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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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宮谷一彦の「ありがとう。助かった」の言葉が重い。それだけ、彼は自分に関する誤解やズレた神格化に苦しんでいたのだろう。
私は彼の漫画は初期作品しか読んでいないが、「フェニックス・ジョー」や「ワンペア・プラス・ワン」は歴史に残る作品だと思う。寡作な作家の一作品でも量産型作家の全作品の数倍の価値があるのが芸術である。

(以下引用)

夏目房之介の「で?」


追悼 宮谷一彦

» 2022/07/01

追悼 宮谷一彦


宮谷一彦さんが亡くなった。2022628日。心よりご冥福をお祈りいたします。


 お会いしたことはない。むしろ遠ざける心理があった。それだけ大きな存在で、厄介な存在でもあったということだろう。


 20003月「BSマンガ夜話」で、たまたま刊行された宮谷『肉弾時代』を契機に放映することになった。僕はもう自分一人で一時間喋りまくる覚悟で準備を始めたが、どう考えても彼の果たしたことを『肉弾時代』だけで語り切れないと思い、スタッフを通じて宮谷さんにお伺いを立てた。「自分の持っている単行本にもなっていないスクラップの作品も含めて、『肉弾時代』以外の作品も触れたいが、お許し願えないか」と。直後、宮谷さんから直接FAXをいただき、「そのほうがありがたい。君とはいずれこうした形で出会えると思っていた」とあった。じつは、大学生の頃僕は宮谷さんに手紙を出しており、その中で彼の作風が変化したことに、生意気に批判的なことを書いたりしていた。それを彼はおぼえていてくれたのである。驚愕した。


 夜話で僕は必死にしゃべりまくり、この回は伝説的な回として記憶された。深夜、自室に帰るとFAXが届いていた。毛筆で一言「ありがとう 助かった 宮谷一彦」とあった。一気に涙が溢れた。深夜誰もいない部屋でしばし一人慟哭した。少しでも報えた気がして嬉しかったのである。マンガ批評をやっていてよかったと思えたことのひとつである。


 宮谷さん、これまでご苦労さまでした。本当にありがとうございました。

 
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