ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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いやあ、石破のあの目は人間の目ではないと思っていたが、魔物だったのだな。この猫ちゃんはそれを敏感に察して興奮したわけだ。さすが、家畜とはいえ、野生の勘は残っているのだろう。
(以下引用)
【衝撃的瞬間】石破茂幹事長に猫が反応! 猛烈な興奮状態になり暴れだす
ロケットニュース24
2012年12月17日13時31分
コメント22
.
写真拡大
選挙関連のテレビ番組に映った石破茂幹事長の姿。それを試聴していた猫が猛烈な興奮状態になり、暴れだすという現象が発生した。飼い主も猫の興奮状態に驚いたようで、とっさにその瞬間を撮影。
Twitterに「石破茂幹事長を見て興奮する猫の写真」を掲載したところ、インターネット上で大きな話題となって拡散している。ふだんは暴れない子らしいのだが……。
猫の飼い主はTwitterユーザーの fkatsura さん。猫がテレビに反応することはたまにあるが、どうして石破茂幹事長を見て興奮したのだろうか? もしかすると、猫にしかわからない何かしらのオーラのようなものが出ているのかもしれない。
ちなみにこの猫ちゃん、暴れる写真ばかり広まっているが、いつもはキュートでチャーミングな癒やし系ニャンコらしい。暴れる姿もユニークでおもしろいが、普通にかわいいポーズの写真も掲載されていたゾ♪
(以下引用)
【衝撃的瞬間】石破茂幹事長に猫が反応! 猛烈な興奮状態になり暴れだす
ロケットニュース24
2012年12月17日13時31分
コメント22
.
写真拡大
選挙関連のテレビ番組に映った石破茂幹事長の姿。それを試聴していた猫が猛烈な興奮状態になり、暴れだすという現象が発生した。飼い主も猫の興奮状態に驚いたようで、とっさにその瞬間を撮影。
Twitterに「石破茂幹事長を見て興奮する猫の写真」を掲載したところ、インターネット上で大きな話題となって拡散している。ふだんは暴れない子らしいのだが……。
猫の飼い主はTwitterユーザーの fkatsura さん。猫がテレビに反応することはたまにあるが、どうして石破茂幹事長を見て興奮したのだろうか? もしかすると、猫にしかわからない何かしらのオーラのようなものが出ているのかもしれない。
ちなみにこの猫ちゃん、暴れる写真ばかり広まっているが、いつもはキュートでチャーミングな癒やし系ニャンコらしい。暴れる姿もユニークでおもしろいが、普通にかわいいポーズの写真も掲載されていたゾ♪
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「ゲンダイネット」から転載。
野球ファンとしては、二刀流を見てみたいのだが、関根氏の言う通り、虻蜂獲らずになる可能性が高いとは思う。だが、これは投手と言えば完投するもの、という時代の話である。大谷をクローザーにするなら、二刀流でもいいのではないか、と私は思う。特に、リリーフで出た投手の打順が回ってきても、代打を出す必要が無い、というのはなかなかのメリットではないか。つまり、代打と代打の後の投手の二人の選手が節約できるわけだ。まあ、大谷の打者センスがどれほどのものかにもよるが、昔は堀内、江夏、平松のように、打力もある投手はたくさんいたのである。投手は投げさえすればいい、という現在の風潮は、野球をつまらなくした原因の一つだ。
ついでながら、堀内は1試合3ホームランという偉業があり、江夏は投手としてノーヒットノーランをした試合で、自らサヨナラホームランを打っている。その時に江夏は「野球は一人でもできる」と言ったとか言わないとかいう話である。
なお、まずまず成功した二刀流の選手として、近鉄の永渕洋三という選手がいる。この選手は関根潤三型の小柄な選手で、打率はなかなかであったはずだ。投手としてはリリーフ投手だったと思うが、投手成績は並といったところか。(引用2参照)
(以下引用)
投手で50勝、野手として1000本安打を初めて達成した関根潤三氏に聞く
【野球】
2012年12月14日 掲載
「現役時代はどう両立させていたのですか?大谷の二刀流はうまくいきますか?」
プロで二刀流に挑戦するのが、日本ハム入りを表明した大谷翔平(18=花巻東)だ。投げては160キロ、打っては高校通算56本塁打。投打とも抜けた素質があるのは間違いない。とはいえプロで本格的に二刀流をやった選手はごくひと握り。かつてヤクルトと大洋(現DeNA)で指揮を執った関根潤三氏(85)もそのひとり。現役時代に近鉄(現オリックス)のエースとして65勝(94敗)を挙げ、打者としては通算2割7分9厘(1137安打)、59本塁打、424打点。投打で球宴に出場した関根氏に、大谷が二刀流で成功するかどうか聞いてみた。
<「バッティングはセンス」>
――関根さんは当時、どんな二刀流だったのですか?
「私は投手でプロに入り、投げない日はピンチヒッターか、3番・右翼で出場していました。ケガもしない程度に練習、というかバッティングは遊びで打撃投手の球を打っていた程度。ピッチャーが商売ですから。大学時代もずっとエースで4番だったので、練習しなくても打てたんだ」
――練習しなくてもですか?
「バッティングって、そんなに練習してなくても打てるし、要はセンスなんです。実際、僕は相手投手の研究はほとんどしなかったし、練習時間は他の選手より少なかった。僕が(打撃で)結果を出せたのは打席数が少ないのもあったと思う」
――投手であることがバッティングに役立つこともありましたか?
「もちろん。相手投手の心理状態、例えばここで打ち取りたいだろうな、本当は度胸がないだろうなとか、そういうのは読み取れたし、あとはキャッチボールの時に球の回転をよく見るように意識していました。日大三中時代の教えです。そうすると打席に立った時にフォークかカーブか……そういうのが分かった。だから打てたと思う。要はボールを見極められたら(そこそこは)打てるのです」
<「ボクは両方とも中途半端」>
――限られた練習時間で投手と野手の両方で結果を出すのは難しくないのですか?
「ピッチャーをしている間は、何で野手は練習しているのに打てないんだと思っていましたよ。でも(57年に)野手に転向したけれど、バッティングはそれほど伸びなかった(野手転向前後ともに打率はほとんど変わらず)。バッティングに専念できたり、練習量が多ければ、それが結果につながるというわけではない。投手としても20勝して一人前と考えていたけれど、最高成績は(54年の)16勝。白星を残すためにはやはりそれなりに試合にも出なければならない。(振り返れば)僕は両方とも中途半端だった。大したことないし、両方とも二流。1年目で本塁打4本? そんなものかという感じ。なんとかこなしただけ。いい加減なもんだね(笑い)」
――ズバリ大谷は二刀流で成功すると思いますか。
「僕は大谷君を見てないので分かりません。でも、ハッキリ言って二刀流は中途半端になる。やめた方がいい。今まで二刀流で成功した選手がいますか? 二兎を追うものは一兎をも得ずですよ。エース兼4番で通算56本打ったといっても、そりゃ高校生だから。投手なら相手の研究や自分のフォームやら、一つのことでもやることがたくさんある。二つやって成功するなら一つに絞ってやった方がもっと成功するよ。二刀流でやっても間違いなく二流、もしくは一流の下だね」
▼せきね・じゅんぞう 1926年、東京都出身。左投げ左打ち。日大三中、法大を経て、50年にプロ入り。近鉄、巨人でプレーし、野手で1000本安打、投手で50勝をマークした初のプロ野球選手になった。引退後、広島と巨人でコーチ、大洋とヤクルトで監督を務める。03年に野球殿堂入り。現在は野球解説者。
(引用2「ウィキペディア」より)
永淵洋三
出身地
佐賀県佐賀市
生年月日
1942年5月4日(70歳)
身長
体重
168 cm
65 kg
選手情報
投球・打席
左投左打
ポジション
外野手、投手
プロ入り
1967年 ドラフト2位
初出場
1968年4月16日
最終出場
1979年
経歴(括弧内は在籍年)
佐賀県立佐賀高等学校
東芝
近鉄バファローズ (1968 - 1975)
日本ハムファイターズ (1976 - 1979)
永淵 洋三(ながぶち ようぞう、1942年5月4日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手(外野手、投手)。
現役時代は酒豪として知られ、水島新司の漫画「あぶさん」の主人公・景浦安武のモデルとなった[1][2]。
来歴・人物 [編集]
佐賀県に生れ、佐賀市立城南中学校から、県内有数の進学校佐賀県立佐賀高等学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)でエースとして活躍する。甲子園出場は第40回大会の夏の選手権大会に補欠として経験がある。(当時のバッテリーは、山田龍生-坂井岩夫)3年生の春の九州大会で優勝する。
その後、東芝に入社し、小柄ながら実戦的な投手兼外野手として活躍する。
1965年、西鉄ライオンズの入団テストを受けるが落ちる。2年後の1967年、東芝の元監督の伊丹安廣が早稲田大学野球部の後輩で近鉄バファローズ代表の芥田武夫に永淵を紹介[1]。入団テストに合格し近鉄入団が決まった。ドラフトでは伊丹-芥田ラインに敬意を払ったため形式的にドラフト2位で指名されたが、契約金は330万円と3位の小川亨の1000万円より安価な額となった[1]。しかし、東芝当時の月給が3万円に対し飲み屋に20万円のツケがあり、返済のアテもなく契約金で返済するしかないと考えていた永淵はこの額を了承し、近鉄と契約を結んだ[1]。
投手として選手登録されたが翌年の1968年4月16日、対東映戦で代打としてプロデビュー。石川緑の投げた初球の内角のストレートを叩き初打席初本塁打を記録[1]。その次の守備ではそのまま投手として登板し、2回2/3を投げ2安打1失点を記録した[1]。この年、監督の三原脩は永淵に投手、外野手、代打の3役を与えた。試合途中で代打に出て、次の回にマウンドに登り、何人か投げて、外野の守備に回ったり、外野からワンポイントリリーフでマウンドに行き、終わると又外野に戻るというような起用を行った。しかし打者としては打率.274、5本塁打、30打点を記録し新人王候補にもなったが、投手としては実力不足を露呈したため6月以降は登板がなかった[1]。
翌年の1969年からは野手に専念。3番右翼として127試合に出場し、打率.333を記録[1]。首位打者を張本勲と分け合った。張本のいる東映が全日程を終了し、永淵のいる近鉄が1試合を残している時点で永淵の打率が張本を上回っており、永淵は最終戦に出場しなければ単独で首位打者を獲得していたが、永淵は最終戦にスタメンで出場。結果的に打率2位だった張本と並んだ。この時酒好きであったことから当時の新聞などには「酒(主)力打者」と書かれた[1]。
その後も主軸打者として活躍するが、佐々木恭介など若手外野手の台頭で、徐々に出番が減り、1976年、西本幸雄監督の若返り策もあり、阪本敏三・八重沢憲一のトレードで、服部敏和と共に、三原が球団社長を勤めていた日本ハムに移る。日本ハムでも、外野手、指名打者として活躍したが、年齢から来る体力の衰えには勝てず、1979年シーズンを最後に現役を引退した。
1980年からは日本ハムの関西地区担当のスカウトとなり自身のように小柄でもいい選手がいるという方針で活動したが、大型選手に目が行く球団と対立し、ドラフト前の9月に辞表[1]。その翌日に大阪の焼鳥店に見習いとして働き、12月に故郷の佐賀で焼鳥店「あぶさん」を開店、現在でも経営している[1]。
酒の強さは並外れており、毎日試合後に飲みに出かけては、二日酔いで試合に出場することも多く、酒量も20代の頃には一晩に一升をあけるほどであった[2]。試合中にグラウンドに吐きながら守っていて線審の田川豊に注意されたというエピソードもある[3]。この話には続きがあり、その晩も永淵は飲みに行ったが、トイレで吐いていた中年男を介抱してあげたところその男は田川であった(田川も酒豪で有名だった)[4]。また打席に入ったときに相手チームの捕手から酒のにおいを指摘されることもあった[2]。
野球ファンとしては、二刀流を見てみたいのだが、関根氏の言う通り、虻蜂獲らずになる可能性が高いとは思う。だが、これは投手と言えば完投するもの、という時代の話である。大谷をクローザーにするなら、二刀流でもいいのではないか、と私は思う。特に、リリーフで出た投手の打順が回ってきても、代打を出す必要が無い、というのはなかなかのメリットではないか。つまり、代打と代打の後の投手の二人の選手が節約できるわけだ。まあ、大谷の打者センスがどれほどのものかにもよるが、昔は堀内、江夏、平松のように、打力もある投手はたくさんいたのである。投手は投げさえすればいい、という現在の風潮は、野球をつまらなくした原因の一つだ。
ついでながら、堀内は1試合3ホームランという偉業があり、江夏は投手としてノーヒットノーランをした試合で、自らサヨナラホームランを打っている。その時に江夏は「野球は一人でもできる」と言ったとか言わないとかいう話である。
なお、まずまず成功した二刀流の選手として、近鉄の永渕洋三という選手がいる。この選手は関根潤三型の小柄な選手で、打率はなかなかであったはずだ。投手としてはリリーフ投手だったと思うが、投手成績は並といったところか。(引用2参照)
(以下引用)
投手で50勝、野手として1000本安打を初めて達成した関根潤三氏に聞く
【野球】
2012年12月14日 掲載
「現役時代はどう両立させていたのですか?大谷の二刀流はうまくいきますか?」
プロで二刀流に挑戦するのが、日本ハム入りを表明した大谷翔平(18=花巻東)だ。投げては160キロ、打っては高校通算56本塁打。投打とも抜けた素質があるのは間違いない。とはいえプロで本格的に二刀流をやった選手はごくひと握り。かつてヤクルトと大洋(現DeNA)で指揮を執った関根潤三氏(85)もそのひとり。現役時代に近鉄(現オリックス)のエースとして65勝(94敗)を挙げ、打者としては通算2割7分9厘(1137安打)、59本塁打、424打点。投打で球宴に出場した関根氏に、大谷が二刀流で成功するかどうか聞いてみた。
<「バッティングはセンス」>
――関根さんは当時、どんな二刀流だったのですか?
「私は投手でプロに入り、投げない日はピンチヒッターか、3番・右翼で出場していました。ケガもしない程度に練習、というかバッティングは遊びで打撃投手の球を打っていた程度。ピッチャーが商売ですから。大学時代もずっとエースで4番だったので、練習しなくても打てたんだ」
――練習しなくてもですか?
「バッティングって、そんなに練習してなくても打てるし、要はセンスなんです。実際、僕は相手投手の研究はほとんどしなかったし、練習時間は他の選手より少なかった。僕が(打撃で)結果を出せたのは打席数が少ないのもあったと思う」
――投手であることがバッティングに役立つこともありましたか?
「もちろん。相手投手の心理状態、例えばここで打ち取りたいだろうな、本当は度胸がないだろうなとか、そういうのは読み取れたし、あとはキャッチボールの時に球の回転をよく見るように意識していました。日大三中時代の教えです。そうすると打席に立った時にフォークかカーブか……そういうのが分かった。だから打てたと思う。要はボールを見極められたら(そこそこは)打てるのです」
<「ボクは両方とも中途半端」>
――限られた練習時間で投手と野手の両方で結果を出すのは難しくないのですか?
「ピッチャーをしている間は、何で野手は練習しているのに打てないんだと思っていましたよ。でも(57年に)野手に転向したけれど、バッティングはそれほど伸びなかった(野手転向前後ともに打率はほとんど変わらず)。バッティングに専念できたり、練習量が多ければ、それが結果につながるというわけではない。投手としても20勝して一人前と考えていたけれど、最高成績は(54年の)16勝。白星を残すためにはやはりそれなりに試合にも出なければならない。(振り返れば)僕は両方とも中途半端だった。大したことないし、両方とも二流。1年目で本塁打4本? そんなものかという感じ。なんとかこなしただけ。いい加減なもんだね(笑い)」
――ズバリ大谷は二刀流で成功すると思いますか。
「僕は大谷君を見てないので分かりません。でも、ハッキリ言って二刀流は中途半端になる。やめた方がいい。今まで二刀流で成功した選手がいますか? 二兎を追うものは一兎をも得ずですよ。エース兼4番で通算56本打ったといっても、そりゃ高校生だから。投手なら相手の研究や自分のフォームやら、一つのことでもやることがたくさんある。二つやって成功するなら一つに絞ってやった方がもっと成功するよ。二刀流でやっても間違いなく二流、もしくは一流の下だね」
▼せきね・じゅんぞう 1926年、東京都出身。左投げ左打ち。日大三中、法大を経て、50年にプロ入り。近鉄、巨人でプレーし、野手で1000本安打、投手で50勝をマークした初のプロ野球選手になった。引退後、広島と巨人でコーチ、大洋とヤクルトで監督を務める。03年に野球殿堂入り。現在は野球解説者。
(引用2「ウィキペディア」より)
永淵洋三
出身地
佐賀県佐賀市
生年月日
1942年5月4日(70歳)
身長
体重
168 cm
65 kg
選手情報
投球・打席
左投左打
ポジション
外野手、投手
プロ入り
1967年 ドラフト2位
初出場
1968年4月16日
最終出場
1979年
経歴(括弧内は在籍年)
佐賀県立佐賀高等学校
東芝
近鉄バファローズ (1968 - 1975)
日本ハムファイターズ (1976 - 1979)
永淵 洋三(ながぶち ようぞう、1942年5月4日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手(外野手、投手)。
現役時代は酒豪として知られ、水島新司の漫画「あぶさん」の主人公・景浦安武のモデルとなった[1][2]。
来歴・人物 [編集]
佐賀県に生れ、佐賀市立城南中学校から、県内有数の進学校佐賀県立佐賀高等学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)でエースとして活躍する。甲子園出場は第40回大会の夏の選手権大会に補欠として経験がある。(当時のバッテリーは、山田龍生-坂井岩夫)3年生の春の九州大会で優勝する。
その後、東芝に入社し、小柄ながら実戦的な投手兼外野手として活躍する。
1965年、西鉄ライオンズの入団テストを受けるが落ちる。2年後の1967年、東芝の元監督の伊丹安廣が早稲田大学野球部の後輩で近鉄バファローズ代表の芥田武夫に永淵を紹介[1]。入団テストに合格し近鉄入団が決まった。ドラフトでは伊丹-芥田ラインに敬意を払ったため形式的にドラフト2位で指名されたが、契約金は330万円と3位の小川亨の1000万円より安価な額となった[1]。しかし、東芝当時の月給が3万円に対し飲み屋に20万円のツケがあり、返済のアテもなく契約金で返済するしかないと考えていた永淵はこの額を了承し、近鉄と契約を結んだ[1]。
投手として選手登録されたが翌年の1968年4月16日、対東映戦で代打としてプロデビュー。石川緑の投げた初球の内角のストレートを叩き初打席初本塁打を記録[1]。その次の守備ではそのまま投手として登板し、2回2/3を投げ2安打1失点を記録した[1]。この年、監督の三原脩は永淵に投手、外野手、代打の3役を与えた。試合途中で代打に出て、次の回にマウンドに登り、何人か投げて、外野の守備に回ったり、外野からワンポイントリリーフでマウンドに行き、終わると又外野に戻るというような起用を行った。しかし打者としては打率.274、5本塁打、30打点を記録し新人王候補にもなったが、投手としては実力不足を露呈したため6月以降は登板がなかった[1]。
翌年の1969年からは野手に専念。3番右翼として127試合に出場し、打率.333を記録[1]。首位打者を張本勲と分け合った。張本のいる東映が全日程を終了し、永淵のいる近鉄が1試合を残している時点で永淵の打率が張本を上回っており、永淵は最終戦に出場しなければ単独で首位打者を獲得していたが、永淵は最終戦にスタメンで出場。結果的に打率2位だった張本と並んだ。この時酒好きであったことから当時の新聞などには「酒(主)力打者」と書かれた[1]。
その後も主軸打者として活躍するが、佐々木恭介など若手外野手の台頭で、徐々に出番が減り、1976年、西本幸雄監督の若返り策もあり、阪本敏三・八重沢憲一のトレードで、服部敏和と共に、三原が球団社長を勤めていた日本ハムに移る。日本ハムでも、外野手、指名打者として活躍したが、年齢から来る体力の衰えには勝てず、1979年シーズンを最後に現役を引退した。
1980年からは日本ハムの関西地区担当のスカウトとなり自身のように小柄でもいい選手がいるという方針で活動したが、大型選手に目が行く球団と対立し、ドラフト前の9月に辞表[1]。その翌日に大阪の焼鳥店に見習いとして働き、12月に故郷の佐賀で焼鳥店「あぶさん」を開店、現在でも経営している[1]。
酒の強さは並外れており、毎日試合後に飲みに出かけては、二日酔いで試合に出場することも多く、酒量も20代の頃には一晩に一升をあけるほどであった[2]。試合中にグラウンドに吐きながら守っていて線審の田川豊に注意されたというエピソードもある[3]。この話には続きがあり、その晩も永淵は飲みに行ったが、トイレで吐いていた中年男を介抱してあげたところその男は田川であった(田川も酒豪で有名だった)[4]。また打席に入ったときに相手チームの捕手から酒のにおいを指摘されることもあった[2]。
アメリカ人は「安保ただ乗り論者」で日本を批判することがあるが、実際に、安保と憲法第九条は絶妙な組み合わせで、これによって日本は軍備の必要も無く、自ら戦争をする必要も無くなった。それと朝鮮戦争特需のおかげで日本は敗戦の焼け跡から復興ができたようなものだ。つまり、戦争を他人に任せることが国家繁栄の道。
そう考えると、安倍の路線は完全に間違いだ、となる。
(以下引用)
蔵建て男@kuratateo
俺はもっとアメリカさんに依存して、おだてにおだてて、日本を守ってもらった方がいいと思っている。これを自国で賄おうとしたら、物凄い経費がかかるし、それこそ軍事費にどのぐらい賭けないといけないのよ。勝手に血流して守ってもくれるなんて、こんな都合のいい条約ないでしょ。利用できるだけ利用
そう考えると、安倍の路線は完全に間違いだ、となる。
(以下引用)
蔵建て男@kuratateo
俺はもっとアメリカさんに依存して、おだてにおだてて、日本を守ってもらった方がいいと思っている。これを自国で賄おうとしたら、物凄い経費がかかるし、それこそ軍事費にどのぐらい賭けないといけないのよ。勝手に血流して守ってもくれるなんて、こんな都合のいい条約ないでしょ。利用できるだけ利用
「ベースボールフリークの部屋」というブログから大谷についての記事である。
実は私は大谷をテレビでさえも見たことがない。甲子園に出ていないのだから当然だ。そして、予選で敗退した時点で、この選手は投手として未完成である、と判断した。ただそれだけの根拠である。
下記記事では、スタミナと制球力に問題があるようだ。ピンチをしのぐ投球術もまだ無い、と読み取れる。つまり、プロで使えるレベルではない、ということである。しかし、1イニングだけ、しかも走者無しで、イニングの頭から行くならば、クローザーとしては使えるかもしれない。まあ、横浜の山口ノーコン投手みたいな「味方にとって恐怖のクローザー」になりそうだが。
(以下引用)
今まで大谷を見たなかでは一番の投球でした。常時150キロ~155キロを計測し、アウトローにズバリと決まるアウトコースのストレートは絶品でした。スライダー、縦スライダーのキレもプロ入りする投手と比較しても武器になるボールでしょう。
気になったのはコントロール、ボーク云々よりも彼がベストピッチ出来るのは6回までということでした。6回まで150キロが見られていたのですが、7回には140キロ台までガタ落ちしていました。そういえば大阪桐蔭戦でも150キロ前後の速球で圧倒しながらも、7回以降はガタッと調子を崩し、結果的に9失点を喫していました。この傾向から考えると、彼は先発として育てていく場合、5回~7回までは計算出来るが、完投は難しいという結論に至りました。今後、彼が完投を意識するならば、力の入れ加減を工夫していかなければ先発は出来ないでしょう。現状でも二軍でも圧倒出来る能力は秘めていますが、一軍で通用するならば、球種を増やす必要があるでしょうね。
韓国戦の投球は改めて彼を世界最高の逸材と感じさせるものでした。その器はまだ不安定ですが、それを固定させるようにして、大事なモノを詰め込んでいって大投手になってほしいですね。
ちなみに野手としてですが、アベレージヒッター~中距離打者になっていく予でしょうね。変化球に合わせ、ジャスミートさせる技術は今年の高校生ではNO.1。選抜では藤浪からスライダーをホームラン。世界選手権でも韓国の投手のスライダーを鮮やかに打ち返していました。気になったのはミートが良いから、合わせるだけの打撃に終始しているということ。身体が開いた状態から流し打ちするのが見られました。
統一球というのは引っ張ってでも飛ばしていける強さがあり、合わせて野手の頭に落とす打撃をしていた左打者は軒並み著しく成績を低下させている。投手として時間がかかるといわれると思いますが、野手としても一流のレベルに達するまでには3年はかかる打撃内容だと思いました。
実は私は大谷をテレビでさえも見たことがない。甲子園に出ていないのだから当然だ。そして、予選で敗退した時点で、この選手は投手として未完成である、と判断した。ただそれだけの根拠である。
下記記事では、スタミナと制球力に問題があるようだ。ピンチをしのぐ投球術もまだ無い、と読み取れる。つまり、プロで使えるレベルではない、ということである。しかし、1イニングだけ、しかも走者無しで、イニングの頭から行くならば、クローザーとしては使えるかもしれない。まあ、横浜の山口ノーコン投手みたいな「味方にとって恐怖のクローザー」になりそうだが。
(以下引用)
今まで大谷を見たなかでは一番の投球でした。常時150キロ~155キロを計測し、アウトローにズバリと決まるアウトコースのストレートは絶品でした。スライダー、縦スライダーのキレもプロ入りする投手と比較しても武器になるボールでしょう。
気になったのはコントロール、ボーク云々よりも彼がベストピッチ出来るのは6回までということでした。6回まで150キロが見られていたのですが、7回には140キロ台までガタ落ちしていました。そういえば大阪桐蔭戦でも150キロ前後の速球で圧倒しながらも、7回以降はガタッと調子を崩し、結果的に9失点を喫していました。この傾向から考えると、彼は先発として育てていく場合、5回~7回までは計算出来るが、完投は難しいという結論に至りました。今後、彼が完投を意識するならば、力の入れ加減を工夫していかなければ先発は出来ないでしょう。現状でも二軍でも圧倒出来る能力は秘めていますが、一軍で通用するならば、球種を増やす必要があるでしょうね。
韓国戦の投球は改めて彼を世界最高の逸材と感じさせるものでした。その器はまだ不安定ですが、それを固定させるようにして、大事なモノを詰め込んでいって大投手になってほしいですね。
ちなみに野手としてですが、アベレージヒッター~中距離打者になっていく予でしょうね。変化球に合わせ、ジャスミートさせる技術は今年の高校生ではNO.1。選抜では藤浪からスライダーをホームラン。世界選手権でも韓国の投手のスライダーを鮮やかに打ち返していました。気になったのはミートが良いから、合わせるだけの打撃に終始しているということ。身体が開いた状態から流し打ちするのが見られました。
統一球というのは引っ張ってでも飛ばしていける強さがあり、合わせて野手の頭に落とす打撃をしていた左打者は軒並み著しく成績を低下させている。投手として時間がかかるといわれると思いますが、野手としても一流のレベルに達するまでには3年はかかる打撃内容だと思いました。
「神童」何とかいう野球中心ブログから転載。
後半に、大リーグにおけるサインとサイン盗みについてのちょっと面白い記述があるので、備忘的に保存しておく。
(以下引用)
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2012/11/14
「メジャーの美学」
今年驚いたことだったのは、イチローのまったく急なヤンキースへの移籍だった。電撃移籍だったが、しかもその当日に、マリナーズ対ヤンキースの試合だった。これにイチローはヤンキースの選手として先発出場。メジャーでは、そんなことまであるんだなと、改めてびっくりしたわけだった。
ただ、あのときの疑問として、あの試合、両軍のサインはどうしているのだろう?という疑問がわいた。特にトレード移籍させたマリナーズのその日のサインはどうするんだろう?昨日までのサインなら、イチローにはマリナーズのサインは全て分かってしまう。その日のうちに高度なサインを全て変更することなど出来るのだろうか?また、イチローはその日のうちに、ヤンキースのサインを全て覚えることも出来たのだろうか?なにせ、昨日まで所属していた球団vs今日からの球団という試合で、新しいチームとして出場していたわけだ。
このような疑問をあの日から持っていたのだが、驚くことに、どうやらメジャーはそんな“些細なこと”には、気にも留めないらしいのだ。元大リーガー長谷川滋利氏によれば、メジャーのサインは大抵どこのチームも同じようなものらしく、基本、サインを盗んでまで結果を求めないという不文律というか美学で統一されているからなのだそうだ。だからあの日、当然イチローもマリナーズのサインを盗もうと思えば盗めただろうが盗むはずもなく、またチームもイチローにそんなことを要求しないのだそうだ。メジャーリーグの不文律のひとつ、サインを盗むような小汚い行為に対しては“報復死球”が待っているのだ。つまり、メジャーでは「サイン盗み」なんて行為は、論外でありえないのだ。だから俺たちの疑問なんて“些細なこと”でしかないらしい。
サイン盗みなどせこいことをして勝とうとしない、これはメジャーの美学であり、イチローの性格からしても、野球人としての美学と裏腹な行為をするはずはないだろう。俺たちのようなけちなことは考えないのだ。ヤンキースも紳士球団を自負している。ならば、そのようなサイン盗みなどは忌み嫌う行為であるし、汚いチーム等と言われることに対しては、最も恥ずべき行為と考えているだろう。そこがメジャーだと思いたい。
後半に、大リーグにおけるサインとサイン盗みについてのちょっと面白い記述があるので、備忘的に保存しておく。
(以下引用)
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2012/11/14
「メジャーの美学」
今年驚いたことだったのは、イチローのまったく急なヤンキースへの移籍だった。電撃移籍だったが、しかもその当日に、マリナーズ対ヤンキースの試合だった。これにイチローはヤンキースの選手として先発出場。メジャーでは、そんなことまであるんだなと、改めてびっくりしたわけだった。
ただ、あのときの疑問として、あの試合、両軍のサインはどうしているのだろう?という疑問がわいた。特にトレード移籍させたマリナーズのその日のサインはどうするんだろう?昨日までのサインなら、イチローにはマリナーズのサインは全て分かってしまう。その日のうちに高度なサインを全て変更することなど出来るのだろうか?また、イチローはその日のうちに、ヤンキースのサインを全て覚えることも出来たのだろうか?なにせ、昨日まで所属していた球団vs今日からの球団という試合で、新しいチームとして出場していたわけだ。
このような疑問をあの日から持っていたのだが、驚くことに、どうやらメジャーはそんな“些細なこと”には、気にも留めないらしいのだ。元大リーガー長谷川滋利氏によれば、メジャーのサインは大抵どこのチームも同じようなものらしく、基本、サインを盗んでまで結果を求めないという不文律というか美学で統一されているからなのだそうだ。だからあの日、当然イチローもマリナーズのサインを盗もうと思えば盗めただろうが盗むはずもなく、またチームもイチローにそんなことを要求しないのだそうだ。メジャーリーグの不文律のひとつ、サインを盗むような小汚い行為に対しては“報復死球”が待っているのだ。つまり、メジャーでは「サイン盗み」なんて行為は、論外でありえないのだ。だから俺たちの疑問なんて“些細なこと”でしかないらしい。
サイン盗みなどせこいことをして勝とうとしない、これはメジャーの美学であり、イチローの性格からしても、野球人としての美学と裏腹な行為をするはずはないだろう。俺たちのようなけちなことは考えないのだ。ヤンキースも紳士球団を自負している。ならば、そのようなサイン盗みなどは忌み嫌う行為であるし、汚いチーム等と言われることに対しては、最も恥ずべき行為と考えているだろう。そこがメジャーだと思いたい。
「迷スカウトツィッター」を読んでいたら、昨日私が書いた「来季横浜一軍構想」に近い会話があったので、転載しておく。
「迷スカウト」の管理人は「見ることのプロ」であるから、その考えが私に近いとすれば、私は自慢していいだろう。もっとも、どこが近いのだ、と言われるかもしれない。
筒香の特別扱いは、チームに大きな悪影響を与え、チームを失速させる、(今季は、「させた」)と私はずっと前に書いている。打率2割ぎりぎりの筒香を一塁や三塁で使うくらいなら、三塁は中村紀、一塁は後藤を使うべきであり、一塁にブランコが来るなら、もちろん筒香の出番はほとんど無い。まあ、試合後半の「ベテラン休ませ要員」でもさせながら育てればいいのである。
また、横浜のAクラス入り、つまりチャンピオンシップシリーズ出場のためには投手陣の踏ん張りが必要だというのは、十目の見るところ一致している話で、これまでの横浜の投手育成の怠慢が祟っているわけだ。で、これは奇跡に近い話なのだが、今季ドラフト指名の全投手、トレードで来た全投手が抜群の働きをした場合のみ、Aクラス入りが可能になる、ということである。横浜の既存投手が「化ける」ことはまず無い、と私は見ている。つまり、数人を残して、後は即座に首にするのが、球団、選手、お互いのためである。そうすれば選手も人生のやり直しがしやすいだろう。
(以下引用)
蔵建て男@kuratateo
@fabmccmusicsumo @shinichi811503 今は、交流戦もあるし、筒もブランコもフル出場が怪しいタイプなので、ノリがしっかり機能することは、大切な要素だと思います。上手く、ノリの能力を出させる雰囲気作りを、首脳陣も心がけて欲しいです。最近、乙坂が心配です。
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23時間伸一 野球 NFL@shinichi811503
ツラですよ、ツラw 筒香は自力でノリさんを引きずり降ろす実力をつけろという事ですかね。投手が踏ん張ればCSを期待させます。RT @kuratateo 誰だ、ヅラだけはすでに一人前だと 俺のことを言っているのは!
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23時間蔵建て男@kuratateo
@shinichi811503 かなり球団は、若手の競争を煽る政策を取るつもりですね。年々失速する危険がある荒波に対しては、ルーキーの赤堀を獲得し競争を煽ったり、筒香や中村紀を競わせたりと。特に筒香は、特別扱いが続いていましたから。
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2012年12月14日 - 16:18 · 詳細
「迷スカウト」の管理人は「見ることのプロ」であるから、その考えが私に近いとすれば、私は自慢していいだろう。もっとも、どこが近いのだ、と言われるかもしれない。
筒香の特別扱いは、チームに大きな悪影響を与え、チームを失速させる、(今季は、「させた」)と私はずっと前に書いている。打率2割ぎりぎりの筒香を一塁や三塁で使うくらいなら、三塁は中村紀、一塁は後藤を使うべきであり、一塁にブランコが来るなら、もちろん筒香の出番はほとんど無い。まあ、試合後半の「ベテラン休ませ要員」でもさせながら育てればいいのである。
また、横浜のAクラス入り、つまりチャンピオンシップシリーズ出場のためには投手陣の踏ん張りが必要だというのは、十目の見るところ一致している話で、これまでの横浜の投手育成の怠慢が祟っているわけだ。で、これは奇跡に近い話なのだが、今季ドラフト指名の全投手、トレードで来た全投手が抜群の働きをした場合のみ、Aクラス入りが可能になる、ということである。横浜の既存投手が「化ける」ことはまず無い、と私は見ている。つまり、数人を残して、後は即座に首にするのが、球団、選手、お互いのためである。そうすれば選手も人生のやり直しがしやすいだろう。
(以下引用)
蔵建て男@kuratateo
@fabmccmusicsumo @shinichi811503 今は、交流戦もあるし、筒もブランコもフル出場が怪しいタイプなので、ノリがしっかり機能することは、大切な要素だと思います。上手く、ノリの能力を出させる雰囲気作りを、首脳陣も心がけて欲しいです。最近、乙坂が心配です。
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23時間伸一 野球 NFL@shinichi811503
ツラですよ、ツラw 筒香は自力でノリさんを引きずり降ろす実力をつけろという事ですかね。投手が踏ん張ればCSを期待させます。RT @kuratateo 誰だ、ヅラだけはすでに一人前だと 俺のことを言っているのは!
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23時間蔵建て男@kuratateo
@shinichi811503 かなり球団は、若手の競争を煽る政策を取るつもりですね。年々失速する危険がある荒波に対しては、ルーキーの赤堀を獲得し競争を煽ったり、筒香や中村紀を競わせたりと。特に筒香は、特別扱いが続いていましたから。
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2012年12月14日 - 16:18 · 詳細
こういう、一見どうでもいいような「正直な感想」をはっきり口に出しておくことが、この「洗脳社会」を大掃除していってくれるのだと思う。
(以下引用)
小田嶋 隆@tako_ashi
舞妓さんの気持ち悪さは、大げさに言うと、中国の纏足やヨーロッパ中世のコルセットに通じる感覚です。古い時代に女性の身体の自由を拘束することを通じて「支配」を示唆していた権力者の意図を感じるからかもしれない。個人の感想ですが。
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11時間小田嶋 隆@tako_ashi
舞妓さんのきもちわるさは、顔の色が歯の色より白いところ。というよりも、顔より歯の方が黄色い。その歯を見せて笑った顔がとてもこわい。もちろん個人の感想ですが。
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11時間小田嶋 隆@tako_ashi
特権だから、稀少だからということだけでありがたがられているものがあると思います。
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11時間小田嶋 隆@tako_ashi
お茶屋遊びとか、日当が出てもごめんこうむりたい。 ※個人の感想です。
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11時間小田嶋 隆@tako_ashi
舞妓さんってきもちわるいよね。 ※個人の感想です。
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(以下引用)
小田嶋 隆@tako_ashi
舞妓さんの気持ち悪さは、大げさに言うと、中国の纏足やヨーロッパ中世のコルセットに通じる感覚です。古い時代に女性の身体の自由を拘束することを通じて「支配」を示唆していた権力者の意図を感じるからかもしれない。個人の感想ですが。
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11時間小田嶋 隆@tako_ashi
舞妓さんのきもちわるさは、顔の色が歯の色より白いところ。というよりも、顔より歯の方が黄色い。その歯を見せて笑った顔がとてもこわい。もちろん個人の感想ですが。
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11時間小田嶋 隆@tako_ashi
特権だから、稀少だからということだけでありがたがられているものがあると思います。
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11時間小田嶋 隆@tako_ashi
お茶屋遊びとか、日当が出てもごめんこうむりたい。 ※個人の感想です。
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11時間小田嶋 隆@tako_ashi
舞妓さんってきもちわるいよね。 ※個人の感想です。
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横浜2013年度一軍構成案 *太字は新戦力。*( )内は一軍当落線上。
先発
三浦、高埼、藤井、山口、三嶋、安倍(国吉、ブランドン) *山口は先発転向
中継ぎ
加賀美、小林、菊池、加賀、藤江、ソト、神内(大原、林、篠原)
抑え
ソーサ、井納
打順 *[ ]内は、調子によって入れ替えで先発、あるいは試合途中で変われる選手。
1 荒波(8)[赤堀]
2 内村(4)[渡辺直]
3 ブランコ(3)[後藤]
4 ラミレス(7)
5 多村(9)[金城]
6 中村(5)[筒香][宮崎]
7 石川(6)[白崎]
8 高城(2)[鶴岡][黒羽根]
9 投手
控え選手
(捕手)
細山田
(内野)
梶谷
(外野)
森本、下園
[コメント]
◎ これ以外の選手は、昨年度成績から見て、すべて不要選手である。プロ入り3年以内の若手以外は首にして良い。
◎ 中継ぎ投手が多すぎ、先発が少なすぎ、捕手が人材難というのが横浜の問題。
◎ 捕手が不作のため、リードがいいと言われる細山田を1軍に上げた。
先発
三浦、高埼、藤井、山口、三嶋、安倍(国吉、ブランドン) *山口は先発転向
中継ぎ
加賀美、小林、菊池、加賀、藤江、ソト、神内(大原、林、篠原)
抑え
ソーサ、井納
打順 *[ ]内は、調子によって入れ替えで先発、あるいは試合途中で変われる選手。
1 荒波(8)[赤堀]
2 内村(4)[渡辺直]
3 ブランコ(3)[後藤]
4 ラミレス(7)
5 多村(9)[金城]
6 中村(5)[筒香][宮崎]
7 石川(6)[白崎]
8 高城(2)[鶴岡][黒羽根]
9 投手
控え選手
(捕手)
細山田
(内野)
梶谷
(外野)
森本、下園
[コメント]
◎ これ以外の選手は、昨年度成績から見て、すべて不要選手である。プロ入り3年以内の若手以外は首にして良い。
◎ 中継ぎ投手が多すぎ、先発が少なすぎ、捕手が人材難というのが横浜の問題。
◎ 捕手が不作のため、リードがいいと言われる細山田を1軍に上げた。
中日の3外人選手がそろって横浜に移籍することは分かっていたが、どの程度の成績の選手か知らなかったので、この記事は有難い。
実に素晴らしい成績ではないか。3人とも横浜にとっては大きな戦力だ。特に投手二人の加入は、使える投手がまったくいなかった横浜にとっては最高の補強である。
これで平野が横浜に入り、梶谷のへぼ遊撃守備の不安が解消されれば、横浜は一気にAクラス入りが狙える。もっとも、平野の遊撃守備はまだ大丈夫なのかどうか不安もあるが、守備は天才だから大丈夫だろう。もちろん、平野二塁でもいいが、二塁は余り気味である。
ブランコも、怪我が無ければ30本塁打が打てる打者だし、長打力不足もこれである程度解消できる。逆に、中日は成績が相当悪化しそうである。
まあ、高木監督はあんまり好きじゃないから、どうでもいいが。
横浜は、後は監督を補佐する頭脳が欲しい。野村克也における、ドン・ブレイザー的な作戦参謀がいればいいのだが、クリート・ボイヤーあたり、もう野球からは完全に離れているのでなければ、大リーグの頭脳を横浜に注入してくれるのではないか。もっとも、ボイヤーがまだ生きているかどうかさえ私は知らないのだが。
ジョン・シピンなどは、あまり頭が良さそうには見えなかったから要らないだろう。
(以下引用)
1 :風吹けば名無し 2012/11/29(木) 08:21:40.06 ID:jzIw5Qe5
中日の近藤康之国際部長は28日、球団が来季の戦力として契約の権利を保留する選手としてコミッショナーに提出する名簿から、トニ・ブランコ内野手(32)、ホルヘ・ソーサ投手(35)、エンジェルベルト・ソト投手(30)の3選手を外すことを明らかにした。
代理人を通じて契約交渉してきたが条件面で折り合わず、独占交渉期間中の合意が難しくなったため。名簿の提出期限は30日で、外れた選手は自由契約選手として公示され、他球団との交渉が可能になる。すでに3選手ともにDeNAの移籍が決定的となっている。
来日1年目の09年に本塁打、打点の2冠を獲得したブランコは今季、左手骨折の影響で96試合の出場にとどまったが、打率・248、24本塁打、65打点 をマークし、一塁手でセ・リーグのベストナインに選ばれた。ソーサは53試合で5勝1敗4セーブ、防御率1・85、ソトは18試合で4勝1敗、防御率2・ 17の成績だった。
(追記) 「クリート・ボイヤー」で検索したところ、何とこの12月4日に亡くなったばかりだそうである。「濱鯨編集工房日記」というブログから転載する。残念なことである。ボイヤーが今の梶谷の守備を見ていたら、何と嘆いていただろうか。
(以下引用)
追悼クリート・ボイヤー
こんなニュースが飛び込んできました。
米大リーグのヤンキースなどで活躍し、日本の大洋(現横浜)にも在籍したクリート・ボイヤー氏が4日、アトランタで死去した。70歳だった。 大リーグの公式ホームページによると、ボイヤー氏は三塁手としてヤンキースの5年連続ワールドシリーズ進出に貢献するなど、大リーグ通算で打率2割4分2厘、162本塁打の成績を残した。 大洋では72年から75年までプレーし、打率2割5分7厘、71本塁打、218打点。(時事)
ホエールズ/ベイスターズのオールドファンにとっては懐かしい名前ですが、もう70歳でしたか。合掌。
盛りを過ぎたとはいえ、ニューヨーク・ヤンキースの正三塁手が、あの汚い川崎球場で4年もプレーしてくれていたんですね。私が中学生の頃ですから、何度か生で見ているはずです。
いっしょにやってきたのが、まだ若僧の二塁手ジョン・シピン。そのヘアスタイルともみあげから「ライオン丸」の異名で人気を博しました。人格高潔なボイヤー先生の指導もあってか球団史を彩る名選手の一人になりましたが、現役の晩年、読売に移籍すると対戦相手である大洋の投手になぐりかかるなど、不良外人の印象が残ってしまったのが残念です。
さて、亡くなったボイヤーさんですが、なんといっても魅力はその守備でした。当時、大洋の内野は、ファーストにコンバートされた松原誠、二塁にシピン、ショートは守備の名手米田慶三郎、そしてサードにボイヤーという布陣でした。ちなみに捕手は、こちらも先日亡くなったばかりの伊藤勲さんでした。
つまり、ボイヤーをお手本にして内野守備が抜群に締まり、その伝統が今日まで連綿と続いてきたのです。
たとえば、米田のポジションを奪った、後の名遊撃手山下大輔は、ボイヤーと米田の守備に畏敬の念を持っていたといいますし、直接ボイヤーの指導を受けたという話を聞いたことがあります。そしてその系譜は、高木豊、高橋雅裕、進藤達哉、石井琢朗、そして藤田一也(まだ?)に及びます。
今思えば、あの当時、日本の野球をバカにせず、プレーそのものもさることながら、惜しみなくその技術を伝えたメジャーリーガーがいたというのは、幸せなことだと思います。そして、彼はアメリカに戻ってからも、MLBの選手の情報や事情を、当時のスカウト兼通訳の牛込惟浩氏に伝えてくれていたそうです。
ちょっと今回もマニアックな話題でしたね。けれど「ホエールズ/ベイスターズ検定」では(そんなのないけど)初級レベルの知識です。だから関係者以外は読まなくていいっす、って最後に書いてどうする……。
実に素晴らしい成績ではないか。3人とも横浜にとっては大きな戦力だ。特に投手二人の加入は、使える投手がまったくいなかった横浜にとっては最高の補強である。
これで平野が横浜に入り、梶谷のへぼ遊撃守備の不安が解消されれば、横浜は一気にAクラス入りが狙える。もっとも、平野の遊撃守備はまだ大丈夫なのかどうか不安もあるが、守備は天才だから大丈夫だろう。もちろん、平野二塁でもいいが、二塁は余り気味である。
ブランコも、怪我が無ければ30本塁打が打てる打者だし、長打力不足もこれである程度解消できる。逆に、中日は成績が相当悪化しそうである。
まあ、高木監督はあんまり好きじゃないから、どうでもいいが。
横浜は、後は監督を補佐する頭脳が欲しい。野村克也における、ドン・ブレイザー的な作戦参謀がいればいいのだが、クリート・ボイヤーあたり、もう野球からは完全に離れているのでなければ、大リーグの頭脳を横浜に注入してくれるのではないか。もっとも、ボイヤーがまだ生きているかどうかさえ私は知らないのだが。
ジョン・シピンなどは、あまり頭が良さそうには見えなかったから要らないだろう。
(以下引用)
1 :風吹けば名無し 2012/11/29(木) 08:21:40.06 ID:jzIw5Qe5
中日の近藤康之国際部長は28日、球団が来季の戦力として契約の権利を保留する選手としてコミッショナーに提出する名簿から、トニ・ブランコ内野手(32)、ホルヘ・ソーサ投手(35)、エンジェルベルト・ソト投手(30)の3選手を外すことを明らかにした。
代理人を通じて契約交渉してきたが条件面で折り合わず、独占交渉期間中の合意が難しくなったため。名簿の提出期限は30日で、外れた選手は自由契約選手として公示され、他球団との交渉が可能になる。すでに3選手ともにDeNAの移籍が決定的となっている。
来日1年目の09年に本塁打、打点の2冠を獲得したブランコは今季、左手骨折の影響で96試合の出場にとどまったが、打率・248、24本塁打、65打点 をマークし、一塁手でセ・リーグのベストナインに選ばれた。ソーサは53試合で5勝1敗4セーブ、防御率1・85、ソトは18試合で4勝1敗、防御率2・ 17の成績だった。
(追記) 「クリート・ボイヤー」で検索したところ、何とこの12月4日に亡くなったばかりだそうである。「濱鯨編集工房日記」というブログから転載する。残念なことである。ボイヤーが今の梶谷の守備を見ていたら、何と嘆いていただろうか。
(以下引用)
追悼クリート・ボイヤー
こんなニュースが飛び込んできました。
米大リーグのヤンキースなどで活躍し、日本の大洋(現横浜)にも在籍したクリート・ボイヤー氏が4日、アトランタで死去した。70歳だった。 大リーグの公式ホームページによると、ボイヤー氏は三塁手としてヤンキースの5年連続ワールドシリーズ進出に貢献するなど、大リーグ通算で打率2割4分2厘、162本塁打の成績を残した。 大洋では72年から75年までプレーし、打率2割5分7厘、71本塁打、218打点。(時事)
ホエールズ/ベイスターズのオールドファンにとっては懐かしい名前ですが、もう70歳でしたか。合掌。
盛りを過ぎたとはいえ、ニューヨーク・ヤンキースの正三塁手が、あの汚い川崎球場で4年もプレーしてくれていたんですね。私が中学生の頃ですから、何度か生で見ているはずです。
いっしょにやってきたのが、まだ若僧の二塁手ジョン・シピン。そのヘアスタイルともみあげから「ライオン丸」の異名で人気を博しました。人格高潔なボイヤー先生の指導もあってか球団史を彩る名選手の一人になりましたが、現役の晩年、読売に移籍すると対戦相手である大洋の投手になぐりかかるなど、不良外人の印象が残ってしまったのが残念です。
さて、亡くなったボイヤーさんですが、なんといっても魅力はその守備でした。当時、大洋の内野は、ファーストにコンバートされた松原誠、二塁にシピン、ショートは守備の名手米田慶三郎、そしてサードにボイヤーという布陣でした。ちなみに捕手は、こちらも先日亡くなったばかりの伊藤勲さんでした。
つまり、ボイヤーをお手本にして内野守備が抜群に締まり、その伝統が今日まで連綿と続いてきたのです。
たとえば、米田のポジションを奪った、後の名遊撃手山下大輔は、ボイヤーと米田の守備に畏敬の念を持っていたといいますし、直接ボイヤーの指導を受けたという話を聞いたことがあります。そしてその系譜は、高木豊、高橋雅裕、進藤達哉、石井琢朗、そして藤田一也(まだ?)に及びます。
今思えば、あの当時、日本の野球をバカにせず、プレーそのものもさることながら、惜しみなくその技術を伝えたメジャーリーガーがいたというのは、幸せなことだと思います。そして、彼はアメリカに戻ってからも、MLBの選手の情報や事情を、当時のスカウト兼通訳の牛込惟浩氏に伝えてくれていたそうです。
ちょっと今回もマニアックな話題でしたね。けれど「ホエールズ/ベイスターズ検定」では(そんなのないけど)初級レベルの知識です。だから関係者以外は読まなくていいっす、って最後に書いてどうする……。
久し振りに小田嶋師のお言葉である。
このあたりの発言とは無関係だが、小田嶋師の欠点は、自分が根深い懐疑論者でありながら、フリージャーナリストや陰謀論者における「既存体制に騙されるものか」という懐疑の姿勢に対して非常に否定的、批判的であることかもしれない。
まあ、大口ブラウン氏の名言「完全な人間はいないさ」という言葉もあることだし、そうした些細な欠点は取るに足らないものではあるが、懐疑論者の懐疑論否定は自己否定であり、自己否定は生物の保存則に反する危険な心性であるから、やや気になるところである。
上記の言葉とは無関係に、下のお言葉はまことにケンケンフクヨウするに足る金言である。
今回の記事タイトルはやや言い過ぎだが、嫌いなものは批判的に見ることができるからいろいろと思考が発展する機会になる。好きなものにはただ溺れるだけで、そういう惑溺からは何も発展的なものは生まれない、とは言えそうである。
(以下引用)
小田嶋 隆@tako_ashi
職業柄、「自分の好みからすれば本来読むはずのない本」を読まなければならない機会が多少あるのだが、勉強になっているのは、どちらかといえば、自分が好きで買って読んでいる本じゃなくて、義務で読む本の方だったりする。
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11時間小田嶋 隆@tako_ashi
ネットの弱点は、「好きなものしか見ない」ところにある。あるタイプの情報は、先方から強制的に注入されないと入ってこない。
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12時間小田嶋 隆@tako_ashi
最近ちょっと思うのは、「バカなバラエティ」や「いけ好かない情報番組」や「見え透いたドラマ」を見なくなったことで、自分が賢くなったわけではなくて、むしろ偏屈になった気がするということ。ネットが無かった頃は、いやいやながら見ているテレビからけっこう学んでいたのかもしれない。
このあたりの発言とは無関係だが、小田嶋師の欠点は、自分が根深い懐疑論者でありながら、フリージャーナリストや陰謀論者における「既存体制に騙されるものか」という懐疑の姿勢に対して非常に否定的、批判的であることかもしれない。
まあ、大口ブラウン氏の名言「完全な人間はいないさ」という言葉もあることだし、そうした些細な欠点は取るに足らないものではあるが、懐疑論者の懐疑論否定は自己否定であり、自己否定は生物の保存則に反する危険な心性であるから、やや気になるところである。
上記の言葉とは無関係に、下のお言葉はまことにケンケンフクヨウするに足る金言である。
今回の記事タイトルはやや言い過ぎだが、嫌いなものは批判的に見ることができるからいろいろと思考が発展する機会になる。好きなものにはただ溺れるだけで、そういう惑溺からは何も発展的なものは生まれない、とは言えそうである。
(以下引用)
小田嶋 隆@tako_ashi
職業柄、「自分の好みからすれば本来読むはずのない本」を読まなければならない機会が多少あるのだが、勉強になっているのは、どちらかといえば、自分が好きで買って読んでいる本じゃなくて、義務で読む本の方だったりする。
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11時間小田嶋 隆@tako_ashi
ネットの弱点は、「好きなものしか見ない」ところにある。あるタイプの情報は、先方から強制的に注入されないと入ってこない。
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12時間小田嶋 隆@tako_ashi
最近ちょっと思うのは、「バカなバラエティ」や「いけ好かない情報番組」や「見え透いたドラマ」を見なくなったことで、自分が賢くなったわけではなくて、むしろ偏屈になった気がするということ。ネットが無かった頃は、いやいやながら見ているテレビからけっこう学んでいたのかもしれない。