ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
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論理性の強い分野である推理小説とSF小説の作家には、ロリコン性癖の人間が多いのではないか、というのが私の推定だが、なぜそうなるかというと、合理的思考の癖がある彼らは恋愛が性に合わないからで、女性との会話が苦手だろうと推測するからである。
で、純粋に美的観点からは、女性の美は十代で絶頂だと言えるのではないか? これはロリコンという言葉の語源である「ロリータ」の中にある思想である。もっと言えば、ロリコンの人間には実はセックス嫌悪症かセックス恐怖症があると思う。だから、性的に無知で無垢な少女を好むわけだ。男がセックス、あるいは処女の破瓜を「汚れ」と感じるのは、精液と小便が同じくペニスを通って放出されることからの自然な連想だろう。これは神の皮肉ないたずらだろうか。多淫な女性を「公衆便所」と言うのも同じ連想である。
たとえば、推理小説とSF小説双方の鼻祖であるエドガー・アラン・ポーの作品には成熟した大人の女性はまったく登場しない。出ても、影のような、存在感の無い描写だろう。これは、知的思考を愛好する人間にとって恋愛ほど嫌悪すべき「不合理そのもの」は他になく、セックスは理性を失った「獣の交尾」であるからである。ドイルも、シャーロック・ホームズを独身者、どちらかというと女性嫌悪症に描いている。
以上の考察は、古本屋で買ったロバート・F・ヤングの「たんぽぽ娘」の解説に、ヤングがかなりなロリコンだと書いてあったことから、これはSF作家全体、ひいては推理小説作家にも共通する傾向ではないか、と思ったからである。たとえば、ハインラインの「夏への扉」など、ロリコン小説でもある。
で、もしかしたら、「大人の女性への嫌悪症」というのは、小説家にはかなり多いのではないか、とも思う。もちろん、エロ小説に類する小説を書く作家はべつである。論理的傾向の強い作家、夏目漱石とか森鴎外とか芥川龍之介などには、そうした性癖が潜在していたように思える。
(以下引用)
エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年1月19日 - 1849年10月7日)は、アメリカ合衆国の小説家、詩人、評論家。
人物
マサチューセッツ州ボストンに生まれる。旅役者であった両親を早くに失い(父親は蒸発、母親は死亡)、名づけ親の商人アラン家に引き取られ、幼少期の一時期をロンドンで過ごした。帰国後17歳でヴァージニア大学に進む。学業成績は極めて優秀で、詩人としても認められるが、賭博、大酒で悪名を馳せる。養父アランと賭博の借金が原因で仲たがいになり退学。家を出て陸軍に入隊。いったん除隊して養父とのよりを戻し、こんどは士官学校に入学するもなじめず、規則違反行為で退学処分。その後、文筆で身をたてるべく詩や短編小説を創作し始める。(筆名には、養家名のアランをそのまま名乗ることはなく、ほとんどエドガー・A・ポー、あるいはエドガー・ポーとしている) ゴシック風の恐怖小説「アッシャー家の崩壊」「黒猫」、世界初の推理小説と言われる「モルグ街の殺人」、暗号小説の草分け「黄金虫」など多数の短編作品を発表、また1845年の詩「大鴉」でも評判を取った。また同時に有能な雑誌編集者であり、文芸批評家でもあったが、飲酒の悪癖などでトラブルを起こす癖はなおらず、いくつもの出版社を渡り歩いた。1833年、当時まだ13歳だった従妹ヴァージニア・クレムと結婚するが、1847年に貧苦の中で結核によって彼女を失い、その2年後にポー自身も謎めいた死を遂げた。
ポーはアメリカにおいて文筆だけで身を立てようとした最初の著名な作家であったが、文名を得てからもその生活はほぼ常に貧窮の中にあった[1]。その作品は当初は本国よりもむしろヨーロッパで評価され、特にボードレールによるポーの翻訳はフランス象徴派の文学観形成に大きく寄与した。またポーが「モルグ街の殺人」で作り出したC・オーギュスト・デュパンの人物像は以後の推理小説における探偵の原型となっており、ポーは近代推理小説の開祖とみなされている。そのほか科学的知見を取り入れた『アーサー・ゴードン・ピムの物語』などの冒険譚はジュール・ヴェルヌら後世のSF作家にも影響を与えている。
で、純粋に美的観点からは、女性の美は十代で絶頂だと言えるのではないか? これはロリコンという言葉の語源である「ロリータ」の中にある思想である。もっと言えば、ロリコンの人間には実はセックス嫌悪症かセックス恐怖症があると思う。だから、性的に無知で無垢な少女を好むわけだ。男がセックス、あるいは処女の破瓜を「汚れ」と感じるのは、精液と小便が同じくペニスを通って放出されることからの自然な連想だろう。これは神の皮肉ないたずらだろうか。多淫な女性を「公衆便所」と言うのも同じ連想である。
たとえば、推理小説とSF小説双方の鼻祖であるエドガー・アラン・ポーの作品には成熟した大人の女性はまったく登場しない。出ても、影のような、存在感の無い描写だろう。これは、知的思考を愛好する人間にとって恋愛ほど嫌悪すべき「不合理そのもの」は他になく、セックスは理性を失った「獣の交尾」であるからである。ドイルも、シャーロック・ホームズを独身者、どちらかというと女性嫌悪症に描いている。
以上の考察は、古本屋で買ったロバート・F・ヤングの「たんぽぽ娘」の解説に、ヤングがかなりなロリコンだと書いてあったことから、これはSF作家全体、ひいては推理小説作家にも共通する傾向ではないか、と思ったからである。たとえば、ハインラインの「夏への扉」など、ロリコン小説でもある。
で、もしかしたら、「大人の女性への嫌悪症」というのは、小説家にはかなり多いのではないか、とも思う。もちろん、エロ小説に類する小説を書く作家はべつである。論理的傾向の強い作家、夏目漱石とか森鴎外とか芥川龍之介などには、そうした性癖が潜在していたように思える。
(以下引用)
エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809年1月19日 - 1849年10月7日)は、アメリカ合衆国の小説家、詩人、評論家。
人物
マサチューセッツ州ボストンに生まれる。旅役者であった両親を早くに失い(父親は蒸発、母親は死亡)、名づけ親の商人アラン家に引き取られ、幼少期の一時期をロンドンで過ごした。帰国後17歳でヴァージニア大学に進む。学業成績は極めて優秀で、詩人としても認められるが、賭博、大酒で悪名を馳せる。養父アランと賭博の借金が原因で仲たがいになり退学。家を出て陸軍に入隊。いったん除隊して養父とのよりを戻し、こんどは士官学校に入学するもなじめず、規則違反行為で退学処分。その後、文筆で身をたてるべく詩や短編小説を創作し始める。(筆名には、養家名のアランをそのまま名乗ることはなく、ほとんどエドガー・A・ポー、あるいはエドガー・ポーとしている) ゴシック風の恐怖小説「アッシャー家の崩壊」「黒猫」、世界初の推理小説と言われる「モルグ街の殺人」、暗号小説の草分け「黄金虫」など多数の短編作品を発表、また1845年の詩「大鴉」でも評判を取った。また同時に有能な雑誌編集者であり、文芸批評家でもあったが、飲酒の悪癖などでトラブルを起こす癖はなおらず、いくつもの出版社を渡り歩いた。1833年、当時まだ13歳だった従妹ヴァージニア・クレムと結婚するが、1847年に貧苦の中で結核によって彼女を失い、その2年後にポー自身も謎めいた死を遂げた。
ポーはアメリカにおいて文筆だけで身を立てようとした最初の著名な作家であったが、文名を得てからもその生活はほぼ常に貧窮の中にあった[1]。その作品は当初は本国よりもむしろヨーロッパで評価され、特にボードレールによるポーの翻訳はフランス象徴派の文学観形成に大きく寄与した。またポーが「モルグ街の殺人」で作り出したC・オーギュスト・デュパンの人物像は以後の推理小説における探偵の原型となっており、ポーは近代推理小説の開祖とみなされている。そのほか科学的知見を取り入れた『アーサー・ゴードン・ピムの物語』などの冒険譚はジュール・ヴェルヌら後世のSF作家にも影響を与えている。
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