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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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私は山本浩二のファンでも何でもないが、下記記事は最初から悪意をもって山本氏を誹謗しているように見えるので、いささか眉をひそめる者である。ここでの山本氏の解説にはどこにも「失笑」するようなところはない。
(両チーム無得点で)無死一塁での走者が出た場合の戦法は、「送る」「そのまま打たせる」「ヒットエンドラン」「まず盗塁させる」の4つが主であり、走者や打者の能力、相手守備陣形や相手投手の個性を考えて、攻撃側は決断することになる。その決断は簡単ではないから、山本氏がその予測をするのに数秒沈黙したのは当然である。そして、その判断は非常に微妙なものであり、実際の監督の気まぐれ、無知、無能などのために思いがけない決定が下されることも当然ある。解説者の予想が当たるかどうかなど、偶然でしかないし、解説者の役目は予言や予想ではない。プレーの「解説」をすることなのだ。
そして、「ヒットエンドラン」は「どのようなボールが来ても打たねばならず、打者はそのリスクを負う」「通常の盗塁とは異なり、どんな投球状況でも走者は必ず走らねばならないから、ピッチアウトされると二塁で刺される確率が盗塁より高い」というリスキーなプレーなのだから山本氏が「意外にも」と前置きしたのは当然のことだ。両チーム無得点の3回表で、ヒットエンドランが失敗したら、チームの士気に悪影響が出るのも当然なのだから、こういう冒険的戦法をこの段階で取るかどうかは攻撃側監督の個性にもよるが、ほとんどはその場の思いつきにすぎない。
さらに、「その谷繁の三遊間の深いゴロで森野は二塁へ。1死二塁となり」ということは、明らかに中日側は「ヒットエンドラン」をやったということであるから山本氏の予測は当たったのだ。これのどこが「失笑」ものなのか。それとも、谷繁の次の打者が投手なのだから、監督なら百人が百人とも「ヒットエンドラン」をやるはずだ、とでも言うのだろうか。それなら監督など不要な存在だろう。まあ、実際そういう監督も多いが。
要するにこの記者は「ヒットエンドラン」という戦法の意味内容もほとんど知らず、そのリスクにもほとんど無知なままで「野球の戦法と言えばヒットエンドラン」くらいの頭で書いているのだろう。
そして、「1死二塁からのバント」などほとんど高校野球でしかやらない戦法であり、ワンヒットで二塁からホームに帰るのがプロの基本能力である以上、こんな戦法はアウトカウントをわざわざ一つ増やして相手側に貢献する愚劣な戦法でしかない。投手といえどもバットを持っている以上はヒットを打つ可能性はあるが、バントではそれがほとんどゼロになるのである。高木監督のこの愚劣な作戦に対しては「(エッヘッヘ。)珍しい作戦をするね。ペナントではああいう作戦はあまりない」と言うのは当然であり、「自分のアタマにはなかった作戦を笑ってゴマカしていた。」という評は悪意からの評以外の何物でもない。ここでもこの記者の頭には「打者が投手ならバント」という固定観念しかなく、自分の野球頭が低レベルであることに気付いてもいない。しかもその書き方が悪意に満ちている。まあ、そういう「夜郎自大」人間はこの現代社会には溢れているのだが、報道関係にいてはならないタイプの人間だ。
新聞記者の中でもスポーツ記者にはわりとまともな記者が多いものだが、このように最初から悪意をもって記事を書く、という場合もあるから、困ったものである。あるいは、ただ無知なだけなのかもしれないが、無邪気な読者は書かれたことをそのまま信じるのだから、読み手が注意すべきことであり、また新聞上層部は、こうした記事には厳重注意を与えるべきだろう。それはひいてはその新聞全体への信頼の低下となるのだから。
まあ、「たかが新聞だ」と書き手側自身が思っているなら、話は別である。



(以下引用)


山本 WBC代表監督の失笑解説




ゲンダイネット
2012年10月19日17時00分

コメント 9





<2死から前進守備?>

「何が言いたいんでしょうね」

 と、関係者も苦笑いだった。17日の中日が3―1で巨人を下したCS最終ステージ第1戦。WBC日本代表の山本浩二監督(65)が就任後初となるテレビ解説を行った。以前からこの人の解説は「当たり前のことしか言わない。中身がない」ともっぱらだったが、案の定……。

 0―0で迎えた三回表に中日先頭の森野が中前打で出塁。打席に谷繁を迎えて、実況のアナ氏が山本監督に「ここはどう動いてくるでしょう」と話を振った。すると山本監督、「どうしますかねぇ……」と言ったきりしばらく沈黙。数秒後に「意外とエンドランが考えられる。この(2ボール1ストライクの)カウントなんか確率が高いですよ」と意外でも何でもない予想をしてみせたが、中日ベンチは動かず。実況席には沈黙が流れた。

 その谷繁の三遊間の深いゴロで森野は二塁へ。1死二塁となり、打席に投手の大野。アナ氏が再び、「ここはどうしますか?」と山本監督に水を向けるや、

「ここは打たせてくるでしょう」

 と、キッパリ言い切ったが、その直後に大野は無情にもバントの構え。「エッヘッヘ。珍しい作戦をするね。ペナントではああいう作戦はあまりない」と、自分のアタマにはなかった作戦を笑ってゴマカしていた。

 こうなってくると、もうグダグダだ。隣で解説していた江川卓氏が、「ここで送る意味があるとすれば、三塁に進めることで巨人が点数を与えたくないと、前進守備を敷いてくるかもしれない」と“助け舟”を出すと、「あーあー、それはありますね」と江川解説に乗っかったものの、たとえ大野が犠打で走者を三塁に送っても、2死から巨人が前進守備を敷くわけがない。2人ともメチャクチャだ。

 ゲスト解説として登場した元阪神の金本が「センターだけが少し前に動いた」とか、六回に内海が平田に適時打を打たれた場面では、「(前打者の)ブランコと同じ配球だった」などと視野の広さを見せただけに、山本監督の中身のない解説が際立ってしまった。

 この日の試合前、報道陣の囲み取材に応じた山本監督は、代表入りが熱望されているダルビッシュ(レンジャーズ)についても、「(交渉が)スムーズにいってほしいよな」とリップサービスもなく、「記事を作れないよ」と記者を困らせていたが、やっぱりこの人には日の丸監督は荷が重い。

(日刊ゲンダイ2012年10月18日掲載)
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椎名高志ツィッターはギャグと妄想の宝庫であり、彼の漫画と同じくらい面白い。まったく、これほどのネタを惜しげもなく無料で公開しているのに驚くほどである。
しかも、他の漫画家さんも時々参加して話が盛り上がるのが、また嬉しい。
下記の一連の話は、そうした遊び心に溢れたネタの一例であるが、読む場合は下から読むのが順路である。逆順でも面白いけど。
これまでは男性漫画家が会話に加わることが多かったが、羽海野チカ先生の登場は初めて見た。女性目線のコメントが面白い。
田中芳樹の「アルスラーン戦記」だったかと思うが、わりと堅物の武将がどういうわけか美人三姉妹全員と結婚した話を思い出した。



(以下引用)



椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

なにそれ萌える RT @rikka4869 男兄弟がおらず、お兄ちゃんがずっと欲しかった我々三姉妹は長女が結婚したらお兄ちゃんが出来る、という結論でまとまりかけましたが、長女がじゃあ自分には兄が出来ないのかとゴネました。その数年後彼女は二男と結婚したので皆幸せになりました(笑)



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

男子は全員妄想してると思いますがまた社会に貢献できた喜びでいっぱいですww QT @CHICAUMINO 長女と付き合うと義理の妹が二人ついてくる!というのは目から鱗どころか角膜が剥がれそうです!



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

描いて先生今すぐ!ww RT @CHICAUMINO  Σ(´ω`)な、なぜか考えたことが無かったのです!盲点!確かに素晴らしい設定です!! ちなみに私は…先生に片思いしている女子高生とかで、実はもう全然片思いなんかじゃなくて…という設定が(゚д゚)ウマーです。そこに同級生の男の



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

あっ  RT @madchang77 それ、「クロスゲーム」っぽくないですか?



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

逆『タッチ』というのを思いついたけど、双子姉妹と仲良しな俺という以外何も思いつかない。あと途中で死んじゃやだ。



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

それもまた業が深い選択だなあww  RT @AimTop2 それは、極めて正常です ワシとしては、ちょっとでも嫉妬深い方と付き合いたいです



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

ジュ・・ジュリいいいいいい!!  RT @bota9沢田研二離婚の真相とかいろいろ妄想してたのに(´Д` )



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

村上春樹の「1973年のピンボール」は私も好きだな。208ちゃんと209ちゃんな。あとヒュー・ヘフナーが実際に19歳双子美人とつきあってたな。羨ましいな。



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

馬鹿だなあ「二人ともつきあってください」って正直に言わないから  RT @mckkizm昔、そっくりな双子両方の前で「どっちでもいいから付き合ってください」と告白して、結果両方に振られた男子を目撃したことがあります。



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

誰が本当のことを言えと言った(笑)  RT @DinDonDanDan 双子と二十年以上親友ですが、「双子」として接したことないです~ 双子ってだけで結構見た目も性格も違いますよ。双子というより「同い年の姉妹」ですね。



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

あ、同じ病気の人だww  RT @suimugen二人入れ替わってみたのに言い当てられてドキッとしてる顔がたまらんです(妄想



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

ばっかおめー違うタイプだとそれただのハーレムじゃん!? 同じ顔で同じプロポーションで同じ服の美女二人だからドキドキすんじゃん!? ほんで俺にだけは微妙な違いがわかるんだけど、向こうはそれをさらに混乱させてキャッキャウフフって(もういい)



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

あと美人双子姉妹の両方と同時につきあいたいとか妄想してしまうのはこれどういう病気なんだろうな。カレー2杯食いたいのと関係あるかな。



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

あれ・・女子は・・違うのですか・・・? イケメンの義兄と義弟は・・あれ?  RT @CHICAUMINO 今、男子の夢の無限の広がりに激しい驚愕と感動をおぼえました!なるほどと膝を打ちまくりました!押忍



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

猫目泥棒のるい姉さんにもできることはなにもなさそうだ。いや可愛がりたいというならウェルカムですが。てか次女もキツいな。あ、三女もキツいや。



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

あーでもあさぎさんはないな・・そんなにはMじゃない・・



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

ひなたちゃんとモモちゃんの気持ちは嬉しいけどぼくはあかりさんが好きなんだでもだからきみたちのことも本当の妹のように思っているよブツブツ



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

そして最終的に「義兄さんなんかなんにもわかってない! 義兄さんなんか・・なんで義兄さんなのよ・・!」と私の胸の中で泣きく三女を希望します  RT @sukace 三女にバカ野郎!!って言われるのもいいんですけど。やはり優しい長女に耳かきとかされたいです!Σ



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10月16日椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

三姉妹の出てくる漫画ではだいたい長女が好きなのは私が包み込んであげたいからであって義兄になれば全てが自分のものになるような気がするからではない。



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巨人の沢村が、このままでは二流投手で終わるだろう、ということを書いた昔のブログを再掲載しておく。
現在の沢村の不調は一過性の病ではなく「慢性病」なのである。しかし、それはある意味では「頭の病」なので、変わる可能性もある。
私はべつに沢村ファンでも何でもないが、彼が下記記事を素直に読めば、自分のどこが悪いのかは分かるはずだ。あるいは、一生の転機になるかもしれない。

ついでながら、日ハムの斎藤は大学中盤で「半分終わっている」投手だが、本人がそれを分かっていない、という点で沢村と同じ「頭の悪さ」がある。
今シーズン前半は「フォームが一定していない」ことが逆に好結果を生んで勝ちを重ねたが、もともと決め球が無い投手だから、相手に慣れられたら勝てなくなるのは当然だろう。彼に対しては良い処方箋は無い。リーグを変えればあと何勝かはできるかもしれないが、一回り対戦した時点で終わりである。
いくら「投球術」が大事だ、と言っても、それを生かす確実な「武器」を持っていなければ、プロではやっていけるはずはない。


(以下過去ブログより引用)


勝てない投手
「日刊ゲンダイ」電子版から転載。
いやあ、こういうふうに論理的分析をしている野球記事は面白いねえ。私が野球が好きなのは、こういうふうに「考える楽しみ」があるからなのだ。
パのエース投手が言う「勝てない投手」の代表が、高校時代の「怪物」江川である。投手が一人で相手打線をどんどん三振に取るからバックはすることがない。だから、たまに打球が来るとエラーをする。たまに活躍してもちやほやされるのは江川だけだから、打って投手を援護する気にもなれない。そういう悪循環で、江川は二年生の時は、県予選のほとんどの試合をノーヒットノーランに抑えるというあきれた働きをしながら、県予選決勝では味方エラーで敗れ、甲子園に出られなかったのである。ちなみに、この頃の江川が投手江川のピークであったようだ。


(以下引用)


パのエース投手が看破「だから沢村は勝てない」
【野球】
2011年6月7日 掲載
日本ハム打線を5回3安打2失点も4敗目
 巨人の沢村がプロ最短の5回でマウンドを降りた。
 6日の日本ハム戦に先発。5回3安打3三振2失点だった。打順が回ってきたわけではなく、球数は88球。降板の理由について原監督は「チームとしての最善策」と言うにとどめたが、打線が2試合連続で完封され、沢村は4敗目(2勝)を喫した。
 好投してもなかなか勝てない――。この日は課題が浮き彫りになった試合でもあった。交流戦で沢村と投げ合ったパ・リーグのある投手は親しい関係者と会食した際、こう話していたという。
「スピードがあっていい球を投げる。だけど、勝てないタイプの投手かもしれない」
 理由は「球数が多過ぎる。三振と四球が多いと、野手はやることがなくてリズムが悪くなる。何とか勝たせてあげよう、点を取ってあげようと思われない、結果として打線の援護をもらえないタイプの投手に見えた」と指摘していたというのだ。
 この日の沢村は四回、1死満塁から暴投で先制点を献上すると、陽には144キロの直球を狙い打たれ、痛恨の2点目を与えた。原監督は「スライダーの精度が良くなかったね。でも投手はよく頑張っている」と責めなかったが、沢村は「トータル的に変化球が決まらなかった。勢いのあるチームに流れを渡してしまったことが反省点」と独り相撲の失点の場面を悔いた。

●球種が少ないだけじゃない
 ライバル球団のスコアラーはこう分析する。
「球種が直球とスライダーの2種類。フォークとカーブがあるにはあるが、精度が悪いからほとんど無視できます。直球狙いでスライダー対応。各球団と一通り対戦して、どのチームもそう対処していると思います。あと1つか2つ使える球種がないと、打者は絞りやすい」
 評論家の堀本律雄氏がこう言う。
「前回、西武戦で完投した時とは一変して、この日はスライダーがほとんど決まらなかった。相手は直球だけを待てるから、かなりの確率で芯に当てられる。四回に坂本の失策から始まったピンチでワイルドピッチで失点。味方がミスをした時こそ、ギアを上げて無失点で切り抜けられるくらいでないと、野手に信頼されるエースにはなれません」
 これまでの先発9試合で沢村が降板したイニングまでの味方の援護点を見てみると、3、2、0、1、3、0、1、4、0。1試合平均で1.56点しかもらえていない。これでは防御率2.20の沢村がまだ2勝なのも必然といえる。
 川口投手総合コーチは「沢村の投球は自己満足」と話したことがある。打線の援護がないのは偶然ではない。沢村の課題はまだまだ多い。

▽東京ドーム=4万5507人(日本ハム3勝1敗)
日本ハム000 200 000-2
巨人000 000 000-0
(勝)ウルフ6勝1敗 (S)武田久1勝13S (敗)沢村2勝4敗








「ロシアの声」から転載。
こういう話は大好きだ。どちらかというとお固いイメージのロシア人だが、ユーモアは万国共通である。

「かねてから、その「ネズミ取り」本能の未熟ぶりが批判されていたラリーだが」

「 なおラリーは先月、ダウニング街の「ネズミ取り主任」のポストから解任され、彼の後任には、雌猫のフレイアが選ばれている。」

なのだそうだ。ううむ、猫の世界もなかなかシビアである。


(以下引用)


英国首相官邸付「前ネズミ取り役」 財務相付の同僚と大喧嘩
タグ: 国際, イギリス, 記事一覧, 社会・歴史, ヨーロッパ
17.10.2012, 11:30

Photo: EPA

英国首相官邸前で、キャメロン首相とオズボーン財務相がそれぞれ「雇っている」猫同士が大喧嘩をし、話題を集めた。
16日、つい最近までダウニング街10番地にある英国首相官邸の「ネズミ取り役」を務めていた5歳になる雄猫ラリーが、隣のダウニング街11番地の財務相官邸付き「ネズミ取り役」である雌猫フレイアの左前脚攻撃を受けている写真が撮られた。なお、この猫同士のもめごとには、キャメロン首相官邸の入り口で勤務に当たっていた警官達も、介入せざるを得なかった。
  かねてから、その「ネズミ取り」本能の未熟ぶりが批判されていたラリーだが、大喧嘩の後、飼い主の家に引き上げている。一方フレイアの方は、悠々と中庭の散歩を続けた。

猫同士のもめごとの原因に関しては、明らかではないが、キャメロン首相とオズボーン財務相の猫の間の相互関係について、首相報道官は「彼らは共存している」とのみ答えている。

なおラリーは先月、ダウニング街の「ネズミ取り主任」のポストから解任され、彼の後任には、雌猫のフレイアが選ばれている。

イタル・タス



オリジナル写真

http://www.newsru.com/pict/big/1511126.html

私は横浜ファンというよりは弱小チームファンであり、その結果横浜ファンでもある、……って何度も言っているな。とすると、来季は阪神ファンになるかもしれない。
その反対に、強豪チームは嫌いか、と言うとそうでもない。ただ傲慢チームは嫌いだから、自然に強豪チームも嫌いになるのである。中日はいくら優勝しても傲慢チームにはならなかったが、巨人は少し勝つとすぐに傲慢チームになるから嫌いである。まあ、20勝級投手を5、6人も集めれば、独走で優勝しても当たり前だろう。しかも、選手に故障がほとんど無かった稀有なシーズンなのだから、阿部が生涯最高の成績を残さなくても楽に優勝はしていたと思う。しかし、野手のほとんどと、中継ぎや抑え投手は生え抜き選手なのだから、フロントの力と努力も素晴らしい。ここを他チームは見習うべきなのである。坂本など、当時のドラフトなら他チームでも獲れたはずだが、その素質を見抜いて上位指名し、立派に育てた巨人は偉い。
さて、問題は沢村である。この投手は、「勝てない投手」になる可能性が高い、と彼のデビュー当時の記事に書いた記憶がある。と言うより、10勝すれば10敗する投手になる可能性がある、と、ある先輩投手が彼を評したのである。
その予言はまさしく実現したわけで、これほど的中した例も珍しいだろう。彼の通算成績は、その「勝ち負け同数」、という成績にほとんどなっているのである。
要するに、投手としての馬力、エンジンは凄いが「投球術」がヘボなのだ。頭が悪いのである。速球さえ投げれば抑えられる、というのはアマチュア野球での話だ。何度も同じ相手と対戦するプロ野球の世界なら、速球だけならいつかは打たれるし、凄い速球が投げられる期間は短いものだ。このままでは彼は二流投手で終わるだろう。
もっと駄目なのは、せっかくの村田の忠告を聞こうともしない傲慢な姿勢である。ここを頭が悪いと言っているのである。村田は見かけとは違って繊細な人間である。こうした沢村の態度を快く思うはずはない。私が村田なら、沢村が投げるたびにサードゴロは「上手く」エラーするだろう。
そういうものである。まあ、今の村田は「傲慢チーム」に溶け込むことで精いっぱいで、そんな余裕もないのだろうが。


(以下引用)



巨人 沢村 クセがバレている




ゲンダイネット
2012年10月16日17時00分

コメント 6





<「ちっちゃくなっちゃう」>

 巨人は14日、CSファイナルステージの調整のための宮崎合宿を打ち上げた。

 14日に続き、秋季教育リーグで韓国LGと対戦。野手は主力組が出場し、5番に入った高橋由が2試合連続の2安打。村田との「5番」争いで一歩リードした。「順調。緊張感があっていい試合だった」と1泊2日の実戦合宿を振り返った原監督。13日の練習試合で登板した沢村が4回無失点と好投したこともあり、表情は明るかった。

 左肩痛を訴えている杉内の登板が難しくなり、一時はCSの先発争いから脱落した沢村が第3戦の先発に浮上。だが、懸念材料もある。

 先週11日の練習でブルペンに入った沢村は、原監督から直接指導を受けた。この時、打席に入った川口投手総合コーチは本人ではなく、なぜかブルペン捕手にこうささやいていた。

「変化球を投げる時にフォームがちっちゃくなっちゃうだろ。あれじゃバレちゃうよ」

 自慢の直球と決め球の変化球の投球フォームが違うなら一大事。打者が直球と分かっていれば、150キロを超える球がいとも簡単にはじき返されるのも合点がいく。さるチーム関係者が言う。

「沢村の直球と変化球のフォームの違いはこれまでも言われていた。今年加入した村田が『投げる時のグラブの位置が、帽子のツバより高いと直球、低いとフォーク、スライダー』と入団早々打ち明けてくれたのに『まっすぐを速く、強くすれば関係ない』と一蹴。川口コーチだってとっくに沢村に指摘しているはずです」

 今季10勝10敗。シーズン終盤は打ち込まれるケースが目立ち、二軍にも落ちた。ヤクルト戦は今季1勝2敗、防御率4.45。「チーム単位で何かを徹底してくる」と苦手としている。以前、「沢村は直球と変化球の投げ方が違う」と中日の球団関係者が指摘していたこともある。沢村の“クセ”が他球団に研究されているとしたら、もう剛速球でどうにかなる問題ではなさそうだ。

 原監督には「軸足からの体重移動」を重点的にアドバイスされたというが、早急に直すべき重大な欠陥は他にある。

(日刊ゲンダイ2012年10月15日掲載)
最近、画像のコピーが自動的にはできないので、意味不明の記事になるかと思うが、椎名先生が「可愛いなあ」と言っているのはダンボーのことである。あづまきよひこ大人から貰った「本物」のダンボーなので、中にはみうらが入っているはずだ、というのがsmismisさんのジョークで、椎名先生の「開けなければ量子的に」云々はシュレジンガーの猫の話。現在のみうらの状況は観測不可能なので「半分生きていて半分死んでいる」という量子的な不可知の存在。
以上、中学生(レベルの人)のためのジョーク解説。小学生には少々難しいかもしれない。



(以下引用)




椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

そういえば私はえなちゃんとふーかちゃんがもう好きすぎて、あずま先生の仕事場で生原稿を見たとき「たとえこれを盗んだとしても彼女たちは手に入らないのだ」という事実に泣きそうだったな。次元間の恋というのはそういうものなのだった。



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5時間椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

開けなければちょっと生意気な女子小学生が入っている宇宙が量子的に(以下略) RT @smismisって言うことは中にあの子が…!



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6時間椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

ちなみにこのダンボーはあずま先生の仕事場に遊びに行ったとき、先生にもらったんだよ。だから「本物」と言えると思う(`・ω・´)キリッ



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6時間椎名高志@絶チル新アニメ進行中‏@Takashi_Shiina

可愛いなあ。 http://twitpic.com/b4f3st



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「ゲンダイネット」から転載。
中年男女の「いちご白書をもう一度」かね。
反原発運動というサークルの中で、回転木馬に乗ってサークルゲームをするのも、ロマンチックかもしれないね。


(以下引用)



毎週金曜の恒例行事「脱原発デモ」


【政治・経済】



2012年10月12日 掲載


エッ 不倫カップル急増

 毎週金曜夜の恒例行事となった首相官邸前の「脱原発デモ」の参加者同士が続々とカップルになっているという。若い男女だけでなく、不倫カップルも急増しているというから驚きだ。
「僕が知っているだけでこの半年で3組の不倫カップルが誕生しました」と明かすのはデモの関係者だ。
「都内に住む30代後半の女性は、わが子を守りたい一心から夫が帰宅するたびに“放射能が心配だから玄関で洋服を振り払って”と細かい注文を出していた。しかし、これに夫が反発。夫婦ゲンカが絶えなかった。ところが、デモに来るとみんなが自分を理解してくれる。40代前半の男性と深い仲になり、現在不倫中です。千葉在住の40代の女性は測定器を買って家の周囲の放射線量を測ったところ、夫に“おまえはおかしい”となじられ、その反発もあってデモに参加。同年代の独身男性といい仲になっています」
 このほか妻子持ちの男性と深い仲になった40代前半の独身女性もいる。彼女は男性と原発の話題で盛り上がり、映画や食べ物について話すうちによろめいてしまった。「再稼働反対」のシュプレヒコールで汗を流したあと、打ち上げで男女が接近するケースがほとんどだという。
「東京家族ラボ」主宰の池内ひろ美氏が言う。
「デモに参加する女性はもともとパワフルで、性的なエネルギーも充溢(じゅういつ)しています。そんな女性が夫に理解してもらえず悶々とする反動からデモに参加すれば、同志の男性と仲良くなるのは当たり前のこと。『脱原発』という共通言語が男女を燃え上がらせるのです。独身男性はデモに参加してパートナーを見つけてはいかがですか」
 今夜、さっそく行ってみますか?
「電脳マヴォ」の「同人王」の最新版に肉便器先生の漫画講座があるのだが、その言葉に感心した。

1、絵を描く能力は才能ではなく努力の結果である。
2、絵を描く能力を身につけるには模写をすることである。

ここまでは良く言われることだが、その理由説明までやっているのは初めて見た。
なぜ、模写をすれば絵が描けるようになるのか、というと

3、3000枚も模写をすればイメージ力という「自力」が身に付く。
4、それによってどんな複雑なポーズでも書けるようになる。

というわけである。
これを当たり前だ、とか平凡だ、とか言う人間は、「絵の技能とは、実はイメージ力だ」、という決定的な部分が分かっていない。
肉便器先生の教えは、まさにその「なぜ人は絵をかけるのか」、という本質を説明した、おそらくほとんど最初の言葉なのである。
この言葉はある程度までは多分あらゆる技術にも通用するし、なぜ修練が有効なのか、という事を説明している。たいていの人は、何かを修練すればそれだけで技術が身に付くと思っているが、それは「他人の持つ技術が自分に転移される」という部分への意識が無い。そういう修練では、あまり有効なものにはならないだろう。
自分が今やっている修練は、自分に欠如している「この部分」を学んで「自力」にするためのものだ、という意識が高い人ほど、その修練も早く、高度に身に付くのではないだろうか。
特に、漫画や絵画では、「イメージ力」が「自力」なのである、という指摘は素晴らしい。自分の中に具体的なイメージが無いのに、それを絵画化できるはずはない。そのイメージ力を修練で身につけるメカニズムと、その方法を明快に説明した肉便器先生は最高に素晴らしい。名前はひどいけど。

「4マルクの小部屋」という映画ファンブログから転載。
私はアニメの最高傑作としてりん・たろうの「銀河鉄道の夜」を常に推しているのだが、宮崎アニメももちろんベスト3以内に入れたい。その中では「ルパン三世カリオストロの城」と「天空の城ラピュタ」、それにテレビアニメだが、「未来少年コナン」が大のごひいきなのである。あ、「クレシン、モーレツ大人帝国の野望」もベスト3以内に入れたいなあ、ということで、ベスト3以内に5つ入れることになる。
で、この「未来少年コナン」は、見ていて気持ちがいい、という点、見ていて楽しい、という点では最高の作品ではないだろうか。男なら誰でも、自分がコナンのような少年で、ラナのような子がこの世に存在するなら、人生をやりなおしてもいい、と思うだろう。
下に書いてあるのは、この作品の「悪のヒロイン」モンスリーの話だが、このモンスリーがまた素晴らしいのだ。私はもともとこういう悪者サイドの美女が好きなのだが、その中でもモンスリーの魅力は別格だ。しかも、ネタばれをするが、実は彼女は悪者サイドに属しているために悪事に加担していただけで、最後にはコナンたちの味方になるのである。善人側に回ってからの彼女も魅力的だが、颯爽とした感じは「悪役ヒロイン」の頃がいいなあ。
モンスリーがなぜ悪の側にいるかというのには理由があって、この作品ではそれがきちんと描かれている。もしかしたら、宮崎駿にとっても、モンスリーは特別なキャラだったのではないか。それほど深い書き込みなのである。だからこそ、あれほど魅力的になったのだろう。


(以下引用)


モンスリーとムク

■未来少年コナン■

テレビアニメ史上に輝く傑作「未来少年コナン」については,もうあらゆることが語り尽くされているので今更僕などが付け加えることは何もない。が,たまに引っぱり出して見ているとやはり面白くて夢中になってしまう。見る側の経験値がいくら上がっても全く色褪せないというのは凄い。

最初のオンエア当時,僕はアニメの絵柄というのは劇画調でシャープな,線の多い細かい描き込みのものほどかっこいいと思い込んでいた。ヤマトみたいなのが人気あったしね。だからコナンの製作記事をアニメ誌の片隅に見たときは「なんか子供っぽい絵だな,NHKだもんな」などと思ったものである。で,とりあえず見てみた第1話。

うわあっ,続きは?ねえこの続きは!?

てなもんである。僕はこのとき宮崎監督言うところの漫画映画の楽しさ,面白さを初めて実感したのだと思う。劇画調メカや線の多いキャラクターへのこだわりは無意味なものだと痛感した。本当の面白さはそんなところにはないのだと知ったのである。コペルニクス的転回だったなあ。

これを見てしまうと観客の目が一挙に肥えてしまうのだ。高校野球しか知らない観客にメジャーリーグの試合を見せてしまったようなものである。もう元には戻れない。他のテレビアニメの作り手たちにも衝撃だったろう。

さて,この「未来少年コナン」は名場面の宝庫なのでいろんなシーンにそれぞれの思い入れがある。語り出すと止まらない人も多いだろう。僕も同様だが,今回はファンの多いモンスリー女史のくだりをひとつ。実はコナンやラナのシーンをさしおいてここがとっても好きなのだ。第19話「大津波」の回である。

ハイハーバーに乗り込んで武力で人々を押さえつけながらもコナンの活躍で敗色濃厚なモンスリー。心労にひととき庭で休んでいると目の前を通りすぎる一匹の犬。それを見た彼女の心にふと子供のころの記憶がよみがえる。愛犬ムクと駆けまわっていた彼女が体験した破滅の光景……。

非情な戦闘指揮官としての彼女がしまい込んでいた過去が明かされる瞬間なのだが,この直後のコナンとの静かなやりとりが実に印象的だ。彼女はもう心が疲れてほころびかけている,そんな様子とともに「ああ,この人はこの先救われてほしいな」という思いを抱かせる絶妙の演出がすばらしい。

今はDVDも出ているが僕の手元にあるのは旧LDボックス版。ディスク5のSIDE2,チャプター2の7分15秒あたりから。吉田理保子さんの演技はすばらしいのひと言。

ハイハーバーを襲う大津波と彼女の記憶の中の大津波。津波はかつて幼い彼女の心を打ち砕いたが,時を経て今,冷酷に凝り固まった彼女の心にひびを入れたのだ。この回は物語自体のターニング・ポイントになっているが,それはモンスリーというたいへん魅力的な女性キャラクターにとっても同様だったのである。

それにしても「コナン」の面白さというのは尋常ではない。この文章のために第19話を見ていたら案の定,止められなくなって結局最終回まで見てしまった。最近は突き放したような結末の作品が多いが,こういう大団円というのもいいなーとあらためて思う。シアワセな気分になれるもの。

この作品を体験せずに物語の面白さについて語るなんて自分の未熟を暴露するようなものだ。どのメディアでもいいから必携必見である。


「阿修羅」から転載。
私が「AKB48」に対して感じている不快感を明瞭に分析した好文章である。そして、現代社会の深層にある差別や搾取の構造をAKB現象から読み取る社会学的好論文になっている。いや、ほとんど哲学レベルだ。

「AKBの、特に「総選挙」や「じゃんけん大会」を見ていて感じるのは、いやそれは、日本のテレビ番組全体を見ててしばしば感じることだが、人間というもの(ここでは、AKBのメンバーの女性たち個々と言っていい)に対する、社会全体からの徹底的な搾取や侮蔑や愚弄ということ、そのことによって是認され受容されていく、この人間愚弄的な社会の現実ということである。
他人を対象化し(同じことだが)搾取し、愚弄してもよいと考えることは、自分自身が受けている搾取や愚弄を否認しつつ受け入れることとつながっている。
それは、人が生きるという事実への軽視・否認であり、戦争を簡単に選んでしまうような心のあり方でもあると思う。」


まさしくその通りだろう。我々の社会が「新しい奴隷制度社会」であることをこの文章は見事に論じている。
哲学とは、何を論じるかではなく、いかに深く論じるか、という深度の問題である。対象がAKBだろうが芸者の着物の柄だろうが、哲学の対象たりうる。



(以下引用)



AKBじゃんけん大会に見る-我らの競争と戦争・・・体制詐術のうえで踊らされる無邪気さ!
http://www.asyura2.com/10/social8/msg/899.html
投稿者 墨染 日時 2012 年 9 月 23 日 12:32:21: EVQc6rJP..8E.


http://blogos.com/article/47089/?axis=p:0

ちょうど尖閣諸島に中国の大船団が来るというガセネタで日本中が浮き足立ってる頃であったが、テレビで3時間の生中継、田原総一郎氏を解説者に招いてAKBの大じゃんけん大会をやっていた。
ぼくはAKBの番組はよく見てる方だと思うが、さすがにこの企画はちょっと空恐ろしいものを感じた(「総選挙」とかも大嫌いである)ので、ツイッター(@yousaymale)でつぶやいたりもしながら、その空恐ろしさの中味を考えてみた。

以下二つが、呟いたこと。
AKBのじゃんけん大会って、凄いなあ。「努力など無意味で、結果は偶然でしか決まらない」という非人間的な現実を、全身全霊で肯定する姿勢の賛美。その理由は、国家や社会がそれを望んでるからだろう。個人の意志や営為の全否定。「デモの暴徒化」などより、こっちの方がはるかに戦争に近いと思う。
昨日書いたAKBのじゃんけん大会。要は、一生懸命努力(献身)することは絶対に要請されていて、だがその結果(報酬)は一切求めてはならない、という思想ではないか。僕はあれは、怖いもんだと思う。戦場では弾に当たることもあるかも知れないが、それはあなたの運が悪かったというだけである。

AKBは国民的現象ともいわれ、実際の人気どうこうを越えて、メディアでは異常なほどに露出されている。
その過重労働(搾取)ぶりを批判する声も多くあり、その通りだろうと思う。ぼく自身も、彼女たちの番組をよく見てるわけだから、それに加担してることは確かなことである。
だがここで特に強調したいのは、このグループがマスメディアに非常に多く露出するばかりか、いまや政府系の広報にも登場する、掛け値なしの政治的機能を担わされた存在になってるということである。
田原総一郎氏が、「この非常時に」(笑)、生放送の解説にはせ参じたことは氏の怠慢ではないのであって、日中の情勢に関してピントのはずれた解説を繰り返しているよりは、むしろこちらの場においてこそ彼は深く現実の「政治」に関与したのだと言える。もちろん、批判的に言ってるわけだが。
なので、全国ネットのゴールデンタイムに生放送されたあの「じゃんけん大会」に、ぼくが感じた空恐ろしさについて分析することは、やはりそれなりの政治的重要性を持つだろうと思って、ここに書くのである。

自分が「呟いた」内容を、もう一度よく考えてみよう。
ここで重要だと思うのは、結果が偶然で決まるということ、結果に対する偶然性が賛美されてることそれ自体ではない。
そうではなく、偶然によってのみ決せられる結果に対して、全力で取り組むという姿勢が賛美されてるいう点が重要なのである。つまり、「全力で努力(献身)しなさい、ただし結果(報酬)は求めるな」というメッセージが感じられるのだ。
結果が偶然でしか決まらないから、手を抜いたり、その場から実質上「降りる」などという態度は、不道徳であり、また美しくないのである。
努力の結果(報酬)を全く求めない、求めてはならない行為が、全身全霊での奉仕が、こうして称揚され、強要される。

だが、誰がそれを強要するのか?
産業のシステムであり、国の体制が、それを押し付けてくるのだ。
どれほど結果(報酬)の得られることが少なくとも、それに全く結びつかないことさえあっても、競争を、そのための努力を、したがってこの現行のシステムのための献身を、決して怠ってはならない。
「努力の結果」などを求めるのは、エゴイズムであり、この社会のシステムへの、また国家への反逆者である。
とにかく競争せよ、そして奉仕せよ。見返りは何も求めるな。競争と奉仕こそが、お前の幸福であり、存在の意味だ。
僕はそこに、小さな個々人の生というものへの、欲望や夢や感情や生存それ自体を含めた、個々の生そのものへの、圧倒的な暴力と愚弄を感じる。
無論、自分自身もそれに加担しているということを含めて。

もちろん、ここで競われているのは、「センターをとる」ということ、そして人気(ファンによる承認)を獲得するということである。
彼女たちの競争の目的になっているのは、ファンの支持を得て芸能界で成功するということだろう。そこには、個人の切実だったり、小さな夢や、さまざまな感情というものがあるだろう。
だが、資本や社会全体は、それを利用して搾取する。それは、この産業を仕組んだり支配している者は当然そうだが、「ファン」と呼ばれる人たち、とりわけ僕のような「男性ファン」たちは、恐らく自分自身が日常被っている搾取の暴力を、性的な欲望(攻撃性)という形に変換してそこに振り向けることによって、この搾取のシステムに各々が加担するのだ。
そこでは、AKBのメンバーたちは、その「夢」を実現することによって、同時に人格のある部分が搾取され、暴力にさらされ、傷を被ることになる。
そうしたことは、まさに「芸能」というものの、太古からの内実だろう。だが今日「芸能」というこの仕組みは、巨大な産業社会の全体、国家という暴力装置の全体にがっちりと組み込まれている。
今の日本の社会では、それは、性の欲望という形で「男」から「女」たちに差し向けられる暴力というもの、その産業的な仕組みを通して、(男たち自身もそれに曝されている)競争社会の暴力性が肯定され、人々が搾取の対象であると同時に暴力的でもあるというあり方が、当たり前のことだと考えられ、そうやって日常と戦場とがまったく地続きのものとして実感されていく、という仕掛けである。
この意味で、AKB特番(「じゃんけん大会」は、その集約的な企画だが)、領土への熱狂を煽る報道・情報番組に劣らず政治的なのである。

AKBの、特に「総選挙」や「じゃんけん大会」を見ていて感じるのは、いやそれは、日本のテレビ番組全体を見ててしばしば感じることだが、人間というもの(ここでは、AKBのメンバーの女性たち個々と言っていい)に対する、社会全体からの徹底的な搾取や侮蔑や愚弄ということ、そのことによって是認され受容されていく、この人間愚弄的な社会の現実ということである。
他人を対象化し(同じことだが)搾取し、愚弄してもよいと考えることは、自分自身が受けている搾取や愚弄を否認しつつ受け入れることとつながっている。
それは、人が生きるという事実への軽視・否認であり、戦争を簡単に選んでしまうような心のあり方でもあると思う。
たとえば、前田敦子がグループを引退する最後のテレビ番組のステージで、動機の峯岸みなみが、号泣しながら前田に、『中学を卒業してすぐにこの世界に入り、友達もいないし学力もない、こんな私たちが・・』と言いかけたとき、会場の男性ファンから不意に起こった、まるで嘲る様な、少なくとも失笑のような声を、僕は忘れない。
彼女たちのファンのすべてがそうだというわけではもちろんない。本当に彼女達を思いやっている熱心なファンはむしろ別にして、大した思い入れもなく見て馬鹿にしたり楽しんだりしているような僕のような大半のテレビ視聴者こそが、本当に搾取者であり差別者だということが言いたいのだ。
社会全体が、とりわけ大人たちが、なかでも特に異性愛者の男性が、十代を越えたか越えないかの若い女性たちの生や性を、侮蔑や搾取の対象にしているというこのことこそ、まさに日本の社会の現実であり、それは恐らく戦前から何も変わっていない。

変わっていないのだ。
子どもや、女性たちや、アジアの人々は、それをじっと見ているであろう。
見ているが、多くは何も言わないだろう。なぜなら、そこには我々自身と絡み合った、さまざまな現実や生活や、夢や感情があり、生きていくための事情があるからだ。
だが、何も言わないからといって、傷ついていないということでは決してなく、またその人たちが今は「成功」しているように見えたとしても、その心や体にかつて深い傷を負わせたのは我々だということ、そしてそのことに何の反省もしていないという事実の重さは変わらないのだ。
その変わらない態度、暴力性に開き直ったかのような粗暴な態度に対して、人々がついにあげる怒りの声からも耳を閉ざすなら、我々はこの暴力の渦に再び完全に飲み込まれ、個々の小さなかけがえのない生の現実、自分や他人の生きていることの尊さというものに触れる機会を、永久に失うだろう。

 
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