ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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第十八章 マチルダの災難
一行はとりあえず宿屋を探し、そこで昼食を取った。
「アルカードのビールはうまいが、ワインはたいしたことありませんな」
ジョンが口一杯にパンと肉を詰め込んで言った。
「この鰊と鱈はうまい。さすがに北の海に近いだけある」
オズモンドが答える。
他の客たちは、見慣れない服装のこの一行を珍しげに眺めている。その中から、ひどく派手な赤白模様の服を着た若い男が彼らに近寄ってきて話し掛けた。
「あんたがた、この国の人じゃないね。どこから来なすった」
「アスカルファンだ」
オズモンドが言った。
「そいつは珍しい。アスカルファンの人間がこの国に来たのは十何年ぶりだ。俺が子供のころ、一人来たが、それ以来だな」
「あんた、その人を見たのか」
マルスは勢い込んで言った。
「ああ、まだ若い男だったが、女を捜してわざわざアルカードまでやってきたと評判だった」
父のジルベールだ、とマルスは思った。やはり、ここに来ていたのだ。
「その人はどうなった」
「忘れたな。来た時のことは覚えているが、なんせ俺も子供だったから、その後のことはよく覚えていない。多分、別の町に行ったんじゃないかな」
マルスは少しがっかりしたが、それでもジルベールの足跡が少しでも分かったのは大きな収穫である。
マルスはその若い男を食卓に招いて、食事をおごった。
男は旅芸人のアキレスと言って、アルカードはくまなく歩き回ったが、アスカルファンはまだ行ったことがなく、アスカルファンの話を聞きたがったので、マルスたちはアスカルファンの話をしてやった。
だが、アキレスの関心は実はトリスターナとマチルダにあることが、その視線から感じられ、マルスはだんだん不快になってきた。
一行にまとわりつこうとするアキレスをなんとか追っ払って、マルスたちは寝室に下がった。しかし、マルスたちが眠り込んですぐ、事件は起こった。
深夜、隣室からの悲鳴に目を覚まし、跳ね起きたマルスはマチルダのいる隣室へ向かったが、ドアは錠がかかっている。
「僕だ、マルスだ。ドアを開けるんだ」
中から応答はない。しかし、争う物音がする。
マルスは足でドアを蹴破った。
中では床に倒れてもがいているマチルダの上に屈みこむ黒い影があった。
マルスは怒りに我を忘れて、その影に体当たりした。
男はアキレスだった。
マルスは尻餅をついたアキレスに飛び掛って殴りつけた。アキレスは下からマルスの喉を掴んだが、マルスがあと一発殴ると気を失った。
マチルダは立ち上がって二人の格闘を見ていたが、マルスが勝ったのをみて、ほっと安堵の息をついた。
「大丈夫か」
マルスはマチルダに声を掛けた。
「ええ。寝ている時に、窓から入ってきたの。目を覚まして大声をあげたんだけど、マルスが来てくれなかったらどうなっていたか」
オズモンド、ジョン、トリスターナもマチルダの部屋に入ってきて、事情を見て取った。
「こいつ、どうしてやろうか」
オズモンドは顔を真っ赤にして叫んだ。
ちょうどそこに宿の主人も来たので、マルスとマチルダは事情を説明した。
「うちで迷惑は困りますな」
主人はまるでマルスたちが迷惑を掛けたかのような言い方をした。
「とにかく、こいつを放り出してくれ」
「放り出せと言われても、うちのお客さんだからな」
「なら、我々が出て行こう」
オズモンドは腹を立てて言った。
マルスたちは宿屋を出たが、まだ深夜である。
良く晴れた夜空には月が中天にかかっており、明るいが、ひどく寒い。
五人は馬車を引き出して、乗り込んだが、夜が明けないと町の城門は開かない。
「しょうがない。今日はこの荷台で寝よう」
「せっかく町に入ったのに荷台で寝るとは……」
マルスの言葉に、ジョンが情けなさそうに言った。
「お月様がきれいだから、ちょうどいいですわ。月でも見ながら眠りましょうよ」
トリスターナが一同の気を引き立てるように言った。
やがて一同は荷台の上でなんとか眠りについたが、マルスはなかなか寝付かれなかった。
先ほどの出来事で気が高ぶっていたのである。
マチルダの上に男がのしかかったあの情景を思い返すと、胸がナイフで切り裂かれたような気分になる。一体、この気持ちは何なのだろう。もちろん、マチルダは無事だったのだが、それでも今でも胸に残るこの動悸と不快感が、マルスを苦しめた。
マルスは自分の心の中の声に耳を傾けてみた。
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第十七章 アルカード
朝日が出るのを待って、一同は出発した。
「おそらく、この近くには魔物の棲家があると思います。なんだか嫌な気配が漂ってますもの。できるだけ早く、ここを離れましょう」
トリスターナの言葉にマルスはうなずいた。マルスの動物的勘も同じ気配を感じていたからである。一行は急ぎ足で山の中を進んでいった。
山を越え、もう一つ小さな山を越えた後、視界が開けて、一行の目の前に、道が現れた。
マルスたちは歓声を上げて、斜面を駆け下りた。
やっとアルカードに出たのである。道があるということは、この道を行けば必ず人里に出るはずである。
まだ目の前には小さな山々が連なっているが、それらは山というよりは丘という程度であり、さほど難儀をしそうな山ではない。
そして、さらに一日後、道の途中に民家が見え始めた。
マルスたちはすっかり陽気な気分になってきた。
アルカードの国は北国らしく、春なお寒いが、山を下りると森や林が広がり、川や湖があちこちにあって美しかった。
民家の一つでマルスたちは干し肉と引き換えにパンとチーズとワインを貰い、川べりの草の上で久し振りに食事らしい食事をした。
「アルカードの言葉は、ほとんどアスカルファンと同じだな。ところどころわからない言葉はあるが」
オズモンドがやっと文明の地に出た喜びを隠し切れない口調で嬉しそうに言った。
「ところで、アルカードのどこに向かえばいいんでしょう」
ジョンがマルスに聞いた。
マルスはトリスターナの方を見たが、トリスターナは肩をすくめた。
「そもそも、ジルベールがアルカードに来たかどうかもはっきりしないのだから、当てはないよ。とにかく、町を探してみよう」
マルスはそう答えて立ち上がった。
先ほどの民家に入って、しばらく話したマルスは皆のところに戻ってきた。
「アルカードには首都というものはないそうだ。大きな町は五つ、小さな町が二十ほどあって、それぞれ領主が治めているらしい。その中で、もっともここから近い町はスオミラという町で、そこは領主ではなく五人の長老が合議制で治めているということだ。そこがここから一番近い大きな町のようだから、そこに行ってみよう」
マルスたちは農家で馬を二頭と荷馬車を買い、マルス以外は荷馬車で旅をすることにした。それまでの驢馬はその農家に売り払ったのである。ついでに干草も大量に買って荷馬車の荷台に敷き詰めたので、乗っている者は馬車の振動をあまり感じず、ついでに馬の食糧も確保したわけであった。
三日後、マルスたちの前にスオミラの町が見えてきた。
町の周りは水濠が巡らされ、町は石の塀で囲まれていて厳めしいが、番兵は少ない。
門の前でマルスたちは番兵に止められた。
「お前達はどこの者で、この町に何の用で来た」
マルスがその質問に答えた。
「私たちはアスカルファンの者です。ある人を探してずっと旅をしているのです。ここにその人がいなければすぐに出て行きます」
「誰を探している」
「私の父です」
「名は何という」
「ジルベールです」
「そんな者はここにはいない。この町にはアスカルファンから来た者などいないぞ。残念だが、他の町に行くのだな」
「そうですか。しかし、せっかくここまで旅をしてきたのですから、二、三日だけでも滞在させてはくれませんか。皆疲れていることだし」
番兵は荷車の上のマチルダやトリスターナを見た。
「まあ、四、五人ほどなら町に入れても差し支えないことになっているが、三日で出て行くのだぞ」
番兵はそう言ってマルスたちを町の中に入れてくれた。
石壁に囲まれた町の中は、さらに内壁がその内側を囲んでいた。
内壁の入り口での同じような問答の後、そこも通ってやっとマルスたちは町に入った。
第十六章 魔獣の襲来
山を下りるに連れて、だんだんと森は深くなり、空気の湿度も高くなってきたようである。木の種類も針葉樹から広葉樹に変わり、腐葉土の匂いが鼻をつく。
山間を流れる谷川には、鱒や鮎などの川魚が時折ぱしゃっと音を立てて跳ね上がるのが見えた。
雪解けの水は水量が多く、岩を砕くような勢いである。
夕暮れが近づくと、あたりは霧がたちこめ、不気味な気配が漂ってきた。
「ひどい霧だな。鼻をつままれても分からんという奴だ」
オズモンドが呟く。
「そろそろ今夜の寝る場所を探したいが、どうもどこも気に入らない。獣の気配がするし、他にも何かいそうな感じだ」
マルスはオズモンドだけに小声で言った。
「何の気配だ?」
「分からん。とにかくいやな感じだ」
あたりはますます暗くなり、霧はなおも濃くなってくる。
「仕方ない。この辺で止まって、宿営を作ろう」
川から少し上に上がったところに乾いた場所を探し、そこに草を積んでその上に皮を敷き、即席のベッドを作る。
男三人は交代で見張り番をすることにした。ジョン、マルス、オズモンドの順である。
真夜中、マルスは夢うつつに人の悲鳴を聞いた。
気力を振り絞って目を覚まし、意識を取り戻したマルスが最初に見たのは、焚き火の前に立ちすくむジョンの姿であった。
ジョンの視線の先を見たマルスは、ぞっとした。
そこにいたのは、大きさが人間の二倍ほどもある巨大な猿であった。
闇に光るその目は邪悪な意思を感じさせた。
これまでマルスが見た動物は、熊であれ虎であれ、凶暴な力は持っていたが、邪悪な意思を感じたことはなかった。
これは動物とは違う何かだ、とマルスは思った。もちろん人間でもない。強いて言うなら悪魔が動物の姿をとって現れたものだろう。
よく見ると、巨大な影は一つだけではなかった。少なくとも三つはいる。もしかしたらもっといるかもしれない。
マルスは側のオズモンドを起こした。
「敵だ。目を覚ませ」
オズモンドは寝ぼけ眼で起き直り、巨大な猿人たちを見て、声にならない悲鳴を上げた。
マルスはトリスターナ、マチルダを次々に起こした。女達も目を覚まし、悲鳴を上げる。
大猿の一頭が、唸り声を上げ、ジョンに襲いかかった。
マルスは弓に矢を番え、その猿の心臓を目掛けて矢を放った。
矢は見事に突き刺さった。だが、何ということだろう。大猿は一瞬苦痛の声を上げたものの、向きを変えてこちらに突進してくるではないか。
マルスはとりあえず、後ろの二頭目掛けて次々に矢を射た後、側に置いてあった槍を手にして大猿に向かって突撃した。
オズモンドは剣を抜いて横から同じ大猿に切りつける。
マルスの槍は大猿の胸に深々と突き刺さった。だが、大猿は槍を胸に刺したまま、マルスを片手でなぎ払った。それを避けられず、マルスの体は傍らの木の茂みに叩きつけられた。
オズモンドは猿の左腕に切りつけたが、刃先が合わず、松の木の皮のように固い毛皮の上ですべり、跳ね返された。
向こうではジョンがもう一頭の大猿につかまり、頭上高く差し上げられ、今にも地面に叩き付けられようとしていた。
突然、鋭い女の声が響き渡った。トリスターナの声である。
何かの呪文らしいその声を聞くと、不思議なことに、猿たちは悲鳴を上げ、闇の中に消えていった。
男たちは呆然としていた。
今ここで起こった出来事が信じられない思いである。
あのような大猿を見たのも初めてなら、それがトリスターナによって撃退されたのも信じ難い。
「トリスターナさん、今のは?」
オズモンドがやっと口を開いた。
「悪魔払いの呪文です。きっとあれは悪魔の使いだったのでしょう」
トリスターナも青ざめているが、思ったより平静である。さすがに元修道尼だけあって、妖魔には詳しいのだろう。
「トリスターナさんにこんな芸があったとは知らなかった」
オズモンドが感心したように言った。
「私も知りませんでしたわ。こんなことしたのは初めてです。修道院に、悪魔払いに詳しい老尼がいて、仲良しの私に呪文を幾つか教えてくれたんですの」
そう言うトリスターナを、一同は救世主を見る目で眺めるのであった。
第十五章 老人の身の上
マルスは、ベッドの後ろの小さな窓から来る明かりで老人を観察した。
ずいぶん年を取っている。白い髪も髭も伸び放題に伸びて、顔は痩せこけているが、眼光は鋭い。しかし、やはり見覚えはない。
マルスは、はっと気づいた。
「もしかしたら、あなたは僕の父に会った事があるのでは?」
老人は記憶をたぐる目になった。
「そうかもしれん。わしがここに住むようになってから会った人間は僅かしかいない。最後に会った男が……そうだ、お主によく似ておった」
「それはいつ頃でしょうか」
「さあな。こんな山の中で月日を数えても詮無いことじゃ。十年前か、二十年前か、もしかしたら去年かも知れんて」
老人は目を閉じた。マルスは老人を疲れさせたかと思って、問うのをやめた。
それから三日、マルスたちはこの岩屋に逗留して、老人の看病をした。と言っても、世話をしたのは主にトリスターナであるが。
マルスたちは、風雨のしのげるこの岩屋で久し振りにのんびり過ごし、山登りの疲れを癒した。マルスは弓で鳥や獣を射て、それを炉の煙で燻して燻製を作り、オズモンドとマチルダは山の木の実や草の実を採集する。料理は主にジョンがやった。
三日のうちに老人は元気を回復し、ベッドから起きられるようになった。
「わしもいよいよあの世に行けるかと思っとったら、この世に繋ぎとめられたわい。余計な事、と言いたいが、まあ、感謝しとる」
老人の名はシモンズと言い、もとはグリセリードの宮廷にいた重臣だったという。
「大豪シモンズと言ってな、剣と槍では、デロス将軍を除いては、わしにかなうものはいなかったのじゃよ。しかし、宰相のロドリーゴにうとまれてな、そこを飛び出し、あちこちを放浪して諸国の国王に仕えたが、ある時、ふとこれまでの殺生に嫌気がさしてな、この山に入って世捨て人となったのじゃ。おお、そう言えば……」
老人は、ふと思い出したように、ベッドの下から木箱を引きずり出して、それを開いた。
中に入っていたのは見事な甲冑だった。なるほど、老人の言葉は嘘ではないらしい。
甲冑は金属部分には油が引かれ、錆びついてはいなかったが、革紐や内側のパッド、内服はもはやボロボロである。とはいえ、金属の鎧だけでも、莫大な金になる代物だろう。
「これがわしの紋章じゃ。もしもお主らが欲しければ、この鎧はお主らにやろう。この剣と槍もな。金も少しはあったかな……。どうせあの世には持っていけん。みんなやろう」
オズモンドは老人の剣を鞘から抜き出してみた。これも、油が引かれていて、錆びはついていない。何人もの人間の血を吸ってきた凄みの漂う、青光りする剣である。これもおそらく高価なものだろう。
「こんな高価なものを頂いていいのですか」
「かまわん。その剣はガーディアンといってな、戦場で敵の鎧を真っ二つにして刃こぼれもしなかった名剣じゃ。グリセリードの国王に、領地と引き換えに寄越せと言われたが、わしは断ったのじゃ。だが、今のわしには単なる人殺しの道具、罪深い代物じゃ」
トリスターナは老人に、グルネヴィアの寺院で売っている護符を差し出した。
「これはエレミア寺院の免罪符ですわ。これを持っているとこの世でのすべての罪は許されて神の御許に行けます」
「エレミエル教か。わしは特にどの神を信じているというわけでもないが、お前さんの気持ちは嬉しい。もしかしたら、これで安らかな気持ちであの世に行けるかもしれん」
マルスは槍の作りを調べていたが、顔を上げて言った。
「この槍も素晴らしい。猟師の槍とは全然違う作りだが、確かに戦場で使うにはこの方が良さそうだ。柄も穂先も見事な出来だ」
「そうじゃろう。わしは戦場では剣よりもその槍で何人もの敵を倒したものじゃ。柄は中に鉄芯が入っていて、剣でも切れんぞ。そいつはお前さんにやろう」
およそ一週間の滞在の後、マルスらは老人に別れを告げて出発することにした。その一週間の間に老人から聞いた諸国の話は、古い話ではあるが、まだ見知らぬ国々のことであり、マルスたちにはいろいろと役に立ちそうな話もあった。
マルスは老人のためにたくさんの保存食を作っておいたので、たとえ寝たきりになってもしばらくは生きていけるはずである。
トリスターナとマチルダは二人で岩屋を精一杯清潔にし、調度類の修理などもした。
「これでわしも後一、二年は生き延びそうだ。お主らが来てくれてよかったと思っとるよ。いなくなると寂しくなるの。特にトリスターナさんには世話になった」
岩屋の前で手を振り、別れを告げる老人に手を振って応えながらマルスたちは山を下っていった。
これから山と山の間の谷間伝いに旅を続けるのである。
第十四章 山中の隠者
グルネヴィアを出て半日ほど行ったところで道は尽きた。強い木の香のする針葉樹の森林の中を進んで行くと、山の岩肌が出てきて、このあたりからは斜面の大部分は雪に覆われている。
マルスは一行の先頭に立って一同を導いた。
時には岩壁を攀じ登らねばならない。そういう時は、まずマルスが先に登っていき、適当な足場を見つけて杭を打ち、そこからロープを垂らして他の連中を引き上げる。
緩やかな斜面があったので、その日はそこの岩陰で眠ることにした。体中に目一杯、服を着込んで、顔には木綿の布を巻いて凍傷を防ぐ。互いに体を寄せ合っていれば、毛布一枚でも暖かい。
明け方、マルスはふと目を覚ました。自分の足に絡みつくものがあった。
トリスターナの足であった。マルスは胸をどきどきさせて、側のトリスターナの気配を窺ったが、彼女は安らかな寝息をたてている。単に、寒さで無意識に身を寄せただけらしい。もちろん、ズボン越しにではあるが、トリスターナの柔らかな足の感触で、それからはマルスはもう眠れなかった。なんだか天国にいるような気さえする。
寝たまま、岩陰から見える空を眺めると、一面の星空である。
なんでこんなに幸福な感じがするんだろう、とマルスは考えた。
トリスターナのせいだろうか。それだけでもないような気がする。トリスターナの向こうで寝息を立てているマチルダとオズモンド、マルスの右手で寝相悪く毛布からはみだして寝ているジョン。彼らはマルスの仲間だった。生まれてからほとんど父親と母親だけと暮らしてきたマルスにとっては初めての友人と言っていい。彼らは何の義理も無いマルスの旅にこうして付き合ってくれている。もちろん、それが彼らにとっても面白いから一緒にいるのだが、マルスにとっては得がたい助けであり、それだけでなく、心の支えでもある。彼らがいなければ、マルスの旅はどんなに孤独なものになっていただろうか。
(僕はこの人たちを何があっても守り抜くぞ)
マルスは心の中でそう呟いた。
グルネヴィアを出て三日目、一つ目の山は越えたが、まだ山は続いている。
マルスは矢で鳥や獣を射て、一行の食料にしていた。グルネヴィアを出た時に持ってきたパイや固パン、ビスケットのうち、パイはすでになくなっている。水は雪を溶かして飲めるから大丈夫だが、このままだと食糧はあと五日分くらいである。
「もしもこの山の先も同じように山が続いていると大変だな」
オズモンドが溜め息をついて言った。
「マルスがいれば大丈夫よ。私たちだけだったら大変だけど」
ここ数日で、マルスの山人としての能力を信頼しきっているマチルダが言った。
「まったく、こういう状況では貴族だの何だのといっても役に立たんことがよく分かったよ」
オズモンドは少々弱気になっているらしい。同じ男として、トリスターナの前で、少しはいい所を見せたいのだが、山の中ではマルスの猟師としての抜群の能力を見せ付けられるだけであるから、それも仕方の無いことだ。
「そんな事ありませんわ。オズモンドさんは十分役に立っています。それより、私なんか足手まといになるだけで、申し訳なくて……」
トリスターナがオズモンドを弁護した。
なるべく低地を行こうということで、山間の通路を探しに行っていたマルスが戻ってきた。
「この先に洞窟がある。どうやら人が住んでいる気配があるんだが、どうする? 行ってみるか」
「まさか山賊の根城ではないだろうな」
「いや、それほど大人数がいるとは思えない。行ってみよう」
一行はマルスを先頭に進んだ。
岩肌の露出した岩壁に、その洞窟はあった。入り口は人が四、五人楽に通れる広さがある。
マルスは用心しながら中に入っていった。後にオズモンドらも続き、後ろはジョンが警戒する。
洞窟の中は暗いが、まったくの暗闇ではない。どこかに明り取りの穴があるのだろう。
二十歩ほど進んだところで、奥からしわがれた声がした。
「誰じゃな?」
マルスたちは顔を見合わせた。
「怪しいものではありません。山越えの旅の途中でここを通りかかったものです」
しばらく間があって、やがて声がした。
「入りなさい。お会いしよう」
マルスは奥の部屋に入った。部屋と言っても、別に戸があるわけではないが。
奥の部屋にいたのは、ベッドに寝ている老人だった。
「すまんが、そこの壷の水を取ってくれんか」
老人は立ち止まって見下ろしているマルスに言った。
「わしはもう長い事ない。人間に会うのも久し振りじゃ。だが、来てくれてよかった。ちょうど喉が渇いておったが、その壷のところまで歩くのも大儀でな」
水を飲み終えた老人は、マルスをしげしげと見た。
「はて、お主、どこかでわしと会わなかったかの? 何やら見た覚えがあるが」
マルスの方にはこの老人に見覚えは無かった。
「いいえ、初めてお会いすると思いますが」
第十三章 アルカード
「さて、これからどうする? モンタナ一族が国王への反乱を起こそうとしているなら、国王の重臣であるオズモンドとしては、国王にそれを報告しなければならんだろう」
マルスはオズモンドに言った。
「そうだな。多分、誰かが既に知らせているとは思うが、もしまだなら、僕が知らせねばならん。せっかくここまで来たが、戻っていいかな?」
「いいとも。叔母に会うという目的は達したし、それどころか叔母を連れ戻すこともできたんだから、僕には文句はない」
そう言えば、とマルスはトリスターナに向き直った。
「実は、父のジルベールが、母のマーサに上げたペンダントを母の遺品として貰ったんですが、そのペンダントの事は知ってますか?」
「もしかして、大きなブルーダイヤのペンダント?」
「そうです」
「今、それをあなたが持っているの?」
「いいえ、残念ながら、ピエールという盗賊に盗まれて、ピエールはそいつを売り払ったみたいなんです」
「そう、残念ね。あれはオルランド家の家宝です。王様でもあれほどの宝石は持っていないでしょう。おそらく、二百万リムの値打ちはありますわ」
「二百万リム!」
オズモンドが声を上げた。
「国王の身代金になるくらいの金額だな」
彼はマルスを見て言った。
「そんな代物を君はみすみす泥棒に盗まれたんだぜ」
マルスは呆然とした。二百万リムと言われても、見当がつかない。
「でも、世間ではブルーダイヤの値打ちは知られていません。レントかグリセリードの人間なら、喜んで買うでしょうが、アスカルファンでは金より安くしか売れないでしょう。つまり、五百リムくらいです」
トリスターナの言葉にマルスはほっとした。五百リムくらいなら、いつの日か買い戻せるかもしれない。
「ジルベールの行方について、何か手掛かりはありませんか?」
マルスは話題を変えた。
「そうですね……もしかしたら、アルカードに行ったかもしれません。マーサはアルカードの出身だと言っていましたから。ジプシーの娘で、旅してバルミアに来た時にバルミアが気に入ってそのまま一人でそこに残ったという話でした。だから、マーサがアルカードに帰ったと思って、それを追ってジルベールはアルカードに行った可能性があります」
「そうですか……」
マルスは考え込んだ。そして、オズモンドに向いて言った。
「オズモンド、悪いが、バルミアには君達だけで帰ってくれ。僕はアルカードに行くことにする。父を探してみたいんだ」
オズモンドはマチルダとジョンの顔を見て、ためらった。
「どうする? 僕はマルスとアルカードに行ってみたいんだが……」
「行きましょうよ。どうせ、帰っても、戦に巻き込まれるだけよ。そんなの馬鹿馬鹿しいわ」
マチルダが言った。ジョンも相槌を打つ。
「そうですな。お嬢様のおっしゃるとおりだと思いますよ。戦で手柄を立てて出世しようというのならともかく、オズモンド様が戦に出ても何も利益は無いでしょうな」
「べつに利益などいらんが、僕が戦場にでてもあまり役には立たんだろう。よし、このまま皆でアルカードに行こう」
グルネヴィアの町で、一休みした一行は、マチルダとトリスターナの為に旅支度を整えた。女服では山越えは難しいので、二人とも男装させたのである。
気の強い顔をしたマチルダは男装すると美少年そのものだったが、女らしいトリスターナが男装をすると少々妙な感じである。しかし、これで道が歩きやすくなったのは確かだ。
その夜は、これからの山越えの苦難に備えて、一同は目一杯の御馳走を食べた。
「こんな御馳走は十二年振りですわ!」
トリスターナは感激した。
「これだけでも修道院を出た甲斐はあります。これは何の肉かしら。山鳩かしら、雉かしら。このお菓子の中の木の実はアーモンド? 何ておいしいのでしょう」
男達はビールとワインを飲みまくり、ジョンは故郷レントの民謡を歌い、オズモンドは宿屋にあった、ヴァイオリンに似たレベックという楽器を弾いた。
しまいにはトリスターナとマチルダまでワインに手を出し、酔っ払って聖歌を合唱するという罰当たりなことまでしたが、一晩寝るとそんな事はすっかり忘れてしまったのであった。
翌日、ジョンは馬車を宿屋に預け、驢馬を二頭買ってきた。山越えの荷運びには馬よりも驢馬の方が役に立つ。馬車に付いていた四頭の馬も宿屋に預け、馬はマルスのグレイだけである。もちろん、険しい山道ではそれに乗るわけにはいかないが、置いていくには忍びなかったのである。
マルスは携帯できる食料や必要な衣類、布やロープの類を買った。山では布やロープが役に立つ。マチルダとトリスターナにもナイフと杖を持たせる。マルス自身は山刀を持つことにした。
こうして一行は、はるかに聳える雪の残った山頂を目指して出発した。
第十二章 トリスターナ
ガレリアからさらに山の方に向かう坂道を半日登りつづけ、やっと目指すグルネヴィアに着いたのは、翌日の昼過ぎだった。
グルネヴィアはアスカルファンの国教であるエレミエル正教の寺院が中心となって興った町である。ここには聖なる泉と呼ばれる泉があり、その泉の水を浴び、あるいは飲んだ者には霊験があるとされている。町には、泉や、寺院の発行する免罪符を目当てに各地から参詣に来た人々が溢れていた。
マルスたちはエレミア寺院に参詣した後、そこから一里ほど山奥にあるエレミア修道院に向かった。
修道院はブドウ畑に囲まれた簡素な石造りの建物であった。
院長の老女は最初マルスたちを修道尼に会わせるのを渋ったが、オズモンドが身分を明かすと態度を変え、召使にトリスターナを呼びに行かせた。
食堂で待っていたマルスたちの前に、一人の尼がやってきた。
一見、少女のようにも見える、非常に若々しく美しい女性である。
マルスの側にいたマチルダが女性の美しさに思わず息を呑むのが、マルスには分かった。
「あなた方は?」
「僕はあなたの甥のマルスです。ジルベールの息子です」
「えっ、でも、ジルベールは結婚してなかったはずですよ」
「オルランド家の女中をしていたマーサとジルベールの間に生まれたのです」
「ああ、そう言えば……。覚えています。お父様が怒ってマーサを家から追い出し、ジルベールがその後を追うように家を出たまま行方不明になったのでした。それでは、ジルベールは今、あなた方と一緒なのですか?」
「いいえ、ジルベールは結局マーサを見つけきれなかったのです。父の行方は僕にも分かりません。むしろ、あなたが御存知じゃないかと思って聞きに来たんですが……」
「そうですか。いえ、わたしも分かりません。ここに入ってからもう十二年になりますから、世の中の事にはまったく耳遠くなって……」
途切れた会話を救うように、オズモンドが口を挟んだ。
「ここに入ってから十二年ですか。外に出たいとは思いませんか?」
「無理ですわ。女一人で旅をする事が不可能なのは御存知でしょう。男でも大変なのに」
「では、我々と一緒にここを出ましょう」
オズモンドの言葉に、トリスターナは黙って考え込んだ。
「……少し考えさせてください。ここに入った時は外に出たくていつも泣いていました。しかし、今ではここの暮らしにすっかり慣れてしまって、かえって外の世界の方が恐ろしいのです。家に戻ったところで、アンリは私を迎え入れてはくれないでしょうし、私はどうして生きていったらいいのでしょうか」
「そんな事は大丈夫です。僕の家の食客になっていればいいのです」
オズモンドが言うのをマルスはさえぎった。
「いや、トリスターナ叔母は僕が面倒を見る。僕の叔母なんだからな。そりゃあ、オズモンドの家のように贅沢な暮らしをさせることは出来ないが、食べていくだけなら不自由はさせない」
いや、自分の家がいい、と二人で言い合うのをあきれたように見ていたマチルダが割って入った。
「どっちだっていいじゃない。とにかく、トリスターナさんの面倒を見る人が二人もいるのが分かったんだから、さっさとここを出ましょうよ」
マルスが、修道院長にトリスターナを連れて行くと言うと、院長は血相を変えて「そんな事は許されない、一度ここに入った者がここから出ることは神との契約を破ることだ」と言ったが、委細構わずマルスたちはトリスターナを連れ出した。
「わたし、なんだかドキドキしますわ。外の世界は久し振りですもの。なんだか、狭い部屋から大きな明るい野原にでたような気がします」
馬車に揺られながら、トリスターナは、顔を美しく上気させ、少女のように胸の前で手を組んで言った。
マルスは少々ボーッとした顔つきでそのトリスターナの顔を眺めていた。それはオズモンドの方も同じである。どうやら二人ともこの美しい女性に恋心を持ったようである。
マチルダはそれに気づいて、少々面白くない気分もあったが、しかしトリスターナには悪感情は持てなかった。本物の美しさは、男性女性を問わず、愛情を感じさせるものだからである。しかし、男二人の目がトリスターナに集中しているのを見て、マチルダは彼女に意地悪い質問をしてやろうと考えた。
「トリスターナさんは、さっきの修道院に十二年間いたとおっしゃってましたよね。すると、失礼ですけど、今お幾つなのかしら」
トリスターナは顔を赤らめた。
「二十八ですわ。本当におばあさんです」
「何をおっしゃいます。二十八はまだまだお若いです。僕の知っている人でも二十八で結婚して子供を三人産んだ人もいます」
オズモンドがかばうように言った。
「まあ、お兄さんったら。下品ね。子供を産むなんて言葉、女性の前で使うもんじゃなくってよ」
「何が下品だ。お前だって嫁に行けば毎年一ダースくらい子供を産むに決まってる」
「まあ、犬じゃあるまいし」
突然始まった兄弟喧嘩をトリスターナは目を丸くして見ていたが、やがておかしそうに笑い出した。
「まあ、二人とも仲がよろしいこと。いいわねえ、兄弟喧嘩ができるなんて」
第十一章 ガイウス
「まあいい。貴族自身に貴族階級を否定しろと言っても無理な話だ。だが、俺は泥棒だが、貴族や国王よりは自分はずっとましだと思っている。国王だの貴族だの言っても、元は山賊や野盗に過ぎん。そいつらにびくびくするのは単にそいつらが力を持っているからだけのことだ。もしも国民が自分らを尊敬したり感謝したりしているとでも思ったら大間違いだぜ」
ピエールはオズモンドに向かってそう言った。
「……もしかしたら君の言う通りかもしれん。だが、僕自身は人に対して悪い事はした事はないつもりだ」
「そこが分かってないってところさ。個人の問題じゃないんだ。いいか、お前さんがいい暮らしが出来るのは誰の御蔭だ? みんな国民の年貢の御蔭だろうが。その年貢を払うのに国民がどんな苦しみをしているのか分かっているのか?」
「いや、考えたこともなかった」
「まあ、俺だって人の物を奪って暮らしているんだから偉そうな事が言えた義理じゃあないんだが、お前さんとの違いは、俺は自分が泥棒だと分かっているが、お前さんたちは自分が泥棒だと分かっていないって事だ」
思いがけず、話が深刻なものとなり、一座は重苦しい雰囲気に包まれた。
「まあまあ、皆さん、そんなに暗くならずにやりましょうよ。そりゃあ、世の中、理不尽な事はたくさんありますが、結局、どうせ王様は必要ですし、一気に王様や貴族を無くすこともできんでしょうから、とりあえず悪い王様や悪い貴族にはその内やめてもらうってことで手を打ちましょうや」
召使のジョンが雰囲気を和らげようとふざけた調子で言った。
「そういう事だな。そいつが中々難しいんだが」
ピエールも言い過ぎたと思ったのか、軽く言った。
翌日、マルスたちはピエールらと別れてガレリアに向かった。
ガレリアについたのはその日の夕方だったが、ピエールの言った通り、町は戦の前のものものしい雰囲気だった。
あちらこちらに、各地から集まってきた傭兵たちがたむろし、酒に酔って騒ぎを起こしている。彼らにとっては戦は稼ぎ時であり、むしろお祭りであった。
傭兵たちの多くは、剣か槍を手にしただけの軽装備である。鎖帷子を着ているのはいい方で、鎧や兜のような値の張る物を持っている者は少ない。
中に一人、全身を黒い鎧兜に包み、槍を持った三人の従者を従え、馬に乗った騎士がいた。
「ガイウス様だ」
マルスの後ろで人々が囁いた。
「ガイウスとは何者です?」
マルスは側の男に聞いた。
「カルロス様の弟君で、この国第一の勇者です」
広場に馬の足を止めたガイウスは、兜の面頬を上げ、顔を顕した。三十代くらいの彫りの深い浅黒い顔の男で、片目は見えないのか、眼帯をしている。いかにも凄みのある顔つきである。
「傭兵隊長のキューザックはどこだ!」
ガイウスは大声で怒鳴った。
人々のざわめきの中で、町の酒場にいたらしい傭兵隊長があたふたと現れた。
「今日で、集めた兵は何人になった」
「はっ、百五十人ほどです」
「少ないぞ。村々を回って、百姓の倅どもを掻き集めて来い。食事は只だし、一日五十エキュの日当を出すと言えば、すぐにも千人以上、いや、二千人は集まるはずだ」
「しかし、百姓では戦はできません」
「戦に必要なのは兵士だけではない。物を運ぶ者、城攻めや要塞造りの人夫、槍持ちに至るまで、人手がいるのだ。たかのしれた兵士一人より、人夫一人の方が必要なこともあるぞ。それに、剣や槍の技など、三日もあれば教えられるはずだ。もし、三日以内に千人の兵士を集めきれなければ、お前は首だ」
言い捨てて、ガイウスは踵を返し、歩み去った。
傭兵隊長のキューザックは、ガイウスに怒鳴られた腹いせに、自分の部下を殴りつけ、酒場に戻って行った。
「この様子では、カルロスの宮殿に行くことはできんな。おそらく、捕まえられるのがおちだ」
オズモンドはマルスに言った。
「グルネヴィアはここから遠いのか?」
マルスはジョンを振り返って言った。
「そうですね。距離は大した事ありませんが、山のだいぶ高いところにありますんで、行くのは大変ですよ」
「ならば、僕一人で行こう。君たちはここの宿屋で待っていてくれ」
マルスの言葉に、マチルダが膨れっ面をした。
「あら、私も行きたいわ。グルネヴィアの修道院は名所ですもの、一度は行ってみないと。山道だって平気よ」
「なら、やはり皆で行こう。その方が安心だ」
オズモンドの言葉で、一行はマルスと共にグルネヴィアを目指す事になった。
広場で酒盛りをする傭兵たちの騒ぎを耳にしながら、マルスたちは眠りについた。
第十章 不穏な情勢
「お前の得物は何だ? 剣か槍か棒か。何でも相手になってやるぞ」
ピエールはうそぶいた。
「殺し合いをするほどの事じゃない。素手でいこう」
「素手か。いいだろう」
二人は互いの隙を窺っていたが、ふとしたきっかけで、ピエールが飛び込んでパンチを繰り出した。マルスはピエールのパンチを上手くかわして、逆にその胃袋にパンチを叩き込んだ。ピエールはうめき声を上げたが、こらえて左フックを放った。その左フックはマルスのこめかみをかすり、一瞬ふらっとさせた。なかなかのパンチの持ち主らしい。
何度かのパンチの応酬の後、マルスはピエールが出したストレートパンチの腕を捉え、引っ張るように肩に担ぎ上げ、柔道の肩車のように地面に叩きつけた。ピエールはうっと声を上げて悶絶した。
マルスはピエールの側に立って相手を見下ろした。
「どうだ、まだやるか」
「参った。降参だ。弓は返すよ。ペンダントは売っちまった」
ピエールはぼうっとなった頭を振って意識をはっきりさせながら言った。
「よし。じゃあ仲直りに一杯やろう。あんたには一度食事をおごられている。今度は僕がおごろう」
「そいつは有難い。お前、なかなかいい奴だな。気に入ったぜ」
食堂に戻ったマルスは自分たちの席にピエールとジャンを合流させた。以前に弓を盗まれてはいるが、マルスにはこの二人が悪人には思えなかったのである。素朴な田舎者ではあるが、マルスは人を見分ける力があった。カザフの村でも、山の猟師仲間でも、マルスが直感的にこいつは信じられないと思った人間は、たいていその後で何か悪事をしでかしていた。逆に周囲から変人扱いされている人間でも、マルスが認めた相手は、大体隠された美点の持ち主だった。
「この二人は泥棒のピエールとジャンだ」
マルスは仲間たちに二人をそう紹介した。
「おいおい、ひでえ紹介の仕方だな。こちらの美人は?」
ピエールは早速マチルダに目を付けたらしい。
「僕の妹のマチルダだ。僕はオズモンド。こっちは召使のジョン」
「召使も一緒に食事するとは、中々話せるな。俺は自分は貴族だと威張りくさっている奴が大嫌いでね」
「じゃあ、マチルダとは気が合いそうもないな」
オズモンドは澄まして言った。
「あら、私がいつ威張ったというのよ」
マチルダはそう言い返した。
「まあ、兄弟喧嘩はやめだ」
マルスが押しとどめ、これまでの四人にピエールとジャンを加えた六人は一緒に夕食を取った。
「ところで、お前さんたちはこれからどこに行くんだい?」
ピエールがマルスに聞いた。
「ガレリアだ」
「ほう、そいつは気を付けた方がいい。ガレリアはこの頃、なにやら不穏な気配がある」
「と言うと?」
マルスが聞き返すと、ピエールはあたりを窺うように声を潜めて言った。
「兵を集めて、戦争の準備を進めているようだ」
「国王への反乱か?」
「多分な」
「だが、領主カルロスのモンタナ家は国王の一族だぞ」
「一族とは言っても傍系だ。王位継承者は何人も国王家の中にいる」
「ポラーノ郡は富裕な所で、何の不足もないはずだが」
オズモンドが不審そうな顔で首をひねった。
「ああいう連中の欲望は限りがないものさ」
ピエールは、あっさり言った。
「国王が誰になろうと構わんが、戦は困るな」
マルスは呟いた。
「おいおい、国民は皆、国王の恩を受けているだろうが」
オズモンドはマルスをたしなめた。すると、ピエールがすぐに言った。
「いや、王や貴族が平民に恩を受けこそすれ、平民は王や貴族から恩は受けていない。王や貴族がいない方がこの世はずっと住み易いはずだ。俺の生まれたのは西のゲール郡だが、そこの領主は面白半分で住民を苛めて喜ぶような奴だった。俺の親父は、盗んでもいない馬泥棒の罪を着せられ、何日も晒し者にされて、殺されたんだ。その領主夫人ときたら、もっと残酷な奴で、百姓娘の顔がきれいなのが気に入らないと、その娘の鼻を削ぎ落とさせたんだぜ。こんな奴らに俺達が何の恩義を受けていると言うんだ?」
苦々しげに言うピエールの言葉に、オズモンドは言葉を失った。
「……だが、そんなひどい領主はほんの一部だろうし、とにかく誰かが国は治めないといけないんだから、その領主がいい人間か悪い人間かの違いだけが問題なんじゃないか?」
口ごもりながら、オズモンドはやっとのことで言った。
「お前の得物は何だ? 剣か槍か棒か。何でも相手になってやるぞ」
ピエールはうそぶいた。
「殺し合いをするほどの事じゃない。素手でいこう」
「素手か。いいだろう」
二人は互いの隙を窺っていたが、ふとしたきっかけで、ピエールが飛び込んでパンチを繰り出した。マルスはピエールのパンチを上手くかわして、逆にその胃袋にパンチを叩き込んだ。ピエールはうめき声を上げたが、こらえて左フックを放った。その左フックはマルスのこめかみをかすり、一瞬ふらっとさせた。なかなかのパンチの持ち主らしい。
何度かのパンチの応酬の後、マルスはピエールが出したストレートパンチの腕を捉え、引っ張るように肩に担ぎ上げ、柔道の肩車のように地面に叩きつけた。ピエールはうっと声を上げて悶絶した。
マルスはピエールの側に立って相手を見下ろした。
「どうだ、まだやるか」
「参った。降参だ。弓は返すよ。ペンダントは売っちまった」
ピエールはぼうっとなった頭を振って意識をはっきりさせながら言った。
「よし。じゃあ仲直りに一杯やろう。あんたには一度食事をおごられている。今度は僕がおごろう」
「そいつは有難い。お前、なかなかいい奴だな。気に入ったぜ」
食堂に戻ったマルスは自分たちの席にピエールとジャンを合流させた。以前に弓を盗まれてはいるが、マルスにはこの二人が悪人には思えなかったのである。素朴な田舎者ではあるが、マルスは人を見分ける力があった。カザフの村でも、山の猟師仲間でも、マルスが直感的にこいつは信じられないと思った人間は、たいていその後で何か悪事をしでかしていた。逆に周囲から変人扱いされている人間でも、マルスが認めた相手は、大体隠された美点の持ち主だった。
「この二人は泥棒のピエールとジャンだ」
マルスは仲間たちに二人をそう紹介した。
「おいおい、ひでえ紹介の仕方だな。こちらの美人は?」
ピエールは早速マチルダに目を付けたらしい。
「僕の妹のマチルダだ。僕はオズモンド。こっちは召使のジョン」
「召使も一緒に食事するとは、中々話せるな。俺は自分は貴族だと威張りくさっている奴が大嫌いでね」
「じゃあ、マチルダとは気が合いそうもないな」
オズモンドは澄まして言った。
「あら、私がいつ威張ったというのよ」
マチルダはそう言い返した。
「まあ、兄弟喧嘩はやめだ」
マルスが押しとどめ、これまでの四人にピエールとジャンを加えた六人は一緒に夕食を取った。
「ところで、お前さんたちはこれからどこに行くんだい?」
ピエールがマルスに聞いた。
「ガレリアだ」
「ほう、そいつは気を付けた方がいい。ガレリアはこの頃、なにやら不穏な気配がある」
「と言うと?」
マルスが聞き返すと、ピエールはあたりを窺うように声を潜めて言った。
「兵を集めて、戦争の準備を進めているようだ」
「国王への反乱か?」
「多分な」
「だが、領主カルロスのモンタナ家は国王の一族だぞ」
「一族とは言っても傍系だ。王位継承者は何人も国王家の中にいる」
「ポラーノ郡は富裕な所で、何の不足もないはずだが」
オズモンドが不審そうな顔で首をひねった。
「ああいう連中の欲望は限りがないものさ」
ピエールは、あっさり言った。
「国王が誰になろうと構わんが、戦は困るな」
マルスは呟いた。
「おいおい、国民は皆、国王の恩を受けているだろうが」
オズモンドはマルスをたしなめた。すると、ピエールがすぐに言った。
「いや、王や貴族が平民に恩を受けこそすれ、平民は王や貴族から恩は受けていない。王や貴族がいない方がこの世はずっと住み易いはずだ。俺の生まれたのは西のゲール郡だが、そこの領主は面白半分で住民を苛めて喜ぶような奴だった。俺の親父は、盗んでもいない馬泥棒の罪を着せられ、何日も晒し者にされて、殺されたんだ。その領主夫人ときたら、もっと残酷な奴で、百姓娘の顔がきれいなのが気に入らないと、その娘の鼻を削ぎ落とさせたんだぜ。こんな奴らに俺達が何の恩義を受けていると言うんだ?」
苦々しげに言うピエールの言葉に、オズモンドは言葉を失った。
「……だが、そんなひどい領主はほんの一部だろうし、とにかく誰かが国は治めないといけないんだから、その領主がいい人間か悪い人間かの違いだけが問題なんじゃないか?」
口ごもりながら、オズモンドはやっとのことで言った。
第九章 ピエールとの再会
「うちの炉では、一月で荷車一台分くらいがせいぜいだが、向こうは荷車二十台分くらい作る。しかも、うちは雨の降る時期は仕事ができないが、向こうはいつでも作れる。水車を使ったふいごで石炭を焚いて鉄鉱石を溶かすんだ。ただし、質は木炭で作ったうちの鉄のほうがいいがな」
少年は聞かれもしないのに家の内情をぺらぺら喋った。お喋りな子供のようだ。
「君はジョーイと言うのか? あの小屋の主人の息子だな」
「ああ、あんたはどこへ行くんだい?」
「ガレリアに行く途中だ」
「ガレリアか。いいな。俺はこの山から出たことがない。ところで、製鉄所に何の用があったんだい?」
「弓の矢尻を作ってもらえないか聞きにきたんだ」
「馬鹿だな。そんなの、鍛冶屋か馬具屋に頼むに決まってるじゃないか」
「俺のいたところでは、何でも自分で作っていた。鉄を作るなら、鉄製品も自分で作るのかと思ったんだ」
「あんた、案外田舎者なんだな。格好だけは町者風だが」
「ああ、今はバルミアに住んでいるが、しばらく前まではカザフの上の山に住んでいた」
「俺と同じ山人か。猟師だな」
「そうだ」
また遠くから「ジョーイ!」と呼ぶ声が聞こえた。
ジョーイは肩をすくめて小屋に向かって歩き出そうとしたが、振り返って言った。
「矢尻は、俺が作ってもいいぞ。ただし、今は駄目だ。製鉄の仕事が忙しくて、他の仕事なんかやったら親父にどやされる。何か、見本になるものはあるか?」
マルスは袋から予備の矢尻を一つ取り出して、ジョーイに渡した。
ジョーイはそれをポケットに入れて、小屋の方に歩み去った。
旅籠に戻った時には日はすっかり暮れていた。
「何か収穫はあったか」
オズモンドに聞かれて、マルスは山での出来事を語った。
「馬鹿みたい。その子、あんたを騙したのよ」
マチルダが言った。
「どうかな。騙されたにしても、矢尻一つのことだ」
オズモンドはマルスを弁護したが、ジョンもマチルダに味方した。
「いや、矢尻一つでも、買えば六十エキュはします。只で人にくれることはありませんよ」
もったいない、とジョンは肩をすくめ、首を振った。
翌日、旅籠を出てガレリアを目指したマルスたちは、やっとガブール山脈に近い小さな町に着いた。ここからガレリアまではあと一日の距離である。
「この町は何と言うんだ?」
オズモンドがジョンに尋ねた。ジョンは若い頃にレントを出て、ローラン家に勤める前はあちこち放浪していたので、地理に詳しいのである。
「フレスコです。モンタナ家の代官ゼビアスが治めている町です。あまり評判の良くない男のようですよ」
マルスたちはとりあえず旅籠に宿を取った。
夕食は食堂で取ることになっており、何人もの客が集まっていた。
その中にマルスは見知った顔を見つけて驚いた。
「おい、あんた、俺を覚えているか」
マルスはその男の所につかつかと近づいて、言った。
男は暢気な顔で、うん?とマルスを見上げた。すでに少々酒が入っているらしい。
「俺の弓とペンダントはどうした」
「はてな、あんた誰だい。弓って何の事だ」
「とぼけるな。俺から盗んだ弓を返せ。泥棒野郎」
「こいつは聞き捨てならねえな。いきなり人を泥棒呼ばわりされたんでは決闘でもしなきゃあならんことになるぞ」
男はもちろんピエールであった。マルスが山からバルミアに向かう旅の途中で、マルスを酒に酔わせて父の形見の弓とペンダントを盗んだ男である。
入り口から入ってきた男がマルスとピエールを見て、驚いたように立ち止まった。ジャンである。
「おい、どうした」
ジャンは二人の側に足早に近づいた。
「いや、この小僧が訳のわかんねえ事を言うんで困ってるとこよ」
「俺達に喧嘩を売ろうという気か」
マルスたちの様子を見守っていたオズモンドとジョンも、マルスを守ろうと寄ってくる。
マルスは手で二人を制し、二人組みの盗賊に言った。
「あの弓とペンダントは父の形見なんだ。返してくれたらこの弓をやる」
マルスの差し出した弓に、ピエールはちらっと目をやり、すぐにそっぽを向いた。
「何で俺が見も知らねえ奴と自分の大事な弓を交換しなけりゃあならねえんだよ。欲しけりゃあ力づくで来な」
「よし、分かった。ここでは皆の迷惑だ。外でやろう」
マルスとピエールは旅籠の裏庭に出た。
食堂の客たちは面白い見物だとばかり、ぞろぞろと続いて外に出て来た。
マルスとピエールは向かい合って立ち、互いに睨み合った。