大阪・PL学園高等学校は、誰もが知る野球の名門校だが、昨年10月に新入生部員の募集停止を発表し、存続の危機に陥っている。
母校の黄金期を支えたOB、片岡篤史(1988年卒、元日ハムほか)、橋本清(1988年卒、元巨人)、
大西宏明(1999年卒、元近鉄ほか)の3氏がかつての日々を語り合った。
橋本:野球じゃなくて勉強の思い出だけど、「テストでカンニングした」っていわれて俺と野村(弘樹。元横浜)たちの列がメンバーから外されたことがあったな。
スタンドで寂しく応援したのを覚えてるよ。そういえば同じ列やのに、立浪和義(1988年卒、元中日)だけはなぜか外されんかった。
片岡:やっぱり立浪は別格やったんやな。
橋本:俺は小学校から一緒やけど、立浪はその頃からホンマに上手かった。
片岡:普通、PLの1年生は、最初に練習に参加した時はビビッてボールにかすりもせんけど、立浪はポンポン打ち返していたもんね。
あの清原(和博)さんが「ええフォームしとるな」と褒めていた。
あるときは準備運動もなく代打に出て、弾丸ライナーでホームランを放ったこともあった。
大西:天才ですね。
橋本:それに、あいつはファミリーやったしな。
──ファミリー?
大西:PLにはファミリーとVSって言葉があるんです。
監督やコーチに好かれる人はファミリー、反対がVSで何かと冷たく扱われる。僕は入学時はVSで、最後はファミリーでした。
片岡:僕は長くVSやったけど、立浪と仲がよくてファミリーになった。
橋本:僕は筋金入りのVS。怒られてばっかりや。
片岡:橋本が褒められたのは見たことないな。甲子園の準々決勝で初回、三者三振でも怒られてたもんな。
大西:アハハハハ。
片岡:三振に取った瞬間、橋本が電光掲示板を振り返ったんや。
橋本:当時は高校野球でスピード表示はなかったんやけど、プロになった気分で、つい見てもうた(笑い)。
それで監督から「プロに行きたきゃテメエだけ行けばいいんだよ」と怒られた。
片岡:お前、名前で呼んでもらったことないやろ。
橋本:ないね。「テメエ」か「コノヤロー」やね。
片岡:一方の立浪は、部で御法度とされる見逃し三振をした後でも、監督から「タツ、スライダーか?」って聞かれるだけ(笑い)。
凡打しただけでも謝ってた僕からしたら羨ましかった。
橋本:まあ監督は1人1人の性格を見ていたんやろうな。立浪はいつも冷静で、しんどそうなところを見せないヤツやったし。
片岡:当時、苦しい時や辛い時は、寮の屋上へ上がって皆で泣いていた。「しんどいなァ」「辞めてやろうかな」とか愚痴をいってね。
でも立浪だけはそんな時でもマスコットバットを振っていた。
ある時、僕が実家の京都のほうを眺めながらしみじみ泣いていると、立浪がやって来て
「片岡、そっちは和歌山や。京都は反対や」と教えてくれた。お前、どんだけ冷静やねんと思ったね(笑い)。
※週刊ポスト2015年5月8・15日号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150505-00000002-pseven-spo
NEWS ポストセブン 5月5日(火)7時6分配信
ある時、僕が実家の京都のほうを眺めながらしみじみ泣いていると、立浪がやって来て
「片岡、そっちは和歌山や。京都は反対や」と教えてくれた。
いかん、ワロタwww
清原は最上級の鉄砲玉だな
嗚呼 おそろしい
鈴木孝政が立浪にマウンドで指示されて
こんなペーペーに指示される俺って…なってたらしいでw
単に桑田がエンジェル桑田だっただけ
確か桑田は1年の夏の甲子園では実質的にチームのエースになっていたけど
PL入学直後は外野の補欠だったんだっけ?
桑田は夏大会前に通用しなくて投手失格の宣告されてたが
地区大会でエースが怪我で急遽投げさせたら
意外と良くてそのまま甲子園まで投げた確変投手
PL入学直後は桑田自身の言によると、「4番は清原、エースは田口権一(元・本田技研野球部)」
という既定路線で、桑田以外の2人の長身の1年生が期待されており、172cmしかない桑田は
「お前はあっちに行っておれ」という扱いだった
↓
清水一夫を臨時投手コーチとして招聘する[18]。この清水が桑田の外野からの返球を見て、
球の回転の良さに驚き[19]、「おい、あんな選手がおるんか。凄いのがおるじゃないか。学年など関係ない。
私に任せてくれ。夏までに立派なピッチャーにしてみせる」[20]と発言し、桑田を投手に戻す。
↓
もし桑田を先発させて負けるようなことがあったら全責任はワシが取ろう。ワシも長いこと野球に関係して来たが、
この試合は桑田や。これで負けたら、ワシは一切野球から足を洗おうやないか[24]」と中村へ桑田先発を進言。
当初、中村は難色を示したが[25]、清水の並々ならぬ自信と迫力、そして投手コーチとしての力量に、
思い切った起用を決意[26]。試合前まで弁当配りやバット運びをしていた1年生桑田の公式戦先発デビューが急遽、決まる。
試合前は同一チームにもかかわらず上級生は桑田を一人にし、「ああ、もう負けや、三年間の高校野球は終わった」とか、
「お前がおるからあかんのや」と桑田を苛めた[27]。この試合、清原が公式戦初本塁打で桑田を援護、
桑田は相手打線を散発2安打に抑え、完封する。
結果で上級生を黙らせた桑田(そして清原)の快進撃がそこから始まる
レギュラーの3年生ですら桑田にそういう接し方しか出来てなかったというところに、PL野球部の腐った体質がよくわかるよな。
「PLは年功序列。1学年12人しかとらないから、おまえら普通にしていたら一度は甲子園に出られると。
清原と桑田を1年から使ったのは当時の上級生のチームが弱かったからです」
後に中村はこう語っている。
立浪なんて言わなくても誰もいじめなかっただろうな…
違うぞ
桑田が立浪をみてこいつがつらい思いしないようにと
俺が守らないといけないと
上級生が世話役を指名できる権利を使って桑田から立浪を指名
その桑田の擁護があって立浪が守られただけだぞ
なお桑田の場合、橋本なんかもエンジェル桑田といっていて
何かあって怒られてる時に止めてくれるのが桑田
1年生が行進して通学をしないといけないときに、
3年生の許可があればやめて良いというルールがあって
やめていいよと言ってくれるのが桑田だけだったから
桑田を見つけたらみんな歩きからダッシュになって
なんとか桑田に見つけてもらおうとしたというエピソードもある
つまり単に桑田がエンジェルだっただけ
一方、清原についた部屋付き……お察し
桑田「やっぱり当時の野球界は超縦社会で、寮も厳しい時代でしたよね。
ですからホント1日を乗り越えるのがやっとという感じだったでしょ。
僕もそういう経験をしてたので、パッと1年生を見たときに、ひとりだけ
すごく光り輝いてる、オーラがある、小さい選手がいるなというイメージだったの。
おそらくプロ野球選手になるだろうなっていう、自分の第一印象があったんで、
この選手は潰しちゃいけないということで、まず『名前はちょっと分かんないけど、
あれはオレの部屋子にするから』っていうことをね、まず同級生みんなに言って」
立浪「プロを引退してから、その話を初めて聞かせてもらったときにビックリして。
ましてや高校1年生の選手を見て、『コイツはもしかしたらプロにかかるんじゃないかな』
って思われたことがすごいなと思って」
↑桑田がえらいけどそれだけ立浪が光ってたんやね
3枚目が実はいちばん怖そう
本人は手を汚さない頭みたいな
身体能力でいうととてもプロでやれるレベルじゃないと。
狂ったんやな。
自分たちが上級生になって、後輩にした虐めは話さないよな
自分たちも同じことしたくせに
体育会系の人全般にも言える。
http://blog.livedoor.jp/moco_660/archives/52560972.html
立浪「おはようございます」
桑田「おはよう。『おはようございます』でいいのかな。いつの番組ですか?」
立浪「夕方です」
桑田「じゃあ『こんにちは』だな」
立浪「すいませんお忙しいとこ。きょうはよろしくお願いします」
桑田「よろしくねー。立浪くんについていきますので、どんどん言ってもらって」
滅茶苦茶いい話しとるな
立浪が“氣”とか言ってるのは藤平光一の影響か?
あの人辿ると江川とか王とか榎本喜八まで行くんだよな
芳賀準一とか野球界に古武術のノウハウが地味に活きてて通用してて
これ再興しないと勿体ないと思うけどそれを出来る位置に桑田がいるという不思議
そうそう、これだったか
桑田が立浪を自分の部屋子にした話
これもいいエピソードだよな。優しすぎるだろ桑田
立浪「一緒の部屋にさせていただいて、桑田さんはすごく優しかったんですけど、
当時桑田さんから自分を見たときに、野球以外でどういう印象がありました?」
桑田「何かねぇ、かわいい弟みたいな感じ。であのとき細かったでしょ、今も細いけど」
立浪「今73キロぐらいなんですけど、当時65キロぐらいでしたね」
桑田「ねぇ。だからこれ大丈夫かな?って心配しながらね。
ホントは1年生は夜食とか食べれないでしょ。
だから部屋で一緒に食べたりしたよね、おそらくね。
体力もつけなアカンしと思いながらね」
1年生の時に夜食をくえたのも桑田のおかげという……。
とかいうホントかウソかわからない伝説w
ホントかもわからんねw
桑田や清原が上級生から受けてきた内容をもとにすると
先輩が良いというまでマッサージをする
掃除洗濯もちろん全部下級生
売店で下級生が買えるものといったら便箋ぐらい(PL炒飯などに使う
マヨネーズ代などを下級生が買わないといけないから)
3年生になったら野球だけに集中できるが1年生だと奴隷状態
甲子園で活躍してもキヨも桑田も1年の時にこれをさせられていた
これを全部取っ払って立浪を守ろうとしたのが桑田
なお、1年生がやるべき雑用を桑田が立浪にさせない代わりかしらないが
桑田の場合、本来3年になったらやらなくていいトイレ掃除だか玄関掃除を
3年になるまで続けていた