ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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横浜が珍しくいいトレードをした。
多村は故障の回復度が問題だが、完治すれば現在の横浜に不足している長打力を補える。クリーンアップになれる可能性も当然ある。
それよりも私が面白いと思うのは神内である。
課題だった制球力が向上しており、たまたまソフトバンク最後のあたりで結果が残せなかっただけで、見どころのある投手だと思う。たしか、以前に日本シリーズで投げたと思うが、その時には有望な投手だと思った。球が実際の球速以上に速く見えたのである。緩急をつけて試合をまとめられるタイプではないようだし、スタミナも足りないようだから、中継ぎと抑え候補として期待できそうだ。
ソフトバンク最後の年(今年)でも、投球回とほぼ同じ数の三振を奪っているところからも、化ける可能性があり、化ければ面白い投手だろう。
(以下「ウィキペディア」より引用)
神内 靖(かみうち やすし、1983年8月12日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)。
目次
[非表示] 1 来歴
2 プレースタイル・人物
3 詳細情報 3.1 年度別投手成績
3.2 記録
3.3 背番号
4 脚注
5 関連項目
来歴 [編集]
延岡学園高等学校では高校2年の夏に甲子園出場。宮崎県内では寺原隼人と並ぶ評判の投手で、ライバル関係を築いていた。2001年、ドラフト4巡目指名を受けダイエーに入団。なお3年夏の甲子園で注目された寺原は、4球団の1巡指名を受け抽選でダイエーに入団している。
1年目から結果を残した寺原とは対照的に、神内は課題の制球難から2軍でも満足な成績を残せずにいたが、3年目の2004年7月25日の対ロッテ戦でプロ初先発を果たす。勝利投手にはなれなかったが、7回までを無失点に抑えた。この好投が認められ、この年は12試合に登板。翌2005年は中継ぎとして一軍に定着し、46試合に登板。防御率3.26、17HPと好成績を残した。
2006年、大幅な筋肉改造に着手。体重が10kg増加するとともに球速も10km/h近く増加した。5月18日には交流戦の対巨人戦に先発し、先発初勝利。その後も何度か先発を任され、自己最多の6勝を記録。特にこの年チームが苦手としていた日本ハムに対しては6試合に登板し2勝、防御率1.10をマーク。しかし後半戦は6連戦のほとんどない緩い日程であったためあまり登板の機会がなかった。
2006年6月18日の中日戦(ナゴヤドーム)では、5回1/3を11奪三振、以降三瀬、吉武、篠原、藤岡、馬原のリレーで、1試合最多タイ(継投による達成は初)となる19奪三振を記録した。
2008年3月25日、群馬県内の病院で左肘内側側副じん帯の手術を受けた。1軍登板は無かった。
2009年4月5日、対オリックスとの開幕戦で約2年ぶりとなる1軍登板を果たし勝利している。
2010年4月14日、対オリックス戦(京セラドーム大阪)で降板する際、グローブをベンチ内の扇風機へ投げつけ、ベンチの背もたれを蹴るなど破壊し、その結果、球団より厳重注意処分がくだり、修理代7万円の弁償が課せられた[1][2]。 さらに同シーズンは、同じ左腕の森福の急激な台頭もあり登板機会が激減し、10試合の登板にとどまった。
2011年は1軍での登板は2試合で防御率16.20と1軍では自己最低の成績に終わった。2軍では31試合に登板して、防御率2.94であった。
2012年は開幕1軍で中継ぎを任されるも、初登板の4月3日楽天戦では暴投で失点した。その後一旦二軍で調整し、6月に再昇格後は成績も安定しこの年は4ホールドを記録した。しかしシーズン終盤は打ち込まれる試合が目立ち、8月27日に二軍降格後は一軍での登板の機会はなかった。
プレースタイル・人物 [編集]
直球は最速148km/hながら、140km/hを下回ることが多い。しかし球速表示以上に球に力があり、試合中盤で2桁奪三振を記録することも度々あった。変化球はスライダー、カーブ、チェンジアップを投げるが決め球として用いることは少ない。
初回から全力で投げ込むスタイルで、最長でも7回までしか投げたことが無い。
多村は故障の回復度が問題だが、完治すれば現在の横浜に不足している長打力を補える。クリーンアップになれる可能性も当然ある。
それよりも私が面白いと思うのは神内である。
課題だった制球力が向上しており、たまたまソフトバンク最後のあたりで結果が残せなかっただけで、見どころのある投手だと思う。たしか、以前に日本シリーズで投げたと思うが、その時には有望な投手だと思った。球が実際の球速以上に速く見えたのである。緩急をつけて試合をまとめられるタイプではないようだし、スタミナも足りないようだから、中継ぎと抑え候補として期待できそうだ。
ソフトバンク最後の年(今年)でも、投球回とほぼ同じ数の三振を奪っているところからも、化ける可能性があり、化ければ面白い投手だろう。
(以下「ウィキペディア」より引用)
神内 靖(かみうち やすし、1983年8月12日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)。
目次
[非表示] 1 来歴
2 プレースタイル・人物
3 詳細情報 3.1 年度別投手成績
3.2 記録
3.3 背番号
4 脚注
5 関連項目
来歴 [編集]
延岡学園高等学校では高校2年の夏に甲子園出場。宮崎県内では寺原隼人と並ぶ評判の投手で、ライバル関係を築いていた。2001年、ドラフト4巡目指名を受けダイエーに入団。なお3年夏の甲子園で注目された寺原は、4球団の1巡指名を受け抽選でダイエーに入団している。
1年目から結果を残した寺原とは対照的に、神内は課題の制球難から2軍でも満足な成績を残せずにいたが、3年目の2004年7月25日の対ロッテ戦でプロ初先発を果たす。勝利投手にはなれなかったが、7回までを無失点に抑えた。この好投が認められ、この年は12試合に登板。翌2005年は中継ぎとして一軍に定着し、46試合に登板。防御率3.26、17HPと好成績を残した。
2006年、大幅な筋肉改造に着手。体重が10kg増加するとともに球速も10km/h近く増加した。5月18日には交流戦の対巨人戦に先発し、先発初勝利。その後も何度か先発を任され、自己最多の6勝を記録。特にこの年チームが苦手としていた日本ハムに対しては6試合に登板し2勝、防御率1.10をマーク。しかし後半戦は6連戦のほとんどない緩い日程であったためあまり登板の機会がなかった。
2006年6月18日の中日戦(ナゴヤドーム)では、5回1/3を11奪三振、以降三瀬、吉武、篠原、藤岡、馬原のリレーで、1試合最多タイ(継投による達成は初)となる19奪三振を記録した。
2008年3月25日、群馬県内の病院で左肘内側側副じん帯の手術を受けた。1軍登板は無かった。
2009年4月5日、対オリックスとの開幕戦で約2年ぶりとなる1軍登板を果たし勝利している。
2010年4月14日、対オリックス戦(京セラドーム大阪)で降板する際、グローブをベンチ内の扇風機へ投げつけ、ベンチの背もたれを蹴るなど破壊し、その結果、球団より厳重注意処分がくだり、修理代7万円の弁償が課せられた[1][2]。 さらに同シーズンは、同じ左腕の森福の急激な台頭もあり登板機会が激減し、10試合の登板にとどまった。
2011年は1軍での登板は2試合で防御率16.20と1軍では自己最低の成績に終わった。2軍では31試合に登板して、防御率2.94であった。
2012年は開幕1軍で中継ぎを任されるも、初登板の4月3日楽天戦では暴投で失点した。その後一旦二軍で調整し、6月に再昇格後は成績も安定しこの年は4ホールドを記録した。しかしシーズン終盤は打ち込まれる試合が目立ち、8月27日に二軍降格後は一軍での登板の機会はなかった。
プレースタイル・人物 [編集]
直球は最速148km/hながら、140km/hを下回ることが多い。しかし球速表示以上に球に力があり、試合中盤で2桁奪三振を記録することも度々あった。変化球はスライダー、カーブ、チェンジアップを投げるが決め球として用いることは少ない。
初回から全力で投げ込むスタイルで、最長でも7回までしか投げたことが無い。
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「ロシアの声」より転載。
人間を生産手段としか見ないやり方が資本主義とグローバリズムの基本だが、そのやり方がどこまで通用するか、見物である。
(以下引用)
Foxconn の中国工場で大規模暴動
タグ: 記事一覧, 国際, 社会・歴史, 中国, アジア・オセアニア
24.09.2012, 13:28
Photo: EPA
中国でiPhone5を製造しているFoxconn工場では、24日にかけての夜に発生した作業員による暴動により、閉鎖を余儀なくされた。約2000名が参加した暴動には5000名の警官が動員された。その結果、40名が病院に搬送され、工場では警察による捜査が行われている。Foxconnは雇用者として悪名を博しており、作業員の給与が低いことや労働条件が悪いことで自殺者も相次いでいる。
アップル社はすでにこの工場への生産委託をやめることも検討していたが、解決策としてアップル社とFoxconnは労働条件改善のための費用を分担することで合意していた。しかしその後も自殺者が出ている。作業員が工場の窓から飛び降りることも稀ではなく、工場側は自殺防止のために網を張ることを余儀なくされている。作業員らは少ない給料と長い労働時間で苦しめられているという。
Newsru.comより
人間を生産手段としか見ないやり方が資本主義とグローバリズムの基本だが、そのやり方がどこまで通用するか、見物である。
(以下引用)
Foxconn の中国工場で大規模暴動
タグ: 記事一覧, 国際, 社会・歴史, 中国, アジア・オセアニア
24.09.2012, 13:28
Photo: EPA
中国でiPhone5を製造しているFoxconn工場では、24日にかけての夜に発生した作業員による暴動により、閉鎖を余儀なくされた。約2000名が参加した暴動には5000名の警官が動員された。その結果、40名が病院に搬送され、工場では警察による捜査が行われている。Foxconnは雇用者として悪名を博しており、作業員の給与が低いことや労働条件が悪いことで自殺者も相次いでいる。
アップル社はすでにこの工場への生産委託をやめることも検討していたが、解決策としてアップル社とFoxconnは労働条件改善のための費用を分担することで合意していた。しかしその後も自殺者が出ている。作業員が工場の窓から飛び降りることも稀ではなく、工場側は自殺防止のために網を張ることを余儀なくされている。作業員らは少ない給料と長い労働時間で苦しめられているという。
Newsru.comより
「2ちゃんねる DAYS PLUS」から転載。
加藤の行為はサッカーでは称賛されている行為だから、野球でもOKと考えたのかね。もっとも、あらゆるスポーツは勝利のためにはいかなる汚い行為もやる、という面があるのだが、日本のプロ野球は、「子供の見るスポーツで卑劣な行為はするべきではない」という倫理観があったために、そういう汚さから免れて来た。それを偽善と見る見方もあるが、またサッカーみたいにそれを公認(審判は黙認だが、観客はそれを称賛すらするのだから公認だ)するのは、日本の「武士道」的倫理を投げ捨てることになるだろう。私が男子サッカーが大嫌いなのは、そのためである。サッカーだけではない。「フェアプレー」をしないスポーツはすべて嫌いである。
(以下引用)
【野球】当たっていないのに巨人加藤が「演技」? 「下品だしフェアでもない」「著しくスポーツマンシップを欠いた行動」★2
札幌ドームで2012年11月1日に行われたプロ野球・日本シリーズ第5戦で信じられない判定ミスが飛び出した。
北海道日本ハムファイターズ、多田野数人投手が投げた内角の球が、打者にかすってもいないのに「危険球」とみなされ、退場させられたのだ。
この試合は相手の読売ジャイアンツが大勝し、日本一に王手をかけた。シリーズの行方を左右する「誤審」となるかもしれない。
■解説の古田氏、工藤氏とも「危険球ではない」
問題のシーンは4回表の巨人の攻撃中に起きた。右打席に入った加藤健選手の初球から送りバントの構えで、そこに多田野投手が内角高めの球を投じた。
ボールは打者をえぐるように入って来て、加藤選手は思わずバットを引き、もんどりうって倒れ込んだ。
柳田昌夫球審は「ファール」を宣告したが、加藤選手はうずくまったままだ。そこに巨人の原辰徳監督がベンチから出てきて、柳田球審に抗議を始めた。
テレビ中継ではすぐに、この打席をスロー再生で検証した。解説者の古田敦也氏が「引いたバットが(加藤選手の)頭に当たって痛がっているみたいですね」と話し、投球が当たったわけではないとした。
しばらくすると判定が一転、球審は多田野投手の投球を「危険球」として、退場処分を下したのだ。
古田氏は「これは間違いですね」と首をかしげる。もう1人の解説者だった工藤公康氏も「当たっていませんから危険球ではないです」と球審の誤りを指摘した。
加藤の行為はサッカーでは称賛されている行為だから、野球でもOKと考えたのかね。もっとも、あらゆるスポーツは勝利のためにはいかなる汚い行為もやる、という面があるのだが、日本のプロ野球は、「子供の見るスポーツで卑劣な行為はするべきではない」という倫理観があったために、そういう汚さから免れて来た。それを偽善と見る見方もあるが、またサッカーみたいにそれを公認(審判は黙認だが、観客はそれを称賛すらするのだから公認だ)するのは、日本の「武士道」的倫理を投げ捨てることになるだろう。私が男子サッカーが大嫌いなのは、そのためである。サッカーだけではない。「フェアプレー」をしないスポーツはすべて嫌いである。
(以下引用)
【野球】当たっていないのに巨人加藤が「演技」? 「下品だしフェアでもない」「著しくスポーツマンシップを欠いた行動」★2
札幌ドームで2012年11月1日に行われたプロ野球・日本シリーズ第5戦で信じられない判定ミスが飛び出した。
北海道日本ハムファイターズ、多田野数人投手が投げた内角の球が、打者にかすってもいないのに「危険球」とみなされ、退場させられたのだ。
この試合は相手の読売ジャイアンツが大勝し、日本一に王手をかけた。シリーズの行方を左右する「誤審」となるかもしれない。
■解説の古田氏、工藤氏とも「危険球ではない」
問題のシーンは4回表の巨人の攻撃中に起きた。右打席に入った加藤健選手の初球から送りバントの構えで、そこに多田野投手が内角高めの球を投じた。
ボールは打者をえぐるように入って来て、加藤選手は思わずバットを引き、もんどりうって倒れ込んだ。
柳田昌夫球審は「ファール」を宣告したが、加藤選手はうずくまったままだ。そこに巨人の原辰徳監督がベンチから出てきて、柳田球審に抗議を始めた。
テレビ中継ではすぐに、この打席をスロー再生で検証した。解説者の古田敦也氏が「引いたバットが(加藤選手の)頭に当たって痛がっているみたいですね」と話し、投球が当たったわけではないとした。
しばらくすると判定が一転、球審は多田野投手の投球を「危険球」として、退場処分を下したのだ。
古田氏は「これは間違いですね」と首をかしげる。もう1人の解説者だった工藤公康氏も「当たっていませんから危険球ではないです」と球審の誤りを指摘した。
石原慎太郎はこの呼び名が気に入ったらしく、自分から「暴走老人」を名乗っているが、基地外が基地外を自称しても冗談にはならないよ。
(以下引用)
田中真紀子文部科学相は26日、閣議後の記者会見で、東京都知事の辞職と新党結成を表明した石原慎太郎氏について、
「暴走老人で大変だ」と述べた。
田中文科相は、石原氏が官僚打破を掲げたことについて「25年間国会議員を勤めた大臣経験者が、今になって何ができるのか。
逆に言えば、何でそのときにしなかったんだろうかという思いがある」と批判。
東京都政についても「あまり言いたくはないが、魚河岸市場や銀行の問題、五輪の東京招致の問題などいろいろあるが、すべて手を付けただけ。
病気でご加減でも悪いなら別だが、何でほうり出されるのかという思いが強い」と述べた。
その上で「ご子息方がお気の毒。石原裕次郎さんというかつてかっこいいといわれた俳優さんがおられたが、
そのお兄様はかっこ悪い暴走老人だなという感じがする」と、「暴走老人」という言葉を3回使って石原氏をこき下ろした。
産経新聞 2012.10.26 11:55
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121026/plc12102611560008-n1.htm
(以下引用)
田中真紀子文部科学相は26日、閣議後の記者会見で、東京都知事の辞職と新党結成を表明した石原慎太郎氏について、
「暴走老人で大変だ」と述べた。
田中文科相は、石原氏が官僚打破を掲げたことについて「25年間国会議員を勤めた大臣経験者が、今になって何ができるのか。
逆に言えば、何でそのときにしなかったんだろうかという思いがある」と批判。
東京都政についても「あまり言いたくはないが、魚河岸市場や銀行の問題、五輪の東京招致の問題などいろいろあるが、すべて手を付けただけ。
病気でご加減でも悪いなら別だが、何でほうり出されるのかという思いが強い」と述べた。
その上で「ご子息方がお気の毒。石原裕次郎さんというかつてかっこいいといわれた俳優さんがおられたが、
そのお兄様はかっこ悪い暴走老人だなという感じがする」と、「暴走老人」という言葉を3回使って石原氏をこき下ろした。
産経新聞 2012.10.26 11:55
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121026/plc12102611560008-n1.htm
マスコミが一斉掲載した角田美代子の顔写真がまったく別人の写真だったらしい。写真の出所が共同通信であったことから、意図的操作の疑惑も出ている。
まあ、共同通信は電通と同様に、日本国民洗脳機関だと私は見ている。
(以下「ネットゲリラ」から転載)
シーベルトの子守歌| 2012年10月31日 09:31 | 返信
同一の写真を複数のマスコミが流したのは一号機が爆発した時の「白い煙のような物が出ています」と同じで出所は一緒なのでは。
複数のマスコミ各社が碌な裏取りもせず流したのは警察もしくはそれにかなり近い筋が出所。
目の前に容疑者がいるのにテレビや新聞で顔写真が流れている状態を否定しない警察は犯罪者側の組織と考えるのが自然です。
尼崎署全員を兵庫県以外の警察に口裏合いわせが出来ないよう一人ずつ預け事情聴取する必要があります。
出来れば被害者の受けたような目に遭わせるべきです。
夕焼け| 2012年10月31日 10:40 | 返信
この写真出したのは共同通信でしょ。
共同通信のサイト行ってみたら「韓流」だらけでその上会社概要に会社の場所とビルの写真くらいしかなく社長や幹部の名前さえ無い怪しさ。その画像を裏も取らず垂れ流す各社も同罪だけどね。
夕焼け| 2012年10月31日 11:48 | 返信
ちなみに、これ納めた品物が間違ってましたって事だから、製造業だったら会社の社長以下首を並べて記者会見で袋叩きだよね?なんで共同通信の担当と幹部が記者会見で謝罪しないで、扱った局が下っ端のアナウンサーにお詫び文読ませて済ませられるんだろうね?被害者の人権問題は別にしても、写真が間違ってただけでも重大なミスで、番組中のお詫びと訂正で済ませていい話じゃ無いと思うんだけどな。
まあ、共同通信は電通と同様に、日本国民洗脳機関だと私は見ている。
(以下「ネットゲリラ」から転載)
シーベルトの子守歌| 2012年10月31日 09:31 | 返信
同一の写真を複数のマスコミが流したのは一号機が爆発した時の「白い煙のような物が出ています」と同じで出所は一緒なのでは。
複数のマスコミ各社が碌な裏取りもせず流したのは警察もしくはそれにかなり近い筋が出所。
目の前に容疑者がいるのにテレビや新聞で顔写真が流れている状態を否定しない警察は犯罪者側の組織と考えるのが自然です。
尼崎署全員を兵庫県以外の警察に口裏合いわせが出来ないよう一人ずつ預け事情聴取する必要があります。
出来れば被害者の受けたような目に遭わせるべきです。
夕焼け| 2012年10月31日 10:40 | 返信
この写真出したのは共同通信でしょ。
共同通信のサイト行ってみたら「韓流」だらけでその上会社概要に会社の場所とビルの写真くらいしかなく社長や幹部の名前さえ無い怪しさ。その画像を裏も取らず垂れ流す各社も同罪だけどね。
夕焼け| 2012年10月31日 11:48 | 返信
ちなみに、これ納めた品物が間違ってましたって事だから、製造業だったら会社の社長以下首を並べて記者会見で袋叩きだよね?なんで共同通信の担当と幹部が記者会見で謝罪しないで、扱った局が下っ端のアナウンサーにお詫び文読ませて済ませられるんだろうね?被害者の人権問題は別にしても、写真が間違ってただけでも重大なミスで、番組中のお詫びと訂正で済ませていい話じゃ無いと思うんだけどな。
私が前に書いた愛知産業大の湧川雄貴投手の最終シーズンの成績が、「アマチュア野球通信」というサイトの掲示板に載っていたので、紹介する。二部から一部に上がって、チーム自体は一部の最下位だったと思うが、湧川投手は大健闘だろう。とにかく、投球回数が凄い。二部の頃も一人で90イニングくらい投げていたが、一部でも他の投手の倍くらい投げており、それでいて防御率1点台なのだから立派なものだ。おそらく、バックが良ければ、7、8勝したのではないか。
1シーズンに7勝すれば、春秋8シーズンで56勝という、馬鹿馬鹿しい成績になるわけだ。強豪チームの投手の勝ち星と弱小チームの投手の勝ち星は内容が違う、ということである。菅野や東浜でさえ、通算勝利数は35勝前後であるはずだ。もっとも、強豪チームにいれば、登板数自体が限定され、最大でシーズン5勝くらいになるのだが。
で、湧川投手がこれだけ投げることができるというのは、投げ方がいいはずだ、と私は推測しているわけである。三振が取れる投手かどうかは知らないが、「ゲームを作れる」というだけでも私はプロでやっていける素材ではないか、と思っているのである。
投げられる投手の数そのものがない横浜などなら取っても面白いと思う。二流三流の素材型の高校生投手を取るよりはまだ成功する可能性は高いだろう。
(以下引用)
▽防御率
規定投球回数に達した投手は、下記の8人です。(カッコ内の数字は投球回数と自責点)
① 波多野 0.57(31回1/3、 2)
② 平井克典(愛知産業大、3年、右・右、飛龍) 1.51(41回2/3、 7)
③ 湧川雄貴(愛知産業大、4年、右・左、中部商) 1.53(76回2/3、13)
④ 萩原 1.59(45回1/3、 8)
大野 1.59(39回2/3、 7)
⑥ 森貴之 (愛知大、2年、右・右、天白) 1.68(48回1/3、 9)
⑦ 森本俊 (名古屋商科大、3年、右・左、箕島) 2.38(34回、 9)
⑧ 田村雅樹(中部大、4年、右・右、土庄) 2.95(36回2/3、12)
規定投球回数の半分以上で未達の投手は、下記の6人です。
伊佐地佑紀 (愛知大、4年、右・右、津島北) 2.16(33回1/3、 8)
河野清太郎 (名城大、2年、右・右、愛知啓成) 2.97(30回1/3、10)
水越太一 (愛知大、3年、左・左、一宮南) 3.14(28回2/3、10)
平塚征臣 (中部大、4年、右・右、土岐商) 3.23(30回2/3、11)
下平(しもだいら)将一(名城大、4年、左・左、東邦) 3.29(27回1/3、10)
森田将行 (名城大、2年、左・左、常葉学園菊川)4.05(20回、 9)
▽勝利数
4勝=波多野
湧川
萩原
森
3勝=大野
森本
田村
2勝=角屋(かどや)龍太(名城大、4年、右・右、岐阜・富田)
伊佐地
河野
1勝=平井
水越
平塚
下平
1シーズンに7勝すれば、春秋8シーズンで56勝という、馬鹿馬鹿しい成績になるわけだ。強豪チームの投手の勝ち星と弱小チームの投手の勝ち星は内容が違う、ということである。菅野や東浜でさえ、通算勝利数は35勝前後であるはずだ。もっとも、強豪チームにいれば、登板数自体が限定され、最大でシーズン5勝くらいになるのだが。
で、湧川投手がこれだけ投げることができるというのは、投げ方がいいはずだ、と私は推測しているわけである。三振が取れる投手かどうかは知らないが、「ゲームを作れる」というだけでも私はプロでやっていける素材ではないか、と思っているのである。
投げられる投手の数そのものがない横浜などなら取っても面白いと思う。二流三流の素材型の高校生投手を取るよりはまだ成功する可能性は高いだろう。
(以下引用)
▽防御率
規定投球回数に達した投手は、下記の8人です。(カッコ内の数字は投球回数と自責点)
① 波多野 0.57(31回1/3、 2)
② 平井克典(愛知産業大、3年、右・右、飛龍) 1.51(41回2/3、 7)
③ 湧川雄貴(愛知産業大、4年、右・左、中部商) 1.53(76回2/3、13)
④ 萩原 1.59(45回1/3、 8)
大野 1.59(39回2/3、 7)
⑥ 森貴之 (愛知大、2年、右・右、天白) 1.68(48回1/3、 9)
⑦ 森本俊 (名古屋商科大、3年、右・左、箕島) 2.38(34回、 9)
⑧ 田村雅樹(中部大、4年、右・右、土庄) 2.95(36回2/3、12)
規定投球回数の半分以上で未達の投手は、下記の6人です。
伊佐地佑紀 (愛知大、4年、右・右、津島北) 2.16(33回1/3、 8)
河野清太郎 (名城大、2年、右・右、愛知啓成) 2.97(30回1/3、10)
水越太一 (愛知大、3年、左・左、一宮南) 3.14(28回2/3、10)
平塚征臣 (中部大、4年、右・右、土岐商) 3.23(30回2/3、11)
下平(しもだいら)将一(名城大、4年、左・左、東邦) 3.29(27回1/3、10)
森田将行 (名城大、2年、左・左、常葉学園菊川)4.05(20回、 9)
▽勝利数
4勝=波多野
湧川
萩原
森
3勝=大野
森本
田村
2勝=角屋(かどや)龍太(名城大、4年、右・右、岐阜・富田)
伊佐地
河野
1勝=平井
水越
平塚
下平
「マリンブルーの風」から転載。
ロッテの新監督の伊東には格別思い入れも無いが、「弱小チーム」ファンである私としては、こういうドタバタも面白いので、ロッテ情報には注意している。
しかし、11月1日から秋季キャンプ入りで、10月30日現在、1軍コーチ全員未定、ですか。あまりにも面白すぎる。私が作家志望のスポーツ記者ならば、こういうドタバタチームに常に密着取材して、ネタをどんどん拾うところである。将来のリング・ラードナー、ディモン・ラニアンは日本にはいないのか。
*間違いを書いたので、下の方に訂正記事も掲載してある。
(以下引用)
2012年10月29日20:47
カテゴリマリーンズ2012
コーチ今だ決まらず。背景に米田容子さんの存在が・・・
ドラフトが終わったのにまだコーチが決まりません。
腹心戻らず伊東ロッテ「前途多難」(東スポ)
伊東勤氏(50)の新監督就任が発表されたばかりのロッテの組閣人事が難航している。
伊東監督は18日の就任会見で「今は何ともお話しできない。理想をいえば気心が知れた人たちとやれればいい」と語っていたが、状況はかなり厳しい。ロッテの内情を知る球界関係者は「ヘタをすると西武時代の腹心は誰も呼んでこれないかもしれません」と声を潜めた。
組閣の目玉であるヘッドコーチとして、まずは森繁和前中日ヘッドコーチ(57)に声をかけたが断られ、土井正博前西武ヘッドコーチ(68)も「指導者引退」を理由に首をタテに振らないという。さらに西武政権時(2004~07年)の腹心だった広島・植田幸弘バッテリーコーチ、ヤクルト・荒木大輔投手コーチはそれぞれのチームで来季の残留が内定。可能性があるとすればソフトバンク・立花義家打撃コーチ、日本ハム・清水雅治外野守備走塁コーチだけだという。
前出関係者は「伊東さんが現場を離れていた5年間の間に腹心のコーチたちは新しいチームで地位を固めた。このままでは目鼻ばかりか口も耳もつかず、格好はつかないんじゃないですか。まあ、元をたどればこれも本人の人徳のなさなんでしょうがね」と難航する組閣の経過を語る。大量8人を解雇したコーチ陣の穴埋め作業は長期戦の様相すら呈している。
「組閣作業を一任されているフロントは球界にほとんど人脈を持たない素人。名前だけでOBのジョニー(黒木知宏氏)に声をかけているようですが、これからいろいろな名前が出ては消えていくんじゃないですか」(同)。20日から秋季練習が始まった伊東マリーンズは船出前から試練に直面している。
ロッテ、コーチが足りない! 背景に緊縮財政と“女帝”の存在…(夕刊フジ)
クビを切りまくったはいいが、後任が見つからない! ロッテは伊東勤新監督(50)の就任会見(18日)から1週間たっても、いまだ脇を固めるコーチ陣の輪郭すら見えてこない。
今オフに1、2軍合わせて8人のコーチを解雇。残留したコーチはすべて2軍に配転されたが、11月1日から始まる秋季キャンプは1軍の組閣が間に合わない情勢だ。過去2年は別々に開催したが、コーチ不足のため千葉・鴨川で1、2軍合同キャンプを張ることになった。
なかなか引き受け手がいない背景について、球界関係者は「伊東監督の人脈の弱さもあるが、(提示する)年俸が相場の半分くらい。他球団の2軍コーチより安いんじゃないか」と明かす。緊縮財政を推し進める、球団方針の悲しさだ。
さらに「なぜフロントの人間を差し置いて、何の役職もない人間が声をかけて回っているんだ」という指摘もある。2月に退団したはずの女性元幹部が、いまだ折衝役を担っているのだ。2009年のバレンタイン元監督の退団や、昨年9月の球団首脳辞任の裏でも暗躍したとされる人物。ロッテに縁のない伊東監督の招へいにも、関与がささやかれている。
首脳陣やフロントが刷新されようと、依然として“女帝”が実権を握っているなら、いつ恒例の“お家騒動”が起こるか分からない。しかも、球団に籍がないため責任の所在すらあいまいとなれば、コーチ入閣を敬遠されるのも当然か。
2つめの夕刊フジの記事はいったいどういうことなんでしょうか。米田容子さんは2月にロッテ球団を退団した旨がニッカンスポーツに報じられたはず。にもかかわらずまだオーナー代行の傍で権力を振るっているのでしょうか。
非上場のワンマン企業の弊害ですね。重光オーナー代行は米田さんのどこを気に入ったのか、外からではまったくわかりません。
いずれにせよ、西武関係者が来ないのであればロッテOBで固めるしかないでしょう。
マリーンズアカデミーに異動している高沢、平井、園川をコーチに戻すことになるかもしれません。
また日ハム打線を鍛えた大村巌が退団するとのこと。ぜひ戻ってきてほしいですね。
(追記)
今、ネットのスポーツ記事を見たら、昨日の段階でコーチの一部は決まっていたようだ。お詫びはしないが訂正しておく。お詫びはしない、というのは、こんなブログの与太話など、頭から信じている人は最初からいないだろうからだ。
(以下引用)
ロッテ投手コーチに斉藤明雄氏 打撃コーチに堀幸一氏
ロッテ投手コーチに招へいされることが決まった斉藤明雄氏
Photo By スポニチ
伊東新体制が固まった。ロッテが来季の1軍投手コーチに元横浜(現DeNA)投手チーフコーチの斉藤明雄氏(57)を招へいすることが29日、分かった。30日にも発表される。
今季のロッテは前半戦を42年ぶりに首位ターンしたが、夏場以降に唐川が右肘痛で離脱するなど投手陣が崩れて失速。5位で2年連続のBクラスに沈んだ。巻き返しにはリーグ4位のチーム防御率3・13に終わった投手陣の立て直しが急務だ。
斉藤氏は横浜で通算3度、7年間にわたって1軍投手コーチを歴任(1年の選手兼任含む)。98年には38年ぶりのリーグ優勝に貢献し、エースの三浦やデニー友利(現DeNA投手コーチ)らを育てた。近年は解説者としてQVCマリンを頻繁に訪れ、ロッテの投手事情にも精通している。
この日、横浜OB会の打ち合わせでDeNA球団事務所を訪れた同氏は「そういう話があれば光栄。試合での投手陣の力は見て分かっている。練習に取り組む姿勢などもチェックしたい」と前向きな姿勢を示した。
1軍打撃コーチにはOBの堀幸一氏(43)の就任が決まった。堀氏は天才的な打撃センスで通算1827安打をマーク。09年オフにも打撃コーチへの就任要請があったが、固辞して現役を続行した。ユニホームに袖を通すのは引退した10年以来3年ぶりだ。同じく1軍打撃コーチへの就任が決定的な前ソフトバンク・立花義家打撃コーチ(54)とともに打撃部門のテコ入れを図る。
ロッテの新監督の伊東には格別思い入れも無いが、「弱小チーム」ファンである私としては、こういうドタバタも面白いので、ロッテ情報には注意している。
しかし、11月1日から秋季キャンプ入りで、10月30日現在、1軍コーチ全員未定、ですか。あまりにも面白すぎる。私が作家志望のスポーツ記者ならば、こういうドタバタチームに常に密着取材して、ネタをどんどん拾うところである。将来のリング・ラードナー、ディモン・ラニアンは日本にはいないのか。
*間違いを書いたので、下の方に訂正記事も掲載してある。
(以下引用)
2012年10月29日20:47
カテゴリマリーンズ2012
コーチ今だ決まらず。背景に米田容子さんの存在が・・・
ドラフトが終わったのにまだコーチが決まりません。
腹心戻らず伊東ロッテ「前途多難」(東スポ)
伊東勤氏(50)の新監督就任が発表されたばかりのロッテの組閣人事が難航している。
伊東監督は18日の就任会見で「今は何ともお話しできない。理想をいえば気心が知れた人たちとやれればいい」と語っていたが、状況はかなり厳しい。ロッテの内情を知る球界関係者は「ヘタをすると西武時代の腹心は誰も呼んでこれないかもしれません」と声を潜めた。
組閣の目玉であるヘッドコーチとして、まずは森繁和前中日ヘッドコーチ(57)に声をかけたが断られ、土井正博前西武ヘッドコーチ(68)も「指導者引退」を理由に首をタテに振らないという。さらに西武政権時(2004~07年)の腹心だった広島・植田幸弘バッテリーコーチ、ヤクルト・荒木大輔投手コーチはそれぞれのチームで来季の残留が内定。可能性があるとすればソフトバンク・立花義家打撃コーチ、日本ハム・清水雅治外野守備走塁コーチだけだという。
前出関係者は「伊東さんが現場を離れていた5年間の間に腹心のコーチたちは新しいチームで地位を固めた。このままでは目鼻ばかりか口も耳もつかず、格好はつかないんじゃないですか。まあ、元をたどればこれも本人の人徳のなさなんでしょうがね」と難航する組閣の経過を語る。大量8人を解雇したコーチ陣の穴埋め作業は長期戦の様相すら呈している。
「組閣作業を一任されているフロントは球界にほとんど人脈を持たない素人。名前だけでOBのジョニー(黒木知宏氏)に声をかけているようですが、これからいろいろな名前が出ては消えていくんじゃないですか」(同)。20日から秋季練習が始まった伊東マリーンズは船出前から試練に直面している。
ロッテ、コーチが足りない! 背景に緊縮財政と“女帝”の存在…(夕刊フジ)
クビを切りまくったはいいが、後任が見つからない! ロッテは伊東勤新監督(50)の就任会見(18日)から1週間たっても、いまだ脇を固めるコーチ陣の輪郭すら見えてこない。
今オフに1、2軍合わせて8人のコーチを解雇。残留したコーチはすべて2軍に配転されたが、11月1日から始まる秋季キャンプは1軍の組閣が間に合わない情勢だ。過去2年は別々に開催したが、コーチ不足のため千葉・鴨川で1、2軍合同キャンプを張ることになった。
なかなか引き受け手がいない背景について、球界関係者は「伊東監督の人脈の弱さもあるが、(提示する)年俸が相場の半分くらい。他球団の2軍コーチより安いんじゃないか」と明かす。緊縮財政を推し進める、球団方針の悲しさだ。
さらに「なぜフロントの人間を差し置いて、何の役職もない人間が声をかけて回っているんだ」という指摘もある。2月に退団したはずの女性元幹部が、いまだ折衝役を担っているのだ。2009年のバレンタイン元監督の退団や、昨年9月の球団首脳辞任の裏でも暗躍したとされる人物。ロッテに縁のない伊東監督の招へいにも、関与がささやかれている。
首脳陣やフロントが刷新されようと、依然として“女帝”が実権を握っているなら、いつ恒例の“お家騒動”が起こるか分からない。しかも、球団に籍がないため責任の所在すらあいまいとなれば、コーチ入閣を敬遠されるのも当然か。
2つめの夕刊フジの記事はいったいどういうことなんでしょうか。米田容子さんは2月にロッテ球団を退団した旨がニッカンスポーツに報じられたはず。にもかかわらずまだオーナー代行の傍で権力を振るっているのでしょうか。
非上場のワンマン企業の弊害ですね。重光オーナー代行は米田さんのどこを気に入ったのか、外からではまったくわかりません。
いずれにせよ、西武関係者が来ないのであればロッテOBで固めるしかないでしょう。
マリーンズアカデミーに異動している高沢、平井、園川をコーチに戻すことになるかもしれません。
また日ハム打線を鍛えた大村巌が退団するとのこと。ぜひ戻ってきてほしいですね。
(追記)
今、ネットのスポーツ記事を見たら、昨日の段階でコーチの一部は決まっていたようだ。お詫びはしないが訂正しておく。お詫びはしない、というのは、こんなブログの与太話など、頭から信じている人は最初からいないだろうからだ。
(以下引用)
ロッテ投手コーチに斉藤明雄氏 打撃コーチに堀幸一氏
ロッテ投手コーチに招へいされることが決まった斉藤明雄氏
Photo By スポニチ
伊東新体制が固まった。ロッテが来季の1軍投手コーチに元横浜(現DeNA)投手チーフコーチの斉藤明雄氏(57)を招へいすることが29日、分かった。30日にも発表される。
今季のロッテは前半戦を42年ぶりに首位ターンしたが、夏場以降に唐川が右肘痛で離脱するなど投手陣が崩れて失速。5位で2年連続のBクラスに沈んだ。巻き返しにはリーグ4位のチーム防御率3・13に終わった投手陣の立て直しが急務だ。
斉藤氏は横浜で通算3度、7年間にわたって1軍投手コーチを歴任(1年の選手兼任含む)。98年には38年ぶりのリーグ優勝に貢献し、エースの三浦やデニー友利(現DeNA投手コーチ)らを育てた。近年は解説者としてQVCマリンを頻繁に訪れ、ロッテの投手事情にも精通している。
この日、横浜OB会の打ち合わせでDeNA球団事務所を訪れた同氏は「そういう話があれば光栄。試合での投手陣の力は見て分かっている。練習に取り組む姿勢などもチェックしたい」と前向きな姿勢を示した。
1軍打撃コーチにはOBの堀幸一氏(43)の就任が決まった。堀氏は天才的な打撃センスで通算1827安打をマーク。09年オフにも打撃コーチへの就任要請があったが、固辞して現役を続行した。ユニホームに袖を通すのは引退した10年以来3年ぶりだ。同じく1軍打撃コーチへの就任が決定的な前ソフトバンク・立花義家打撃コーチ(54)とともに打撃部門のテコ入れを図る。
下のコメントは、新人投手全員への最良のアドバイスである。特に、164は大事だ。投手にとって一番だめなのは、逃げて四球を出すことである。
制球力の無い投手は常に「ピッチャーインザホール」カウントになって、甘く入った球を痛打される。これがパターンだ。その逆を心がけることで、投手は成長する。つまり、「勝負して打たれたらしょうがない」と開き直ることである。そして、いざという時に打たれないための「勝負球」を磨くことだ。
ちなみに、下記コメントは楽天のエース、田中マー君についてのコメントである。田中マー君の制球力は年々向上し、昨年は1試合あたり1個という、恐るべき数字になっている。初年度が3個くらいだから、元々そう悪くはなかったのだが、この制球力があるからこそ、あの弱小チームの楽天でも勝てるし、いつも防御率がいいのである。
160キロのスピードボールなどは、それだけでは価値が無い、と私が言う所以である。アマ時代ならば、1試合あたりの被安打より与死四球が上回るようなノーコン投手でも並はずれた速球があれば三振も取れるし、勝ち星も上げられる。プロで大成しない大物アマチュア投手は、ほとんどが速球派のノーコン投手である。
西武の大石はプロに入って、アマ時代よりもコントロールがひどくなった珍しい例である。また同じ西武の菊地はアマ時代には150キロ以上の速球を持っていたが、プロでは勝てず、数年後に球速が140キロ前後になってから逆に勝てるようになった。つまり、「投球術」を覚えて勝てるようになったのである。
だが、斎藤ハンカチ王子などのように「技巧派である」、という看板だけでいい、というわけでもない。彼の与死四球率はひどいものである。おそらく被打率はもっとひどいだろう。要するに、今の彼はプロの投手としての武器が無いのである。
(以下「2ちゃんねる」から引用)
1:風吹けば名無し:2012/10/29(月) 16:24:10.59ID:QrJmauPA
与四死球率
2007 3.63
2008 2.93
2009 2.38
2010 2.15
2011 1.27
2012 1.09
164:風吹けば名無し:2012/10/29(月) 17:06:41.40ID:kTpSPvFY
まあ勝負して結構打たれているし
勝負しているからこそボール球を振ってくれている
174:風吹けば名無し:2012/10/29(月) 17:08:58.37ID:rH3Vfj0C
・チーム事情もあって1年目から1軍でやらざるを得なかった
↓
・一方で、将来のエース候補だから無理はせず大事に使われた
↓
・その結果、自分の長所・短所を含めて、プロでやるために必要なものを最速で明確にできた
↓
・チーム事情+自らの性格もあり、厳しい環境とできる限りのサポートの中、高い目標に向けてクソ真面目に突き進んだ
こんな感じで成長したんかなと思っとる
まぁでもやっぱり本人の性格が重要なんやろなぁ
制球力の無い投手は常に「ピッチャーインザホール」カウントになって、甘く入った球を痛打される。これがパターンだ。その逆を心がけることで、投手は成長する。つまり、「勝負して打たれたらしょうがない」と開き直ることである。そして、いざという時に打たれないための「勝負球」を磨くことだ。
ちなみに、下記コメントは楽天のエース、田中マー君についてのコメントである。田中マー君の制球力は年々向上し、昨年は1試合あたり1個という、恐るべき数字になっている。初年度が3個くらいだから、元々そう悪くはなかったのだが、この制球力があるからこそ、あの弱小チームの楽天でも勝てるし、いつも防御率がいいのである。
160キロのスピードボールなどは、それだけでは価値が無い、と私が言う所以である。アマ時代ならば、1試合あたりの被安打より与死四球が上回るようなノーコン投手でも並はずれた速球があれば三振も取れるし、勝ち星も上げられる。プロで大成しない大物アマチュア投手は、ほとんどが速球派のノーコン投手である。
西武の大石はプロに入って、アマ時代よりもコントロールがひどくなった珍しい例である。また同じ西武の菊地はアマ時代には150キロ以上の速球を持っていたが、プロでは勝てず、数年後に球速が140キロ前後になってから逆に勝てるようになった。つまり、「投球術」を覚えて勝てるようになったのである。
だが、斎藤ハンカチ王子などのように「技巧派である」、という看板だけでいい、というわけでもない。彼の与死四球率はひどいものである。おそらく被打率はもっとひどいだろう。要するに、今の彼はプロの投手としての武器が無いのである。
(以下「2ちゃんねる」から引用)
1:風吹けば名無し:2012/10/29(月) 16:24:10.59ID:QrJmauPA
与四死球率
2007 3.63
2008 2.93
2009 2.38
2010 2.15
2011 1.27
2012 1.09
164:風吹けば名無し:2012/10/29(月) 17:06:41.40ID:kTpSPvFY
まあ勝負して結構打たれているし
勝負しているからこそボール球を振ってくれている
174:風吹けば名無し:2012/10/29(月) 17:08:58.37ID:rH3Vfj0C
・チーム事情もあって1年目から1軍でやらざるを得なかった
↓
・一方で、将来のエース候補だから無理はせず大事に使われた
↓
・その結果、自分の長所・短所を含めて、プロでやるために必要なものを最速で明確にできた
↓
・チーム事情+自らの性格もあり、厳しい環境とできる限りのサポートの中、高い目標に向けてクソ真面目に突き進んだ
こんな感じで成長したんかなと思っとる
まぁでもやっぱり本人の性格が重要なんやろなぁ
「ライブドアニュース」から転載。
新聞が娯楽ってのは「褒め過ぎ」だろう。娯楽というほど面白いものか。娯楽なら上等であり、ただの「洗脳装置」ではないか。
(以下引用)
「活動の場ネットに移す」が気に入らず 朝日天声人語がスーパーマンに「クレーム」
J-CASTニュース
2012年10月27日17時13分
コメント 88
写真拡大
「『新聞で人助け』とか言っていたのに、そりゃないぜクラーク」
スーパーマンが長年勤めた新聞社を「退職」したことに、朝日新聞の名物コラム「天声人語」が「クレーム」を付けている。
スーパーマンことクラーク・ケントは、普段は記者として新聞社「デイリー・プラネット」に勤務している、というのが初登場以来70年以上続くおなじみの設定だ。ところが2012年10月24日発表された新作漫画でケントは、
「新聞はもはや、ジャーナリズムではなく娯楽になり下がった」
と上司に言い放ち、新聞記者を廃業してしまった。
「いわば副業だけに気楽なもんだと思う」
天声人語筆者は、記者仲間の「変節」にいたく落胆したらしい。26日朝刊の同欄は、
「『新聞で人助け』とか言っていたのに、そりゃないぜクラーク」
といった調子で、終始嘆き節に満ちている。
また筆者には、ケントが今後、ジャーナリストとしての活動の場をインターネットに移すとされていることがよほど気に食わない様子だ。「同業の目には無謀と映る」と独自の論理を主張しただけではなく、さらには「空さえ飛べる男が時流に乗るのは道理かもしれない」とスーパーマンの能力を引いてあてこすり、とどめは「ひがみ半分、いわば副業だけに気楽なもんだと思う」。
一方でケントによる新聞批判については、「娯楽だと嘆いたのは場の勢いだろう」と取り合う様子もない。最後は、「ひそかな自慢(注:スーパーマンが新聞記者をしていること)が業界を去っても、新聞という地味な人助けにこだわりたい」と締めくくった。
「ああ、自覚無いんだなぁ…」
この文章に、読者の反応は総じて冷ややかだ。漫画家のかずみ義幸さんがツイッターで、
「スーパーマンが新聞記者辞めたと天声人語。辞めるときの台詞が『新聞はもはや、ジャーナリズムではなく娯楽になり下がった』といったのを、この天声人語の記者は『娯楽だと嘆いたのは場の勢いだろうが』って…ああ、自覚無いんだなぁ…」
とつぶやくと、投稿はたちまち1200回以上もリツイートされた。ほかにも、「ケントが嘆いた現状を全く認めようとしていない」「なぜスーパーマンが組織ジャーナリズムに失望したのかわかってない」などといった疑問の声が相次いでいる。
新聞が娯楽ってのは「褒め過ぎ」だろう。娯楽というほど面白いものか。娯楽なら上等であり、ただの「洗脳装置」ではないか。
(以下引用)
「活動の場ネットに移す」が気に入らず 朝日天声人語がスーパーマンに「クレーム」
J-CASTニュース
2012年10月27日17時13分
コメント 88
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「『新聞で人助け』とか言っていたのに、そりゃないぜクラーク」
スーパーマンが長年勤めた新聞社を「退職」したことに、朝日新聞の名物コラム「天声人語」が「クレーム」を付けている。
スーパーマンことクラーク・ケントは、普段は記者として新聞社「デイリー・プラネット」に勤務している、というのが初登場以来70年以上続くおなじみの設定だ。ところが2012年10月24日発表された新作漫画でケントは、
「新聞はもはや、ジャーナリズムではなく娯楽になり下がった」
と上司に言い放ち、新聞記者を廃業してしまった。
「いわば副業だけに気楽なもんだと思う」
天声人語筆者は、記者仲間の「変節」にいたく落胆したらしい。26日朝刊の同欄は、
「『新聞で人助け』とか言っていたのに、そりゃないぜクラーク」
といった調子で、終始嘆き節に満ちている。
また筆者には、ケントが今後、ジャーナリストとしての活動の場をインターネットに移すとされていることがよほど気に食わない様子だ。「同業の目には無謀と映る」と独自の論理を主張しただけではなく、さらには「空さえ飛べる男が時流に乗るのは道理かもしれない」とスーパーマンの能力を引いてあてこすり、とどめは「ひがみ半分、いわば副業だけに気楽なもんだと思う」。
一方でケントによる新聞批判については、「娯楽だと嘆いたのは場の勢いだろう」と取り合う様子もない。最後は、「ひそかな自慢(注:スーパーマンが新聞記者をしていること)が業界を去っても、新聞という地味な人助けにこだわりたい」と締めくくった。
「ああ、自覚無いんだなぁ…」
この文章に、読者の反応は総じて冷ややかだ。漫画家のかずみ義幸さんがツイッターで、
「スーパーマンが新聞記者辞めたと天声人語。辞めるときの台詞が『新聞はもはや、ジャーナリズムではなく娯楽になり下がった』といったのを、この天声人語の記者は『娯楽だと嘆いたのは場の勢いだろうが』って…ああ、自覚無いんだなぁ…」
とつぶやくと、投稿はたちまち1200回以上もリツイートされた。ほかにも、「ケントが嘆いた現状を全く認めようとしていない」「なぜスーパーマンが組織ジャーナリズムに失望したのかわかってない」などといった疑問の声が相次いでいる。
横浜のために、他チームの自由契約選手の中から拾いものを推薦すると予告したが、楽天の星野監督の方が出足が早かった。
実は、私が横浜に推薦する予定だったのは、下記記事の「森山周」なのである。彼に関するウィキペディア記事を読んで、これは例によって「上の使い方がまずいために実力を十分に出していない選手」である、と判断したのである。
内外野、ほとんどどこでも守れるし、俊足であるから、チームに一人は置いておきたい選手、いわゆるユーティリティープレーヤーである。レギュラーの誰かが怪我した時には重宝する。特に横浜のように選手層の薄いチームには有益だろう。
星野は、監督としては疑問符が付くが、GM的才能がある。自分のチームに何が欠けているか分析するだけでなく、オーナーに戦力補強を堂々と要請する度胸がある。阪神時代の優勝は、半分以上はその「戦力補強」の結果である。
(引用1)
楽天、オリ戦力外の森山を獲得検討
2012年10月17日
楽天が、オリックスを今季限りで戦力外となった森山周外野手(31)の獲得を検討していることが16日、分かった。走塁面で課題の残った今季の反省を踏まえ、俊足が売りの森山をリストアップした。
チームには今季、盗塁王を獲得した聖沢がいるが、シーズン中に俊足内野手の内村がトレードで移籍すると、得点が欲しいゲーム終盤の代走要員の不足に悩まされた。森山は50メートルを5秒5で走る快足スペシャリスト。2011年にオリックスが3試合連続でサヨナラ勝ちを記録した際、すべて代走でホームを踏んだ。内外野どこでも守れる守備力も魅力だ。
星野監督はこの日「ウチは空中戦は無理。地上戦で行くしかない」と、改めて機動力野球で来季を戦うことを明言。俊足野手の補強で、着実な得点力アップを目指す。
(引用2)
プロ入り後
ルーキーイヤーの2006年、5月に一軍に昇格するもすぐ二軍落ち。しかし課題の打撃が向上し、7月に再び一軍に登録される。9月には4割を超える高打率を残し、シーズン打率.356と足だけではないところを見せ付けて大いにアピールした。シーズン終盤には二塁手としてスタメンに名を連ねることも多くなった。また、フルカウントになった10打席のうち3安打6四球(出塁率9割)で、追い込まれてもしぶとさを見せた。
2007年は、遊撃に新人の大引啓次が定着、二塁には同じ左打ちの後藤光尊がいたため、一軍定着には至らなかった。また、自身も打撃では13打数無安打に終わり、11試合の出場にとどまった。秋季キャンプより、同じく現役時代に代走起用の多かった外野守備・走塁コーチの松山秀明の「より監督にとって使いやすい選手に」という助言もあって俊足を活かすために外野手にも取り組み始めた。
監督のテリー・コリンズは機動力をあまり使わなかった為、コリンズ在任時はほとんど一軍での出番が無かったが、2008年5月下旬から大石大二郎が監督代行になると、一番に一軍昇格。6月に大引が故障で長期離脱したのに伴い、主に代走要員として自己最多の42試合に出場した。6月11日の対横浜戦では、5点ビハインドの7回裏に反撃の狼煙となる適時打を放つと、8回裏に同点となった直後に内野安打を放って出塁。続く坂口智隆の打席で二盗を決めると、坂口のセンター前ヒットで二塁から一気に本塁へ生還し、決勝のホームを踏んだ。この活躍により、プロ入り後初のお立ち台に上がった。
2009年は34試合に出場し、守備では一塁、二塁、三塁、遊撃、外野を全てこなすなど奮闘したが、打撃では11打数無安打と振るわないシーズンに終わった。
2010年は開幕二軍ながらウエスタン・リーグで高打率を記録し、4月13日に昇格。ところが、グレッグ・ラロッカの故障を受け、三塁手の補充のために一輝との入れ替えで翌日即登録抹消となった。その後も二軍で結果を出し続け、最終的にウエスタンでは36試合で打率.372という好成績をあげ、5月15日に一軍昇格。昇格当初はなかなか出場機会が得られず、代走・守備要員での出場が専らだった。だが、7月28日の対日本ハム戦で自身4年ぶりに3安打を放って勝利に貢献し、2年ぶりに自身2度目のお立ち台に上がった。この試合をきっかけに、2番・右翼手ないしは左翼手としてスタメンに定着し、シュアなバッティングを披露した。68試合に出場し、2006年と2008年に記録した計28安打を上回る43安打を放って打率.330を記録し、ようやく一軍の壁を破る働きを見せた。
2011年も代走・守備要員としての出場が多いものの、7月2日・7月3日・7月5日とチームがプロ野球タイ記録の3試合連続サヨナラ勝ちを収めた際には、プロ野球史上初となる3試合連続サヨナラのホームを踏んだ。いずれの試合もすべて代走での出場であり、足のスペシャリストならではの離れ業を演じた。しかし、前年を上回る自己最多の82試合に出場しながら、打率.186と打撃不振に陥ってしまった。
2012年は同じ俊足外野手の野中信吾や小島脩平、深江真登の台頭により一軍での出場機会をなかなか得られず、18試合の出場で打率.153に終わり、10月4日に戦力外通告を受けた[1]。
プレースタイル
50メートル走5秒5、一塁到達3.7秒台の走塁能力を持ち[2]、2010年までの内野安打率は29.5パーセントを誇る。打撃では逆方向への意識が高く、安打の半分近くが左方向に飛ぶ[3]。主に遊撃手・二塁手を務め、三塁手としての起用も多い。2008年より外野手にも挑戦するユーティリティープレイヤーであり、2009年は一軍で一塁・二塁・三塁・遊撃・外野のすべてを守った。
実は、私が横浜に推薦する予定だったのは、下記記事の「森山周」なのである。彼に関するウィキペディア記事を読んで、これは例によって「上の使い方がまずいために実力を十分に出していない選手」である、と判断したのである。
内外野、ほとんどどこでも守れるし、俊足であるから、チームに一人は置いておきたい選手、いわゆるユーティリティープレーヤーである。レギュラーの誰かが怪我した時には重宝する。特に横浜のように選手層の薄いチームには有益だろう。
星野は、監督としては疑問符が付くが、GM的才能がある。自分のチームに何が欠けているか分析するだけでなく、オーナーに戦力補強を堂々と要請する度胸がある。阪神時代の優勝は、半分以上はその「戦力補強」の結果である。
(引用1)
楽天、オリ戦力外の森山を獲得検討
2012年10月17日
楽天が、オリックスを今季限りで戦力外となった森山周外野手(31)の獲得を検討していることが16日、分かった。走塁面で課題の残った今季の反省を踏まえ、俊足が売りの森山をリストアップした。
チームには今季、盗塁王を獲得した聖沢がいるが、シーズン中に俊足内野手の内村がトレードで移籍すると、得点が欲しいゲーム終盤の代走要員の不足に悩まされた。森山は50メートルを5秒5で走る快足スペシャリスト。2011年にオリックスが3試合連続でサヨナラ勝ちを記録した際、すべて代走でホームを踏んだ。内外野どこでも守れる守備力も魅力だ。
星野監督はこの日「ウチは空中戦は無理。地上戦で行くしかない」と、改めて機動力野球で来季を戦うことを明言。俊足野手の補強で、着実な得点力アップを目指す。
(引用2)
プロ入り後
ルーキーイヤーの2006年、5月に一軍に昇格するもすぐ二軍落ち。しかし課題の打撃が向上し、7月に再び一軍に登録される。9月には4割を超える高打率を残し、シーズン打率.356と足だけではないところを見せ付けて大いにアピールした。シーズン終盤には二塁手としてスタメンに名を連ねることも多くなった。また、フルカウントになった10打席のうち3安打6四球(出塁率9割)で、追い込まれてもしぶとさを見せた。
2007年は、遊撃に新人の大引啓次が定着、二塁には同じ左打ちの後藤光尊がいたため、一軍定着には至らなかった。また、自身も打撃では13打数無安打に終わり、11試合の出場にとどまった。秋季キャンプより、同じく現役時代に代走起用の多かった外野守備・走塁コーチの松山秀明の「より監督にとって使いやすい選手に」という助言もあって俊足を活かすために外野手にも取り組み始めた。
監督のテリー・コリンズは機動力をあまり使わなかった為、コリンズ在任時はほとんど一軍での出番が無かったが、2008年5月下旬から大石大二郎が監督代行になると、一番に一軍昇格。6月に大引が故障で長期離脱したのに伴い、主に代走要員として自己最多の42試合に出場した。6月11日の対横浜戦では、5点ビハインドの7回裏に反撃の狼煙となる適時打を放つと、8回裏に同点となった直後に内野安打を放って出塁。続く坂口智隆の打席で二盗を決めると、坂口のセンター前ヒットで二塁から一気に本塁へ生還し、決勝のホームを踏んだ。この活躍により、プロ入り後初のお立ち台に上がった。
2009年は34試合に出場し、守備では一塁、二塁、三塁、遊撃、外野を全てこなすなど奮闘したが、打撃では11打数無安打と振るわないシーズンに終わった。
2010年は開幕二軍ながらウエスタン・リーグで高打率を記録し、4月13日に昇格。ところが、グレッグ・ラロッカの故障を受け、三塁手の補充のために一輝との入れ替えで翌日即登録抹消となった。その後も二軍で結果を出し続け、最終的にウエスタンでは36試合で打率.372という好成績をあげ、5月15日に一軍昇格。昇格当初はなかなか出場機会が得られず、代走・守備要員での出場が専らだった。だが、7月28日の対日本ハム戦で自身4年ぶりに3安打を放って勝利に貢献し、2年ぶりに自身2度目のお立ち台に上がった。この試合をきっかけに、2番・右翼手ないしは左翼手としてスタメンに定着し、シュアなバッティングを披露した。68試合に出場し、2006年と2008年に記録した計28安打を上回る43安打を放って打率.330を記録し、ようやく一軍の壁を破る働きを見せた。
2011年も代走・守備要員としての出場が多いものの、7月2日・7月3日・7月5日とチームがプロ野球タイ記録の3試合連続サヨナラ勝ちを収めた際には、プロ野球史上初となる3試合連続サヨナラのホームを踏んだ。いずれの試合もすべて代走での出場であり、足のスペシャリストならではの離れ業を演じた。しかし、前年を上回る自己最多の82試合に出場しながら、打率.186と打撃不振に陥ってしまった。
2012年は同じ俊足外野手の野中信吾や小島脩平、深江真登の台頭により一軍での出場機会をなかなか得られず、18試合の出場で打率.153に終わり、10月4日に戦力外通告を受けた[1]。
プレースタイル
50メートル走5秒5、一塁到達3.7秒台の走塁能力を持ち[2]、2010年までの内野安打率は29.5パーセントを誇る。打撃では逆方向への意識が高く、安打の半分近くが左方向に飛ぶ[3]。主に遊撃手・二塁手を務め、三塁手としての起用も多い。2008年より外野手にも挑戦するユーティリティープレイヤーであり、2009年は一軍で一塁・二塁・三塁・遊撃・外野のすべてを守った。