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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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第四十八章 約束

「スオミラという町がアスカルファンやレントの連中に奪い返されたそうだ。しかも、その連中とは、お主が散々に負けたアンドレとマルスだ」
スオミラが奪還されたという知らせを受けた、グリセリードのアルカード駐留軍司令官イゴールは、ストーブに手をかざしている傍らのガイウスに言った。
ガイウスは、ポラーノの戦いの後はグリセリード軍に戦いを任せ、自分は後ろで高みの見物を決め込んでいたのだが、思わぬグリセリード軍の敗北を見て、あっという間にポラーノに逃げ戻り、手兵五十人ほどを連れてアルカードに逃げ込んだのである。
イゴールはこの敗走兵たちにいい顔はしなかったが、アスカルファンに内乱を起こした功労者ではあるから、受け入れないわけにはいかなかった。
「負けたのはグリセリード軍だ。わしが負けたわけではない」
ガイウスは怒るでもなく、平然と言った。
「いずれにせよ、復讐するいい機会ではないか。どうだ、お主、スオミラ攻撃の指揮をせんか」
「気が進まんな。攻城戦は時間がかかって性に合わん。もし、やれと言うなら、兵士を千人出してくれ」
「あの程度の城に千人か。勇将ガイウスの名が泣くぞ」
「なんとでも言え。わしは勝てる戦しかしないのだ」
「なら、他の者をやろう。メドック殿はどうだ」
「二百人もあれば十分だろう。それに、相手が一晩で落とした城なら、こちらも一晩で落とせるさ」
メドックと呼ばれた男は、自信満々で答えた。
馬鹿め、とガイウスは心の中で呟いた。相手がある手を使ったなら、その手は二度と使えないということだ。それに、冬の早いこの地方では、篭城している側よりも、それを取り囲んで野宿をする側の方が辛いのだ。
ガイウスの予想通り、メドックの軍は、スオミラを包囲して二週間後に降り出した雪に音を上げて、グリセリード司令部のあるオレスクの町に戻ってきたのであった。その間に、城内から射掛けられた矢による被害がおよそ五十人、肺炎などにかかった病人が百人近く出ていた。

スオミラの町では、敵への備えを十分にした後、すでにレントからの兵士は帰還させていたが、マルスたちは大事を取って、しばらく残っていた。
しかし、雪が降り出し、このままでは川が凍ってアスカルファンへの帰国が難しくなるため、オーエンだけを残して、マルスたちはアスカルファンへ、アンドレはレントへいったん戻ることにした。
「さようなら、マルスさん、オズモンドさん、ジョン、それにトリスターナさん、マチルダさん」
オーエンは目に涙を浮かべて別れを告げた。
彼は、ここに残って町の軍事責任者になるのであるが、さすがに長い間行動を共にした仲間との別れは切ないものがあった。
アンドレは父親のイザークに別れを告げた。父親の年からして、もしかしたら、これが最後の別れになるかもしれない。
「どうしても、一緒にレントに来てくれないのですか」
「わしの事は気にするな。お前は自由に生きていけばいい。年寄りには住み慣れた所が一番なのじゃよ。どこにいても、お前の幸せを祈っとるからの」
アンドレは父親の肩を抱きしめて、涙をこぼした。
レントへ向かう商船に乗って、マルスたちはスオミラから離れた。
スオミラの町は、雪に降り込められて、おぼろになり、やがて消えていった。それは、ひどく物寂しい景色だった。

なんとなく寂しい船旅であった。アンドレは後に残してきた父親やスオミラの町が気がかりで物思いに沈んでいるし、他の者も、静かで内気だが、献身的で頼りになるオーエンとの別れが胸に残っていた。
別れの寂しさと、冬の寒さが、人々を物思いに耽らせる。アルカードほどではなくても、アスカルファンもそろそろ寒さがつのって来るだろう。
そして、マルスの十六歳の日々も終わろうとしていた。

アンドレはレントに残ったが、トリスターナは、結婚の件はしばらく考えさせてくれと言って、マルスたちとアスカルファンに戻り、ジョーイとクアトロはアンドレの客人として、レントにしばらく滞在することになった。

アスカルファンに帰ってすぐ、マルスはマチルダに求婚した。
「この国にもう一度、危機が訪れるそうです。もしも運良くその戦いに勝つことが出来たら、その時は、僕と結婚して貰えませんか」
ぎくしゃくとそう言って、マルスはマチルダの宣告を待った。
一秒、間があって、マチルダは小さく「ええ」と言った。
マルスは一瞬混乱した。今のは「ええ」だったんだろうか、それとも「いいえ」だったのか、それとも「ええと」と言ったのか。
マルスは間抜けな顔で聞き返した。
「つまり、承知したんですね」
「その通りよ。でも、約束して。結婚したら二度と危ないことはしないって。結婚した途端に未亡人なんて絶対にいやですからね」
「大丈夫です。結婚したら僕はあなたの為だけに生きますから」
と、世界の損失になるような事を軽軽しく約束して、マルスは有頂天になった。

グリセリードの草原を走る一頭の馬がいる。その馬上には、男装をし、軽い鎧を着た美女が乗っている。
彼女は空を見上げる。四方に遮るものが全く無いこの草原では、空が丸い。
太陽は中天にかかり、やや西に傾きかけている。
あの空の向こうにアスカルファンがある。来年になったら、そのアスカルファンが自分の最初の戦場となるのである。
ヴァルミラはにっこりと笑い、再び馬に鞭をくれた。
あざやかに馬を操るその姿は、一幅の絵のようであった。

        『軍神マルス』 第一部   完



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第四十七章 スオミラ救出

マルスたちの一行は、レントを出発して、アルカードに向かっていた。
アンドレがレント国王から貸し与えられた兵士の数は二百人である。国王は、もっと出そうと言ったのだが、今回はアスカルファンの場合と違って、勝っても戦費の捻出が難しいので、二百人に止めたのである。
「今度は前と逆だな。こちらが城を攻める番だ」
オズモンドが言った。
「しかも、中にいる市民に被害を与えてはならないんだから、さしものアンドレも頭が痛い事だろう」
オズモンドは、考える事は自分の役目ではないと決め込んでいる。
アンドレは船室の一つで机に向かったり、ベッドに寝転んだりしてあれこれ悩んでいる。
翌日はスオミラに着くという日の夕方、彼は部屋から出てきてみんなに言った。
「やはり、正面から攻めるのは市民の被害が大きい。奇襲でいこう」
アンドレは計画を説明した。
「スオミラの町の城壁のうち、背後の川に面した側には、外からは見えないが、下水溝が川の下に開いている。河の水位が下がったら、頭一つ分は上に空間が出来て、そこから中に入れるはずだ。運が悪ければ、汚水の下を潜っていくしかないが」
男たちは、互いに顔を見合わせた。
「下水溝を潜っていくんですか?」
ジョンが情けなさそうな顔をした。
「全員ではない。誰かが入っていって、城門を開くんだ。そうすれば、兵士たちに一斉に中に突入させる事が出来る」
「俺は下水に潜るのはいやだぞ。ローラン家の者が、そんな事できるか」
オズモンドが早速断った。
「君には期待していないよ」
アンドレも冷たく答える。
「僕がやろう」
と言ったのはマルスである。
「私も行きます」
とオーエン。
「では、僕を入れて三人だ。ジョンは、安全な所で、トリスターナさんとマチルダさんを守っていてくれ。オズモンドは、中から合図があったら、兵たちを指揮して、中に突入するんだ」
アンドレの言葉に、女たちは文句を言った。
「そんな。私たちも働かせてください」
「いや、気持ちは嬉しいんですが、あなたたちは、離れたところにいてください。もし、負傷者が出たらその看護をして頂きたいのです」
アンドレは二人を押し止めて言った。

翌日、夕日が沈む頃、船はスオミラの町から二キロほど離れた所に停泊した。
そこから歩いて、スオミラの町が目に入った所で、トリスターナ、マチルダ、ジョンの三人は待機し、残る兵士たちは監視兵に見つからないように、姿を隠しながらスオミラの町に近づいていった。
町から数百メートルの所に兵士たちを潜伏させ、マルス、アンドレ、オーエンの三人は、川に身を沈めた。初冬の川水は、身を切るように冷たい。
一面の星空だが、月は無く、監視兵には見つかりにくい夜である。
先頭のマルスがアンドレに教えられた下水溝を探す。なるほど、人間の頭が僅かに出るくらいの隙間が見つかった。
その下は、人が四つん這いになってやっと歩けるくらいの穴である。もしもこの中に閉じ込められて、水位が上がったら、溺死するしかない。
幸い、この時間には城内から下水が流れることもなく、三人は無事にその穴を通って城内に入ることが出来た。
中に入ったマルスは、持っていた弓で、まず城壁の上の監視兵を射殺した。星明りの中だが、マルスの視力には十分な明るさである。監視兵は、城壁の上に崩れ落ち、あるいは下に転落した。
その間に、アンドレは城内の様子を探りに走って行き、オーエンは城門を開いた。
マルスは城門の上に立って、合図の火縄を振った。
外に待機していた兵士たちが城内に駆け込んでくる。城内にいたグリセリードの兵士たちは、その物音に驚いて飛び起きたが、兵士たちの先頭を切って走り込んできたクアトロに、たちまち五、六人が真っ二つにされた。他の兵士たちもそれぞれグリセリードの兵士を切り殺し、城内にいた百五十人のグリセリード軍兵士のうち半数ほどは、最初の数十分間で死体になった。そして、残る半分は、相手兵士の数を見て、降参したのであった。




第四十六章 グリセリード

アスカルファン侵攻の失敗を聞いたグリセリードの女王、シルヴィアナは、烈火のごとく怒って、第二次遠征軍の派遣を、デロス将軍に命じた。
デロス将軍は、この国第一の武人であり、アスカルファンごとき小国にはもったいないというのが群臣たちの考えだったが、シルヴィアナの剣幕では、それに反対するわけにもいかない。
「ご命令とあらば参りますが、アスカルファンを取って、何の利益があるのでしょうか。今や、この大陸の東側は、すべてグリセリードのものとなりました。考えるべきは、この版図をいかに維持するかであり、油断をすれば、この大国はすぐにでも反乱によって四分五裂しましょう。まして、大山脈を越えて行くには、騎馬部隊の派遣は不可能であり、船で行くには、これから兵士を大量に運ぶだけの大船を無数に作らねばならず、多大な出費がかかります。そのような犠牲に見合うだけのどんな利益が、アスカルファン攻略にあるのか、お聞かせください」
デロス将軍は大広間に立ち、女王を直視して大声に言った。
群臣は、デロスが斬罪に合うことを予想して、目を伏せた。
女王は、一瞬言葉に詰まったが、すぐに
「利益だと? 私の胸がすっとすることが利益じゃ。お前は臣下の分際で王の命令に従わぬ気か。なら、お前の首を刎ねることで、私の胸を晴らしてもいいぞ」
「左様ですか。なら、アスカルファンに向かうことにしましょう。同じことなら女の手で死ぬより、戦場で強者と組み合って討ち死にするほうが気持ちいいですからな」
デロスは巨体を優雅にかがめ、皮肉に一礼して、女王の前から退出した。
宰相のロドリーゴは、女王の側で眠ったように眼を閉じている。
この宮廷で、ロドリーゴが自分の意志に従わせることができないのは、デロス将軍だけである。血で血を洗う戦場を幾つも潜り抜けてきたデロスの強靭な精神力は、何物をも恐れず、ロドリーゴの射るような視線を跳ね返してしまうのである。
だが、デロスは根っからの武人であり、国王に対する忠誠心を捨てる事はなかった。と言うより、シルヴィアナの父である先代国王ヴァンダロスへの忠誠を今も持ち続けており、国王の命令なら、いつでも死ぬ覚悟があった。
デロスは大臣に命じて、大船団の建造を計画させた。現在の技術の粋を使い、金を湯水のように使って、兵士三十万人を運ぶ大船団を作るのである。
女王シルヴィアナが即位したのは十二年前である。まだ二十二歳の初々しい女王が誕生したのは、先代の跡を継ぐはずだったその夫が、領土拡張の戦争の最中に戦死したからであった。そして、僧侶上がりの大臣ロドリーゴが宰相となった時から、シルヴィアナの専制はひどくなってきたのであるが、それがシルヴィアナと男女の関係にあるロドリーゴのためである事を知らぬ者は、この宮廷にはいなかった。
船団の完成は、どんなに急いでも九ヵ月後だと、宮廷の工人は言った。
「なら、わしの命も九ヶ月は安全というわけか。その間は小さな戦は他の将軍に任せて、のんびり過ごさせてもらおう」
デロスは自分の屋敷に戻って、九ヵ月後に出征すると、その若い妾のナタリアに言った。
「まあ、アスカルファンですか。ずいぶん遠くまで行かれるんですね」
「まあな。これまで乗った事のない船とやらにも乗らざるを得ない。わしは馬は得意だが、水の上に人間が浮かぶなどというのは気味が悪いわい」
デロスは風呂場でナタリアに背中を流させながら、そんな事を言った。
デロスの褐色の体は五十を過ぎた今も逞しいが、無数の刀傷や槍傷、矢傷で、つぎはぎである。
「今度の遠征にはヴァルミラも連れて行こうと思っている。お前たちは、もしもわしが戦場で死んだなら、この家にある物をすべて自分たちで分け合うがいい。ただ、財産を醜く奪い合うことはしないでくれよ」
「死ぬなんて、縁起でもない。それに、この家の方はみんないい方ですから、争い事は起こりませんわ」
「分からんさ。女が一人で生きていくのは大変なことだ。何かの時に、多少欲深になっても仕方がない」
「ヴァルミラ様も戦場に出られるんですか?」
「まあな。あいつも、男より馬と剣が好きな女なんだから、そろそろ本物の戦場という奴を見せてやろうと思ってな」
ヴァルミラは、デロスの一人娘で、小さい頃からデロスの真似をして剣や槍を振り回し、弓をオモチャにして育った娘である。
どういうわけか、デロスの女たちが生んだ子供は、男の子は一人も育たず、女の子のヴァルミラだけが十九歳の今日まで無事にそだったのであった。
容貌魁偉なデロスにも似合わず、相当の器量良しの娘なのだが、男にはまったく興味が無く、いつも自分を戦場に連れて行け、と父親に頼んでいた。





第四十五章 宝石箱

「おい、マルス、どこへ行っていたんだ。王妃がお前に会いたいとおっしゃってるぞ」
オズモンドに連れられてマルスは王妃の居室に行った。
マルゴ王妃は、まだ三十代前半の、非常に美しい人である。
「マルス、もっと近くに寄りなさい。お前の事は、アンドレから聞いています。お前の御蔭で、この国も私たちも救われました。そのお礼をしたいと思って呼んだのです」
王妃は、侍女に命じて、布に載せた小箱を持ってこさせた。
「王は、お前の働きに対して、あまりに過小なお礼しかしなかったようなので、これを私からお前への贈り物とします」
マルスは、その小箱を開いた。中にはまばゆく輝く宝石が幾つも入っている。おそらく、一つでも庶民が一生安楽に暮らせるだけの値打ちのものだろう。
「これは、頂けません」
「遠慮せず取っておきなさい。国を救った代償には、これでもまだまだ足りません。それから、こちらはアンドレに渡してください」
侍女が手渡した、もう一つの小箱には、五百リム金貨がぎっしり詰まっていた。おそらく、五十万リム以上あるだろう。
「レントへのお礼は、王から別にあるはずですから、これはアンドレ個人へのお礼です」
 王妃は、言葉を続けた。
「マルス、私から王に働きかけて、なんとかお前を貴族に叙すようにします。そうすれば、お前も所領を得て、安楽に暮らせるでしょう」
「有難いお言葉ですが、私は今のままで十分です。ただ、自分がオルランド家ゆかりの者であることを認めてもらえないのは残念ですが」
「そうだったのですか。ならば、この国でも最上の貴族の家柄ではありませんか。どうして、それが庶民になったのです?」
マルスは王妃に自分の出生の事情を説明した。
「そうですか。それは気の毒に。お前の父のジルベールが生きておればいいのですが」
「生きていると思います。ある優れた魔法使いが、そう言ってました」
「なら、きっといつかは父とめぐりあうこともできるでしょう。そう願います」
マルスは王妃に厚くお礼を言って退出した。

やがて、レントへの出発の日が来た。
今回の船旅には、レントに戻る兵士たちの他に、ジョーイやクアトロも一緒である。
初めてクアトロを見たマチルダやトリスターナは、最初は彼を怖がったが、彼が普段は大人しく優しいのを知って、安心した。
ジョーイはアンドレと気が合って、さまざまな工業の技術の話を夢中になってしている。
アンドレは、膨大な本を読んでおり、博学そのものであったが、その大半は机上の知識であったから、ジョーイのように現実から学んだ技術者の話が非常に面白かったのである。
二日後に、船はレントに着き、一行はレント国王にお目通りした。
アスカルファン国王からの莫大な謝礼は、レント国王を喜ばせたが、それよりも、アンドレや兵の大半が無事に帰ったことの方が、嬉しかったようである。
レント国王は、スオミラ救出のために兵を貸して欲しいというアンドレの頼みを快く引き受けたが、それには条件があった。スオミラの町を救うことに成功したら、レントに戻ってきて、レント国王に仕えるという条件である。
「というわけで、あなたもレントに住むことになりますが、いいですか」
と、アンドレはトリスターナに言った。
「おいおい、まだトリスターナさんはお前の求婚を受け入れてはいないぞ」
オズモンドが腹を立てて言う。
「私は、レントは好きですわ。でも、アルカードでもアスカルファンでも、どこでもかまいませんの。これまで十二年間も、狭い修道院の中だけで生きてきたんですから、どこでも素晴らしく見えますわ」
トリスターナが言うのに
「おい、今のは別に求婚を受け入れたというわけではないぞ」
とオズモンドが解説する。
「私は、皆さんといるのが楽しくて仕方がないの。旅も素敵だし、どこかで落ち着いて暮らすのもいいでしょうけど」
マルスの方は、トリスターナを巡る二人の鞘当てには構わず、マチルダと話し込んでばかりいる。こっちもこっちで、こうしているだけで、何とも言えない幸福感に包まれているのである。
「あの宝石を皆にやってしまったのは、少し惜しいわね」
マチルダが言ったのは、王妃からマルスが貰った宝石のことである。
マルスはジーナの家族に一つ、オーエンに一つ、ジョンに一つ、そしてマチルダとトリスターナにも一つずつ上げた残りは金に換えて、自分と行動を共にした騎馬隊の兵士たちにすっかり分け与えたのだ。アンドレとオズモンドは、自分らは宝石は要らないと断った。
マルスは、自分のためには、王妃の記念として、小さな指輪を一つ残しただけであった。
「僕なら、弓があればどこにでも獲物はいる。金の必要はないさ」
「でも、戦いをするにはお金が必要よ。必要な時、お金が無いってのも困るわ」
マチルダは現実的な意見を述べる。
本当は、いつかマルスと結婚する気でいるので、マルスの金遣いの無頓着さを今から少し矯正していこうと考えているのである。それに、マチルダはけっしてケチではないのだが、マルスと自分は一心同体だと考えているので、まるで自分の金が無駄遣いされたような腹立たしさも、少しはあったようだ。




第四十四章 悪魔

アンドレのトリスターナへの唐突な求婚は、オズモンドの猛烈な反対の為ばかりでもなく、トリスターナがまだ気持ちが定まらないことと、アンドレ自身スオミラを救う使命が残っていることから、一時棚上げしておくことになった。トリスターナはけっしてアンドレが嫌いではなく、むしろ非常に好ましく思っていたのだが、自分が結婚するということをこれまで考えたことがなかったので、びっくりしてしまったのである。
「スオミラの町を救ってから、必ず戻ってきます。その時はきっといい返事をしてください。オズモンドなんかの言う事を聞かないように」
アンドレはトリスターナの手を取って言った。オズモンドはそれを苦々しげに見ている。
何で、話すのに一々相手の手を取らねばならんのだ……。
 マルスはアンドレに同行してスオミラ救出に向かおうと申し出た。マチルダやジーナ、トリスターナは必死でそれを止めたが、マルスの心は変わらなかった。
「アンドレやオーエンだけを死地に向かわせるわけにはいかんじゃないか」
マルスは、理の当然とばかりに言う。
周囲の人間は、マルスを、心の半分では馬鹿だと思いながら、その単純な善良さには心打たれずにはいられなかった。
「その通りだ。僕も行こう。アンドレは気に食わんが、マルスが行くなら僕も行く」
オズモンドが言った。
「なら、私も行くわ」
とマチルダ。
「あのう、私もご一緒していいかしら。多分、足手まといになりますけど……」
と、トリスターナまで言い出し、またしても一同勢ぞろいということになったのであった。こうなると、ジョンも行かざるを得ない。
「やれやれ、こうなりそうな気がしていましたよ。神のご加護があって全員無事に帰れればいいんですがね。まあ、乗りかかった船だから、最後までお供しましょう」
ぼやきながらも、顔は楽しげである。

 レントへの船出はそれから五日後であった。その間、レントから来た兵士たちはアスカルファン国王から報奨を受け、あちこちの酒場や宿屋で歓待されてすっかりアスカルファンびいきになったが、肝心のマルスは十万リムの金と勲章を与えられただけであった。
 宮廷で、マルスは初めて叔父のアンリと対面した。
「お前か。ジルベールの息子と名乗っているのは。お前がジルベールの息子だというどんな証拠がある!」
 アンリは神経質そうな顔をひくひくさせて、いきなり怒鳴るように言った。
「ブルーダイヤのペンダントを持ってましたが、盗まれて、今はありません」
マルスは言ったが、叔父がつまらない人物なので、内心がっかりしていた。
 年は四十くらいだろうか、中背で太り気味の男で、何かの病気か、少し眼が飛び出している。おそらく度の過ぎた美食のためだろう。顔じゅう吹き出物だらけであるが、それを白粉で隠しているのがかえって不気味である。
「ふむ、仮にお前がジルベールの息子だとしても、オルランド家はわしが相続した以上、お前にやる物はないぞ。まあ、少しくらいなら金をやってもよいから、二度とわしの前に顔を現すな」
「金は欲しくありません。ただ、父の行方を探しているので、何か手掛かりを教えてください」
マルスが言うと、アンリはぎょっとした顔でマルスを見た。
「ジ、ジルベールは死んだに決まっておるではないか。それとも、生きておると誰かに聞いたのか」
「はい」
「そいつは何者じゃ。そいつは嘘を言っておるのだ!」
アンリのうろたえぶりに、マルスはアンリがジルベールの行方を知っているのではないかと思ったが、それ以上聞く前に、アンリはマルスの前から逃げるように歩み去った。
アンリが去ってすぐ、マルスの前に、一人の男が立った。
五十歳くらいの穏やかな顔の老人である。僧服のようだが、それとも少し違う、変わった服を着ているのがマルスの注意を引いた。
「マルスじゃな。ずいぶん遅かったではないか」
「あなたは?」
「カルーソーじゃよ。ロレンゾから聞いておらぬか」
マルスは思い出した。
初めて山から下りてきた時、魔法使いのような男に遇って、その男の口から、「カルーソーの所に行け」と聞いたのであった。
「聞いています。でも、庶民の私が、どうして宮中にいるあなたにお会いできましょう」
「そう言えばそうじゃな。わしもロレンゾも、時々、普通人の不便さを失念するのじゃよ。許してくれ」
マルスには意味不明の事を言って、カルーソーはマルスを自分の部屋に導いた。
 カルーソーの部屋は、四方の壁が本で埋め尽くされ、机の上にはマルスの目には得体の知れない球形の道具や、コンパスなどが載っていた。
「お前は、この前の戦でこの国を救った英雄じゃ。だが、実は、あの戦は、真の戦いの前触れに過ぎん。間もなくこの国に悪魔が現れることになるが、お前はそれと戦う運命にあるのじゃ。しかも、その戦いでお前が勝つかどうかは我々にも予測がつかん。我々の魔力を上回る魔王相手の戦いなのじゃ」
 カルーソーは、そう言ってマルスを見た。
「その戦いはいつ頃になりますか」
マルスは少し考えた後、カルーソーに聞いた。
「まだ、だいぶ先じゃよ。一年後か、二年後か。だが、これは苦しい戦いになるぞ。悪魔は人の心を支配する力がある。お前自身、悪魔に心を支配され、極悪非道な悪魔に変わる可能性もあるのじゃ。その時はこの国の、いや、この世界の終わりじゃな」
「悪魔に心を支配されない方法は?」
「神の力を借りることじゃ。祈りと、神具の力があれば……。だが、正直言って、それで完全に防げるとは限らんのだ。一たびお前の心に人や神への疑い、憎しみ、弱さが芽生えたら、祈りの力も神具も役にはたたん。何物にも動揺しない純粋な心だけが、悪魔に打ち勝つのだ」
「悪魔とは一体何なのですか?」
「邪悪な思念の塊じゃ。だから、それが地上に現れる時は、人や獣の姿を借りて現れるのじゃよ」
 マルスは、アルカードの山中で見た大猿を思い浮かべた。
「悪魔との戦いがまだ先なら、しばらくアルカードへ旅をしてもいいでしょうか」
「かまわんさ。旅から戻ったら、ロレンゾを探すがよい。ロレンゾは東の大山脈の、ある山の中にいる。これを持っていくがいい。この石は、魔力に反応する力がある。善なる魔力に近づけば白く光り、悪に近づけば赤く光る。常に首に掛けておけば、いい道案内になるだろう」
カルーソーがマルスに渡したのは、瑪瑙のペンダントだった。見たところは、普通の瑪瑙と変わらない。
マルスはカルーソーに礼を言って別れを告げた。
大広間に戻ると、オズモンドが彼を探しているところであった。





第四十三章 テーブル上の戦い

もはや勝敗は決していた。
残るグリセリード軍は、イルミナスの野の中央で泥に足を取られている千人そこそこだけであり、戦場にはグリセリード軍の屍が累々と横たわっていた。一つの戦闘で、一万人近くが死んだのは、この国の歴史始まって以来である。しかも、この戦闘でのアスカルファン軍側の死傷者は、千人にもならなかった。そのほとんどは、アドルフ大公の裏切りによるものであり、それがなければ、被害はずっと少なかっただろう。
戦場から逃走した兵士たちに取り残された者たちは、とうとうアスカルファンに降伏した。捕虜の数は、負傷者を含めて二千五百人ほどであり、この捕虜の数も記録的なものである。
バルミアに引き上げる国王軍とレント軍を、市民たちは、歓呼の声で迎えた。
帰還した軍の兵士の中にマルスを見つけたジーナは、駆け寄ろうとして、足を止めた。先に一人の美しい少女がマルスに駆け寄って抱きつき、マルスと祝福を交わしていたからである。
群集の中にジーナを見つけたマルスは、その側に急ぎ足で近づいた。
「ジーナ、無事だったんだね。お父さんやお母さんも無事かい」
「ええ。マルス、その方は?」
「オズモンドの妹のマチルダだ」
オズモンドも近づいてきて、ジーナに挨拶した。
マチルダとジーナは、一瞬互いを値踏みするように見たが、ジーナはマルスへの淡い思いを忘れようと、この瞬間に決心した。それは、マチルダの目の中にあるマルスへの強い愛情を認めたからであった。
「マチルダさん。初めまして。ジーナと言います」
「知ってますわ。マルスがお世話になった方ですよね」
「いいえ、こっちの方がマルスには世話になったのですわ。命の恩人なんです」
「その話は聞いてないな。まあ、道で立ち話もなんだ。皆、僕の家に行って、積もる話をゆっくりしようじゃないか」
オズモンドが話に割り込み、全員でローラン家に行くことになった。
その夜は、トリスターナやジョンも含めて、長い旅の話や戦争の話に花が咲き、戦の疲れも忘れ、夜が明けるまでマルスたちは笑ったり騒いだりして語り明かしたのであった。

一方、シャルル国王の宮廷でも祝勝会が開かれ、アンドレはレント代表としてそれに出席しなければならなかった。
その席上では早くも老練な貴族たちによって、戦の論功行賞の根回しが行われていたのである。貴族同士の仲間ぼめで、戦で大した働きもしていない誰それの働きが大げさに論じられ、マルスらの名前は少しも出てこなかった。
アンドレは業を煮やして、国王に向かって、今回の戦の一番の働きは、イルミナスの戦いの前に、敵に夜襲をかけて、敵の矢を燃やして敵の戦力を減らし、更に、アドルフ大公の裏切りで窮地に陥った国王軍を敵への奇襲で救ったマルスだ、と言ったが、王は
「しかし、マルスとやらは貴族ではないからなあ。貴族でないものを武勲第一にするわけにはいかんのだよ」
と言うだけであった。
アンドレはあまりの情けなさに涙がでそうなほどであった。
こんな連中のために、俺たちは命を賭けて戦ったのか……。
アンドレはこの不潔な連中と同席するのも嫌になって、無礼を承知で退席し、そのままローラン家に向かった。
アンドレと共に祝勝会に出ていたオーエンも彼に着いてきた。
「これからどうします、アンドレ」
「マルスたちの顔を見て、しばらく一休みしてから、一度レントに戻り、アルカードに帰ろう。グリセリード軍を破った今なら、スオミラの町をグリセリードから救えるかもしれない。レント国王が兵を貸してくれたらだが」
「そうですね。やっぱり俺たちにはスオミラが一番だ」
オーエンは嬉しそうに言った。
ローラン家に入ったアンドレは、そこにトリスターナがいるのを見ると、やにわにその手を握り、
「トリスターナさん、結婚してください」
と言った。
周囲の者たちはあきれ顔でそれを見ていた。
「あの、アンドレさん。これは何かのご冗談でしょうか」
トリスターナはぼうっとした顔で言った。
「いいえ、冗談ではありません。先ほどまで、獣たちの中にいたもので、今、美しく清らかなあなたを見て逆上したのですが、本気です。どうか僕と結婚してください」
「ちょっと待った」
オズモンドが二人の間に割って入った。
「この結婚は、トリスターナさんの後見人である僕が許さん」
「いつ君が彼女の後見人になった」
「彼女はこの屋敷で預かっている以上、僕が後見人だ。後見人として言わせてもらえば、彼女と結婚するには、少なくとも百万リム以上の資産を持ってないと駄目だ、彼女に貧しい不幸な暮らしをさせるわけにはいかん」
それくらいの金はある、と言いかけてアンドレは口をつぐんだ。アルカードはグリセリードに占領されており、今の彼は無一文同然なのであった。



第四十二章 救援

「何と、アドルフが寝返ったと?」
シャルル国王は青ざめて、傍らのアンドレを見た。
「すぐに全軍に伝えて、救援を西に向かわせましょう。この知らせの真偽も確認しておきます」
アンドレは冷静に言って、副官を西に走らせた。
ほどなく副官は戻ってきて、アドルフの裏切りが真実である事を報告した。アドルフ軍はグリセリード軍の先頭に立って、西側の弓矢部隊や歩兵部隊を蹂躙しており、その被害はすでに数百人に上っているとのことである。
「ルルドのビアンコ公爵の軍は全滅です。アルプのジルベルト公爵の軍は敗走しました。間もなく、アドルフ公の騎馬隊がこの中央まで来るでしょう」
「何という事だ。この手に勝利を収めかけていたのに……」
国王は涙を流してうなだれた。
「まだ大丈夫です。ここには近衛兵百人がおりますし、私の部下も二十人います。しばらくは守れるでしょう。その間に、全兵力を西に向けて攻撃すれば、なんとかなります」
アンドレは王を励ました。そして、クアトロを呼んで言った。
「いいか、間もなく敵がここに現れる。その時はお前が王をお守りするのだぞ」
クアトロは、「分かった」と短く答えた。
彼は普通の鎖帷子を幾つもつないだ特製の鎖帷子を羽織り、その上に板金をつないだ急ごしらえの肩当と胸当てを着ている。そして、普通人の身長くらいある大剣を持っていた。この剣は、神殿の神像の飾りであったものを、ジョーイがクアトロにちょうどいいと言って王に願って持たせたもので、像の飾りだが、本物の剣である。クアトロはいいオモチャを貰ったと大喜びであった。

グリセリード軍は、西に突破口が出来たという知らせを受けて、全軍が西に移動し始めた。
アンドレは弓兵隊に指示して、戦場の中央に進出し、西に向けて矢を射掛けるように命令した。しかし、問題は、その移動が終わる前に、敵がアスカルファンの本陣まで攻め込んでくる可能性が高いことだった。そして、実際、間近に敵が迫る声がし始めていたのである。
シャルル国王は両手で顔を覆った。
だが、その時、敵の喚声の様子が変わった。
「何が起こったのだ?」
アンドレは再び副官を走らせた。
戻ってきた副官は、満面の笑みを浮かべていた。
「救援です。西の山から駆け下りてきた騎馬隊が、敵軍を散々に蹴散らしています」
報告を聞いて、アンドレは、マルスの軍だ、と直感した。
「国王、我々は助かりましたぞ。あれは、マルスと言って、アスカルファンの若者です。ここではまだ庶民ですが、レント国王から、騎士に叙せられた者です。おそらく、アスカルファン一の勇士でしょう」
「ほほう、そんな者がおったのか。いずれにしても、助けが来たのは有難い。だが、間に合うかのう」
「間に合わねば、我々は死にます」
言って、アンドレはにやっと笑った。

マルスたちの騎馬隊は、西の高台の急斜面から降りて、林の中からグリセリードの歩兵部隊の中に突入した。
 思いがけない所から現れた騎馬部隊に、グリセリードの兵士たちは逃げ惑い、戦う者は、騎馬兵の槍や剣で突き殺され、切り殺された。
 マルスたちはアスカルファンの本陣に入った敵軍を追って、中央部に馬を走らせた。
これまで優勢に攻撃していたグリセリード軍は、前方と後方から挟み撃ちされる形になり、一挙に不利な状況になった。
その間に、戦場の中央に進出したレントとアスカルファンの弓部隊は、グリセリード軍を弓の射程内に捉え、射撃を始めた。縦に長く伸びたグリセリード軍は、横から狙えば弓にとってこれほど狙いやすい的はなく、西側に進出したグリセリード軍は、あっという間に全滅した。残るのは、まだ湿地帯に残った千数百人である。

その間に、アドルフ大公の騎馬隊は、アスカルファンの本陣に入っていた。
国王の近衛隊が応戦したが、囲みを突破され、ついに国王の陣幕に敵の騎馬数頭が入った。
そこに待っていたのはクアトロであった。
彼は、大剣を横に薙いだ。先頭の馬は両方の前脚を切り飛ばされ、物凄い勢いで転倒した。上に乗っていた騎士は放り出されて気を失い、他の近衛兵の手で刺し殺される。
陣幕に入ってきた騎馬兵は、次々にクアトロの手で、馬を切断され、あるいは馬上にいるまま鎧ごと体を両断された。
国王も、アンドレも他の味方兵士たちも、クアトロのこの殺戮ぶりに呆然とするばかりである。
「国王、御無事ですか」
陣幕に入ってきたマルスをクアトロは誤って切ろうとしたが、アンドレが慌ててそれを止めた。彼は、彼には珍しく顔一杯に笑って言った。
「マルス、よく来てくれた。御蔭で助かったぞ!」




第四十一章 決戦

マルスは、例によって自ら斥候として前方の様子を確認しに馬を走らせた。もともと軍馬ででもあったのか、それとも農業に使われていたからか、グレイは上陸以来の酷使にもよく耐えている。
適当なところで河を渡り、バルミアに近づく。アラスの丘を越えると間もなくイルミナスの野である。
見晴らしのいい高台にでると、北の方にグリセリード軍の姿が見えた。南には一面に柵を張り巡らせたアスカルファンの防御陣が見える。なおも注意してよく見ると、イルミナスの野の中央が周辺部の草の色に比べて一面に黒っぽい。湿地帯の特徴だ。おそらく、グリセリード軍が中央に進んできたら、泥に足を取られて苦しむだろう。
さらに、マルスの鋭い目は、イルミナスの野の東と西に隠れたアスカルファン軍の伏兵も捉えていた。野の中央を避けて東西に回った敵軍は、伏兵に遇うわけだ。
布陣は完璧だ、とマルスは思った。さすがにアンドレである。
これなら、マルスたちの騎馬隊は、無理に戦場に突入するよりも、戦機を見て、形勢の不利な場所を助けに向かった方がいい、とマルスは考えた。おそらく、敵の石弓部隊の矢は、それほどは続かないだろうから、矢による被害はそう多くはない。敵の歩兵部隊の中で、湿地帯を抜けて野の南側まで進む相手にはレントの弓矢部隊で十分に対抗できるだろうし、乾いた場所なら、アスカルファンの騎馬隊が敵の歩兵部隊より有利である。
だが、戦は何が起こるか分からない。いつでも不測事態に対応できるように、マルスの軍は備えておくのが一番である。
マルスは、急斜面になったこの高台の前方を見下ろした。角度はかなりあるが、馬で下りられないほどではない。木の生え方もまばらであり、馬で通り抜けて下りる事はできそうだ。おそらく、戦場からは、この斜面から馬が出てくるとは思えないだろうから、完全に視界の開けたグリセリード軍の背後、つまり北から近づくよりはかえって安全である。騎馬で近づく間に敵に矢を射掛けられたら、半分くらいは、敵に近づく前に死ぬだろう。
マルスはグレイの首を廻らせて、もと来た高台の西側から下りていった。

戦は正午に始まった。戦いの合図のラッパが響き渡り、双方の石弓部隊が互いに盛んに矢を射掛ける。
よく晴れた青空が暗くなるほどの矢の数である。アスカルファン軍の石弓も、飛距離でグリセリード軍に劣っていない。連射能力はむしろ勝っている。グリセリード軍は紐と歯車を使った巻き上げ機で石弓の弦を張っているのだが、ジョーイの考案した「引き棒」は、単純な一動作で弦が掛けられるので、数倍早いのである。しかも、掛ける役割の人間が何人もいる。弓兵が交互に弦を掛けているグリセリードの石弓部隊は実質的に半分しか稼動しておらず、数では劣勢のアスカルファン軍の弓部隊の方が、この射撃戦では相手を圧倒していた。敵の勝っている点は、矢の質だけである。急造のアスカルファンの太矢に比べ、念入りに作られたグリセリードの矢は、矢尻も矢羽も見事であった。
石弓による射撃戦は、およそ二時間続いた。だが、実際には、後半の一時間は、アスカルファン軍だけが一方的に矢を射掛けたのである。二十万本用意してあったグリセリード軍の矢は、マルスたちにその大半を焼き払われ、兵士がそれぞれ所持していた二十本程度ずつしか矢はなかった。
グリセリードのオロディン将軍は、最初は、兵士に命じ、こちらに飛んできたアスカルファンの矢を拾い集めさせて、それを射返させたが、いつまでもアスカルファンの矢が止まないので、しびれをきらし、歩兵部隊に敵の矢の雨の中を進撃するように命じた。
射撃戦の間に、グリセリード軍の死者と重傷者は二千人に上っていた。対照的に、アスカルファン軍の方は、防御塀に相手の矢のほとんどは防がれて、死傷者は僅かに数百人でしかなかったが、それでもまだグリセリード軍が数では上回っている。
オロディン将軍が突撃命令を下したことで、グリセリード軍の被害は急速に増えていった。それまで、まがりなりにも盾の陰に隠れて矢を避けることが出来たのが、遮るもののない野原を進んでいく兵士は、アスカルファンのいい的であった。
今はアスカルファン軍の石弓部隊も防御塀の前に出て、思うがままに敵に向かって射ることができた。
アンドレは、敵の矢があっという間に尽きたことに驚いていた。始めは、何かの罠かと思ったが、敵の歩兵部隊が進軍してきたことで、敵にはもう矢が無い事を確信した。
野原を進んでくるグリセリードの歩兵たちは、ぬかるみに足を取られ、アスカルファンの矢の前に、一人、また一人と倒れていく。
湿地帯をやっと抜けた兵士も、アスカルファンの矢の為に次々と倒れていく。アスカルファンの方も、石弓用の太矢はさすがに残り少ないが、通常の矢は無数にある。弓兵たちは、弓を換えて次々に矢を射る。慣れた弓の方が、かえって命中率は高い。
もはやアスカルファンの勝利は目前かと見えたその時、西の山の下から時ならぬ喚声が起こった。
「あれは?」
シャルル国王が側近に聞いた。
味方の報告を受けた側近が、「敵が西から侵入した模様です」と告げる。
「西はアドルフ大公が守っておるはずだが」
「アドルフ公が、敵に寝返ったとのことです」






第四十章 決戦の前 

自宅に戻ったマチルダは、まず、トリスターナに一室を与えて、そこで休ませた。ジョンは執事の服装に戻り、
「やれやれ、この方がずっと気楽です。ずいぶん長い旅でしたなあ」
と、満足そうに溜め息をついた。
マチルダの両親は、マチルダを見て、涙を流して喜んだが、母のジョアンナは、オズモンドが一緒でないことを知ると、それがマチルダのせいででもあるかのように非難した。
「何であの子だけが戻ってこないの。あの子は戦争などできるような子じゃないのに」
わっと泣き伏す妻を、夫のローラン侯は、持て余したように慰めたが、こちらは可愛い娘が帰ってきただけでも満足であった。
熱い風呂に入って長旅の疲れを癒した後、トリスターナはローラン候と面会して、居場所を与えてくれたことを感謝した。
「ところで、オルランド家は、今、どのようになっているのでしょうか」
「確か、次男のアンリ殿が家督を相続して、結婚して子供も嫡出児だけでも五人いるそうだが。……アンリ殿も、この戦に従ってポラーノの戦いに出たようじゃが、どうなっておるかは分からんな。戦死者の中には入ってなかったと思うが。ところで、あんたはオルランド家の娘か。ずいぶん美しい方じゃな。わしが十年若かったら、放ってはおかんが」
「まあ、私はもう、とうが立ってますわ」
「いやいや、シャルル国王の后たちの中にも、あんたほどの者はおらん。あの女好きの国王には顔を見られんようにすることだな。はっはっはっ」

 バルミアの町は、敵の侵攻に備えて、慌しい。
ケインの店は、マルスの作ってあった弓や槍の在庫がすっかり売り切れてしまい、大儲けをしたが、物の価格も跳ね上がっており、今、一番高いのは食物だった。
「なあに、この戦が終わったら、物の値段は元通りになる。そうなれば、我々はしばらく左団扇で暮らせるぞ」
ケインは家族の者にはそう言っていたが、果たしてアスカルファンがグリセリードに勝てるのか、心許なかった。
「ところで、聞いた話だと、あのマルスが騎士の身分になったというぞ。この戦で大きな働きをしていると言うことだ」
実はケインのところには、マチルダが訪ねてきており、何か不自由があったらいつでもローラン家に援助を求めるようにと言われていた。ケインがその事を家族に言わなかったのは、マチルダを一目見た瞬間、彼女がマルスと恋仲であることが分かったからである。
(こんなきれいなお嬢様じゃあ、残念ながらうちのジーナは相手にならん。身分から言っても、マルスはもともと名家の血を引いているからな。ジーナがこのお嬢さんの事を知ったらどんなに悲しむだろう)
ジーナは、マルスが騎士になったという事を無邪気に喜んでいた。
「この戦争で、マルスが怪我しなければいいんだけど。いいえ、少しくらい怪我しても、生きて戻ってさえくれたら」
そう、ジーナは祈るように言った。
そうするうちに、いよいよグリセリード軍が、バルミアの北に近づいてきたと言う情報が流れた。
国王軍はアンドレの率いるレント軍と共に、バルミアの町を出発した。
何百頭もの軍馬の蹄の音がかつかつと町の道路の敷石に響く。その後には弓兵や歩兵の歩むザッザッという音が続く。武器を載せた荷車のガラガラと言う音もする。

アスカルファン軍は、イルミナスの野の南に陣取った。
南側一面に、木の板で作った防御塀を引き回し、弓兵はその陰から敵軍を射る予定だ。
防御塀には細い隙間があって、そこから覗いて弓を射ることができるが、敵の矢の大部分は、塀に当たって、遮られるはずである。さらに、イルミナスの野の中心は、三日前から、近くの川から水を引いて、湿原状にしてある。敵がこの湿原を越えてくるのは困難だろう。右と左に迂回する敵に対しては、それぞれ要所に伏兵を潜ませている。
だが、一番大きな新戦力は、市民である。
市民たちの中の男は皆、戦場の後方で、様々な支援活動を行うことになっている。たとえば、石弓のセットも、弓兵ではなく、市民たちが行い、次々に兵士に手渡していく。兵士はセットされた弓をどんどん射ればいいのである。これだと、飛躍的なスピードで、相手に矢を射掛けることができる。まさしく人海戦術である。市民たちは、戦場で負傷した兵士を後方に素早く運んで、女たちの治療を受けさせる役目もある。そして、いよいよとなれば、市民も武器を取って戦うだろう。これは市民全員の生命を賭けた戦いなのである。
こうした状況を見ても、ゲールのアドルフ大公はまだ、グリセリード軍の勝利を信じていた。彼にとっての問題は、いつ如何なるタイミングで味方を裏切るかであった。
彼は左翼の山の下を任されていた。弓の射撃戦が一段落し、歩兵や騎兵による肉弾戦が始まったら、ここから出て行って戦うのである。しかし、戦う相手はグリセリードではなく、アスカルファンになるだろう。その事は、すでに密使でもってグリセリード軍の総大将、オロディン将軍には伝えてある。その返事によれば、グリセリード軍が勝った暁には、アスカルファン支配の要職を、ポラーノのカルロスと共に与えられるはずである。
とうとう、グリセリード軍の姿がイルミナスの野に現れた。野の一端が埋め尽くされるような大軍勢である。見ていたバルミラの者たちは皆、さすがに恐怖で毛が逆立った。
アドルフは自分の軍勢五百人に向かって大声で言った。
「見ろ、あの軍勢を。あれに勝てると思うか。わしはお前らを無駄な負け戦で殺したくない。わしは、グリセリード軍に味方することに決めたぞ。よいな!」



第三十九章 天才ジョーイ

マルスはバルミアに向けて急使を送り、戦果を伝えると共に、更に決戦の時にはグリセリード軍を背後から突くことを伝えた。
一方、バルミアに着いたアンドレは国王シャルルと会見し、レント国王からの親書を手渡して、援軍を申し出た。シャルル国王は非常に感謝し、レントとの永遠の友好を約束した。国王軍は、先のグリセリード軍への敗北のため、諸侯の兵を合わせても二千人に減っており、一万のグリセリード軍のバルミア侵攻を前に、滅亡を覚悟していたのだから、喜びは当然だった。
アンドレは、バルミアの住民に命じて、石弓の矢を作らせた。男たちは近くの山から木材を切って運び、それを割って細くした角材の角を女たちがナイフで削り、丸くして、矢羽と矢尻をつける。貴族や騎士を除く二万四千人の住民が、一日一人当たり二本作っただけで、二日で十万本近い矢が集まった。
問題は、弓の弦を張る機械である。人間の力で満足に弦を引けない石弓では、たとえこちらに何万本の矢があろうと、向こうに連射の速度で劣る。それに、もともと石弓部隊の数は向こうが圧倒的に多いのである。
思い余ったアンドレは、住民に告示した。
「石弓の弦を張り、引き金に掛ける良い方法を考えた者には一万リムの賞金を出す」
その告示が出てすぐに、一人の少年がアンドレの前に現れた。
ジョーイであった。
彼は、ポラーノが戦場になってすぐ、父親がポラーノ軍に武器職人として徴用されようとして、それを断ったために切り殺されたのを見て、使用人のクアトロと共にそこを逃げ出し、バルミアまで流離って来たのである。
「簡単な話じゃないか。こうしたらいい」
ジョーイが紙に書いて見せた図面を見て、アンドレは感嘆した。
それは、二本の棒の端を木ねじで留めてV字状にしただけのものであった。
アンドレはその図を見ただけで、それが使えることが分かった。何と単純な解答だろう。
「梃子の原理だな」
「そうさ。これなら、女でも石弓の弦が引けるぜ。ただし、弓に掛ける各部の長さを間違えると、使えないから、石弓の実物を見せな。ちゃんとした図面を引いてやる」
 ジョーイは、石弓を見て面白がった。
「へえ、ちゃんと見たのは初めてだが、こうなっていたのか。でも、形が今ひとつだな。この位置をこうすれば、もっと強力になる」
 ジョーイの設計図に従って、石弓が組み立て直され、弦を張る道具、それは単に「引き棒」と呼ばれたが、が大急ぎで作られた。もともと細い木材は大量に余っていたので、引き棒を作るには、何の手間も要らなかった。
「アンドレさん。ついでだけど、俺の子分のクアトロって黒人を、あんたの部下にしてくれんかね。あいつは、頭は悪いが、馬鹿力がある。鎧を着せて戦わせたら、一人で兵士十人分以上の働きはするぜ」
ジョーイが連れてきたクアトロを見て、アンドレはびっくりした。
背丈も横幅も普通人の二倍はある。確かに、大力がありそうだ。
「こいつは凄い男だな。よし、部下にする。ところで、君はずいぶん頭が良さそうだ。君も僕の家来にならんか」
アンドレはジョーイに向かって言った。
「俺は、人の家来になるのはいやだ。だけど、今は戦だから、グリセリードを倒すまでは家来になってもいいぞ。でも、俺は力は無いから、戦場に出て戦うのは無しだぞ」
「もちろんだ。僕も同じさ。僕たちは頭で戦う人間だ」
アンドレはジョーイと握手した。
こうして、アンドレらが敵を迎え撃つ準備を進めている間に、マルスらは河に沿って南下し、バルミアに向かった。同じく河の向こう側では、グリセリード軍もバルミアに進んでいるはずである。
だが、この時マルスたちは知らなかったが、マルスがアンドレに送った急使は、途中で、国王軍に加わっているゲールのアドルフ大公の兵士に捕まって、その前に連れて行かれていた。
使者は大公に必死で訴えた。
「私は、アスカルファンの救出の為にレントから来た者です。国王への伝言で参るのです」
「何の用で、バルミアに向かうのだ」
「それは国王にしか申せません」
「ならば、ここは通さぬ。怪しい者をバルミアに入れるわけにはいかんからな」
使者は迷った末、人払いを願って、マルスからのアンドレへの伝言を話した。
「その話が本当かどうか分からぬでは、そちを行かせるわけにはいかん。もし本当なら、わしから王やアンドレとやらには伝えておこう。この者を捕らえておけ」
使者が縛られたまま連れて行かれると、大公は考えに耽った。
 もともと、この戦いに勝ち目は無いと彼は考えていた。なにせ、相手は東側世界をほとんど統一している超大国である。今回送ってきた軍勢は、グリセリード軍の、ほんの一部だろう。たとえ奇跡的にこの戦いに勝ったとしても、次にはもっと多くの軍勢を送ってくる可能性もある。そうなれば、アスカルファンは滅亡し、グリセリードの支配下に置かれることになる。
彼はポラーノのカルロスからの申し出の事を考えた。あの時は、グリセリード軍が山を越えてやってくるかどうか半信半疑だったので、返事をしなかったのだが、その言葉どおりにグリセリード軍はやってきた。今の使者の話が本当なら、グリセリード軍は矢の大半を失って、戦力を落としているということだから、そこに味方を申し出れば、恩を売るいい機会というものかもしれない。……アドルフは、にやりと笑った。

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