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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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第四十一章 決戦

マルスは、例によって自ら斥候として前方の様子を確認しに馬を走らせた。もともと軍馬ででもあったのか、それとも農業に使われていたからか、グレイは上陸以来の酷使にもよく耐えている。
適当なところで河を渡り、バルミアに近づく。アラスの丘を越えると間もなくイルミナスの野である。
見晴らしのいい高台にでると、北の方にグリセリード軍の姿が見えた。南には一面に柵を張り巡らせたアスカルファンの防御陣が見える。なおも注意してよく見ると、イルミナスの野の中央が周辺部の草の色に比べて一面に黒っぽい。湿地帯の特徴だ。おそらく、グリセリード軍が中央に進んできたら、泥に足を取られて苦しむだろう。
さらに、マルスの鋭い目は、イルミナスの野の東と西に隠れたアスカルファン軍の伏兵も捉えていた。野の中央を避けて東西に回った敵軍は、伏兵に遇うわけだ。
布陣は完璧だ、とマルスは思った。さすがにアンドレである。
これなら、マルスたちの騎馬隊は、無理に戦場に突入するよりも、戦機を見て、形勢の不利な場所を助けに向かった方がいい、とマルスは考えた。おそらく、敵の石弓部隊の矢は、それほどは続かないだろうから、矢による被害はそう多くはない。敵の歩兵部隊の中で、湿地帯を抜けて野の南側まで進む相手にはレントの弓矢部隊で十分に対抗できるだろうし、乾いた場所なら、アスカルファンの騎馬隊が敵の歩兵部隊より有利である。
だが、戦は何が起こるか分からない。いつでも不測事態に対応できるように、マルスの軍は備えておくのが一番である。
マルスは、急斜面になったこの高台の前方を見下ろした。角度はかなりあるが、馬で下りられないほどではない。木の生え方もまばらであり、馬で通り抜けて下りる事はできそうだ。おそらく、戦場からは、この斜面から馬が出てくるとは思えないだろうから、完全に視界の開けたグリセリード軍の背後、つまり北から近づくよりはかえって安全である。騎馬で近づく間に敵に矢を射掛けられたら、半分くらいは、敵に近づく前に死ぬだろう。
マルスはグレイの首を廻らせて、もと来た高台の西側から下りていった。

戦は正午に始まった。戦いの合図のラッパが響き渡り、双方の石弓部隊が互いに盛んに矢を射掛ける。
よく晴れた青空が暗くなるほどの矢の数である。アスカルファン軍の石弓も、飛距離でグリセリード軍に劣っていない。連射能力はむしろ勝っている。グリセリード軍は紐と歯車を使った巻き上げ機で石弓の弦を張っているのだが、ジョーイの考案した「引き棒」は、単純な一動作で弦が掛けられるので、数倍早いのである。しかも、掛ける役割の人間が何人もいる。弓兵が交互に弦を掛けているグリセリードの石弓部隊は実質的に半分しか稼動しておらず、数では劣勢のアスカルファン軍の弓部隊の方が、この射撃戦では相手を圧倒していた。敵の勝っている点は、矢の質だけである。急造のアスカルファンの太矢に比べ、念入りに作られたグリセリードの矢は、矢尻も矢羽も見事であった。
石弓による射撃戦は、およそ二時間続いた。だが、実際には、後半の一時間は、アスカルファン軍だけが一方的に矢を射掛けたのである。二十万本用意してあったグリセリード軍の矢は、マルスたちにその大半を焼き払われ、兵士がそれぞれ所持していた二十本程度ずつしか矢はなかった。
グリセリードのオロディン将軍は、最初は、兵士に命じ、こちらに飛んできたアスカルファンの矢を拾い集めさせて、それを射返させたが、いつまでもアスカルファンの矢が止まないので、しびれをきらし、歩兵部隊に敵の矢の雨の中を進撃するように命じた。
射撃戦の間に、グリセリード軍の死者と重傷者は二千人に上っていた。対照的に、アスカルファン軍の方は、防御塀に相手の矢のほとんどは防がれて、死傷者は僅かに数百人でしかなかったが、それでもまだグリセリード軍が数では上回っている。
オロディン将軍が突撃命令を下したことで、グリセリード軍の被害は急速に増えていった。それまで、まがりなりにも盾の陰に隠れて矢を避けることが出来たのが、遮るもののない野原を進んでいく兵士は、アスカルファンのいい的であった。
今はアスカルファン軍の石弓部隊も防御塀の前に出て、思うがままに敵に向かって射ることができた。
アンドレは、敵の矢があっという間に尽きたことに驚いていた。始めは、何かの罠かと思ったが、敵の歩兵部隊が進軍してきたことで、敵にはもう矢が無い事を確信した。
野原を進んでくるグリセリードの歩兵たちは、ぬかるみに足を取られ、アスカルファンの矢の前に、一人、また一人と倒れていく。
湿地帯をやっと抜けた兵士も、アスカルファンの矢の為に次々と倒れていく。アスカルファンの方も、石弓用の太矢はさすがに残り少ないが、通常の矢は無数にある。弓兵たちは、弓を換えて次々に矢を射る。慣れた弓の方が、かえって命中率は高い。
もはやアスカルファンの勝利は目前かと見えたその時、西の山の下から時ならぬ喚声が起こった。
「あれは?」
シャルル国王が側近に聞いた。
味方の報告を受けた側近が、「敵が西から侵入した模様です」と告げる。
「西はアドルフ大公が守っておるはずだが」
「アドルフ公が、敵に寝返ったとのことです」




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第四十章 決戦の前 

自宅に戻ったマチルダは、まず、トリスターナに一室を与えて、そこで休ませた。ジョンは執事の服装に戻り、
「やれやれ、この方がずっと気楽です。ずいぶん長い旅でしたなあ」
と、満足そうに溜め息をついた。
マチルダの両親は、マチルダを見て、涙を流して喜んだが、母のジョアンナは、オズモンドが一緒でないことを知ると、それがマチルダのせいででもあるかのように非難した。
「何であの子だけが戻ってこないの。あの子は戦争などできるような子じゃないのに」
わっと泣き伏す妻を、夫のローラン侯は、持て余したように慰めたが、こちらは可愛い娘が帰ってきただけでも満足であった。
熱い風呂に入って長旅の疲れを癒した後、トリスターナはローラン候と面会して、居場所を与えてくれたことを感謝した。
「ところで、オルランド家は、今、どのようになっているのでしょうか」
「確か、次男のアンリ殿が家督を相続して、結婚して子供も嫡出児だけでも五人いるそうだが。……アンリ殿も、この戦に従ってポラーノの戦いに出たようじゃが、どうなっておるかは分からんな。戦死者の中には入ってなかったと思うが。ところで、あんたはオルランド家の娘か。ずいぶん美しい方じゃな。わしが十年若かったら、放ってはおかんが」
「まあ、私はもう、とうが立ってますわ」
「いやいや、シャルル国王の后たちの中にも、あんたほどの者はおらん。あの女好きの国王には顔を見られんようにすることだな。はっはっはっ」

 バルミアの町は、敵の侵攻に備えて、慌しい。
ケインの店は、マルスの作ってあった弓や槍の在庫がすっかり売り切れてしまい、大儲けをしたが、物の価格も跳ね上がっており、今、一番高いのは食物だった。
「なあに、この戦が終わったら、物の値段は元通りになる。そうなれば、我々はしばらく左団扇で暮らせるぞ」
ケインは家族の者にはそう言っていたが、果たしてアスカルファンがグリセリードに勝てるのか、心許なかった。
「ところで、聞いた話だと、あのマルスが騎士の身分になったというぞ。この戦で大きな働きをしていると言うことだ」
実はケインのところには、マチルダが訪ねてきており、何か不自由があったらいつでもローラン家に援助を求めるようにと言われていた。ケインがその事を家族に言わなかったのは、マチルダを一目見た瞬間、彼女がマルスと恋仲であることが分かったからである。
(こんなきれいなお嬢様じゃあ、残念ながらうちのジーナは相手にならん。身分から言っても、マルスはもともと名家の血を引いているからな。ジーナがこのお嬢さんの事を知ったらどんなに悲しむだろう)
ジーナは、マルスが騎士になったという事を無邪気に喜んでいた。
「この戦争で、マルスが怪我しなければいいんだけど。いいえ、少しくらい怪我しても、生きて戻ってさえくれたら」
そう、ジーナは祈るように言った。
そうするうちに、いよいよグリセリード軍が、バルミアの北に近づいてきたと言う情報が流れた。
国王軍はアンドレの率いるレント軍と共に、バルミアの町を出発した。
何百頭もの軍馬の蹄の音がかつかつと町の道路の敷石に響く。その後には弓兵や歩兵の歩むザッザッという音が続く。武器を載せた荷車のガラガラと言う音もする。

アスカルファン軍は、イルミナスの野の南に陣取った。
南側一面に、木の板で作った防御塀を引き回し、弓兵はその陰から敵軍を射る予定だ。
防御塀には細い隙間があって、そこから覗いて弓を射ることができるが、敵の矢の大部分は、塀に当たって、遮られるはずである。さらに、イルミナスの野の中心は、三日前から、近くの川から水を引いて、湿原状にしてある。敵がこの湿原を越えてくるのは困難だろう。右と左に迂回する敵に対しては、それぞれ要所に伏兵を潜ませている。
だが、一番大きな新戦力は、市民である。
市民たちの中の男は皆、戦場の後方で、様々な支援活動を行うことになっている。たとえば、石弓のセットも、弓兵ではなく、市民たちが行い、次々に兵士に手渡していく。兵士はセットされた弓をどんどん射ればいいのである。これだと、飛躍的なスピードで、相手に矢を射掛けることができる。まさしく人海戦術である。市民たちは、戦場で負傷した兵士を後方に素早く運んで、女たちの治療を受けさせる役目もある。そして、いよいよとなれば、市民も武器を取って戦うだろう。これは市民全員の生命を賭けた戦いなのである。
こうした状況を見ても、ゲールのアドルフ大公はまだ、グリセリード軍の勝利を信じていた。彼にとっての問題は、いつ如何なるタイミングで味方を裏切るかであった。
彼は左翼の山の下を任されていた。弓の射撃戦が一段落し、歩兵や騎兵による肉弾戦が始まったら、ここから出て行って戦うのである。しかし、戦う相手はグリセリードではなく、アスカルファンになるだろう。その事は、すでに密使でもってグリセリード軍の総大将、オロディン将軍には伝えてある。その返事によれば、グリセリード軍が勝った暁には、アスカルファン支配の要職を、ポラーノのカルロスと共に与えられるはずである。
とうとう、グリセリード軍の姿がイルミナスの野に現れた。野の一端が埋め尽くされるような大軍勢である。見ていたバルミラの者たちは皆、さすがに恐怖で毛が逆立った。
アドルフは自分の軍勢五百人に向かって大声で言った。
「見ろ、あの軍勢を。あれに勝てると思うか。わしはお前らを無駄な負け戦で殺したくない。わしは、グリセリード軍に味方することに決めたぞ。よいな!」



第三十九章 天才ジョーイ

マルスはバルミアに向けて急使を送り、戦果を伝えると共に、更に決戦の時にはグリセリード軍を背後から突くことを伝えた。
一方、バルミアに着いたアンドレは国王シャルルと会見し、レント国王からの親書を手渡して、援軍を申し出た。シャルル国王は非常に感謝し、レントとの永遠の友好を約束した。国王軍は、先のグリセリード軍への敗北のため、諸侯の兵を合わせても二千人に減っており、一万のグリセリード軍のバルミア侵攻を前に、滅亡を覚悟していたのだから、喜びは当然だった。
アンドレは、バルミアの住民に命じて、石弓の矢を作らせた。男たちは近くの山から木材を切って運び、それを割って細くした角材の角を女たちがナイフで削り、丸くして、矢羽と矢尻をつける。貴族や騎士を除く二万四千人の住民が、一日一人当たり二本作っただけで、二日で十万本近い矢が集まった。
問題は、弓の弦を張る機械である。人間の力で満足に弦を引けない石弓では、たとえこちらに何万本の矢があろうと、向こうに連射の速度で劣る。それに、もともと石弓部隊の数は向こうが圧倒的に多いのである。
思い余ったアンドレは、住民に告示した。
「石弓の弦を張り、引き金に掛ける良い方法を考えた者には一万リムの賞金を出す」
その告示が出てすぐに、一人の少年がアンドレの前に現れた。
ジョーイであった。
彼は、ポラーノが戦場になってすぐ、父親がポラーノ軍に武器職人として徴用されようとして、それを断ったために切り殺されたのを見て、使用人のクアトロと共にそこを逃げ出し、バルミアまで流離って来たのである。
「簡単な話じゃないか。こうしたらいい」
ジョーイが紙に書いて見せた図面を見て、アンドレは感嘆した。
それは、二本の棒の端を木ねじで留めてV字状にしただけのものであった。
アンドレはその図を見ただけで、それが使えることが分かった。何と単純な解答だろう。
「梃子の原理だな」
「そうさ。これなら、女でも石弓の弦が引けるぜ。ただし、弓に掛ける各部の長さを間違えると、使えないから、石弓の実物を見せな。ちゃんとした図面を引いてやる」
 ジョーイは、石弓を見て面白がった。
「へえ、ちゃんと見たのは初めてだが、こうなっていたのか。でも、形が今ひとつだな。この位置をこうすれば、もっと強力になる」
 ジョーイの設計図に従って、石弓が組み立て直され、弦を張る道具、それは単に「引き棒」と呼ばれたが、が大急ぎで作られた。もともと細い木材は大量に余っていたので、引き棒を作るには、何の手間も要らなかった。
「アンドレさん。ついでだけど、俺の子分のクアトロって黒人を、あんたの部下にしてくれんかね。あいつは、頭は悪いが、馬鹿力がある。鎧を着せて戦わせたら、一人で兵士十人分以上の働きはするぜ」
ジョーイが連れてきたクアトロを見て、アンドレはびっくりした。
背丈も横幅も普通人の二倍はある。確かに、大力がありそうだ。
「こいつは凄い男だな。よし、部下にする。ところで、君はずいぶん頭が良さそうだ。君も僕の家来にならんか」
アンドレはジョーイに向かって言った。
「俺は、人の家来になるのはいやだ。だけど、今は戦だから、グリセリードを倒すまでは家来になってもいいぞ。でも、俺は力は無いから、戦場に出て戦うのは無しだぞ」
「もちろんだ。僕も同じさ。僕たちは頭で戦う人間だ」
アンドレはジョーイと握手した。
こうして、アンドレらが敵を迎え撃つ準備を進めている間に、マルスらは河に沿って南下し、バルミアに向かった。同じく河の向こう側では、グリセリード軍もバルミアに進んでいるはずである。
だが、この時マルスたちは知らなかったが、マルスがアンドレに送った急使は、途中で、国王軍に加わっているゲールのアドルフ大公の兵士に捕まって、その前に連れて行かれていた。
使者は大公に必死で訴えた。
「私は、アスカルファンの救出の為にレントから来た者です。国王への伝言で参るのです」
「何の用で、バルミアに向かうのだ」
「それは国王にしか申せません」
「ならば、ここは通さぬ。怪しい者をバルミアに入れるわけにはいかんからな」
使者は迷った末、人払いを願って、マルスからのアンドレへの伝言を話した。
「その話が本当かどうか分からぬでは、そちを行かせるわけにはいかん。もし本当なら、わしから王やアンドレとやらには伝えておこう。この者を捕らえておけ」
使者が縛られたまま連れて行かれると、大公は考えに耽った。
 もともと、この戦いに勝ち目は無いと彼は考えていた。なにせ、相手は東側世界をほとんど統一している超大国である。今回送ってきた軍勢は、グリセリード軍の、ほんの一部だろう。たとえ奇跡的にこの戦いに勝ったとしても、次にはもっと多くの軍勢を送ってくる可能性もある。そうなれば、アスカルファンは滅亡し、グリセリードの支配下に置かれることになる。
彼はポラーノのカルロスからの申し出の事を考えた。あの時は、グリセリード軍が山を越えてやってくるかどうか半信半疑だったので、返事をしなかったのだが、その言葉どおりにグリセリード軍はやってきた。今の使者の話が本当なら、グリセリード軍は矢の大半を失って、戦力を落としているということだから、そこに味方を申し出れば、恩を売るいい機会というものかもしれない。……アドルフは、にやりと笑った。



第三十八章 アラスの夜襲

マサリアはアスカルファンの西北端の郡である。
マルスたちは船からマサリアに上陸し、馬に乗った。ここからはほとんどずっと馬に乗り詰めになるはずである。あまり馬に乗りなれていないオーエンには過酷な行程になるが、バルミアを敵の手から救うにはそれしかない。二百人の騎馬隊は、普通なら咎められるはずの関所をほとんど何の誰何もなく走り抜けた。マサリアのデュトワ伯は国王軍に加わっており、その軍勢もほとんどバルミアにいるからだ。
疾風のように馬を走らせて、やがてマサリアの東の端、ポラーノとの境界に来た。ここには大河があり、ここを越えれば、まもなくグリセリード軍と出会うはずである。
マルスはここでいったん、兵士たちを休ませ、自分はオズモンドと二人で河を越えて、前方の情勢を探りに行くことにした。体は疲れているが、今のうちにしておかないと、機会を失うからである。
やがて、ある丘の上から見渡したマルスは、その超人的な視力で、地平の端の砂塵を捉えた。軍隊の行進の徴である。
「あそこは?」
マルスが指差すところを見たオズモンドは、
「アラス平野だ」
と言った。
 マルスは、手元の地図を見て、敵の位置を確認した。今の時刻から見て、敵は現在位置からそう進んでない所で宿営するだろう。
 マルスは空を見上げた。空は曇りはじめており、西の方から雨雲が広がってきている。もしかしたら、雨が降り始めるかもしれない。これは吉兆だった。もしも雨が降れば、雨音で騎馬の足音が隠せる上に、騎馬の姿そのものも、ある程度隠れるからである。 
 味方のところへ戻る途中で、マルスは一軒の農家に入って、獣脂の灯油を一樽買い込んだ。
「何にするんだ?」
「これがアスカルファンを救うのさ」
オズモンドの問いに、マルスには珍しく、答えをはぐらかす。
オズモンドの好奇心はそれほど長くは待たされなかった。
味方の陣営に戻ったマルスは、兵士たちに言った
「今夜、グリセリード軍に夜襲をかける。だが、狙うのは、敵兵ではない。もちろん、殺せる相手はどんどん殺していい。しかし、一番の狙いは、敵軍の弓と矢だ。敵軍は、戦に使う矢を車で運んでいるはずだ。その矢に火をかけて、燃やすのが、今夜の夜襲の目的なのだ。だから、矢が燃えている間、敵に火を消させないことが一番大事なんだ。分かったか。この作戦が成功すれば、敵の石弓部隊は、まったく使えなくなる。そうなれば、戦はこちらにとってぐんと有利になるんだ。いいか、敵の兵士を何人殺すよりも、大将を討ち取るよりも、相手の弓と矢を燃やすことが、大きな手柄なんだぞ」
一人の兵士が手を挙げて聞いた。
「ほかの物も燃やしたほうがいいのかね。槍とか、盾とか」
「いい質問だ。何でもいい、敵の武器を燃やせば燃やすほどいいんだ。分かったな」
兵士たちは、分かった、と大声で答えた。
マルスは、綱を短く切った物を灯油の樽に漬けて、それを兵士のうち十人ほどに持たせた。そのほか、念のために乾いた麦わらを皮袋に入れたものも持たせる。
マルスたちは夕闇が迫り始めた中、出発した。川沿いにさらに北に進み、薄暗い夕日が雲の後ろに沈む頃、河を渡ってグリセリード軍の夜営地に向かって馬を走らせた。その頃から、雨がぽつぽつと降り始め、やがてそれは大粒の雨になった。
「天は我々に味方しているぞ。この雨で、奇襲は成功する!」
味方の気勢を揚げるために、マルスは叫んだ。
グリセリード軍の歩哨は、マルスの想像どおり、雨の音と、視界の悪さのために、陣営の真っ只中にマルスたちが駆け込んでくるまで、その接近に気が付かなかった。しかも、マルスたちは闇の中を進んで来たため、闇に目がなれているのに、寝入っていたグリセリード軍は、闇に目が慣れるまで時間がかかり、その間に何人もの兵士が殺されていった。
大混乱の中で、マルスの騎馬隊は、慌てふためく敵の兵士たちを倒していったが、その騒ぎの一方で、背後からこっそり武器輸送の荷車に近づいた一隊は、警護の兵士を槍で倒した後、荷車の中の矢の束に、火のついたロープを投げ込んで歩いた。雨を避けるために粗布の覆いがしてあったことがグリセリード軍に災いし、覆いの布が燃え上がるまで、彼らは矢に火が放たれたことに全く気づかなかった。気づいた時には、矢の大半は失われており、燃え残りは僅かに一万数千本にしか過ぎなかったのである。
矢に火をつけた事を確認し、それが十分に燃えたことを確信して、マルスは騎馬隊に引き上げの合図をした。
グリセリード軍は、その後を追ったが、僅かな馬しか持っていず、しかも夜の闇の中では、マルスたちに追いつくのは不可能だった。
安全な場所まで逃げ延びた後、味方の被害を数えたところ、行方不明が二人、負傷者は重傷が三名、軽傷は十五名いたが、死んだ者はいなかった。行方不明の二人も、闇の中ではぐれただけであり、ずっと後になって、その生存は確認されたのである。一方、敵の被害は、死者が百三十名、負傷者が二百名、燃やされた矢が十二万本、弓、槍、盾などが何百丁と燃やされており、この夜の奇襲だけで、明らかに実質的に戦力の何割か、おそらく五割近くを失ったのであった。このことの意味は、後でこの事を知ったアンドレには良く分かったが、一般の兵士は自分たちがどんなに大きな手柄を立てたのか、あまり良く分かっていなかった。だから、自分たちが働くのはこれからだと、まだまだ張り切っていたのである。




第三十七章 不利な戦況

「その石弓という奴は、つまり、マルスさんが何千人もいるようなもんですかね」
ジョンがオズモンドに言った。
「実物を見ていないから何とも言えんが、石弓は連射が利かんというから、その点ではマルスにかなわんようだが、人数が多いと、マルスを何千人も集めたのと同じかもしれん」
オズモンドが言ったのを、アンドレが補足した。
「正確さと言う点でもマルスには及ばないだろうな。ただ、距離と威力はマルス並みだということだ。とにかく、これで戦いがやりにくくなってきたのは確かだ」
「その石弓というものを手に入れることはできんかな」
マルスが考え込んだ後で、言った。
「手に入れるまでもない。昔、書物で見たことがある。その頃は戦などに興味は無かったから存在を忘れていたが、仕組みは覚えているから作らせることは出来る。だが、弓兵に今から石弓を訓練する時間はないぞ」
「大丈夫だ。慣れた弓兵なら、弓が変わっても、すぐに使いこなせるはずだ。それに、アンドレの下の弓隊隊長はエドモンドだろう。彼なら、石弓向きだ。彼に指導させればいい」
 すぐさまアンドレは図面を引き、近くの木を切ってこさせて、マルスに石弓を作って貰った。作られた物は、確かに弦さえ引ければ、通常の弓よりも威力のある矢が飛ばせそうではあったが、弦を引くのに男二人がかりで四、五分かかり、弓兵たちは不満を言った。セットにこんなに時間がかかったのでは、弓を引くリズムが失われ、当たらなくなる、ということであった。
「まだ、この石弓は完成品ではない。もっと威力があるはずだ。それに、弦を引くための機械がどうしても必要だ。そいつがどんな仕組みのものかが分からん」
アンドレには珍しく、行き詰まったようである。
「とにかく、石弓を兵数の五倍作っておこう。それに、おそらく、この石弓で飛ばす矢は、普通の矢とは違うはずだ。もっと太い矢でないと、石弓の威力に負けて、矢が空中で跳ねながら飛んでしまい、的に当たらんだろう。これくらいの太矢を沢山作らせとこう」
マルスはアンドレにそう言い、兵士を総動員して、石弓と太矢を大量に作らせた。
とりあえず戦場に行き着くまでに船の中で組み立てられるように、石弓の木の部品だけを大量に作っておいたのである。材料が、木しかないので、引き金部分なども、穴にはめ込んだ木の小片を紐で縛っただけの単純な構造のものである。
翌日、マルスはオズモンド、オーエンと共に騎兵二百五十人を率いて北に向けて船を出した。マサリアに上陸した後は、馬に乗りつづけの強行軍になるので、マチルダとトリスターナはジョンと共にアンドレに預け、バルミアに送り届けて貰うことになった。
マチルダやトリスターナは、マルスやオズモンドと離れ離れになる事を悲しんだ。しかし、この場合、それしか方法はない。
「マルス、絶対に死なないでね。必ず、バルミアに来るのよ」
マチルダは、今は慎みも忘れて、マルスにしがみついた。
「大丈夫だ。そっちこそ気をつけて」
浜辺で手を振って見送るマチルダとトリスターナの姿が見えなくなるまで、マルスはその方角をずっと見ていた。
二人の姿が見えなくなると、マルスは二人の事を無理に頭から追い払って、戦いの構想に集中した。
マルスは騎兵隊の全員を連れているが、戦場で正面から敵の石弓隊にぶつかったら全滅するだけだろう。
マルスは地図を広げて、イルミナスの野の周囲の地形を眺めて考え込んだ。北から来るグリセリード軍はおそらく、南に布陣するアスカルファン軍と正面から対峙するだろう。西には小高い山があり、西から向かうマルスたちは、通常ならそこを避けて北から回ってグリセリード軍の背後を突くことになる。しかし、北は広く開けており、マルスたちの接近は一目瞭然である。接近する間に、反転した石弓隊に矢を射かけられることは、ほぼ確実だろう。
方法は二つ。一つは夜襲であり、もう一つは西の山越えの奇襲である。夜闇の中で不意打ちを受ければ、敵の石弓隊は、ほとんど応戦できない。敵の真っ只中に飛び込むには勇気が要るが、効果は確実だ。しかし、敵も常に夜襲に備えて警戒しているだろう。
アンドレは、マルスたちの方がアンドレらよりも到着は遅れると見ていたが、マルスは、必ずしもそうではない、と考えた。確かに、騎馬による一日の通常の行程を少し早めた程度なら、アンドレの言うとおりだが、もっと早く行くことは可能である。それは、イルミナスの野ではなく、北方のグリセリード軍に真っ直ぐ向かって進んでいくことである。アンドレは、西から来たマルスの軍は、イルミナスの西の山を迂回して北に回り、グリセリード軍を追う形で南下してその背後を突くと想定している。だが、真っ直ぐ北東に進めば、逆にアンドレらの軍より二日前にグリセリード軍にぶつかるのである。そこで夜襲をかけることができたら、戦況を有利に運ぶことができるだろう。
もちろん、これはアンドレが想定していない作戦であり、いや、想定していたかもしれないが、あまりに危険なのでマルスに言わなかったのかもしれないが、とにかく独断専行であり、失敗したら戦の全体を崩壊させかねない危険性はある。しかし、いずれにしても、このままではアスカルファン軍の勝ち目がほとんどないことも確かである。
マルスは心を決めた。
「我々は、真っ直ぐにグリセリード軍に向かって進み、アンドレらやアスカルファンの主力軍に先駆けて敵を奇襲する。それによってのみ、この戦は勝てるのだ」
マルスが兵士たちにそう告げると、兵士たちは、
「マルス様がそう言うのなら、それが一番なんでしょう。一丁やりましょう」
と答え、互いに大声で気勢をあげた。




第三十六章 グリセリード軍の侵攻

海賊たちを撃退した後、マルスたちは、アスカルファンに上陸した。
ここはアスカルファンの西端のゲール郡である。ピエールの生まれ育ったところだが、彼はここにはいやな思い出しかないらしい。
「船に乗せて貰った礼に、お前らが知りたがっている戦争の様子を、この辺で聞いてくるよ」
ピエールはそう言って、ジャンと共に船を下りていった。
翌日の昼頃、ピエールとジャンは、前後して帰ってきた。
「戦場は、ポラーノ郡だ。諸侯たちは一応皆、国王軍側についているため、国王軍側が優勢なようだ。もっとも、アルプのジルベルト公爵や、ゲールのアドルフ大公は、戦場の近くでお茶を濁しているだけのようだ。形勢が変わったら、反乱軍に寝返るつもりだろう」
ピエールに続けて、ジャンも報告する。
「ポラーノのカルロスは、盛んに他の諸侯に密使を送って、反乱が成功した暁の報酬を約束しているようだ。やはり、それで心が動いているのは、ジルベルト公爵や、アドルフ大公のようだがね」
「グリセリード軍が侵入したという話は?」
オズモンドの問いにピエールが答えた。
「まだのようだ。しかし、山脈の向こうのことは分からん。あるいは、すでに山を越えているかもしれん」
 ピエールらが別れを告げて去った後、マルスたちはアンドレらと合流するため、アスカルファンの南西の小島、エレギアに向かった。エレギアから東に行けば、バルミアに行けるし、北に行けば、マサリア郡、あるいはアルカードに向かうことになる。
 約束の日、西の海上を眺めていたマルスは、水平線上に船が現れるのを見た。
船は次々に増え、やがて海上を五十隻の大船が埋め尽くした。
先頭の船の船首にアンドレの姿を認めて、マルスは大きく手を振った。
「凄い数の船だな。兵士は何人だ?」
船から下りてきたアンドレと握手しながら、マルスは聞いた。
「兵士が四千人に、馬が五百頭だ。細かく言うと、騎士が二百五十名、弓兵が五百名、歩兵が三千名で、残りが鎧職人や騎士の従者、船の水夫たちだ」
「それだけいれば、大きな戦力になりそうだな。だが、今のところ、国王軍が優勢なようだから、助けは必要ないかもしれん」
「いや、きっとグリセリード軍はやってくる。その時がレント軍の出番だ」
アンドレがそう言った時、北のアスカルファンの方から海上に一隻の小船が現れ、こちらに向かってくるのにマルスは気づいた。
「あの船は何だろう」
アンドレが言う間に、マルスはその船に乗っているのがピエールであることを見て取っていた。
浜辺に着いた小船から飛び降りて、ピエールはマルスとアンドレの方に駆けて来た。
「グリセリードが攻めてきた。二日前に山を越えていたらしい。昨日戦闘があって、国王軍が敗北したようだ。さっき俺の知り合いの早耳のラドクリフから聞いて、急いでここに来たんだ」 
息をはずませて言うピエールにマルスは手厚く礼を言った。
「なあに、昨日のままの話だと、俺は嘘を言ったことになる。俺は敵には悪どい事でも何でもするが、味方には信義は守るんだ」
マルスはオズモンドを交えて、アンドレと作戦を決めた。その作戦は、アンドレが兵の大半を率いてバルミア方面から国王軍の救援に向かい、マルスは北を回って上陸し、騎兵隊を率いてグリセリード軍の背後をつく、というものである。
アンドレは、アスカルファンの地図を広げて、じっと考え、やがて
「戦場はここになる」
と指差した。そこは、バルミア近郊の、イルミナスの野であった。
「会戦は、グリセリード軍の進軍速度から見て、五日後だ。マルスの軍は、我々の軍より、半日か一日遅くなる。マルスが間に合うよう、我々は戦闘をできるだけ長引かせるつもりだが、できるだけ早く到着してくれ。さもなければ、バルミアが戦場になるだろう」
オズモンドとマルスは顔を見合わせた。
バルミアの市民たちをグリセリード軍に蹂躙させてはならない。マルスの脳裏に、ジーナの顔が浮かんだ。
先ほどのピエールの話では、アスカルファンに侵入したグリセリード軍は、およそ一万人だという。さすがに物凄い数である。おそらく、その中には、グリセリードの属国から徴用された兵士たちも多いのだろう。これまでのアスカルファンの戦争では、多くても数千人単位での戦闘しかなかったのである。ポラーノの反乱軍も二千人で、それと戦った国王軍は、諸侯の参加した人数を入れても四千人だったようだから、数の上ではグリセリード軍に圧倒されている。レントの援軍を入れても、まだ数では負けているのである。
これもピエールの報告の一つだが、アルカードから山脈を越えてアスカルファンに侵入してきたグリセリード軍は、ほとんど馬を持っていない。だが、そのグリセリード軍が、国王軍を圧倒したのは、奇妙な武器を持っているためらしい。それは、弓の一種だが、恐ろしく強力な弾性を持った弓であり、人間の力では弦をひくことさえできない。簡単な機械で弦を引いて、それを留め金に掛け、引き金を引いて発射するという、機械のような弓である。石弓(弩)というものらしい。
機械で弦を引いてセットするのに時間がかかるのが、この石弓の欠点だが、弓兵の人数が多いグリセリード軍ではそれも問題にならず、国王軍は、常識を外れた距離から飛んでくる矢の雨の前に、為す術も無く敗れ去ったということである。




第三十五章 海戦

「あんたたち、あの『肝食いインゲモル』を撃退したんだって?」
マルスたちの船に同乗している兵士の一人が、ジョンに聞いた。
「ああ、あのマルス様の弓で、一人でやっつけたんだ」
「そいつはいささか眉唾だな。なにしろ、あの『肝食い』に襲われて逃げ延びた船はほとんどないんだから。実のところ、レントがこれまでアスカルファンとの戦をためらっていた理由の一つがそれさ。途中で『肝食い』の船に襲われたら、かなわないからな」
「レントの軍はそんなに弱いのか」
「弱くはないが、船の操作は連中の方が上だ。風がどこから吹こうが、連中は船を自由自在に操る。で、こっちが負けるということになる」
「しかし、たった一隻の船に……」
側で聞いていたオーエンが思わず言った。
この若者は機敏で逞しい体をしているが、内気で、ジョンやマルス以外の者と話す事はほとんどない。だが、同じ庶民どうしだと、わりと気楽に口がきけるのである。騎士になった今でも、トリスターナやマチルダの前では真っ赤になって一言もしゃべれないのだが。
「一隻だって? インゲモルの一味は十隻くらい船があるぞ」
兵士が驚いたように言った。
「そうか。じゃあ、この前は、たまたま一隻でいたところに出くわしたんだ。幸運だったんだな」
「そうさ。二隻一度にかかられたら、マルスとやらの弓がいかに達者でも、かなわないだろうよ」
「おいおい、お前さん、インゲモルの身内かい。やけにそいつの肩を持つじゃないか」
ジョンがあきれて言った。
 船は幸い好天に恵まれて、順調に進んでいた。
 レントとアスカルファンの間は、順風なら二日で渡れる程度の距離でしかない。
 だが、アスカルファンの地が視界に入ったその時、北の方の水平線上に、一隻の船が現れ、その船はこちらに向かってぐんぐん進んできた。やがて、その船は、見る見るうちに、数を増し、五隻に増えた。
「インゲモルだ!」
見張り台の水夫が叫んだ。
 トリスターナとマチルダは怯えた顔で、手を握り合った。『肝食いインゲモル』の事は、既に話を聞いていて、彼女たちは彼を悪魔のように恐れていたのである。
 前回は運良く撃退できたが、一度に五隻も現れたのでは、どうなることだろうと、誰もが不安に思った中で、マルスだけは平然と海戦の準備をしていた。
「あなたたちも、火矢を作る手伝いをしてください。それから、万一、こちらの船に火がついたら消火をお願いします」
それから、マルスは同乗している兵士の主だった者を呼んで、戦闘の指示をした。
この船の指揮権は、マルスとオズモンドに与えられていたのである。しかし、オズモンドは指揮権をマルスに譲っていた。もともとその方面の自信は無かったからだ。
やがて、インゲモルらの船は、マルスの矢の射程内に入った。
マルスは近づいてくる船に、次々と矢を放った。その矢の距離と正確さは他の兵士たちを驚嘆させ、勇気付けたが、インゲモルらの船は、火があちこちに燃え移っても構わずにこちらに向かって進んでくる。消火活動は後回しにして、まず、こちらの船に乗り移ってしまおうという腹である。
マルスは、火矢を射るのをやめて、敵の船上にいる海賊たちを射始めた。
海賊たちは次々とマルスの矢に倒れていく。しかし、ついに敵の矢もこちらの船に届くようになってきた。
船の船長は、何とかして敵船との距離を保とうとするが、敵の船の方が船足が速く、とうとうマルスらのいる甲板に、敵の矢が突き刺さり始めた。
マルスは、遠距離用の長矢で、そのまま船首にいるインゲモルを注意深く狙った。
インゲモルは飛んでくる矢に備えて、鉄板を張った盾で身を隠している。
マルスは、矢を放った。
矢は一条の光のように飛んでゆき、インゲモルの盾を貫いてその体をふっ飛ばし、帆柱に射止めた。その体は、二、三度痙攣した後、柱に刺さったまま、ぶらりと垂れ下がった。
敵と味方の両方から、恐怖と感嘆の声が上がった。
「インゲモルが死んだぞ」
その声は他の海賊船に次々と伝わった。
マルスはもう一つの海賊船の舳先に立つ、船の頭目らしい男にも矢を放った。この男もインゲモル同様に、体を射ぬかれて、甲板の壁に縫い付けられた。
海賊たちはマルスたちの船を襲う気力を失ったらしく、追跡をあきらめ、去っていった。

こちらの被害はほとんど無く、わずかに甲板で転んだり物にぶつかったりして怪我した慌て物が何人かいただけである。
「この方は、弓の神様だ。軍神だ」
兵士の一人がマルスを称えて叫んだ。
その声はすぐに他の兵士たちの歓呼の声となり、船上に、海の上に響き渡った。
「マルス万歳!」
「軍神マルス様万歳!」





第三十四章 スオミラの陥落

レントに来てから二週間ほどが経ったが、マルスの父親の行方はまったくつかめなかった。アルカードのような田舎だと、外来者は滅多にいないから一昔前に来た旅人の事もよく覚えているが、レントのように開けた国では、人の移動も多く、覚えていられないのだろう。
マルスはとうとう、レントでの父の捜索を諦めて、ひとまずアスカルファンに戻ることに決めた。バルミアのジーナの家族が、戦乱でどうなっているのかも気がかりだったからである。
だが、マルスたちが帰国の決意を王に告げる前に、思いがけない知らせが宮廷に届いた。
グリセリードの軍勢がアルカードに侵入し、アルカードのすべての町が、グリセリードの支配下に置かれたということである。
スオミラから辛うじて脱出してレントに逃げ延びてきた数人の者から報告を受けて、アンドレはさすがに悲痛な顔になった。
「父上は」
「ご無事です。だが、監禁されております。アンドレ様には、今すぐは町には戻るな、機会を見て、スオミラの救出を謀り、無理なようなら、そのまま外国で生きていけと告げるようにおっしゃってました」
「そうか……」
横からマルスが聞いた。
「ギーガーはどうなった」
「ギーガー殿は……戦死なさいました。敵が現れた時に、この前のように町の門を閉じて篭城したのですが、ギーガー殿の部下が町を裏切って敵に内応し、門を開けたのです。入ってきた敵と戦って、数人の者が殺されました。その中にギーガー殿も……」
 マルスはギーガーの、乱暴で粗野だが、人のいい顔を思い浮かべた。
「その、裏切った部下というのは、この前の野盗の捕虜か」
「そうです。よく言う事を聞くので、ギーガー殿が信じたのが誤りでした」
 マルスは、スオミラのある参事の老人の言った、(狼はどう飼いならしても犬にはならぬ)という言葉を思い出した。
 マルスたちが、アルカードに戻る事を告げると、王は思いがけない事を言った。
「アンドレはここに残るがよい。私の軍事顧問にしよう」
アンドレはほんの一秒考え、首を横に振った。
「私はアスカルファンに向かい、彼らと共に、グリセリードと戦います。もはやグリセリードがアスカルファンに向かうことは確実ですから」
「お前が行ったところで、一兵卒としてしか扱われないぞ。それに、私がお前を軍事顧問にするのは、グリセリードと戦うためだ」
 マルスたちの顔はぱっと輝いた。
「だが、準備が要る。グリセリードが山を越えてアスカルファンに着くのに、マルスやオズモンドの話からすると、一週間はかかるだろう。しかもそのほとんどは軍馬も無しだ。いかに強大なグリセリードの軍でも、歩兵ばかりでは、進軍速度は遅い。幸い、レントは船をたくさん持っておる。二日のうちには軍勢を集め、食糧を準備してアスカルファンに向かわせよう。オズモンドたちは先に行って、戦況を確かめ、アンドレに報告するがよい。それによって、こちらの出方を決めよう」
「はっ、有難いお言葉です。これでアスカルファンは救われましょう」
オズモンドが感激して頭を下げ、礼を言った。
 王の言葉に従って、アンドレはレントに残り、マルスたちだけ先にアスカルファンに向かうことになった。
「我々は二日遅れで君たちを追う事になる。その二日の間に戦況を調べておいてくれ。アスカルファンの諸侯の動向もな」
アンドレの言葉に、オズモンドは、分かった、とうなずいた。
 レント軍とは六日後にアスカルファン西南にあるエレギアという小島で合流する事を決め、マルスたちはすぐに船に乗って出発した。
 王妃ロミーナはマルスたちとの別れを惜しんで、国王に頼んで、全員に、見事な武具一揃いずつを贈らせた。武具さえあれば庶民でも騎士にはなれる時代であり、これでマルスもジョンもオーエンも騎士になったわけである。ついでに騎士の任命式も行い、マルスたちはレント宮廷の騎士ということになった。
 
「おーい、その船、待ってくれ」
マルスたちが、いざ、船に乗り込もうとした時、船着場に現れたのは、ピエールとジャンであった。
「アスカルファンに行くなら、俺たちも乗せていってくれ」
マルスたちはピエールとジャンを船に乗せた。
「あんたたち、アスカルファンのために戦おうってのかい。物好きだな」
乗せて貰ったくせに、ピエールはそんな憎まれ口をきく。
「アスカルファンのためではない。アスカルファンの人々のためだ」
マルスが答えた。
「ロマニア王朝が治めようが、グリセリードとやらが治めようが、下の者には関係ないと思うがね」
「悪しき平和は良き戦争に勝ると言いますよ。わたしは、多少の不満はあっても、シャルル七世様の下で平和が続いていた事を評価しますね」
ジョンが言うと、ピエールが笑って言った。
「では、これからグリセリードの下で、永遠の平和が続くかもしれんよ。はっはっ」



第三十三章 エスカミーリオ

マルスらは、晩餐会の後も王宮に泊まるよう勧められた。もちろん、マルスたちに異存はない。宿屋の湿っぽい、南京虫だらけのわら布団のベッドではなく、よく干されたふかふかのベッドで寝られるのはもっけの幸いである。
王はそれから三日続けて、アンドレとオズモンドに話を聞いていた。マルスは残念ながら、国家情勢にはうといので、あまり相手にされなかったのである。そのかわり、マチルダやトリスターナと共に、王妃ロミーナの話し相手をした。ロミーナには、政治の話よりも、マルスの語る野山の話が面白かったようである。
四日目の朝、オズモンドがマルスの寝室に現れた。
「王に来客があるらしい。それが、グリセリードからの使節だということだ」
「では、レントと同盟を結ぶ気か」
マルスでもそれくらいの予想はつく。
「多分な。アンドレが同席して話を聞くことになっている。僕は追っ払われた」
「なんでアンドレだけ同席がゆるされるんだ?」
「王はアンドレが気に入っているんだ。昨日も、このままここで仕えないかと聞いていた。
それに、アルカードはまだ国というほどの国でもないから話を聞かせてもかまわん、ということだろう」
「だが、アンドレはどうせ我々に話すだろう」
「奴がその気になればな。だが、奴は旅の仲間ではあるが、アスカルファン人ではない。もしかしたら、我々に話さんかもしれんよ」
 オズモンドはアンドレには厳しかった。あいつは、どこか情がない、というのである。マルスから見れば何でもないような事が、オズモンドにはひどく癇に障るらしいのである。
確かに、アンドレには、人間の感情に疎いところがあったが、けっして情がないわけではない。しかし、彼の合理的思考はオズモンドには肌に合わないようだった。
国王とグリセリードの使節の会見が終わった後、オズモンドとマルスはアンドレを捕まえて、会見の模様を聞いた。
「あの使節は実に頭がいい。話し方が気が利いているし、頭の回転がいい。並みの国王では、あの弁舌に簡単に丸め込まれるだろうな」
アンドレは会見の内容よりも、使節の方が気に入ったようで、そんな話をして、オズモンドをいらいらさせた。
「使節の事はどうでもいい。肝心の話の中味は何なんだ」
アンドレは、そんな事、分かりきってると言いたげに、オズモンドを見た。
「もちろん、レントに同盟を申し込んできたのさ」
「で、王は何と答えた」
「それには答えないで、アスカルファンの内乱は、グリセリードが糸を引いたものか、とずばりと聞いたよ」
「使節は何と?」
「違う、と即答した」
「アンドレはどう感じた。その答えは本当か、嘘か」
「さあな。使節は何の動揺もなく答えたが、そこが却って怪しいとも思われる。普通、ああいう質問には、無関係な者でも動揺するものだ。だが、本当のところは分からんさ」
「同盟の件についてはそれで終わりか」
「いや、三日のうちに返答すると言っていた。だが、おそらく断るだろう。前に言ったとおり、グリセリードがこの時期にレントとの同盟を申し込んできたのは、おそらくアスカルファン侵攻を予定してのことだ。そして、アスカルファンの次はレントに決まってるからな。要するに、アスカルファンを攻める間、レントをじっとさせておく事が狙いなのだ。王もそれは分かっている。しかし、断ると、グリセリードにはっきりと敵対することになるから、この判断は難しいことだろう」
「では、同盟を受け入れる可能性もあるんだな」
「まあな」
オズモンドは不愉快そうに、舌打ちをした。さすがに、故国の存亡を目の前にして、自分が手を拱いているのが忌々しいのである。
 
 使節が滞在していた三日の間に、マルスはその使節を目にする機会が二、三度あった。
年はまだ三十前くらいで、ほっそりと優雅な体つきをしているが、体にはバネがありそうな感じである。顔は顎が細い逆三角形の顔で、色浅黒く、ぴんと跳ねた口髭と、顎の先に僅かな顎鬚を生やしている。大国の使節のわりには、威張ったところはなく、挙措も礼儀正しい。だが、マルスの直感は、この男が油断のならない男である事を告げていた。虎や狼ではなく、狐の狡猾さを持った男であり、もしかしたら、その上に狼の残忍さを備えているかもしれない。
 使節の名はエスカミーリオと言った。
三日後、ジュリアス王は、グリセリードとの同盟をはっきりと断った。
「残念です。だが、レントがせめて我々に敵対しないという事を私は望みます。王のように優れたお方と戦場で見えるのは悲しいことですからな。もしも王がアスカルファンとの同盟でもお考えになっているのなら、失礼ながらそれは愚かだと申しておきましょう。小国との同盟で、むざむざと大国グリセリードを敵に回すことになるのですからな」
エスカミーリオはそう答えて、優雅に一礼して、レント宮廷から立ち去った。



第三十二章 晩餐会

「賞金も賞品も要りませんが、王様にお願いがあります」
 マルスの言葉に、王は、ほほうという顔をした。
「何かな、言ってみろ」
「実は、私の父は十五、六年前にこの国に来ているのですが、私はその行方を探しているのです。それを、王様のお力で、何とか探して頂きたいのです」
「ふむ、父が行方知れずなのか。気の毒だな。だが、十五、六年前の事では難しいぞ」
「分かっております。せめて手掛かりでも欲しいのです」
「分かった。役人を使って、村々の物覚えの良い古老に問わせてみよう。十年以上前にアスカルファンの者を見かけた者がいないかだな。今よりも、アスカルファンと行き来のない頃であるから、珍しい旅の者を覚えている者がいるかもしれん」
 王は、マルスが辞退した賞金と賞品も無理に受け取らせた上、マルスの父の事を調べようと約束した。さらに、一行の中にアスカルファン宮廷の重臣のオズモンドと、アルカードから来たアンドレらがいるという事を知ると、非常に興味を持って、彼ら全員を宮中の晩餐会に招待した。
「まあ、大変。宮廷の晩餐会に着て行けるようなドレスなんて持ってないわ。どうしましょう」
マルスがその知らせを旅籠で待っていた仲間に伝えると、トリスターナとマチルダは大騒ぎした。
「オズモンド、古着でもいいから、貴婦人の着られるドレスを買ってきて」
マチルダはオズモンドに要求した。
「大丈夫ですよ。私に任せなさい」
アンドレがジョンに耳打ちし、ジョンは分かったと言って出て行った。
 程なく戻ってきたジョンは、大きな行李を抱えていた。
マチルダがそれを開くと、中から見事なドレスが二着出てきた。
「まあ、これはどうしたの?」
「王様に、事情をお話して借りてきたんです。王様はお笑いになって、快くお后のドレスを貸すようにお申し付けになりましたよ」
「では、これは王妃のドレスなの? 夢みたい」
二人でドレスを合わせながら、ああでもないこうでもないと夢中で話し合うマチルダとトリスターナを、他の男どもは半分あきれて眺めている。女のドレスへの情熱など、所詮男には理解できないのである。
しかし、着替えのため締め出された男達の前に盛装して現れた二人の美しさには、男達も感嘆せざるを得なかった。
「これは、危険ですな。貴女方のあまりの美しさに王妃が嫉妬して、死刑にしますよ」
ジョンが不気味な冗談を口にしたくらい、マチルダとトリスターナは美しかった。
晩餐会は王宮の大広間で行われた。
正面に国王と王妃が座り、その向かいの一段下がったテーブルに客であるマルスたち七人が座る。
御馳走は、さすがに豪勢であるが、味そのものはアスカルファンのものほど繊細ではない。鹿や子牛の肉を炙って塩か胡椒を振っただけの素朴なものである。
 食事の後で、リキュールを飲みながら、王はオズモンドやアンドレにアスカルファンやアルカードの事をあれこれと聞いた。なかなか好奇心旺盛な王様らしい。
「アスカルファンやアルカードは野蛮なところと聞いていたが、話を聞くと、だいぶ違うようだな。だが、そのアスカルファンでは、今、内乱が起こっているそうだぞ」
 国王の言葉に、マルスたちは顔を見合わせた。予想していたことではあるが、やはり、ショックである。
「で、戦況はどんなですか」
「始まって、およそ二月だが、反乱軍が一度は首都バルミア近くまで攻め寄せたのを、押し戻して、一進一退の状況らしい。ポラーノのカルロスとやらに味方する諸侯はほとんどいないようだが、かと言って国王軍に積極的に味方しているわけでもなさそうだ。戦況次第では、カルロス側に寝返る諸侯も出てくるのではないかな」
「これは、私の考えですが、この反乱の背後には、グリセリードがいるのではないでしょうか」
アンドレが国王を直視して言った。
王は、ほほう、と言う顔をしてアンドレを見た。
「考えられることではあるな」
「なら、レントはアスカルファン国王に味方なさったほうが良いでしょう」
「それはなぜだ」
「この反乱が成功したら、いや、成功しなくても、アスカルファンの国力が弱まれば、グリセリードはアスカルファンに侵攻します。そうすると、次はレントに向かうでしょう」
「わが国は、もともと、アスカルファンとは仲が良くないのだよ。それを助けろと?」
「隣り合う国が仲が悪いのは当然です。だが、隣人として、アスカルファンよりもグリセリードのほうが、はるかに恐ろしいはずです。グリセリードの貪欲さはよく御存知でしょう。アルカードのようにまとまりのない国がこれまで無事でいられたのは、隣がアスカルファンだったからです。グリセリードは大陸の東の国を次々に滅ぼして領土を伸ばしています。今度もし、アスカルファンを我が物としたら、北の世界のほとんどはグリセリードに統一されることになります。その時、レントが生き残れると思いますか」
「私はグリセリードなど恐れはせん。だが、お前の言うとおり、グリセリードが野望を持っているとすれば、考える必要はあるな」
この話はこれで打ち切りになったが、アンドレの言葉はレント国王に強い印象を与えたようであった。



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