目的をつけたんです。それも後付けなんですけど。