ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
最新記事
(05/17)
(05/16)
(05/15)
(05/14)
(05/14)
(05/13)
(05/13)
(05/12)
(05/12)
(05/12)
最新TB
プロフィール
HN:
o-zone
性別:
非公開
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
(09/04)
P R
カウンター
下のコメントは、新人投手全員への最良のアドバイスである。特に、164は大事だ。投手にとって一番だめなのは、逃げて四球を出すことである。
制球力の無い投手は常に「ピッチャーインザホール」カウントになって、甘く入った球を痛打される。これがパターンだ。その逆を心がけることで、投手は成長する。つまり、「勝負して打たれたらしょうがない」と開き直ることである。そして、いざという時に打たれないための「勝負球」を磨くことだ。
ちなみに、下記コメントは楽天のエース、田中マー君についてのコメントである。田中マー君の制球力は年々向上し、昨年は1試合あたり1個という、恐るべき数字になっている。初年度が3個くらいだから、元々そう悪くはなかったのだが、この制球力があるからこそ、あの弱小チームの楽天でも勝てるし、いつも防御率がいいのである。
160キロのスピードボールなどは、それだけでは価値が無い、と私が言う所以である。アマ時代ならば、1試合あたりの被安打より与死四球が上回るようなノーコン投手でも並はずれた速球があれば三振も取れるし、勝ち星も上げられる。プロで大成しない大物アマチュア投手は、ほとんどが速球派のノーコン投手である。
西武の大石はプロに入って、アマ時代よりもコントロールがひどくなった珍しい例である。また同じ西武の菊地はアマ時代には150キロ以上の速球を持っていたが、プロでは勝てず、数年後に球速が140キロ前後になってから逆に勝てるようになった。つまり、「投球術」を覚えて勝てるようになったのである。
だが、斎藤ハンカチ王子などのように「技巧派である」、という看板だけでいい、というわけでもない。彼の与死四球率はひどいものである。おそらく被打率はもっとひどいだろう。要するに、今の彼はプロの投手としての武器が無いのである。
(以下「2ちゃんねる」から引用)
1:風吹けば名無し:2012/10/29(月) 16:24:10.59ID:QrJmauPA
与四死球率
2007 3.63
2008 2.93
2009 2.38
2010 2.15
2011 1.27
2012 1.09
164:風吹けば名無し:2012/10/29(月) 17:06:41.40ID:kTpSPvFY
まあ勝負して結構打たれているし
勝負しているからこそボール球を振ってくれている
174:風吹けば名無し:2012/10/29(月) 17:08:58.37ID:rH3Vfj0C
・チーム事情もあって1年目から1軍でやらざるを得なかった
↓
・一方で、将来のエース候補だから無理はせず大事に使われた
↓
・その結果、自分の長所・短所を含めて、プロでやるために必要なものを最速で明確にできた
↓
・チーム事情+自らの性格もあり、厳しい環境とできる限りのサポートの中、高い目標に向けてクソ真面目に突き進んだ
こんな感じで成長したんかなと思っとる
まぁでもやっぱり本人の性格が重要なんやろなぁ
制球力の無い投手は常に「ピッチャーインザホール」カウントになって、甘く入った球を痛打される。これがパターンだ。その逆を心がけることで、投手は成長する。つまり、「勝負して打たれたらしょうがない」と開き直ることである。そして、いざという時に打たれないための「勝負球」を磨くことだ。
ちなみに、下記コメントは楽天のエース、田中マー君についてのコメントである。田中マー君の制球力は年々向上し、昨年は1試合あたり1個という、恐るべき数字になっている。初年度が3個くらいだから、元々そう悪くはなかったのだが、この制球力があるからこそ、あの弱小チームの楽天でも勝てるし、いつも防御率がいいのである。
160キロのスピードボールなどは、それだけでは価値が無い、と私が言う所以である。アマ時代ならば、1試合あたりの被安打より与死四球が上回るようなノーコン投手でも並はずれた速球があれば三振も取れるし、勝ち星も上げられる。プロで大成しない大物アマチュア投手は、ほとんどが速球派のノーコン投手である。
西武の大石はプロに入って、アマ時代よりもコントロールがひどくなった珍しい例である。また同じ西武の菊地はアマ時代には150キロ以上の速球を持っていたが、プロでは勝てず、数年後に球速が140キロ前後になってから逆に勝てるようになった。つまり、「投球術」を覚えて勝てるようになったのである。
だが、斎藤ハンカチ王子などのように「技巧派である」、という看板だけでいい、というわけでもない。彼の与死四球率はひどいものである。おそらく被打率はもっとひどいだろう。要するに、今の彼はプロの投手としての武器が無いのである。
(以下「2ちゃんねる」から引用)
1:風吹けば名無し:2012/10/29(月) 16:24:10.59ID:QrJmauPA
与四死球率
2007 3.63
2008 2.93
2009 2.38
2010 2.15
2011 1.27
2012 1.09
164:風吹けば名無し:2012/10/29(月) 17:06:41.40ID:kTpSPvFY
まあ勝負して結構打たれているし
勝負しているからこそボール球を振ってくれている
174:風吹けば名無し:2012/10/29(月) 17:08:58.37ID:rH3Vfj0C
・チーム事情もあって1年目から1軍でやらざるを得なかった
↓
・一方で、将来のエース候補だから無理はせず大事に使われた
↓
・その結果、自分の長所・短所を含めて、プロでやるために必要なものを最速で明確にできた
↓
・チーム事情+自らの性格もあり、厳しい環境とできる限りのサポートの中、高い目標に向けてクソ真面目に突き進んだ
こんな感じで成長したんかなと思っとる
まぁでもやっぱり本人の性格が重要なんやろなぁ
PR
「ライブドアニュース」から転載。
新聞が娯楽ってのは「褒め過ぎ」だろう。娯楽というほど面白いものか。娯楽なら上等であり、ただの「洗脳装置」ではないか。
(以下引用)
「活動の場ネットに移す」が気に入らず 朝日天声人語がスーパーマンに「クレーム」
J-CASTニュース
2012年10月27日17時13分
コメント 88
写真拡大
「『新聞で人助け』とか言っていたのに、そりゃないぜクラーク」
スーパーマンが長年勤めた新聞社を「退職」したことに、朝日新聞の名物コラム「天声人語」が「クレーム」を付けている。
スーパーマンことクラーク・ケントは、普段は記者として新聞社「デイリー・プラネット」に勤務している、というのが初登場以来70年以上続くおなじみの設定だ。ところが2012年10月24日発表された新作漫画でケントは、
「新聞はもはや、ジャーナリズムではなく娯楽になり下がった」
と上司に言い放ち、新聞記者を廃業してしまった。
「いわば副業だけに気楽なもんだと思う」
天声人語筆者は、記者仲間の「変節」にいたく落胆したらしい。26日朝刊の同欄は、
「『新聞で人助け』とか言っていたのに、そりゃないぜクラーク」
といった調子で、終始嘆き節に満ちている。
また筆者には、ケントが今後、ジャーナリストとしての活動の場をインターネットに移すとされていることがよほど気に食わない様子だ。「同業の目には無謀と映る」と独自の論理を主張しただけではなく、さらには「空さえ飛べる男が時流に乗るのは道理かもしれない」とスーパーマンの能力を引いてあてこすり、とどめは「ひがみ半分、いわば副業だけに気楽なもんだと思う」。
一方でケントによる新聞批判については、「娯楽だと嘆いたのは場の勢いだろう」と取り合う様子もない。最後は、「ひそかな自慢(注:スーパーマンが新聞記者をしていること)が業界を去っても、新聞という地味な人助けにこだわりたい」と締めくくった。
「ああ、自覚無いんだなぁ…」
この文章に、読者の反応は総じて冷ややかだ。漫画家のかずみ義幸さんがツイッターで、
「スーパーマンが新聞記者辞めたと天声人語。辞めるときの台詞が『新聞はもはや、ジャーナリズムではなく娯楽になり下がった』といったのを、この天声人語の記者は『娯楽だと嘆いたのは場の勢いだろうが』って…ああ、自覚無いんだなぁ…」
とつぶやくと、投稿はたちまち1200回以上もリツイートされた。ほかにも、「ケントが嘆いた現状を全く認めようとしていない」「なぜスーパーマンが組織ジャーナリズムに失望したのかわかってない」などといった疑問の声が相次いでいる。
新聞が娯楽ってのは「褒め過ぎ」だろう。娯楽というほど面白いものか。娯楽なら上等であり、ただの「洗脳装置」ではないか。
(以下引用)
「活動の場ネットに移す」が気に入らず 朝日天声人語がスーパーマンに「クレーム」
J-CASTニュース
2012年10月27日17時13分
コメント 88
写真拡大
「『新聞で人助け』とか言っていたのに、そりゃないぜクラーク」
スーパーマンが長年勤めた新聞社を「退職」したことに、朝日新聞の名物コラム「天声人語」が「クレーム」を付けている。
スーパーマンことクラーク・ケントは、普段は記者として新聞社「デイリー・プラネット」に勤務している、というのが初登場以来70年以上続くおなじみの設定だ。ところが2012年10月24日発表された新作漫画でケントは、
「新聞はもはや、ジャーナリズムではなく娯楽になり下がった」
と上司に言い放ち、新聞記者を廃業してしまった。
「いわば副業だけに気楽なもんだと思う」
天声人語筆者は、記者仲間の「変節」にいたく落胆したらしい。26日朝刊の同欄は、
「『新聞で人助け』とか言っていたのに、そりゃないぜクラーク」
といった調子で、終始嘆き節に満ちている。
また筆者には、ケントが今後、ジャーナリストとしての活動の場をインターネットに移すとされていることがよほど気に食わない様子だ。「同業の目には無謀と映る」と独自の論理を主張しただけではなく、さらには「空さえ飛べる男が時流に乗るのは道理かもしれない」とスーパーマンの能力を引いてあてこすり、とどめは「ひがみ半分、いわば副業だけに気楽なもんだと思う」。
一方でケントによる新聞批判については、「娯楽だと嘆いたのは場の勢いだろう」と取り合う様子もない。最後は、「ひそかな自慢(注:スーパーマンが新聞記者をしていること)が業界を去っても、新聞という地味な人助けにこだわりたい」と締めくくった。
「ああ、自覚無いんだなぁ…」
この文章に、読者の反応は総じて冷ややかだ。漫画家のかずみ義幸さんがツイッターで、
「スーパーマンが新聞記者辞めたと天声人語。辞めるときの台詞が『新聞はもはや、ジャーナリズムではなく娯楽になり下がった』といったのを、この天声人語の記者は『娯楽だと嘆いたのは場の勢いだろうが』って…ああ、自覚無いんだなぁ…」
とつぶやくと、投稿はたちまち1200回以上もリツイートされた。ほかにも、「ケントが嘆いた現状を全く認めようとしていない」「なぜスーパーマンが組織ジャーナリズムに失望したのかわかってない」などといった疑問の声が相次いでいる。
横浜のために、他チームの自由契約選手の中から拾いものを推薦すると予告したが、楽天の星野監督の方が出足が早かった。
実は、私が横浜に推薦する予定だったのは、下記記事の「森山周」なのである。彼に関するウィキペディア記事を読んで、これは例によって「上の使い方がまずいために実力を十分に出していない選手」である、と判断したのである。
内外野、ほとんどどこでも守れるし、俊足であるから、チームに一人は置いておきたい選手、いわゆるユーティリティープレーヤーである。レギュラーの誰かが怪我した時には重宝する。特に横浜のように選手層の薄いチームには有益だろう。
星野は、監督としては疑問符が付くが、GM的才能がある。自分のチームに何が欠けているか分析するだけでなく、オーナーに戦力補強を堂々と要請する度胸がある。阪神時代の優勝は、半分以上はその「戦力補強」の結果である。
(引用1)
楽天、オリ戦力外の森山を獲得検討
2012年10月17日
楽天が、オリックスを今季限りで戦力外となった森山周外野手(31)の獲得を検討していることが16日、分かった。走塁面で課題の残った今季の反省を踏まえ、俊足が売りの森山をリストアップした。
チームには今季、盗塁王を獲得した聖沢がいるが、シーズン中に俊足内野手の内村がトレードで移籍すると、得点が欲しいゲーム終盤の代走要員の不足に悩まされた。森山は50メートルを5秒5で走る快足スペシャリスト。2011年にオリックスが3試合連続でサヨナラ勝ちを記録した際、すべて代走でホームを踏んだ。内外野どこでも守れる守備力も魅力だ。
星野監督はこの日「ウチは空中戦は無理。地上戦で行くしかない」と、改めて機動力野球で来季を戦うことを明言。俊足野手の補強で、着実な得点力アップを目指す。
(引用2)
プロ入り後
ルーキーイヤーの2006年、5月に一軍に昇格するもすぐ二軍落ち。しかし課題の打撃が向上し、7月に再び一軍に登録される。9月には4割を超える高打率を残し、シーズン打率.356と足だけではないところを見せ付けて大いにアピールした。シーズン終盤には二塁手としてスタメンに名を連ねることも多くなった。また、フルカウントになった10打席のうち3安打6四球(出塁率9割)で、追い込まれてもしぶとさを見せた。
2007年は、遊撃に新人の大引啓次が定着、二塁には同じ左打ちの後藤光尊がいたため、一軍定着には至らなかった。また、自身も打撃では13打数無安打に終わり、11試合の出場にとどまった。秋季キャンプより、同じく現役時代に代走起用の多かった外野守備・走塁コーチの松山秀明の「より監督にとって使いやすい選手に」という助言もあって俊足を活かすために外野手にも取り組み始めた。
監督のテリー・コリンズは機動力をあまり使わなかった為、コリンズ在任時はほとんど一軍での出番が無かったが、2008年5月下旬から大石大二郎が監督代行になると、一番に一軍昇格。6月に大引が故障で長期離脱したのに伴い、主に代走要員として自己最多の42試合に出場した。6月11日の対横浜戦では、5点ビハインドの7回裏に反撃の狼煙となる適時打を放つと、8回裏に同点となった直後に内野安打を放って出塁。続く坂口智隆の打席で二盗を決めると、坂口のセンター前ヒットで二塁から一気に本塁へ生還し、決勝のホームを踏んだ。この活躍により、プロ入り後初のお立ち台に上がった。
2009年は34試合に出場し、守備では一塁、二塁、三塁、遊撃、外野を全てこなすなど奮闘したが、打撃では11打数無安打と振るわないシーズンに終わった。
2010年は開幕二軍ながらウエスタン・リーグで高打率を記録し、4月13日に昇格。ところが、グレッグ・ラロッカの故障を受け、三塁手の補充のために一輝との入れ替えで翌日即登録抹消となった。その後も二軍で結果を出し続け、最終的にウエスタンでは36試合で打率.372という好成績をあげ、5月15日に一軍昇格。昇格当初はなかなか出場機会が得られず、代走・守備要員での出場が専らだった。だが、7月28日の対日本ハム戦で自身4年ぶりに3安打を放って勝利に貢献し、2年ぶりに自身2度目のお立ち台に上がった。この試合をきっかけに、2番・右翼手ないしは左翼手としてスタメンに定着し、シュアなバッティングを披露した。68試合に出場し、2006年と2008年に記録した計28安打を上回る43安打を放って打率.330を記録し、ようやく一軍の壁を破る働きを見せた。
2011年も代走・守備要員としての出場が多いものの、7月2日・7月3日・7月5日とチームがプロ野球タイ記録の3試合連続サヨナラ勝ちを収めた際には、プロ野球史上初となる3試合連続サヨナラのホームを踏んだ。いずれの試合もすべて代走での出場であり、足のスペシャリストならではの離れ業を演じた。しかし、前年を上回る自己最多の82試合に出場しながら、打率.186と打撃不振に陥ってしまった。
2012年は同じ俊足外野手の野中信吾や小島脩平、深江真登の台頭により一軍での出場機会をなかなか得られず、18試合の出場で打率.153に終わり、10月4日に戦力外通告を受けた[1]。
プレースタイル
50メートル走5秒5、一塁到達3.7秒台の走塁能力を持ち[2]、2010年までの内野安打率は29.5パーセントを誇る。打撃では逆方向への意識が高く、安打の半分近くが左方向に飛ぶ[3]。主に遊撃手・二塁手を務め、三塁手としての起用も多い。2008年より外野手にも挑戦するユーティリティープレイヤーであり、2009年は一軍で一塁・二塁・三塁・遊撃・外野のすべてを守った。
実は、私が横浜に推薦する予定だったのは、下記記事の「森山周」なのである。彼に関するウィキペディア記事を読んで、これは例によって「上の使い方がまずいために実力を十分に出していない選手」である、と判断したのである。
内外野、ほとんどどこでも守れるし、俊足であるから、チームに一人は置いておきたい選手、いわゆるユーティリティープレーヤーである。レギュラーの誰かが怪我した時には重宝する。特に横浜のように選手層の薄いチームには有益だろう。
星野は、監督としては疑問符が付くが、GM的才能がある。自分のチームに何が欠けているか分析するだけでなく、オーナーに戦力補強を堂々と要請する度胸がある。阪神時代の優勝は、半分以上はその「戦力補強」の結果である。
(引用1)
楽天、オリ戦力外の森山を獲得検討
2012年10月17日
楽天が、オリックスを今季限りで戦力外となった森山周外野手(31)の獲得を検討していることが16日、分かった。走塁面で課題の残った今季の反省を踏まえ、俊足が売りの森山をリストアップした。
チームには今季、盗塁王を獲得した聖沢がいるが、シーズン中に俊足内野手の内村がトレードで移籍すると、得点が欲しいゲーム終盤の代走要員の不足に悩まされた。森山は50メートルを5秒5で走る快足スペシャリスト。2011年にオリックスが3試合連続でサヨナラ勝ちを記録した際、すべて代走でホームを踏んだ。内外野どこでも守れる守備力も魅力だ。
星野監督はこの日「ウチは空中戦は無理。地上戦で行くしかない」と、改めて機動力野球で来季を戦うことを明言。俊足野手の補強で、着実な得点力アップを目指す。
(引用2)
プロ入り後
ルーキーイヤーの2006年、5月に一軍に昇格するもすぐ二軍落ち。しかし課題の打撃が向上し、7月に再び一軍に登録される。9月には4割を超える高打率を残し、シーズン打率.356と足だけではないところを見せ付けて大いにアピールした。シーズン終盤には二塁手としてスタメンに名を連ねることも多くなった。また、フルカウントになった10打席のうち3安打6四球(出塁率9割)で、追い込まれてもしぶとさを見せた。
2007年は、遊撃に新人の大引啓次が定着、二塁には同じ左打ちの後藤光尊がいたため、一軍定着には至らなかった。また、自身も打撃では13打数無安打に終わり、11試合の出場にとどまった。秋季キャンプより、同じく現役時代に代走起用の多かった外野守備・走塁コーチの松山秀明の「より監督にとって使いやすい選手に」という助言もあって俊足を活かすために外野手にも取り組み始めた。
監督のテリー・コリンズは機動力をあまり使わなかった為、コリンズ在任時はほとんど一軍での出番が無かったが、2008年5月下旬から大石大二郎が監督代行になると、一番に一軍昇格。6月に大引が故障で長期離脱したのに伴い、主に代走要員として自己最多の42試合に出場した。6月11日の対横浜戦では、5点ビハインドの7回裏に反撃の狼煙となる適時打を放つと、8回裏に同点となった直後に内野安打を放って出塁。続く坂口智隆の打席で二盗を決めると、坂口のセンター前ヒットで二塁から一気に本塁へ生還し、決勝のホームを踏んだ。この活躍により、プロ入り後初のお立ち台に上がった。
2009年は34試合に出場し、守備では一塁、二塁、三塁、遊撃、外野を全てこなすなど奮闘したが、打撃では11打数無安打と振るわないシーズンに終わった。
2010年は開幕二軍ながらウエスタン・リーグで高打率を記録し、4月13日に昇格。ところが、グレッグ・ラロッカの故障を受け、三塁手の補充のために一輝との入れ替えで翌日即登録抹消となった。その後も二軍で結果を出し続け、最終的にウエスタンでは36試合で打率.372という好成績をあげ、5月15日に一軍昇格。昇格当初はなかなか出場機会が得られず、代走・守備要員での出場が専らだった。だが、7月28日の対日本ハム戦で自身4年ぶりに3安打を放って勝利に貢献し、2年ぶりに自身2度目のお立ち台に上がった。この試合をきっかけに、2番・右翼手ないしは左翼手としてスタメンに定着し、シュアなバッティングを披露した。68試合に出場し、2006年と2008年に記録した計28安打を上回る43安打を放って打率.330を記録し、ようやく一軍の壁を破る働きを見せた。
2011年も代走・守備要員としての出場が多いものの、7月2日・7月3日・7月5日とチームがプロ野球タイ記録の3試合連続サヨナラ勝ちを収めた際には、プロ野球史上初となる3試合連続サヨナラのホームを踏んだ。いずれの試合もすべて代走での出場であり、足のスペシャリストならではの離れ業を演じた。しかし、前年を上回る自己最多の82試合に出場しながら、打率.186と打撃不振に陥ってしまった。
2012年は同じ俊足外野手の野中信吾や小島脩平、深江真登の台頭により一軍での出場機会をなかなか得られず、18試合の出場で打率.153に終わり、10月4日に戦力外通告を受けた[1]。
プレースタイル
50メートル走5秒5、一塁到達3.7秒台の走塁能力を持ち[2]、2010年までの内野安打率は29.5パーセントを誇る。打撃では逆方向への意識が高く、安打の半分近くが左方向に飛ぶ[3]。主に遊撃手・二塁手を務め、三塁手としての起用も多い。2008年より外野手にも挑戦するユーティリティープレイヤーであり、2009年は一軍で一塁・二塁・三塁・遊撃・外野のすべてを守った。
東海大甲府の神原投手がドラフトで指名されなかった件だが、むしろドラフト予想関係掲示板などで神原の評価があれほど高かったのが私には意外であった。野球ファンの大半は、投手というと球速にしか興味のないのがほとんどかと思っていたのである。で、私自身は自分が「普通の野球ファンとは違うぞ(キリッ)」などと自惚れていろんな神原関係記事を書いたりしたわけだ。しかし、神原の評価がマニアの間では高かったということには、安心もした。「独りじゃないって、素敵なことね~♪」というわけだ。
で、神原は、おそらく「上位指名でなければ東海大進学」という話になっていたのだと思う。実際、甲子園で優勝でもしないかぎり、技巧派投手がドラフトで1位指名されることは無い。ならば、大学野球で名前を売って、4年後に自分を高く売る、というのは悪い選択ではない。まあ、25勝10敗くらいの成績は残すんじゃないか。しかし、興南の島袋のように大学で力を落とす例もあるから、大学進学はギャンブルではある。
(以下引用)
蔵建て男@kuratateo
神原なら、一年秋ぐらいから東海大の第二戦を任されるようになるんじゃないか?
開く 返信
リツイート
お気に入りに登録
22時間わっしー@野球アカ(野球みつる)@yakyumitsuru
@kuratateo 渡辺圭、猿川がいて厳しいかと。
開く
17時間蔵建て男@kuratateo
@yakyumitsuru 二人とも図抜けた選手ではないので、4年秋ぐらいになったら、とって変わられていても不思議ではないかと。
会話を非表示 返信
リツイート
お気に入りに登録
2012年10月27日 - 0:45 · 詳細
16時間わっしー@野球アカ(野球みつる)@yakyumitsuru
@kuratateo 猿川は特徴に欠けた投手ですねぇ。渡辺圭は中継ぎ、抑えをやらせたほうが力をより発揮できそうなんですが…ただ、神原の指名漏れは意外でしたね。
開く
14時間蔵建て男@kuratateo
@yakyumitsuru 高校の時は、重い145キロ級の球の迫力があったですが。今はまとまった分、魂が抜けました。
開く
で、神原は、おそらく「上位指名でなければ東海大進学」という話になっていたのだと思う。実際、甲子園で優勝でもしないかぎり、技巧派投手がドラフトで1位指名されることは無い。ならば、大学野球で名前を売って、4年後に自分を高く売る、というのは悪い選択ではない。まあ、25勝10敗くらいの成績は残すんじゃないか。しかし、興南の島袋のように大学で力を落とす例もあるから、大学進学はギャンブルではある。
(以下引用)
蔵建て男@kuratateo
神原なら、一年秋ぐらいから東海大の第二戦を任されるようになるんじゃないか?
開く 返信
リツイート
お気に入りに登録
22時間わっしー@野球アカ(野球みつる)@yakyumitsuru
@kuratateo 渡辺圭、猿川がいて厳しいかと。
開く
17時間蔵建て男@kuratateo
@yakyumitsuru 二人とも図抜けた選手ではないので、4年秋ぐらいになったら、とって変わられていても不思議ではないかと。
会話を非表示 返信
リツイート
お気に入りに登録
2012年10月27日 - 0:45 · 詳細
16時間わっしー@野球アカ(野球みつる)@yakyumitsuru
@kuratateo 猿川は特徴に欠けた投手ですねぇ。渡辺圭は中継ぎ、抑えをやらせたほうが力をより発揮できそうなんですが…ただ、神原の指名漏れは意外でしたね。
開く
14時間蔵建て男@kuratateo
@yakyumitsuru 高校の時は、重い145キロ級の球の迫力があったですが。今はまとまった分、魂が抜けました。
開く
「ネットゲリラ」から転載。
コメントは不要だろうが、タイムカードを最初と最後に押せば、その間何をしていても残業扱いになる、という話だろう。
(以下引用)
埼玉県職員 残業2017時間 朝から翌日未明まで働き続け、時間外手当747万円ゲット
1 エジプシャン・マウ(神奈川県) 2012/10/27(土) 17:18:33.51 ID:98LRRgUO0
「県庁に住んでたの?」 県職員、残業最長2017時間
県職員(知事部局の主幹級以下約6300人)の2011年度の時間外勤務手当で、最も高い人は年間給与額と同程度の約747万円が支給されていたことが、26日の県議会決算特別委員会で報告された。
人事課によると、この職員は税務課の40代男性主査で年間の時間外勤務は1916時間。同課の別の40代男性主査は最長2017時間(時間外手当額約740万円)働いており、県職員1人当たりの平均年間総労働時間(1874時間)と比べると、2人は通常勤務時間を上回る「残業」をこなしていたことになる。
中屋敷慎一県議(刷新の会)は「単純計算すると、普通の職員の2倍、朝から翌日未明まで仕事をしていたことになり、この職員は県庁に住んでいたのか、という話になる。支給金額はともかく労務管理上、問題がある」と指摘。
コメントは不要だろうが、タイムカードを最初と最後に押せば、その間何をしていても残業扱いになる、という話だろう。
(以下引用)
埼玉県職員 残業2017時間 朝から翌日未明まで働き続け、時間外手当747万円ゲット
1 エジプシャン・マウ(神奈川県) 2012/10/27(土) 17:18:33.51 ID:98LRRgUO0
「県庁に住んでたの?」 県職員、残業最長2017時間
県職員(知事部局の主幹級以下約6300人)の2011年度の時間外勤務手当で、最も高い人は年間給与額と同程度の約747万円が支給されていたことが、26日の県議会決算特別委員会で報告された。
人事課によると、この職員は税務課の40代男性主査で年間の時間外勤務は1916時間。同課の別の40代男性主査は最長2017時間(時間外手当額約740万円)働いており、県職員1人当たりの平均年間総労働時間(1874時間)と比べると、2人は通常勤務時間を上回る「残業」をこなしていたことになる。
中屋敷慎一県議(刷新の会)は「単純計算すると、普通の職員の2倍、朝から翌日未明まで仕事をしていたことになり、この職員は県庁に住んでいたのか、という話になる。支給金額はともかく労務管理上、問題がある」と指摘。
タモリの「今夜は最高」と「ボキャブラ天国」はテレビの歴史に残る名番組だったが、「2ちゃんねる」にその動画があったので、転載しておく。
今の若い人にはわからないネタもあるだろうが、我々の世代の人間には今でもやはり面白いはずだ。とは言っても、山上たつひこあたりのギャグが苦手な人にはあまり向いていない笑いかもしれない。
「人としてぇ~」なんてのは、一拍遅れで理解できた。これはその一つ前のネタから続いているから、一層面白い。視覚的にインパクトのあるのは「大盤振る舞い」の熟女軍団である。悪夢に出てきそうだ。
総じて、役者がみな上手い。味がある。演出の良さは言うまでもない。
こういう番組は、しかしタモリの司会だから面白かったという面もあるから、別の司会者で似た番組を作ってもあまり期待できないように思う。
今の若い人にはわからないネタもあるだろうが、我々の世代の人間には今でもやはり面白いはずだ。とは言っても、山上たつひこあたりのギャグが苦手な人にはあまり向いていない笑いかもしれない。
「人としてぇ~」なんてのは、一拍遅れで理解できた。これはその一つ前のネタから続いているから、一層面白い。視覚的にインパクトのあるのは「大盤振る舞い」の熟女軍団である。悪夢に出てきそうだ。
総じて、役者がみな上手い。味がある。演出の良さは言うまでもない。
こういう番組は、しかしタモリの司会だから面白かったという面もあるから、別の司会者で似た番組を作ってもあまり期待できないように思う。
今年のドラフトは阪神の一人勝ち、という感じである。藤浪、北條、そして4位で小豆畑まで指名できた。つまり、弱点の補強がほぼできたのである。
横浜は、2位で三嶋が指名できたのはいいが、1位の遊撃手は間違いだろう。トレードで平野を獲れば、遊撃手は不要だ。やはり先発要員の投手を指名すべきであった。まあ、三嶋をクローザーにできれば、現在のクローザーの、球は速いがノーコンで変な顔をした投手を先発に回せるわけだが。
どうも、来年はやはり横浜は最下位確定のようである。
横浜は、2位で三嶋が指名できたのはいいが、1位の遊撃手は間違いだろう。トレードで平野を獲れば、遊撃手は不要だ。やはり先発要員の投手を指名すべきであった。まあ、三嶋をクローザーにできれば、現在のクローザーの、球は速いがノーコンで変な顔をした投手を先発に回せるわけだが。
どうも、来年はやはり横浜は最下位確定のようである。
横浜のために、自由契約選手の中から拾いものになる可能性のある選手を、これから不定期に数名紹介しよう。
というのは、選手の中には不運のため、あるいはより具体的には一軍での「使われ方が悪かった」ために能力を発揮できないままでいる選手もけっこういるからだ。逆に監督やフロントの人間のえこひいきで、たいした成績でもないのに使われ続ける選手もいる。
下に紹介する䔥一傑などは、その不運な選手の一人だろう。二軍ではずっと阪神のエース的存在だのに一軍にはほとんど上げて貰えず、上げて貰えてもほとんど使われないままですぐまた二軍に落とされる。そういう理不尽な仕打ちの繰り返しである。では、一軍で結果を残せなかったのか、と言うと、一軍での結果は登板2回、8.1イニング投げて被安打7、与死四球4、失点2、奪三振7個で防御率2.16である。悪くない成績だ。これで自由契約になるなら、楽天の田中マー君など、最初の登板で大量失点した段階で自由契約だろう。
高卒と大卒は違う、とは言っても、わずか2回の登板でクビは無い。
中でもひどいのが
「2009年は後半戦に一軍へ昇格したが、投球練習でコーチ陣から評価を得られず登板はなかった。」
というものだ。二軍で実績を残して一軍に昇格しながら、「投球練習」だけでダメと決めつけられたのである。それほどご立派な批評眼をお持ちの阪神首脳陣、コーチ陣が残したチーム成績はさぞご立派なものなのだろう。(笑)
横浜も以前よりは風通しが良くなっているように思われるので、こうした「各球団の埋もれた存在」を探し出して、自チーム強化に役立ててもらいたい。その方が、海のものとも山のものともしれない新人選手に大金を使うよりよほど確実だろう。少なくとも、プロの二軍で結果を出せるなら、後少しで一軍、というレベルにあるのは確かなのだから。
䔥一傑はまだ26歳くらいだろうから、これからが働き盛りである。ぜひ、横浜あたりで拾ってほしい選手だ。
(以下「ウィキペディア」より引用)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2008年 ドラフト1位
初出場 NPB / 2011年8月11日
年俸 1,000万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)
• 日南学園高等学校
• 奈良産業大学
• 阪神タイガース (2009 - 2012)
蕭 一傑(しょう いっけつ、1986年1月2日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(投手)。
中華民国(台湾)国籍だが、プロ入り前に日本に5年以上在住していたため登録上は日本人選手と同じ扱いとなっている。中国語(台湾國語)での名前の発音はシャオ・イージェ (Xiao Yijie) だが、登録名は本人の希望もあり日本語読みにしている[1]。
•
経歴 [編集]
屏東県屏東市出身。台湾大聯盟の高屏雷公などでコーチを務めた蕭良吉を伯父に持つなど、祖父から3代続く野球一家に育った。自らも小学3年時に野球を始めて捕手や内野手を務めた。当時は郭泰源に憧れ、西武ライオンズのファンだった。
日本の高校野球でのプレーを希望し、2002年に台湾から宮崎県の日南学園高等学校に留学して投手に転向。2年夏の第85回全国高等学校野球選手権大会、3年春の第76回選抜高等学校野球大会に出場したが、選抜では登板機会がなかった。留学前に台湾の高校に半年間在学していたため、規定により3年夏は公式戦への出場資格がなかった[2]。
近畿学生野球連盟所属の奈良産業大学に進学後は1年先輩に桑原謙太朗がいたこともあり主にリリーフで起用され、4年時からは主に先発投手として登板した。2008年の春季リーグではMVPとベストナインを受賞。大学通算16勝1敗、防御率0.63[3]。第57回全日本大学野球選手権大会では1回戦で延長13回を投げて完封勝利を挙げ、翌日の2回戦では延長11回サヨナラ負けを喫したが、自身は2日で331球を投げ特別賞を受賞した。
2008年のドラフト会議で松本啓二朗、藤原紘通らの交渉権を逃した阪神から1位指名を受け、日本プロ野球のドラフトで指名された初の台湾出身投手となった。ドラフト前は西武か横浜ベイスターズへの入団を希望していた[4]が、12月8日に契約金9,000万円、出来高4,000万円、年俸1,300万円(金額は推定)で阪神と仮契約。背番号は19に決定した。
第2回WBCの台湾代表候補にも選出されたが、オーストラリアとの練習試合で打球を体に受け、代表入りを辞退した[5]。
2009年は後半戦に一軍へ昇格したが、投球練習でコーチ陣から評価を得られず登板はなかった。二軍ではフレッシュオールスターゲームに出場し、同期入団の西村憲らと共に優秀選手賞を受賞[6]。また、ウエスタン・リーグでは7勝を挙げて最多勝利のタイトルを獲得した[7]。
2010年は一軍の沖縄キャンプに帯同。二軍ではエースとして活躍し、9月7日に鶴直人と入れ替えでプロ入り初の一軍昇格を果たした[8]。当初は9月11日のヤクルト戦で登板予定であったが、チーム事情により9月15日に出場選手登録抹消となり、一軍公式戦での登板はなかった[9]。11月、広州アジア大会に台湾代表として出場し、銀メダルを獲得した。
2011年は充実した先発ローテーションに割り込めず二軍スタートとなったが、8月11日中日ドラゴンズ戦でプロ初登板・初先発を果たし、5回1失点の好投も味方打線が0点に抑えられたため敗戦投手となる。
2012年は一度も一軍登板がなく、10月2日、戦力外通告を受けた[10]。
プレースタイル [編集]
速球は最速148 km/hを記録し、制球力もある[11]。縦に大きく割れるカーブやスライダー、フォークボール、ツーシームなども投げる。
というのは、選手の中には不運のため、あるいはより具体的には一軍での「使われ方が悪かった」ために能力を発揮できないままでいる選手もけっこういるからだ。逆に監督やフロントの人間のえこひいきで、たいした成績でもないのに使われ続ける選手もいる。
下に紹介する䔥一傑などは、その不運な選手の一人だろう。二軍ではずっと阪神のエース的存在だのに一軍にはほとんど上げて貰えず、上げて貰えてもほとんど使われないままですぐまた二軍に落とされる。そういう理不尽な仕打ちの繰り返しである。では、一軍で結果を残せなかったのか、と言うと、一軍での結果は登板2回、8.1イニング投げて被安打7、与死四球4、失点2、奪三振7個で防御率2.16である。悪くない成績だ。これで自由契約になるなら、楽天の田中マー君など、最初の登板で大量失点した段階で自由契約だろう。
高卒と大卒は違う、とは言っても、わずか2回の登板でクビは無い。
中でもひどいのが
「2009年は後半戦に一軍へ昇格したが、投球練習でコーチ陣から評価を得られず登板はなかった。」
というものだ。二軍で実績を残して一軍に昇格しながら、「投球練習」だけでダメと決めつけられたのである。それほどご立派な批評眼をお持ちの阪神首脳陣、コーチ陣が残したチーム成績はさぞご立派なものなのだろう。(笑)
横浜も以前よりは風通しが良くなっているように思われるので、こうした「各球団の埋もれた存在」を探し出して、自チーム強化に役立ててもらいたい。その方が、海のものとも山のものともしれない新人選手に大金を使うよりよほど確実だろう。少なくとも、プロの二軍で結果を出せるなら、後少しで一軍、というレベルにあるのは確かなのだから。
䔥一傑はまだ26歳くらいだろうから、これからが働き盛りである。ぜひ、横浜あたりで拾ってほしい選手だ。
(以下「ウィキペディア」より引用)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2008年 ドラフト1位
初出場 NPB / 2011年8月11日
年俸 1,000万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)
• 日南学園高等学校
• 奈良産業大学
• 阪神タイガース (2009 - 2012)
蕭 一傑(しょう いっけつ、1986年1月2日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(投手)。
中華民国(台湾)国籍だが、プロ入り前に日本に5年以上在住していたため登録上は日本人選手と同じ扱いとなっている。中国語(台湾國語)での名前の発音はシャオ・イージェ (Xiao Yijie) だが、登録名は本人の希望もあり日本語読みにしている[1]。
•
経歴 [編集]
屏東県屏東市出身。台湾大聯盟の高屏雷公などでコーチを務めた蕭良吉を伯父に持つなど、祖父から3代続く野球一家に育った。自らも小学3年時に野球を始めて捕手や内野手を務めた。当時は郭泰源に憧れ、西武ライオンズのファンだった。
日本の高校野球でのプレーを希望し、2002年に台湾から宮崎県の日南学園高等学校に留学して投手に転向。2年夏の第85回全国高等学校野球選手権大会、3年春の第76回選抜高等学校野球大会に出場したが、選抜では登板機会がなかった。留学前に台湾の高校に半年間在学していたため、規定により3年夏は公式戦への出場資格がなかった[2]。
近畿学生野球連盟所属の奈良産業大学に進学後は1年先輩に桑原謙太朗がいたこともあり主にリリーフで起用され、4年時からは主に先発投手として登板した。2008年の春季リーグではMVPとベストナインを受賞。大学通算16勝1敗、防御率0.63[3]。第57回全日本大学野球選手権大会では1回戦で延長13回を投げて完封勝利を挙げ、翌日の2回戦では延長11回サヨナラ負けを喫したが、自身は2日で331球を投げ特別賞を受賞した。
2008年のドラフト会議で松本啓二朗、藤原紘通らの交渉権を逃した阪神から1位指名を受け、日本プロ野球のドラフトで指名された初の台湾出身投手となった。ドラフト前は西武か横浜ベイスターズへの入団を希望していた[4]が、12月8日に契約金9,000万円、出来高4,000万円、年俸1,300万円(金額は推定)で阪神と仮契約。背番号は19に決定した。
第2回WBCの台湾代表候補にも選出されたが、オーストラリアとの練習試合で打球を体に受け、代表入りを辞退した[5]。
2009年は後半戦に一軍へ昇格したが、投球練習でコーチ陣から評価を得られず登板はなかった。二軍ではフレッシュオールスターゲームに出場し、同期入団の西村憲らと共に優秀選手賞を受賞[6]。また、ウエスタン・リーグでは7勝を挙げて最多勝利のタイトルを獲得した[7]。
2010年は一軍の沖縄キャンプに帯同。二軍ではエースとして活躍し、9月7日に鶴直人と入れ替えでプロ入り初の一軍昇格を果たした[8]。当初は9月11日のヤクルト戦で登板予定であったが、チーム事情により9月15日に出場選手登録抹消となり、一軍公式戦での登板はなかった[9]。11月、広州アジア大会に台湾代表として出場し、銀メダルを獲得した。
2011年は充実した先発ローテーションに割り込めず二軍スタートとなったが、8月11日中日ドラゴンズ戦でプロ初登板・初先発を果たし、5回1失点の好投も味方打線が0点に抑えられたため敗戦投手となる。
2012年は一度も一軍登板がなく、10月2日、戦力外通告を受けた[10]。
プレースタイル [編集]
速球は最速148 km/hを記録し、制球力もある[11]。縦に大きく割れるカーブやスライダー、フォークボール、ツーシームなども投げる。
「ベースボールドットコム」から転載。
下記記事は神原の特長を正確に見ている。制球力とクレバーさ、というのが投手の大前提であり、時速160キロの速球を投げようが、制球力が無い投手は試合では使えない。私が大谷を投手としてはまったく買わないのはそのためだ。地方予選程度で敗退するようでは、現段階では投手としては評価できない、ということだ。そして、投手としてのクレバーさ、というものは教えるものというよりは才能だ。それが神原にはある、と私は夏の甲子園を見ていて感じた。見た目もいかにもオッサン臭いところが精神年齢の高さを表している。
横浜あたりならば、1年目から上で投げさせて、経験を積ませることもできる。最初はもちろん負けが優先するだろうが、今の横浜は「1軍先発で投げさせる投手の絶対数が足りない」のだから、これはチームにとっても神原にとってもいい話である。
数年後には、あるいはヤクルトの舘山のような投手に育つのではないか。
(以下引用)
高卒右腕の中で注目したいのが神原 友(東海大甲府)。最速146キロのストレートと縦横のスライダーの2種類のコンビネーションで、甲子園4強入り。18U世界選手権に代表入りを果たした。
神原は早い段階で活躍する予感がある。その理由として、まず一つ目が180センチ88キロと恵まれた体格をしており、大学4年間を経由しなくても十分な体力的土台があること。二つ目が常時140キロ台の直球を両サイドに投げ分ける制球力があり、縦横のスライダーを自在に投げ分ける投球センスがあることだ。段階を追って育成していけば、高卒2年目から一軍定着出来る可能性を持った右腕だ。
(追記)
下記記事は、今年自由契約になった或る投手についてのウィキペディアの記述である。この投手はその年の大学ナンバーワン投手と言われた投手だが、通算15勝程度で終わり、その倍の負け数を記録した。防御率も惨憺たるものである。その理由が、制球力不足と投手頭脳の欠如にある、ということを強調しておく。
(以下引用)
直球はMAX154km/h。平均は140km/h前半から150km/h。スライダー、スローカーブ、カットボール、フォーク、チェンジアップと多彩な球種を持つ。
制球が悪く四球や暴投が多い。ボールの先行からストライクを取りに行った甘い球を痛打されることを課題としている。
下記記事は神原の特長を正確に見ている。制球力とクレバーさ、というのが投手の大前提であり、時速160キロの速球を投げようが、制球力が無い投手は試合では使えない。私が大谷を投手としてはまったく買わないのはそのためだ。地方予選程度で敗退するようでは、現段階では投手としては評価できない、ということだ。そして、投手としてのクレバーさ、というものは教えるものというよりは才能だ。それが神原にはある、と私は夏の甲子園を見ていて感じた。見た目もいかにもオッサン臭いところが精神年齢の高さを表している。
横浜あたりならば、1年目から上で投げさせて、経験を積ませることもできる。最初はもちろん負けが優先するだろうが、今の横浜は「1軍先発で投げさせる投手の絶対数が足りない」のだから、これはチームにとっても神原にとってもいい話である。
数年後には、あるいはヤクルトの舘山のような投手に育つのではないか。
(以下引用)
高卒右腕の中で注目したいのが神原 友(東海大甲府)。最速146キロのストレートと縦横のスライダーの2種類のコンビネーションで、甲子園4強入り。18U世界選手権に代表入りを果たした。
神原は早い段階で活躍する予感がある。その理由として、まず一つ目が180センチ88キロと恵まれた体格をしており、大学4年間を経由しなくても十分な体力的土台があること。二つ目が常時140キロ台の直球を両サイドに投げ分ける制球力があり、縦横のスライダーを自在に投げ分ける投球センスがあることだ。段階を追って育成していけば、高卒2年目から一軍定着出来る可能性を持った右腕だ。
(追記)
下記記事は、今年自由契約になった或る投手についてのウィキペディアの記述である。この投手はその年の大学ナンバーワン投手と言われた投手だが、通算15勝程度で終わり、その倍の負け数を記録した。防御率も惨憺たるものである。その理由が、制球力不足と投手頭脳の欠如にある、ということを強調しておく。
(以下引用)
直球はMAX154km/h。平均は140km/h前半から150km/h。スライダー、スローカーブ、カットボール、フォーク、チェンジアップと多彩な球種を持つ。
制球が悪く四球や暴投が多い。ボールの先行からストライクを取りに行った甘い球を痛打されることを課題としている。
「ドラフト会議情報局」より転載。
私としては、横浜とロッテに興味がある。どちらも東浜で行くならば、賢明だろう。どちらかというと横浜に決まってほしいが、親会社の安定性、(投手の勝利に貢献する)野手陣の能力や層の厚さを考えれば、ロッテの方が東浜にとってはいいだろう。
(以下引用)
12球団のドラフト情報 (10月25日朝刊より)
2012年10月25日
10月25日の朝刊からドラフト情報をまとめました。
(日刊スポーツ、スポーツニッポン、スポーツ報知、デイリースポーツ、中日スポーツ、以上5紙の紙面より)
読売ジャイアンツ
菅野(東海大・投手)の1位指名を再確認
2位以下は野手中心に指名予定
松富(別府大・内野手)の育成枠指名濃厚
中日ドラゴンズ
福谷(慶大・投手)の1位指名決定
2位で残っていたら大谷(花巻東・投手)指名
水口(四国IL香川・内野手)の下位指名検討
育成ドラフトには参加しない予定
東京ヤクルトスワローズ
藤浪(大阪桐蔭・投手)の1位指名を確認
谷内(国学院大・遊撃手)の獲得濃厚
広島東洋カープ
森(東福岡・投手)の1位指名決定
2位は佐藤(道都大・投手)、松葉(大体大・投手)ら
上本弟(明大・内野手)は3位指名予定
阪神タイガース
藤浪(大阪桐蔭・投手)の1位指名を再確認
小豆畑(西濃運輸・捕手)の2位指名濃厚
杉山(早大・内野手)を3位以下で指名する方針
赤堀(セガサミー・外野手)を3位以下で
横浜DeNAベイスターズ
明言ないが、東浜(亜大・投手)1位確実報道
北海道日本ハムファイターズ
大谷(花巻東・投手)1位を正式決定
埼玉西武ライオンズ
1位指名決まらず、ドラフト当日(今日)に決定
福岡ソフトバンクホークス
大谷(花巻東・投手)強行指名に含み
大滝(地球環境・外野手)を下位または育成指名か
東北楽天ゴールデンイーグルス
1位指名決まらず、ドラフト当日(今日)に決定
菅野(東海大)1位指名の可能性も
田村(光星学院・捕手)の指名有力か
佐藤(光南・投手)の指名検討
金子(立命大・外野手)をリストアップ
公文(大阪ガス・投手)をリストアップ
千葉ロッテマリーンズ
明言ないが、東浜(亜大・投手)1位確実報道
松永(大阪ガス・投手)一本釣りも
北條(光星学院)の1位指名も視野
オリックス・バファローズ
藤浪(大阪桐蔭・投手)1位指名を再確認
外れ1位は松葉(大体大・投手)有力
鈴木(二松学舎大付・外野手兼投手)を隠し玉に
私としては、横浜とロッテに興味がある。どちらも東浜で行くならば、賢明だろう。どちらかというと横浜に決まってほしいが、親会社の安定性、(投手の勝利に貢献する)野手陣の能力や層の厚さを考えれば、ロッテの方が東浜にとってはいいだろう。
(以下引用)
12球団のドラフト情報 (10月25日朝刊より)
2012年10月25日
10月25日の朝刊からドラフト情報をまとめました。
(日刊スポーツ、スポーツニッポン、スポーツ報知、デイリースポーツ、中日スポーツ、以上5紙の紙面より)
読売ジャイアンツ
菅野(東海大・投手)の1位指名を再確認
2位以下は野手中心に指名予定
松富(別府大・内野手)の育成枠指名濃厚
中日ドラゴンズ
福谷(慶大・投手)の1位指名決定
2位で残っていたら大谷(花巻東・投手)指名
水口(四国IL香川・内野手)の下位指名検討
育成ドラフトには参加しない予定
東京ヤクルトスワローズ
藤浪(大阪桐蔭・投手)の1位指名を確認
谷内(国学院大・遊撃手)の獲得濃厚
広島東洋カープ
森(東福岡・投手)の1位指名決定
2位は佐藤(道都大・投手)、松葉(大体大・投手)ら
上本弟(明大・内野手)は3位指名予定
阪神タイガース
藤浪(大阪桐蔭・投手)の1位指名を再確認
小豆畑(西濃運輸・捕手)の2位指名濃厚
杉山(早大・内野手)を3位以下で指名する方針
赤堀(セガサミー・外野手)を3位以下で
横浜DeNAベイスターズ
明言ないが、東浜(亜大・投手)1位確実報道
北海道日本ハムファイターズ
大谷(花巻東・投手)1位を正式決定
埼玉西武ライオンズ
1位指名決まらず、ドラフト当日(今日)に決定
福岡ソフトバンクホークス
大谷(花巻東・投手)強行指名に含み
大滝(地球環境・外野手)を下位または育成指名か
東北楽天ゴールデンイーグルス
1位指名決まらず、ドラフト当日(今日)に決定
菅野(東海大)1位指名の可能性も
田村(光星学院・捕手)の指名有力か
佐藤(光南・投手)の指名検討
金子(立命大・外野手)をリストアップ
公文(大阪ガス・投手)をリストアップ
千葉ロッテマリーンズ
明言ないが、東浜(亜大・投手)1位確実報道
松永(大阪ガス・投手)一本釣りも
北條(光星学院)の1位指名も視野
オリックス・バファローズ
藤浪(大阪桐蔭・投手)1位指名を再確認
外れ1位は松葉(大体大・投手)有力
鈴木(二松学舎大付・外野手兼投手)を隠し玉に