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ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です 管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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「ファーストガンダム」(一番最初のテレビシリーズ)を全話見終わったが、後半がばたばたして雑なアニメだな、という印象だった。で、ウィキペディアを見ると、全52話の予定が、視聴率低迷により43話に短縮されたためらしい。
ララァという娘が、ララァが戦場に出る前には一度しか出ないのに、再会したアムロが彼女に深く恋しているかのような描写になり、その回でララァが死ぬ(アムロに誤射される)や、アムロが、まるで最愛の人に死なれたような悲嘆ぶりを見せるのを見て、「おいおい、何だ、これは」と思った視聴者は多かったのではないか。まあ、打ち切りの裏事情を知っていた層は制作陣に同情したかもしれないが、一般視聴者は置いてけぼりである。短縮するならするで、もっといいやり方もあっただろう。
なお、最終回でアムロが死ぬのがもともとの筋だったらしいが、私はその方が「作品として」良かったと思う。敵方キャラは全員死ぬのに(あの描写なら、シャアも死んでいるのが当然である。)味方キャラは最初のあたりのリュウしか死なない、というのは片手落ちで現実味が無いし、主人公のヒロイックさも、戦争の残酷さも伝わらないだろう。アムロというヒステリーの幼児精神のアホが嫌いだからというわけではない。なお、「機動戦士Zガンダム」の第一話も見たが、主人公のカミーユがアムロそっくりのヒステリー我儘無考え坊やであるのにはうんざりした。たぶん、二話以降は見ないと思う。
なお、「ニュータイプ」というネタ(ギミックと言うべきか)は、私が前に嘲笑した、「相手が撃った弾丸やビームを、『撃った後に』避ける」ことが馬鹿馬鹿しいという批判に弁明するために後から付け加えた「言い訳」だったと私は思っている。制作陣が何と言おうとだ。だが、その「後付け設定」が、ガンダムのトレードマークになったのだから皮肉である。


反響・評価

初回放映時の評価と後の社会現象


初回放送時の視聴率は名古屋地区で平均9.1%、関東地区で5.3%[7]と振るわなかった。


視聴率低迷のため、スポンサーの要望によって量産型の他にいわゆる「やられメカ」を毎回出すことになり、試作機が投入されたという設定で グフドムなどの新MSやモビルアーマーが登場したが視聴率は好転しなかった[3][註 6]


視聴率低迷は関連商品の不振につながり[8]、スポンサーから「シャアという陰気なキャラクターがいけない」と指摘され作中でシャアを左遷したが、今度は「何でシャアが出ないのだ」という抗議の手紙が殺到した[9]。こうした手紙は中高生のファンからであり、サンライズ側の当初の狙い通り、本作には中学生以上のファンがついていた[8]名古屋テレビの関岡渉によると左遷どころか殺す予定だったのをスタッフを説得して取りやめになったとある[10]


その後もテコ入れが試みられたが(後述)、視聴率も売り上げも挽回できず全52話の予定が全43話に短縮される形の打ち切りとなった[註 7]


ところが打ち切りが決まった直後から人気が上昇。最終回でアムロは死ぬ予定だったが、関岡が人気の盛り上がりから再放送や続編制作が期待できるため反対して取りやめになった[10]。また、放送当時からアニメ雑誌がたびたび熱意ある特集記事を組むなど、中高生、特に女子を中心に口コミで徐々に評判が高まった[註 8]。放送回数は打ち切り決定当時の43話のままで終了したが、本放送終了後もアニメファンによる再放送要請嘆願署名が行われるなど熱意が衰えず、これらを受けてクローバーは再放送を決定した[11]。こうして再放送、再々放送が重ねられ、世間一般へ本作が浸透していった。再放送では平均視聴率も10%を超え、1981年における関東地区で17.9%、1982年における名古屋地区で25.7%(最高視聴率29.1%)を記録した。

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「アイカツ!」というのは知らないというか、山本寛系統の作品だと思われ、まったく興味も無いが、木村隆一という監督も、山本寛によく似たタイプの「芸能界などによくいる下種創作者」ではないかと思われる。「期日内に仕上げればいいだろ」と、あちこち適当に誤魔化して作っていきそうな感じだ。「娯楽なんだから、監督なんて誰でもいいんですよ」という、「娯楽」を舐め切ったセリフには虫唾が走る。前作品をリスペクトしている、とも言っているのだが、まったくうわべだけの科白、お上手を言っているだけにすぎないのは、「けもフレ2」での前作下げ工作の数々を見ても分かる。まあ、いい加減な性格でも、多少の創作才能と世渡りの才能があれが便利屋として使われるだろうが、ロクな作品にならないのは目に見えている。




――Twitterでも「皆んなで楽しみましょう~!」と言っていましたからね。



 



木村 娯楽なので、ぶっちゃけ監督なんて誰でもいいんですよ(笑)。誰が作っているか考えずに面白い作品をみんなで楽しむのが娯楽の基本といいますか、そのほうがみんな幸せだと思います。僕はいつでも、面白い作品を作りたいと思っているので。



  



――現状の手応えはいかがですか?



 



木村 面白いものはできていると思います。基本的に、作る時は「面白いぞ」と思って作っているので(笑)。お客さんが見た時にどう思われるかはわからないですけど。



  



――放送を楽しみにしている方たちへ、メッセージをお願いします。



 



木村 僕自身、前のシリーズにリスペクトを捧げて作っていますので、「けものフレンズ」が好きだった人は面白いと感じてくれると思っています。いいところは引き継いでやっていますので、安心して見ていただけたら嬉しいです。



 



(取材・文・撮影/千葉研一)

これ(引用図)が正しいことは、まさに「けものフレンド」と「けものフレンド2」の違いによって明確に証明されたと思う。
ただし、同じ人物が、過去のヒット作品の自己コピーをして失敗する例もある。つまり、そのヒット作は、作り手が全力を出して作り終えたのだから、それに注ぎ込む熱意はもはや無いにも関わらず、スポンサーなどの圧力で二番煎じを作ってしまう場合である。

厖大な「ガンダム群」の中で、見るに値する作品がどれくらいあるか、実は私は疑っている。
大御所になって、前より、「好き勝手に作れる」から、さらにいい作品になるかどうか、私はあまり信じていないのである。
「ガンダムオリジン」は、富野由悠季監督(総監督)の下でガンダム作りをして、いろいろと不満があった安彦良和が、自分が監督としてその不満をすべて解消する内容にしたから傑作になったのではないだろうか。その証拠のひとつが、「オリジン」では、アムロ・レイが実に阿呆な、魅力の無いキャラクターとして描かれていることであるwww まあ、最初のガンダムでもアムロはアホで魅力の無い性格だったが、安彦良和はこの少年が主人公であることにつくづくうんざりしていたのだと思う。







この前からネットテレビで見ていた「ガンダムORIGIN」が非常に面白かったので、一番最初のガンダムのテレビシリーズを見てみたが、まあ、子供向けである割には人がよく死ぬ、年齢対象が不詳のアニメである。オリジンにくらべて、はっきり言って雑な作品だ。まあ、ロボットプロレスが好きな層には大うけしたのは分かる。まさにプロレスであり、刀や斧も使うから、時代劇、チャンバラアニメでもある。中でも傑作なのは、砲弾やレーザービームらしきものを、それが発射された後に「避(よ)ける」場面があきれるほど多いことであり、ガンダムファンはそれにいったい、どういう理屈をつけていたのだろうか。レーザービームなら光速であり、それを避けるのも光速以上の速さでないといけないわけである。
それに、登場人物たちに魅力がまったく無いというか、不快な人物が多いのも困ったところで、いったい、この番組を楽しんで見ていた層は、ロボットプロレス以外のどこが良かったのだろうか。私の感じでは、登場人物の3割がキチガイ、3割が馬鹿、3割が下司外道(キチガイでかつ下種外道とか、馬鹿でかつ下種外道とかいうのも含む)であり、まともな人間は女性陣くらいで、後は、途中で死亡する「リュウ」くらいがまともだろうか。女性陣も馬鹿なところが多く、あまり魅力は無い。セーラなど、賢そうな描かれ方をしているが、戦いの最中に勝手な行動を取って味方全員を危険にさらすというアホなところを見せている。まあ、勝手な行動で味方を危険にさらすのは、アムロを始め、この物語では多いパターンである。当初は、正式な軍隊ではなく、中学生程度の連中だから、ということで許容されても、これだけ戦の経験を積めば、命令違反が味方全員の死につながりかねないことくらい学習しそうなものである。
ただ、物語全体の骨格が、二次創作を作りやすいものであることは確かで、それに影響された人々が、プロでありながらこの作品の二次創作作りに協力したのが、膨大なガンダム作品群になったのだろうな、というのは良く分かる。
イランの乗馬射撃大会らしい。
リアル「乙嫁語り」である。







浅村の打撃動画を見たわけではないが、私は、今年の浅村はあまり働かないと思う。年俸契約がどういう形か知らないが、複数年契約なら、1年くらい働かなくても大きな減俸はされないだろう、というのがひとつ。去年の数字が出来すぎであるのがふたつめである。
私は、高校時代の浅村の打撃を、甲子園の試合を見て知っているが、物凄いローボールヒッターで、低めの球を掬い上げてレフトスタンドに叩き込むのを二度ほど見た。と言うことは、当然、内角高め(あるいは外角も含めて高め)に弱点があるだろう、というのが推定されるわけで、プロで大成するのは無理だろう、と思っていた。守備もさほどいいとは思わなかった。(高校時代はショートで、今はセカンド)
だから、プロであれだけの選手になるとは意外ではあったが、打法が根本的に変わるとは思えないので、弱点があるとしたら、やはり内角高めだろうと思う。そこを突ける勇気のある投手がパリーグにいなかったのかどうかは不明だ。多くの打者が苦手とする外角低めを、実は浅村が大好きだとしたら、浅村の攻略法は決まってくるだろう。
なお、西武時代の浅村は、西武打線全体が凄いので、相手投手が浅村だけに集中できなかった、ということもある。必要なら四球を出してもいいという覚悟があれば、投手の浅村への攻め方も違ってくるのではないか。斎藤佑樹でさえ浅村を3球3振に取ることができたというのは、予想される以上に大きな心理的影響をパリーグの投手たちに与える可能性がある、と言ったら大げさと言われるだろうか。つまり、勇気を持って弱点を攻めればいい、ということである。
なお、浅村が非常に勝負強い打者である、というのは、これまた高校時代から分かっていたことだ。つまり、首位打者ではなく打点王を取るタイプである。
私は紙屋高雪氏の知性を非常に高く評価している人間なので、紙屋氏の下の記事を読んで、いささか安心した。「ワンピース」がつまらない、と第一話の途中で判断し、それ以降まったく読まなかったのは大正解であったようだからだ。人生の貴重な時間を無駄にしないでよかったwww


(以下引用)

2010-06-28 なぜ『ONE PIECE』はつまらないのか?

尾田栄一郎『ONE PIECE』Add Starcoleusikanosukeokatigum4irdetfhkuketudanxyomotarosumida


 『ONE PIECE』は言うまでもなく最も売れているマンガである。まわりに「何のマンガが好き?」と聞いてもたいていのやつは『ONE PIECE』と答える。


 そもそもぼくは『ONE PIECE』と相性がよくない。人気マンガというので数年前に読み始めたのだが、途中で挫折した。はっきり言って全然面白くないからである。「それでもまあ人気マンガだから」と今回再度がんばったのだが、27巻でくじけた。



少年マンガの感性についていけなくなっただけか

ONE PIECE 22 (ジャンプ・コミックス)


 少年マンガだからお前の感性がついてけなくなったのだろう、とお前ら言うつもりだろう。まあ半分くらいはそうなんだろうよ。でもなあ、『NARUTO』や『銀魂』はそれなりに楽しく読めるんだよ。『バクマン。』や『いぬまるだしっ』はかなり愉快に読める。なのに、『ONE PIECE』は……ちっとも面白くならないのである。ぼくにとって。


 「50巻くらいまで読まんと真価はわからんよ」という言い分もあろう。まあそうかもしれん。しかし、50巻まで読まないと真価がわからんってどんな少年マンガだよ。少なくともどんな人気マンガだよ、と思うね。


 さて、その『ONE PIECE』の「面白くなさ」について書きたい。


 とはいえ、それは山ほどある。


 いま強く思っている一点についてだけ書きたい。



「あきらめたらそこで試合終了ですよ…?」というテーゼ

 幼児期から小学生、そうだなあ中学生くらいまで、自分が何かの勝負に敗北に追いこまれそうになるシチュエーションがあって(たいていはスポーツ)、そのとき、ぼくを長く支配したのは「その状況を脱するには(勝つ、もしくは逆境を跳ね返すという)強い信念を抱き続ける」ということだった。


 これは『スラムダンク』の安西先生の有名な言葉「あきらめたらそこで試合終了ですよ…?」に通ずるテーゼでもある。


 しかし、この命題が成立するためには、実はいくつもの前提や条件が必要なはずであった。あたり前の話だが、スポーツにおいては一定の技量がどうしても前提になる。そういう技量をつね日ごろ持っていたものだけが「あきらめたらそこで試合終了」かどうかという選択肢を持つことができるのである。


 いまは選挙の時期だからw、選挙の例でいうと、「議席を獲得できる票を得られるかどうか」は選挙に動員できる資源を何らかの形で持っている陣営にのみ問われることだ。動員できるカネもヒトもないような陣営には初めから「あきらめたらそこで選挙終了ですよ」という問いは存在しない。


 試合や選挙が始まる前、もっと長いスパンをとって、実力を養い、経験を蓄えていくということをやったらどうか。もちろん、それならアリだ。だが、その努力がある種の科学性に裏づけられていなければ、努力の大半はムダになる。たしかに「あきらめずに」意思が持続する者は、膨大な試行錯誤の中からついに実力を高める方策を選びとることができるかもしれない。


 しかし、では、そのような意思の持続が一体何によってもたらされるのか、少なくとも小さい子どもにはまったくわからない。あきらめない気持ち、強い信念などというものはどんなふうに獲得できるというのだろうか。偶然しかないではないか。



「強い信念」は「叫び」という表現を求める

 「強い信念」ということを、足りなかった小さな頃のアタマでぼくは考えてみた(もちろん今でも足りないというツッコミは甘受しよう)。


 強く念じるとは、フンと腹に力をいれて念じることであった。


 歯を食いしばる、ということであった。


 あきらめない、とは体のどこかの筋肉をこわばらせて、力をこめることであった。ソフトボールだのサッカーだのをしていたぼくにとって、試合に負けそうになる、逆境に立たされたときに「あきらめずに、ふんばり、強い信念をもって反転攻勢に出る」ということは畢竟そのようなことであった。


 もちろんそれはスポーツにおいて、不必要な体の硬直をもたらし、客観的には試合に逆効果をもたらすはずのものであったのだろうが。


 体の硬直だけでは足りない。


 揺るがぬ意思、強固な信念は、わかりやすい外形を欲する。


 それには大声を出すのが一番だ。


 「ファイトー!」などと言ってみる。部活動で応援してくれる仲間たちも一様にそのように大声を出してくれたから、それが「あきらめない、強い気持ち」を保つ上で巷間でよく用いられてきた方法には違いなかったのだろう。


 だけど、ダメなものはだめだ。


 中学で軟式庭球をしていたぼくは、中学最後の試合、1回戦でテもなく捻られた。前衛であるぼくが「穴」であることを見透かされて集中的に抜かれて、実にあっさり終わった。何のプレイもさせてもらえなかった味方の後衛が哀れ極まった。


 そんなとき、どんなに「強い信念」をもとうが、いわんや「大声」を出そうが勝てなかった。


 そしていま、『ONE PIECE』である。



ルフィにおける「信念」と「叫び」

 『ONE PIECE』は「ワンピース」というひとつながりになった伝説の巨大な財宝を求める海賊の物語であるが、主人公たちの海賊グループはまったく本物の海賊らしくはなく、略奪行為はほとんど行なわない。


 訪れる島々でより強く、凶悪な海賊や「敵」と武闘をおこなうのである。


 主人公のルフィは、しばしば強大な敵に出会い、苦境に陥る。いつも死の渕寸前まで追いやられるのであるが、そのときルフィはしぶとい。目を見開いて決してあきらめようとしない。そして、必ず大声を出す。


 ルフィの(というか作者尾田栄一郎の)グラフィックに特徴的なのは、見開かれた目と食いしばるための大きな口、そして踏ん張るための安定した足(foot)である。


 それはまさに、幼少期から中学時代まで、ぼくが考えていたような「強い信念」を維持し、「大声をあげて踏ん張る」ために格好の備えを持っているかのように思える。


 今手元に『ONE PIECE』22巻がある。


 最も強い7人の海賊「七武海」の一人、クロコダイルにのされてしまったルフィはそれでも再起し、クロコダイルに戦いを挑む。


「お前が…? おれに勝つ気なのか…!!?」


「ああ」


「確かによく見抜いたもんだ 死に際のあの状況でな…」


「……」


「……だがそんな事じゃあ埋め尽くせねェ格の差がおれとお前にはある!!


 それが“七武海”のレベルだ…!!!」


「……お前が七武海だから何だ…!! だったらおれは


 “八武海”だ!!!」


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 「“八武海”だ!!!」と叫ぶルフィのグラフィックを見てほしい(右図。尾田栄一郎ONE PIECE』22、集英社、p.93)。まさに目を見開き、口を大きく開け、自らの恃むところを強く叫んでいる。


 「“八武海”だ!!!」という叫び、そして、クロコダイルに再び敗れる201話までの間にルフィがそう叫ぶ根拠らしいものはあまりない。目の前の敵に決して負けない、という決意だけがそこにある。そしてその決意は「“八武海”だ!!!」という大声によって形にされているだけだ。


 ここにあるものは、まさにぼくが幼少期から中学まで苦しめられてきた空虚精神論。それしかない。勝負において、これほど無内容なものがあるだろうか。いや何の役にも立たぬばかりか、それを信じることによって現実に裏切られるという有害な形を果たす、「信念」と「叫び」、あるいは「あきらめない気持ち」を少年たちに吹聴する危険な思想がここにあるではないか。



「叫び」の必然を描く──河合克敏モンキーターン

モンキーターン 12 (少年サンデーコミックススペシャル)


 突如、ぼくは河合克敏モンキーターン』を引き合いに出す。


 波多野憲二という競艇選手が選手として生まれ、ライバルたちに勝ち上がっていくまでを描く河合の代表作の一つだが、主人公の波多野が福岡競艇で転覆し、左手を切断寸前までの大けがを負い、再起不能かと思われるエピソードがある。


 しかし、波多野は懸命のリハビリによって奇跡的、いやある意味で科学的に手の動きを回復させ、再び福岡競艇でリベンジに挑む。波多野はスタートしながら心中で自分に言い聞かせる。


舟券を買ってるお客さんには悪いが…


今回のこのレースだけは、オレは着順を取ることが目的じゃない!


オレの敵は他の艇じゃない!


福岡競艇場1マーク!


今はコイツがオレの敵なんだっ!


20100628182013


 1マークは、波多野が事故に遭ったポイントである。


 リハビリを重ねる努力もしてきた。復調のために様々な準備も整えてきた。技量的には万を持しての再出発であるが、波多野は強い緊張をもってこのレースに臨んでいるのだ。自分の選手生命を断つ寸前のところまで追いやり、恐怖と絶望のどん底に陥れた同じシチュエーションにまさに波多野は挑もうする。


 すべてを万全に準備したはずなのに、波多野の脳裏には、事故のときざっくりと開いてしまった左手の無惨な映像がよみがえり、一瞬波多野は恐怖に縮み上がる。歯が鳴る。そしてすぐ次の瞬間、波多野はその恐怖を押さえ込み、それと戦うために雄叫びをあげるのだ(右図、河合『モンキーターン』、小学館、2008年版、12巻、p.32)。


ちくしょおおおっ!


こわくねえぞっ!


おまえなんかっ!


 ここには、すべての人事を尽くした後になおもわき上がってくる恐怖が、実に的確に描かれている。そして、それに一瞬すべてをからめとられ、心を折りそうになる波多野が短いコマの中にはっきりととらえられている。


 その恐怖と格闘し、圧伏させんとする波多野において、「叫び」は絶対的に必要なものだ。強い意思を持ち、おらぶことがこれほど必然のなかで描かれたものはなかなかあるまい。


 ルフィが叫ぶ、その空虚さは、この波多野の叫びと比べてみるとあまりに鮮明だ。


 わかっている。


 ぼくはとってもいま野暮なことを書いていると。


 「人間はウルトラマンのように変身できないのに、突然力を得られるような幻想をあおりたててきたのが『ウルトラマン』シリーズだ」という批判がどれほどみっともないことかは重々承知だ。


 だけど、このルフィ的な信念と叫びに「騙された」少年時代を送ってきたぼくは、どうしてもこのルフィの勝負に臨む態度の「つまらなさ」「有害さ」に一言言っておきたいのである。


 一体みんなは、このマンガのどこを面白いと思っているのか。逆にそれを聞いてみたい。


話の構造を論じるネット民というのは珍しいな、と思っていたら、話の構造と言うよりは、単なるストーリー展開であった。まあ、周囲の知的レベルを下げて主人公を賢げにみせるという部分は構造と言ってもいいか。
私は基本的に「剣と魔法の物語」が好きだから、見てみたが、出だしはそう悪くもなく、中世的世界の描写(絵による描写)もさほど違和感もなかったので、数回見てみて、下のスレ主が言う「鳥が(裸の)幼女になる」というところで、気持ち悪くなって、これ以上は見ないことにした。
いや、奴隷の女を買う、くらいは、私的にはまだいいのである。子供向けの話ならともかく、あのような世界に行って、奴隷売買がある世界で、所持金で可愛い娘(まあ獣人だが)を買えるなら、買わない男がいるか、とすら思う。単に性欲の対象としてでも買うだろう。しかも、主人公は「攻撃力がほとんどゼロ」で、守備力しか無い勇者なのだから、攻撃力アップのために攻撃能力のある奴隷(必ず自分の命令に従う存在)を手に入れるのも当然だ。その奴隷が可愛い娘だのに、性欲の対象にはしないのも妙だが、獣人はやはりケモノとしか見られない性格なのだろうか。アニメの主人公は女性にウブか、童貞でなければならないというのが決まりなのか。
奴隷娘の件は、まだ、アニメヒーローのパターンだとしてもいいが、鳥を買って、それがデブ鳥になった後、朝起きると裸の幼女になっていた、となると、明らかにロリコン受けを狙った話の作りで、気持ち悪い。
いや、ロリコン自体も別に悪いとは言わない。妄想の中でなら、いくらでもロリコンであっていいが、「話として必然性の無いところに美幼女を出す」のが気持ち悪いのである。つまり、作者たちの心根が気持ち悪い。
まあ、話の中で「盾の勇者」だけがやたらに貶められるというのも変と言えば変で、その貶め方が異常すぎて、そこも視聴者に居心地悪く感じさせる部分だが、そのあたりは最近よく言われる「物語のトンネル」と見ることもできる。で、盾の勇者である主人公が貶められることで、「そこからどのようにして成り上がっていくか」という興味を視聴者に持たせる機能もあるわけだから、そういう「物語エンジン」(これは私の造語で、物語の先を読みたい気持ちにさせる存在を言う。いわゆるサスペンスや謎なども物語エンジンである。)としては新機軸だな、と評価できる。また、同時に召喚された他の3人の勇者たちが、全然主人公を評価せず、仲間扱いしない、というのも新機軸である。
だが、そうしたもろもろを帳消しにするくらい気持ち悪いのが、「出てくる必然性のまったく無い、裸の幼女」である。これは、作り手側の、視聴者への「どうせお前らが見たいのはコレだろ」という嘲笑だ、と私は思っている。「りゅうおうのお仕事」と同じである。
その逆が、この前書いた「ヒナまつり」で、あのアニメには13歳くらいの少女の全裸が数回出てくるが、すべて必然性があり、またエロさを出さないように極力注意した(胸や性器が見えない)画面作りをしていた。もともと、あの漫画の少女たちは、エロからは程遠いキャラばかりなのである。「それ町」の歩鳥がパンツが見えても裸になってもまったくエロくないのと同じだ。




盾の勇者の成り上がりの構造が気持ち悪い・・・



1マンガ大好き読者さん ID:chomanga
周りを徹底的に愚か者にして主人公をあげたり奴隷の女の子を奴隷として扱わないで感謝されたり鳥が幼女になったりとにかく気持ち悪い
2マンガ大好き読者さん ID:chomanga
じゃあ見なけりゃいいやん
4マンガ大好き読者さん ID:chomanga
なろう小説の王道じゃん
5マンガ大好き読者さん ID:chomanga
それを気持ち悪いと感じるなら何故このタイトルを見ようと思ったのか
7マンガ大好き読者さん ID:chomanga
タイトルで即選別できるのに
>>1は相当の愚か者だ
8マンガ大好き読者さん ID:chomanga
王と王女をクズとビッチに改名したのは幼稚すぎて引いたわ

14マンガ大好き読者さん ID:chomanga
>>8
なんか復讐心で凝り固まった主人公がそういうことするのを、
奴隷の女の子がすがりついて止めたりするのがいいとおもうんだがな
12マンガ大好き読者さん ID:chomanga
愚かっていうか盾だけ異常にディスる王族が意味分からんわ
理由はあとで出てくるけど伏線も何もあったもんじゃねえ



手塚作品の中では、「メルモ」は、性教育アニメとしての側面もあったらしく、「エロ可愛い」というのを狙った画風だったと思う。だから、現在の萌えキャラの元祖的存在の絵柄になったのは当然かもしれない。童顔だのに手足が長く、胸がある、というのは永井豪キャラに共通するが、その後のアニメの絵柄としては永井豪キャラと高橋留美子キャラの影響が大きいかと思う。つまり、メルモからの影響は「潜在意識」的な影響だったのではないか。
だが、今見てもメルモが実に可愛いのは確かだ。表情の幼児性(サーバルのアホ顔と共通)が実に見事である。なお、サーバルや、けもフレキャラの多くが口を開けていることで、その知能の低さ(あどけなさ)を出しているのと、下のメルモの表情も、同じである。さすがに手塚治虫(の模写だが、元絵も同じだろう)と言うべきだろう。



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オッさん漫画家の萌え探索! 1〜20

渡辺潤の萌え修行、かんざきひろの丸みを経由して最後に手塚治虫に回帰してますが、そういえばメルモちゃんって乳袋キャラだっけ。
こういうこと再発見するのも模写の効用。


堀内恒夫のブログから転載。
なぜ「シュート回転」がダメなのか、誰でも疑問に思うことだろう。私も、だいたいの理由は知っていたが、堀内の言う「右投手は普通に投げればシュート回転するものだ」というのは面白い。これは初めて聞いたが、なるほどと思う。つまり、手からボールが離れるその瞬間に指で押し出す形だとシュートになり、指で「切る」形だとストレートになるということだろう。
あるいは、ボールが手から離れる時の最後の指が人差し指ならシュート回転になり、中指ならストレートになるのではないか。中指よりは普通、人差し指が「神経が通っている」ので、つい、人差し指でコントロールしようとしてしまい、最後の指が人差し指になるのかもしれない。





chimo0724さん
右投げピッチャーってね
何かが原因うんぬんじゃなくて
普通に投げれば
シュート回転するもんなんだ。
それがね
右バッターのインコースに投げて
シュート回転するのはまだいい。
相手の体に食い込んでいくからさ。
これがアウトコース狙ってんのに
シュート回転しちゃうと
真ん中入ってきちゃうじゃない。
これがダメ
またこの球が
打ちやすいんだ。
何故だかわかる?
シュートを投げようと意図して
投げたシュートと
自然に投げて
シュート回転しちゃったのでは
球の力が違うのよ。
じゃあ
シュート回転しないためには
どうしたらいいのか。
ボールに指先を引っ掛けて
スピンをかける。
そうすると
ボールが真っ直ぐにいくんだ。
なんとなく
イメージ出来るかい?
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