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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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フクシマというと原発だが、福島というと千里である。
この福島千里インタビューは、たまたまテレビで見たが、面白かった。アメンボ走法、スーである。

(以下引用)

122: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/10/01(水) 23:13:57.64 ID:YxTg3t6e.net
修造「速さの秘訣は何なんですか?」
福島「とにかく速く走るんです。スー、みたいに」

修造「速さのコツはみたいなものはありますか?」
福島「スパイクとか履けばみんな速く走れますよ?」

修造「福島選手の走法だと、どうしてタイムが縮むんですか?」
   (腕を上下に動かし)
福島「こう行ったら、ひゃくなんじゅう…105センチとかになるかもしれないですもん」

修造「福島選手の理想の100mとはどんなものなんですか?」
福島「あーーーっと終わるといいなって。終わっちゃった、みたいな。はやーい。スー」

 

133: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/10/01(水) 23:16:43.41 ID:Khgzr12G.net
>>122
最後の方酷すぎて草

 

152: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/10/01(水) 23:21:30.89 ID:+1V4DdSE.net
>>122
福島「あーーーっと終わるといいなって。終わっちゃった、みたいな。はやーい。スー」←ここ儚い

 

127: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/10/01(水) 23:15:07.20 ID:yq7v3kzc.net
>>122
スー
ってなんやねん

 

130: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/10/01(水) 23:16:05.04 ID:xMrewIk3.net
>>127
どんでんみたいなもんじゃね

 

151: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/10/01(水) 23:21:27.00 ID:/ak3m1Ka.net
>>122
まあ本人は色々考えてるんやろ
残念ながら記号化できないだけで

 

139: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/10/01(水) 23:18:25.98 ID:68zLFfJ7.net
>>122
たぶんコツとか何を考えてとか聞いてもダメなんだと思う
糸井に何を考えて打つかと言ってるようなもんやろ

 

155: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/10/01(水) 23:22:16.95 ID:0sX1+ZcM.net
スーの動画 3分15秒ぐらい

福島千里 アメンボ走法2 - YouTube
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まあ、横浜も巨人に対してだけは勝ってほしいのだが、それはナベツネや読売が大嫌いなだけだから。その私も報知新聞は買ったりするから矛盾している。
しかし、スポーツ紙の中で報知だけがエロ記事を載せないので、家に持ち込めるから報知を買うしかない、という状況は何とかならないか。エロ記事に大きな需要がある、というのはスポーツ紙デスクや社長の大きな誤解だと思う。今どき、スポーツ紙のエロ記事が楽しみ、というオヤジがどれほどいるのか。なお、関西のスポーツ紙は阪神オンリーの紙面作りが伝統で、他球団ファンにとってはそれも非常に不愉快である。
他者に対して攻撃的な、声の大きい「熱狂的」人物は社会的な運動体の中心を作りがちで、その結果、社会はどんどん非寛容な、息苦しい、そして全体主義的なものになる。それはプロ野球の「応援団」を見れば分かる。あの応援席(という不可解な場所)の中に、「静かに試合を見て楽しみたい」という人間が放り込まれたら地獄だろう。



(以下引用)



小田嶋隆 @tako_ashi  ·  4 時間

個人的には負け試合もそれなりに楽しめるのが心豊かなファンだと思っています。

「バカ国民帝国日本の滅亡」から転載。
ヤンキースにおける松井とイチローの扱いのあまりの差別ぶりにいつも私はイライラさせられていたのだが、松井は「日本とのコネクション」という商売上の理由から盛大に持ち上げられ、一方、イチローにはそれが無い、ということだろう。イチローの場合は、マリナーズでの居心地が悪くなって、緊急避難的にヤンキースに入った、というのも「足元を見られ、安く扱われる」原因になっているのではないか。もちろん、ジラルディ監督がイチローを嫌っている可能性もある。イチローのようなタイプのバッターを7番や8番に置く、という馬鹿げた采配は、イチローをわざと働きにくくさせている、としか思えない。
それはともかく、サッカーに関しては、下の記事の言う通りだろう。日本人にはもともとサッカーというスポーツは合わないのだから、アマチュアだけで遊ぶスポーツとして今後はやっていく方がいいのではないか。金の動く、プロサッカーは、日本では根付かないだろう。何より、見ていて面白いスポーツでもないのだから。


(以下引用)



サッカーという”うんち”にタカるハエども
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「3S政策」だからってことでもなく、オリンピックも、それ以外のスポーツも、いまや汚物でしかない。




やっぱり、「市場原理」などを闇雲に推進したせいであろう。




本来、市場化も、産業化も、そんなに悪いことではなかったと思うのだが、人間の卑しさ、愚かさが、いろんなものを歪めてしまう。




宗教や科学にかぎらず、カネと権力が絡んでくると、急速に”劣化”が始まる。




スポーツや芸能も例外ではない…というだけのことなのだ。きっと…





再び『紙の爆弾』7月号の記事から。




サッカー利権に群がるNHKや電通などのハエの存在が指摘されている…





現地で反対デモも行われているW杯ブラジル大会。




世界220か国、のべ265億人の視聴者が見込まれている。




オリンピックでも50億なので、ケタが違う。





このように「市場化」というのは、反多様性を通常伴う。「メジャー」になることで、市場も巨大化する。




アメリカが、日本などに肉食やパン食を普及させたのと、”狙い”は共通する。




この「市場化」で、アメリカの小麦メジャー、畜産メジャーが儲かるわけである。





この場合、単に「儲かる」だけではない。日本人の胃袋を「支配」してしまう意味がある。





それじゃあ、「日本食」へ回帰すればよいかというと、今度はその「日本食」が「市場化」されてきている。




その「日本食」は「日本職」が支えているのか?…というと、そうではない。





いろんなものを、世界に売っていけばいいなんて言う人がいるが、その際には「市場化」が伴い、その”反作用”を受けずにはいかないということに留意していただきたいものである。




「市場化」には、副作用が伴うことが多い。




「カネになる」と人々が思った瞬間、そこには”闇”がつくられるのである。





さて、日本のサッカーブームは1993年のJリーグ発足で沸き起こったが、数年でそのブームも過ぎたのだとか…Jリーグもメディアからは、ほとんど注目されずにいる。




野球人口840万に対し、サッカー人口610万人。ちょっと少ないだけなのに。




世界のサッカー人口は、プレーをする人々が2憶5千万人を超える。





よって、動くカネも大きく、世界レベルでは野球と比べても遜色はないのだ。





田中将大のヤンキース入りの契約金が、7年契約で約162億円。年棒にして23億。




対して本田圭祐のイタリア・ミラン入りが三年半で27億円。年棒にして7億7千万という健闘ぶり。




しかも、背番号「10」という”破格の待遇”がついている。





これのなにが”破格”かといえば、一時代を築いたスーパースターばかりが背負ってきたシロモノ。




本田は本拠地デビューで初ゴールで飾って、サッカーファンを喜ばせたが、実は、この背番号「10」は、本田の実力に期待したものではなかったのだ。




では、なんに期待しての背番号「10」だったのだろう?…





本田の鮮烈デビューを受け、さっそくNHKが動いた。放映権の独占が狙いだった。




日本代表のエースが、セリアAのビッグクラブACミランに入団したということで”市場価値”が高まったというわけだが、狙いはそれだけではない。




このワールドカップの放映権こそが”本丸”だった。ブラジル大会の放映権料は400億と高額。





W杯の日本代表戦となれば、視聴率は50%越えもありうる。もう頭の中は札束でいっぱいだ。





…ということで、メディアは現実、カネのことしか考えていない。




そういう連中が、煽り、誉めそやしても、シラケるだけなのだが、テレビを見る人というのは、そもそもそういうのにかる~く乗せられる人々だから、飽きもせず、喜んで見ているわけであった。




本田に対する現地の評価には、厳しいものが少なくない。





ヤンキース入りした松井秀樹が「55」の背番号を与えられ、インタビューでは常に監督が”称賛”していたのを思い出してみよう。




あれは、なぜだったのだろう?…





1994年に三浦和良がセリエAに移籍したときには、6億円のスポンサーがついていったという。




移籍先のジェノアCFCは、大喜びでカズを迎え入れた…





つまり?…松井の場合もそうだったろうし、本田圭祐の場合もそうなのである。




カネのためなら、背番号くらい安いものである…




本田の移籍で、球団グッズの売り上げや、日本人の観戦客の増大、さらにアジア市場進出も”あわよくば”と狙っている。




ミランは、さっそく複数の日本企業とスポンサー交渉を始め、固定で年間8億5千万を獲得。




その後、本田への年棒3億5千万に対し、日本企業とのスポンサー契約は14億円にも達したのだという。




富士通や東洋ゴムなどが、そのなかに食い込んでいる。





ミランは日本企業だけでなく、中国やスイス、アラブの企業などともこうした契約を結んでおり、その中には”アウディ”も含まれている。




また、こうした契約の仲介に絡む者たちもいて、日本の場合は、それが電通なのである。




(電通は、日本の試合時間が日本時間の”ゴールデンタイム”になるようにと、工作もしている)





まあ、こういうことで、拝金産経なども、「ナショナリズム」がどうの「日本ガンバレ」だのという記事を書いているわけである。




そういうのを読んで、それを「愛国心」だとか「保守」だとか勘違いしているバカが、ネトウヨである。





振り込め詐欺に引っかかって熱くなるのも、スポーツだの軍事だので熱くなるのも大した違いはない。




ただの浮かれた熱病や、痴呆症の類を「愛国」と呼ぶなら呼んでいればよいし、「保守」と呼ぶなら呼んでいればよい




まあ、それよりは、「認知症」の呼称を「愛国病」とか「保守病」とかにしたほうがよいかもしれない。




テレビやネットで”感染”する、恐ろしい”死の病”の名前なんだが…


今、読んだばかりの記事である。昨日、私が書いたことは間違いではなかったようだ。サッカーをテレビ観戦した回数が10回にも満たない素人が見ても、曇りの無い目で見れば、日本チームの欠点は明白だった、ということだ。
「枠内シュート率」の低さ、とは、シュートの精度の低さも原因だろうが、実は、「狙いすぎ」が根本にあるのではないか。つまり、自分のシュートの精度の低さを自認しておらず、無理にコーナーを狙う結果、大きく外すことになるわけだ。下手なら下手なりに、ど真ん中に全力で蹴り入れれば、キーパーが弾き損ねることもある。もちろん、シュートの「破壊力」があってのことだが、昔の釜本のシュートにはその破壊力があった。今の代表選手に、そういう破壊力を持ったストライカーはいるか。


(以下引用)



スペインメディアが見た日本。「日本代表はボールを手にした。だが、最も大事なものに欠けていた」。低い枠内シュート率、明暗を分けた決定力の差

1-4と大敗を喫して敗退が決定したコロンビア戦。スペインメディアはどう見たのだろうか? アス紙は独自の統計データを用いて両チームを分析した。


2014年06月26日


text by 山本美智子 photo Getty Images

 
 

日本の7/17回(41%)に比べてコロンビアは4/9回(57%)


スペインメディアが見た日本。「日本代表はボールを手にした。だが、最も大事なものに欠けていた」。低い枠内シュート率、明暗を分けた決定力の差
スペインメディアは日本代表をどう評価したのか【写真:Getty Images】


「コロンビアとハメスが抜き去った」(マルカ紙)、「ハメスとジャクソンがなぎ倒す」(アス紙)、「ジャクソンのリズムでゴール祭り」(スポルト紙)といった具合に、日本対コロンビア戦について、スペインメディアはコロンビア代表中心に見出しをつけた。


 進出を賭けて勝利を狙いフルメンバーで臨んだ日本代表が、進出を既に決めており通常スタメンを3人しか据えなかったコロンビア代表にいいように翻弄されたのだ。「1軍半以下」で組まれたコロンビア代表の活躍に世界が拍手を送るのは道理だろう。


 では、スペインメディアは日本代表をどう評価したのか。


「日本代表はボールを手にしていた。だが、ギリシャ戦と同様に最も大事なものに欠けていた? ゴールだ」


 マルカ紙の日本代表に対する指摘は簡潔だった。“得点不足”だ。正確には攻撃力というよりは決定力不足なのでは、と思わせるデータを示したのはアス紙だ。同紙は日本とコロンビアのシュート数を表にして選手別に表示して分析した。


 こういったデータ自体はスペインメディアが好んで掲載するもので、別に目新しいこともないが、その結果は現実を如実に突きつけていた。日本代表は90分間の試合で、実に11人もの選手がシュートを放っており、試合を通して17回ゴールにボールを放っていた。


 一方のコロンビアは、日本の5割弱に当たる9回。シュートを放った選手は7人だ。だが、ゴールを捉えた数は日本の7回(41%)に比べてコロンビアは4回(57%)。数より質で優位に立っている。

香川、本田、大久保、岡崎で4/13回(30%)。ジャクソン&ハメスで3/4回(75%)

 これを選手別に見ると、両代表の決定力の差は更に明らかになる。コロンビアは、PK以外にプレーからジャクソン・マルティネスとハメス・ロドリゲスが得点を決めたが、ジャクソンが放ったシュートはたった2回。その2回がゴール枠内に入り2得点に結びついているのだから、まさにこの試合における的中率は100%ということになる。


 そして、ハメスもやはりシュートを放った数は2回だけ。そのうち1回をゴールに変えたのだから、その確率は50%。二人合わせて75%という決定力の高さだ。


 一方、日本代表は香川、本田、大久保、岡崎の4人で実に13回ものシュートを放っているが、ゴール枠を捉えたのはそれぞれが1回だけ。数字にすれば30%だ。


 もっとも、これはアス紙によるアス紙の統計データだ。公式発表に右に倣えの日本メディアには理解しがたいかもしれないが、スペインではFIFAやスペインリーグなど公式機関が提示するデータとは別に、個々のメディアが自社固有のデータを駆使している。


 公式データとぶつかることがあっても、公式機関や主審だって誤ったジャッジのもとデータを公表し、後から改正することもあるのだから、と堂々としたものだ。


 もとい、FIFAが出している“公式データ”はというと、日本代表のシュート回数は23回、コロンビアは13回だ。だが、ここで大事なのはシュート回数が変わったところで結果は変わらないという点だろう。


 日本代表がシュートを17回放とうが、23回放とうが、入ったゴールの数は1、コロンビアが9回打とうが、13回打とうが、4得点決めたという事実は変わらないのだ。

本田の日本代表における重要性が逆に弱点に


スペインメディアが見た日本。「日本代表はボールを手にした。だが、最も大事なものに欠けていた」。低い枠内シュート率、明暗を分けた決定力の差
香川にとっても、代表レベルでは世界の壁は高かったことが明らかになった【写真:Getty Images】


 前試合、ギリシャ戦でベンチスタートした香川が再びスタメン出場を果たし、前回の2戦に比べるとずっと良い内容の試合を行なったとはいえ、クラブでは世界レベルで肩を並べる香川にとっても、代表レベルでは世界の壁は高かったことが明らかになった。


 マルカ紙は「ようやく香川のベストバージョンが現れ、本田とうまく絡んだものの、サムライが得た好機を大久保は生かすことができなかった」と記した。


 ザッケローニ監督は“ベストバージョンではなかった”香川をギリシャ戦でベンチスタートさせたものの、後半にはやはり彼に頼らなければならなかった。そして、全てがかかった第3戦、コロンビアとの対戦では再び香川に戻ってきたところに、日本代表の攻撃陣の層の薄さ、限界が集約されていたと言えるだろう。


 あるスペインのラジオ局は、本田の日本代表における重要性が逆に弱点につながったと分析した。本田が輝く時、代表も輝く。だが今回、試合でフィジカル的に無理があることがピッチ上で明らかだった本田の体調が代表全体に影響したという考え方だ。


 いずれにせよ、「2002年、2010年に期待されたような質を求められる飛躍をできずに、日本代表は終わった」(スポルト紙)のだ。スペイン視点で見ても、南アフリカW杯での日本代表の活躍が未だに脳裏に残っているだけに、残念な結果となった。


【了】





日本はあっさり予選敗退したが、ワールドカップはこれからが本番だ。サッカー嫌いの私だが、見ていれば、日本代表選手の欠点は分かる。他国の選手と比べて、圧倒的にゴールへのシュートやヘディングが下手くそすぎる。と言うより、ゴールから大きく逸れるシュートしか見たことが無い。まあ、第一戦の本田のシュートは見事だったが、本田もあの一発で終わり、である。(本田の運動量の少なさ、体力の無さは前々かららしいが、それでよくあれほどのスター選手になったものだ。もっとも、マスコミに作られた部分の多いスターだが。)
そもそも、日本にはストライカーと言えるほどの選手がいるのか。香川も大久保も世界レベルのストライカーでは絶対にない。みんな、その力量も無いくせにコーナーを「狙いすぎ」で、結果的には惜しいシュートにすらならず、大きくゴールを外している。他国の選手(ストライカー)を見ると、よくもこんな隙間から、としか思えないわずかな隙間から正確無比なシュートを放ち、あるいはどんぴしゃのタイミングで軽く蹴り入れる。つまり、彼らは「ストライカー」だが、日本にはそういう選手はいない、ということだ。
大久保は自信家らしいが、シュートの不正確さが目立ち、国際レベルではないことが明らかだ。香川は逆に、自分でシュートするより、誰かにボールを回したがる性格だ、と聞いたことがあり、これもストライカーではありえない。他の選手のことは知らない。やはり、釜本、ゴン中山といった、過去の名選手の中にしか、ストライカーと言える選手はいないのではないか。つまり、今の日本のサッカーは、小器用なボール扱いに長けた選手がやたらにもてはやされ、豪快にストライクを決める選手が払底している、ということだろう。
釜本を嫌うサッカーファンが多いようだが、過去の実績も、サッカーを見る目も抜群だ、と私には見える。日本の現在のサッカーを褒めないところが、サッカーサポーターたちの気にくわないのだろうが、そういう「明らかな事実を認めない」連中が日本のサッカーの発展を阻害しているのではないか。




釜本邦茂氏が指摘「積極的にストライカーを養成しなければ」
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 主力抜きのコロンビアに1-4と惨敗し、ブラジルW杯から去った日本。

 コンディション調整の失敗や交代枠を使い切らないザッケローニ監督の采配に批判が集まるが、サッカー元日本代表FWで1968年メキシコ五輪得点王の釜本邦茂氏(70)は、日本代表の最大の課題を、圧倒的なストライカーがいないことだと指摘する。

「日本では、ボール扱いに長たけた子どもがサッカーの上手な子と評価され、ボール回しやドリブルの練習に重きが置かれている傾向がある。これからは積極的にストライカーを養成することが大事だ。ゴールを置いて2対1、3対2でシュートに持ち込む練習などもっとやらないと。いつまでも『ストライカーが出てこないかなあ』ではどうしようもない」

 代表歴代最多の75得点を誇る釜本氏から出た言葉だけに重い。
球技の世界ランキングである。
まあ、ネタ元は不明だし、野球などは、アメリカと日本以外ではほとんど普及していないスポーツだから、野球ファンが威張ることでもない。
とりあえず、世界の三流水準でしかない日本のサッカー選手をやたらにCMに使うことだけはやめてほしいものだ。


(以下引用)

1: 名無しさん@まにゅそく 投稿日:2014/06/24(火) 04:24:20.33.net

野球・・・2位
ラグビー・・・10位
ホッケー・・・14位
水球・・・15位
バレーボール・・・17位
アイスホッケー・・・21位
ハンドボール・・・22位
バスケットボール・・・35位
 ・
 ・
 ・
サッカー・・・46位

電通にだまされた


3: 名無しさん@まにゅそく 投稿日:2014/06/24(火) 04:46:28.01.net

弱すぎ、大半はイギリスとかドイツにも負けるんだろうな


4: 名無しさん@まにゅそく 投稿日:2014/06/24(火) 04:47:16.38.net

やきうすげええええええ


5: 名無しさん@まにゅそく 投稿日:2014/06/24(火) 04:48:00.13.net

確かアメフトも2位じゃなかったっけ?


6: 名無しさん@まにゅそく 投稿日:2014/06/24(火) 04:53:32.12.net

でも水球もホッケーもバスケもオリンピック出れないレベル



(追記)某サイトの、日本のWカップ総括スレッドから、思わず笑ったコメント。


377 名前:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/:2014/06/26(木) 02:01:03.62 ID:SeI22Zpz0.net

4年毎に同じ反省を繰り返す人達。
もう20年続いてるね。








 


さて、後3時間後くらいには結果が出るわけだが、誰がどのセリフを言うか。日本のマスコミの馬鹿騒ぎのせいで、私のサッカー嫌いは拍車がかかってしまったようだ。


(以下引用)



【日本代表の敗戦後コメントテンプレ】

・自分達のサッカーができなかった
・課題が見つかった
・チャンスはあったが決めきれなかった
・気持ちを切り替えてやるしかない
・守りに入ってしまった
・最高の準備をして次に向けて修正したい
・応援してくれた皆さんの期待に応えられず申し訳ない気持ち
・今は何も考えられない
・これが今の僕たちの実力なのかなと





(念のため追記)「ギャラリー酔いどれ」より抜粋。



◆http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/834.html
投稿者: てんさい(い) 日時: 2014 年 6 月 22 日 KqrEdYmDwf7cM
福島を食べて応援の人物がW杯日本専属シェフだ
  米も食材も、すべて福島産放射能汚染物
  これで日本代表が勝てるわけがない


より抜粋、

☆http://www.nikkansports.com/brazil2014/news/f-sc-tp0-20140622-1321798.html
日刊スポーツ 2014年6月22日
◎日本代表「疲れたまっている」と休養選ぶ


☆http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/05/09/kiji/K20140509008124740.html
ザックジャパン4強見据え…ブラジルに日本の魚を大量輸送

ブラジルに日本の魚を大量に持ち込むことを明かした西シェフ

サッカー日本代表がW杯ブラジル大会(6月12日開幕)でベースキャンプを張る
イトゥに日本の魚を大量に持ち込むことが判明した。

西 芳照専属シェフ(52)が8日、
福島県で自身が経営するレストラン「アルパインローズ」で取材に応じ
「日系人の多いサンパウロは日本の食材が手に入りやすいが、
日本の魚はないので用意する」と明かした。

4強進出を見据え、銀だら、銀むつ、さば、ほっけなどを
100キロ単位で輸送する方向で手続きを進めている。

食材は90品目程度をそろえる予定で、日本から持ち込むのは約10品目。
現地でサーモンなどは調達できるが
「現地感を出すと選手はあまり食べない」との理由から
日本の食材確保に全力を注ぐ。
白米については米国で栽培した日本ブランド米を現地で調達することが可能。
暑熱対策として鉄分の多い、ひじき、レバーなどを積極的にメニューに取り入れる方針だ。

西シェフは「愛する人に料理を作る気持ちになって、マンネリ化しないようにしたい。
選手がびっくりするような料理も用意できれば」とサプライズメニューを仕込むことも示唆した。







「阿修羅(simatyan2のブログ)」から転載。
なるほど。こういう観点は私には無かった。ただ、なぜ欧州のクラブチームが、戦力にならない日本人選手をチームに入れるのか、という疑問への答えとしては、これ以外には無さそうである。


(以下引用)




ただ、このサッカーの明らかに戦力外の日本人選手が、なぜ
あんなに欧州チームに所属できるのか、それが不思議だった
のです。


しかし、すべては放映権料を高騰させて大もうけするための
布石だったんですね。

「haffington post」日本版から転載。
サッカー派の書いた文章であり、しかも筆者は、私が嫌悪する「経営コンサルタント」といういかがわしい職業の人間だが、ここに書かれた分析はなかなかいいと思う。実際、私は「グローバリズム」も嫌いだし、「製造業」が好きで「ITビジネス」が嫌いだ。全方向に抜け目なく目を配る「巾着切り」的人間が嫌いで、「一所懸命」の職人的人間が好きだ。つまりは古いタイプの人間だから、新しいものはおおむね嫌いである。ということで、サッカー派と野球派の違いを「精神的体質」(?)から見たこの論考は、かなり正しいと思う。
もっとも、その両者をアウフヘーベンすることが可能(と筆者は見ているようだが)かどうかはまた別である。


(以下引用)





倉本圭造 Headshot

サッカー派と野球派はなぜ仲が悪いのか?

投稿日: 更新:
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前回は余談に入って任天堂ゲーム機vsソニーゲーム機だとか妖怪ウォッチだとかいう話になってしまったんですが、気を取り直して、ワールドカップに合わせて「サッカー文化とは人類にとって何なのか」という大上段な論考を書きます。


サッカーというのは不思議なスポーツで、ワールドカップに出てない年でも、期間中はお祭り騒ぎになるほどに人気な国があるかと思えば、逆に特にアメリカ人なんかはいまだに、「ワールドカップ?ああ、やってるらしいね。ところでアメリカって出てるんだっけ?(最近ずっと出てますよ!)」的な人が結構いたりする人気の偏在っぷりが特徴です。


日本人の間でも、なんとなくWBCとワールドカップはオリンピックと同じノリで応援する(けどそれぞれのスポーツについて普段は全然気にもしない)・・・という層を除けば、「俺は明確に野球ファン」だという人で「熱心なサッカーファンでもある」人はかなり少なく、その逆も真であるようです。


私は小学生の頃サッカー少年団に入っていましたし、日本で野球をやってる人間の、「俺達が日本の中心で、野球やってない奴は日陰者」みたいな傲慢さを持っているような感じが(今はそうでもないですが子供の頃は)嫌いで、結構サッカー派よりで生きてきたと思います。友達と草サッカーはやったことがありますが、草野球は一度もやったことがありません。


一方で私の妻などは、明確にサッカー嫌いの野球派で、カープファンでもないのに前田智徳(サッカー派のあなたのために解説すると、長く怪我に泣かされたので数字的に飛び抜けているわけではないが、数多くのプロ同僚たちに唯一無二の打撃の天才と称された伝説的な選手)のバッティングについて熱く語れるくせにサッカー日本代表はホンダぐらいしかわからん・・・ってアラサー女子としてどうなんだ?というような感じだったりします。(今回のコートジボワール戦も、前半は一緒に見てたんですが、そのうちツマランとか言ってどっか行ってしまいました)


ネットでもよく喧嘩になっているところが、ちょっとソニー製ゲーム機派と任天堂製ゲーム機派との対立に似ているな・・・というところから前回の脱線話に繋がったわけですが、この両者の争いは、まあネタとして面白いから口喧嘩しているというのもありつつ、根底的には両スポーツの成り立ちの背後にある物事の捉え方・価値観の対立なんですね。


私は結婚してから、野球好きの妻に連れられて、ドラゴンズの試合を結構見に行くようになりました。そうすると、大人になって初めて野球場に行った分、「サッカー文化」との違いが色々と印象的でした。


やはり一番の特徴は、野球には「打席」とか「マウンド」とか、そういう「固定的な場」があるってことなんですよね。その「場」っていうのはもう「天与」のもので、何人もそれを侵すことができない聖域です。


そして、チーム内ではあまり有名な選手ではないかもしれない、年に数回しか出番のない代打選手でも、ことその「打席」に入っている時間だけは「唯一無二のキーパーソン」なのです。球場全体がその選手の名前を連呼して応援してくれます。他のことは一切考えなくてもいい。ただ投げ込んでくるボールをいかに打つか・・・だけに集中できる。


サッカーはそういうわけにいきません。ゴールを決めた選手だけが、スタジアム全体の自チームサポーターの歓喜と敵チームサポーターの恨みを一身に受けて「圧倒的な主役」になります。そして時にラストパスを出したアシストの選手も多少は褒められますが、その数手順前に重要な局面の転換を起こした知られざるプレー・・・などは人目に触れることはほとんどありません(よっぽどのマニア観客は見ていてくれますが、下位打者でも打席に立ったら誰でも球場全体に名前を連呼してもらえる野球選手とは比べ物になりません)。また、ディフェンダーやゴールキーパーの選手などは、敵の攻撃を止められて当然、止められなければ許されざる戦犯扱い・・・というなんともツライ立場におかれます。


しかしだからこそ一方で、サッカーには当然サッカーにしかない魅力があります。サッカーはとにかく自由です。ディフェンダーだって攻撃に参加してもいい。「打席」という制約がない分、ボールを受け取ったらドリブルしてもいいしパスをしてもいいしシュートを打ってもいい。ありとあらゆる創意工夫をすることができます。


つまり、大雑把にまとめると、野球選手はキャリアの中で「同じこと」を物凄い回数練習し、技術を磨き上げ、それを披露する「一所懸命」型のスポーツであるのに対して、サッカー選手はキャリアの中で常に「全くあたらしいシチュエーション」に出会い続け、その場その場での創意工夫を披露し続けることが求められる、「千変万化」型のスポーツだということです。


(もちろん、野球選手が「同じこと」をするといっても相手の投手によってそれぞれ彼らにとっては「全然違う」レベルの違いに出会い続けているのでしょうし、サッカー選手も「固定的な技術」を積み上げていくべき領域がある・・・・というのはわかります。しかし比較問題で言えば、野球選手にとって投球が5センチずれたらそれは戦局に決定的な違いをもたらしますが、サッカー選手にとってはシュートが5センチ差で入るか入らないか・・・よりは、「そもそも5センチ違っても入るシチュエーションを作ること」が決定的な違いとなることが多い・・・という比較問題としてはみなさん納得していただけると思います。)


そしてその違いは、ファンの価値観の違いにもなります。


時代の流れに敏感に反応して、最速のスピードで気の利いたアプリを提供するゲリラ的ITビジネスの会社があったとして、そこの社員に「サッカー派と野球派」のどっちが多いか?というと、明らかにサッカー派が多いでしょう。


一方で、「一所懸命」的に事業ドメインを確保し、そこに必要な技術や取引関係などを長い時間かけて積み上げていくことで価値を出している伝統的製造業の会社・・・などでは、まあ世代によりますが大きく見れば野球派が圧倒しているように思います。


なんか、こう書くと、両者の仲が悪いのは結構当然かもしれないような気すらしてきますね。


つまり戯画的な言い方をあえてすると、


野球派から見てサッカー派は、「自分だけの本業」に腰を据えて地道に積み重ねていく根性のない根無し草のチャラいだけのお調子者たちに見える


のに対して、


サッカー派から見て野球派は、自分たちの慣れ親しんだやり方に固執して時代の変化に対応しようとしない鈍重で時代遅れな人たちに見える


・・・・わけです。


一つの国における「最大のメジャースポーツ」は、国民の日常生活のあらゆる場所での意思決定のモードに決定的に影響を与えます。また逆に、そういう国民の日常生活のあるモードが、その国民なりの「そのスポーツのやり方」に影響することも、南米・アフリカ・ヨーロッパそれぞれのチームが実に「それっぽい」サッカーをしていることからも理解できるでしょう。


サッカーが圧倒的に最大メジャースポーツである国では、ある意味で国民生活の全体が「サッカー的」に行われていて、その選手はナチュラルに育った文化の自然な価値観の延長でサッカーができます。


しかし、日本には野球という大きなライバルがいて、伝統的な経緯もあって特に上の世代の「野球的世界観」の強固さは圧倒的です。自然といろいろと「齟齬」も生まれることになります。


本当かどうか知りませんが、サッカーアメリカ代表はある時期まで、サッカーのポジションを「野球」のように明確なものと捉えすぎる文化があり、お互いをカバーリングしたりする動きをすることは、「相手の領分を侵す良くないこと」だと思ってしまうようなギクシャクしたところがあったそうです。それの「克服」が歴代監督にとって重要な仕事だったという記事をどこかで読んだことがあります。


日本は過去20年間、アメリカよりももっとずっと本格的に「サッカー」にのめり込んでいますから、さすがにそんな不自然なことはありません。しかし、サッカー文化が日本社会の「保守本流」的な世界からは常に本能的に「異物扱い」されているので、「サッカー文化しかない国」が他の選択肢がありえないことによる自然さで動いているのに対して、どうしても「意識して意識して、野球じゃなくてサッカーなんだからこうするべきだろ?と"アタマで"考え続けながらやる」というような不自然さを抱えているようにも思えます。


日本代表の歴代の中心選手(特にナカタ・ホンダ両氏)が常に日本社会との間に野球選手にはありえない軋轢を抱えているのもそれが理由でしょう。


また、代表チームが「良いムード」の時には世界を驚かせるような活躍を見せられるのに対して、ふと緊張の糸が切れてしまうと突然なんだかありとあらゆることがうまくいかなくなってしまい、考えられないミスを連発してたたみ込まれてしまう脆さを「持病」として抱えていることにも、日本サッカー全体が、乗り慣れた自転車を無意識に漕いでいるような状態ではなく"物凄く意識してやっている"状態にあるからだと私は考えています。


初戦を落として後がない日本ですが、それでも諦めずに「自分たちの形」を目指していく時に、「失うもののないふっきれた気持ち」から、もう一歩「自然な形」が出せて良い結果を生まれることを祈っています。そうすれば勝敗に関わらずそれがさらに「次」に繋がっていくでしょうからね。


つまり、その「自分たちの形」が、物凄く必死に意識付けをするまでもなく「自分たちの素直な形」として出せるようになるか?がこれからのチャレンジなんですよね。


そういう意味において、長期的に見て日本サッカーが「さらに先」へ進歩するためには、彼らの精神を本能的に常にチクチクと刺している国内における「野球文化」との間の断絶にあたらしい連携が生まれていって、


「野球"も"強い国だからこそできるサッカーの強さ」


という形を模索していくことが必須不可欠なプロセスになると私は考えています。


またそれは、一試合あたり選手が走った距離だとか、守備の選手のタックルの回数と成功率だとか、一昔前には考えられなかったレベルまで精緻にサッカーというスポーツがありとあらゆる側面からデータ化され、分析され、改善が求められるようになる中で、「私の戦術はロナウドだ」的に一人のスーパースターのエゴ爆発のプレーだけで勝つことが難しくなってくる結果、つまりいわばそれぞれのプレイヤーに求められることが理性的に分析されて明確に定義されていき、野球における「打席」のようなモジュール(部品)になっていく・・・・という、


「サッカーに対する野球的な見方」が今後重要になってくる世界的なトレンド


に合致するあり方でもあるのです。


さらにマクロ的に見ると、そういうプロセスを日本が歩むことは、「グローバリズムの中の機敏な動き」と「日本の強みである長い時間をかけた蓄積を伴うビジネス」との間の、今はお互いの価値観が違いすぎて常にギクシャクしている両者の間の連携の文化を生み出すことで、経済・経営面においても「日本再反撃」の重要なパーツとなるでしょう。


ワールドカップの期間を通じて、そういう連載をネット上でやりたいと思っていますので、ご期待ください。


投稿は不定期なので、更新情報は、ツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。


ちなみに、この話はすでに私の著書「21世紀の薩長同盟を結べ」の中で1章を割いて詳述したものを、今回のワールドカップの話題を織り交ぜながら書きなおしていく試みなので、ご興味があればそちらをお読みいただければと思います。(この記事における"両者"の存在を幕末の薩摩藩と長州藩の連携に例えて、その性格や考え方が大きく違う2つの勢力の間の"薩長同盟"の成立が、現代の日本においてもあたらしい持続的な発展への鍵となる・・・という趣旨の本です)


倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
ツイッター→@keizokuramoto


「velvet morning」というブログから転載。
この人は政治問題でも面白い記事を書くが、サッカーのコアなファンでもあるらしい。私はサッカーというスポーツにはあまり興味は無いが、物事を分析的に考察した文章が好きなので、面白く読んだ。日本のあの敗戦の原因をキーパーからのロングフィード(長いキックか)にある、とした見方は斬新ではないだろうか。実際、そこから分析した内容は、実に説得力がある。もちろん、敗因はそれだけではないだろうが、ここにも反省点はあるだろう。まあ、日本は体力も技能も精神力も戦略も戦術もすべて問題があった、というのが本当のところではないか。世界ランク40何位という評価相当の実力であり、それでは予選通過もかなり難しい、というのが客観的な見方だろう。


(以下引用)




 えー、負けてしまいましたね。。非常に残念です。

敗因は、ズバリ、前半の闘い方にあると思います。


筆者は、前半1−0で終えた時点で、これは相当苦しくなったと思いました。


前回のザンビア戦は0−2で負けているにも関わらず勝てると思いましたが、この日は、1−0で勝っているにも関わらず、非常にマズイと思いました。


それは、この試合の前半で、日本は守備に奔走し、スタミナを使ってしまっていたからです。


これでは、肝心のところで足が止まるかもしれない。と危惧しました。

そして、実際にそうなりました。

では、なぜそうなったのか?


その原因は、ゴールキーパーのフィードにありました。



日本は、前半の20分くらいまで良い試合運びをしていたと思います。

前半15分の本田のシュート=得点も素晴らしかったですし。。

その後も、ひるむことなく、攻撃を続けていました。


ところが、20分過ぎから、立て続けのパスミスをきっかけに、流れが悪くなっていきます。


そしてそれは、結局、前半が終わるまで続きました。

日本代表は、先日挙げた守備の課題を克服して、前半は無失点で切り抜けました。守備は頑張りました。

しかし、この前半守備で無理をして走り回ったつけが、後半のプレーの質の低下に繋がったことは、間違いないと思います。

勝負所で動けなくなったからです。
それでは、勝てるはずがありません。



日本は、なぜ1−0でリードしているにも関わらず、余裕を持って試合の主導権を握ることが出来なかったのでしょうか?

ミスが続いたとはいえ、悪い流れを断ち切れなかったのでしょうか??



それは、ゴールキーパーからのフィードに原因があります。



日本は、ゴールキックやゴールキーパーである川島からのキックを、ほとんど全てロングフィードで蹴り出していました。

この結果、日本は、ボールを失っていただけでなく、主導権を握る機会を失い、後半の体力を温存させる闘い方も出来なくなっていたのです。



この試合、長谷部選手は、『日本らしい闘い方を表現出来なかったことが悔しい』という発言をしていました。

この、日本らしい闘い方をは、何なのでしょうか?



ボールポゼッションをベースにして、前から守備をする。


守備コースを限定して、組織的に守り、組織的な攻撃をする といったあたりでしょうか。



では、なぜ、ポゼッションが出来なかったのか?

その答えは明瞭です。


ゴールキーパーの川島が、味方に繋がずに、ロングフィードを蹴り、結果的に相手にボールを渡してしまっていたからです。


これでポゼッションが出来るはずが無いではありませんか。



日本代表は、一体何をしたかったのか??

当ブログには、全く分かりません。



そもそも、コートジボワールという相手は、体格や身体能力が極限まで凄いチームです。
ロングキックをまともに競り合って勝てる相手なはずがありません。


まして、日本はポゼッションや攻撃力を前提として、競り合いに強そうな選手をほとんで選びませんでした。


なぜ、ゴールキーパーからロングフィードなのか??


日本のパスミスが続いて悪い流れになった時、相手の攻撃を防いでゴールラインを割ったり、キーパーがキャッチした時が、その悪い流れを断ち切るチャンスなのです。


そこで、有効な時間の使い方をして、選手たちをリラックスさせ、周りの陣形を確認し、再び、どうやって試合を進めていくか、考えなおす機会なのです。

だから、ゴールキーパーからの展開が重要なのです。




日本は、日本という国の不正選挙偽政府が、残業代出しません法案を出しても、不正選挙の追求さえしない、ワーカーホリック国家です。

とにかく、一生懸命プレーする仕事すれば良しとされている社会です。

それでは駄目なんですね。

もっと、効果的な時間の使い方をしなければ駄目なのです。

サッカーの試合は、予選リーグでいえば、90分

90分であるならば、その時間の中で、最良の結果を出すための時間のマネジメントをしながら、闘わなければなりません。

本来なら急ぐ必要のない場面で急ぐために、脳内のドーパミンやノルアドレナリンが制御出来ず、結果的にバテてしまったり、肝心のところで力を出せずに終わってしまうのです。


なので、行く時は行く
休む時は休むという、メリハリを付けながらサッカーをする必要があるのです。


まして、ブラジルは暑いです。
スコールも降ります。

90分間ハイスピードで動き続けるのは無理です。


その中で、日本はその蒸し暑い気候でも短時間ならハイプレスをかけられるだけの身体的な特徴を持っているわけですから、勝負どころ=まさに、コートジボワールがドログバを投入した後半15分、その後の20分が勝負所でした。で、一番良いパフォーマンスをしなければならない。


それを逆算した試合の組み方を考える必要があるのです。

そのための、前半のポゼッションであり、攻撃だったのです。



自分たちがパスを回している限り、絶対に失点しません。

まして、1−0でリードしているわけですから、ディフェンスラインでゆっくりパスを回していれば、相手は攻撃に来ざるを得ませんから、動いてきた時が、相手の陣形が崩れる時ですから、再び自分たちが攻撃出来るチャンスが生まれてくるのです。

パススペースを見つけて攻撃し、相手を走らすことが出来れば、後半の勝負所で、自分たちらしい攻撃的なサッカーが出来るようになるのです。


これは、ポゼッションサッカーにおける基本中の基本であって、これが出来ないチームがポゼッションサッカーで勝てるはずが無いのです。


日本代表が表現したかった『自分たちのサッカー』って一体なんだったのか??



日本は、ゴールキーパーからのロングフィードをもっともっと減らし、繋いでいくサッカーをすべきです。(というか、よほどのチャンスや終了間際のパワープレーでない限り、キーパーロングフィードを蹴る必然性を感じません)

そして、バックパス大歓迎です。

スペイン対オランダのオランダ代表の効果的なバックパス見ましたか??
バックパスは、現代サッカーでは、極めて重要なツールです。


ゴールキーパーとディフェンスラインの間のパス回しをしっかりやるべきです。
そこで、時間のマネジメントや体調のマネジメントをきっちりやりながら試合をしなければなりません。


そして、ゴールキーパーではなく、ディフェンスラインやボランチ、サイドバックからのロングフィードであれば、直接ゴールに結びつくことも十分可能です。

狙える時は、狙いましょう。

今回の試合でいえば、コートジボワールのディフェンスは、ダイアゴナル(斜め)の動きについてこれませんでした。

そのスペースをつけたのが、ほとんど前半の前半だけでした。

当然、まともに試合を運べていれば、後半の勝負所で、どんどんそこをついて攻撃し、得点出来ていたでしょう。



臨機応変に、もっと力を抜くべきところは抜いて、冷静に熱く闘いましょう。

そうすれば、残りの試合、絶対勝てます。
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