江川が「昭和の怪物」と呼ばれるようになった高校時代。その成績は圧倒的なものだった。作新学院のエースとして2年時夏の栃木県大会で初戦から準決勝の9回まで、36回連続無安打無得点。3年時夏の県大会は全5試合に先発して、通算被安打わずか2で優勝(いずれも高校野球記録)。
2年間の合計は、9試合登板で、ノーヒットノーラン6試合(うち完全試合1)、投球回81.2、被安打6(1試合当たりの被打率0.7)、奪三振136、奪三振率15.0、自責点1、防御率0.11。この成績を上回る投手は、江川以前はもちろん、現在に至るまでいない。
ベストシーズンは「プロ3年目」
高校卒業後、江川は法政大学を経て、一度阪神に入団。その後、巨人のエースだった小林繁と1対1のトレードという異例の形で巨人に移籍した(物議を醸した1978年「空白の一日事件」)。高校野球史上最高の投手が、果たしてプロの世界でも史上最高の投球を見せてくれるのか――。余談だが、筆者は江川とほぼ同世代で、東京六大学で初登板した江川の球を初めてフェアグラウンドに打ち返すという栄誉(?)を体験している。それもあって、江川のプロ登板を今か今かと待ちわびていた。
先述の経緯からプロ1年目の1979年は開幕から2カ月間、一軍戦出場を自粛。それもあり9勝10敗という不本意な成績に留まった。それでも、この年のリーグ戦で5位に沈んだ屈辱からの復権を期す長嶋監督の“地獄の伊東合宿”に参加して、江川自身も再生に成功する。
2年目は16勝12敗、防御率2.48、奪三振219で最多勝と最多奪三振、ベストナインを獲得。そして迎えた3年目(1981年)が、江川の9年間の現役生活の中でのベストシーズンになった。その成績を見てみよう。
●江川卓のプロ3年目シーズン成績
登板31 完投20 完封7 勝敗20ー6 勝率.769 投球回240.1 被安打187 与四球38 奪三振221 防御率2.29 WHIP0.94
江川はこの年、最多勝利、最高勝率、最優秀防御率、最多奪三振、最多完封という「投手5冠」を達成して、巨人の8年振りの日本一に貢献。シーズンMVP、ベストナインにも選出されるなど、圧巻のシーズンを送った。
文句なしの成績も沢村賞は…
同年の成績は、沢村賞の選考基準(25試合登板以上、10完投以上、15勝以上、勝率6割以上、200投球回以上、150奪三振以上、防御率2.50以下)をすべてクリアしており、当然江川が受賞するものと思われた。しかし結果は、ほとんどの項目で江川に劣る巨人の同僚・西本聖が受賞。その不可解な選考に対して異論が噴出した。
これを受けて、翌年から、それまで選考を担っていた東京運動記者クラブ部長会から、沢村賞受賞者を中心としたOB投手による選考に変更されたが、江川は生涯沢村賞に縁がなかった。
ストレートは何キロ出ていた?
全盛期の江川は、ストレートと緩いカーブという2つの球種しかなく、カーブはタイミングを外す見せ球で、基本はすべてストレート勝負だった。ストレートだけで打者を圧倒する“最後の先発完投型投手”といえるかもしれない。
江川と対戦した落合博満、掛布雅之、バースなど、多くの一流打者たちが「現役の投手の中で一番速い。あれで、なんでリーグ戦で打たれるの」、「ストレートを狙っていても、ホップしてくるのでバットに当たらなかった」、「自分が対戦した中で最高の投手」等々、江川のストレートを絶賛している。
では実際のところ、江川のストレートはどれほど速かったのか。江川の現役時代はちょうどスピードガンが導入され始めた時期にあたる。テレビの中継画面では、ストレートの球速が140キロ前後と表示され、やはり現代の投手に比べれば劣るとの評価が一時あった。
ところが、最新のAIを使った映像解析技術によって、そうした評価が覆った。
2021年12月4日放送の「Going!Sports&News」(日本テレビ)の中で、ソフトバンクに様々なデータを提供しているライブリッツ社による映像解析の結果、江川が1981年のシーズン中に中塚政幸(横浜大洋)に投げたストレートの初速が158キロと計測されたのである。
さらに、同社の解析によれば、江川のストレートのホップ成分(プロ野球の投手の平均的なストレートの軌道に比べてどれだけ高い位置でホームベースを通過するか)は、23.4センチで、比較対象となった佐々木朗希の18.6、大谷翔平の17.3、松坂大輔の15.9を大きく凌駕していることがわかった。
このボールの軌道が落ちない=ホップするように見えるストレートを生み出す秘密が、回転数である。江川は2750rpm(回転数/分)と、佐々木の2520、大谷の2528、松坂の2583を大きく引き離している(数字はいずれも同番組から抜粋)。その点、ストレートの質は江川がプロ野球史上最高と言って差し支えないだろう。