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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「とある魔術の禁書目録」と「とある科学の超電磁砲」のふたつを交互に見ているが、どちらも気色悪い部分が多い。「魔術」の方は、話や会話の非論理性が気色悪いし、「科学」は色気過剰である。まあ、後者はSFファンタジーの仮面をかぶった「けいおん」や「ゆるゆり」である。(「けいおん」は見たことが無いが、耳知識で言っている。)可愛い女キャラがわちゃわちゃやっていればOKというアニメで、世間体を気にしての言い訳に時々ダークな、あるいはハードなエピソードを入れるが、その部分が特につまらない。日常部分はどれもどこかで見たようなネタやギャグばかりだが、それだけに話には無理は少ない。
原作が同根だから当然だが、どちらもキャラ設定だけは上手い。しかし、そのキャラに好感が持てるかというと、そうでもないのは私だけだろうか。オタクがブヒブヒ言いそうなキャラ設定が上手いということだ。で、主人公がすべての女キャラに好意を持たれるハーレム設定だが、その状況に主人公が気づかない鈍感設定であるというのもお約束だ。この当時はそれでもまだ古いパターンではなかったのだろうが、ハーレム設定はこの2作品よりはるかに前からのアニメのお約束である。

先ほどまで「とある科学」を見ていたのだが、長井龍雪の監督作品の「気持ち悪さ」には、ある共通性があると思う。原作の気持ち悪さかもしれないし脚本の気持ち悪さかもしれないが、たとえば「あの日見た花の名前を僕たちは知らない」と同じ気持ち悪さだから、たぶん監督の好みだと思う。で、同類の脚本家を使うわけだ。
それは何かというと、人間のダークな感情を強調することである。表面的には友人関係、仲間関係であっても、その間では優越感と劣等感、嫉妬や憎悪が渦巻いている、ということの強調だ。だから見ていて気持ち悪いのである。表面的な仲の良さやふざけあいの水面下にそういうダークな感情が強烈に存在しているように描くから、見ている若者にはその作品が「深い」と感じさせ、高い評価を与えるのだろう。で、実はそういう感情は表面化したら、つまりお互いに認識したらそこで友情は終わりであるが、彼の作品では、相手を傷つけた者が涙を流しながら傷つけた相手に謝罪すれば、友情が回復する。つまり、実は非常に浅いのである。猫だと思っていた相手が実は狼か虎だと知ったら、友情は回復できるか? 相手が自分に嫉妬し憎悪していたと知って、友情が回復できるか?
で、これらの騒ぎは実は「ドラマのための小細工」なのである。友人間の対立や闘争がドラマになるからそう描いているだけだ。だから、解決も安易になる。和解による感動が狙いの、作られた闘争なのである。
そのアニメ(「とある科学」)を見ている人は、これまで仲良くじゃれる女子中学生の姿をニコニコしながら見ていたら、突然、それが上辺だけの姿でしかなかったと知らされるのである。よく怒らないものだ。作り手の「どうせ視聴者のレベルはこんなもん」という意識が腐臭のように漂ってくる。視聴者のレベルを認識するのはいいが軽く見ているからそうなる。たとえば、「アンパンマン」などのほうが、視聴者である幼児への敬意をもって誠実に作られている。
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