なお、「ファク・トゥ・ザ・ティーチャー」は「ファック・トゥ・ザ・ティーチャー」と書いた方が明瞭だと思うのだが、そういう意味ではないのか? それとも2チャンネルなどでは「ファク」という書き方の方が一般的なのか?
少し古い記事だが、ハマスとイスラエルの関係を暗黙のうちに教えていると思う。つまり、ハマスはイスラエルによって作られた組織ではないか、ということだ。ハマス創始者の息子がイスラエルのスパイになったのは驚くべきことでも何でもなく、ハマス設立の本旨に沿った行動だ、ということだ。
(以下引用)
ハマス創始者の息子がイスラエルのスパイに
Born Hamas, Turned Shin Bet
子供が後を継いでくれないと嘆く親は多いが、その程度の失望ならましと思うべきだ。パレスチナの過激派ハマスの創始者の1人、ハッサン・ユーセフの場合は息子がキリスト教に改宗し、イスラエル側のスパイになったのだから。
息子のモサブ・ハッサン・ユーセフ(32)は、先週出版した自叙伝で自分の人生を暴露した。出版前にイスラエル紙ハーレツに語った内容によると、モサブはインティファーダ(反イスラエル闘争)の最中、イスラエルの国内治安機関シンベトの諜報員としてハマスの情報を流していたという。
父ハッサンは現在、イスラエルの刑務所で6年間の服役中。モサブは比較的穏健とされていた父親がハマスの上層部を代表していないと気付いたとき、ハマスに背を向けたと語っている。ハマス上層部は自滅的な憎しみで腐り果て、パレスチナの人々に害を及ぼしていると考えたという。
モサブによれば、父親は獄中でモサブの改宗を知り、ひどく衝撃を受けたものの、息子を勘当はしなかった。勘当すれば、息子の暗殺を承認したと見なされるからだ。
ハーレツ紙が引用している複数の情報源は、モサブが得た情報が多くの自爆テロを防ぎ、イスラエル人の命を救ったと語っている。
*グローバル・ポスト特約
GlobalPost.com
[2010年3月17日号掲載]
ながた氏は業界の人間だから、同業者に批判的な意見は書けないのだろう、と皮肉な見方もできるが、私は「マーニー」は見ていないので何とも言えない。しかし、下記記事を見ても、平板単調な物語なのだろうな、という想像はつく。やはりこれは脚本の責任が一番なのではないか。もちろん、米本監督の演出力欠如、という可能性もある。
ドラマとは、「ドラマ性」という言葉もある通り、劇的なものがあるからドラマなのであり、たとえば「東京物語」や「野いちご」のように、一見何も事件らしい事件が起こらなくても劇的緊張を保ったドラマというものもある。私は「アリエッティ」にはそれをまったく感じなかったし、「マーニー」もおそらくそうなるだろう、と思っている。これは作劇者の資質によるものだ。だが、風景描写などの叙情性はある監督なので、それを目的とした作品づくりをするというのも一つの方向ではある。しかし、たとえ子供相手がメインの作品と言っても、ドラマ性を欠いたドラマが一般大衆(「面白いもの」に対するその嗅覚は案外鋭いものだ)を引き付けることはないだろう。つまり、ジブリがこういう方向で作品作りを進めるなら、それは企業としては致命傷になるだろう、ということである。
なお、「アニメ」とは「アニマ」つまり「生命」とか「精霊」を語源としていたはずであり、「生命性」の欠如した、動きのないアニメはアニメではない。それはストーリーにも通じることだ。物語としての「動き」が無いアニメが子供を引き付けるはずはない。
要するに、米本監督は「アリエッティ」への反省がまったく無いまま「マーニー」を作ったのだろう、と私は推測している。批判に対して「俺の方向性は間違っていない」と居直っているのかもしれない。(精神構造が、サッカー日本代表の「自分たちのサッカー」論によく似ている。)
(以下引用)
2014年07月22日
映画「思い出のマーニー」監督:米林宏昌
http://marnie.jp/index.html
とてもいい作品でした。
(以下ネタバレあり)
便宜的にフィジカル(物理的)な部分とロジカル(論理的)な部分とに分けて考えてみます。
フィジカルな部分では弱点一つ、
「ちょっと平板ではないかな」
とは思いました。
脚本が悪いというよりも(むしろこちらは詰め込み気味)やはり監督の抑揚の付け方=演出がちょっと物足りなかったです。絵も動きも効果もタイムスケジュールも。
『アリエッティ』観てましても米林監督は抑制が効いた演出がお好きなのだろうとは思いますが、せっかくのアニメしかもファンタジー、「もったいない」という印象です。
ただ、傷というわけではなくこのぐらいがお好きな方も多いでしょうし、できもしない無理をして変な味入っちゃう方が問題ではあるので、まあ次回はもう少しはっちゃけていただいても、ぐらいの希望を出しておくことにして。
もちろん、いい「ハサミ」持ってる人呼んで来る手もあります。自社生産だと描いてる人の顔浮かんで切れない、とかあるでしょうしねぇ。
あとやっぱり「宮崎の影」は観る方に絶対あって、メシの描写やギュッと抱く描写であのくどくどしい熱さ・執念が無いと、物足りなく感じちゃうのはもうしょうがないです。
で、ロジックの方ですが、こちらはいいかんじ。
近現代のコンテンツ(芸術・エンタメ)における大テーマの一つに、
「発狂した世界にどうやって『引っかかり』を見つけて生きてゆくか」
があると思うのですが、この作品ではそれを見失っていた杏奈ちゃんが、無事見つけて日常へ帰っていく、その過程が丁寧に描かれていました。これだけで合格点です。
皆さんご存知のようにこの世界は(社会は、そこに棲まう人間たちは)
「合理的であるフリをして自分たちでそれを守らない」
「人情を大切にするフリをして『嫌だ』という人間の声を無視する」
という具合に発狂しており、しかもそれを絶対に認めようとしない。
元来が「まとも」である子どもたちはこの矛盾にブチ当たって困り果てた末、3種(正確には4種)の対応を取らざるを得ません。
1 杏奈のように 世界はこんなもんで「自分がおかしいんだ」と閉じこもる
「お母さんがお金貰ってた」というのは「不機嫌を表現していいんだ」と自分に許可を与えるトリガーに過ぎず、不機嫌の理由は別(世界の発狂)にある。
2 ふとっちょぶたさんのように 「どうもおかしいんだけど物事動かさな始まりませんし」と先送る
杏奈に罵倒されて(母親が動転するほど)号泣したのは、「お前のやってることでは問題は解決しない、むしろ問題の維持に手を貸している」と一番痛い所を突かれたからです。
3 その他の子どもたちのように 気づいてないフリをしてアホのフリをする
これが最も短期的に安全な対応策ですが、これで一生過ごしきれるとは限らない。たぶん無理でしかもこの問題は、はしかと同じく遅く発病するほど重くのしかかる。あと、「アホのフリ」と「アホ」は同値by兼好法師。
4 稀に 「おかしいのは世間や」をずっと持ったまま成長する
が、それを口に出しても黙殺されるので結局123どれかにスライドするか、変人呼ばわりウエルカムな無縁人生に身を委ねて挙句、世間には無影響。
で、このすべての子どもが直面する危機に際して、私たちはだいたい大人になる時に何か一つでも
「引っ掛かり」
を世界の中に見つけ、そこを嵐の中のアンカーポイントにしてなんとかかんとか、世界および「生きること」に折り合いをつけます。
「とにかく何かわからないけどこれをやっている間は「生きている」」
という何かを。
恋でも友情でも趣味でも仕事でもマンガでも温泉でもビールでも讃岐うどんでも、なんでもいいんですそれは。
マーニーを初めて見た瞬間、杏奈は思わず、身体が勝手に動くようにして、近づこうとします。
これこそが「見つけた」瞬間であり、それ以降今までの消極性が嘘のように野山を転げまわるようにして彼女を追う。
しかし「これが無くては生きていけない」とまでいくとこれは悪い意味での依存で、だからマーニーは消える。
あなたが掴んだものは「世界との繋がり」であって、わたしではない、と教えるように。
と、そこで終盤の杏奈になりきると、初めて周囲が見えてくる。
そこに居たのは、それぞれのやり方でこの危機を乗り切ったであろう大人たち(頼子さん、大岩夫妻、久子さん、といちさん)と、彼らが自分を見守ってくれていたという事実。
マーニーは特に(ヒロインですし)、この子どもと大人の二面を持たされています。子どもの面では杏奈の写し鏡のように「世界から弾き出されている」子で、大人の面で見れば「そういう子どもを見守る」ことにその「引っ掛かり」を(最後の最後にようやくのことで)見出した人、です。
だからこそそれを、杏奈に早く伝えたかった。呼び寄せたとも言えましょう。
『もののけ』以降のジブリ映画は基本的に、この「世界との繋がりが不安定な人」が、どのようにしてその「繋がり」を再構築・再確認していくか、がメイン・テーマですので、たいへん普遍性があります。その中でも「夢か現かわからないマーニーの存在」以外に特殊舞台装置の無い当作品は、「入り込み易さ」という面で取っ付き易い作品だと思います。
一見すると
「思春期の不安定な女の子が不思議な体験を通じて一歩成長した」
という「よくあるお話」なのですが、それにとどまらないのはここ、世の理不尽・不条理をきっちり描くことで(無意味な高速道路、押し付けがましい七夕祭りやボランティア、もちろん杏奈やマーニーの子ども時代を巡るトラブル)、
「悪いのは君じゃなくて世界なんだけど、もうしわけないがそれを乗り越えるのは君自身だ」
というメッセージを大人としてちゃんと発している点でしょう。
「生きろ」
「生きねば」
と言われた時に、上述の危機にある子どもは序盤の杏奈のような曇った瞳で
「どうして?」
と問います。その時に我々大人は
「いいことがある」
という答えをひとつと、もうひとつ、
「酷いこともたくさんある。それを招いているのは我々大人だ」
という言いにくいことも伝えねばなりません。そして非常に無責任にも厚顔無恥にも、
「いいことを手がかりに生きて、この世界をちょっとでも良くしてくれ」
と願う。
だいたいの大人はそれが恥ずかしいし、虫がよすぎるし、もっとシンプルに自分の非を認めたくないので、
「いいことがある」
としか言わない、ので、信じてもらえない。
米林監督はそこを逃げずに真正面から取り組んだのです。
夢のような風景・環境に居る、どうしようもなく「普通」=発狂した人々と(言うまでもありませんが、発狂した世界で普通であるということは発狂してるってことです)、そんな「普通」になりたい、つまり狂ってしまいたいとまで自暴自棄を起こした杏奈=わたし。
目を背けたくなるようなリアルで、実際目を逸らしたほうがエンターテイメントとして一時の「癒やし」になる性能は高まるわけですが、そこを耐えて観客が目を逸らさない範囲ギリギリを狙って粘り強く描く、からこそ、一歩踏み込んだ作品になる。
見習いたい。
ということでたいへんいい作品ですので、劇場でぜひ。
小難しいこと考えなくてもこの季節、北海道の風景観てるだけでホッとできます。ジブリは夢を現実にするのが相変わらず最高に巧い。
ああ、また行きたいなあ北海道!
余談ですが(近年の)ジブリ映画に反応しない人が世の中には2種類居て、
・やりたいことやってやりたくないことやらなかっためちゃくちゃ幸せ(&幸運)な人
か、
・これを観てしまうと自分の依って立つ世界が崩壊するのが怖いので目を逸らす人
のどちらかです。
ウチの母なんか前者でして(笑)それどころかこの作品にも出てますね、さやかちゃん。ジブリ名物女丈夫、いつでも「私は私」と言い放てる、あの歳にして既に危機を乗り切っている、もしくは危機など無い!少女です。
まあ実際稀に居ますよ特に女の子には。男はだいたい上記4になっていじけるんですけど。
彼女がマーニーの部屋の住人になる、というのも、穿ち過ぎかもしれませんが未来への希望を暗示させる、いい筋回しだと思いました。
それはそうと問題は後者で、この方々というのはつまり「宝箱の鍵が宝箱の中」の状態ですので、一筋縄ではいきません。そしておそらく、そういう人は想像するより割と多い。
次回も米林作品、観に行きますとも。
私も原監督の「日替わり打線」「猫の目打線」には不賛成である。これでは選手も育たないし、長期的には打線の弱体化につながるだろう。巨人は圧倒的な戦力があるのだから、レギュラーを固定しなくても戦えるのは確かだが、これではスター選手が育たない。選手も「勝っても、すべては監督の手腕という話になる」と思うようになるのではないか。それでも巨人の選手は真面目に働いているのは偉いが、それは「いつでも自分の代わりはいる」と思っているからだ。だが、本当に代わりがいるかどうか。ためしに坂本、長野、阿部抜きで10試合戦ってみればいい。少なくとも、打順をあのように変えるのは、戦術としても間違っている。原のような起用法をしなくても、普通に戦えば巨人は勝てるチームだと思うのだが。
選手のプライドだけ高い他チーム選手も困ったものだが、あまりに主軸選手のプライドの無い巨人選手も、何だかなあ、である。
(以下引用)
原監督の“戦術”が原因 球宴史上初「巨人スタメン初戦ゼロ」
2014年7月19日
51年に始まり、今年で64回を数える球宴で、その第1戦の先発メンバーに巨人の選手が名を連ねないのは、史上初めてのこと。全セを率いる原監督は「ファンの方の夢の球宴ですし、ファン投票で1番という人を使う」と説明していたが、内心は忸怩たる思いだろう。セ首位を快走しながら、巨人からファン投票で選出されたのは、捕手の阿部慎之助だけ。原監督は中間発表の段階で、「(ファンは)巨人の選手を見たくないってことでしょ」とスネてもいた。
「いや、今回のファン投票の結果は、その原監督にも責任があると思いますけどね」と、スポーツライターの工藤健策氏が続ける。
「今年の原監督は商売下手な宝石商のようなものです。前半戦最後の2試合でそれまで4番を任せていた村田をいきなり7番にまで降格。調子が悪いという理由で坂本を7番、阿部を8番、長野を9番で使ったりする。指揮官として勝つための最善策を模索するのは理解できるが、ファンの立場からするとどうなのか。阿部も村田も長野、坂本も今の巨人の看板です。選手にはそれぞれ、『格』というものもある。その『格』をないがしろにするような起用をすれば、選手本人だけじゃなく、ファンも<軽く扱われているんだ>と思いますよ。監督の起用を見て、その程度の選手なんだな、というイメージが刷り込まれる。戦力で他球団を圧倒する巨人は、ダイヤモンドもルビーもサファイアも持っています。にもかかわらず、店主がお客に、これはダイヤモンドだけど傷物だからとか、このルビーは純度が低いと言っているようなもの。店主が自らの商品をおとしめているような印象を受けるのです」
これを載せたことで、このブログも終わりかな。まあ、そうなれば、ネット検閲の事実が明確になるから、それでもいい。
(以下引用)
アマちゃんださんがリツイート
It's time to fight back with Israel. Do not purchase any product starting with "729" barcode. Spread the word! pic.twitter.com/ixoqfkCsUQ
なお、「思い出のマーニー」は未見だが、見るつもりもない。「アリエッティ」の監督、「アリエッティ」の脚本家、という段階で、見るに値せず、と判断した。
(以下引用9
脚本
丹羽圭子
作品歴
海がきこえる(1993年)- 脚本(中村香名義)
ゲド戦記(2006年) - 脚本
借りぐらしのアリエッティ(2010年) - 脚本
コクリコ坂から(2011年) - 脚本
思い出のマーニー(2014年) - 脚本
最近のクソジブリの脚本を書いてる戦犯。なぜか使われ続ける
浅いセリフ、盛り上がり0の平坦なストーリーしか書けない無能
>>13
どうせ次回作もこいつが担当するんだろ
丹羽を起用しなかったかぐや姫はシナリオがよかった
だって最近のジブリわくわくしないんだもの
>>20
なんか物足りないよね
アリエッティ昨日初めて見たけど、安定して地味って感じだった
面白味に欠けるというか
かぐや姫は宣伝が悪かったな
特にあの爺さんの池沼みたいな演戯
あれでかなり離れたろ
>>27
そんな層は離れていくべきだろむしろ
>>27
公開時期も悪かった。かぐや姫の直後だったし
昔のジブリ:子供に夢を与える
今のジブリ:子供に現実をぶつける
深夜アニメっぽい雰囲気
かぐや姫もマーニーも今初めて聞いたわ
宣伝が足りないんじゃねーの
>>67
いやさすがにそれはお前がテレビつけてないから
かぐや姫良かったのに赤字なのか
>>68
話なんか全部わかってるし、あの映像に兼ねかけてんだろうけど別にアニメはアニメ塗りでいいすわ
ジブリが情けない
宮崎駿を同じジャンルじゃ超えられないから少女だけのアニメ作って
方向転換って感じがする
同じ冒険物で負けてもいいから勝負してほしかったな
思い出のマーニー
総合評価30点
・ベタ、単調、浅い、セリフが軽い
・アリエッティもだが、好きになれるキャラが一人もいない
・終始低調、基本的にイベントが起こらない
・主人公が暗くてアクションがない分、アリエッティよりも退屈
・映像と音楽はいい
・わき役が本当にわき役のままで終わる
・大人も子供も退屈
・心に残るシーンがない
結論
宮崎駿と高畑勲が去ったあとのジブリは普通以下のアニメしか作れない
どうやら、フレッシュ球宴はテレビ放映もされていたようだが、見逃してしまった。正直言って、上の方の球宴よりも、フレッシュ球宴のほうが見たかったくらいである。しかも、その内容が私の期待どおりの面白そうなものだから、つくづく残念だ。
今の時代、テレビ局はコンテンツを探すのに苦労しているはずだから、ぜひプロ野球の二軍戦や、高校野球の地方予選などをテレビ放映してもらいたいものだ。女子野球でもいい。リトルリーグでもいい。草野球でもいいくらいだ。野球ほどテレビ向きのコンテンツは無い、と私は確信している。
(以下引用)
フレッシュ球宴で大暴れ プロ野球界に“動ける巨漢”旋風か
2014年7月18日
イースタンの5番に座った「アジャ」ことロッテの井上(25=身長180センチ、体重115キロ)が初回の2点本塁打と八回に放ったこの日2本目となる決勝アーチで最優秀選手(MVP)に輝けば、「おかわり二世」と呼ばれる西武・山川(22=176センチ、105キロ)も初回の同点適時打と第2打席の2ランで優秀選手賞を獲得。ウエスタンから選ばれたもうひとりの優秀選手賞も、2ランを含む2安打を放った「岡山のイ・デホ」ことオリックス・奥浪(18=176センチ、95キロ)が受賞した。
■3年後には一軍定着
今回のフレッシュ球宴では、彼ら以外にもスタメンに名を連ねた西武・森(18=170センチ、80キロ)、広島・美間(20=177センチ、80キロ)ら、お世辞にもアスリート体形とは言えない選手が安打を放つなど存在感を見せた。
プロ野球オールドファンは「巨漢」といえば、現役時代の最高体重が130キロ強だった元南海・香川らを思い浮かべるはずだが、今の巨漢は違う。西武の本家おかわり・中村を筆頭に横の動きが俊敏で足も速い。いわゆる「動ける巨漢」だ。
今回のフレッシュ球宴で賞を取った3選手もそうで、特に奥浪は50メートル走を6秒台前半で走る俊足。それでいて、どっしりとした下半身をフルに生かしたパワーで高校(岡山・創志学園)時代は通算71本塁打を放った。
試合後に行われた表彰式でお立ち台に上がった3選手(井上、山川、奥浪)の合計体重は計315キロ。表彰台が小さく見えたことは言うまでもないが、この日の球宴メンバーは順調にいけば、3年後には一軍に定着しているはずだし、そうでなくてはいけない。巨漢が暴れ回るであろう3年後が楽しみである。
医学部にこれから入ろうと思っている人で、暗記型勉強が苦手な人にはよい忠告になる記事だ。
私も「理由の無いものを覚える」のが実に苦手で、人の名前などまったく覚えきれない。名前には理由は無いし、その人の特徴を表しているわけでもないからだ。学校の教師などには不向きなタイプだろうし、そうでなくても社会人としても失格だ。
ついでに言えば、誕生日とか電話番号などを覚えることも苦手である。自分の電話番号も覚えていない。
(以下引用)
なんとなく医学部に入った人は多いんだろうな
高校生までは正直勉強しなくても勉強ができたタイプで、社会はセンターだけ政治経済みたいなごまかしみたいな分野で乗り切って。英語は読解はできるけど知識問題はまったくできない。数学や物理や化学でトップくらいの点数で受かる。という感じだった。そういえば高校受験も社会は0点近くだった、『徳川家康』の漢字がかけないレベルでほぼひらがなで書いたから。
暗記が超絶苦手で本当に覚えられない。ずーっと学年最下位近かった。医学部は進級するのがかなり大変で勉強できなきゃ即落とされる。
周りの先生たちは、患者さんの気持ちを考えられるのが大事とか、卒業したら学生の頃の順位は関係ないという。が、1回留年した時は本当に地獄だった、2留即退学、これまでの人生パーという不安がヤバカッタが、とにかく暗期ができない。こんな苦しいのに横できれいごと言われると全てが腹の底から嘘に感じられた。
とにかく、子供の頃から勉強なんて全然してこなかった。暗期なんてまったくできない。教科書の厚さに閉口してしまう。本当に辞書みたいな厚さなんだよ1冊1冊が。それが酷いと10冊、20冊くらいでやってくる。それをこなしていけと。
もう死ぬほどきつかった。本当に、簡単な血管すら覚えられない。心臓の膜って4つあるんだけどそれすら入らない。きつくってきつくってどうしようもなかった。退学なるかなと思いながら必死コイテ覚えていた。
で、そんな中でも人間追い詰められたら覚醒するもので、詰め込み&過去問からの山張りで学年の真ん中くらいの順位で合格した。教科書と過去問を7周したんだよ本当に。
4年生もキツイと聴いていたので、3年生は死ぬほど勉強だけした。4年生も死ぬほど勉強したら最下位近くで受かった。
なんつーか、「暗記は繰り返さないとできないよ」という単純な話ができなかったんだけど。もう本当に、勉強なんてしたことないし暗記なんてしたことないのにやったから死ぬほどきつかった。カイジで『ボーっとするな、ここ30分だけ真剣になれば向こう5年は何にもせずボーっとしていいから!』って命かかった場面で言ってたけど。まさにあれ。
そんなわけで、5,6年はひたすら楽に過ごした。申し訳ないがそのくらい自分にはキツカッタ。暗記が本当に無理だった。 就職とか、将来とか、医者としてのメンタルとか全部無くしてボーっとしていた。国試はひたすら何も考えずに過去問と対応する教科書のページを回し続けた、勉強法がわかっていたのか、はたまた8割は受かる試験なのでたまたま受かったのか。なんとなく受かった。
もうニヒルになっていた。ただただ繰り返し教科書を読み続ける。これが全てなんだと悟った。理解とかどうこうっていうのもあるけど、まずは繰り返し繰り返し読んで脳みそにしみこませる。これを知らなかった。もうほんと今ならなんだそんなことかって感じだけど。なぜ周りの皆はテストの点数が取れてるのに、俺が教科書で常識で知ってる基礎すらテスト後は分からないんだ?と思っていたが、なんのことはない。テスト前に理解どうこうでなく覚えていたのだ。
俺は、どーも理解が得意で。数学みたいな1つ知ってれば全部つながって理解できる、その場で公式を証明して使う、みたいな、『公式なんて暗記しなくてもええやん』みたいなのばっかりだった。
英語で「has」ってのは「haveの三単現ですよ」ってのも暗記できなくて、だけど文章ででてくれば、「この単語には『所有する』っていう意味が適当やし、haveに似てるから、多分その三単現だろうなあ」って感じで毎回りかいする感じ。
だから、解剖とか生理とか理由のないものを覚えるのができないし。解剖や生理の知識がないと理解できないからと思って病気を覚えられなかった。
がしかし、普通は解剖生理から覚えるのでなく、テストに出ている病気について頭から覚えつつ理解→解剖生理や余裕があったら。みたいな感じだった。自分はまったく暗記できないタイプだからそもそも病気の症状という結果を(理解しつつも)ゴリゴリ暗記するというのが眼からうろこだった。だって病気の症状を覚えるのすら俺には不可能に思えたから。
理由の無いものを覚えるというのができないまま医学部に入ったので、これは本当にきつかった。そして、医者の倫理観とか信じられなくなった。
患者に尽くそうと思うなら勉強できるだろ?みたいな考えがどうしても実感が湧かなかったから。どれだけ医学自体に興味を持っても、そういう病気の症状を暗記するという欲求にはつながらないと感じた。
そういう方法論を知ってればそういう風になるかもしれないが、知らないままやったこともない大量暗記をかされて、できなかったら「患者思いじゃないんだね」といわれてもまったく納得できなかった。俺は患者さんのためになる医療ってのは本当にすばらしいと心から思っているのに暗記だけはできないんだ……。という劣等感がヤバカッタ。
しかし、医者になってみると自分は医者に向いてるなと感じる。暗記方法のカラクリが分かったのと、患者さんへの思いを持っていれば勉強が苦にならないし担当した疾患になら相当深く学べている。やはりメンタルだけなら向いていた。
ハインラインやアーサー・C・クラークあたりが考えそうなSF的内容の人類未来史で面白い。
人類は神と交信し、不死を達成するのならば、5079年の「世界の終わり」は、人類が新しい宇宙に旅立つことであり、今いる世界から人類がいなくなるという意味で「世界の終わり」なのだろう。
(以下引用)
ババ・バンガの予言
2011.10.29
盲目の予言者と呼ばれるババ・バンガはブルガリアで生まれ、12歳のとき竜巻で視力を失った。16歳のときより予言を行い、その予言を求めてヒトラーを含む多くの政治家が訪れたという。予言のビジョンは別の次元の生物から与えられるとのことだ。1996年に亡くなった。
彼女の予言の中でも特に有名なものは911のことを表していると思われる次の一節である。
「恐怖!恐怖!アメリカの兄弟は鉄でできた鳥に攻撃され崩壊する。ブッシュ(やぶ) の中から狼が吠えている。多くの無実の血が流される。」
アメリカの兄弟がツインタワー、ブッシュはブッシュ大統領を意味していると言われている。この予言は1989年のものである。
以下に彼女の具体的な予言を記載しておく。(下記のサイトの予言をそのまま翻訳した。またすでに過去となったものもあるがそのまま掲載しておく。)
http://www.theastralworld.com/prophecies/babavanga.php
バンガの未来の予言
2008年:4人の元首が暗殺を計画され、インドネシアで紛争が発生する。これが第3次世界大戦の原因の1つとなる。(これは「インドネシア」ではなく「インド」が間違って訳されたのではないかいう人たちも多いようです。)
2010年:第三次世界大戦は2010年11月に始まります。それは、核兵器と化学戦争に進行します。バンガは戦争が2014年10月まで続くと述べています。
2011年:戦争の結果として、放射能により北半球のほぼすべての生活が破壊されます。残りのヨーロッパ人は化学兵器を使用するイスラム教徒からの脅威に直面することになります。
2014年:戦時中の化学物質と核兵器の別の結果、世界中で皮膚癌や皮膚病が蔓延するでしょう。
2016年:ヨーロッパは、ほぼ無人となります。
2018年:中国は新しい超大国なります。搾取者が搾取されます。
2023年:地球の軌道が変わります。
2025年:ヨーロッパは依然過疎の常態です。
2028年:新エネルギー源が発見されます。飢餓が克服されます。金星に向けて有人の宇宙飛行が出発します。
2033年:極地の氷冠が溶け、世界の水のレベルが上昇します。
2043年:経済は良好です。イスラム教徒がヨーロッパを動かすこととなります。
2046年:すべての身体器官が簡単で一般的な方法で再現可能となります。
2066年:アメリカが、気象兵器をイスラム教徒に使います。
2076年:共産主義が処理を引き継ぎます。
2084年:自然が生まれ変わりました。(??)
2088年:新しい病気は人を数秒で老いさせます。
2097年:ファーストエイジング病が治療されます。
2100年:人工太陽が地球の暗がりを点灯します。
2111年:人々はロボットになります。それはおそらくアンドロイドのようなものです。
2123年:小さな国間の戦争が起こります。大きな国はそれに手を出しません。
2125年:宇宙からの信号はハンガリーで受信されます。
2130年:エイリアンの助けを借りて、水中で生活する文明が生まれます。
2164年:動物が半分人となります。
2167年:新宗教。
2170年:大きな干ばつ。
2183年:火星のコロニーが核保有国になると地球からの独立を要求します。
2187年:2つの大きな火山噴火の停止が成功します。
2195年:海のコロニーがエネルギーと食糧を持つことになります。
2196年:アジア人とヨーロッパ人は完全にミックスされます。
2201年:太陽の熱プロセスが遅くなると気温がぐっと下がります。
2221年:地球外生命の探索で、人間は恐ろしい何かに遭遇することになります。
2256年:宇宙船は地球に新たな病気をもたらすでしょう。
2262年:惑星の軌道が徐々に変化します。火星は、彗星に脅かされるでしょう。
2271年:物理学の法則が変更されます。
2273年:白人、黒人と黄色人種が1つの新しい人種を形成します。
2279年:電源が無から得られることになります。(おそらく真空またはブラックホール。)
2288年:タイムトラベルが可能になります。エイリアンの遭遇があります。
2291年:太陽が一段と涼しくなり、再びそれが熱くなるよう試されます。
2296年:太陽で強力な爆発があり。重力が変化します。古い宇宙ステーションや人工衛星が落ちてきます。
2299年:フランスでは、イスラムに対する抵抗運動が大きくなります。
2302年:宇宙の重要な法則と秘密が明らかにされています。
2304年:月の秘密も明らかにされます。
2341年:恐ろしい何かが宇宙から地球に近づいていきます。
2354年:人工太陽の事故で干ばつになります。
2371年:世界の飢餓。
2378年:急成長している新しい人種。
2480年:2つの人工太陽が衝突し地球を暗闇にします。
3005年:火星との戦争により地球の軌道が変更されます。
3010年:彗星が月に衝突します。地球は岩石や灰のリングで囲まれます。
3797年:地球上のあらゆるものが死んでしまいます。しかしこのときの人間の文明は、新しい星系に移動出来るほど進んでいます。
3803年:少しずつ新しい恒星系に移住が始まります。人々はお互いが合うことが少なくなります。新しい惑星の気候は、人々の生物影響を与え変異することになります。
3805年:食料を求め戦争が起きます。半分以上の人が絶滅します。
3815年:戦争が終わります。
3854年:文明の発展は事実上停止します。人々は獣のように生きることになります。
3871年:新しい預言者が宗教、道徳的価値を人々に伝えます。
3874年:新しい預言者が人口のすべてのセグメントからの支援を受けています。新しい教会を組織します。
3878年:教会と一緒に再訓練されます。新しい人々は科学を忘れます。
4302年:新都市は世界で成長している。新教会は、新しい技術と科学の発展を奨励しています。
4302年:科学の発展により、科学者は生物のすべての疾患に影響するものを発見します。
4304年:どんな病気も克服できる方法を見つけます。
4308年:突然変異により、人はついに自分の脳の34%以上を使用し、完全に悪と憎しみの概念が亡くなります。
4509年:人は最終的に神と通信できるレベルに達します。
4599年:人々は不死を達成します。
4674年:文明の発展はピークに達しています。別の惑星に住む人々の数は約3400億人となります。エイリアンとの同化が始まります。
5076年:境界宇宙。誰もが知らないもの。
5078年:人口の約40%が反対するのですが、宇宙の境界を去る決意をします。
5079年:世界の終わり。
予言の内容としては荒唐無稽とも言え想像が難しいものも含まれる。また、それぞれの予言は科学的なものも含まれており、本当にこの内容の予言を1911年生まれのバンガが行ったのかどうかについては疑問が残る。
しかしながら、奇しくも2011年の放射能汚染を予言していることは単なる偶然なのだろうか?
時々思うことなのだが、未来はそれぞれが少しずつ違う世界にいくつにも枝分かれしており、予言者はそのうちのひとつのビジョンを見ているのかもしれない。故に完全な予言というものは不可能なのであるが、微妙にずれた世界が実現されることとなるのかもしれない。