ゲーム・スポーツなどについての感想と妄想の作文集です
管理者名(記事筆者名)は「O-ZONE」「老幼児」「都虎」など。
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P R
カウンター
いや、実にくだらない事件だし、それをここに取り上げる私も馬鹿だろうが、私が興味を持った理由は、「バカタレ」という言葉が咄嗟に出てくるのが凄いな、と思ったからである。
私は生まれてから一度も、こういう言葉を使ったことがない。そもそも、他人と喧嘩も口喧嘩もしたことが無い。厳密にはあるが、それは中一のころ「男なら、こういう相手に侮辱されたままではいかんだろう。喧嘩しなきゃあ」という「義務感」(何の義務だよww)でやった喧嘩で、私よりチビ(いつも、何かしら私を侮辱してきたのである)のその相手を校舎の裏に呼び出して(拳で殴る勇気が無かったので)後ろから両腕で首絞めをやったら、その相手は「やめろよ」と言ったので、それで終わりである。なお、口喧嘩の経験もほとんどない。
この警官のような罵言が咄嗟に出る人間は、かなり日常的にそういう罵言を使っているのだと推測できる。警官だから、ということもあるだろうが、ヤンキーなども同じだろう。むしろ、彼らは「罵言(威嚇)の練習」を日常的にやっている、という話も聞いたことがある気がする。
何が言いたいかというと、暴力も罵言もある種の人種には日常的な行動の延長としてある、ということだ。歌舞伎の「助六」ではないが、罵言も意識的無意識的な戦略なのである。もちろん、ただの憂さ晴らしもあるだろうが、それも自分の精神を気持ちよく保つ無意識の戦略だろう。
助六は有名な言いたてして二人をやり込める。歌舞伎俳優の雄弁術がもっとも効果をあげる胸のすくような場面である。
「いかさまナァ、この五丁町へ脛を踏ん込む野郎めらは、おれが名を聞いておけ。まず第一、瘧が落ちる(熱病が治る)。まだいい事がある。(吉原の)大門をずっと潜るとき、おれが名を掌へ三遍書いて舐めろ、一生、女郎に振られるということがねえ。見かけはけちな(小さな)野郎だが、胆が大きい。遠くは八王子の炭焼 田圃の歯っかけじじい、近くは山谷の古遣手、梅干婆に至るまで、茶呑み話の喧嘩沙汰。男伊達の無尽のかけ捨て、ついに引けを取ったことのねえ男だ。江戸紫の鉢巻に、髪は生締め。ソーレ、はけ先の間からのぞいてみろ、安房上総が浮絵のように見えるわ。相手がふえれば「竜に水」、金竜山の客殿から目黒不動の尊像まで御存じの、大江戸八百八町に隠れのねえ、杏葉牡丹の紋付も、桜に匂う仲ノ町、花川戸の助六とも、また揚巻の助六ともいう若え者、間近く寄って面相拝み奉れ!」
(以下引用)
January 08, 202509:42
信号無視した男性、注意した50代警官を侮辱罪で刑事告訴「勝手にしろ、バカタレ」と言われた
カテゴリその他
転載元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1736296147/
uUzvQ3lML_bkIqyakc1vFhNrRI0RUQxg5aFkrX0xDg1_T0wXrbEJjtNGtrf1
1: それでも動く名無し 2025/01/08(水) 09:29:07.56 ID:GBM7VR2aM
男性が赤信号なのに横断歩道を渡ったら警官に注意される
↓
警官が注意
↓
男性「俺の勝手だろ」
↓
警官「勝手にしろ。バカタレ」
↓
男性が警官を侮辱罪で刑事告訴
滋賀県警は警官を所属長注意処分に
2: それでも動く名無し 2025/01/08(水) 09:29:35.12 ID:GBM7VR2aM
https://news.yahoo.co.jp/articles/379bd4f222f74c2e0a6cfca10d2d59bea531223b
4: 警備員[Lv.9][新] 2025/01/08(水) 09:30:49.02 ID:rLTqGOOG0
両津やろ
私は生まれてから一度も、こういう言葉を使ったことがない。そもそも、他人と喧嘩も口喧嘩もしたことが無い。厳密にはあるが、それは中一のころ「男なら、こういう相手に侮辱されたままではいかんだろう。喧嘩しなきゃあ」という「義務感」(何の義務だよww)でやった喧嘩で、私よりチビ(いつも、何かしら私を侮辱してきたのである)のその相手を校舎の裏に呼び出して(拳で殴る勇気が無かったので)後ろから両腕で首絞めをやったら、その相手は「やめろよ」と言ったので、それで終わりである。なお、口喧嘩の経験もほとんどない。
この警官のような罵言が咄嗟に出る人間は、かなり日常的にそういう罵言を使っているのだと推測できる。警官だから、ということもあるだろうが、ヤンキーなども同じだろう。むしろ、彼らは「罵言(威嚇)の練習」を日常的にやっている、という話も聞いたことがある気がする。
何が言いたいかというと、暴力も罵言もある種の人種には日常的な行動の延長としてある、ということだ。歌舞伎の「助六」ではないが、罵言も意識的無意識的な戦略なのである。もちろん、ただの憂さ晴らしもあるだろうが、それも自分の精神を気持ちよく保つ無意識の戦略だろう。
助六は有名な言いたてして二人をやり込める。歌舞伎俳優の雄弁術がもっとも効果をあげる胸のすくような場面である。
「いかさまナァ、この五丁町へ脛を踏ん込む野郎めらは、おれが名を聞いておけ。まず第一、瘧が落ちる(熱病が治る)。まだいい事がある。(吉原の)大門をずっと潜るとき、おれが名を掌へ三遍書いて舐めろ、一生、女郎に振られるということがねえ。見かけはけちな(小さな)野郎だが、胆が大きい。遠くは八王子の炭焼 田圃の歯っかけじじい、近くは山谷の古遣手、梅干婆に至るまで、茶呑み話の喧嘩沙汰。男伊達の無尽のかけ捨て、ついに引けを取ったことのねえ男だ。江戸紫の鉢巻に、髪は生締め。ソーレ、はけ先の間からのぞいてみろ、安房上総が浮絵のように見えるわ。相手がふえれば「竜に水」、金竜山の客殿から目黒不動の尊像まで御存じの、大江戸八百八町に隠れのねえ、杏葉牡丹の紋付も、桜に匂う仲ノ町、花川戸の助六とも、また揚巻の助六ともいう若え者、間近く寄って面相拝み奉れ!」
(以下引用)
January 08, 202509:42
信号無視した男性、注意した50代警官を侮辱罪で刑事告訴「勝手にしろ、バカタレ」と言われた
カテゴリその他
転載元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1736296147/
uUzvQ3lML_bkIqyakc1vFhNrRI0RUQxg5aFkrX0xDg1_T0wXrbEJjtNGtrf1
1: それでも動く名無し 2025/01/08(水) 09:29:07.56 ID:GBM7VR2aM
男性が赤信号なのに横断歩道を渡ったら警官に注意される
↓
警官が注意
↓
男性「俺の勝手だろ」
↓
警官「勝手にしろ。バカタレ」
↓
男性が警官を侮辱罪で刑事告訴
滋賀県警は警官を所属長注意処分に
2: それでも動く名無し 2025/01/08(水) 09:29:35.12 ID:GBM7VR2aM
https://news.yahoo.co.jp/articles/379bd4f222f74c2e0a6cfca10d2d59bea531223b
4: 警備員[Lv.9][新] 2025/01/08(水) 09:30:49.02 ID:rLTqGOOG0
両津やろ
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私は小学生のころ、たぶん無料で潜り込んだ映画館で、この「第七の封印」の騎士と死神のチェスのシーンを見ている。いや、無料で潜り込んだのではなく、次に来る予定の映画の予告編だけ見たのだろう。そのシーンが非常に印象的で、この映画の監督は凄い人だな、と子供心に感じたようだ。それが後年、ベルイマンの「野いちご」を見る動機になり、「野いちご」は私の見た生涯の映画のベスト3に入っている。
〈以下引用〉下の記述の中の「ビビ・アンデショーン」はかつては「ビビ・アンデルセン」と表記されていた。いつから変更されたのだろうか。
『第七の封印』(だいななのふういん、スウェーデン語: Det sjunde inseglet、英語: The Seventh Seal)は、1957年製作のスウェーデン映画。イングマール・ベルイマン監督作品。
土着信仰とキリスト教信仰が混在する中世の北欧を舞台に、十字軍の遠征から帰途についた騎士と死神の対決を通して神の存在を問い掛けた作品。
概要
撮影風景
前作の『夏の夜は三たび微笑む』がカンヌ国際映画祭の特設賞である「詩的ユーモア賞」を受賞し、興行的成功を収めたことで自分の好きなように映画を製作できる自由を得たイングマール・ベルイマンが、一転して神の不在という実存主義的なテーマに挑んだ問題作である。
本作品でベルイマンは前年の『夏の夜は三たび微笑む』に続き、1957年度のカンヌ国際映画祭のパルム・ドールに二年連続でノミネートされた。受賞はならなかったものの、本作品は同映画祭の審査員特別賞をベルイマンに齎(もたら)した。前作と『第七の封印』の二作続けての批評的成功は、ベルイマンの世界的な映画監督としての声望を不動のものにした。同時に映画中で重要な役柄を演じたマックス・フォン・シドーとビビ・アンデショーンの二人にとって、本作品は彼らのキャリアを飛躍させる出世作にもなった。
ストーリー
舞台は十字軍の遠征が終わってまだ間もない頃のスウェーデン。騎士のアントニウス・ブロックとその従者ヨンスは、10年にも渡る無益な遠征から帰国する。そこで彼らが見たのは、黒死病に蹂躙される祖国と、神に救いを求め惑乱する哀れな民衆の姿だった。
故郷に辿りつくと同時にアントニウスは、彼の後を追ってきた死神の存在に気付く。アントニウスに死を宣告する死神に対して、彼は自らの命を賭けたチェスでの対決を申し入れる。それはただ死を恐れた上での時間稼ぎではなく、神の存在を確認し、徒労に終わった戦役で揺らいだ信仰を取り戻すためのものだった。
死神との勝負は長引き、その間の猶予を生かしてアントニウスは妻の待つ居城へと歩みを進める。道中でアントニウスは様々な人物に遭遇する。家族を疫病で失った少女、下劣な犯罪者に成り下がった嘗ての聖職者、火焙りの刑に処される魔女、疫病の蔓延を神の天罰だと考え自らを鞭打つ狂信者たち、純朴な旅芸人の一家、破滅の予感に恐れおののく人々、妻に駆け落ちされた鍛冶屋などなど。そのうち少女と旅芸人一家、鍛冶屋夫妻を一行に加え、アントニウスは更に城への旅を続ける。だが、それは同時に彼に残された猶予期間が終わりつつあることを意味していた。
城を目前としたある夜、アントニウスは死神相手にチェスでの敗北を認める。結局彼自身の魂の救済も神との対話も何一つ達成できなかったアントニウスだが、旅芸人の一家を死神から守ることには成功する。荒れ果てた城で妻と再会し、晩餐をとるアントニウスとその一行。だが無残にも死神が現れ、その場に居た者全員の命を奪ってしまう。
翌朝死神の魔の手から無事逃げ出した旅芸人のヨフが見たのは、死神に先導され数珠繋ぎになって死の舞踏を踊るアントニウスら犠牲者たちの姿だった。旅芸人一家がこれからも無事旅を続けることを予感させて、映画の幕は閉じる。
スタッフ
製作:アラン・エーケルンド
監督:イングマール・ベルイマン
脚本:イングマール・ベルイマン
撮影:グンナール・フィッシェル
音楽:エリク・ノルドグレン
美術:P・A・ルンドグレン
振付:エルス・フィッシャー
キャスト
騎士アントニウス・ブロック:マックス・フォン・シドー
従者ヨンス:グンナール・ビョルンストランド
死神:ベント・エケロート
旅芸人:ニルス・ポッペ
旅芸人の妻:ビビ・アンデショーン
少女:グンネル・リンドブロム
ラヴァル:ベティル・アンデルベルイ
鍛冶屋:オーケ・フリーデル
鍛冶屋の妻:インガ・ジル
魔女:モード・ハンソン
トリビア
表題の「第七の封印」は新約聖書のヨハネの黙示録から採られたものである。該当箇所からの引用は映画の序盤と終盤にそれぞれ1回ずつ行われ、作品のテーマを暗示している。
黒いローブを身にまとった白い顔の男という本作品中の死神のイメージは、その後様々な映画やテレビドラマにおける死神像に影響を与えた。死神とのチェスのシーンも非常に有名である。
生涯で数多くの映画を監督したベルイマンだが、本作品のことを特に気に入っていたと言われる。
アーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画『ラスト・アクション・ヒーロー』に、本作の死神が映画の世界から現実の世界にやってくるシーンがあり、イアン・マッケランが演じた。
マーク・ウェブ監督作『(500)日のサマー』の劇中でジョゼフ・ゴードン=レヴィット演じる主人公が夢の中で観る映画に本作のチェスシーンのパロディが登場する。
モンテ・ヘルマン監督作『果てなき路』の劇中で主人公の映画監督が本作を鑑賞するシーンが登場する。
〈以下引用〉下の記述の中の「ビビ・アンデショーン」はかつては「ビビ・アンデルセン」と表記されていた。いつから変更されたのだろうか。
『第七の封印』(だいななのふういん、スウェーデン語: Det sjunde inseglet、英語: The Seventh Seal)は、1957年製作のスウェーデン映画。イングマール・ベルイマン監督作品。
土着信仰とキリスト教信仰が混在する中世の北欧を舞台に、十字軍の遠征から帰途についた騎士と死神の対決を通して神の存在を問い掛けた作品。
概要
撮影風景
前作の『夏の夜は三たび微笑む』がカンヌ国際映画祭の特設賞である「詩的ユーモア賞」を受賞し、興行的成功を収めたことで自分の好きなように映画を製作できる自由を得たイングマール・ベルイマンが、一転して神の不在という実存主義的なテーマに挑んだ問題作である。
本作品でベルイマンは前年の『夏の夜は三たび微笑む』に続き、1957年度のカンヌ国際映画祭のパルム・ドールに二年連続でノミネートされた。受賞はならなかったものの、本作品は同映画祭の審査員特別賞をベルイマンに齎(もたら)した。前作と『第七の封印』の二作続けての批評的成功は、ベルイマンの世界的な映画監督としての声望を不動のものにした。同時に映画中で重要な役柄を演じたマックス・フォン・シドーとビビ・アンデショーンの二人にとって、本作品は彼らのキャリアを飛躍させる出世作にもなった。
ストーリー
舞台は十字軍の遠征が終わってまだ間もない頃のスウェーデン。騎士のアントニウス・ブロックとその従者ヨンスは、10年にも渡る無益な遠征から帰国する。そこで彼らが見たのは、黒死病に蹂躙される祖国と、神に救いを求め惑乱する哀れな民衆の姿だった。
故郷に辿りつくと同時にアントニウスは、彼の後を追ってきた死神の存在に気付く。アントニウスに死を宣告する死神に対して、彼は自らの命を賭けたチェスでの対決を申し入れる。それはただ死を恐れた上での時間稼ぎではなく、神の存在を確認し、徒労に終わった戦役で揺らいだ信仰を取り戻すためのものだった。
死神との勝負は長引き、その間の猶予を生かしてアントニウスは妻の待つ居城へと歩みを進める。道中でアントニウスは様々な人物に遭遇する。家族を疫病で失った少女、下劣な犯罪者に成り下がった嘗ての聖職者、火焙りの刑に処される魔女、疫病の蔓延を神の天罰だと考え自らを鞭打つ狂信者たち、純朴な旅芸人の一家、破滅の予感に恐れおののく人々、妻に駆け落ちされた鍛冶屋などなど。そのうち少女と旅芸人一家、鍛冶屋夫妻を一行に加え、アントニウスは更に城への旅を続ける。だが、それは同時に彼に残された猶予期間が終わりつつあることを意味していた。
城を目前としたある夜、アントニウスは死神相手にチェスでの敗北を認める。結局彼自身の魂の救済も神との対話も何一つ達成できなかったアントニウスだが、旅芸人の一家を死神から守ることには成功する。荒れ果てた城で妻と再会し、晩餐をとるアントニウスとその一行。だが無残にも死神が現れ、その場に居た者全員の命を奪ってしまう。
翌朝死神の魔の手から無事逃げ出した旅芸人のヨフが見たのは、死神に先導され数珠繋ぎになって死の舞踏を踊るアントニウスら犠牲者たちの姿だった。旅芸人一家がこれからも無事旅を続けることを予感させて、映画の幕は閉じる。
スタッフ
製作:アラン・エーケルンド
監督:イングマール・ベルイマン
脚本:イングマール・ベルイマン
撮影:グンナール・フィッシェル
音楽:エリク・ノルドグレン
美術:P・A・ルンドグレン
振付:エルス・フィッシャー
キャスト
騎士アントニウス・ブロック:マックス・フォン・シドー
従者ヨンス:グンナール・ビョルンストランド
死神:ベント・エケロート
旅芸人:ニルス・ポッペ
旅芸人の妻:ビビ・アンデショーン
少女:グンネル・リンドブロム
ラヴァル:ベティル・アンデルベルイ
鍛冶屋:オーケ・フリーデル
鍛冶屋の妻:インガ・ジル
魔女:モード・ハンソン
トリビア
表題の「第七の封印」は新約聖書のヨハネの黙示録から採られたものである。該当箇所からの引用は映画の序盤と終盤にそれぞれ1回ずつ行われ、作品のテーマを暗示している。
黒いローブを身にまとった白い顔の男という本作品中の死神のイメージは、その後様々な映画やテレビドラマにおける死神像に影響を与えた。死神とのチェスのシーンも非常に有名である。
生涯で数多くの映画を監督したベルイマンだが、本作品のことを特に気に入っていたと言われる。
アーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画『ラスト・アクション・ヒーロー』に、本作の死神が映画の世界から現実の世界にやってくるシーンがあり、イアン・マッケランが演じた。
マーク・ウェブ監督作『(500)日のサマー』の劇中でジョゼフ・ゴードン=レヴィット演じる主人公が夢の中で観る映画に本作のチェスシーンのパロディが登場する。
モンテ・ヘルマン監督作『果てなき路』の劇中で主人公の映画監督が本作を鑑賞するシーンが登場する。
前に引用した糞スレッドと違って、まともなコメントの多い、まともなスレッドだが、長いので冒頭だけ転載する。ご自分で元スレを見ることをお勧めする。アニメの見巧者のコメントが多いので、読む価値がある。画像も多い。
コメントの一部だけ前出ししておく。洒落たコメントである。
(以下引用)「あにこ便」というサイトの中のスレッドである。
【全修。】第1話 感想 大ヒットアニメ監督、恋を知らずに逝く
facebookhatebulinemixitwitter
2025年01月06日 comment 77
全修。 1話 感想 始線。
第1話「始線。」
脚本:うえのきみこ 絵コンテ:山﨑みつえ 演出:野呂純恵 作画監督:早川加寿子、泉坂つかさ、中本尚
始線。
始線。
2025-01-05
全修。 1話 感想 始線。 68
gorimuchu67r
アニメーターアニメなの?
2025/1/5 23:45:23
haku2
MAPPA版SHIROBAKO
2025/1/5 23:45:33
ich_kasumi
「あっという間に」監督まで上ったような人かー。
2025/1/5 23:45:48
kuromori1941
若手なのにアナログなの、レアでは?
2025/1/5 23:45:54
tsukihaitsumo
さて、MAPPAのオリジナルアニメはどんなものか。
2025/1/5 23:45:34
全修。 1話 感想 始線。 02
sevens_sea_ai
セラムン……?
2025/1/5 23:45:41
yu_afuro_ta
なんだこのスケバンセーラームーンwwwwwwwww
2025/1/5 23:45:49
全修。 1話 感想 始線。 24
___leach
声wwwwwwwwwwww
2025/1/5 23:45:35
kissy_tweet
三石琴乃はダメだろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
2025/1/5 23:45:35
honyakoromochi
月に代わっておしおきしそうな声だ
2025/1/5 23:45:58
ch33ny0
トンチキセーラームーンでワロタ
2025/1/5 23:45:56
R10yyyyy
出オチにしては豪華なw
2025/1/5 23:45:48
ayr_1
どういうアニメだよ
2025/1/5 23:45:53
コメントの一部だけ前出ししておく。洒落たコメントである。
ななしさん 2025/1/06(月)
恋愛アニメのコンテに悩んでるのにファンタジーアニメに入って恋愛の何を学ぶんです?
ななしさん 2025/1/06(月)
正直異世界+アニメーターより冒頭のヤクザぶちのめす魔法少女のほうが観たい
ななしさん 2025/1/06(月)
美人がメーターやるというのが一番異世界ファンタジーみ
(以下引用)「あにこ便」というサイトの中のスレッドである。
【全修。】第1話 感想 大ヒットアニメ監督、恋を知らずに逝く
facebookhatebulinemixitwitter
2025年01月06日 comment 77
全修。 1話 感想 始線。
第1話「始線。」
脚本:うえのきみこ 絵コンテ:山﨑みつえ 演出:野呂純恵 作画監督:早川加寿子、泉坂つかさ、中本尚
始線。
始線。
2025-01-05
全修。 1話 感想 始線。 68
gorimuchu67r
アニメーターアニメなの?
2025/1/5 23:45:23
haku2
MAPPA版SHIROBAKO
2025/1/5 23:45:33
ich_kasumi
「あっという間に」監督まで上ったような人かー。
2025/1/5 23:45:48
kuromori1941
若手なのにアナログなの、レアでは?
2025/1/5 23:45:54
tsukihaitsumo
さて、MAPPAのオリジナルアニメはどんなものか。
2025/1/5 23:45:34
全修。 1話 感想 始線。 02
sevens_sea_ai
セラムン……?
2025/1/5 23:45:41
yu_afuro_ta
なんだこのスケバンセーラームーンwwwwwwwww
2025/1/5 23:45:49
全修。 1話 感想 始線。 24
___leach
声wwwwwwwwwwww
2025/1/5 23:45:35
kissy_tweet
三石琴乃はダメだろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
2025/1/5 23:45:35
honyakoromochi
月に代わっておしおきしそうな声だ
2025/1/5 23:45:58
ch33ny0
トンチキセーラームーンでワロタ
2025/1/5 23:45:56
R10yyyyy
出オチにしては豪華なw
2025/1/5 23:45:48
ayr_1
どういうアニメだよ
2025/1/5 23:45:53
第四十一章 雪
オズモンドから話を聞いて、まず声を上げたのはピエールだった。
「なんて話だ。これまでマルスにさんざん助けられながら、今度はマルスを殺そうというのか!」
アンドレも、考え込むように言った。
「私は一度レントに戻る事にしよう。出来れば、レント国王を説得して、マルスを助けて貰うようにしたいのだが、前にはアスカルファンを救うように言って、今度はアスカルファンと戦うことになるのだから、説得は難しいかもしれん」
「こっちだってアスカルファンだぜ」
ピエールが不服そうに言った。
「だが、国王軍こそがアスカルファン軍なのだ。マルスたちは反乱軍ということになる」
「ひでえ話だな」
アンドレは久し振りのトリスターナとの対面を懐かしむ余裕もなく、すぐにゲイルの西の港からレントに向かって出発した。
「よし、こうなりゃあ、国王軍と戦って、マルスをアスカルファンの国王にしようぜ」
ピエールは叫んだが、マルスは首を振った。
「ピエール、ゲイルは国王軍と戦うだけの戦力は無いよ」
「正規兵はいなくても、百姓たちを駆り出しゃあいいじゃねえか。グリセリードの捕虜たちもほとんどここに残ったんだから、マルスのために喜んで戦うだろうよ」
ピエールはすぐに城を出て、各村や町々から兵士を募集した。
「お前ら、マルスが負けたら、また前のような暮らしに戻るんだぞ。収穫の半分以上も年貢に取られ、生きていくのが精一杯という暮らしに戻りたいのか!」
人々はすぐさまピエールの言葉に応じて、続々と兵士になった。
グリセリードの捕虜たちは、今では自由人となっていたが、こちらも喜んでマルスのために戦おうと言った。
二日のうちに志願兵と元のグリセリード兵で、マルスたちの兵の数は七万五千人になったが、残念ながら彼らの武装は貧弱なものだった。剣も槍も弓も全員の分は無い状態である。
「ええい、こうなりゃあお前らは石でも棒切れでも持って戦え! 鍬でも鎌でもその気になりゃあ武器にならあ」
ピエールは滅茶苦茶な事を言っている。だが、確かに、長い鋤なら立派に槍の代わりになるし、その他にも武器になりそうな農具は幾つかあった。
ジョーイは人々に指示して、それらの農具を武器に改良させた。その一方で、また多くの人々を使って投石器や石弓、矢を作る。
マルスの居城の近くが決戦の場と定められた。当然、敵がそこを目指して来るからだ。
城の前は、刈り取りの終わった畑が広がっている。間もなく雪が降りそうな空模様である。もしも雪が降ったなら、雪の下に隠れた足場の悪い部分は、敵を悩ますだろう。
城の前に並んだ矢倉と投石器の飛距離の範囲に、マルスは幾つも落とし穴や堀を作らせた。城の背後は川になっているから、そこから回られる心配はない。まだ雪も降らない状態で川が凍るはずは無いからだ。川は深く、歩いて渡ることはできないし、泳いで渡ろうものなら、絶好の弓矢の的である。
国王軍がゲイル郡に入ったのは、オズモンドが急を知らせてから十日後だった。全国の領主に触れを回して軍勢を集めた分だけ遅れたのである。ゲイルの西側にあるマルスの居城に着くのは、あと二日後である。
その頃には、マルス側の戦争準備はすっかり終わっていた。
これまでの戦いとは違って、今回に限っては、マルス側の陣営の方が兵の数は多い。だが、そのほとんどは戦の経験のない百姓である。戦の経験のあるのは元グリセリードの兵士くらいだが、彼らがどこまで本気で戦うか、信じ難い点がある。
ヤクシーとオズモンドは百姓兵たちの指揮をし、ピエールはグリセリード兵の統率をする。そしてジョーイは例によって投石器の指示係だ。
マルスは、最初は矢倉の一つから敵を射て、敵が接近してきたらグレイに乗って戦場を駆け巡る予定である。今回は、慣れた弓兵がマルス以外にはほとんどいない。捕虜になったグリセリード兵は歩兵か騎兵だけである。従って、これまでのように敵の接近前に、弓で敵の数を減らすことは難しい。今度の戦いは困難なものになりそうだな、とマルスは思っていた。
百姓の中から、器用そうな者や目のいい者を選んで石弓の練習をさせてきたが、やはり慣れた弓兵ほどの命中率はない。僅か五、六日ではそこまでの上達は無理である。敵が密集していればそれでもそこそこ当たるだろうが、散開したら、まず当たらないはずだ。
「今回は、わしも働かざるを得ないようじゃな」
ロレンゾは言った。
「どうも、今回の戦には、妖魔の匂いがする。もしかしたら、敵軍の中に妖術師がいるのかもしれん。ただでさえ困難な戦いじゃのに、難儀な事じゃ」
やがて、雪が降り出した。
雪は翌日になっても降り止まず、国王軍が視界に現れた時にも、その姿は雪の中の黒い影でしかなかった。
マルスの胸は氷のようなもので覆われた。このまま雪が降り続けば、マルスが弓を射ることはできない。いかにマルスといえども、見えない物を射ることはできないからだ。
敵兵は、降りしきる雪のカーテンに隠れて、視界の端の黒い染みにしか見えない。そして、その黒い染みは少しずつ広がってきていた。
ネットフリックスの新作アニメ「全修」は、マスコミやネットの話題もなく突然現れた作品だが、とんでもない傑作になる可能性がある。第一話を見ただけで、その脚本のセンスの良さ、画像のすばらしさは特筆ものだ。
まあ、脚本はうえのきみこだからいいのは当たり前だが、一般人にはその名前はあまり知られていないだろう。監督は山崎みつえという人で、私には初耳だが、原作作成もうえのきみこやMAPPAとの共同原作で、さらに音声監督や絵コンテもこなす、多能な人のようである。
ただし、内容は、過去の名作アニメ・有名テレビ番組のパロディが多く、かなり物議をかもしそうである。とくに第一話は「風の谷のナウシカ」世界が舞台背景で、風景や色彩もジブリそのものの雰囲気である。まあ、その中の男主人公が「ルーク・ブレイブハート」だから、「スターウォーズ」パロディとも言える。
と同時に、アニメ制作の舞台裏的な話が話の骨格でもあり、つまり「SHIROBAKO」とも重なっていて、コアなアニメファンにはたまらなく楽しい内容である。
「全修」というタイトル自体が「全面修正」という、アニメ制作者集団にとっては地獄を意味する言葉でもあるwww ただ、これは一般人には伝わらないだろうから、このアニメが評判になるのは、宮崎駿や鈴木何とかなどがこの作品に「著作権侵害」だ、と訴えたりしてからになるだろう。それがパロディの宿命だが、この作品ほどアニメ愛にあふれた作品も珍しいのである。
まあ高度な作画を伴った、アニメ制作がテーマの「サウスパーク」と思えばいい。面白さは私が保証する。頭の固い馬鹿アニメファンが文句を言いそうなだけだ。
ちなみに、冒頭に出てくるセーラームーンパロディの「スケバン魔法少女」の声は三石琴乃であるww
私が一番嫌いなのは、漫画やアニメ制作者のナルシシズムだが、この作品はそれと対極の自己戯画化、アニメ制作者の「自己パロディ」である。アニメ内に登場するアニメ制作者(かなり戯画化されている。)が、別の有名アニメの世界内に転生するという、第一回の話が、今後も基本路線になると思うが、第二回以降も「ナウシカ世界」になるかどうかは不明である。どう転んでも、うえのきみこ脚本だから面白さは保証できると思う。
アニメに関しては「スキロー」や「ダンジョンの中の人」など、女性監督の「打率」はかなり高いようだが、それはナルシシズムに溺れず、自他の客観視ができている人に限られる。その目安は男女を問わず「笑い」のセンスがあることだ。漫画家も同じである。女性の場合は他者の「可愛さ」を見るセンスも男よりは高い。だから可愛い絵柄が描けるのである。
(追記)自分に理解できないものはとりあえず叩くという馬鹿が、このようなスレッドを立てるのである。
まあ、脚本はうえのきみこだからいいのは当たり前だが、一般人にはその名前はあまり知られていないだろう。監督は山崎みつえという人で、私には初耳だが、原作作成もうえのきみこやMAPPAとの共同原作で、さらに音声監督や絵コンテもこなす、多能な人のようである。
ただし、内容は、過去の名作アニメ・有名テレビ番組のパロディが多く、かなり物議をかもしそうである。とくに第一話は「風の谷のナウシカ」世界が舞台背景で、風景や色彩もジブリそのものの雰囲気である。まあ、その中の男主人公が「ルーク・ブレイブハート」だから、「スターウォーズ」パロディとも言える。
と同時に、アニメ制作の舞台裏的な話が話の骨格でもあり、つまり「SHIROBAKO」とも重なっていて、コアなアニメファンにはたまらなく楽しい内容である。
「全修」というタイトル自体が「全面修正」という、アニメ制作者集団にとっては地獄を意味する言葉でもあるwww ただ、これは一般人には伝わらないだろうから、このアニメが評判になるのは、宮崎駿や鈴木何とかなどがこの作品に「著作権侵害」だ、と訴えたりしてからになるだろう。それがパロディの宿命だが、この作品ほどアニメ愛にあふれた作品も珍しいのである。
まあ高度な作画を伴った、アニメ制作がテーマの「サウスパーク」と思えばいい。面白さは私が保証する。頭の固い馬鹿アニメファンが文句を言いそうなだけだ。
ちなみに、冒頭に出てくるセーラームーンパロディの「スケバン魔法少女」の声は三石琴乃であるww
私が一番嫌いなのは、漫画やアニメ制作者のナルシシズムだが、この作品はそれと対極の自己戯画化、アニメ制作者の「自己パロディ」である。アニメ内に登場するアニメ制作者(かなり戯画化されている。)が、別の有名アニメの世界内に転生するという、第一回の話が、今後も基本路線になると思うが、第二回以降も「ナウシカ世界」になるかどうかは不明である。どう転んでも、うえのきみこ脚本だから面白さは保証できると思う。
アニメに関しては「スキロー」や「ダンジョンの中の人」など、女性監督の「打率」はかなり高いようだが、それはナルシシズムに溺れず、自他の客観視ができている人に限られる。その目安は男女を問わず「笑い」のセンスがあることだ。漫画家も同じである。女性の場合は他者の「可愛さ」を見るセンスも男よりは高い。だから可愛い絵柄が描けるのである。
(追記)自分に理解できないものはとりあえず叩くという馬鹿が、このようなスレッドを立てるのである。
【悲報】今期新アニメ『全修。』ただの異世界転生アニメだったと判明し大炎上
17コメント
SHIROBAKO路線を期待していた視聴者からXでボコボコに叩かれている模様
MAPPAならとりあえずみるわ
>>2
まぁ作画は良かった
まぁ作画は良かった
オリジナルアニメですら異世界やったら終わりだろ
勝手に勘違いして怒る基地外
>>5
思わせぶりなPVで釣ったMappaが悪い
思わせぶりなPVで釣ったMappaが悪い
あらすじで言ってなかったっけ?
>>6
言ってない
言ってない
PVだけ見た感じ漫画家かなんかかと思ってたわ
MAPPAは作品とは別の意味でところでいいイメージないわ
ファンタジー映画作るアニメだと思ったら映画の中行っちゃう系だったのか
>>11
そう
しかも自分の作ったアニメじゃなくて別の会社のアニメに入る
わりと意味不明
そう
しかも自分の作ったアニメじゃなくて別の会社のアニメに入る
わりと意味不明
中華アニメだと思ってスルーしてたわ
マジで異世界転生なの?
わざわざオリアニで?
わざわざオリアニで?
>>16
そうだよ
アマプラに来てるから観てこい
そうだよ
アマプラに来てるから観てこい
炎上するほど有名な作品と思えない
>>17
事前PVでかなり期待されてた作品だぞ
事前PVでかなり期待されてた作品だぞ
第四十章 悪霊
「なぜ、マルスが反逆を企てているなどと言うのです」
オズモンドは、噂を流している人間の一人を問い詰めた。
「マルスはグリセリード軍の兵士を五万人も連れて行ったではないか。それを自分の手兵にして、このアスカルファンの王位を狙おうとしているのだ。それに、レント国王の臣下であるはずのアンドレとやらがいつまでもマルスの所に滞在しているのも怪しい。きっとレントと呼応して、アスカルファンに内乱を起こそうとしておるのだ」
アルプのジルベルト公爵は答えた。彼と弟のロックモンドが、マルス反逆論の中心人物だった。
「話になりませんな。なら、前のグリセリード戦でのマルスの働きは何だったというのです?」
「あれとこれは別だ。分不相応な地位を手に入れて、野心を起こすのは、よくある話だ」
「己を持って他を推す、という奴ですな。あなたは、ゲイル郡がご自分の物にならなかったのを逆恨みなさってるんだ」
「無礼者! そのような暴言を吐くと、国王の側近とはいえ、容赦はせぬぞ」
「あなたこそ、お言葉に気をつけなさるがよい。せっかく二度の戦が終わったところに、平地に波風を立てるようなことはおよしなさい。それでなくとも国事多端な時に」
確かに、全国は不穏な気配に包まれていた。
二度の戦費捻出に苦しむ各郡の領主たちは、自郡の年貢や税金を引き上げ、一般の人々の生活は窮乏に追い込まれていた。そのため、絶望から領主への反乱を起こす民衆も増えていた。中には、数千人規模の反乱もあり、暴徒となった民衆が、領主の館に押し入って、領主を殺し、領主の妻や娘たちを強姦した上で惨殺するという出来事もあった。その反乱は隣国の領主が手勢二千人を率いて乗り込み、暴徒のほとんどを弓や剣で殺すことで抑えられたが、その後も数百人規模の一揆は絶えなかった。その中で、奇跡的なほど平和に治められ、人口を増やしているゲイル郡への羨望が全国の人民に生まれていて、マルスを国王にせよ、という声が上がっているのも事実であった。
「年貢を四分の一にするなど、民衆への人気取り以外の何物でもない。あんな事をされては、我が郡のやり方に非難が集まるではないか」
他の領主たちからは、マルスを非難する声が上がっていた。
やがて、奇怪な出来事があった。シャルル国王の后が、精神が錯乱し、誰彼構わず、男を自分のベッドに引き入れるようになったのである。しかも、そのありさまをわざと人前に曝すのであった。最初、病気として王妃を診察しようとした医者は、王妃に抱きつかれて理性を失い、王妃と交わっている最中に王妃が大声で人を呼んだのに驚いて体を離そうとしたが、王妃が足を絡めて放さず、あられもない姿を衆人に見られて、処刑台に送られた。次に悪霊の調伏に呼ばれたエレミエル教の高僧も同じ憂き目にあった。
やがて、民間で超能力者として知られるようになっていたある男が、王宮に呼ばれた。
色浅黒く、骸骨のように痩せて背の高いその男は、香を焚いて王妃の前で祈りを捧げた。
王妃は甲高く、しわがれた笑い声を上げた。
「お主が来たからには、わしは出てゆかざるを得ないわい。だが、お主が去れば、わしはまたこの女に取り付こうぞ」
そう王妃は叫んだ後、気を失った。
気を取り戻した時、王妃はこれまでの事を一つも覚えていなかった。
シャルル国王は、この男、マーラーを賢者として宮廷に抱えることにし、もう一人の賢者カルーソーは宮廷を追われた。
国王シャルルは、マーラーの持つ様々な超能力を目の前で見せられ、すっかりこの男に信服した。
「我が国の未来はどうなっておりますかな、マーラー殿」
国王は敬語を使ってマーラーに呼びかけた。
マーラーは、目を閉じて瞑想した。
「戦乱が近づいていますな。戦は西から来る」
「敵は何者ですか」
マーラーは再び目を閉じて考え、そして言った。
「マルスという名の男です」
「やはり、マルスであったか! あの男わしが貴族に取り立て、領地をくれてやった恩義も忘れおって」
シャルル国王は、すぐさまマルス討伐の準備に取りかかった。
国王がマルスを討とうとしている事を知ったオズモンドは、必死で国王の説得に努めたが、それが不可能と知ると、急いでトリスターナの家に向かった。
事情を話してトリスターナと、トリスターナの保護のために同じ家にいたジョーイとクアトロを連れ出し、自分の家に戻って両親とジョンだけを馬車に乗せ、他の使用人には、家にある財物を皆で仲良く分けろ、と言い置いてオズモンドはゲイル郡に向かって馬車を走らせた。
四頭立ての馬車を休み無く走らせ、ゲイル郡に着いたのは翌々日だった。
仲代達矢と山崎努は私の好きな俳優で、もちろん三船敏郎が一番好きだが、残念ながら亡くなってから長い時間が過ぎている。つまり、もはや過去の歴史上の人物だ。前に書いたふたりはまだ現役である。
「天国と地獄」での山崎努の演技は、彼の映画デビューであると同時に、彼の(たぶん生涯)ベストの演技だったと思う。もちろん、黒澤明による、あの犯人の造形が凄かったが、山崎努以外が演じていたら、映画はまったく別の映画になっていただろう。俳優の力が映画を変えた例である。
仲代達矢のほうが犯人を演じてもキャラ的にはおかしくはないが、仲代達矢は「激情をほとばしらせる演技」は本質的に似合わないので、やはりあの映画でのクールな演技(当時の彼には珍しく善の側ww)のほうが抜群に似合っていた。ある意味、あの映画の「主役」は仲代達矢と山崎努で、三船敏郎は脇役だったとも言える。
(以下引用)
『「俳優」の肩ごしに』(山﨑努/文藝春秋)
『「俳優」の肩ごしに』(山﨑努/文藝春秋)
『「俳優」の肩ごしに』(文藝春秋)は、俳優・山﨑努の初の自伝である。ドラマや映画で見る山﨑の演技は、作為的なところが一切なく、自然と役になりきっているように見え、その姿に心を打たれる。この自伝も同じだ。シンプルな言葉で、飾ったところがなく、これまで自身が感じた思いを素直につづっている。
幼年期から少年期の思い出、新劇に出会い、俳優の道へ——。俳優として生きること60年余り。本書を読んで思うのは、山﨑努という人は、自分の思う俳優の道を真摯(しんし)に歩み続けてきたということだ。自伝といってもプライベートなことはあまり語らず、ほとんどは芝居とどう向き合ってきたのかに費やされる。その中では名だたる人物との出会いが数多くあった。黒澤明、三船敏郎、森繁久彌、山田太一、寺山修司、伊丹十三…。
山﨑は、1963年公開の黒澤明監督の映画『天国と地獄』で誘拐犯役を演じ、一躍脚光を浴びる。本作は主人公を演じる三船敏郎と山﨑が刑務所で対峙するシーンで幕を閉じるが、本来の脚本ではその後にエピローグが描かれていたという。しかし、2人のシーンの撮影を終えた黒澤は考えを変える。山﨑はそのときのことを次のように回想する。
“黒澤さんが寄ってきて「あの対決、とてもよく出来た。あれをラストシーンにするよ」と囁いた。あの場面の後にエピローグがあるのだが、それをカットするのだと言う。「やったぜ!」。だがそれは隠し「はあ、そうですか」と頭を下げ、礼をした”
まだ25歳の若手俳優が、巨匠監督にこんな言葉を掛けられた喜びはいかほどだったろうか。さらに山﨑は、今も大切にしているという黒澤から言われた言葉を明かす。
「映画作りは、自動販売機にコインを入れてジュースを買うようなわけにはいかないんだよ。毎日毎日、目の前にある仕事を一生懸命やる。そうするといつの間にか終わっているんだ」
山﨑は仕事中に萎えてしまったとき、今でもこの言葉を思い出すという。今の瞬間に集中し、全力を懸ける。俳優のみならず、どんな職業に対しても通じる考え方だろう。
ほかにも『東京夜話』で豊田四郎監督に「あんたヘタなんや」と絞られまくったこと(その5年後、山﨑の舞台を観劇した豊田監督は「あんた、うもうなったなあ」と絶賛する)。山田太一脚本の『早春スケッチブック』で演じた沢田竜彦がこれまで演じた役の中で、最も好きなキャラクターの1つで、以降、山田からの出演依頼は無条件で引き受けていること。そして1998年上演の『リア王』までずっと舞台に情熱を傾け続けてきたこと。そんな言葉や経験の数々が明かされ、その一つ一つが山﨑努という俳優を作り上げている。
本書は2022年に出版された同名タイトルの文庫版だが、この度、俳優・山下智久による特別寄稿も新たに収録されている。山﨑と山下は2006年放送のドラマ『クロサギ』(TBS系)と2022年、2024年に放送のドラマ『正直不動産』シリーズ(NHK)で共演した間柄。18年前の共演以降、山﨑とプライベートでも付き合いがあるという山下は、こう書いている。「十八年前の出会い以来、努さんから多くの言葉をいただきました。それらは粒子のように降り積もって、僕の生き方の基盤になっています」。
山﨑がさまざまな人から数々の言葉や経験を得たように、山下もまた山﨑から同じように受け取っている。山﨑努、現在88歳。新たな作品を見たくなった。
文=堀タツヤ
「天国と地獄」での山崎努の演技は、彼の映画デビューであると同時に、彼の(たぶん生涯)ベストの演技だったと思う。もちろん、黒澤明による、あの犯人の造形が凄かったが、山崎努以外が演じていたら、映画はまったく別の映画になっていただろう。俳優の力が映画を変えた例である。
仲代達矢のほうが犯人を演じてもキャラ的にはおかしくはないが、仲代達矢は「激情をほとばしらせる演技」は本質的に似合わないので、やはりあの映画でのクールな演技(当時の彼には珍しく善の側ww)のほうが抜群に似合っていた。ある意味、あの映画の「主役」は仲代達矢と山崎努で、三船敏郎は脇役だったとも言える。
(以下引用)
『「俳優」の肩ごしに』(山﨑努/文藝春秋)
『「俳優」の肩ごしに』(山﨑努/文藝春秋)
『「俳優」の肩ごしに』(文藝春秋)は、俳優・山﨑努の初の自伝である。ドラマや映画で見る山﨑の演技は、作為的なところが一切なく、自然と役になりきっているように見え、その姿に心を打たれる。この自伝も同じだ。シンプルな言葉で、飾ったところがなく、これまで自身が感じた思いを素直につづっている。
幼年期から少年期の思い出、新劇に出会い、俳優の道へ——。俳優として生きること60年余り。本書を読んで思うのは、山﨑努という人は、自分の思う俳優の道を真摯(しんし)に歩み続けてきたということだ。自伝といってもプライベートなことはあまり語らず、ほとんどは芝居とどう向き合ってきたのかに費やされる。その中では名だたる人物との出会いが数多くあった。黒澤明、三船敏郎、森繁久彌、山田太一、寺山修司、伊丹十三…。
山﨑は、1963年公開の黒澤明監督の映画『天国と地獄』で誘拐犯役を演じ、一躍脚光を浴びる。本作は主人公を演じる三船敏郎と山﨑が刑務所で対峙するシーンで幕を閉じるが、本来の脚本ではその後にエピローグが描かれていたという。しかし、2人のシーンの撮影を終えた黒澤は考えを変える。山﨑はそのときのことを次のように回想する。
“黒澤さんが寄ってきて「あの対決、とてもよく出来た。あれをラストシーンにするよ」と囁いた。あの場面の後にエピローグがあるのだが、それをカットするのだと言う。「やったぜ!」。だがそれは隠し「はあ、そうですか」と頭を下げ、礼をした”
まだ25歳の若手俳優が、巨匠監督にこんな言葉を掛けられた喜びはいかほどだったろうか。さらに山﨑は、今も大切にしているという黒澤から言われた言葉を明かす。
「映画作りは、自動販売機にコインを入れてジュースを買うようなわけにはいかないんだよ。毎日毎日、目の前にある仕事を一生懸命やる。そうするといつの間にか終わっているんだ」
山﨑は仕事中に萎えてしまったとき、今でもこの言葉を思い出すという。今の瞬間に集中し、全力を懸ける。俳優のみならず、どんな職業に対しても通じる考え方だろう。
ほかにも『東京夜話』で豊田四郎監督に「あんたヘタなんや」と絞られまくったこと(その5年後、山﨑の舞台を観劇した豊田監督は「あんた、うもうなったなあ」と絶賛する)。山田太一脚本の『早春スケッチブック』で演じた沢田竜彦がこれまで演じた役の中で、最も好きなキャラクターの1つで、以降、山田からの出演依頼は無条件で引き受けていること。そして1998年上演の『リア王』までずっと舞台に情熱を傾け続けてきたこと。そんな言葉や経験の数々が明かされ、その一つ一つが山﨑努という俳優を作り上げている。
本書は2022年に出版された同名タイトルの文庫版だが、この度、俳優・山下智久による特別寄稿も新たに収録されている。山﨑と山下は2006年放送のドラマ『クロサギ』(TBS系)と2022年、2024年に放送のドラマ『正直不動産』シリーズ(NHK)で共演した間柄。18年前の共演以降、山﨑とプライベートでも付き合いがあるという山下は、こう書いている。「十八年前の出会い以来、努さんから多くの言葉をいただきました。それらは粒子のように降り積もって、僕の生き方の基盤になっています」。
山﨑がさまざまな人から数々の言葉や経験を得たように、山下もまた山﨑から同じように受け取っている。山﨑努、現在88歳。新たな作品を見たくなった。
文=堀タツヤ
さほど見たい気持ちは無かったが、見ないまま批判するのも何だから、「天久鷹央の推理カルテ」を見てみた。1回だけで話が終わらなかったので、2回まで見たが、第2回は字幕が無かったので、内容は推定するしかない。私は難聴なので、字幕が無いとセリフは分からないのである。ネットフリックスはアニメでも字幕があるのが最大の長所で、おかげでかなり助かっていたのだが、その恩恵はこの作品には無いようだ。
まあ、画面だけでもおおまかには分かるというか、推測できる。その推測した限りで批評する。
冒頭部分で、下手な医者が診断をしかねている病人を、主人公の天久鷹央(女医)が簡単に正解を出して視聴者を感心させるというのは、まあ、ヒーロー物にありがちパターンである。素人にもかなり知られているアニサキスの診断ができない「引き立て役」の医者がいたりするわけだが、病室になぜか都合よく、病人がその前に釣りをしていたことを示す釣り竿などがあったりするご都合主義であるが、まあ、その程度は日本のドラマあるあるであり、連続物は「最初のつかみ」が肝心という鉄則があるから、それはどうでもいい。原因不明の病態の少年がブルーベリー使用の菓子の食いすぎで、ビタミンAの過剰摂取による病変だ、という話は、製薬会社にも菓子会社にも訴訟を起こされないかwww (これも「たまたま」病人のベッドの側のバッグから菓子の袋が見えているというご都合主義である。そもそも、ビタミンAの過剰摂取による病変という事例は本当にあるのか。まあ、稀な事例だからこそ、こういう話のネタに使うのだろうが。)
問題は、話の後半(ここから第二回で、話の内容はほとんど私の推測である。)で、片足を食いちぎられたような瀕死(病院搬入直後に死亡か)の若者がいて、それが負傷箇所から青い血を流しているという「怪事件」の話になる。推理ものとしては、ここからが本番だが、この事件の解決がかなりひどい「推理」のようなのである。青い血は、一般人がまったく知らない薬物(そういう「血を青くする」薬物が本当に存在するかどうかは分からない)のためらしいし、片足が食いちぎられていたのは、近くの博物館で展示されていたティラノサウルスの頭部を犯人(なぜか犯人は町医者らしい)がえっちらおっちら運んで(そういうシーンは無いが)、それの顎でわざわざ被害者の片足を挟み切ったものだという話のようだ。エラリー・クイーンの国名シリーズにもしばしばある「謎のための謎」という、合理性(謎の必然性・必要性)ゼロのアホ設定ではないだろうか。
まあ、音声が聞き取れず、字幕も無かったので、これは画面だけを見て私が推定しただけだが、推理ドラマとしては、最低の類だろうという気がする。
しかし、アニメのキャラ設定(小説版の挿絵担当だろうか)が、伊藤のいじであるらしく、ヒロイン(天久鷹央)キャラの顔も性格も「涼宮ハルヒ」風味であり、それだけでもある種の層には受けて、最初は少しヒット気配を見せる可能性は高いと思う。
しかし、女の名前に鷹央ねえww
まあ、画面だけでもおおまかには分かるというか、推測できる。その推測した限りで批評する。
冒頭部分で、下手な医者が診断をしかねている病人を、主人公の天久鷹央(女医)が簡単に正解を出して視聴者を感心させるというのは、まあ、ヒーロー物にありがちパターンである。素人にもかなり知られているアニサキスの診断ができない「引き立て役」の医者がいたりするわけだが、病室になぜか都合よく、病人がその前に釣りをしていたことを示す釣り竿などがあったりするご都合主義であるが、まあ、その程度は日本のドラマあるあるであり、連続物は「最初のつかみ」が肝心という鉄則があるから、それはどうでもいい。原因不明の病態の少年がブルーベリー使用の菓子の食いすぎで、ビタミンAの過剰摂取による病変だ、という話は、製薬会社にも菓子会社にも訴訟を起こされないかwww (これも「たまたま」病人のベッドの側のバッグから菓子の袋が見えているというご都合主義である。そもそも、ビタミンAの過剰摂取による病変という事例は本当にあるのか。まあ、稀な事例だからこそ、こういう話のネタに使うのだろうが。)
問題は、話の後半(ここから第二回で、話の内容はほとんど私の推測である。)で、片足を食いちぎられたような瀕死(病院搬入直後に死亡か)の若者がいて、それが負傷箇所から青い血を流しているという「怪事件」の話になる。推理ものとしては、ここからが本番だが、この事件の解決がかなりひどい「推理」のようなのである。青い血は、一般人がまったく知らない薬物(そういう「血を青くする」薬物が本当に存在するかどうかは分からない)のためらしいし、片足が食いちぎられていたのは、近くの博物館で展示されていたティラノサウルスの頭部を犯人(なぜか犯人は町医者らしい)がえっちらおっちら運んで(そういうシーンは無いが)、それの顎でわざわざ被害者の片足を挟み切ったものだという話のようだ。エラリー・クイーンの国名シリーズにもしばしばある「謎のための謎」という、合理性(謎の必然性・必要性)ゼロのアホ設定ではないだろうか。
まあ、音声が聞き取れず、字幕も無かったので、これは画面だけを見て私が推定しただけだが、推理ドラマとしては、最低の類だろうという気がする。
しかし、アニメのキャラ設定(小説版の挿絵担当だろうか)が、伊藤のいじであるらしく、ヒロイン(天久鷹央)キャラの顔も性格も「涼宮ハルヒ」風味であり、それだけでもある種の層には受けて、最初は少しヒット気配を見せる可能性は高いと思う。
しかし、女の名前に鷹央ねえww
第三十九章 噂
グリセリードの捕虜たちが、身代金の支払われた数名を除いてすべて処刑されるという事を聞いたマルスは、国王シャルルの元に出向いて、残る捕虜全員の命と引き換えに百万リム自分が出すから、捕虜たちを自分に渡してくれ、と言った。二度に渡る戦争の戦費の捻出に頭を悩ませていたシャルルは、渡りに船とばかりにこの提案に飛びついた。
マルスは五万人近い捕虜を率いて、新領地のゲイル郡に向かった。その護送には、オズモンドが隊長を務める親衛隊五百人が当たった。その旅にピエール、ヤクシー、マチルダ、ロレンゾ、アンドレも同行したが、トリスターナだけはマルスの屋敷の留守番に残った。
「お前たちは、これからゲイル郡で百姓をして貰う。グリセリードの方へは連絡しておくから心配するな。ゲイルの山野を開墾して、一人十反の畑を作った者は自由の身にしてやろう。これは、お前たちの国がアスカルファンに与えた被害の償いだ。そのままここに残りたい者には、自分の開墾した畑をそのまま与えよう」
マルスは捕虜たちにそう告げた。自分たちが処刑されるのでも、一生奴隷にされるわけでもないと知った捕虜たちは歓喜の声を上げた。
ゲイルの領主の城に入ったマルスたちは、旧領主の召使たちと対面した。彼らは明らかに、上の者にはへつらいながら、地元の百姓を蔑視し、虐げるのを当然と考えるような者たちだった。
マルスは彼らに金をやって追放した上で、地元の百姓の娘や子供の中から城の召使や従僕を選んだ。
マルスはグリセリードの捕虜たちに、まず自分たちの住む家を作らせた。およそ十日で五万人の住む住居群が出来上がった。そこを拠点に、ゲイルの山野に向かって捕虜たちは開墾の仕事を始めた。暑さも次第に和らぎ、開墾の労働もそれほど苦痛を感じさせるものでもない。捕虜たちにとっては、自分の国で百姓をしているよりここの方が安楽だと思う者も多かった。
出来た畑には、出来次第に秋撒きの小麦や野菜を植えて行き、早いところは既に芽を出していた。
ヴァルミラの扱いにマルスは困りきっていた。自分を自由にしたら、必ずマルスを殺すと言う者を自由にする訳にもいかず、城の一室に閉じ込めてあるのだが、戸に鍵が掛かっていている以外は不自由がないようにしてあった。
マチルダやヤクシーが彼女の説得に努めたが、ヴァルミラは頑として心を変えなかった。
「マルスも大変な女を敵に回したもんだな」
ピエールは面白半分でその様子を眺めている。
「あんな美人でなけりゃあ、殺してしまえば一番簡単なんだがな」
アンドレが顔に似合わぬ残酷な事を言う。
「別に美人だから特別扱いしている訳ではないぞ」
マルスが弁解じみた事を言うのは、心に疚しいところがあるせいだろう。美人に弱い所が自分の欠点ではないか、とこの頃マルスは思うようになっていた。敵のヴァルミラに対してすら、何となく心が動くのである。
「賢者の書の解読はどんなだ?」
マルスは話題を変えた。
「八割方分かってきた。だが、完全に解読しないで呪文を使うのは危険だ。魔法のことはロレンゾに、パーリ語の発音はヤクシーに聞けばいいから、一人で解読するのに比べれば、ずっと楽な仕事だがな」
「しかし、ピラミッドから持ってきた宝も、捕虜の身代金と食費、衣服、薬代で半分以上使ってしまったぜ。そろそろもう一度取りに行ってこようかな」
ピエールは、無為な毎日に少々退屈しているようだ。
「賢者の書の解読が終わってからにしてくれ。それに、ピエールには捕虜の監督の仕事があるだろう」
アンドレが言うと、ピエールは肩をすくめてみせた。
「監督ったって、何もする事はありゃしねえよ。そりゃあ、中には不真面目な者もいるが、ほとんどの者は真面目に働いているし、逃亡する者なんていやしねえし」
「逃亡したって、野盗になるしか無いし、グリセリードに帰りたければ、さっさと畑を作った方が早道だしな。秋の終わりには開墾は全部終わるんじゃないか」
アンドレも言う。
秋の収穫も始まっていた。いつものように収穫の半分を年貢として納める事を覚悟していた百姓たちは、年貢は収穫の四分の一でいいというお触れに狂喜した。
「一体、収穫の半分も納めさせて、前の領主はそれをどうしていたんだろうな。四分の一もあれば、城の人間だけでなく、捕虜たちの一年分の食料にも十分だというのに」
アンドレが言う。四分の一という計算は、アンドレによるものである。
「領主という連中はそんなものさ。百姓を苦しめて喜んでいるだけだ。きっと、年貢のほとんどは城の倉庫で腐っていたんだろうよ」
ピエールが吐き捨てるように言う。ゲイル出のピエールは、前のゲイルの領主には恨みがあるのである。
マルスは、人々の間の争い事の裁きで忙しい。だが、人の顔を見ればその善悪がすぐに分かるマルスの裁きが間違うことは少しも無かった。どのような悪巧みも、マルスの前では通用しない事を人々は知って、マルスは神に通じた者だという噂が立っていた。その評判や、年貢の低さを聞いて、他の郡から逃亡してきてゲイルに住み着く者が増え、ゲイルの人口は急速に増えていた。
「マルスは国王に対する反逆を企てている」
という噂がシャルル国王の宮廷に流れ出したのは、冬の初めの頃だった。宮廷のオズモンドはやっきになってその噂を否定したが、その噂を触れまわす者が何人かいた。
NHKに存在価値があるとしたら、今後は(他局と交渉して)他局制作の「上品で上質なアニメ」を全国的に放映することだろう。古いアニメの再放送でいいのである。「スキロー」は新しい部類だが、まさにその資格がある。少し前だと「リトアカ」などもそれだ。「ドラえもん」とは違って女の子キャラのヌードシーンも無いし、子供の他者への悪しき依存心を強めることもないwww
私がNHKの上層部なら、日本や世界の「古典的名作映画」を毎週、週末か日曜に放映する。著作権切れの映画も多いが、案外自分でDVDを探すのは難しいのである。それで、古典的教養が子供や若者に養成され、芸術的感覚が高まり、品性も高まるだろう。アニメも同様だ。「ハイジ」や「赤毛のアン」はNHKでこそ連続放映すべきである。親が安心して子供に見せられ、子供も絶対に楽しめるのである。昔のように「カネを使うのが我々の義務」と考えているような馬鹿作品や馬鹿番組を自局で制作する時代ではない。(NHKはドキュメンタリーでは他局の追随を許さない高度な作品も作ってきたが、残念ながら、「真面目作品」ばかりなので、視聴する人の絶対数は少ないのである。大河ドラマや朝ドラも失敗作のほうが最近は多いようだ。)
(以下引用)
『スキップとローファー』アニメ第1期がNHK Eテレで毎週再放送開始 第2期制作も昨年末に発表
『スキップとローファー』アニメ第1期がNHK Eテレで毎週再放送開始 第2期制作も昨年末に発表
© オタク総研
2023年4月に放送されたTVアニメ『スキップとローファー』が本日1月5日(日)17時よりNHK Eテレにて再放送を行う。昨年末にアニメ続編となる第2期の制作が決定された本作が毎週1話ずつ、日曜日17時より同局にて放送を予定している。
【画像】アニメ第2期が制作決定、高松美咲先生のお祝いイラストを見る
本作は「月刊アフタヌーン」(講談社刊)にて連載の高松美咲による同名漫画を原作とするアニメ作品。地方の小さな中学校から東京の高偏差値高校に首席入学した主人公・美津未とクラスメイトたちが織り成すスクールライフ・コメディとして、2023年春クールに放送。
アニメ作品のレビューサービスFilmarksでは春クール作品の総合ランキングで首位を獲得したほか、海外ではビリビリ動画にて作品評価「9.9/10」を獲得するなど国内外で高い評価を得ており、今夏に国際アニメアワードでも「海外アニメ賞」を受賞していた。
今年1月1日に能登地方で発生した能登半島地震の際には復興の取り組みとして本作の無料チャリティー配信も実施。YouTubeにて全12話のプレミア公開を行い、配信収益を全額石川県への寄付に充てていた。
なお、原作関連では講談社が昨年より、1月1日に発生した能登半島地震の復興支援企画として、「スキップとローファーと能登」を始動。特設サイトを開設し、第一話を閲覧すると1人につき100円を石川県の義援金口座に寄付する取り組みを実施している。
第1話「ピカピカ」あらすじ
カンペキな将来設計を胸に、石川県の小さな中学校から東京の高偏差値高校に首席で入学する岩倉美津未。ところが入学式の日、電車を乗り間違え、満員電車に巻き込まれ、完全に迷子に…。落ちこむ美津未に声をかけたのは、同じ高校に入学する志摩だった。しかし「たかが入学式」と言われ、つい八つ当たりしてしまう。たった半日で自分の未熟さを知った美津未は、今できることを精いっぱいやるため、ローファーを脱いで走り出す――!
『スキップとローファー』作品情報
地方の小さな中学校から、東京の高偏差値高校に首席入学した岩倉美津未。
カンペキな生涯設計を胸に、ひとり上京してきた田舎の神童は、勉強はできるけれど距離感が独特でちょっとズレてる。
だから失敗することもあるけれど、その天然っぷりにクラスメイトたちはやわらかに感化されて、十人十色の個性はいつしか重なっていく。知り合って、だんだんわかって、気づけば互いに通じ合う。
だれもが経験する心のもやもや、チリチリした気持ち。
わかりあえるきっかけをくれるのは、かけがえのない友達。
ときどき不協和音スレスレ、だけどいつのまにかハッピーなスクールライフ・コメディ!
©高松美咲・講談社/「スキップとローファー」製作委員会
私がNHKの上層部なら、日本や世界の「古典的名作映画」を毎週、週末か日曜に放映する。著作権切れの映画も多いが、案外自分でDVDを探すのは難しいのである。それで、古典的教養が子供や若者に養成され、芸術的感覚が高まり、品性も高まるだろう。アニメも同様だ。「ハイジ」や「赤毛のアン」はNHKでこそ連続放映すべきである。親が安心して子供に見せられ、子供も絶対に楽しめるのである。昔のように「カネを使うのが我々の義務」と考えているような馬鹿作品や馬鹿番組を自局で制作する時代ではない。(NHKはドキュメンタリーでは他局の追随を許さない高度な作品も作ってきたが、残念ながら、「真面目作品」ばかりなので、視聴する人の絶対数は少ないのである。大河ドラマや朝ドラも失敗作のほうが最近は多いようだ。)
(以下引用)
『スキップとローファー』アニメ第1期がNHK Eテレで毎週再放送開始 第2期制作も昨年末に発表
『スキップとローファー』アニメ第1期がNHK Eテレで毎週再放送開始 第2期制作も昨年末に発表
© オタク総研
2023年4月に放送されたTVアニメ『スキップとローファー』が本日1月5日(日)17時よりNHK Eテレにて再放送を行う。昨年末にアニメ続編となる第2期の制作が決定された本作が毎週1話ずつ、日曜日17時より同局にて放送を予定している。
【画像】アニメ第2期が制作決定、高松美咲先生のお祝いイラストを見る
本作は「月刊アフタヌーン」(講談社刊)にて連載の高松美咲による同名漫画を原作とするアニメ作品。地方の小さな中学校から東京の高偏差値高校に首席入学した主人公・美津未とクラスメイトたちが織り成すスクールライフ・コメディとして、2023年春クールに放送。
アニメ作品のレビューサービスFilmarksでは春クール作品の総合ランキングで首位を獲得したほか、海外ではビリビリ動画にて作品評価「9.9/10」を獲得するなど国内外で高い評価を得ており、今夏に国際アニメアワードでも「海外アニメ賞」を受賞していた。
今年1月1日に能登地方で発生した能登半島地震の際には復興の取り組みとして本作の無料チャリティー配信も実施。YouTubeにて全12話のプレミア公開を行い、配信収益を全額石川県への寄付に充てていた。
なお、原作関連では講談社が昨年より、1月1日に発生した能登半島地震の復興支援企画として、「スキップとローファーと能登」を始動。特設サイトを開設し、第一話を閲覧すると1人につき100円を石川県の義援金口座に寄付する取り組みを実施している。
第1話「ピカピカ」あらすじ
カンペキな将来設計を胸に、石川県の小さな中学校から東京の高偏差値高校に首席で入学する岩倉美津未。ところが入学式の日、電車を乗り間違え、満員電車に巻き込まれ、完全に迷子に…。落ちこむ美津未に声をかけたのは、同じ高校に入学する志摩だった。しかし「たかが入学式」と言われ、つい八つ当たりしてしまう。たった半日で自分の未熟さを知った美津未は、今できることを精いっぱいやるため、ローファーを脱いで走り出す――!
『スキップとローファー』作品情報
地方の小さな中学校から、東京の高偏差値高校に首席入学した岩倉美津未。
カンペキな生涯設計を胸に、ひとり上京してきた田舎の神童は、勉強はできるけれど距離感が独特でちょっとズレてる。
だから失敗することもあるけれど、その天然っぷりにクラスメイトたちはやわらかに感化されて、十人十色の個性はいつしか重なっていく。知り合って、だんだんわかって、気づけば互いに通じ合う。
だれもが経験する心のもやもや、チリチリした気持ち。
わかりあえるきっかけをくれるのは、かけがえのない友達。
ときどき不協和音スレスレ、だけどいつのまにかハッピーなスクールライフ・コメディ!
©高松美咲・講談社/「スキップとローファー」製作委員会