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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「漫棚通信」から転載。
ブロンディは、あの絵が大好きで、いつの間にか日本では見かけなくなったのが残念である。今でも米国では連載されているというから、恐ろしく長寿漫画である。

(以下引用)



October 30, 2007

ブロンディの成功と失敗


 岩本茂樹『憧れのブロンディ 戦後日本のアメリカニゼーション』 (2007年新曜社、5000円+税、amazonbk1)、読みました。



 以前にこの本のことをちらっと書いたとき、boxmanさんより詳しいコメントをいただいてからずっと気になってました。お値段が少々お高いので、近くの図書館に購入リクエストを出して買ってもらうというウラワザを使ってしまいました。


 『ブロンディ』は、チック・ヤングが創造したコミック・ストリップのキャラクター。なまけ者の会社員・ダグウッド、美人の妻・ブロンディ、男女の子ども、この一家の日常が描かれます。1930年から描き始められ、1973年にチック・ヤングが亡くなったあとも、息子ディーン・ヤングと協力者の手で描き続けられています。オフィシャルサイトによりますと、現在も55か国、2300紙の新聞で連載されているとのこと。


 かつてアメリカでの人気がどうだったかというと、「コールトン・ウォーは、一九四七年、アメリカン・コミックの中での人気ナンバーワンはキング・フィーチャーズ配給の『ブロンディ』と言い切」っていたほどだそうです。これは1947年という同時代の証言。


 そしてブロンディは、日本人にとってこそ特別な存在でした。『ブロンディ』が他の海外マンガと比べて、どこが大きく違うかと言いますと、戦後1949年から2年間、朝日新聞に連載された点です。


 毎日の新聞で読むアメリカの生活は、日本人の生活とどれほど違っていたか。


 日本人にとって驚きだったのは、まずダグウッドのつくる巨大なサンドイッチです。アメリカ人というのはあんなものを食っておったのか! ただしこれはアメリカ人にとってもギャグだったはずですけどね。


 また家庭電化製品のかずかず。ブロンディの家庭にあるトースター、そこからトーストが飛び出てくるのを見たとき、ギャグなのかホントなのかわからなかった、と書いてた作家は誰でしたっけ。電気掃除機、電気冷蔵庫、電気洗濯機。日本では「家庭の主婦ほどみじめな存在はない」と言われていた時代のことです。電化製品の存在しない時代の主婦は、一日じゅう労働に追われていました。


 そして夫ダグウッドをたてながらもうまく操縦する妻ブロンディ。このふたりの関係に、日本人は民主的なイメージを見ていました。


 戦後の日本人にとって、アメリカの中流家庭生活をかいま見ることができたのは、この作品だけだったのかも。この時期、まだテレビ放送は始まっていないし、雑誌記事ではよくわかんない。映画でいつもホームドラマをやってるわけでもなかったでしょうから。


 『憧れのブロンディ』は、戦後日本でアメリカ的なものはいかに受容されていったか、をブロンディを例に論じた社会学の本です。本書で論考されているのは多岐にわたっていますが、興味深かったのは「なぜ」ブロンディが朝日新聞に掲載されたか、という点。


 結論だけ言いますと、本書によればブロンディの朝日新聞への掲載は、GHQの言論統制の方針変更、レッドパージ開始に対する保身、恭順のシンボルであったのではないかと。なるほど、おもしろいなあ。


 朝日新聞での『ブロンディ』連載終了が1951年4月15日。この日はマッカーサーが解任され日本を離れた日でもありました。そして翌日から朝日新聞朝刊には、『ブロンディ』にかわって長谷川町子『サザエさん』が掲載されることになるのです。


 本書で大きな部分を占めているのが、家庭電化製品への憧れ。敗戦→アメリカのどこに負けたのか→アメリカの科学に負けた→日本の進む道は科学立国にあり→ブロンディにも科学=電化製品があふれているではないか。また女性側から見ると、日本の民主化には婦人の地位向上が必要→家庭生活の合理化→家庭電化製品の普及を。


 アメリカ、民主主義、科学、家庭電化製品、これらが一体となって『ブロンディ』のなかに存在していたのですね。


 本書のもとになってるのは著者の学位論文だそうです。丸山眞男や小熊英二、さらにはグラムシに言及されたりしていてけっこうムズカシイです。でもこまかくきっちりした記述に好感を持ちました。


 ただし本書に記載されてはいませんが、『ブロンディ』の新聞連載は結局失敗だったという見方があることも紹介しておきましょう。『別冊1億人の昭和史 昭和新聞漫画史』(1981年毎日新聞社)より。


電気掃除機も、電気冷蔵庫もなく、父権が、まだ地に墜ちなかった当時の日本では、そのウィットをハダで感じとることができず、“理解”というフィルターの彼方にしか受けとることができなかった。
苦しい2年間の連載で打切りを決めたとき、朝日新聞の担当者が、「登場させるのが10年早かった」と、いった言葉はまことに印象的であった。


 たしかに1950年前後の日本で、生活マンガというレベルのアメリカ作品を毎日読むのは、ちょっとキツかっただろうと想像できます。


 最後に書誌的なことを。日本での『ブロンディ』は、「朝日新聞」の連載が1949年から1951年まで。「週刊朝日」には「朝日新聞」より早くそして長く、1946年から1956年まで連載されていました。それからもちろん、文藝春秋「漫画讀本」に掲載されることもありました。


 単行本としては朝日新聞社から1947年から1951年に全10巻。その後1971年になって、スヌーピーで当てたツル・コミック社から全6巻。ツル・コミック社からはその他に、ぺらぺらのB5判の雑誌形式で2冊、あと『ブロンディのラブラブ英会話学校』なんてのも発売されてました。1977年に朝日イブニングニュース社から全6巻。また1989年から1990年にかけて、ディーン・ヤング版がマガジンハウスから全3巻で出版されたことがあります。


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